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事態は急を要している。
そう判断したメンバーは、早急に現場入りした。その甲斐あって、まだ陽が高い。
「はぁ……救助して終わり、というわけにはいかないみたいだな……」
唇の端で支えていた、火の点いていない煙草を抜き取って「それにしても……」と全員に配布された館内図の隅をぱちんと弾いたのは真野恭哉(
ja6378)
変な造りだ。正面玄関で繋がり左右対称に延びる建物は中身も同じような造りになっている。二件を強引に繋げて二世帯にしたような感じだ。
無人の洋館。確実に待ち受けている敵が潜む場所。全ての要素が辺りを陰鬱としたものに変えていく。そして、漂う緊張……
「急がないとちぃ姉が、臣兄にも、もしもがあったらちぃ姉にフォロー仕切れないよ!」
感よりも、慌ただしく賑やかなことになっている。
悲痛な声を上げ地団駄している智宏が……今、一人暴走し走り出したりしないで居るのは
「犠牲者なんか出させるもんか。俺たちが必ず守ってみせる。だからお前も一人で無茶するんじゃねぇぞ」
そういって肩を叩かれた如月敦志(
ja0941)手の力強さと
「―― ……」
無意識に側に寄っている初戦闘という恐怖と戦っているぴっこ(
ja0236)の為だ。
●
捜索は二手に分かれた。
館の廊下は片側に窓が並ぶが、一部遮光カーテンが掛かったままになっていて、陽の光が届く場所と届かない場所が出来ている。廃墟というほどではないが、人が住まなくなって長いのか老朽化は進んでいるようだ。
「人がおるようやった……ようには到底思えんけど。もしかしたら、館に何か取りにいったとか……?」
辺りの様子を伺いつつぽつりとこぼした亀山淳紅(
ja2261)は、それはない、か……とはらりと前に垂れてきた蜘蛛の糸を払って苦笑する。
「怖いくらい静か、ですねぇ」
大曽根香流(
ja0082)の声が廊下に響いて消える。斥候隊の後続への配慮だろう。殆どの扉は開け放たれていた。ぽっかりと開いた口のようであまり気持ちの良いものではないし、隣の棟へと進んだ同士たちの足音すら届くことはない。自然と、全員声のトーンは低くなりより注意深く辺りに気を配った。
「この先に二階へ続く階段ホールがあるよ」
殿を歩いていた恭哉の指した先は確かに拓けて見えた。
「あらぁ? 壁、ねぇ……」
本来なら階段がある場所は白く潰されていた。触れる、までもなくそれは幾重にも重ねられた糸だ。その様子に薄く笑みを浮かべた雀原麦子(
ja1553)はいち早く臨戦態勢に入る。それとほぼ同時に、ふっと紅い光が五つ闇から浮かび上がった。
「ちょ、生理的に無理っ! なんかわさわさしとるしっ」
ぬっそりと表した巨大な蜘蛛。堅く短い体毛まで目視出来る程の大きさだった。
「足の数、足りませんね……」
前衛に進み出ながら口にした香流の台詞に、全員一点を注視する。斥候隊による戦闘は行われなかった。ということは、誰かがやりあった痕跡。
「嫌っていっても時間なさそうやね」
ふっと紅い光が舞い上がり、淳紅も光纏状態に入った。
●
「臣兄!」
右棟を捜索していた面々は、大広間に隣した物置場で応戦中の臣を発見。
「……っ!」
目の前まで迫った敵の放つ一撃に無惨にも盾は砕け、次の攻撃での最後に息を飲んだ瞬間だった。
「こっちだ!」
敦志は声とともに光纏状態に入り、忍術書は開かれ後方からの魔術攻撃が放たれる。その爆音に紛れて
「柊さんは彼の救助を……」
雫(
ja1894)の、一歩踏み出しつつ掛けた声に智宏は、ずるりと壁に寄り掛かり座り込んでしまった臣に駆け寄った。
「何やってるんだよ!」
胸倉を掴む勢いで怒鳴った智宏に臣は「あれぇ?」と不思議そうに見上げて重たそうに瞬きをした。
「立てそうにないですね。直ぐに戦線離脱してください」
智宏に寄り添い膝を折った苧環志津乃(
ja7469)は、側の戦況をちらと見て臣の足元にも視線を落とす。
「足をやられたんですね?」
うっすらと出来た血溜まりを気にすることなく傷口に手を伸ばすと、淡い光が包んだ。
「……これで歩くくらいは出来ますか?」
頷き、ありがとうと志津乃に礼を告げ智宏に支えられて立ち上がった臣の背後から、ひょこりと小動物が出てきた。
「ちょ、臣兄……」
嫌な予感しかしない智宏は、ああ、とその小動物――恐らくアナグマ――を抱き上げた臣と、話は後というように軽く背を押した志津乃に促され離脱した。
柱の陰に背を預けた臣は、ふぅと大きく息を吐く。聞こえてくる戦闘音に背を向けるしか出来ない自分が情けない。
「もしかして、斥候隊と離れた理由がそれ?」
苦々しい気持ちしか湧いてこない。
「あー、うん。視界の隅に入ったのが子どもみたいに見えたんだ。ほら、小さい子って廃墟とかで遊ぶの好きでしょ?」
僕らがそうだったみたいに。と力なく微笑んだ臣に智宏の胸はちくりと痛む。
「直ぐに、合流するつもりだったんだけど」
野生動物を掴まえるのは難しい。やっと掴まえたと思ったら敵にも見つかったというわけかと、智宏は呆れたように溜息を吐いた。
「折角、こんな場所でも逃げ切っていたんだからこの子だって助からないと」
ふわりと腕の中で怯えきったアナグマを撫でて微笑んだ臣が持つのは、優しさと言うよりは甘さだ。この残酷なまでの優しさが千歳を傷付けている。そう思うと苛立ち、体に沿う腕の先は拳を握った。
「ねぇ臣兄。ちぃ姉見なかった! 会わなかった!」
問い掛ける台詞は既に疑問系ではない。あんな場所で交戦していたのだ、それを見逃してこの棟の二階に上がったとは考え難い。
「ちぃちゃんまで討伐隊に加わってくれたの?」
どこまでも察しの悪い臣に痺れを切らせた智宏は「ここに居て」と立ち上がる。
「ともちゃん、危ないよ!」
弾かれるように廊下を駆けだした智宏を慌てて呼び止めると声と―― ドガァァッ! と扉の破壊音が同時に響いた。
廊下側へと吹き飛んできたのは蜘蛛だ。裏返った胴の先にある足が痙攣した後は絶命したようだ。
「智宏は!」
あっちにと追い掛けなくちゃと臣が口にする前に口早に説明する。
「真野さんから連絡が入った。千歳はあっちに居るみたいだ。急ぎ合流するぞ」
一番に走り出した敦志を追い掛ける形で、雫と志津乃が後を追い、ぴっこもそれに続いた。
「行けますか?」
志津乃に気遣われた臣は「行きます」と頷いた。
●
―― ……ぴっ
恭哉が携帯の通話を切る。
「残りはこの二階、かな?」
快勝した左棟陣は光纏状態を解き、だらりと階段の周りに残った糸を払った。
「志津乃ちゃん竹ほうき持ってなかったかな? あれあったら良かったわよねぇ」
のんびりとそう口にして階段を上がって行く麦子に、ですねと香流が並んだ。登り切った先は、一階と同じように妙な静けさ……
「―― ……」
を打ち破る賑やかな足音に、全員が来た方を振り返った。
「ちぃ姉ぇぇ!」
暴走特急が来た。
「ちょちょちょ、待ちぃや!」
彼らの間を縫って駆け抜けて行こうとしそうな智宏を淳紅が慌てて羽交い締めにする。
「待てないよっ! ちぃ姉を助けないとっ! あんなのと交戦中だったら」
現状奥から戦闘音的なものはない、正直ここが賑やか過ぎる。
わなわなと叫び暴れる智宏の前で、ぼんっと炎が弾けた。
「落ち着いてください」
と追いついてきた雫の強硬手段と言葉に、智宏は我に返る。ずるりと、淳紅の腕の中から滑り抜けて「ちぃ姉」と弱々しく零した。
「え」
ふ……っと、俯いていた智宏の足元へ陰が落ちる。
顔を上げた瞬間、踊り場のシャンデリアのぶら下がった天井から、鈍く紅く光る目が姿を現しゆっくりと半分くらい体が出たところで、ぎろりっと撃退士達へ向けられた。
「臣、智宏つれて、千歳探せ! ここは俺たちが引き受ける」
戦闘は間逃れないと判断した敦志に、全員が賛同し早く行けとばかりに、二人を奥へと促す形で敵の前に立った。
「行くよ、ともちゃん」
「でも」
「今の僕らが戦力になると思うの? 僕らにはまだ役目がある」
ちぃちゃんを探そう。促されて智宏は立ち上がった。ここから続く部屋を虱潰しに当たるしか方法がない。この騒動の中出てこないということは、その理由があるはずだ。良い予感はしない。猶予もないはずだ。
どすんっ! と蜘蛛が天井から踊り場へと落ちてくる。その重厚な音にぴっこの肩がびくりと強ばった。
透過し現出した敵には、こちらが不利だと志津乃が阻霊符の効力を発揮させた結果だ。
自分の勝手が通らなくなった為か、それとも侵入者が気に入らないからか。敵は並んだ紅い瞳をぐるりと回し睨みつける。ホールの大きな窓から差し込んでくる陽光がそれに反射し、ぐっと肉厚な腹部を折り曲げ床へと下げた動きに沿って、てらりと体が光り体毛を薄気味悪く光らせた。先程対峙したものより一回りほどデカい。
刹那、辺りの空気が張り詰めた瞬間、戦闘は開始された。
大気を引き裂く勢いで噴射された細いものが幾重にも重ねられたような糸は、ばしりっと前衛に位置した床を弾く。
もう一撃と、蜘蛛が僅かに腹を膨らませたところで後衛から、恭哉の銃弾と敦志の魔法攻撃が走る。狭い場所に巨大な体だ。
「ギャアァァッ!」
それは狙い定めた通り瞳に直撃し、野太い叫喚が響き遮二無二逃げ出すように、だんっ! と壁に貼り付き斜めに駆け上がっていく。
ガウンッガンッボシュッ
「こっちこないでやーのーっ!」
連続して複数の魔法攻撃が弾ける。大きさの割に素早く移動するそれは掠っているものの致命的なものとなっていないようだ。
そして駆け抜けてきた蜘蛛は、ばっ! と後衛の元へ牙を剥き飛び込んできた。即座に展開された志津乃のシールドにより弾かれた敵はその勢いのまま再び壁を蹴り――
一直線に突っ込んできた!
ガシ……ッン……
ぐっと重心を下げ、美しき双剣をクロスさせ受け止めた香流は剣の解放とともに、シャン……ッと心地よく澄んだ鋼の音を響かせて弾き返す。
「……し、痺れた……よぉ」
衝撃に、ふるりと腕を振った香流に
「そのまま伏せてください」
声が響き、反射的に避けると凝縮したアウルにて飛び出した雫、同時に大太刀を凪払った麦子の姿が走った。
頭部と胴の間へと雫の一閃が走り、麦子の一撃が頭部へと命中した。
とっと、麦子が床に着地したところで
ガシャンッ
戦闘の衝撃に耐えかねたシャンデリアが、狙い澄ましたように敵の上に落ち、きらきらと弾けた。
ふ、と全員が息吐く暇もなく
「ちぃ姉っ!」
疾呼する智宏の声が響いた。
●
千歳が見つかったのは最奥の間だ。
「無理だろ」
巨大な蜘蛛の巣の中央で糸に絡め取られ捕縛されていた千歳の姿に、慌てて糸を焼き切ろうと魔法攻撃をしかけた臣の肩をぐっと掴み敦志は下がらせた。
そして、慎重に余力あるメンバーで焼き切っていく。
―― ……どさりっ
糸から解放された千歳は重力に逆らうことなく、地面へと引き寄せられる。それを受け止めた智宏は必死に名を呼ぶが、返事が返ってくる気配はない。
最悪の事態が一同を包もうとしたとき、そっと側に膝を折った志津乃が
「息はありますよ」
柔らかい光が千歳を包み体内に吸い込まれるように消えると、心許ない呼吸が安定したようだ。
白い天井白い壁白いカーテンに白いベッド。
規則正しい機械音とマスク越しに聞こえる呼吸音。それ以外はなんの音もしない。
「ちぃ姉」
ぎゅっと千歳の手を握って寝台に肘をつき肩を落とす後ろ姿を見て、扉はそっと閉められた。
病院の屋上と言えば、白いシーツはためく場所だ。ここも例外ではない。
「命に別状はないってことやし」
「直に目も覚めるし、二人とも撃退士としての復帰も問題ないということですし」
結果としては間違いなく良かったのだろう。
一応のお疲れ会とばかりに、小さな傷の手当てを終えたメンバーは杯を上げていた。
「ごめんね? 皆、ありがとう」
がしゃんと重たい鉄の扉が開いて入ってきたのは臣だ。
「もう良いのか?」
「うん。僕は大丈夫」
そう言いつつも足元が少し怪しい。勧められ石のベンチに腰を下ろした臣は、謝罪とお礼を重ねた。
「それは良いけど、今回は何とかなった。でも、俺たちの仕事ってのはいつ死んでもおかしくねぇだろ」
「そうだよっ!」
口火を切った敦志に続くように、勢い良く開いた扉から智宏が大股で入ってきた。
「あんな動物の為に皆に迷惑掛けて! ちぃ姉まであんな目にあって! 臣兄は何考えてんの!」
「……ごめん」
「謝って欲しいんじゃないよ! そうじゃないっ! どうしてもっと考えないの? 臣兄が居なくなったら、ちぃ姉はどうするんだよ。知ってるよねっ! 絶対知ってる。臣兄はちぃ姉の気持ちに気がつかないなんてないっ!」
目の前で喧嘩腰に叫び散らす智宏に臣は逡巡する。そして、僅かに瞑目して、きゅっと唇を噛みしめた後ゆっくりと頷いた。
「……ちぃちゃんは、妹なんだよ……」
心底申し訳なさそうに口にした臣の言葉に「分かってるよ」と俯き拳を握りしめた智宏は押し黙った。
「だったらさ、そう言えば良いじゃないか言えるときに。智宏も千歳に伝えたいことがあるなら言っといた方が良いし、千歳にもそう伝えろよ。で、臣はそれにちゃんと答えてやれよ」
な? と快活良く笑い二人の肩をぽんっと敦志が叩く。
「自分の思いを告げられるのは、生者のみに許された特権です。お願いですから、自分の思いに嘘をつく様な事はしないで下さい」
淡々としかし的確にそう告げた雫に、ぴっこが頷く。重なる別れの辛さは分かる。
智宏と臣は順番に全員の顔を見た後、お互い顔を見合わせて、ふっと頬を緩めた。
「確かに、生きて今一緒に居られる僕らは贅沢だ」
「あー、もう! 絶対見る目がない。ちぃ姉は臣兄には勿体ないよ」
わしわしっと頭を抱えてその場に勢い良くしゃがんだ智宏の言葉に、臣はくすくすと笑った。
「僕もそう思うよ」
「うわぁ! 何この余裕。凄いっムカつく。凄く、ムカつく、けど、本当、心配したんだよ」
「うん……ありがとう」
「……ちぃ姉、寝起き最悪だからさ……落ち着いたらちゃんと言うよ」
「僕もちゃんと向き合うよ。本当は、変わってしまうことが怖かったんだ。でも、もう怖がらないよ。形は変わっても変わらないものもある、よね……それに、ちぃちゃんの無鉄砲さには」
釘を刺さないとね。と言葉尻を揃えて二人は笑った。まあ、無鉄砲さはこの兄弟皆似た様なものだ。
「一件落着かしら?」
ぷしゅっとプルタブが上がる音がする。
包まれた笑い声に気を良くして、麦子はもう一本麦酒を傾けてにこり。どこから出してきたんですか? は突っ込んではいけない。その様子に志津乃も口元を押さえてお上品に微笑む。
「……着地点は、決まった、か……」
少し離れた転落防止柵に腕を預けていた恭哉は、仕事の後の一服は旨いとばかりに、ふーっと紫煙を上げた。