生温い風が、静かな山の中に僅かな音を生み出している。その音は心地のいい物ではなく、なんとなく落ち着かない数人の撃退士の心を少しだけ揺り動かしていた。
「生憎の天気ですね」
久遠 冴弥(
jb0754)が呟いた通り、今にも雨が降り出しそうな暗い空模様だ。視界の確保に困ると言う程ではないが、雰囲気にピッタリすぎて 氷雨 静(
ja4221)は強張った顔をしている。
「氷雨さん、明かりをお願いしますの」
「は、はい」
紅 鬼姫(
ja0444)に促され、氷雨のトワイライトがぱあっと辺りを照らし出した。明るくなった事で少し落ち着きはした物の、まだ氷雨の脅えた表情は晴れない。
「ゆ、幽霊とか……ディ、ディアボロですよね? ね?」
「幽霊じゃないですよ。大丈夫です」
にっこりと笑いながら久遠が言う。その言葉と物腰の柔らかさに氷雨はほっと安堵の表情を一瞬浮かべたが、
「幽霊ならカワイイと思いますの。死にきれない死体の方が醜くて鬼姫は嫌ですの」
別に脅すつもりなど毛頭ない紅の正直な言葉が、再び氷雨の顔に青さを取り戻させていた。
そんな女子達のやり取りを背後に聞きながら、佐竹 調理(
ja0655)は黙々と先へ進む。とりあえず入り口の余分なガラスを落とし、ずかずかと中へ入って行く様子は頼もしくもあるが、一応この中では黒一点と言う事で先頭を進みはするものの、後ろに控える女子達は誰も頼もしい撃退士だ。別に自分が先頭じゃなくてもよかったなぁ……と思いながら、後ろをちらりと確認し、階段を上り始める。
情報通りならばディアボロは二階にいるはずだ。鋭敏聴覚を発動した佐竹は踊り場で足を止め、すっと目を閉じて音を集める。
何かが軋む音。動く物の気配。
「……居る」
「ひっ」
氷雨が引きつった短い悲鳴を上げるが、久遠と紅は『それはそうだろう』という顔をして首を傾げていた。
「じゃ、予定通り接触したら一階へ」
最後の段取り確認に、全員が頷く。
「鬼姫、怖くありませんので目を引く演技は出来そうにありませんの。皆様方にお任せしますの」
「か、かしこまりました!」
おどおおどと追いつめられたような返事をする氷雨を見ながら、適任とはこの事だ、と佐竹と久遠は同じ事を考えていた。
一方裏口組は、外の非常階段を使い三階の裏口から侵入を開始していた。情報では二階に居ると言う事だったが、先程取り壊しの責任者達に見せてもらった見取り図で誘導場所を一階の食堂と決めたのだ。もしも何かの手違いで三階にいたりしたら作戦が総崩れとなってしまう為、三階からにしようとなり、こうしてこっそりドアを開けている。
「お花が無い場所に入るなんて、嫌ですわ……」
そう呟き、階段の手すりから遥か下の地面を見ているのは明日香 佳輪(
jb1494)だ。彼女の目は地面に咲く小さな野花を見つめている。
「ほら、出番だぞ。早く済ませて帰れば花触れるだろ」
「ああ……お花……」
天険 突破(
jb0947)にぐいと引っ張られ、名残惜しそうに明日香はドアの中へ引き込まれる。その後に月乃宮 恋音(
jb1221)と天宮 佳槻(
jb1989)も続き、全員が侵入するとドアは静かに閉められた。
月乃宮のフラッシュライトがあたりを照らすと。通路は正面と左側に伸びている。客室は建物の両側と中央に島形に配置され、通路は中央の島部分をぐるりと囲むように巡らされている。
「思ったよりは光入りますね。昼間にしてはやっぱり暗いけど……」
四人が居る裏口側には、光を通す窓がない。入り口側は全面ガラス張りの休憩スペースがあるので明るいが、その光はあまり奥までは届いて来なかった。
「……明日香さん、お願いします」
月乃宮が阻霊符を壁に張りながら言う。その言葉を受け、花から切り離されて表情が落ち込んでいる明日香はそわそわと落ち着きない表情のまま、ぼそぼそと詠唱を終えてサキノハカを召還する。
「サキノハカ、一周回って来なさい」
現れた黒い花の固まりのようなヒリュウが首を傾げて小さく鳴くと、明日香はすっと正面を指差し、フロアを回って来るよう指示する。
サキノハカがひゅっと飛び出すと同時に明日香は目をつむり、その視覚を共有して状況の把握に努める。僅かな時間でサキノハカが彼らの元に戻って来るまでに明日香に変化が無かった事から、このフロアには特に何もないのだろうと他の三人は肩の力を抜いた。
「じゃあ下に降りよう。月乃宮さん、下の人達に連絡して」
「……はぃ」
取り出したスマホから正面班の氷雨へと発信すると、その電波はすぐに受信された。
「はい……氷雨でございます」
スピーカーから漏れてくる僅かな声でも、電話の向こうの氷雨が脅えているらしい事が分かる。
「……ぁ、あの……三階は異常ありませんでしたぁ……」
「そうでございますか……」
以前依頼を共にした事があり連絡先も交換していると言う事でこの二人を連絡係に選んだ物の、恐がりと内気の会話はスピーディーには進まない。
「……これから、二階に下りますぅ……」
何だか緊張感に欠けるな、と思っていた天険達だったが、緊張感の崩壊は次の瞬間に止んだ。
「はい、かしこまり……いやー! 出たー!」
返事は途中から甲高い悲鳴へと変わり、スピーカーからだだ漏れした後にぶつりと通信が切れる。そのあまりの落差に顔を青くした月乃宮は気にも止めず、天宮はまだ明るい画面を覗き込んで言った。
「接触したみたいですね」
「接触っていうか遭遇って感じだったな」
天険は天宮の冷静な言葉に返し、ジャケットを翻らせて走り出す。まっすぐ走り抜けて階段に着くと、丁度正面班の面々が飛び降りるように階段を駆け下りて行くのが階下に見えた。そして、その後を追いかけて行く壊れた人形のような姿勢のディアボロの姿も。
「なかなかエキセントリックな……」
「お花……無い……」
こっちもなかなか、そう思いながらちらりと後ろを見て、一行は階段を下り始めた。
「鬼ごっこよりも隠れ鬼の方が得意なんですけれども……でも、もうゴールですの」
走りながら紅がそう呟くと、その傍らで同じように走りながら詠唱を終えた久遠の前に布都御魂が現れる。青い体躯の馬竜は現れると同時にぐんと前へ乗り出し、四人が目指していた一枚のドアを蹴破り、ドアの無くなった部屋の中へと四人は傾れ込む。
そこは元食堂だった広い部屋だが、侵入した不心得者達が遊んだ後なのだろう、机や椅子は窓の外に投げ捨てられており、元々規則的に所狭しと並んでいたであろう両者はまばらにしか残ってはいない。
「汝、茜なる者。 其は燃え上がる力」
くるりと踵を返し、そう唱えた氷雨の目は冷たく据わっている。ここまで来るまでに人格が交代したらしく、先程までのパニック状態で涙目立った彼女はそこにはいない。
破壊されたドアから、音を立てながらディアボロが飛び込んでくる。関節を全て逆にねじ曲げたような異様な格好で、赤いワンピースを翻らせ、その目は真っ正面に立つ氷雨に向けられる。
「彼の者をして灰と化さしめ給え。マダーファイヤーキャスト!」
ディアボロが音を立てて開けた口を向けるが、現れた茜色の炎がその体を包む方が遥かに早かった。対象に触れた途端に爆発するように大きく燃え上がる炎は、味方ですら一瞬顔を背ける程の熱を発する。焼かれたディアボロの服は一瞬にして焼け、枯れ木の幹の様だった肌は爛れおちて元々異様な姿を更におぞましい物へと変えてしまう。
「……滅殺」
ギ、と不自由そうに首が回ると、丁度裏口組が部屋へ飛び込んで来た所だった。
真っ先に月乃宮がライトニングを放つが、直前に吠えられ、それに動揺して僅かに手がぶれたせいで、その攻撃は当たらずに弾けて消える。
「……えぅ……こ、怖いですよぉ……!」
「あのようなもの、怖いものには入りませんの」
震える声で呟く月乃宮にさらっと言うと、紅は手の中に現れた棒手裏剣をやんわり握って飛び出した。
「その様な死人の真似事をして何をなさりたいんですの?」
飛ぶと同時に放たれた手裏剣はその喉や顔面へと当たり、鉄を擦り合わせるような悲鳴が上がる。その醜態の上を軽々と飛び越えた紅だったが、ディアボロの振り抜いた手に握られていた花瓶がまっすぐ彼女に向かい、そして着地と同時にその肩にぶつかって割れる。
「んっ……痛いですの」
紅を向いたそのディアボロの背に向かって天宮が符を放つと、そこから現れた白く輝く玉はその肩を弾き飛ばした。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大した事ありませんの」
その最中、俯いて詠唱を続けていた明日香の前に、巨体を揺らしながらサキノハカ同様にその体躯を花で覆ったストレイシオンが現れる。
「ウドゥンバラ! 早く! 早く終わらせて……ッ!」
髪を振り乱し明日香が半狂乱にその指をディアボロへと向けると、ウドゥンバラはその長く裂けた口をかっと開き、ディアボロに向かって強烈な一撃を浴びせた。ディアボロの足が片方吹き飛び、がくりとその動きは鈍くなる。
あっちも怖い……と思いながら佐竹が銃撃を行うのに合わせ、その隙間を縫うように久遠の布都御魂が素早くディアボロへと襲いかかり、その牙を向く。それを皮切りに後ろからは天険の薙ぎ払いがその背中を削ぎ、次いだ紅と佐竹の攻撃は避けられたものの、そのおかげで出来た隙に氷雨の透渦風が容赦なくその身を削った。
悲鳴とも雄叫びともつかない咆哮を上げ、ディアボロが落ちていた椅子の足を無造作に掴んで投げた。その様子は別に特定の誰かを狙ったと言う訳ではなく、状況を回避しようとしてのことに見える。投げられた椅子は氷雨に向かって飛び、寸での所で咄嗟に近くにあった椅子を持ち上げたが、上手く防ぐにはいたらなかった。
闇雲に攻撃をする程弱っているのに、逃げる様子が見えない。何人かはそのおかしな状態に気付きはしたが、とにかく今は畳み掛けてしまうべきだと各々飛び出して行く。
月乃宮のライトニングは今度はぶれる事無く標的を捉え、間髪置かずに繰り出された明日香のウドゥンバラの攻撃を避けたディアボロに、天宮の六花護符からはじき出された玉が真っすぐにその体を捉えてぶち当たる。
「もう一息です。布都御魂!」
再度のトリックスターが成功し、よろめくその体を支えていた手は、直後の紅の攻撃によってぱっと粉砕されて飛び散った。最早体を支える為にもとのスピードを維持する事など出来ないディアボロはそのおぞましい形相で吠えるが、その顔を削ぎ落とすように天険のシュガールが音を立ててそこを通り過ぎる。
「どんなに脅されてもな、ディアボロだったら怖くないんだよ!」
顔を失ったディアボロはめちゃくちゃにのたうち回り、それでもまだ息絶えはしない。先程よりも太く響く雄叫びを上げ暴れるその体を串刺しにするように、月乃宮の放ったライトニングがその雄叫びを掻き消す。
「……ぅぅ……終わりにして下さいよぅ……」
震えながらその呟いた言葉をかなえるように、どしゃりと床にへばりついたディアボロはもう起き上がっては来なかった。
「やっと、やっと帰れますわね……うふふ、私の綺麗なお花達、もうすぐ、貴方達の所へ行きますわ……」
そう呟きながら半笑いでふらふら出て行く明日香の後ろに続きながら、つまらなそうな顔をして紅もすたすたと部屋を出て行く。
「醜いだけですの。もっと派手な散り方してくれても良かったんですの」
十分派手にやったと思うのだが、あれでも足りないのか。やっぱりあっちも怖いな、とそちらを見ている天険は小さく身震いをした。
「ディアボロで良かったですね……月乃宮様」
「はい……怖かったですよぅ……」
いつの間にやらいつもどおりの顔に戻っている氷雨と、安心しきって落ち着いた表情になっている月乃宮。二人ともやはり幽霊の類いは苦手なようで、倒したディアボロの死骸が消えたりしない事に安堵しているようだった。それでも多分、急にあれが動いたりしたら悲鳴くらい上げるだろうと言う浅い安心感を感じたのか、佐竹が二人に歩み寄り、いつもの平坦な調子で言う。
「いや……俺実はきいちゃったんだよね……ツイテイッテアゲルって……後ろから」
さあ、と三人の顔から血の気が引いた。三人目は、何となくまだ部屋に残っていた天険である。
「いやいや、あのディアボロ言葉なんか……!」
「うん、だから違う何かがいるのかも……」
努めて平静を装うとした天険だったが、『違う何か』と言う言葉に何も言えずに口をつぐんでしまう。月乃宮と氷雨は何を言うまでもなく真っ青な顔でしばらく固まっていたが、どちらからとも無く弾かれたように出口へとは知って行ってしまった。それにつられたのか、天険も同じように走って行ってしまう。
「あいつも恐がりだったんだ……」
ちょっと楽しそうな表情を浮かべた佐竹は、物静かな天宮は怖がらなかったのかな、と振り返ると天宮はまだディアボロの死骸を見ており、佐竹と同じくまだ残っていた久遠もその天宮の様子に不思議そうな顔をした。
「どうしたの?」
久遠に問いかけられ、振り返った天宮はすっと立ち上がった。もう一度死骸へ目を向けるが、そのままゆっくりと歩き出す。あとの二人もそれと一緒に歩き出し、食堂を後にした。
「何か気になったの?」
訪ねる久遠と、同じように興味を持っているらしい佐竹の視線に、天宮は小さく首を傾げてみせる。
「いや、何であんないかにもなディアボロが出来たのかなって思って」
「え?」
「だって、ここで死んだ人っていないんですよね? 逃げようともしなかったけど、ここで死んだんでもなければ留まる理由なんてないじゃないですか」
そう言われてみれば、確かにそうだ。ここで自殺者が出たと言うのはあくまで噂、事実ではない。それに危ない目に遭っている最中にも逃げる素振りは見せず、というよりもここを離れるという考えはまるでないかのように見えた。
「逃げない理由は……ないな」
「それか、逃げないように作られた?」
そう久遠が呟くが、他の二人は勿論、言った本人でさえその理由には思い当たらない。
「そうだとしたら、かなりの気まぐれですね。噂の立った廃墟に、噂通りの姿のディアボロを置いておくなんて。何かいいことがある訳でもないでしょう」
「気まぐれ……なのかな」
もしも気まぐれではなく、愉快犯だったら? 久遠の呟きに、本人も他の二人も少し考える。もしそうだとしたら、敵として相手取るのにかなり厄介だろう。
ガラスを踏みしめて外へ出ると、ぽつぽつと雨が降り出していた。ふうと息をつき、誰からとも無くその話題を自分の中で完結させる。
とにかく、今日の依頼は終わった。考えすぎないで休もう。
そう一息ついて帰路につく撃退士達の姿を見ている笑顔があった事には、誰も気付きはしなかった。