●アウルの威力
バシャン、と言う水音と、それから微かな水音。それら二つが重なった途端、辺りに酷い匂いが立ちこめ、撃退士達に飛びかかろうとしていたディアボロの足が僅かに引いた。
「くっせ……」
そう呟いたのは、大きな水音を立てたヤナギ・エリューナク(
ja0006)だ。獣の姿をした敵の鼻を潰そうと、虫取り用か何かで集会所の入り口に置かれていた酢を思い切りぶちまけたのである。それだけでも十分、自分の鼻まで痛い程の効果は得られたのだが、
「目に染みるっすよね。ふっふっふー」
とニヤニヤしながら強欲 萌音(
jb3493)がその上に香水を撒いたお陰で、その匂いのハーモニーは宛ら地獄のようなものとなった。液を直接垂らした訳でもないのに恐ろしい威力を放つ香水に、望月 六花(
jb6514)がしまうよう萌音に促す。
「十分、鼻は利かなくなっていますよ」
何なら彼らの鼻も利かなくなる。二体のディアボロは流石に鼻が利きすぎるのだろう、じりじりと後退りながら唸り声を上げていた。
光纏と同時に数人が所持する阻霊符は効果を発動し、無効化の領域が展開される。
狼と虎、二体のディアボロに、それぞれが狙いを定め飛び出すと、敵も同じように自分達の標的を睨み吼えた。
狼へ向け、樒 和紗(
jb6970)が弓を引き絞る。快活な音と共に射られた矢は狼の肩口に突き刺さり、短い悲鳴が上がった。間髪置かずに御門 彰(
jb7305)が距離をつめながら銃撃を浴びせるが、寸での所でそれは躱されてしまう。
「速いね……でも」
躱されたが笑みを浮かべた御門の視線の先、狼の背後に音を立てず移動したヤナギと江戸川 騎士(
jb5439) の姿があった。背後の気配に狼は気付く事は無く、その存在は後ろ足への雷の如き一撃で初めて知らされる。
剥き出した牙を震わせ、狼は振り向き様ヤナギへ飛びかかりその腕へと牙を減り込ませた。
「つッ……!」
しかしその牙がヤナギの腕を食い千切るまでは行かず、さほど深くない所でぱっとその口から腕は吐き出された。樒の矢が狼の首を即座に貫いたからだ。
「大丈夫ですか!」
「問題ねーよ」
多少は痛がりながら距離を取ったヤナギと入れ替わるように前へ飛び出た江戸川がその視界に狼を捕らえる。それと同時に彼の周囲は瞬間的に凍てつき、その冷気は狼の体へと鋭く突き刺さった。
「……寝ないか」
よろけはしたものの、狼は眠りに落ちる様子は見せない。素早く体をひねり江戸川へと飛びかかるが、彼は不敵に鼻で笑いながら牙を躱し、距離を取る。
虎を相手取る撃退士達も、狼組に引けを取ってはいない。
ぱっと背中に現れた翼を羽ばたかせ望月が空へ舞い上がると、虎はその姿を追い空高く跳躍する。しかしその爪は後一歩の所で彼女を捕り逃し、注意を反らしていたその死角から亀山 淳紅(
ja2261)のブラストレイが虎の体を一瞬で横断する。だが焼けた皮膚に声を上げるが、虎はまだまだ弱った様子は見せずに吼え立てる。
「チョロチョロしないでほしいっす!」
萌音がすかさず電撃を食らわせるが、それでもその動きは止まらない。間髪を置かず鈴木悠司(
ja0226)と望月が攻撃を加えるが、それぞれするりと寸前で躱されてしまった。
「うわぁ、避けられたかー!」
躱した直後に繰り出された鋭い爪が、ぱっと彼の体に一筋の傷を付ける。じわりと赤くなったそれを痛がる表情の中に悔しさを滲ませ、鈴木が声を発したその時。
彼等の守るべき集会所の中から、どん、と大きな音がした。一瞬驚くが敵から視線は切らず、しかし全員が注意を集会所へと傾ける。敵は二体、それは目の前で相手取っており中に侵入はされていないはず。捕捉出来ていない敵が実はいた? それにしては、悲鳴や破壊音などは一切無い。
もう一度、どん。今度は、それの合間に手を叩く音。外まで大音量で聞こえる、大人数の手の音だ。
撃退士達が動きを止めたのを訝しみ、ディアボロ達も同じように動きを止める。じりじりと睨み合う静けさが訪れ、集会所内から聞こえて来る音に歌声が混ざった。
「この音は……音楽は……良いね! 盛り上がってきたゼ?! 」
音に乗せられるように、ヤナギの笑みがじわじわと満面に広がって行く。その様子に、鈴木もつられるような笑顔を浮かべ、ぎゅっと武器を握りしめた。楽しくてしょうがない、我慢を押さえるのが辛い、と言ったように。
「気になるー、乗せられそう! 早く終わらせよう!」
睨み合う静寂は亀山の一撃で破られた。虎に対して放たれた風の渦はその体を巻き込み、容赦なく揉み上げる。
「ほらほら、キミの相手はあたいっすよー」
解放され朦朧としている虎に向けて萌音が放った薄紫の光の矢がまっすぐ突き刺さり、それに驚く間もなく鈴木の斬撃が浴びせられ、苦痛で剥き出した牙は萌音へと向けられるが、その衝撃は望月の庇護の翼により彼女へと浴びせられる。しかし威力を殺され大したダメージは与えられず、立て続けのダメージと朦朧とし覚束ない足取りにその先は容易に想像出来、それを実現したのは鈴木と亀山の連撃だった。
集会所からの音は時折テンポを変え、リズミカルに、スピーディーに、自然と撃退士達の体を踊らせる。
「これで終わってや!」
集会所からの音にウズウズしてしょうがない亀山の願いに応えるように、虎はその動きを止めて地面に沈み込んだ。
「負けてられないね」
虎の撃破を横目で見ながら、狼との距離をつめた御門がマンティスサイスを素早く繰り出す。ぱっと裂けた皮膚を狙いヤナギが斬撃を浴びせるが、それは避けられてしまい、逆に間合いに入っていた江戸川に狼が体当たりをする。躱そうとはしたものの間に合わず、江戸川はその衝撃を受け後ろへと下がる。
「やってくれんな!」
僅かに足下を滑らせ留まり、江戸川が再び飛び出すよりもほんの少し速く、樒の矢が狼を射抜いた。吼え振り向いた狼に向かって御門が振り抜いた鎌の刃は、それでもまだ飛び上がる余力により避けられるが、攻撃を避けられた御門は小さく笑っている。
「終わりかな?」
走るようなリズムは、宙を舞っている狼の体を捕えたその目が出す指先を軽快に踊らせるように跳ねた。ヤナギ自身も、まるでその音を操り力を増しているかのように鋭く、その美しいグリーンのワイヤーを狼の首筋目掛け走らせる。
最高到達地点の寸前で首を裂くように絡んだワイヤーのせいで、狼の体勢は首をその位置に残すようにしてぐるりと崩れる。そしてワイヤーが食い込むのとほぼ同時に、その曝け出された胸元に突き刺さる真っ直ぐな矢。立て続けの宙での攻撃に狼が苦しそうに一声上げたその次の瞬間、
「頭がHeavenな親父らにお帰り願う為には、お前等が邪魔なのさ」
吐き捨てた江戸川の蹴りが、不自然な姿勢で宙に留まっていた狼の体を、集会所からの音に負けない程の轟音を立てて地面に叩き伏せた。
●音の魔力
集会所の中はさながらカオスだった。子供達は飛び跳ねて床を鳴らし、大人達は膝や手を叩き自分の体を楽器に音を奏でている。全員が笑顔で、住民達に先程までの影は微塵も見られない。
ギターの金田一が玄関から入って来た撃退士達の姿に気付き、振り上げた手をゆっくり静かに下げる。合わせて人々の音は抑えられて行き、騒ぎがすっと引いた静けさの中に、キーボードの湯島が先程までとは打って変わった優しい手つきで、柔らかいメロディーを奏で始めた。
「『輝きの物語』……?」
中へは入らず外で煙草を蒸かすヤナギは、その音にぽそりと呟く。その手は、自然といつもの愛器を奏でる形を取って。
一人で出来ると思っていた 難しいだけだと
それはずっと昔にリリースした彼らの代表バラード。カバー曲も多く、あらゆる世代が大体この曲のサビは口ずさめる。
小さな子供達は、まだこの歌を知らない。詩の意味もわからないだろう。それでも目をしっかりと開き見据え、彼等の歌を聞き入っている。
僕には歌えないその歌 どんなに声を張り上げても
するりと手元を抜け出して どこかへ行ってしまう
一見救いの無いその言葉、それは最後に希望へと続く為の物だと大人達は知っている。だからこそ、誰からとも無く示し合わせる事も無く、自然と全員がその歌を口ずさみ。
何が出来るの? 何も出来ないの?
それは僕と同じ心 暗闇の中迷うその手を
「掴んで、一緒に」
目が合った御門を手招きした金田一が、ギターケースのポケットを指す。わからないながらもそこを探ると、出て来たのは小さなトライアングル。
君にしか歌えない歌が僕を奮わせる
僕にしか書けない詩が君を羽ばたかせ
It’s story of shine 紡ぎ出す
撃退士達も巻き込み、全員が奏でる光の旋律。そこに出来上がったその音は、とても優しく美しく。トライアングルの甲高く透き通った音が、魔法のような音楽の細い余韻となって、音の消え行くのを静かに見送った。
「ほらね」
全てが終わり一息ついて、山本は子供達に言う。
「恐いのいなくなっちゃったでしょ? 何の音もしないもん」
ほんとだ。と一人が言うと、他の子供達も笑いながら繰り返す。その様子に大人達も安心して、先程までとはまた違う笑顔を浮かべていた。
「凄いっすね! これこそお金じゃ買えない価値ってヤツっす!」
「嬉しいねー。ありがとう」
目を輝かせている萌音に、望月に手渡された飲み物を啜りながらグリプラの三人はニコニコと言う。金では買えない、と言う褒め言葉に、だが江戸川が鼻を鳴らして皮肉そうに辛辣な言葉を吐き出した。
「金じゃ買えないだろうよ。敵がいるのにデカい音出すとか……何で引きつけるようなことするかね」
撃退士としては、一般人に自ら脅威を呼び込むような真似はしてほしくない。それに、音楽に真摯に向き合い追い求めて行く彼からすれば、全開で不真面目なグリプラに言ってやりたい事は山ほどある。ただストイックな分、純粋に状況と彼等の音を楽しんではいたが……。しかし痛烈なその言葉は、年季の入ったいい加減なオッサン達には特に何の効果も持たなかった。
「だって、ああいう恐いのは君たちがなんとかしてくれるじゃない。してくれたし」
「俺達じゃあれはどうにも出来ないもんね。腰やっちゃうわあ」
えへへへへ、と笑い合う三人。反省とか何とか、そう言ったものは微塵も感じられない。
「それがアンタらの戦い方のつもりなら、ベテランが青臭い事をして後輩や一般人が真似るとか考えないのか? 被害者の生活支援募金ライブとかよ、他に出来る事は……」
「えー、だって別に慰問とかってわけじゃなくて、ボクらただうろついてるだけだもん。支援ライブは別腹〜。だからコッソリ旅してたんだよねえ」
「真似したら縁切るぞって知り合いには釘刺して来たもんね」
自由だ……。負けじとまだ何か言おうとした江戸川だったが、その前にギターの金田一に思わぬ言葉をかけられてしまう。
「ていうかアナタ美人でカッコいいねえ。口悪いけどそれがいいわあ」
悪意0%の、純粋なる褒め言葉だ。
「……男だ」
「へぇ! イッケメェ〜ン」
完全にペースを崩され、それ以上の追撃は江戸川には出来なかった。
むう、と黙り込んだ所に、外にいたヤナギが携帯を振りながら入って来る。
「こっちはもう大丈夫だろ、処理の連中も来る。向こう行くぞ」
「あ、バンドマンだ〜」
湯島がヤナギを見て、ニコニコしながら指を指す。『あの』グリプラにミュージシャンだと指摘され動揺したのか、ヤナギは思わず足を止め、小さな声で
「ぅす」
と返事をする。
「何でわかったんです?」
御門が不思議そうに尋ねると湯島は首を傾げ、「ニオイがしたから」と不思議発言をした。
「ボーカル?」
「ドラムじゃない?」
「いやいやーベースでしょー」
「何でわかるんです!?」
驚愕の表情を浮かべる鈴木に、やはり「ニオイがした」と不思議発言を繰り出す湯島。そのやりとりに、他の二人はさして驚きもしない。へらへら笑いながら、片付けていた楽器と荷物を背負い、よいしょと立ち上がる。
「さて、じゃあ俺らも行かないとね」
集落の応援へ向かう四人の後ろを玄関へと歩いて行くグリーンプラネットの後ろについて行き、靴が上手く履けずによたよたする三人に望月がぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました」
「ん? 何が?」
「私達は敵を倒す事は出来ますが、時に人の心を救うには無力です。……これからもたくさんの人を勇気づける歌手であってください」
三人はにこりと笑い、頷く。
「アナタの声可愛かったよ。良く聞こえて来た」
そう金田一に言われ、望月は少し恥ずかしそうに顔を伏せてしまう。それからトライアングルを急に任せた詫びを御門に述べると、彼はぶんぶんと首を振った。
「楽しかったです!」
「こちらこそ。世界を救うヒーローと一緒に歌えるなんて光栄だったよ」
そして靴を履き終わる。三人の足が外へと向いた瞬間、ずっと後ろで落ち着かずそわそわしていた亀山が、意を決したように叫んだ。
「自分も、こんな歌謡いになりたいです! 恐怖も吹き飛ばせるような声を、歌を謡えるような 」
突然の大声に驚きながら、グリーンプラネットと撃退士達は、優しい目で彼を見る。
「絶対! いつか隣に並んで歌えるほど! びっぐになります!」
「うん、わかった」
顔を赤くして、一気に喋り切って方で息をする亀山に、山本が手を出した。ビックリして戸惑いながら差し出した亀山の手を、山本は強く握る。
「待ってるよ」
その後ろで、湯島と金田一も微笑んでいる。
「生きてる間にヨロシクね」
「そうだね。特にヤマは不摂生だからあんまり時間ないよ〜」
「うるせーよ高血糖と虫歯が」
笑い声に包まれ、そのまま手を振りながらグリーンプラネットは出て行く。楽しい余韻だけを残し、自分達も音であるかのような振る舞いで消えて行くその背中を見送……
る前に、三人の前に外で待機していた樒が立ちふさがった。
「またこっそり逃げられては、俺達が困るのですが」
苦笑した樒の顔に、グリーンプラネットは顔を見合わせて肩を竦める。
「あちゃー。逃亡失敗しちゃったなぁ」
舌を出して笑うオッサン達は、そのまま保護され最寄りの駅まで強制送還されて行った。
「いやしかし、実りあるこっそり旅だったな」
「あの撃退士くん達、面白かったねえ。みんな違っててカッコよくて」
「そうだね。……あー、メロディ出て来た。あ、いい感じだ」
「おー。旅が生んだ音? 出会いが生んだ音?」
「どっちにしても、こうやって飛び回らなきゃ生まれなかった音。イイよ、これ」
「そっか。旅しないと出来なかった音楽ね……」
「…………」
「…………」
「…………」
久遠ヶ原学園にグリーンプラネットの新曲CDと、あの三人がまた姿を消したと言う話が届くのは、それからもう少し先の話――。