●救いの手
「行きましょう、黛さん!」
ヘリオドール(
jb6006)が告げると、頷いた黛 アイリ(
jb1291)は駆け出し、……いくらも進まないうちに小走りに戻ってくる。そして辛そうにしているウィリディスの隣にしゃがみ込み、その身を包む輝きを彼へと分け与えるように手を出した。光の粒子は瞬く間にウィリディスの全身に行き渡り、荒かった彼の呼吸は少し落ち着く。
「少しは楽になった?」
そう言って、答えを待たずに黛はヘリオドールに抱えられて舞い上がり消えてゆく。最後の光の欠片が手の上で消えていくのを見たウィリディスは、飛び立とうとするロヴァランド・アレクサンダー(
jb2568) に声を掛けた。
「滑稽だろう、天使」
飛び立つ足が止まり、赤い目が彼を向く。
「人間を娘と呼んで、無様に正体曝す傲慢な悪魔だ」
どんなつもりでその言葉を口にしたのか。その腹の内はすぐロヴァランドにはわかった。だが答えは口にせず、その背に翼が現れる。まるでその問答を拒むかのように音を立てて広がった朱の混じった純白の翼は、彼の体を宙へと押し上げた。
「細かい話は後だ……人の子を救えと言われたなら、俺には動かねえ道理がねえ」
答えてはくれなかった。
取り残されたウィリディスは肩を落とし、それから意を決したように立ち上がった。
●彼の娘の救出
草を掻き分け、地上組の撃退士達が駆けて行く。
「方向は合っているか?」
凪澤 小紅(
ja0266)がスマホに問いかけると、その向こうからは空を切る音と共に黛の声が届いた。
「合ってるよ、そっちに気配が四つ……間違いない」
更に確かめるように、スピーカーと遠く頭上から、少女の名を呼ぶ声が聞こえてくる。しかしそれに答える声は聞こえず、スピーカーから反応が見えないことから、離れて聞こえない訳ではないようだとわかった。
「気絶してるんでしょうか」
心配そうに鑑夜 翠月(
jb0681)が呟くと、答えようとして一瞬石田 神楽(
ja4485)は口籠る。
「……そうだといいですね」
気絶しているだけで無事であるとは言い切れない。楽観視するべきではないと、あくまで希望を口にする。
「いた! そのまままっすぐ!」
スマホからのヘリオドールの叫び声に、その緊張が急激に張りつめる。進行方向を目を凝らして見つめていると、不自然に揺れ動く木々が見え始め、やがて縦横無尽に空間を駆ける生物の姿が見えた。
「見えた。あれね」
メフィス・ロットハール(
ja7041)が呟きながら阻霊符を取り出し前方を睨みつける。
木々を飛び移りながら、時折地面を駆ける二頭のエン。そしてその二頭よりも体が大きく、地面を走り続ける大きなショウジョウの脇には少女が抱えられていた。だらりと垂れ下がった手足はされるがままに揺れており、意識が無いとわかる。
「やあっ!」
投擲されたRehni Nam(
ja5283)のヴァルキリージャベリンは、前を行くショウジョウと後ろのエンの丁度間程の地面に突き刺さり、二頭のエンは牙を剥き出して後ろを向いた。
かかった。地上を走っていた四人は散開し、後方の逃げ道を塞ぐように陣取る。それと同時に空から急降下したロヴァランドがショウジョウの眼前を掠めるように飛ぶと、その足は止まり、前方に降り立った索敵組が完全に進路を遮断すると、三頭のディアボロは完全に取り囲まれる形となった。
凪澤が手近な木へ阻霊符を設置すると、透過しかけていたエンの体が木の中から弾き出される。
「いい所で止めてくれました」
にこりと笑って、石田は身を翻しその場から姿を消す。伐採最中の山の中にあって時折開けるような、そんな場所。近接戦闘にもってこいなその場所はそれでも周りは木に囲まれており、狙撃手にはありがたい地形だ。
後ろを向いた二頭のエンは、攻撃してきた凪澤を瞬時に標的と定め、爪を剥き出してかかってくる。一頭目の爪が彼女の腕を斬り付けるが、後ろのもう一頭の攻撃は遮るように割って入ったヘリオドールが受け止める。
「余計な事を。私は平気だ」
「いてて……でも分断できました」
護衛の二頭が側を離れてもまだどうにか先へ進もうとするショウジョウは、どうやらそれしか頭にないらしい。少女を盾にするような素振りは見せず、少女を連れての逃走を続ける事だけが目的だと言うのがわかる。
「じっとしてて下さい!」
鑑夜が言うのと同時に、ショウジョウの足下から現れた無数の腕がその体に掴み掛かる。ほぼ時を同じくしてロヴァランドが捕われている少女へ庇護の翼を発動すると、その成功を確認した石田の放った弾丸がショウジョウの肩へとヒットした。
悲鳴とともにその腕は大きく振られ、投げ出された少女の体は宙を舞い、地面に叩き付けられる寸前にロヴァランドが彼女をキャッチする。
「よし、離れな」
彼が飛び上がると同時に、入れ替わるように黛が割って入った。逃がすまいと上空へと延ばされたその手に偽聖釘が突き刺さると、怒りに満ちた咆哮を上げながらその腕は空中へと固定される。
そのショウジョウの声にメフィスがそちらを見ると、ロヴァランドが木立の向こうへ消えるのが見えた。そして素早く目線を戻して自分に向かってくるエンに向け霊符を投げつけると、燃え上がる火の玉に声を上げたその瞬間、素早く繰り出された凪澤の薙ぎ払いが叩き込まれた。
「離脱は成功したようですね」
エンから目線を切らずに凪澤が言うと、それに返したメフィスの声は心なしか重い。
「どこへ連れて行ったのかしら。あの子をあの悪魔の元にただ返すのは反対ね」
「ロットハールさん……」
何となく憂いたような目は、ヘリオドールの姿を捉えてすっと元に戻る。
「……後にしましょう」
再び襲ってくるエンの牙にメフィスがシールドを翳す。わずかにダメージは負ったものの気にも留めずに弾き返すと、体勢が崩れた所へ凪澤が一撃を叩き込み、地面に叩き付けられたエンはそれきり動かなくなった。
もう一頭のエンの方では、飛びかかったその爪がRehniを擦った所だった。頭上から迫るヘリオドールに気付くと牙をむき出すが、それは彼に届く事は出来ず、鑑夜の氷の夜想曲に捕えられて身動きも取れなくなる。
「ありがとう、鑑夜さん」
礼を言いながら開いた蛇図鑑から現れた大きな蛇の幻は、エンが避ける間もなくその体に巻き付いて締め上げていく。ぱっと解放されるとエンはよろよろと地面に沈み込み、すぐに立ち上がりはしないがまだ生きている。
「今のうちに……」
「ありがとう、Rehniさん」
最初にやられたヘリオドールの傷を、Rehniのライトヒールが癒していく。その間も生きているエンから目は離さずにいたが、突然何の前触れも無く弾けた音と共に吹っ飛んだエンは、起き上がってはこない。
「おいしいとこ持ってくじゃんか」
背後に現れたロヴァランドの声に、石田は振り向き答える。
「そんな事ないです。彼女は?」
「大丈夫、大きな怪我はねえ」
傍らに寝かされた少女に、石田は息をついた。それから再び前を向き直り、残るショウジョウへと目を向ける。
「その子をどうするべきでしょうか」
「ウィリディスは、りなが自分の元に戻らなくてもいいと思ってる」
「……そうですか」
短く返事をして、一発。視界の先で仲間達の攻撃を食らい続けるショウジョウは、体は大きいが長くは持たないだろう。
黛の偽聖打によって宙に打ち付けられた体に凪澤の凪払いが深々めり込むと、その動きはビタリと止まる。そしてその隙を逃さぬようRehniが扇を放つと同時に飛び出したメフィスはその直後に機翼を発動し、通り抜け様に霊符を持った両手でショウジョウに炎を叩き込んだ。
響く咆哮は凄まじく、苦痛がありありと伝わってくる。これで終わるかと思ったが、ショウジョウの残る力を振り絞り翳した爪がメフィスに向けられた。しかしそれが彼女の体に減り込む前に、先に放たれていたRehniの扇がショウジョウの目に当たり爪は大きく外れて掠るに留まる。
「これで、終わりです」
ヘリオドールの図鑑から放たれた蛇がショウジョウの体躯に絡み付き、それはいくら身を捩っても外れる事は無い。やがて締め上げられ地面に引き倒されたショウジョウは、その途中で事切れていた。
●親と子の行方
戦闘が一段落し、回復に徹するRehniと黛は所々できてしまったりなの擦り傷も一緒に直している。 気絶したりなはまだ目を覚まさないが、温かなライトヒールが心地よいのか、救助した時は固かったその表情は柔らかな寝顔になっていた。
「この子をどうする?」
そう口を開いたのは凪澤だった。その話題の提示に、一旦全員が考え込む。
「あの悪魔に返すのはどうなのかしら」
そう言ったのはメフィスだ。その言葉に、ヘリオドールが少し悲しそうな顔をしてぽつりと言う。
「それは……あの人が悪魔だから?」
「むざむざ危険な目に遭わせる気?」
ただの人間に返すのとは訳が違う。守る力はあるかもしれないが、その分曝される危険も大きいし、そもそも敵対種族に無力な人の子を渡すほど信頼が置けるのかという問題がある。保護の点で言えば、ウィリディスに返す選択肢は無い。
「僕はもう一度、お二人を会わせてあげたいです」
鑑夜がそう言うと、凪澤がそれにぴしりと意見を述べる。
「だがもしこのまま二人を別れさせるのならば、会わせるのは酷だろう」
皆がその意見に黙り込んだその時、パキリと枝を踏み折る音がした。全員がそちらを向くと、ディアボロの屍骸の向こうに立ち尽くすウィリディスの姿が見える。
ここまで来る事に力を使ったのだろう。姿は、悪魔のままだ。
「りなは……?」
「大丈夫、無事だよ」
ロヴァランドがそう言いながら歩み寄っていくと、安心したのかウィリディスの表情は緩み、その体が木に預けられる。
「来いよ」
そう言って差し出したロヴァランドの手を、ウィリディスは取ろうとはしない。
「いや、顔を見たら決意が揺らぐ。あんたの言う通りだ悪魔と一緒にいたっていい事は無い」
そう言われ、思わずメフィスは目を反らす。
「どうするつもりですか?」
Rehniがそう問いかけると、ウィリディスは小さく笑って撃退士達に背を向けた。その表情は見えず、何を考えているのかは読み取れないが、しかしその背中は弱々しい。
「りなには、死んだとでも言っておいてくれ」
天涯孤独な少女が、撃退士の手によって保護された。あとは彼らに任せればりなは確実に安全な場所に連れて行ってもらえる。そうでなければいけないと背を向け振り返るまいと歩き出したウィリディスの足は、たった一歩進んだところでぐいと引き戻された。
「ふざけんな」
襟を力任せに引っ張られ、噛み付きそうなロヴァランドの顔が眼前に迫る。
「イイじゃねえかよ親子で! 人間に情移した事のどこが悪ィかよ!」
「ッ……俺は悪魔だぞ!」
怒声に返すウィリディスの叫び声は、悲痛なものがあった。だがロヴァランドも引きはせず、二人は膠着状態となって黙り込む。
仲裁するべきだと腰を上げた石田だったが、彼が何か言う前に小さな声がその傍らから上がった。
「悪魔?」
見ると、りなが目を開けていた。むくりと起き上がり辺りをきょろきょろと見回す。
「どこ?」
りなと目が合ったメフィスが、ロヴァランドをすっと指を指す。
「ロットハールさん……!」
「……」
ロヴァランドと掴み合っている一人の悪魔。人間とは掛け離れたその姿を見て、りなが立ち上がった。全員が息をのんで見守る中、小走りにそちらへと駆けていく。
その姿に気づいたロヴァランドがウィリディスを解放すると、りなは足を止めず、そのままウィリディスの足にしがみついた。
「イル!」
舌足らずな声。ウィルと何度教えても言えない自分の名。
それよりも。この姿の自分を見て、誰だかわかったのか。
「ここでてめェが娘を捨てたら、この子は二度も親を失う事になる」
顔を上げると、ロヴァランドの顔は歪んでいた。そしてその横に歩いてきた黛は、足に取り付くりなを見ながら静かに言う。
「……昔、わたしもその子と似た状況だった。助けてくれた人が世界の全てみたいに思えたんだ。だからさ、一緒にいてあげてよ」
りなの肩に手を置き、そっと離す。そしてしゃがみ込んで顔を覗くと、いつも見せるくりくりの目が自分を見ていた。いつものように。
「俺が怖くないのか?」
「怖くないよ。イルだもん」
その言葉を聞き抱き上げると、りなはウィリディスの首に手を回してぎゅっと抱きついた。同じように彼もりなを抱きしめ、その柔らかな髪に頬を寄せる。
いつの間にか皆寄ってきていた撃退士達は、安堵の息を漏らしたり笑顔になったりしてこの結果を喜んだ。
「これからどうするつもりだ?」
凪澤が口にすると、ヘリオドールがぱっと笑顔をウィリディスに向ける。
「久遠ヶ原学園へ来てはどうですか? あそこなら安全です」
周りの数人が同意して頷くが、しかしウィリディスはそれには首を振る。
「りなは、アウル覚醒者でもなんでもない。狙われたのも今回だけだ」
あ、と皆言葉に詰まってしまう。
通常久遠ヶ原島に一般人が入島する際は、特別な理由がある場合に限り入島許可が降りる。悪魔であるウィリディスがはぐれて学園へ入学するのはおそらく何の問題も無いが、血の繋がらない家族と言う関係性だけで、りなに入島の許可が降りるとは考えられない。
「詳しいんですね」
鑑夜がそう言うと、小さく笑ってみせる。
「何年も人間のフリをするとこの世に詳しくはなる。人の親らしくある為にな」
それに、りなが入れないのなら自分だけ行くという選択肢も浮かんではこない。
「今はまだ……一緒にいたいんだ。我が儘だとはわかってる」
呟くように小さく言ったウィリディスに、誰も何も言わない。ほんの少し静かになったその空気に、ロヴァランドが口を開いた。
「この子に関わる事なら俺は力になるさ、約束する」
そう言って、りなの頭をくしゃりと撫でてやると、他の面々もにこりと微笑んだ。
「……ありがとう」
「ありがと!」
親子の礼は、その笑顔を更にほころばせた。
その一番後ろで、メフィスだけは笑みを浮かべずに顔をそらしている。
「納得いきませんか?」
石田が微笑みながら問うと、メフィスは収まりの悪そうな顔をして呟いた。
「別に悪魔だから全員が敵じゃないのはわかってる。わかってるわよ」
その顔は、それでも自分の中の悪魔を憎む気持ちが消えない事での戸惑いだ。
「ただ……気に入らないだけよ」
「ああして笑っているのがですか?」
少し意地悪なことを言う石田を小さく睨み、それから笑っているりなへと目を向けた。
「……誰かが幸せになるのが、良くないわけないじゃない」
それを願う事も。願ったのが誰であれ。
その幸せが続く事を、ただ純粋に、それだけは全員が願っていた。