東 ハガネは英雄に憧れていた。
その情報が狩谷つむじ(jz0253)によって語られる間も、ハガネは暴れ続けている。
対応しているのは前衛の向坂 玲治(
ja6214)とカイン=A=アルタイル(
ja8514)、御堂・玲獅(
ja0388)だが、三人とも表情は険しい。
「放っておいてももうじき死ぬんじゃねえか? 動いてるのだけでもきつそうだし」
カインの発言が、通信機で全員に行き渡る。
「同感だ」と、向坂がハガネの攻撃を受けながら同調した。
向坂は、続ける。
「こいつにとって名無鬼事件は本当に、名を無くして鬼になってまで、やりたいことだったのかね」
●
その問いに答えられる者はいないが、答えはなくても思いはある。
「ハガネが何故こんな状態になってしまったのか……僕にはわからない」
佐藤 としお(
ja2489)が、通信機に語り掛ける。
彼は戦場から一時離脱して、ヒゲ面のそばにいた。
「でも僕は、何としても彼を殺したくない。彼の真意を聞き出したい」
身体を支えられているヒゲ面は、苦渋に顔を歪める。
『おっさん、あんたはどうなんだ?』と、通信機からカイン。
『相手がいくら強くても殺す方法は幾らでもあるし、リスクはめちゃくちゃ高いけど生かす方法もあると思うよ。最終的にはチームの決定に従うけどさ、アンタの本心はどうなの? ちゃんと聞いておきたい』
「さっきから言っている通りだ。ぶっ殺せ。……けじめはつけさせなきゃならねェ」
『……ですが、もしも勘違いだったら?』
疑念を抱いていた御堂が遮った。
『過去に名無鬼と会話した方は、ハガネさんが名無鬼だと思われますか?』
ヒゲ面に付き添っているノスト・クローバー(
jb7527)が、このタイミングで尋ねる。
「……ハガネ君を知っている君に聞きたい。彼はゲーム好きかい?」
「あぁん?」
「絵を描くかい? 言葉で人を弄することはあったかい?」
真剣な語調に、ヒゲ面は態度を改める。
「全部ノーだ」
「それなら、殺すわけにはいかない。今まで狡猾に事を為してきた名無鬼との間に違和感がある。冷静になるべきだ。判断を間違えば、今回だけでなく今後被害が拡大することもあるからね」
『私も同意見だわ』
ハガネの周辺で姿を隠している蓮城 真緋呂(
jb6120)が、口を挟む。
『名無鬼事件の報告書は読んでるけど、名無鬼は常に傍観者――手駒を動かしてゲームを外から操るプレイヤーの印象だった。だから自分が駒になって暴れるようには思えない。今まで名無鬼に関わってきた人は、私以上に感じているはず』
さらに、カインが『こいつは俺の主観だけどな』と前置きして語る。
『撃退士って戦闘能力には優れているけど、精神性ではプロの兵士や工作員たちと違って感情が口調や態度にもろに表れる。あり方の違いで良いことか悪いことか知らないけどな』
「……確かに、二面性に関しちゃ疑問はあるが、英雄志願者が夢を折られて歪むこともあるぜ……?」
『全て可能性に過ぎない話だけど、違和感があるのも事実よ』
と、再び蓮城が告げた。
『だから『名無鬼』は殺さない。彼ももしかしたら駒かもしれないし……あるいは自ら駒になったのかもしれない。だって彼は英雄志願者でしょう?』
前向きな解釈にヒゲ面が沈黙する。
ノストが、彼に言う。
「……いずれにしろ、後輩が道を誤ったならば理由を確認した方がいい。死んでしまったらそれが最後、どの道に戻ることもできない。ハガネ君もそうだし、君こそ後悔するよ」
「……」
「ハガネ君が反応しそうな言葉、もしくは伝えたい言葉はあるかい?」
「……反応しそうな言葉は【逃げろ】だ。伝えたい言葉は、回復して自分で言いに行く。……真実が知りたいのは俺も一緒だ。悪ぃが、頼む」
事実に基づいた説得が、ヒゲ面の頭を冷やしていた。
●
通信の結果、決まったことがいくつかある。
目的は、ハガネの真意を得ること。
手段は、正気を失ったハガネの意識を取り戻すこと。
方法は、探るしかない。
最前線にいる向坂は、カオスレートを0に保った状態でハガネの攻撃を受け続けている。
庇護の翼と自身への回復を使用して、味方への攻撃を一手に引き受けていた。
至近距離で剣技を連発されるたび、ハガネの身体から噴き出した血が向坂に付着する。
ハガネの死を予感させる光景だが、殺すことは目的ではなくなっている。
だからこそ、カインはハガネの射程外からリボルバーでの射撃を行った。
殺すためではなく、制圧するためだ。
四肢に照準を合わせて一、二三、四、のリズムで引き金を絞る。
「露骨に拳銃で狙っても当たんねーわな、ましてや動く的を」
飛び退いたハガネは地面を転がり、その勢いを利用して立ち上がる。
顔を上げれば、やはりカインが銃口を向けているのに気が付く。
カインの射撃体勢が露骨であればあるほど、他が動きやすくなる。
ハガネの意識が逸れたのを見計らい、御堂は粉袋を投げた。
不意打ちに反応したハガネが袋を斬り払う。
粉を被った瞬間、彼の姿は鬼から半死人に変わった。
「死霊粉です。……天魔なら見た目は変わりません」
変わったということはつまり。
「少なくともあなたは、天使やシュトラッサーではありません」
「 あ ァ あああ !! 」
半死人の姿をしたハガネが御堂に切っ先を向ける。
腰を落とした瞬間、足場と風が爆発した。
足から血を流して放つ、渾身の烈風突だ。
御堂は白蛇の盾に身を隠し、衝撃に備える。
しかしハガネは、その傍らを通り過ぎた。
ハガネのミスを誘発させたのは佐藤の弾丸だ。
発動の瞬間、弾丸が視界に入って踏み込みがズレたのだ。
「僕は傷ついても構わない。でも仲間はダメだ。……英雄って、そういうものだろう?」
ハガネが犬歯を剥く。
距離は離れているが、声は届いているらしい。
「僕もテレビとかで見る英雄に憧れたんだよ。貴方の英雄って……なんだい?」
死霊粉の効果が解ける。だが、ハガネの目は狂人のままだ。
「何が貴方をそうさせてしまったかはわからないが……今のそれが、貴方の憧れた英雄の姿なのか」
ハガネは返事の代わりに居合の構えを取り、衝撃波を佐藤に飛ばした。
ダメージを肩代わりした向坂が血を流すのと、ハガネの腕が血飛沫を上げたのは同時だった。
返す刀で血飛沫を切り払ったハガネは、狂犬の如く唸りを上げる。
そんな彼を正気に戻すべく、蜃気楼で潜行する蓮城が、束縛を狙ってアウルの鞭をしならせた。
ギッ、と短い悲鳴が漏れて、ハガネの膝が落ちる。
「お願い、止まって」
蓮城の願いも虚しく、ハガネは再び咆哮する。
ヒゲ面が到着する前からたびたび見せている、状態異常カウンターの『練気』だ。
反動リスクがない代わりに、流血が伴う。
「話を聞いて」
光纏時は淡々とした口調になる蓮城だが、ハガネの背後へ回り込む足には力が込められている。
彼女は最高速度を保ったまま鋭角に切り込み、両手にアウルを帯電させてハガネに掴みかかる――刹那、ハガネは上半身を捻り、蓮城に肘鉄を見舞った。
地面を滑りながら、蓮城が態勢を立て直す。
彼女は背後から雷撃を試みたが、ハガネの命を守るため、急所を狙った一撃ではなかった。
しかしハガネは、尋常ならざる様子で防いだ。
蜃気楼で姿を隠していたのに、対応されたのだ。
蓮城は、再び暴れ始めたハガネを見つめている。
●
ノストはヒゲ面と別れた後、戦闘には参加せず、蜃気楼と闇の翼で上空に潜んでいた。
飛んでいる――というよりは空を跳びながら、ハガネを観察できるギリギリの距離を維持していた。
何を視ているのか。
(彼は……名無鬼なのか?)
確信めいたものはあるが、確証が必要だ。
過去に名無鬼と声を交わしたノストは、喋り方や言動にも注意している。
(……なかなか喋ってくれないね)
ノストはハガネの周囲にも気を払っている。
名無鬼が使役する監視型の目玉サーバントも探しているのだが、一向に見つからない。
仮にハガネが偽物だとしたら、本物は必ず覗いているはずだ。
残念ながら、どちらにも進展は、
『ぉ俺は』
接近戦に応じている向坂の通信機が、声を拾う。
『ぁあどっちらが、ぁアア!』
うまく聞き取れなかったが、その前に「俺は」と聞こえたように思う。
ノストが知る限り、名無鬼は自分を「俺」とは呼ばない。
『俺は、どちらが? なんのことだ』
一番近くで声を聞いた向坂の解釈を耳にして、ノストは急降下する。
上空、それも背後からの奇襲攻撃を、ハガネにかろうじて避けられた。
ノストはハガネの表情と、「どちらが」の発言で直感する。
「やぁ、名無鬼の偽者君」
苦悩に歪むハガネの顔は、名無鬼に弄ばれた人間と同種の顔だ。
「君と名無鬼には共通点が少ない……ならば君と名無鬼の関係はなんだい?」
答えは、御堂が暴く。
「っ、見えました!」
彼女はハガネが人間であることを確認してからずっと、生命探知を続けていた。
「背中です!」
常に警戒されている場所だったが、ノストの奇襲でやっと調べることができた。
御堂は片手で魔法書を開き、ハガネの背中へ光弾を放つ。
察知したハガネは反転すると同時に、剣での斬り払いを試みる。
光弾は、剣の軌道を掻い潜るように曲がった。
光が道筋を示した瞬間でもあり、御堂の集中力と執念が名無鬼の悪意を上回った瞬間でもあった。
「そこに天魔がいます!」
ハガネの衣服が破れる。
……ノストが、眉を曇らせた。
「そんなところにいたとはね」
ハガネの背中に巣食っているサーバント。
心臓を思わせる個体には目玉がついていて、ニィィ、と目を細めていた。
●
カインは、ずいぶん前から武器を大剣に変更して向坂を援護している。
ハガネとできる限り至近距離で斬り結び、ハガネの動きを阻害するためだった。
蓮城や御堂、ノストが背中を狙えたのは彼の功績によるところが大きい。
サーバントの寄生が判明した瞬間も、彼は迷いなく突進した。
「引き剥がせばいいんだな」
先ほどよりもさらに一歩、間合いを詰めて剣を振り抜く。
大剣の柄で肝臓を殴るべく、ハガネの脇腹をかち上げた。
「殺せないなら壊すだけだ」
支配されている身体機能を苦痛により、無理やり停止させるのが目的だった。
――こういう手しか思いつかないのは俺が未熟だからか、と思考したところでハガネの強化発勁に吹き飛ばされた。
スタンこそしなかったが、間合いは広げられてしまう。
「この、やろう」
佐藤の回避射撃が追撃を遮断している間に、カインは武器を巻布に変更する。
右腕と左足の破壊を狙って再び肉薄するが、敵も必死だ。うまくいかない。
ハガネは再び発勁でカインを吹き飛ばすが、続いて飛び込んできた向坂には接近を許す。
向坂はハガネの両手を掴み、押さえにかかった。
ハガネから頭突きを食らって、額を割られて血を流すが、
「やれ!」
背後に忍んでいたノストがワイヤーを寄生体に放つ。
向坂の拘束は瞬時に解かれていたが、回避行動の阻害は十分果たしている。
ある程度の回避も予測した上でのワイヤー攻撃だった。――それが、外れた。
ハガネは右腕を捨てて、なりふり構わず背中を守ったのだ。
カインにはあれほど抵抗したのに、背中を守るために容易く捨てた。
そして今、ハガネはズタズタにされたはずの右腕で、剣を構えている。
「……ならば、仲間の抵抗に賭けます」
御堂が、凛として輝く。
「この場にはもう一人、撃退士がいるんです!」
彼女がハガネに向けて放ったのは攻撃ではなく、回復だった。
聖なる刻印の効果がハガネを包む。
「う……」
ハガネの切っ先が揺れる。
――撃退士たちに知る由はないが、ハガネに正気を失わせていたのは「魅了」の効果だった。
「東さん。私は、貴方の本当の心を知りたい」
好機と見て、蓮城が語り掛ける。
「背中を守るのは、逃げたくないといった貴方が、逃げて背中に傷を負うことになったの、悔しかったからでしょう。それでも私は、今も貴方は頑張っているのだと、英雄を目指して動いているのだと信じたい」
ハガネが飛燕の態勢を取る。
誰かが「逃げろ!」と蓮城に叫んだ。
ハガネの顔が歪んだのを、蓮城は確かに見た。
「お願い」
飛燕が放たれる。
聖なる刻印の効果も途切れた。
佐藤が、ハガネに銃口を向ける。
「したくないっ、したくないけど……」
英雄を夢見た同志として、終わらせるのが最善か。
「お願い」
蓮城の声が届くのが、先か。
否。
ノストの、批判覚悟で行うワイヤー攻撃が最速だった。
それを、ハガネが斬り払う。
「その姿のままで生き続けたいのか?」
ノストが言った瞬間、ハガネは豹変した。
狂ったように叫びながら、あらぬ方向へ飛燕を連発し始める。
『ギ!?』
人ならざる悲鳴が聞こえたとき、全員が直感した。
故に、
『ギ!』
サーバントがハガネを切り捨てた瞬間、彼らは動くことができた。
分離した寄生体は海を泳ぐタコのように浮遊して、触手でハガネを殺しに掛かる。
御堂が盾で防ぎ、向坂がハガネを支えて、佐藤とカインは銃撃した。
ノストがワイヤーで斬り刻み、蓮城が斬撃のために跳ぶ。
「絶対に仲間を殺させたりなんかしない。消えて」
剣が、目玉を裂いた。
●
「しっかりしてください!」
重体のハガネを、御堂が治療している。
「血が止まらない……どうして……!」
自らの意志で自滅を早めた代償だった。
「いい、んだ」
ハガネは、かすかに笑う。
「俺は、傷つい、てもいい……でも、仲間はダメ、だから」
佐藤が、目を見張る。
「よ、良くない! 僕は誰かが死して、それが成し遂げられたなんて思いたくないっ! 君の先輩もこっちに向かってる……生きろっ! 生きて活きて自身の思いを自らの口で、手で伝えてほしい!!」
「……俺は、成し遂げ、てない、よ、名無鬼の誘いに乗ってから、ずっと、妬みと、恥の、狭間で……どちらも、嘘じゃないんだ、……英雄失格、だ」
「違うっ! 人それぞれ自分の思い描く英雄があると思う。でも、本当の英雄って何をして何を成してきたか……自分の生き様だと思う。君は最後、ちゃんと戻ってきたんだ!」
「……」
ハガネが沈黙したところで、蓮城が質問する。
「本物の名無鬼について、何か知っているのよね」
ノストが、付け加える。
「ヒゲの彼から伝言だよ。俺も真実を知りたい、って」
御堂が、誓う。
「意地でも、命を繋ぎ止めてみせます」
●
ハガネは、もう目が見えていなかった。
痛みはないが、意識は浮沈を繰り返している。
九割方死んでいたハガネはそれでも、彼の到着を察知した。
慣れ親しんだ、煙草の臭いがしたからだ。
「すみ、ません」
誘いに負けたあの日からずっと、謝ることばかり考えていた。
「違ェ。やり直せ。今のは半人前の台詞だ」
……
「あの場所にも必ず行くが、直接聞かせろ」
……。
「お前の魂を手駒にしやがった奴のネタ、寄越せ」
激痛が戻る。
「……名無鬼は、人間です」
でも耐えられる。
耐えてみせる。
「スキルで確認済み……若い男……廃ビルの、地下に……」
……もう、無理か。
「よくやった」
もう、何も言えそうになかった、のに。
「東 ハガネ。一人前の仕事だ。……ありがとよ」
「……。よかっ、た」
●
ヒゲ面は直立して、視力を失っている彼に敬礼していた。
名を取り戻した彼は、微笑みながら死んでいる。
御堂は、力なく首を振った。
佐藤が上着を脱いで、彼の顔に被せる。
「彼は本当の英雄だった……」
「お前らのおかげでな。俺は、こいつの志を見殺しにするとこだった」
通信機の向こうで、つむじが鼻をすする。
『……すぐ、捜査本部に伝えます』
涙声だった。
『皆さんを、誇りに思います』