●モグラを叩く祭りの如く
六人の撃退士達はごくりと唾を飲んだ。
本当ならば、この任務に集められたのは七人だが、足りない一人は早々に彼らの目の前で戦線から離脱している。
「大丈夫ですか〜?」
望月 忍(
ja3942)ののんびりした呼びかけに力なく頷きながら、穴から引き上げられた晦日 そまり(
jb2570)はそのままきゅうと目を回してしまった。どうやら何の前触れもなしに穴に落とされるのは、おっとり気味な人には少々刺激が強いらしい。
ふにゃふにゃになってしまった晦日を花壇に置いておき、六人は足下を見ている。
「本当に突然開くんだな……」
美森 仁也(
jb2552)がボソリと呟いた一言に、全員が頷かないながらも激しく同意していた。思っていたよりもずっと穴の空き方は突発的で、予兆も音も何も無い。分かっているのは、この中の誰かが絶対に次に落とされるということだった。
「中庭立ち入り禁止だ。あいつらみたいに泥まみれになるぞー」
ガピーとハウリングとともに悲しい警告がその場に響き渡る。中庭を取り囲む校舎の窓からは多数の生徒達がこの現場をじっと見つめており、その目はキラキラに輝いていた。おそらく、突然穴が開くという非常事態に立ち向かう落ち役達の勇士を見たいのだろう、誰も「落ちないで頑張って」などと思っている風ではない。
スピーカーで悲しい警告を呼びかけている斡旋所のあの人が、一番応援していなさそうだから困る。「あいつらみたいになるぞー」と言うのは、七人が(既に減っているが)落ちずに済む事などまずあり得ないと言っているようなもので、しかもその語尾の伸びた言い方は「面白いぞー」と言っているようなものだった。
「おのれぃ。逃がさんぞ!」
大仰なポーズとともにマクセル・オールウェル(
jb2672)が阻霊符を高々と掲げるが、その手は振り下ろす前に賤間月 祥雲(
ja9403)に止められた。
「それ……いらないよ」
望月がトワイライトで発現した光球を晦日が落ちた穴の中にそっと落とすと、それほど深くはなく、二メートル程の穴の中が照らし出される。穴の底に見える横穴は直径は二十センチ程で、中に入って追うのは無理そうだった。しかし横穴があるのだから、敵は横穴を通って移動しているのは確実だ。阻霊符を使っても使わなくても、透過せずに移動するのならば効果はない。
「思った程……深くないんだね」
少しがっかりした風の賤間月が、しゃがんで穴を覗き込みながら手近な小石を拾う。
「こういうの……やってみたかったんだけど」
そう言って小石を穴に投げ入れ、口笛で音を立てている。そんなに深かったら怖いよ、と天谷悠里(
ja0115)が苦笑しながら止めようとした瞬間。
「ヒュー…………ぅ!」
自ら効果音を付け、しゃがんで口笛を吹いたまま賤間月の姿は奈落へと消えた。と言っても覗けばすぐ見えるくらいの深さしかないが、自分の足の際に穴が出来た事で天谷は目を丸くして悲鳴を上げる。
「きゃああ!」
「落ち着け、取り乱してもしょうがないだろう」
そう鋭く注意する篠田 沙希(
ja0502)は、この異常事態において逆に異常に思える程の冷静さを保っている。その凛とした姿にギャラリーからは感嘆の声が漏れるが、
「落ちる事は覚悟の上」
と言いながらすとーんと姿勢よくまっすぐ穴に消えたその姿は最早美しく完成された一発芸のようで、笑っていいやらどうしたらいいやら。ギャラリーからは一切の声が一時消えた。
「まだ……準備、してないのに……」
ずるりと這い上がって来た賤間月が、膝を叩いてハリセンを構える。
「もぐら叩き……開始だ」
持っている武器の見た目はともかく、いつでも迎え撃てるよう膝を軽く折り曲げて万全の姿勢を取る。さあいつでも来いと神経を張りつめて待ち構えていると、全然離れた所で美森 仁也(
jb2552)の足下に穴があいた。
「え……そっち……?」
思わず美森の背に翼が現れ、その体はほんの少し沈んだ所から宙へと舞い上がる。
「……しまった」
穴に落ちて接触を図るというのが今回の作戦の大筋なのだが、飛ぶスキルがある為に思わず飛んでしまう。いけないいけないと地面に下りると、
「避けてどうするのである! まずは接触せねばならないであろう!」
ビシっとわざわざ腕の筋肉を盛り上がらせるよう力を込めて、マクセル・オールウェル(
jb2672)が彼を指差す。分かっている事を改めて指摘され、その上非常に暑苦しい物言いとリアクション。普通なら軽く謝ればいいだけの話だが、それをする気が音も立てずに美森の中から消え去った。
が、マクセルはマクセルでそんな事は微塵も気にはしておらず、美森を指した指を引っ込めると、ぎゅうっと握り拳を作り大きく広げた両腕をゆっくりと自分の中心へと持って来てモストマスキュラーを……大概の人が『ボディビルダーのアレ』と言われて想像するあのポーズを作る。
「モグラ天魔よ、さあこの美しき肉体を見に来るがいい!」
高々と叫ぶなり、松崎○げるも裸足で逃げ出す茶褐色の肉体と弾けんばかりの笑顔のまま落下して行った。これには我慢しきれなかったのか、ギャラリーからは喝采が送られる。
「うう……なんとかしなきゃ」
次々落とされて行く仲間をおろおろ見ていた天谷だったが、意を決したように星の輝きを発動する。途端に彼女の周りは明るくなり、どうやらこれで落ちた時に即座に視認出来るようにしたらしい。落ちる事への覚悟を持ち、恐れずむしろ向かって行くその姿勢を示した途端、モグラの方で空気を読んだように彼女の足下がぽっかりと開く。
「あっ!」
落ちるつもりで構えていたのが功を奏したらしく、空いた穴の中に天谷の目はモグラの尻尾らしきものを捉えることができた。思わずその横穴へ向けて胡蝶扇を放つが、尻尾はシュッと素早く消え、慌てて這い出した天谷が声を上げる。
「そっち! そっち行ったよ!」
と指差された先にいたのは、穴から出かけていたマクセルだ。その指示に再び穴へと潜ったマクセルだったが、
「なんと! 我が筋肉が美しすぎて穴に拒絶されるである!」
横穴に突っ込んだ手は幾らも通らないうちにつっかえてしまったようだ。途中で進路を変えてしまったのか、モグラが見えない手の先に触れたようでもない。
「……やはり、ひたすら落ちるしかないのか」
マクセルからほど近い所にいた篠田は、マクセルがモグラに触れていないことから次はまた自分の所に来るだろうと構えて待っている。その予測は当たり、すぐに彼女は二度目の落下を味わった。
しかし今回はただ落ちただけではない。天谷が下に注意していて向かった先を見極められた事から、同じように集中し、その方向を見極めようとしていたのだ。おかげで彼女もまた横穴に消える尻尾を捉え、その方角に立っている望月に指示を飛ばす。
「そちらだ!」
指示を受け取った望月はぎゅっと険しい顔をし、詠唱を開始する。
「もぐらさん、めっ! なの〜」
落ちた時に即座に発せるようにとの準備だったが、穴が開いて彼女がそこに落ちたと同時に発せられた異界の呼び手は、どうやら外れたようだった。それが証拠に、
「ひっ……」
直後短い悲鳴を上げて落下した賤間月が、地中の横穴の中で発現していた何者も捉えていないその手の中に落ち込んでしまう。勿論彼に向けて発せられた訳ではないので何の実害も無く消える寸前だったが、その名の通り異界から呼び出された何かの手は、触れて気持ちのいいものではない。
「止まらないなら……コンクリに、埋めてやるぞ!」
あまりの事に豹変して物騒な事を口走っている賤間月を横目で見ながら、美森はその手に弓を握る。小型のクロスボウは持ったまま穴に落ちる事は出来そうだが、命中精度がどの程度になるかはやってみなければ分からない。この任務は思った以上に精神をすり減らす、長引けば長引く程、苛立で精彩を欠くだろう。
穴の発生と共に出来る限り集中して横穴の位置を見定めるが、やはり時間が短すぎて正確な射撃は難しい。何とか尻尾の引っ込む方を見れはしたが、それに当てるのはかなり難しい。
「これは根気よくいくしかないのか……」
げんなりと呟きながら這い出すと、マクセルが今度はダブルパイセップスで……あのラジオ体操第二にあるポーズで真っすぐ落下する所だった。が、今度はそのポーズのせいで、肘が地面につかえて胸元までしか穴にハマっていない。
「足が着かないである! どうしたものか」
ポーズを解けばいいだろうに……そう美森が思って見ていると、賤間月が親切丁寧にそちらへ歩み寄っていく。
「手を伸ばして……こう万歳すればいいんだよ」
もうほっといてもいいんじゃないかと思う筋肉祭りに付き合うのは、彼が優しいのか自分が冷たいのか。どちらにせよ確実なのは、今そこに笑いの神が舞い降りた事だけだった。
マクセルに自分も万歳してみせた賤間月と、それを真似て万歳したマクセル。賤間月の足下に穴が出来たのはマクセルが万歳した瞬間で、二人は同じタイミングで同じポーズのまま穴へと消えて行った。
奇跡的な競演にギャラリーからは歓声が上がり、最早誰も応援していないどころかむしろ「落ちろ」と思われているのがひしひしと伝わってくる。一体自分達は誰の為に何の為に泥まみれで穴に落ちているのか、使命感は徐々に切なさに取って代わられている。恋人へのやや過保護な愛情から臨む美森はまだしも、天谷などに至っては既に半泣きで目を潤ませながら穴にハマっている。隣の穴ではこれまた少し悲しそうな表情で望月がすっぽりハマっており、這い出すのも疲れた二人は肘まで地面に上がった所で止まっていた。
「泣かないで下さい天谷さん〜」
「うう〜! もう穴嫌ですよう〜」
見かねた美森が闇の翼で浮きながら二人を引き上げに掛かる。恋人以外の人間女子に興味が無いとはいえ、疲れて半泣きの女の子を放っておくのは良くないような気がした。男共は……と見ると、這い上がって大きくジャンプした賤間月がそのまま新しく出来た穴に飲み込まれるのが見え、それを引き上げたマクセルは掴んだ賤間月をダンベルかなにかと勘違いしているように見える。うん、ほっといても大丈夫そうだなと女子二人を引き上げた美森は、そう言えばもう一人女子がいる、と篠田を見て言葉を飲んだ。
「もう……中庭掘った方が……早いと思うんだけど」
マクセルの手で地面に降ろされた賤間月がぼやき、同意を求めようと地上にいる篠田へ目を向けるが、彼もまた同様にその言葉を飲み込んで黙ってしまう。
筋肉落下祭りや半泣き穴ハマりにギャラリーの目は向いていたが、実はその裏側で篠田は淡々と穴に落ちていた。仕事だからと冷静に落ちてはいたものの、ずっと落ち続けていれば腹も立つ。その結果、苛立ちが怒りに名を変えて、そのエネルギーが強すぎて一本の線へと研ぎすまされるまでになっており、最早周りの状況など目に入らない程集中している彼女の纏っているオーラは近づきがたいものだった。
助けに行ったら喰われそうな。
愚痴を言ったら口を殴られそうな。
真一文字に結んだ口をぴくりとも動かさず、ダガーを緩く構えたその指先まで張りつめている。元来真面目な彼女だからこそ、恐ろしいまでの集中をしていると取られているが、現実は少し違った。
流石に地味にぽんぽん落とされ過ぎたのだ。その上周囲の空気は面白さを期待していると言うこの悲しい現実。泥まみれになる甲斐のない作業を繰り返さなければ行けないその原因に対し、最早手加減も猶予もくれてやるまいと、簡単に言うと一撃くれてやらなければ気が済まないという単純な怒りである。
それも、多分天谷と望月あたりが同じ事をするとみんなホンワカし、マクセルがやれば筋肉祭りも併発して若干引き、美森と賤間月がやれば本気でドン引きされかねないであろうことを、クールに研ぎすまされた殺気に取られるのだからクールビューティーは得をする。
その得を本人がどう思っているかはともかく、その溢れる殺気を感情を察知する天魔が嗅ぎ付けない訳は無く。ほんの寸の間静まり返ったその場の空気は時が止まり、篠田の足下に穴があくと同時に動き出した。
音も立てないその穴が開く瞬間を見逃すまいと見開かれた目は、足下の地面が瞬間的に消え失せる事に動揺する事も、また自分の体がふっと落ち始める感覚に狼狽える事も無く。ただそれだけを狙っていた、穴が開いた瞬間に目にも止まらぬ早さで足下へダガーを放った。
ぷきゅっ、と鳴き声だか音だか分からないそれは彼女が穴の底へ落下するのと同時でその音にかき消される。
息を飲んで皆がその動向を見守る静まり返ったその場に、苛立ちの全てを込めた荒々しい動作で思い切り投げ出された大きなモグラは、音を立てて地面に叩き付けられた。
●祭りの後は
もうギャラリーは誰もいない。中庭には泥まみれになった勇士だけがぼうっと立っている。彼らの目の前に広がるのは、慣れ親しんだ中庭とはまったく姿を違えてしまった巨大たこ焼き機のような大地だった。
「……所でこの空いた穴、誰が埋めるんだ?」
「まさか……ボクラ……?」
顔を見合わせ無言で立ち去ろうとする面々だったが、その一番後ろで、
「きゃうっ!」
最早落ち過ぎてハートも穴だらけとなった天谷が、ダメ押しで穴にハマる。
「そう言う人が出るから、埋めます」
穴にハマった天谷に手を貸すよりも早く、六人の撃退士に声がかけられ、がらんと重たい金属音が穴だらけのその場に響き渡る。
振り返ると、ジャージ姿の斡旋所のアノ人と、他のスタッフ達がずらりと並んでいた。彼らの手には、軍手、スコップ、土を乗せた一輪車……などなど、この後やらなければ行けない作業を容易に物語る道具達が握られており、ぐっと押し黙る勇士達に、軍手の口を引っ張りながらスタッフはしれっと言った。
「はい、作業開始」
「我輩達がであるか!?」
思わず食い下がるマクセルだったが、そんな彼の困惑した顔を意にも介さず、ツッコミのつもりで伸ばした手にはスコップが手渡される。そして一言、
「美しい汗をかいては?」
そう付け足されたらもう彼は止まる事は無い。受け取ったスコップが唯一無二の相棒と言わんばかりに嬉々として穴を埋め始める。
「原状復帰するまでが任務だ」
そんな遠足みたいに。そうは思ったものの、黙々と作業を開始するスタッフ達とマクセルの手前文句を散らかして帰れるはずも無く。五人の撃退士達は日が暮れるまで泥と末永くお付き合いを余儀なくされたのだった。
「誰か穴から出してええぇぇ……」
そして忘れられた天谷もしばらく穴とのお付き合いを余儀なくされたのだった。