●惨劇渦中
天気には恵まれた。
風も強くはない……時折柔らかくそよぐのみだ。
時折、建物の中から楽しげな声が漏れてくる、平穏を絵に描いた様な午後のひと時。
「じ、実は、私は……け、汚らわしい、がっ、……アダルトビデオというやつを見てしまったことがある、ッ」
クラブ棟の壁に両手をつきその間に頭を沈めてぶつぶつ。
「どうしても興味があったんだ……! 自分の中の劣情を抑えきれなかった!」
聞かされていた、というか居て良いのかどうか。しかしこの状態のラグナ・グラウシード(
ja3538)を放置しておくことも出来ない。ペアを組んだ星杜焔(
ja5378)はとりあえず、彼の名誉を守ろうと他に人が居ないかどうかきょろきょろと確認する。
「後悔している! 反省している! ちなみに看護婦ものだった!」
ううっと肩を震わせ咽び泣くラグナの足元には、さっきまで揉めていた生徒が二人撃沈している。そして、彼らが気が付くように握らされているのは一枚のカード『園芸部推参!』の文字が…… ――
●中庭
「はい、どーも! 園芸部平部員柳原ですー。一応説明すると」
明るい声とともに柳原は持っていた段ボールを協力者の元へおろした。
「スコップと、鉢植え。飛散防止には保護ケースを用意したかったんだけど、数がなかったから、各自で対応……」
一通りの説明を行って最後に一つと柳原は神妙な顔をし手招きする。全員が何事かと身を寄せると
「揉めてる人たちが居たら、とりあえず死なない程度に意識を奪って下さい」
皆ハトマメ(鳩が豆鉄砲食らった)状態だ。
「それで、このカードを握らせて」
「でも、これでは園芸部が処罰を受けたり……」
受け取ったカードを眺めつつ心配そうに口にした神崎累(
ja8133)の言葉に柳原はにこりと微笑んだ。
「大丈夫! 事後処理はお任せです。今回のようなことは園芸部では良くあること。この辺のクラブ棟を利用している人は、園芸部と聞けば『またか』で済みます。部長も慈愛を見せるのは物言わぬ物達に対してだけなので、心配いりません!」
色々問題の多い部活なのだと言うことが分かった。
「大きく丸い花弁が五枚で、後はなんだったっすか?」
緑豊かな中庭の芝生の上を、スキップでもしそうな勢いで楽しげに歩く大谷知夏(
ja0041)に問い掛けられ、その側を歩いていた桐村灯子(
ja8321)は
「栄養を分けて貰うために、大きな物の側に咲くっていっていたわね。木とか建物の側が狙い目」
淡々とそう告げた灯子は「面白い花もあるのね」と他人が気が付くかどうか、ほぼ分からないくらい薄く微笑んだ。
「生徒さん発見っすよ!」
ちょっと注意してくるっす! ぴょんっと元気良く駆け出した知夏を止める隙はない。その様子を微笑ましく見ていると、ふとベンチの足元にひらりと揺れる真っ赤な花びらが目に付いた。
(これ、かしら?)
灯子はちらと、知夏の方を見ると身振り手振りで避難を促しているようだ。
仕方ない。これは自分が処理するかと顔に宛がっていたマスクを、ぐっと持ち上げてしゃがみ込む。
花粉の飛散防止にビニールを掛けて、少し離れたところから慎重に。そぉっとがりがりと脇から攻めていく。
「―― ……」
鉢植えを用意して……そこで止まった。片手では無理そうだ。
困った……と顔を上げ振り返ったところで、
「わっ」
強風に煽られてしまった。慌ててマスクを抑えたら、ビニール袋が宙を舞う。ああっ! と思って手を伸ばす。届か、な、い……
「大丈夫っすか?」
ひょいっと身軽にジャンプして知夏が袋を捕まえて着地。灯子がほっとしたところで、鼻がむずむず。身体がむずむず。喉の奥がむずむず。
「お! 花発見っすね! って、どうしたっすか?」
表情には出ていないかもしれないが、灯子は非常に焦っていた。色々、色々と、溢れてきそうだ。
『花粉の効き目はそう長くはないですから』
柳原の言葉を思い出し、なんとか乗り切れないかと悶えた。それなのに
「×××さんは猫よね!」
「何っすか?」
突然発した灯子の台詞に首を傾げ覗き込む。テンション高めに自分の趣味趣向を篤く語り始めた灯子。
その様子に、完全に足元に花があることを忘れていた。はっ! としたときには遅い。聖なる刻印を是非とも発動、花に対抗っ! と思っていたのに。
灯子の熱弁と重なるように、実は……と知夏も口を開いた。
●テニスコート&湖周辺
「……私の秘密は……」
「僕の隠していることか……何だろ?」
うーんっと夏野雪(
ja6883)・相原陽介(
ja6361)二人して考え込んだところで、はたと目があった。
「あ、ごめんなさい。それじゃあ、行きましょうか」
くんっと大盾を担ぎ直して軍手をきゅっとはめた雪に、陽介も頷いてテニスコートへと向かう。
三面あるコートは二面使用中だが揉めている風はない。だだっ広いお陰で飛散しても吸引するには至っていないのかもしれない。このまま何事もなく作業が進むと嬉しい。そう思った陽介に「あの」と声が掛かる。
見れば、雪が一カ所を指さしていた。
「あれ……かな……?」
フェンスの根本だ。ちらと手にしていた写真と見比べて、色はかなり違うけれど形は似ている。
「そうかもしれないね」
陽介は頷いて、無遠慮に近づいてしまった。
クラブ棟周辺は、避暑地のようだ。湖は対岸が見えるほどの小さなものだが、湖面が陽光にきらきらと煌めいて美しい。
「萌ちゃん、荷物は私が持つ、ね」
「ありがとうございます。累お姉様」
もう既に幾株か採取し終わっていた、累と八種萌(
ja8157)は、のんびりと湖周辺を歩いていた。所々に設けてある丸太のベンチで寛ぐ生徒の姿はちらほらあるが、揉めている風はない。
だが、水面が賑やかだ。優雅に泳いでいたはずの鴨が二羽揉めている。
「累お姉様、あそこ……」
あれの仲裁は無理よねぇと眺めていた累の袖を萌が引く。その声が告げた先を見て、本当、と頷いた。
「ふわぁ、やっぱり綺麗な花ですよね。問題がなければ部屋に飾りたいくらいです」
これまでの成功に、思わず萌は鑑賞に入ってしまった。確かに花は綺麗だ。綺麗だけれど、問題部分は忘れてはいけない。
「萌ちゃん、植え替えは私がやるから」
まじまじと見つめていた萌の肩を累がぽんっと叩いた。はい、と頷いて、防護マスクも装着した準備万端の累と萌が立ち位置を変わろうとした瞬間…… ――
風は悪戯なものだった。
●そして惨劇は続く――
「そうか、サバがファーストキスの相手なのか、うむ、それは気の毒だ……」
がっくりと膝を付きうなだれている焔の肩を、ラグナはぽんっと叩く。
「ラグナさんの秘密も守るから……俺のは、聞かなかったことに……」
聞かなかったことにしてね……と重ねた焔の目にはうっすらと涙が。号泣よりも説得力がある。
「ああ! 任せろっ」
ラグナは胸を張り力強く答えたが、自分が暴露してしまったことも思い出したのだろう、うっと息を詰めた。
「ありがと〜ラグナさん……でも、俺、」
「何だ?」
「ラグナさんの依頼参加状況をあの娘に横流ししているのも俺で……」
その台詞に、ラグナの肩が僅かに強ばる。
「それから」
「おまっ、まだあるのかっ?!」
なぜ二人がこんなことになってしまったのか……マスクや眼鏡はしていた、していたけれども……揉めていた生徒たちの仲裁に入った際
「落ち着いてよー」
「これは、本心だが本心ではなくてだな」
「本心っ?! 悪ふざけだろっ! お前、男に告白されたことあるのかよっ!」
男子生徒に涙目で訴えられ、二人は頬がひくりと引き攣るのを押さえ
(それは、なんというか……ご愁傷様?)
続けられない台詞を察したのか、遮二無二暴れ始めてしまった。その際、防備は華麗に飛ばされてしまったのだ。
しかも告白したらしい生徒は、花を普通に手折っていた。束で。それはもう、全員悲惨なことにるのは必至。最初に症状が出たのがラグナで、焔は僅かに遅れて現れた。
●月下美人鑑賞会
お日様が傾いた頃、屋上へと続く階段を登る間に
「なんだか良い匂いがするっすね?」
「そうね……」
ぶんぶーんっと、花が咲くまでに皆でと持ち寄ったのだろう大福が入った袋を振り回しながら、階段を元気良く上がっていく知夏に、何一つ変わりないというように落ち着いた様子で灯子は続く。
がちゃりと重たい鉄の扉を開いた先では、西日に攻撃された。思わず目を閉じたがゆっくりと目を開くと屋上の中央辺りにブルーシートが敷かれ、その前には段が組まれ、大きめの鉢植えが並んでいた。
甘い香りはその鉢植えからだ。
「お疲れ様です。一番乗りですね」
にっこりと微笑んで迎えてくれたのは、園芸部々長だろう。柳原は下で鉢植えを回収していた。
「これが咲くんっすねー!」
太めの幹に、ずっしりと重たそうな蕾が一つ、二つ、多くて三つずつぶら下がっている。知夏と灯子がそれらを眺めつつ、シートの上に腰を下ろす頃、他の面々も上がってきた。
「ふわぁ、良い香りですね。甘くて果物の様に芳醇な香り」
両手を胸の前で組みうっとりと見つめた萌に、累も草加も微笑む。
「上段が雄株、下段が雌株になってます。本来ならコウモリなど他の生き物が授粉を助けるのですがここではそれがなりませんからね」
いって毛先の柔らかなブラシを振って見せた。
蕾がやや開き掛けた頃
「完全に開花するまで四時間から五、六時間かかりますので、参加者様はお寛ぎ下さいね」
と部長はにこり。良かった普通の人っぽい。
そして、持ち寄った軽食はかなりの量になりアンパンタワーを中心に(何故かは突っ込まない方向で)ちょっとしたパーティ状態だ。
こぽこぽと累と萌が持ち寄った暖かな紅茶が優しい香りを立ち昇らせる。全員に配られたところで
「おつかれさまー」
会は始まった。が、若干名は、立ち直るまでに少々時間が掛かりそうな状態になってしまっている。はぁ……といくつかの溜息が重なった。
「美味しいっすよ! これは何っすか?」
わっほーい! と歓喜に舞いそうな勢いで知夏は次々とお菓子や軽食に手を伸ばす。最近太ってしまったという秘密を聞いてしまった灯子としては、止めるべきか迷った。迷ったが、無理だ。とてつもなく美味しそうに食べている。あんなに喜ばれてしまったら……誰にも止められないだろう。
「ん〜? これはねぇ、南瓜舞茸入りチキンカ、レー……」
「カレーパンっす! 美味しいっすねー!」
にこにこにこにこ…………
「うん、そうだよ〜」
口にあって良かったよ〜。例え、説明の途中でぱっくんされていたとしても、美味しいと言ってもらえれば、作った焔としても満足だ。それに、色々突っ込む元気は今はない。背後から、ショックで放心状態のラグナの気配を感じつつ、焔は曖昧に微笑んだ。
「アンパンもどうぞ」
雪にそっと渡されて知夏は遠慮なく受け取りご満悦。
秘密を口にしてしまったことにショックを受けていないと言えば嘘になるけれど、ある意味雪は自分の内面と向き合えたような気がして、憑き物が落ちたような、どこか清々しい気もしていた。
「僕は、ドーナツ作ってきたんだ」
良かったらと皆の方へと寄せたのは、陽介。皆の視線は残念ながらドーナツをスルーしてしまった。それもそのはず、
「あ、あの、頭に花が咲いてますけ、ど」
恐る恐る口にした萌に、陽介はびくりと肩を強ばらせるが、可愛らしいお花が一輪頭頂部で揺れていれば目に付かないはずはない。
「これは……花を採取した際に……ぽんと……」
代わりにとばかりに、雪が説明を加えた。陽介が、ううっと両手を地面に付き頭を下げるとそれに併せて、ゆらり。全員が、一瞬びくりとなったが改めて何かを吐露するものがいなかったことに、胸を撫で下ろす。
「でも、そのままでは困るよね? 除草剤でも……」
いった累に悪気はない。悪気はないけれど、除草剤では毛根まで死滅しそうだ。
「あら? それまで飛ばされていたんですね。大丈夫、タンポポの綿毛がついて発芽したようなものですから、髪に絡んでいるだけですよ。後で採りますね。大切なので今はそのままにして置いてください」
定点カメラの設置を終えた草加の台詞に陽介は、どっちが大切なのかと疑問を抱くこともなく、素直にほっとした。正直自分の異性への拘りを熱っぽく語ってしまったことよりも問題だ。
そして、夜はゆっくりと更けていった。
「萌ちゃん、食べてる? やっぱり大きくなるには沢山食べた方が良いと思うよ?」
「やはりバストアップ体操だけでは駄目でしょうか? ありがとうございます。いただきます」
沢山並んでいる料理を取り分けてくれた累から、萌はお皿を受け取って真剣にもぐもぐ。累は、自身のお姫様願望は秘めたままに出来たし、萌の可愛らしい体操も見た。そして、それを思い出すと、ふふっと笑いが零れる。
「だ、大丈夫。ラグナさん。俺ちゃんと秘密は守るから、ね、ほら、何か食べる?」
「ふふ、良いんだ。私のことは放って置いてくれ。私は自分の劣情を抑えることも出来ない人間なんだ……」
焔の労いに、ラグナは両腕で膝を抱えその間に頭を落として背中を丸くし、ぶつぶつ。もう年齢的にも何にも問題ないし、些末なことだといってしまったら尚沈みそうだ。その姿を見るのはちょっぴり忍びない。
「ドーナツも、月餅も美味しいっす!」
花より団子。愉快そうな知夏や他のメンバーを眺めて、灯子は静かにティーカップを傾ける。
「……ああ、あっちも綺麗ね……」
見上げた空にはいつの間にか、ほっそりとした月が浮かんでいた。
「そろそろですよ」
ぱんっと草加が弾いた手の音に、並べられた鉢植えに注目する。
さっきまで花びらを確認することも出来ないほどの蕾だったのに、たった数時間の間に大きな花びらは開いていた。定点カメラの照明に、白く美しい花弁はきらきらと自ら輝きを放っているようだ。その姿は文句なく美しい。
柔らかに風に乗って運ばれてくる芳香も強くなる。それに誘われるように、じりじりと皆距離を詰めた。
―― ……バンッ
はぁ……感嘆の声を漏らすのとほぼ同時に派手な音を立てて、扉は開かれた。
「部長ー! 一部切花になってますけど、一応全株揃ってると思いますー!」
段ボールを抱えた柳原だ。
箱の中身はもちろん …… ――
「持ってくるなーーーっ!」
今、全員の心は一つになった。
わっと同時に吹き抜けた風が運んだのは、美しく花開いた月下美人の芳香かはたまた…… ――長い夜の始まりの気配がする。