●腐朽の牙
段差の振動にも起きない助手席の女の子を、統鳥 翼(
jb1436)は溜め息をつきながら揺さぶった。
「着いたぞ」
「うん〜……どこにです?」
コーヒーを流し込んで苦い顔をする統鳥をとろんとした目で見ていた望月 忍(
ja3942)だったが、窓の外の緑一色を見て、その目はぱっと覚める。
「そうでした。お墓参り〜」
ここは山奥にあるペット霊園。次の休日はそこへ行く、と統鳥が友人と話しているのを聞いた望月は大層興味を持ち、行きたいとせがんだのだ。
「わあ、いっぱい人来てるの〜」
駐車場には数台の車があり、この山奥にこれだけの車があれば十分賑わっていると言える。それだけ家族に会いに遥々足を運ぶような優しい人間がいると言う事だ。そう思うと、脳裏に浮かんだ猫とその家族の記憶に統鳥の目元は僅かに緩む。
「ほら行くぞ」
小さな猫缶をポケットに突っ込んで車を降りると、何だかいつもと違う空気のような気がした。とはいえ頻繁に訪れる場所ではないし、前来た時と何が違うかは思い当たらない。
「静かな所なの〜」
望月がそう言った瞬間。
その言葉をいとも簡単に覆し、低い咆哮が二人の耳に届いた。
「……何だ、今の」
それは犬のもの。それはわかった。
ただし、それは彼らが知っている犬のものではない。
駐車場と霊園の境目にあるフェンスに走り寄る。再びの咆哮に目を凝らそうとすると、それに負けない程の轟音が二人の背後に迫った。
ほぼ直角のような曲がり方で飛び込んで来たSUVが、振り向いた二人に向かってドリフトしてくる。思わず統鳥が望月の前に立ちはだかると、横向き用のブレーキでも付いているのかと思うくらい、いい位置で車は止まった。
「なんだ、先客か」
運転席から現れたのは、金髪美女だ。それに少し遅れ、後部座席のドアから傾れるように男が二人、助手席から元気よく一人飛び出してくる。
「運転酷い……」
「軟弱者は黙れ」
げんなりした顔で言う龍炎(
ja8831)の言葉を、 アリシア・タガート(
jb1027)は恐るべきあっさり感で冷たくぶった切った。
「学園の人ですよね。私は高等部の仁良井です」
後部座席から転がり落ちて来た仁良井 叶伊(
ja0618)が手を差し伸べると、ニコニコしながら望月が握手する。
「そなた私用で斯様な所にいたでござるか? 自分達はゲート調査でござるが……」
一人だけ元気な天城 空我(
jb1499)は、そう話しかけながら自分の袴の笹ひだを前紐に一生懸命通している。
「ゲートの情報を得て探索に入っていたんだけど、天城が……」
「何やら歪んだ気を感じたでござる!」
「だとよ」
その時、再びの咆哮が撃退士達の耳に届いた。
「はずれじゃなかったみたいですね」
一際背の高い仁良井が敷地の奥をじっと見ると、こちらにやや側面を向けるように立っている建物の壁の終わりから、一本の木が微かに見切れた。それは他に見える街路樹と何ら違いはなかったが、その根元を黒い犬のような生物がうろついているのが時折見える。そして、その犬達がその木に執着する原因も小さくではあるが確認出来た。
「子供……!?」
「建物の中にも大勢います〜」
望月の言う通り、遠目にだが建物の中に複数の人影を確認出来た。ついでに、その周りを歩く、同じように黒い犬のようなものも。
若木を標的と決めた犬の方は、時折その細い幹に前足を掛けて子供に向かって牙をむき出し吠えている。その重さと振動は、頼りない木をゆさゆさと揺らした。
「童が危ないでござる!」
飛び出そうとした天城の裾を、素早くのびたアリシアの手が掴んだ。
「無闇に突っ込むな。偶然にも数がいるんだ、これを生かす」
暴れる父親を押さえていた一人の男が、我武者らな腕に撥ね除けられる。
「パパ!」
駆け寄った妻はこの状況に半泣きで、部屋いっぱいにこだまする母親の叫び声と父親の怒号、そして他の家の子供達の大泣きに流され、崩壊する寸前だった。
が、その心が崩壊する直前、彼女の目は遠くのそれを捉える。
駐車場の所のフェンス。その扉を開き、数人の人間がこちら側へ入って来たのが見えたのだ。
「来ちゃダメ!」
届く訳が無いのに、思わず叫んでしまう。殴られた夫は妻が何に向かって叫んだのか分からず、慌てて体を起こして外を見た。
今のこの状況で外にいるなど! そう思い窓を開けて叫ぼうとしたその瞬間、その集団は歪に二つに分かれ、とてつもない速さで駆け出した。
それは目で追えない程ではなく。だが、生身の人間がその速さで走ることなど見た事は無い。
「何あれ……もしかして、撃退士……?」
その単語が耳に届いた人間から、窓の外を見ようとする。その目線の先に現れた撃退士達の姿にどよめきが起こった。
現場へ近づくと、敵の数がはっきりとした。
木の方に二頭、建物の方に二頭。建物が邪魔でほとんど見えていなかった為に、敵の数はこの距離に近づくまで確認出来ていなかったのだ。
先頭を走るのは天城、そしてその後ろには仁良井と統鳥が続き、遅れて望月が付いて行く。
「雨月蒼燕流、天城空我推参ッ!」
轟と発された名乗りは、拒否する間もなくその耳に飛び込み、犬達の注意を天城へと集中させた。そのままその犬との戦闘に入るのかと思いきや、すっと進路は反れて、後ろに続いていた統鳥のイオフィエルが続け様に手前の犬へ斬り付けられる。近くで見てみると、遠くで変な色に見えたその理由がよくわかった。腐っているのだ。
「思ったよりかってえなあ……」
見た目とは裏腹に、健全な何かに攻撃を加えた手応えだ。飛び込み様に鼻を掠めた腐敗臭に顔が歪む。
その直後、いつの間に離れたのか、レストハウス寄りに位置を取った望月がガラスを破ろうと躍起になっていた建物側の犬にライトニングを浴びせた。もう一頭いた建物側の犬は天城の名乗りに気を取られて木の方を向いていたが、その魔法の轟音にそちらへと駆け出すと、戦場はここで上手く二つに分かれた。
犬は直ぐさまその爪を彼女に向かって突き立てようとするが、寸での所で展開された緊急障壁によってその爪は彼女の裾を僅かに擦っただけに留まる。
「あう〜……天城さん!」
彼女がそう柔らかく言った直後、天城は前へぐんと飛び出し、緋の太刀を振りかざした。
「まかせられよ!」
目を反らしその攻撃を捉えていなかった犬が重たい衝撃に吹っ飛ぶと、今度はその音に統鳥達が相手取った犬が振り向く。しかしそれが二回目であるのと、身近な所に獲物がいることを即座に思い出した犬達は建物の方へは向わず、僅かにそらされた目は仁良井を捉える。
統鳥に向かっていた犬が急に方向を変えて仁良井に牙を剥くと、受け止め少し後ろに下がった仁良井は、少しだけ注意を反らした犬へとセレネを振りかざした。白銀の杖がその顎を横から思い切り殴りつけるが、反応は残念ながら見えない。
「……溶けた脳は揺すっても意味ない、ですか」
衝撃に僅かによろめいただけの犬は、間髪置かずに仁良井に飛びかかって来た。その牙は彼の腕をかすり、袖がぱっと飛ぶ。
「大丈夫か!?」
「かすっただけです」
そう言いながら、標的から一瞬外した目がすっと遠くを向いた。
目線の先では、龍炎が遁行の術によって気配を消し出来る限り音を立てないように木へと到着した所だった。
後ろを振り向くと、少し離れた少々背の高い草の中からアリシアが手で合図を送ってくる。「行け」と振ると、彼女はフロントサイトを開いたアサルトライフルと同じ高さで地面に平行になり、じっと息を潜めてトリガーの脇に指を添えた。
その合図で龍炎は屈めていた背を伸ばし、こちらを見ている動けない子供へ手を伸ばす。
「助けに来たから大丈夫だよ、さあ降りて」
優しく穏やかに、微笑む事に努めながらそう言うも、子供はしっかりと掴んだ幹を放さない。いや、自分の意志で放すことができない程、恐怖でその身は硬直しているのだ。
「大丈夫、怖くないよ。お父さんとお母さんの所に行こう?」
そうしていくつか優しい言葉をかけ、ちょっと無理矢理その体を引っ張ってみたりはしたものの、意外な程その幹を掴む腕の力は強く、またこれ以上無理矢理に引きはがそうとしたらパニックを起こすのではないかと思う程顔色は良くない。
早く優しく、落ち着かせなければ。
そう龍炎が言葉を口にしようとした時、
「いい加減にしろよクソガキが!」
仁王立ちでライフルを抱えたアリシアが龍炎の言葉を遮り怒鳴る。真後ろで元軍人に怒鳴られびくりと肩を竦めた龍炎の上に、子供が落ちて来た。驚きが手を離させたらしく、また先程までの恐怖に匹敵する威圧感に、パニックになる暇もなく目を丸くしている。
「立て、自分の足でだ! それともお前、か弱いオンナノコか?」
先程までの怒号とは打って変わって皮肉な温い言葉に、またもパニックは通り越して子供の耳が赤くなる。
「違うよ!」
そう言うと、よろけながらも龍炎の手を離れ一人で立ち上がった。
「ようし、いい子だ。この男にしっかりと掴まって放すんじゃないぞ。出来るな?」
ニヤリと笑ったアリシアが言うなり、龍炎は子供を抱えて音を立てる事無く走り出した。
その怒鳴り声は、離れた他の四人にも聞こえた。勿論それが敵に聞こえない訳は無く、そちらをむいて吠えようとした犬に、統鳥は猫缶を投げつける。
「おいおい、ツレねぇな」
小さな缶詰一つで大したダメージになるはずも無く、しかしその目は再び統鳥へ向く。同時に地面に子供が降りたのを確認し、こちらを見た犬の攻撃を弾き返して距離を取ると、周りを見回して叫んだ。
「叶伊こっち来い! 望月と天城は身ぃ隠せ!」
それを聞いた仁良井は攻撃を弾いて更に叩き込んで犬から離れ、天城も同様に自分が相手取っていた犬の攻撃を防いだが、こちらは仕掛ける前に叫んだ統鳥の方に目標を変えていた。もう敵の目に自分が映っていない事を理解した天城はその背を追おうとしたが、その前に望月の放ったライトニングによってもう一頭の犬がよろめいたのを好機と見てそちらへ踏み込んだ。
よろめいた犬はそれでも望月へ飛びかかるが、彼女は何とか寸での所でそれを避けた。避けられ止めた足はかくんと折れ曲がり、まるで隙だらけ、その上膝をついたその背に向かって、天城の殺気が注がれる。
「雨月蒼燕流抜刀術、白貫!」
光纏により輝く白を纏った刀身は、叩き込まれた犬の体の中を突き進み、その重厚な刀身で途中で事切れていた犬を地面に叩き付ける。
素早く太刀を持ち替えて建物の陰に隠れると、ほぼ同時に子供を抱えた龍炎とアリシアが同じ場所に滑り込んで来た。
「子供の救助は完了したよ」
ガラス越しに子供の姿が見えたのか、建物の中で暴れ泣いていた両親が足を縺れさせながら四人に近い窓へ走りよって来る。
「勇太!」
受け取った子供をきつく抱きしめ、両親は声を出せずに肩を震わせていた。
その様子に、四人ともニコリと小さく笑う。
「もう大丈夫なの〜。皆さんが無事で、眠っているワンちゃん達も安心したと思うのね〜」
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
例を繰り返し頭を下げる両親の姿に、他の墓参客達も落ち着いたようで安堵した空気が部屋に漂うのが分かった。
「皆さん、ガラスから離れて伏せていて下さい」
一応の為にそう告げると、安堵した空気はまた俄に緊張した。何かあるのかと不安そうな顔をし、すぐに動きはしない人々だったが、
「何、危険は無いが念のためだ。ぐずぐずするな! とっととしないか!」
アリシアの迫力に気圧されて素早く部屋の中央に固まって息を潜めた。
一方、統鳥達の方へと向かった三頭の犬は、危険を察知したらしく一定の距離から寄っては来ずに足を止めていた。
「動物の勘ってやつか」
「神経腐ってるのにあるんでしょうか、勘」
「まあいい、どのみち射程内だ」
そもそもディアブロに腐った神経があるのかどうかは、さておき。
言いながら、統鳥はサングラスを外し目を閉じる。犬達が吠えるが、統鳥には届いていなかった。
「吠えんな駄犬……おすわりだ!」
すっと開かれたその目の紅がゆらりと光ると、三日月のような刃がその場に無数に現れる。それは現れたと思った瞬間にはもう犬達を弾き飛ばしていた。
地面に叩き付けられ、草が舞う。その中で一頭動かなくなったが、残る二頭はまだ立ち上がれるらしく、今の攻撃の元が統鳥である事が分かっているのか、そちらに向かって牙を剥き唸る。
が、それに対し統鳥と仁良井が構えた瞬間、響き渡った銃声が山肌に谺し、それが消える前に片方の犬は無くなった頭から傾いで倒れていた。
「少しは働かせろ。退屈だ」
セーフティーを掛けながら、アリシアのその口元には不敵な笑みが浮かぶ。突然の事に動揺し足が止まった最後の犬は、その頭上に迫った影に気付く事は無く。
「終わりだ」
背後から繰り出された龍炎のホワイトナイト・ツインエッジが自分を葬るその姿を視界に映す事無く、鈍い音の後、再び静寂が舞い戻った。
●祈りの園、安らぎの地
仁良井の持つスコップが盛った土を叩くと、天城と統鳥が静かに手を合わせた。
「敵の肉片なんぞ弔って何になると言うんだ。意味が分からん」
そう不思議そうな顔をするアリシアに、スコップを適当に地面に突き刺して仁良井は言う。
「あの人達の家族と同じ形だったものを、そのまま散らかしておくのはよくないでしょう」
その理屈にはまあ納得したのだろう。返事はしなかったがアリシアは小さく鼻を鳴らして黙り込んだ。
「お兄ちゃん達」
小さな声に撃退士達が振り向くと、あの子供がそこに立って六人を見上げていた。遠くで彼の両親がこちらを見ている。
「エルを埋めてくれてありがとう」
思わず彼らは顔を見合わせた。このディアボロ達は、十中八九間違いなく自分達が調査していたゲートから生み出されたものだろう。だが、この子供は自分を襲ったあの犬が愛犬だと思ってしまっている。
礼を言っているが、その目は暗い。そうではないとどう説明したものかと困っていると、望月がすっと子供の前にしゃがみ込んだ。
「あれはエルちゃんじゃないの〜」
「……何でわかるの?」
信じたいけれど信じきれない、そんな子供の目を見ながら、望月はにっこりと笑った。
「だって私たちはエルちゃんにお願いされて来たの、勇太くんを助けてあげてって〜」
それを聞いて、子供の目には光が宿る。それはみるみるうちに増して行き、大きく開いた目は輝きでいっぱいになった。
「本当?」
「うむ、本当でござるよ」
満面の笑みになった子供は、嬉しそうに声に出して笑った。遠くから両親が名前を呼び、彼は笑顔のままそちらへと全速力で掛けて行く。
「さあ、俺達も帰りましょう」
晴れやかな顔で、撃退士は静かになったその庭を後にした。
閉じられたフェンスの向こうには、もう誰もいない。
ただ安らかに、愛された家族達が眠っている――。