撃退士たちはヒゲ面を先頭にして、賭博場へ続く階段を進んでいた。
「しかしまあ……給料丸ごとかけるなど、馬鹿か貴様は」
彼の後ろを歩くフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は呆れ顔だ。
「男には引けねぇときがあるんだよ!」
「それを阿呆だと言っているのだ」
「そこまで言うからには自信あるんだろうな?」
「博打か? やったことはないが、興じてみるのも悪くないと思うてな」
「エッ?」
ヒゲ面の顔が凍る。
「大丈夫! あたいさいきょーだからどんなゲームも楽勝よ!」
雪室 チルル(
ja0220)の宣言にヒゲ面が表情を和らげ、
「カジノとか行ったことないから楽しみー!」
また青くなった。
「私も賭け事はしたことがありませんから、きちんと対策を練らないといけませんね」
ユウ(
jb5639)の言葉を背に受けるヒゲ面は、不安を隠せない。
●
しかし、賭場に到着してゲームが始まると、全て杞憂だと判明する。
(本調子じゃないのが悔やまれるけど、パンピーに負けるほどナマい反応速度してないつもりさ)
重体の身ながら、ルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)はヨーロピアンルーレットに挑む。
(前は散々盛り場出入りしてたし、場数だけなら、多少はね)
ヒゲ面が用意した種銭を増やすべく、卓につく。
ゲームが終わって他の客が一喜一憂している中、ルドルフは盤面の溝や傷を観察する。
ディーラーがベルを一度鳴らした。
ルドルフと客がチップを卓に乗せる。ルーレットが回転する。
ボールを投げ込まれる瞬間、ルドルフは尋常ならざる動体視力でボールの回転を見切った。
ベットを変更する。「黒26」への一点賭けだ。
感覚が鈍くなるのを嫌って痛み止めを控えているため、傷がじわりと痛む。
……狙い通りにボールが落ちると、笑みがこぼれた。
チップが36倍になって戻ってくる。
ルドルフは二度、それを続けてみせた。
「ツイてるねぇ」
何も知らない一般客がはやし立てる中、四度目のルーレットが続く。
「…………」
一点賭けを続けていたルドルフが、配当の下がる二点賭けに移行する。
ボールを投げ入れようとしたディーラーが微かに動揺を見せた。
ボールが回り、回り、ルドルフが賭けていた数字を巧みに避けて落ちた。
(なるほどね)
狙った場所に落とす技術を持っているディーラーだ。
ルドルフは口の端を吊り上げ、ディーラーに視線を送って威圧しながら次のゲームを待つ。
「さぁて、次はお幾ら?」
余裕たっぷりに、臆することなく大量のチップを卓に乗せる。度胸だけは負けないつもりだ。
それに、ルドルフだけを避ければいいというモノではない。
「ねっ、イカサマするんでしょう?」
ルドルフが外すのを見ていた雪室が突然、言い放った。
「なっ……」
テーブルに不穏な空気が流れる。
雪室の気迫に誰も動けず、喋れない。
「別にいいよ。あたいが見切るから、やってみれば?」
……なんだ、イカサマを見つけたわけではないのか。
周囲の一般客は苦笑するが、ディーラーの笑顔は硬い。
「まぁ、ディーラー君、気にしないで」
いつの間にか卓についていたノスト・クローバー(
jb7527)が助け舟を出した。
「ボールの回転で出目を操作するなんて、できるはずないよね?」
人が良さそうな笑みを浮かべながらその実、臓腑を抉るようなえげつない言葉だった。
「あ、俺の表情は人に圧迫を与えるとよく言われるけど、気にしないで始めるといいよ」
ルドルフ、雪室、ノストの視線に晒されたディーラーは固まったままだ。
「さぁ、早く。お客を待たせるのかい?」
以降、ディーラーは露骨な出目操作をしにくくなった。
そうなればルドルフの先読みが冴える。
「気合と根性ー!!」を叫び、普通にプレイしている雪室の数字を避けるためにディーラーが動けば、ルドルフがそこに賭ける。
雪室とルドルフを避ければ、しれっとノストが賭けている。
やけになったディーラーは、ついに小細工なしにボールを放り込んだ。
雪室が賭けた「赤1」に落ちる。
「よーし! やっぱりあたいさいきょー!!」
雪室が喜ぶ隣で、ノストがちらりと視線を流す。
その先に、勝負を眺めるリク・ウェイシンがいた。
●
一方、戸蔵 悠市(
jb5251)はポーカーに挑んでいた。
重体の身だが、「大して動く訳でもない。問題なかろう」という判断だ。
ベット上限ノーリミットのポーカー卓だ。
同じテーブルには単独のディーラーの他、複数の一般客がいる。
勝負は客同士で行われていた。
「レイズだ」
勝負を避け続けていた戸蔵が初めて強気に張る。
良い手が揃ったに違いない、と次々に参加者が降りていく。
しかしその中で、一人だけ戸蔵に勝負を挑んだ男がいた。身なりのいい男だ。
戸蔵はフルハウス。男はスリーカード。
戸蔵の勝ちだった。
「やりますね」
柔和な笑みを浮かべる男を、戸蔵は無視する。
以降、戸蔵はフルハウス以上の役が揃うまで再び降り続けた。
堅実に稼げるが、良い手が揃っても他のメンバーが降りてしまうので身入りは少ない。
……ただ、やはり先ほどの男だけが戸蔵が攻勢に出ても退かない。
その様子を見ていたユウが、戸蔵と同じテーブルについた。
「この席、宜しいでしょうか?」
微笑しながら、ユウは戸蔵と張り合う男の隣に座る。
妖しくも美しい笑みは忍法「魔笑」の産物だ。
ディーラーとも目を合わせて、ユウはしとやかに微笑んだ。
さらに、意志疎通で念を送る。
(ディーラーさん、とてもカッコイイ人で良かった。初めての賭博で不安でしたが、楽しめそうですね)
ディーラーが浮足立つように目を逸らし、カードを配り始める。
戸蔵の手元に、勝負手が揃っていた。
「レイズだ」
「では、私も」
再び、戸蔵とユウの隣に座る男の勝負。
Jのフォーカードと、ダイヤのストレートフラッシュ。
戸蔵の負けだった。
「幸運の女神のおかげかな?」
男は馴れなれしくユウに微笑みかけた。
「よければもう少しお近づきになれるとありがたい」
「ふふっ、冗談はよしてください」
友達汁の効果を発動させつつ、ユウはやんわりとかわす。
その最中、戸蔵は男の手札を見ていた。
「ダイヤのキングは二順目に、貴方の隣が役で使用済だが?」
「……そうでしたか?」
男は取り合わない。ディーラーも沈黙している。
……おそらく、二人は組んでいる。
しかし、牽制した戸蔵は深く追及しなかった。
代わりに、ユウが意志疎通で二人に念じる。
(手癖が悪いですね………)
「……っ?」
戸惑うディーラーに、「続けよう」と戸蔵が参加費を前に出す。
数回の勝負を経た後、戸蔵が再び動く。
「レイズだ」
「では、私も勝負です」
客に扮するイカサマ師が張り合う。
「そろそろハッタリで勝負する頃かなぁ、なんてね」
「…………」
戸蔵が沈黙したのを見て、イカサマ師が「レイズ」を宣言する。
かなりの額だったが、
「いいだろう。勝負だ」
戸蔵は降りない。
「良い手が来ているからな」
戸蔵はイカサマ師に自分のカードが見えるよう、少しだけ手元を下げた。
男の表情が変わる。見えたのは『ダイヤのキング』以外が揃ったロイヤルストレートフラッシュだった。
まさか、意趣返しにイカサマを……?
「私も勝負します」
イカサマ師がうろたえる中、ユウも膨大な参加費を払う。
さらに、
「レイズです」
魔笑と共にチップを上乗せする。
戸蔵も降りない。手持ちのチップをオールインした大勝負だ。
「なっ、え……あなたも?」
イカサマ師に問い掛けられたユウが顔を寄せて、耳元で囁く。
「微笑んでいたのが悪魔でないといいですね?」
囁かれたイカサマ師の脳裏にひとつの可能性が過ぎる。
自分がディーラーと組んでいるように、戸蔵とユウも組んでいるのではないか……?
根拠のない疑いだったが、ユウの囁きに心を乱されたせいで不安は止まらない。
ディーラーも同じように狼狽していた。
「お、降りだ……」
ユウは微笑みながら、戸蔵は無表情でカードを開く。
戸蔵はただのワンペア。ユウは役無し――ブタだった。
大量のチップが、戸蔵の手元に入った。
「さて、ここまでだな」
「お邪魔いたしました」
二人は颯爽とテーブルを後にする。
●
時同じくして、麻雀卓の方から悲鳴が響いていた。
麻雀に参加していたフィオナが男の腕を締め上げていた。
「骨を砕くまで止めんぞ」
手を開いた男の手から牌が零れ落ちる。
男はのたうち回るが、フィオナに悪びれた様子は一切ない。
「先にわからせておこうと思ってな。イカサマを見つけた場合、相応のペナルティを課させてもらう」
うっ、と対面の男が押し黙る。
……実はこの卓、参加者全員が運営側の回し者であった。
「三下が王に勝てると思わんことだ。せいぜい見つからぬようにやるといい。見抜けない分はハンデにしてやる」
「……と、隣の自動卓でやりましょうかね」
三人ともカタギではないはずなのに、完全に下手に出ていた。
場所を移動し、気を取り直して配牌に移る。
ガコンッ、と卓の中から不穏な音がした瞬間、フィオナは卓を蹴り上げた。
対面に座っていた男が下敷きになった。
……次の自動卓は、まともだった。
ようやく始まった勝負だが、事前に格の違いを見せつけていたフィオナは劣勢に陥る。
何せ、先ほど入門書を読んだばかりである。
東場が終わった時点で一人だけ負けている。
が、相手側もフィオナの力を測るべく、強く攻め切れずにいた。
まだ十分に逆転が可能な状態である。
……だが、相手もプロだ。フィオナが素人だと勘付き始めていた。
しかし、
「うむ、だいたいわかった。立直だ」
フィオナが点棒を優雅に放る。
次巡、当然のように「ツモだ」と牌を倒した。
「七対子。裏も乗ってドラ4だ」
……なんじゃこりゃ、と下家が目を丸くした。
フィオナの待ち牌は既に二枚が河にある。フィオナが掴んだのは最後の一枚だ。
「一枚眠っているなら引いてみせる。それが王だ」
南二局、フィオナの親番が始まる。
先ほどの上がりでトップに出たフィオナを捕まえるべく、他家も早鳴き、即リーと仕掛けるが、フィオナは一切降りずに突っ張り続けた。
危険牌を掴んでも迷わず切り続ける姿勢は捨て牌が読めないせいだが、常識外れの直観が振込を回避する。
でかい役狙いではなく、安い手で親番を確保する場面もあった。
男たちが飛ぶまで、あまり時間は掛からなかった。
●
そして、快進撃を見せた撃退士たちをリクが呼び寄せた。
「シンプルに、コイントスで決着をつけよう」
●
リクが来る直前、戸蔵はフィオナにチップを託し、バーカウンターで酒を飲んでいた。
そこにルドルフがやってきた。
「君が無茶するのは久々に見たかも?」
「お互い無茶したものだな」
「……俺の方はそろそろ無理も仕納めかもしんないけど」
二人は笑い合い、同じ酒で乾杯した。
「お前がお前の命をどう使おうと私に口を出す権利はない」
言いながら、戸蔵はグラスをあおり、
「ただ……置いて逝かれると思うと少し寂しだけだ。その結果が、この様ではな」
口が滑った事実を、戸蔵はもう一度酒で誤魔化そうとした。
「それなんだけどね。爆弾抱えてるのは変わらないけど。近い間にばったり、なんて可能性は薄くなったみたいだよ」
要は長生きできるかもしれない、ということをルドルフはさりげなく伝えた。
「……本当、なのか? 参ったな……これでは俺も無茶をする訳には行かなくなったじゃないか」
「ふふ。それ知ったらさ、色々惜しくなってきちゃって……だから、決めた」
ルドルフはグラスを飲み干す。
「ねえ戸蔵くん、俺はね、君が『もういい』って言うまで生きてることにしたんだ。ベット、俺の残りの人生全部。……負けさせんなよ、相棒」
「もういい、などとは決して言ってやらん。此方はとっくにオールインだ。これから長い付き合いになることを覚悟して貰うぞ、相棒」
珍しく、戸蔵が笑っていた。
●
話をリクたちへ戻す。
「コイントスは三回。表二回でお前たちの勝ち、裏二回で俺の勝ちだ。トスの順番はお前たちが先でいい。三度目にトスする奴はお前たちが選べ。こっちが勝負の内容を決めた分、サービスだ」
勝負の内容は決まった。
問題は、誰が勝負をするか、だ。
「我がやる」
ずいっ、とフィオナが前に出た。
「希望者がいるなら、お任せしようと思います」
ユウが言ったのを皮切りに、他の仲間もチップをフィオナに託した。
「リク・ウェイシン。トスは全て貴様がしろ」
フィオナの発言に、リクが眉をひそめる。
「これが我の流儀だ。イカサマ程度で折れる運など持ち合わせておらん」
「おおっ、いいね! あたいそういうの好き! どんなゲームも勇気と気合と根性と絆があれば大体勝てる! 漫画とかでもそんな感じだし!!」
胸を張るフィオナ、目を輝かせる雪室。
二人を見比べたリクは、ふっ、と笑った。
「おもしれぇ。……来な」
リクが円卓に撃退士を誘導する。
「一投目だ」
机の上でコインを弾く。
リクはコインを手で受け取らず、机の上に落とす。
「裏だ」
フィオナは動じない。
「二投目だ。行くぞ」
コインが宙を舞う。
今度は、リクが手で受け止めた。
……表だ。
「あんた、わざと?」
雪室が疑ったのは、リクは表が出るようにコインを受け止めていたのではないか、ということだ。
「さてな。本当に、三投目も俺が投げていいのか?」
「構わん。我には王たる運がついている」
「ふっ……いいだろう!」
コインが弾かれる。
くるくる、くるくると回り、リクの眼前を通り過ぎて、手も差し出されることなく、机に落ちる――
刹那!
「っ!?」
コインが机に接地する瞬間、光が瞬いた。
机上で、球状の氷が転がる。コインはその、氷の中にあった。
「……君は、ずっと退屈そうに勝負を見ていたね」
喋っているのは、片腕に光纏を輝かせるノストだ。
氷結晶でコインを包んだのも彼だ。
「君の運がいくら強かろうと、勝負に『必ず』なんてものは存在しないんだよ。これで引き分け、でどうかな」
「…………。ふ、ふふ、あははは!」
沈黙の後、リクは笑った。
「こいつぁ一本取られたな。文字通り丸く収めやがった!」
気になるのは、真っ向勝負に水を差されたフィオナの心情だ。
……意外なことに、彼女もまた微笑んでいた。
この結果を仲間が呼び込んだことが豪運の業だと、彼女にはわかっていた。
「しかも引き分けとはよく言ったもんだ。コインが表だったらこんな真似はしていない。……違うか?」
リクが言った瞬間、撃退士たちは戦慄した。
人外の動体視力を持つ彼らには見えていた。
ノストが手を出さなければ、裏が出ていたはずなのだ。
それがリクにも見えていたということは……。
「正面から勝負して、最後の最後に負けの運命をひっくり返しやがった。たいした奴らだ」
退屈に沈んでいたはずのリクは、ひどく楽しそうだった。
「楽しませてくれた礼だ。金は払おう。……ただ、撃退士の出入りは基本的にご法度だ。来るのは今日だけにしてくれ」
「かーっ……自分のことは棚に上げてよく言うぜ」
「ヒゲのおっさん、そこは目をつむれ。……そういう世界さ、ここは」
アウル覚醒者であることを秘匿しているリクの目は、どこか寂しそうだった。