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今の時期に似つかわしくなく、生暖かい風が頬を撫でる。
纏わりつくような嫌な空気だというのに、地面からは夜気が這い上がり絡み付き、深々と身を刺してくるような気がする。
辺りは不気味なほどに深閑としている。
日は沈んだ。
満月の時を過ぎ、月が掛け始めた頃だ。決して明るいとは言い難いが、かろうじて残っている外灯と月明かり、そして、現場一帯は淡く明るく……視界は保たれている。
―― ……とっ
足場の確かな場所へと降りる。
「これは、下手するとトラウマになりそうな光景ですね」
柔らかな前髪をくしゃりとかき上げて溜息を吐いたのは楯清十郎(
ja2990)。
「……まるで水面を眺めているようです」
重ねたのは権現堂幸桜(
ja3264)だ。
依頼のあった現場付近に到着したメンバーは、まだ安全圏だと思われる建造物の天辺から見下ろしていた。
皆が投げた視線の先は、きらきらとさざ波に光が泳いでいるようだ。
それが実際は、月明かりに反射している蛇の鱗だと知っている面々は気持ちの良いものではない。
その中で一際太くそして長い一本の川のような流れに見えるのが、大蛇だろう。頭部を地面にすり付け、じわりじわりとうごめいているのが見て取れる。
捕らえるもの、食らうものを探し範囲を広げつつあるのだろう。早く食い止めなくては。
「実際に僕らが攻撃出来そうなのは、あそことあの辺りかな?」
「そうだね。同じ建物内ではない方が良いかな、」
現地入りの前に立てた計画により遠距離からの攻撃を得意とした土方勇(
ja3751)・桐原雅(
ja1822)は大蛇への攻撃の要となる。本来なら位置もバラバラの方が良いのだろうが、射程距離に確実に追い込んでしとめていくためには、多少無理な作戦でも決行すべきだ。
「心配するな! 俺たちに任せろ。狙いやすいように誘導して」
「奴らに狙撃の邪魔はさせない」
拳を握り熱く口にした雪ノ下正太郎(
ja0343)にそっと続けたのはクジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)だ。
「あれは蛇とはいえませんね……」
一足先にすっと眼鏡に手をかけ光纏した彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)に続く形で
「行こう」
猫耳にも見える髪が若干萎えていたのを、奮い立たせた花菱彪臥(
ja4610)の言葉に全員が神妙に頷いた。
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蛇の視野は約六十度。後ろには弱い。震動には敏感に反応するが、小さな蛇が絶えず蠢いている中では気取られるかどうかという点において逆にこちらが有利だ。
「皆さん! 行きますよ!」
足下にきた数匹の蛇を蹴散らした幸桜の声に合わせ、清十郎がともにスクロールで小さな波のように折り重なる蛇たちに魔法攻撃を打ち込む。
戦闘開始の合図だ。
破裂音に紛れて、彩・彪臥・正太郎・クジョウが切り込んでいった。
数多重なる蛇を蹴散らし、大蛇を少しでも雅たちのところへと近づける。絶え間ない攻撃・タイミングが大事だ。
「僕も行きます」
「気をつけて下さいね」
接近戦に持ち込んだ仲間の後ろ姿を見送ったあと、清十郎と幸桜は顔を見合わせて頷くと、幸桜は中央分離帯の上を蹴り外灯の上から、小天使の翼を使い地面を蹴った清十郎は、高く飛躍し先行した仲間の行く手を拓くように再び魔法攻撃を打ち込む。
某大佐なら、人がゴミのようだといったところだろうが、現状蛇がゴミのようだ。人海戦術というよりは烏合の衆。既に目的も持たずただ本能に任せ襲いかかってくる蛇たちは、障害物以外の何者でもない。おそらく市民の恐怖心を煽ることを目的として大量に作られたのだろう。個々の能力値の低さは明白だった。
「うをぉぉぉっ! 龍が蛇に負けてたまるかっ!!」
ハンドアクスを握る手に、ぐっと力を込めて正太郎は振るう。寄りつく暇もなくなぎ倒されていく蛇の死屍累々。今この場にいるメンバーは確実に暫らく長いもの鰻系の料理は拒否するだろう。駆け抜ける正太郎が切り開いた道は、直ぐに新たな蛇が埋め尽くしていく。無尽蔵に溢れてくる。予想できる数ではない。
そして、撃退士たちは膝を折るわけにはいかない。
「分身は、無意味……か……」
攪乱のために放った分身は熱も持たず動きもしない。蛇の動きを分散させるには至らない。静かに口角を引き上げた彩は「それなら……」とアウルを足下に集中させる。
「一気に道を切り開くのみ」
握った装飾部分を逆手に持ち替えて、強く握り打ち払うと同時に、どんっ! と蹴り出した。
「お! ねーちゃん、早いなー俺も大蛇目指して」
行っけー! と彪臥も駆け出す。しかしその瞬間、足を捕られまいと気を取られた隙に、蛇が跳ねた。ざっと足を引き重心を下げ、くるだろう衝撃に備えると、びゅっと空が切られた。ばんっと蛇が弾け肉片が散り落ちる。
「ありがと、にーちゃんっ」
「ああ、行こう」
ひゅっと打ち放った鞭を手元に納めて、隣りに並んだクジョウに、彪臥はにこりと笑みをこぼす。
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―― ……少し入り込んでいるみたいだね……
争いのあとの現場だ。その中心となったこの辺りは、崩れかけた建物も多かった。建物内の灯りは乏しい。割れた窓から差し込んでくる外灯の明かり、月明かりそれらで視界を保つしかない。
がっと足下に這い寄っていた蛇を蹴り捨て、頭を持ち上げた辺りになると想定される、三階、もしくは中二階部分を雅は目指した。
外から激しい戦闘の音が響いている。始まっている。急がなくては、到達の遅れが、仲間をより危険にさらしてしまう。
隣りのビルには勇が向かった。雅はまだ音の鳴っていない携帯を服の上からそっと押さえて確認する。まだだ。
がんがんがんっ
その体型からは想像つかない程のスピードで階段を駆け上がる。打ち上げるよりは打ち下ろす方が良い。どこか、それに適した場所。外から吹き込んでくる、風に血液特有の生々しい香りが混じっている。仲間のものでないことを祈る。
―― ……みんななら大丈夫、
信じる気持ちを力に変えて、上からぽとっぽとっと落ちてきた蛇を払い落とし、尚駆け上がっていく。
暗い陰が雅の頬の上に落ちた。
ふっと誘われるように顔を上げれば、窓の外で大蛇が鎌首をもたげたところだ。デカい。話に聞いては居たけれど、遠目でその姿は見えていたけれど、実際に目にすればその大きさは桁外れ。それにおもちゃの如く弄ばれた同士を思うと、ひやりと身体の芯が冷え憎しみが浮上してくる。
ここからなら、行ける。
そう確信して、雅は窓の傍の壁に背を預け、ヒヒイロノカネから現出させた、和弓でもって、残っていたガラスを……
―― ガシャーン!
バンッ!! 非常階段に続く扉を勇は盛大に蹴破った。
勢いよく踊り場に飛び出せば、吹き上げる風とともに大蛇が目視できた。狙撃地点確保。
「……蛇は好きじゃないんだよね」
しみじみと零し、ふっと取り出した和弓を構えた。まだ、遠い。ぴぴぴっポケットの中で携帯が音をたてる。この音は雅だ。それを受けて、勇は下で目の前のあれを誘導している仲間全員に向けて発信した。
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誰よりも早く到達した彩の姿に、大蛇は巨大な頭を左右に振る。
囲い込むようにいた小さな蛇たちは簡単に潰され押し広げられ、アスファルトが姿を現す。そして大蛇はぬっそりと鎌首をもたげた。
びりりっと戦慄が走るような感覚。恐れ戦く……そういったものとは別のもの。もっと好戦的な感覚に震える。撃退士としての資質的な部分でもあるのかもしれない。
攻撃に打って出るか刹那迷った。
大きな陰が身体に落ちる。振り下ろした大蛇の頭がアスファルトに激突する前に、一瞬速度が落ち隙が出来た。
それを見逃さない。彩はざっと後退し、咄嗟に取った受けの姿勢で、襲ってくる風圧をやり過ごす。ちらりと蛇の首に縄が絡まっているように見えた。
出来たクラックには容赦なく周りの蛇が飛ばされ吸い込まれている。奴らに連携的なものはなさそうだ。
「大丈夫ですか!」
と強く声を上げ彩の傍に正太郎が駆けつける。
「動きはまだ鈍そうだな」
再び鎌首をもたげる間に、距離を取りクジョウの言葉に彪臥は頷いたあと、その背後に目を見開く。小さな蛇が折り重なってせり上がってきていた。
反射的にアウルを展開しシールドを作る。衝撃に備えればそれは爆発音に変わった。
「大丈夫ですか?」
重なった声は外灯の上とさらに上空から。幸桜と清十郎だ。
姿を確認し礼を告げる暇もなく、左右に分かれた撃退士たちに興味を示した大蛇を先導すべく「行きます」と清十郎は建物側に移動、頷き「行ってくる」と掛けだした彪臥とともにタウントを使い蛇を誘導。大小ともに効果が合ったようだ。
「これは、全員で行かなくては……ですね」
とっと外灯から降りた幸桜は武器をハルバードに持ち替えて、クジョウに目配せし頷きあって駆けだした。
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雅と勇が待機しているだろう建物への余分な蛇の進入を防ぎつつ、全員が攻防を繰り返す。大蛇の動きにあわせてずるずると聞こえてくる音は小さな蛇がすりつぶされている音だ。
一人が足を捕られた。その隙に大蛇の頭が降ってくる! 風を切る音が、ごぅっと重い。直撃を受けたら唯ではすまないだろう。
くっと衝撃に息を詰めた瞬間、どしゅっ、どっ! と鈍い音がする。
矢だ。
ぶんっぶんっと痛みに足掻いた大蛇の動きを避け、絡みつく蛇をサバイバルナイフで切り落として後退する。
背にしていた建物をちらと仰ぎ見て
―― ……射程距離に入った!
全員が確信した。
一矢も無駄にしたくない。
思ったことは雅も勇も同じだったのか、放った矢はほぼ同時。手応えを感じた。予想していたよりも動きは鈍い。
ぶれないように片方の膝を着き、ぎりぎりとつがえた矢に、アウルを込める。折った足の上を蛇が這う。
ぎり……ぎり、ぎり……っ……。
ふわりと全体に纏う光が濃くなる。
人差し指に沿う矢に光が宿る。
申し合わせたようにもう一矢。
―― ……今だ!
階下へと気を取られた大蛇が、仲間たちへのもう一撃を加えようと上げた鎌首へと――一矢は螺旋状にアウルが巻き付いたかのように、もう一矢は白い光を纏い羽を散らすように――二矢が暗い空を見上げた仲間たちの頭上を飛ぶ。
的確に大きな的を射抜いた矢の激痛に、大蛇は遮二無二暴れ始める。ずんっずんっと大きな揺れに感じるほどの足掻き、狙いを定めることもなく、薙払われる尻尾。建造物へと尾が叩きつけられると、バババババッ! ガシャーンッ! と次々にガラスに亀裂が入り割れ落ちてくる。
小さな蛇を交わし、大蛇への攻撃を試みる。しかし、雅と勇の重ねてくれる攻撃に暴れ狂う大蛇への接近戦はあと一歩届かない。
あまりに長期戦になればこちらが不利だ。
一瞬で良い。その隙を全員が待ちかまえる。
その願いを聞き届けるように音もなく刹那蛇の身体が内側から光ったように見えた。実際はどうだか分からない。ただ分かることは、音もない悲鳴を上げるように夜空へと、大口を開けた大蛇がびくりっと大きく痙攣した。
誰が一番に発したのか分からない。
「今だ! 俺達も畳みかけましょうっ!!」
正太郎の声が一番に響いた。
「ディスチャージ! アークソニック、ぶち抜けぇ!!」
「これでっ! 終わりですっ!」
地面を蹴り出した正太郎、幸桜、彩、彪臥に並ぶようにクジョウの衝撃波が飛ぶ。
小天使の羽の効力ぎりぎりで、建造物の壁を蹴り清十郎は大蛇の目掛けて落下した。手にした大剣を持つ手に力を込める。
「ここですっ!」
槍が降るが如くの一斉攻撃。夜空を引き裂くように音のない声がつんざく。耳に痛いくらいの波動。
刹那。時が止まったかのように感じた。大蛇の鎌首はゆっくりと流線型を描き、地面へと引き寄せられる。
―― ……ず……ん……っ……
重く静かに地面が震動し、大蛇の身体に押し潰された空気が押し出され強い風となって、撃退士たちの身体を抜けて行った。
「……浄化完了……」
告げたクジョウの声が消えてしまうより前に、ふわりと辺りに微かな光が舞い上がる。湖面を思わせるほどだった蛇の群が、撃退士たちが切り込んできた小物の蛇たちが、一匹残らす姿を消してしまう。
最後に一際明るく光り、パリン……っと砕けるように大蛇の姿までもが風に浚われて行った。
その場にいた全員が”終わり”を確信した瞬間。
がらっ! 大蛇に何度も打ち付けられていた建物が崩壊した。
「土方さんっ!」
崩れた建物の衝撃により土煙が地を這うように流れてくるのを逆行し、幸桜が駆けつける。もう一度、勇の名を呼ばわれば、がこっと瓦礫から腕が伸びた。
「生きてるよー」
蛇にも噛まれちゃったよー。にこにこと緊張感なくそういった勇に、幸桜と最後の最後にどきりと肝を冷やしたメンバーは、ほっと胸を撫で下ろす。
「直ぐ、回復しますね」
自力で脱出できなくなっている勇の手を引いて幸桜はライトヒールを使った。ありがとうと人懐っこい笑顔を向ける勇に、幸桜もにこりと答える。
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「一瞬、動き止まりましたよね……」
「ええ、アウルの光りのようにも感じました」
清十郎の言葉に彩が頷く。確かに止まった。あの一瞬がなければ全員で踏み込むことは出来なかっただろう。
「同士だ。きっと、彼ですよ」
先に逝ってしまった撃退士。そんなことがあるはずはない。正太郎の言葉にそう思うのが普通だ。普通だけれど……
「最後の時まで、撃退士として誇りを持っていられたのですね」
重ねた清十郎の言葉に皆黙った。
「―― ……月杜真人(つきもりまひと)」
「え」
「月杜真人。彼の名だよ……」
姿が見えないと思っていた雅と彪臥が、ぽっかりと空いたままになっていた穴の方からこつこつと歩み寄ってきた。
そして、皆の前で手にしていたものを見せる。
身分証だ。
名も知らぬ同士の敵を討ち、最後の最後でやっとその名を知ることが出来た。誰ともなしに名を繰り返し、僅かな間瞑目する。それぞれに弔いの情意を込めて。
あの日やけに大きく見えた月は紅く染まった。
いっただろう? お前はもっと痛い目を見るよ……って……
ああ……もう、お前には見えないよな。
今夜の月は綺麗だ。細面で極上な美人だよ。