陽はまだ高い。
解体工事が凍結された廃病院の前には、依頼を受けた撃退士たちが一名を除き、既に集まっていた。
「人間、水飲まずに耐えられるのって72時間だっけ?」
礼野 智美(
ja3600)の発言に、ディザイア・シーカー(
jb5989)が「ん?」と反応した。
「そんなもんだったか?」
「うん。災害の救出活動もそこがラインだって聞いた事ある気がするし、迅速に動かないと」
礼野は神妙な顔をして、自分の言葉に自分で納得している。
「確かに、出来るだけ早い殲滅と救出が必要ですよね」
同意したのは神谷 春樹(
jb7335)である。その隣で、何 静花(
jb4794)がコクコクコクと何度も頷いていた。
向坂 玲治(
ja6214)と地領院 恋(
ja8071)も言葉や表情には出さなかったが、作戦に備えて意識を尖らせている。
そんな彼らの中でただひとり、柚葉(
jb5886)だけがヘッドホンを耳に掛けて機嫌よく身体を揺らしていた。
(見えない敵ってホラー! このあいだTVで見た幽霊ってやつみたい☆ ワクワクしちゃうー☆)
柚葉に「被害者を助けなきゃっ」という思いはない。
見えない敵というワクワクするものに出会えて楽しめればいい。そういう心境だった。
(お仕事だから一応助けるけどー)
思考を結んだところで、ちょうど曲が終わる。
そして同時に、
「ごめんーっ! 遅くなりましたっ!」
最後の一人、フェイン・ティアラ(
jb3994)の大声が聞こえた。
「でもでも見て見てーっ! ほらっ! ちゃんと借りられたよ!」
フェインがコンビニのポリ袋を掲げる。
中には、カラーボールが複数入っていた。
彼らは実に色んなものを持ち寄っている。
20リットルいっぱいまで水が入ったポリタンクと、ペットボトルを少々。
消火器、蛍光塗料スプレー缶、ドライアイス。ランタンをはじめとした光源もある。
――準備は万端。
廃病院に侵入した彼らは、入ってすぐの広間で待機する集団と、奥の通路を進む集団の二手に分かれた。
●通路組
電気は非常電源しか復活できなかったので中は暗いままだ。
出入り口はもちろん、窓すらない通路は完全な暗闇に沈んでいる。
……いかにも、何か出そうな雰囲気だった。
「ったく、季節外れの怪談なんざお呼びじゃないっての」
先頭を行く向坂は懐中電灯を片手に、嫌そうに言いながら通路の奥へ進む。
向坂を先頭に恋と神谷の二列目、最後尾にフェインと、ひし形の陣形を組んで進んでいた。
「暗いのって嫌だよねー……」
最後方でペンライトをかざしているフェインがブルブル震えている。
地面につきそうなほど長いはずのふわふわ白犬尾は、股の間に挟み込まれている。
恋は無表情で歩いているが、その顔を流し見た神谷が尋ねる。
「地領院さんは大丈夫ですか?」
「べ、別に怖くはないが?」
「……声、震えていませんか」
指摘されて、恋が目線を逸らす。
でも何かに気がついて、すぐに両目を吊り上げた。
聞こえたのだ。
クス
クスクス
クスクスクスクス……
「生命探知には一匹だけ引っかかってるな……」
「やっぱり奥か?」
向坂の問いに、恋が頷く。
この奥には霊安室へ続く階段があるはずだった。
「ででっ、でもっ、笑い声は一匹じゃない……よね?」
フェインの言葉には誰も応答しなかった。
代わりに、クスクスクス、と笑い声が響いている。
●撤退
結局のところ、行くしかなかったのだ。
笑い声が不気味でも、仮に敵が大勢いても、進むしかなかった。
そうして進んだ結果が、撤退である。
キャハハハハハ!
キャハハハハハ!
「怖くないー。怖くないったら怖くないーっ!」
フェインが木霊する笑い声を打ち消すように叫んでいる。
「脅かすんじゃねェよ糞がァッ! 殺るなら正々堂々出てきやがれブッ潰すぞッ!」
恋が吼えても笑い声は止まない。
キャハハハハハ!
キャハハハハハ!
「っ、!」
暗闇の中で顔をしかめたのは向坂だ。
手の甲を浅く切りつけられた彼はそれでも、切り傷からの血を舐めつつ挑発する。
「撫でるだけじゃ、俺は倒せないぜ。っ!」
言ったそばからまた切られた。細かな傷が移動距離に比例して着実に増えていく。
「はぁはぁはぁ、こっちに来るなぁ! 当たれ当たれ当たれぇ!」
神谷は錯乱した様子で逃走していた。彼の身体にも細かな傷が多い。
後方を銃撃することもあるが、敵の嘲笑は増すばかりだ。
さらに、彼の放った銃弾がスプリンクラーのヘッドを撃ち抜いたせいで廊下が水浸しになってしまう。
ずぶ濡れになって逃げる撃退士たちを滑稽に思ったのか、キャハハ声は一段と強まった。
パシャパシャパシャと水音の跳ねる音が、そのあとに続く。
「もう少しで広間だよ!」
フェインが叫んだ。
直後、走る速度を上げた撃退士四名は敵を振り切り、広間へ駆け込む。
キャハハハハハ!
耳障りな声はなおも続いている。
通路から広間へ飛び出してくる勢いで近づいてくる。
……だが、
キャハハハ、ハハハ……ッ!?
その声がついに、止まった。
●待機組
それは、見えない敵が通路から広間へ飛び出たときに起こった。
透明なのでわかりにくいが、敵は通路を出た瞬間に転倒して、後続も雪崩れ込んだのだ。
「よぉし!」
「ひっかかったな、ドサンピン。……と言うんだったか?」
ディザイアが喜び、静花は自分の日本語が合っているか確信が持てずに首を傾げた。
転倒の原因は、二人が仕掛けたワイヤートラップだ。仲間が通り過ぎたあとに素早く糸を張ったのだ。
広間が水浸しにされているおかげで敵が突っ込んだ位置は判明している。
そこへ駆け寄るのは消火器を構えた柚葉だ。
「いらっしゃーい☆ 丸見えだよ幽霊さん!」
消化剤は水で濡れた敵の身体に張り付き、透明の身体を浮かび上がらせた。
白煙が薄まると敵の正体がわかってくる。
細身の人型で小さな鋭い爪を持つ、カメレオンのようなギョロ目を持つ敵だ。
消火器の噴射が終わったあとも撃退士たちは手を緩めない。
「おまけのナイトアンセムっ☆」
柚葉が放つ、暗闇よりも濃密な闇が透明生物たちから視覚と聴覚を奪い去る。
間髪入れず、礼野が通路の出口上空に投げた蛍光塗料スプレー缶を銃で撃ち抜き、色付きの雨を降らせた。
そこでようやく、転倒して積み重なっていた化け物たちがバラけだす。
足下の水にも蛍光塗料が流し込まれたため、光をくり貫くように足跡が黒く浮かび上がった。
塗料や消化剤が十分に命中していない敵にはカラーボールが投じられる。
さらにドライアイスを用いて煙まで炊かれはじめた。
これで風の流れすら、可視化に一役買うことになる。
「こんだけありゃ十分か?」
ディザイアは顔をニヤつかせ、足元では水をパチャパチャさせながら、嗜虐心たっぷりに続ける。
「どう動いても見えりゃ対処のしようはある。物理的に存在する以上、足音や水音は消せねぇんだろ?」
……グ、ググググ。
喉を震わせたような唸り声が広間に満ちる。
敵も理解したのだ。
自分たちを囲む撃退士たちには恐怖など微塵もない。
撤退時に錯乱していたはずの神谷ですら毅然としている。
彼は恐怖を好んでいそうな敵を引き出すべく、一芝居打っていたのだ。
スプリンクラーへの狙撃も手筈通りだ。
「弱い獲物を狩ってるつもりが、獲物にはめられた気分はどうかな?」
神谷が言い放つと、化け物たちは大音量の叫び声で廃病院を揺らした。
この世の全てを呪うようなおぞましい咆哮だったが撃退士たちはひるまない。
――こいつらはもう、笑う余裕を失ったのだ。
「うるさい。」
咆哮に隠れて誰かが呟いていた。
同時に風の流れが変わり、敵が一体、壁まで吹き飛ぶ。
壁が陥没して、天井まで亀裂が走った。
吹き飛んだ敵がついさっきまで立っていた場所に、風の渦が出来ていた。
ドライアイスの煙を巻き込む渦の中心には、呟きの主。
刀を突き出した礼野 智美が炎で包まれているかのように、金色の光纏を燃やしている。
彼女の烈風突で吹き飛ばされた敵はもう、立ち上がれそうにない。
この先制攻撃をきっかけに、本格的な戦闘が始まった。
●
罠のおかげで誘い出した敵のほとんどを可視化の状態へ追い込むことができた。
しかし全ての敵を捉えるには至ってない。
故に恋は可視化が終わるまでの間、後衛を護るために積極的に前へ出ると決めた。
大きな振りで敵を威嚇して、他の前衛と共に攻撃を自分たちへ誘導している。
普段は無愛想で無表情で――ついでに言えば幽霊も苦手だが――恋はひとたび戦闘に身を投じれば言葉遣いも表情も獣の如く豹変する。だから恐れずに立ち向かっていける。
最初はカラーボールで可視化の手伝いをしていたが、手持ちはもう尽きた。
残すは、とっておきだけだ。
「ぐ、あっ!」
透明状態を維持していた敵から一撃喰らった。
……が、攻防の一瞬に、口に含んでいた塗料を吹きかけることに成功している。
「漸く視えたぜ。……地獄に落としてやるよ! アハハハハハッ!」
恋が魔具に力を込める。
すると敵の頭上に無数の彗星が浮かんだ。
星々は恋が吹きかけた塗料目掛けて高速に落下し、見事に敵を撃ち抜く。
いくつかは外れて地面に激突するが、舞い上がった砂煙は別の敵を暗闇から引きずり出した。
「み、見えちゃえば怖くないもんねーっ!」
フェインも風花護符をかざして前方に刃を飛ばす。
その後、水溜りが大きく跳ねた。水飛沫は敵が倒れた証に他ならない。
「こいつら当たれば脆いな!」
ディザイアが手近の敵を殴り飛ばしながら叫び、
「でも数、多いぞ。可視化済んでないけどみんな、カラーボールもうない」
静花もまた、ワイヤーで拘束した敵に鉄拳を叩き込みながら感想を言う。
本来はスタン狙いの一撃だが、敵に耐久力がないために必殺の一撃になっていた。
そうなると大振りの必要はなくなってくる。
開幕に派手な一撃を見舞った礼野も命中させることに意識を寄せて、忍刀で斬りつけていた。
塗料が掛かっていない敵もいるが、前衛たちは水音や風で位置を把握し着実に数を減らしていく。
中には水溜りを避ける聡い敵もいたが、そういう場所には静花があらかじめ罠を仕掛けてある。
網状に組んだワイヤーのネットが敵を拘束するような罠だ。
掛かった瞬間、静花が超高速で跳んできてトドメを刺しにくる恐ろしい罠だった。
銃も持っているのだが「当たらないから殴った方がいい」という判断に基づく行動である。
彼らが躍動する一方で、不可視の敵に手を焼くのは向坂だ。
彼は「可視状態の敵を逃がさない」ために広間と通路の境界線に陣取ったが、広間で上がった叫びが合図だったのか、通路側からも多数の敵が押し寄せてきたのだ。
その、挟み撃ちにされてしまった向坂をいち早く援護したのは神谷だ。
神谷は向坂の周辺に――狙いは適当だったが――連続射撃を行った。
そのほとんどは命中せずに外れたが、敵の意識は確実に逸れる。
その好機を逃すことなく、向坂も反撃に出た。
拳を光らせたかと思えば一気に前進し、可視化状態の敵を一体、腰の入った光り輝く喧嘩パンチでぶちのめした。
――見た目はどこからどう見ても物理攻撃なのだが、実は神輝掌(魔法攻撃)だったりする。
何はともあれ、向坂は勢いそのままに敵の包囲網を抜け出した。
その様子を見ていた柚葉は優勢だった広間を離れ、向坂の背中を護るように通路側へ移動した。
敵がやってくるのを水音で察知したり、気配を感じ取ったら即座にナイトアンセムを撃ち込む。
「認識障害になったところをぼこ殴り☆」
援護を受けて楽になった向坂も神輝掌を中心に敵の数を減らしていく。
ほどなく、通路側からの襲撃は途絶えた。
「あと二匹だ!」
生命探知で数を把握した恋が叫ぶ。
だがドライアイスの煙幕が薄くなり、蛍光塗料が泥水で濁ったせいで可視化の効果が弱まり、なかなか捉えることができない。
「ええい、めんどくせぇ!」
焦れた向坂が敵に接近して、強引に組み付いた。
「構わねぇ、俺ごとやれ!」
フェインあたりがためらいそうな展開だったが、即座に鉄拳が叩き込まれた。
何 静花の鍛え抜かれた鉄の拳が、だ。
向坂はサンドバッグを押さえていたボクシングトレーナーよろしく、一緒に吹き飛ばされて敵の下敷きになっていた。
「……あ、すまない、謝らなくては」
拳を突き出したまま、静花が詫びる。
「最初に自己紹介したとき、中等部3年と言ったな、私は。進級していたから高等部1年だ」
聞き耳を立てていたディザイアが思わず噴き出した。
そんな彼は今、最後の一匹を射程圏内に捉えたところだったりする。
「ここらで終わりだな……良い黄泉路にならんことを祈ってるよ」
両脚には雷のアウル、身体には風のアウルを纏い、さらには全身を淡い緑色に力強く輝かせ、ディザイアが疾風迅雷の如く突進する。
彼の全力全開の攻撃が敵に届いた瞬間は、乱戦終了の瞬間でもあった。
●
「皆、いたよー! やっぱり霊安室!」
元気に知らせてくれたのはフェインだ。
彼は戦闘が優勢に傾いてからずっと、朱桜(ヒリュウ)を飛ばして被害者を探していたのだ。
視覚共有も発動しているので、救助を待つ彼らの様子も見えている。
「みんな大丈夫そうだよ。……でも敵が全部いなくなったかわかんなくて嫌だなー」
一抹の不安を抱えつつ、撃退士たちは広間から霊安室へ向かった。
到着後は部屋に入る前に、恋が生命探知を試みる。
「左奥にみんな固まってるけど、右奥にも単体で何かいる」
それを確認したうえで霊安室に踏み入る。
部屋の右奥には……何も見えない。
「ほんとに悪趣味な敵だなぁ。まぁ、だったら自分がどんな倒され方でも文句は無いよね」
呟いた神谷が消火器のノズルを右奥に向けて、消化剤を噴射した。
念のためとっておいた最後の一本である。
可視化に追い込んだ後は、立候補した柚葉によってぼこ殴りの刑が執行された。
「……助けか?」
細い声が作業員たちの方から聞こえた。
「ああ! 社長さんからの依頼で迎えに来たぜ!」
ディザイアの大声に作業員全員がどよめく。
礼野と恋、フェインが飲み水を手に近寄ると、ついに歓声が上がった。
「社長、ぴーぴー泣いてたろ」
水を受け取りながら、ベテランと思しき作業員が微笑しながら言う。
「昔から失敗するとあれこれウジウジ考えるひとなんだよ。早く安心させてやらねぇとなぁ……へへっ」
彼は、最後に付け加える。
「ありがとうな、あんたら」
廃病院には現在、救急車が向かっている。
救出された彼らが吉報を受けて駆けつけた家族や社長と再会するのは、もうすぐ先。
社長が大泣きしながら全員を出迎えた姿が酒の席で笑い話にされるのも――それほど遠くない、先の話である。