●《真白組》
昼休み。
彼女がいつもこの時間に行く目立たない校舎裏の花壇。そこへ通じる道で、ハヤブサはそわそわと辺りを見回していた。彼の悩みを解決する勇士たちはまだ現れてはおらず、準ストーカー行為を止める者は……見る限りいない。
何故こんなにそわそわするんだろうかと、時々自分でも不思議に思うことがある。今まで可愛い女の子を見つけたって、こんな風になったことなんかない。むしろ、基本は冷静沈着を自負する彼にとって、落ち着かなくなること自体が稀なのだ。
自分に靡かなかった女の子などいない。だから落ち着かないんだ、真白さんが初めてだから。
哀れなるはモテすぎモテ男のこれまでの人生。好きになる前に好かれてきた彼は恋をしたことがないのである。
「あっ」
ふと目を向けた先に翻る美しい黒髪。後姿しか見えないが、その姿を見間違うはずもない準ストーカー。
「真白さん!」
ハヤブサの声に、真白は一瞬振り返るが、そのまますぐに視線を戻して歩いていく。その冷たい流し目に凹むかと思いきや、とっくにそんなものは慣れっこなハヤブサはニコニコしながらその後を追った。
黙々と歩いていく彼女のあとを追いかければ、その姿はもう目前へと迫る。不意にその真白の足がとんと地面を蹴ってほんの少し宙を舞い、綺麗だなあ、でも何で急にジャンプなんか、と思った瞬間に彼の視界は闇に閉ざされた。
真っ暗闇の中に落ちた、と思ったが、膝を延ばすと頭が地上に出る。どうやら穴に落ちたらしいということはわかったのだが、その直後穴から唯一出ている彼の頭を、乾いた音と共に殴打したものがあった。
「必殺の激おこぷんぷん丸アタックをくらえーなのだわー!」
どうやら『怒り心頭MAX』と言っているらしいのは、天道 花梨(
ja4264)だ。何故穴に落とされ小学生にハリセンで殴打されているのか、ハヤブサにはわからない。
「いたい!」
思わずそれを防ごうと出した手は、がしりと捕まれる。見ると、微笑を浮かべた同学年くらいの男子だ。和泉 恭也(
jb2581)は掴んだハヤブサの手をぐいっと引っ張り、どうやら助けてくれるらしいと理解したハヤブサはその力を借りて穴から這い出てくる。土を払い礼を言おうと彼を見ると、和泉はすまなそうな笑顔を浮かべていた。
その理由は直後にハヤブサの体に刻まれた。微妙な微笑を浮かべた和泉に何か言おうとした途端、後ろから素早くかけられたロープに自由を奪われた上、引っ張られて地面に膝を付く。縛られ地面に正座させられているイケメンの絵面はかなりシュールで、そこでようやく真白が口を開いた。
「なんや、思ってたよりチャラい子やな」
「……え?」
呆気にとられるハヤブサの目の前で、“真白”の姿は揺らめき、そこには天道 ひまわり(
ja0480)が腕を組んで彼を見ていた。
「え、あれ、……何で?」
「胸に手を当てて自分に聞くといいのだわ!」
再び、花梨のハリセンラッシュが始まると、今度は防ぐ手もないハヤブサはもうどうしようもなく叩かれ続けている。
「いたたたた」
「君がっ、泣くまでっ、叩くのをやめないっ、のだわー!」
男としての最後の防衛ラインなのか、泣く前に何で小学生に叩かれているのかわからないのか、とにかく彼が泣く様子は見られない。見られないせいで、忠実に有限実行を果たそうとする花梨のラッシュは止まりそうにない。
とうとう見兼ねた和泉がひょいと花梨を持ち上げてハヤブサへの攻撃を止めると、彼は乱れた髪を頭を振って直しながら、輝きそうな微笑を浮かべてひまわりを見た。
「ついでにこれもほどいてもらえると嬉しいんだけど」
「だからそれがあかんのやがな」
すると、ひまわりはひまわりで用意していたハリセンが、ハヤブサの額に炸裂した。
「誰でも彼でもイケメンやったらなんとかしてくれる思てんなら間違いやで」
女子に顔関連で怒られたのは初めてのことのようだった。だが生来モテ男でモテ続けて来た男の人生の癖はこの一瞬・その小さな一言では直るはずもなく。きょとんとしながらも自分を見ている久遠寺 渚(
jb0685)の視線に気づいたハヤブサは、最早本能ともいえる反射で彼女に微笑を投げかけた。
だがしかし、普段女子にその微笑を投げかけたような反応は、この場において返ってくるはずもない。
「いいですかストーカーさん。貴方はモテて、惚れられてなんかいません。今まで一度も!」
ストーカーさん、の上、今まで一度も惚れられた事がないと。
びっと指を突きつけ、何だか無理やり奮い立たせるように腰に手を当てた久遠寺が、きょとんとしているハヤブサに向かって畳み掛ける。
「お顔はいいので女の子のファッションにはいいと思いますけど。こんなにいい男を連れてるんだぞって見せるのに」
それも多分、100%間違っているわけではないだろう。きっと彼のイケメン力は、それを純粋に好きなだけの女の子を寄せ付けるには留まるまい。同じ男としてモテる事自体は少し羨ましくは思うが、しかしそれによって発生しているであろう傍から見れば恥ずかしい(もしくはかわいそう)な勘違いをザクザク指摘されるのは見ていて少し心が痛い。
そう思い、和泉は少しかわいそうだなと色の浮かんだ笑みを浮かべ、フォローのつもりも兼ねてハヤブサに声をかけた。
「真白さんはファッションで男性とは付き合わないですよ」
そんな女の子じゃないのは知っているでしょう? という癒しの魔法的なつもりだったのだが、
「だから貴方は眼中にないんです!」
久遠寺のとどめの一言を付け加え、それはかつてないほどの絶大な攻撃力を放った。
●《ハヤブサ組》
絶大な攻撃力を放った思わぬとどめは、ハヤブサ以外にも効力を発揮していた。
校舎の影からそっと成り行きを見守っていた和菓子(
ja1142)と遠宮 撫子(
jb1237)である。
「かわいそすぎる……」
関わっているせいか、言われた本人でもないのにその言葉の矢はぐっさりと突き刺さる。
眼中にないとはまたストレート。これでハヤブサの心が折れて諦めてしまったら、ここで自分たちの役目は終了だ。イケメンが縛られて説教されるのを見ただけで終わってしまう。
「先を越されちゃいましたね」
「しかも先に叩かれちゃいましたね」
恋を知らないイケメンの初恋をなんとかして。ちなみにイケメン暦が長すぎて勘違いが根付いているので、若干ストーカーになってる部分あり。これは人としての性根の部分からじっくりコース、と、まずはハヤブサの元へ行く前に、彼の実際の行動をこっそり二人だけで覗きに来たのだ。
そうしたらどうも真白側にも協力者がいたらしい。その上、その協力者たちに自分達が支えるべきハヤブサがぐうの音も出ないような説教をされているではないか。
これで諦めてしまったらそれまでで楽は楽だが、その恋は何とか実らせてやりたい。
これはハヤブサのケアからかな、と遠宮が本を開く。
「なんです、それ?」
「私、恋愛に関するデータは全て予習済みです。調べた中に、本人以外から恋路を阻まれて傷ついた場合のこともありましたから……」
はたしてそれがイケメンのモテ男に適用できるのだろうかと和菓子は小さく首をかしげた。
そうして放課後初めてちゃんと顔をあわせたハヤブサは、メンバーが思ったほど凹んではいなかった。
「かわいい女の子達に縛られてメッタ打ちにされた」
人によっては羨ましがるだろうが、穴に落とされ縛り上げられハリセンで引っぱたかる状況を羨ましがれる心の持ち主はその中にはいなかった。
「<打たれ強い、のかな?>」
平野 渚(
jb1264)が不思議そうな顔をして呟くが、その隣の袋井 雅人(
jb1469)はふるふると首を振った。
「多分、わからないんでしょう」
事の顛末は和菓子と遠宮から聞いている。それだけに、思ったより凹んでいないハヤブサの姿はある意味二人にとっても衝撃だった。本人ではない自分たちですら「これはしんどい」と思ったのに。
「イケメンだったら助けてもらえるなんて、別に思ってないよ」
イケメンの自覚はあるらしい。ただしいつでも助けてもらえるため、それがイケメン力によるものだとはわかっていない。
「一度もモテてなくて、惚れられてないって言われたけど、今モテてるし」
言葉の真意が伝わっていないのか、また彼を取り囲む女の子の中にはきっと本気で惚れている子もいたからなのか、惚れられていないって何言ってんの状態である。
「女の子のファッションアイテムなんだって」
それも自身の価値の一つ、と割り切っている風だから始末が悪い。
「眼中にないってさぁ……」
これが一番堪えてはいるようだった。だがそれも、真白本人に言われたわけではないので効果が薄いようだ。
「<どう思う? 袋井>」
平野の問い掛けに、袋井はふんと鼻を鳴らすと、びしりとハヤブサに指を突きつけた。
「ずばり、イケメンの持ち腐れ! です!」
確かに的確な一言に、全員が頷く。何故頷かれているのかわかっていないのは、ハヤブサ一人だ。
「理化学的に説明してあげましょう」
いる場所が教室でハヤブサの座った方向が黒板を向いていたせいか、遠宮は自然と教壇に立って、ばんと教卓を叩いた。
「まずは一言で言うと、ハヤブサ君はとんでもなく上から目線なんです! 女の子に物凄く失礼!」
「え、そんな風に思ったことないよ」
「ほら自分でわかってない! いいですか? 人から指摘される事に、まったく当てはまらないことはまずありません。あなたが上から目線なのはここにいる誰もが思ってますし、そう思ってないのはあなた一人です」
それから、講義の形をとった説教はかなりの時間続いた。
「女の子のファッションに使われてる、と言われたようですが、それに傷つかないようではいけません。つまりあなたは携帯のストラップ、いえ、電池の蓋に貼られたシールと同等の扱いをされているということですよ」
はじめのうちこそ言われていることがよくわかっていない様子だったハヤブサも、時間を重ねるごとに少しずつその例えを自分の身に当てはめる事はできたらしく。
「好きになられるもの、という意識は今までのあなたのモテ期間を考えればしょうがないと言えなくもない。しかし、それでは自分の気持ちに整理が付かないことに気づかないと」
やがてその長時間の講義の後ろでトイレに行ったりジュースを買いに行ったりしていた面々の入れ代わりが落ちついた頃、ハヤブサは自らのモテ男ゆえにブサイクな生き様を認識したらしかった。
「どうなりました? ……ぅわ」
長期戦に備えるべく、人数分の缶コーヒーを持って教室に戻ってきた和菓子を迎えたのはどんよりした空気だった。もちろんその中心にいるのはハヤブサで、しかしどんよりしている表情もイケメンなのがなんか腹立つ。額に指を当て、ため息をつくその姿もやたらイケメンなのだが、それに靡くことのない平野がその肘を叩き払った。
「<そういうの、やめてみたら?>」
顔の良さから来るモテに甘んじてきた彼は、どうやら自然と女の子に好かれそうなポーズをとる癖がついているようだった。
「<強制はダメ。そのままの君でいるのが、まず大事>」
ポーズも他者への意識の強制である。行動一つも他人に指摘されるほどにマズイのかと、自分の実態がなんとなくわかったハヤブサは困った顔をする。
「どうすりゃいいんだ、何してもダメじゃん俺!」
「じゃあ真白さんをモノにするのは諦めればいいでしょう」
「……嫌だ」
少しの間の後、それでもハヤブサは真白を諦める気はないと口に出した。
「どうしてですか、片っ端から女の子をモノにするなんて事、よくないってわかったんでしょう? だったら、振向いてくれないからモノにしたかった真白さんに、もう用はないですよね?」
表情一つ変えずに、和菓子はばんばんと畳み掛ける。そもそも『モノにならない女子をモノにしたい』というハヤブサの依頼がその言葉の通りなら、ここで終わりでいい。ただそれでは、一人の男が恋を知る前に恋を諦めたというだけになってしまうのだ。
「彼女とも他の女の子みたいに遊びたいんだ」
「どうして?」
「振向いてくれないから」
「どうして振向いてほしいんです?」
「他の女の子みたいに……」
「<なら、他の女の子でいい>」
「ダメなんだ、彼女は特別なんだよ!」
「それは、何で?」
四対一の問答の末、どうして彼女が特別なのかという問いにハヤブサはすぐに言葉を次げずに口を閉じた。
「……どうしてか、自分でもわからないけど」
その答えに、四人は顔を見合わせてにこりと笑いあう。
「それが恋、ですよ」
●《真白組》
「こういうのは長期間掛かりますからね。私生活の邪魔にならないように気をつけますので」
微笑みながらそう言う和泉に、真白はぺこりと頭を下げる。
「ご迷惑おかけします、恭也君」
寮へ向かう道を、二人は並んで歩いていた。寮が同じという好条件のためストーカーからの警護の名目ではあるが、実の所和泉個人の目的は少し違うところにあった。
ハヤブサ君がストーカーじゃなくなったら、いいことになったりしないだろうか。
同じ男としては、その恋は応援してはやりたいと素直に思う、ただしストーカーはやりすぎだろうとも思うので、そんな状態のハヤブサを真白に近づかせたくはない。真白だって嫌な思いをするに決まっている。
彼の思惑とは別に、並んで歩く二人から離れた所には久遠寺がひっそりと歩いている。その手には炸裂符があり、確か最初の落とし穴を掘るときに使おうとしていたが、もしやハヤブサに向けて使うつもりだろうかと小さく肩が震える。
「真白さんは、ハヤブサ君みたいなカッコイイ男の子は嫌いですか?」
「……」
その問いに対する答えはすぐにはなく、怒らせちゃったかな、と思った和泉だったが、ややあって真白は口を開いた。
「私基本的に、男の子に好きとか嫌いとかありませんから」
大嫌いだとずばり言われるのかと思っていたが、予想とは違う答えに少し驚く。
「早房君は、あの性格が嫌いです」
あ、ストレート。嫌いは嫌いらしい。
「好き嫌いないって、何でです?」
「子供のときから、好かれたことも嫌われたこともなかったので」
堅物でまじめ、自分にも他人にも厳しい彼女の優しさは、それほど人目にはつかない。それは年齢が若ければ若いほど理解されがたいものであり、遊び盛りのやんちゃな男の子には勿論受け入れられはしない性格だった。そのため、関わらず、関わられず、彼女もまた恋愛経験というものはない。
何かを言おうとした和泉だったが、その前に不意に真白の足がぴたりと止まる。
その目線の先に立っていたのは、件のイケメン・ハヤブサだった。
事前の情報では、登下校の最中に現れ絡み、散々困らせる空気読め男。真白の心の保護と、ハヤブサの暴走を食い止めるための警護役として、和泉は小さく身構える。
しかし、ハヤブサは事前情報にあるような行動はとらなかった。暴走するどころか、真白の隣にいる和泉を見て少し変な顔をし、それから小走りにこちらへと寄って来る。
思ってたよりも、ずっと行動がおとなしい。
小さく首をかしげ、いつのまにか物陰に潜んで炸裂符を構えた久遠寺に目線でストップをかける。真白は動かずにハヤブサが寄って来るのを見ていたが、ある一定の距離にハヤブサが踏み込むと身を硬くして後ろに下がった。すると、ハヤブサがぴたりとその足を止める。
空気、読んでるな。
「一緒に帰らない?」
何だかぎこちなくそう一言だけ告げるが、真白はふいと顔を逸らし、彼の横を擦り抜けて歩き出してしまう。さてそれを捕まえたりするのだろうかと思ったが、驚いたことにハヤブサは何もせずに真白の歩いていく姿を見つめていた。そわそわと、今にも動き出しそうではあったが。
何があったのか、昨日のハヤブサとは明らかに違う。久遠寺も離れたところで腑に落ちない顔をしており、これはどうも思っていたのとは違う方向に事が進んでいると真白をちらりと見ると、一番腑に落ちない顔をしていたのは真白だった。
「彼、いつもあんな感じですか?」
まるで知らないようにさりげなく聞くと、真白は首を振る。振るが、言葉にはしづらいらしく途切れ途切れに小さく答える。
「違う、いつも……しつこくて……あんなに」
優しい男の子ではない。と言いたいのかな、と思うが黙っている。急な変化に戸惑ってはいるが、先程の紳士的と言えるハヤブサの行動をポジティブに捉える言葉以外を選んでいるようだった。
毛嫌いしていたイメージが圧勝しているのか、それとも少しの意地もあるのか。
どちらにしても、この反応は事前情報にはなかったなと、和泉も離れた久遠寺も、同じように頭を巡らせていた。
●それぞれの最終判断
「よく我慢したと思います」
「うん、一日目であそこまで出来るのは感心しました」
ハヤブサ組のハヤブサ抜きミーティングはかなり盛り上がっていた。理解まで時間がかなりかかったものの、どうやらそこからの適応能力は高かったらしいハヤブサは、一日目にしていつも通りの勢いとイケメンに任せたアプローチを封印しての行動をとることに成功した。別にそれ一つで真白のハートをがっちりキャッチとはいかないが、それでも今までよりもずっとイケメンなアプローチだっただろう。
「頼れるイケメンとしての仕込みもばっちり、これは今までよりモテますよぉ〜」
「この間ハヤブサ君が物凄い量の洗濯物を干してたけど……あれって袋井君の指示?」
「包容力のある男に、家事は必須ですからね」
袋井の家事レベルは高く、彼自身が家事に免許があるならば皆伝であろうというレベルのスキルを持っているため、それを伝授されるハヤブサもそのレベルの家事を習得したことになる。
今までパンツ以外は洗ってくれる人に任せていた男のあまりに急な変化は、彼の寮内に「ハヤブサが嫁に行く」という噂を起こさせるほどになっていた。ついでに、何故かパンツ一丁の袋井に腹を正拳突きされている姿も目撃されているため、「ハヤブサが腹筋割りに目覚めた」という噂も立っている。
「で、真白さんのほうはどうなってます?」
袋井の問い掛けに、腕を組んだ和菓子はふうと息をついて見せた。
「どうも、微妙だな。ハヤブサに対する嫌悪は確実に薄れている筈だ。しかし、意地なのか最早以前の彼がトラウマなのか……反応に困っている様子が見える」
「<それは、嫌いじゃないけど、ということ?>」
「おそらくな。何かがきっかけになれば、また違う方へ転がりだすかもしれないが」
おとなしく話を聞いていた遠宮の目が、『きっかけ』という言葉に光ったことには誰も気づかなかった。
遠宮の目が光った数時間後、真白組の真白抜きミーティングの輪の中心には、一枚の便箋のコピーが置かれていた。書かれている内容は、日時と場所、そして『早房涼』の署名。丁寧に簡潔に、これで最後でいいから来てほしいと記されている。
「ずいぶん謙虚な手紙だわ」
ぐりぐりと、紙の端を花梨が指で弄ぶ。可愛らしいでも無骨でもないその便箋を選んだのがあの茶ラ男かと思うと、何だかその姿はイコールにならない。
「んぅー……真白さんは何て?」
「行く、と言っていました」
「へえ。……真白ちゃん、ケリつけたいんやろか」
ひまわりが言うように、ハヤブサに変化が見られると同時に真白にも変化が起こった。しかしそれはある一定のところで進みも戻りもしなくなり、本人の中でもどっちつかずで困っているらしいのが外にダダ漏れている。
大嫌いだったハヤブサの性格が改善されたが、今までの経験とこれまでの毛嫌い期間のせいで、それをうまく受け入れることが出来ないのだろう。
「真白さんは、何を言われても拒否するつもりでいるようですよ」
どっちつかずだが、良いほうに転ぶためにはきっかけが必要だ。しかしそのきっかけが何になるかは、四人ともわからなかった。真白本人もわからず、探してはいないのかもしれないが、結果これまでの延長で拒否して片付ける道を選んだのだろう。
「本人がそう言うのなら、それを成就させてあげるのだわ」
「それじゃあ、ハヤブサさんが逆上した時用に、また落とし穴掘っておきましょう」
「……せやな、念入りに掘ったろ。一時でもストーカーなんぞしよったんや、落ちても文句は言われへん」
女の子は怖いなぁ……と思う和泉だったが、落とされたら落とされたで、負う傷が深いほどハヤブサもすっぱり真白を諦められるかもしれないと思うと、それも救いになるのかもしれないと思えるのだった。
●謀略決勝戦
どん。という擬音が似合うような感じに、すっきりしたその場に真白が立っていた。よりにもよって天気は曇り、少し湿った空気は冷たく風もあり、強張って身構えた真白の表情も手伝って告白のための呼び出しとは思えないシチュエーションとなっている。
「あれ……何か決闘っぽい……」
そう呟いたのは袋井だ。決意を固め、円陣を組んで、「絶対に誠意をもって告白成功!」と意気込んで来たら、何だか決闘場みたいになっている。
「<ハヤブサ、何て手紙出した?>」
茂みの影に並んでいる平野が小さく呟くが、隣の袋井はぷるぷると首を振る。果たし状など出した覚えはなく、これで最後でいいからほんの少しの時間だけ会ってほしいという旨の手紙だったはずだ。
「本当に真白さんの顔硬いねぇ」
男子からの呼び出し、という大概の女子ならばそわそわしてしまうこの事象に、真白の表情は硬く浮き足立った様子も隙もない。まるで可能性の見出せない空気に怯みそうになるが、それでもハヤブサは自身を奮い立たせる。
これで最後、と背水の陣で臨んだ今日のこの場。最後だからこそ真白も応じてくれたのだろう。どういうつもりで受けてくれたにしろ、これを逃して次はない。
それは真白組も同じだ。少し意地になってしまっている真白をハヤブサと引き合わせるのは、これが最後のチャンスだろう。話を聞くも跳ね除けてとどめを刺すのも真白次第だが、真白の希望通りに拒否して全てを清算するのもこれが最後の機会。
「なんやちょっと落ち着いたやん、チャラ男」
「あの気持ち悪いキラキラがなくなってるのだわ……」
ハヤブサ組とは逆側の茂みに並んで隠れているひまわり達が言うように、気持ち悪いキラキラが無いおかげで、ただの真面目そうなイケメンに成り下がったハヤブサの印象はかなり良い。しかし今までのしょうもない女たらしぶりを知っているせいか、変化に戸惑ってはいるが真白の表情はやはり硬い。
冷静になってその顔を見ていると、落ち込む。
「真白さん」
何だ、ほんとに嫌がってるじゃん。あれを恥ずかしがってるとか勘違いした俺爆散すればいい。過去の自分爆散すればいい恥ずかしさと、畜生やっぱりかわいいドキドキのおかげで、ハヤブサの表情はだんだん赤くなっていく。
「今まで、嫌がることばっかしてゴメン」
落ち着いたトーンで言うハヤブサの言葉に、真白は何も言わない。言わないが、驚いているのは確かだった。
「本当にゴメン。許してほしい」
「……どうして?」
許してほしい、という言葉に、初めて真白が口を開く。
「早房君、今までそんなこと言わなかったじゃないですか。私が許すとか、何か関係あるんですか?」
「……その」
イケメン女たらしだった頃は堂々と「俺の女になれ」とか言っていたくせに、ほんの一週間かそこらで随分普通のおとなしイケメンになったものだ。向こうにバックがついたのは急激な変化を見ていればわかるが、それにしてもあの歯に衣着せぬ状態からよくここまで。その変わりように、思わず和泉はくすりと笑う。
「やれやれ……不器用な方ですね」
じれったくなるようなシーンに遭遇できるとは、依頼を受けた当初はまったく想像もしていなかった。
しかし、起承転結の転はここからが本番だ。その転がどちらに転ぶのかはまだ誰にもわからない。
「真白さんに嫌われるのは、嫌なんだ」
遠まわしで、やたら不器用で、伝わりづらい。元女たらしとは思えないその姿に、だが本当はこれが早房涼なのだろうという気もする。なぜなら、そこにいる誰もがそのじれったい台詞に嘘も下心も感じてはいないからだ。
勿論それを、真白もわかってはいる。ただそれを阻む意地とトラウマの壁をやぶれるかどうかが結を左右するのだが……
「早房君の覚悟しかと受け止めましたよ! ラブコメ推進部部長としてその思いを全力で応援します ! ……って、あれ? そういえば、遠宮さんは?」
曇天の青春シーンの最中、そういえば遠宮の姿がないことに袋井ははたと辺りを見回した。
「<いない……あ>」
同じように辺りを見回した平野が、指を差す。その先にはわかり辛いが植え込みの中に遠宮の頭の先が微かに見えた。どうして一人だけあんな所に、と思ったその瞬間、彼女の姿はそこから消えていた。
素早く飛び出したその身は大剣を軽々と翻らせて一直線に真白へと突っ込んでいく。突然の出来事に思わず両陣営とも立ち上がり飛び出すが、完全に距離と出遅れのせいで誰もその攻撃を防げるはずはなかった。
ただ一人を除いて。
「あなたにこれといった理由はありませんが、失礼いたします!」
普段天魔相手であれば有無を言わさず応戦出来るが、相手は同じ学校の生徒、おまけに完全に虚を突かれ真白は一切の行動を取れなくなってしまう。これと言った理由はないのに何故か襲われる事態に、普段冷静な彼女もさすがに取り乱した。
武器を出すことも逃げることも出来ずぎゅっと目を瞑った真白だったが、遠宮の刃は彼女には当たらなかった。ガン、と派手な金属音に身を硬くすると、ハヤブサの切羽詰った声が耳に届く。
「真白さんっ、大丈夫!?」
恐る恐る目を開くと、大剣を槍で受け止め拮抗した力を押し返そうとするハヤブサの姿があった。
「何するんだ遠宮さん!」
「理由はないって、言いましたよね!」
ぎりぎりと擦れ合う刃が音を立てる。
「逃げて!」
ハヤブサがそう叫ぶと、言われるままに真白は立ち上がり駆け出そうとする。だが冷静ではないその足が縺れながら向かったその方向は、決して真白がいってはいけない方向だった。
「あかん、真白ちゃん!」
ひまわりのその声に、刃から視線を切りハヤブサが真白の方を見ると、丁度その足元が波打った瞬間だった。波打った地面はその足を飲み込み……その先までを飲み込む前に、反射的に身を翻しハヤブサは槍を手放して手を伸ばした。
その手はすんでのところで真白の腕を捕らえ、彼女の体は落下するには至らなかった。その体はすっぽり穴に落ち込んでいるにも関わらず底に足はつかず、しかもその落とし穴はハヤブサにとどめを刺す用の落とし穴だったのだ。念入りに作られた落とし穴は、今度はただの穴ではない。
「ひっ……きゃあああ!!」
思わず下を見てしまった真白が悲鳴を上げる。そこには、久遠寺がペットのまーくんと共に集めてきた蛇が大量に蠢いていたのである。
真白の顔面は血の気が引いて蒼白となり、掴んでいる腕はガタガタと震えている。
「やだ……助けて……」
泣くを通り越した掠れ声に、かっと急に力が漲った様にハヤブサは彼女の掴んだ腕をぎゅっと握り締め、その体を穴から引き上げた。体勢が無理だったにもかかわらずそれは成功し、地上に上がってきた彼女を抱え、最後の力を振り絞ってハヤブサは後ろに数歩離れて尻餅をついた。
「大丈夫!? 噛まれたりしてない!?」
まだ震えている真白は、ハヤブサの胸元をぎゅっと握り締めたまま小さく頷く。周りでそれを見ていた面々はそのまま抱きしめてしまうのかと思ったが、彼らが思っているよりもハヤブサは紳士になっていた。
「もう……大丈夫だよ」
震える真白の背を叩き、落ち着くまでそうやってぽんぽんと優しく繰り返す。やがて震えが止まった真白は顔を上げ、
「ありがとう、涼君」
と小さく言ったのだった。
●《ハヤブサ組》の事後談
「いやいやいや、相談してくださいよ!」
目を丸くしたまま言う袋井に、大満足な笑顔で遠宮はひらひらと手を振った。
「だって相談したら、緊迫感なくなっちゃうでしょう?」
結果、遠宮の『私の事を守ってくれるなんて→イケメン→素敵→抱いて☆→恋人へ作戦』は途中さまざまな要素を含んで成功したといえるだろう。
それは勿論、ハヤブサ含め他の面子にも全く相談しなかったことで出たリアル感のおかげでもある。
「僕らの本気の慌てっぷりも、計算に入れていたということですか」
「そうです! みんなが本気で対処しようとしてくれたから上手く行ったんですよ」
「<……ん。ちょっとだけキューピッド? 嫌いじゃない>」
小さく微笑む平野を見ながら、
「(実はその作戦、ノートに書いてるの見てましたが……)」
そう心の中で呟き、和菓子は小さく笑った。
●《真白組》の事後談
「蛇効いたなぁ〜」
「へぅ〜……真白さんには気の毒なことしちゃいました」
「気にしなくて良いですよ、あれは事故です」
「それに……」
言いかけて、花梨がとことこと窓へ歩み寄る。
そこから遠くに見えるのはあまり人目につかない小さな花壇だ。真白が長い黒髪を束ねて、丁寧に手入れをしている。
「決着もついたみたいですしね」
そこに向かって歩いていく一人の生徒の姿。少し前まではある意味評判のイケメンだったハヤブサだ。その手には、小さなジョウロが握られている。花壇についたハヤブサはそのジョウロを真白の傍らに置いて、少し何事か話した素振りを見せると手を振ってそこから去っていった。
その様子を見ながら、ニコニコと笑う花梨が身を乗り出して言う。
「どっちも不器用なのだわ!」