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日が陰るには早い時間。
しかし、踏み入れた林道は薄暗く、ひんやりとしている。舗装されていない道路の視界は確保出来そうだが左右に鬱蒼と茂る雑木林の方は、四メートル無いし三メートルちょっと辺りの様子が窺える程度のようだ。
「ペンライトでは心許ないな」
ぽそりと呟いたグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)に答える形で
「無いよりはマシ、だな」
と七種戒(
ja1267)は持っていたペンライトを灯す。ほわりとその周りが明るくなる。暗闇が特別怖いというわけではなくとも、光源が増すと、ほっとするのは人として当然だろう。
その時、かちりと側で音がしたかと思うと周囲の明るさが増した。
「えるいーでぃーってこんなに明るいんだね!」
驚いて振り返ったメンバーに、ミーミル・クロノア(
ja6338)はにこりと微笑んだ。頭には工事作業用の様なライトが付いていた。
実は、峰谷恵(
ja0699)は懐中電灯を凪澤小紅(
ja0699)はペンライトを購入してと思ったのに……田舎の店のなさは予想外だった。ちょっとコンビニ、のコンビニがないっ! 諦めざるを得なかった。
そして、いつ戦闘が始まっても良いように、予め組んでいたパートナーと曲がりくねった一本道を進んだ。高低差を感じない程度の緩い下り坂、ディアボロが潜んでいるというのもあるが、陰鬱とした雰囲気はそれ以前からの場が持つ空気だろう。
「ヒル、かぁ。何だかいかにもそれが好みそうなところだね」
がりっと地面を少し掻いて、グラルスがぽつり。地面もからりと乾いている風はなくどことなく湿っている感じがする。
「キラーヒル……おそらくは宇宙からの侵略者っ!」
「え?」
ぐっと拳を握り締めたのは下妻ユーカリ(
ja0593)。
キラーヒルというからには、寝ている人の口の中から進入し、対象の脳味噌を全部食い尽くし、乗っ取る系の寄生生物に違いないと思いこんでいたユーカリは、人一倍緊張感を孕んでいた。
―― ……ザァァァァ……
暫らく進むと、この季節に相応しくなく、生暖かい風が頬を撫でた。ぴりぴりと全身が総毛立つ感覚。
(―― ……来るっ!)
全員がその気配に、身構える。
●
ぼとっぼとぼとぼとっ
落ちてきたっ! どこから飛びかかられるかと構えていたにも関わらず。某RPGならキングになる勢いでヒルは積まれた。刹那何が起こったのかと、息を呑んだ瞬間。弾けるように個々、周囲の木々に張り付いた。直接襲いかかってこなかったところを見ると、境界線はここだ。
見上げれば薄暗さが奴らに味方している。四方八方に巡らされた枝葉の固まりが奴らの陰にも見え、見定めるのが困難だ。六人は無言で顔を見合わせ頷くと、当初の予定通りの組分けで、左右の森と道沿いに別れた。
―― ……小紅・戒ペア
木々の間隔は不規則。
足場も決して良いとはいえないが悪い条件ともいえない。時折木漏れ日に幹が煌めく。ヒルが通ったあとだろう。今も一つ、てらてらと気味悪く光る幹を発見した。
「戒、頼りにしているぞ」
とんっと戒に背を預け光纏状態に入った小紅に、こくりと頷いた戒は
「よろしゅーな小紅!」
と口角を軽く引き上げると同時に、銀色の幾つかの結晶が彼女を足下から螺旋状に包み込むとヒヒイロノカネから現出したピストルを片手にぐっと握り締めた。
「まずは一歩ずつ着実にな……目標は遠くとも。越えてやると、決めたんだぜ」
告げるやいなや不自然に撓んだ枝に向け
「まずは一匹」
ガウンッ! 一発の銃声が響き、撓んだ枝が元に戻ると同時に落下してきた巨大なヒルを小紅のツーハンデッドソードが真っ二つに切り裂く。その戦闘開始合図ともいえる銃声に暗闇の中から、白い糸が小紅に向かって吐き出された。
たんっ! 避けると同時に鋭い一線が走る。糸の噴射により場所の特定が明確に行えたのが良かった。
迸った一撃は命中。残骸は降ると同時消滅した。
「醜悪な。見るに堪えないな。次っ!」
がしんっと剣を構え直した小紅に戒は頷き
「目前の敵に集中してくれたらいいんだぜ小紅……死角は作らんよ」
と銃を構えた。
―― ……恵・ミーミルペア
ミーミルの持つ明かりを頼りに敵の居場所を特定するため、二人は注意深く辺りを窺った。
確かにこちら側にも数匹の陰が消えた。近くにいるはずだ。
奴らの領域にこちらが踏み込むのを待ちかまえているのか、今すぐにでも攻撃を仕掛けてくるかも知れない。そう思った矢先
「っ!」
何かの気配にミーミルは身軽に後ろに退き、何かが目の前を横切ったと思われる方向を反射的に確認した。
(……居ない……上?)
ミーミルが顔を上げると同時に、陰が降ってくる!
「クロノアさんっ!」
瞬時に光纏化した恵が開いたスクロールから無数の刃が迸る。全ての刃が消え失せる前に淡く紅色の光を纏ったミーミルは続けて打刀を現出させ、振り抜いた。手応えあり!
闇が霧散すると同時にお互い顔を見合わせてにこり。
「ありがとう。恵ちゃん」
「怪我無いかな? 次行こう!」
奥に進めば光源が心許ない感じになってくる。肌にまとわりつく湿気を含んだ空気。ディアボロが潜んでいるということがなければ、それもマイナスイオン大量摂取中。程度の話になるはずなのに今は煩わしいだけだ。
「トワイライト」
これ以上は、急な襲撃があっては視界の悪さは不利と判断した恵は、トワイライトを使った。光は目を焼くほどの強さはないが、暗いな。と感じていた視界を開くには十分だ。
「あたし、上あがってみる。恵ちゃんは下をお願い」
いうと同時にミーミルは手近な木の枝を掴んでひょいと身軽に上った後、壁走りを使って木の幹を蹴り上げ、とっ、とっと見上げるほど高い木に駆け上がる。
ある程度の高さまで来て見下ろせば、ぬっそりと黒い陰が動いた気がした。
たんっ! たんたんっ!
枝を足場に、勢いつけて駆け下りる。
「恵ちゃんっ! 後ろっ!」
ぬったりと動いていたかと思うと、木々の間の移動は早い。あっという間に注意深く辺りの様子を窺っていた恵の背後だ。
ミーミルの声に反射的に身体を反転した恵は、ぐっと引いた足を踏ん張りスクロールを開く、間に合わないっ?! 貼り付いたところと直接っ! 覚悟を決めた瞬間。
「やらせはしないんだよ!」
ザシュッ!
風呂敷のように広がり襲いかかってきたヒルは、鈍い音を立て地面に落ちた。出来た隙は見逃さないっ。
「エナジーアロー!」
光の刃が確実に巨大ヒルに突き刺さる。ヒルが絶命すると同時に、その側に、とっとミーミルが着地する。
「ありがとう」
「お互い様、だね」
ミーミルがアウルで捻出した裏手裏剣の命中により確実な術発動が出来た。
「もう一匹居たんだけど、あっちの方に逃げたんだよね」
いって自分たちが歩いてきた方へ視線を向けた。
「あっちって」
「グラルスくんとユーカリちゃんがいったところだよね」
―― ……グラルス・ユーカリペア
「……まずは、一匹、かな」
(思ったよりはスピードはなさそうだな。それより日が暮れそうだし、早くケリを付けないと……)
足下で消滅したヒルを見届けた後、グラルスはふと空を仰ぐ。張り巡らされた木々の枝に遮られて、アーチ型の屋根が出来ているようなものだ。
本来の空の明るさは拝めない。むしろ時間経過とともに弱くなってきている。手を額の高さに掲げて上を見ると
「ユーカリさん! そっちはどうかなー」
意気揚々と「私は上から」といって幻想的な黒百合とともに木の上へと駆け上がっていったユーカリへと声をかける。
「うわっ!」
「え、何?」
がささっと枝が揺れる音と同時にユーカリの鬼気迫った声が聞こえ、身構える。
「デカっ気持ち悪い」
宇宙からの侵略者はどーこだっとばかりに、目的の巨大ヒルを探していてユーカリは木の枝にデカいコブのようなものを発見。
ある程度距離を詰め、ヒヒイロノカネから現出させた苦無で先制攻撃。ずるずるっと僅かに下降した固まりはやはりキラーヒル。しかも一メートル近い。
ユーカリの攻撃に憤り、下に向いていた方の先が持ち上がり何かを捕捉するようにゆらゆらと揺れる。
(あっちが頭、になる、のかな? ということはあっちから糸がっ)
そう思った瞬間、シャーッと先から細い糸が束になったものが噴出される。たんっとユーカリが飛び退いたのと同時だ。
糸は直前までユーカリが足をかけていた枝に絡みつき本体から離れると、ふわりと風にそよいでいた。間をおかずに、ユーカリは苦無を叩き込む。
「グラルスくんっ落としたー!」
その声とともにグラルスの頭上から、巨大なキラーヒルが道の中央に落下。ずんっと地面が揺れるのではないかというほどの重量がある。
「良い場所に落ちた……場所が場所だし、と思ってたんだよね」
静かにぽつと告げ、グラルスはすっと手を掲げる。
キラーヒルがぐずぐずと身を捩り、頭部を持ち上げ跳ね上がろうとしたところへ
「弾けろ、柘榴の炎よ。ガーネット・フレアボム!」
繰り出された深紅の結晶は一縷もズレルことなく直撃。キラーヒルは、起こる小爆発の中心でキィィィっと断末魔とも呼べる音を発して絶命。
タッタッタッと足音が上から降ってくる。
顔を上げれば、巨木の幹を伝ってユーカリが駆け下りてくる。
「グラルスくん右斜め上に一匹っ」
言い放つと同時に投げられた苦無の軌跡を追い、目標を捕捉したグラルスも魔法攻撃を仕掛ける。爆発音と衝撃に木がしなり視界が戻ればキラーヒルの消滅を確認。
「あちこちで音がしてたから、そろそろかな?」
たんっと地面に戻ってきたユーカリの無事を確認して、グラルスが呟くとほぼ同じくして、がさりと茂みが揺れる。
きっ! と二人は警戒したもののそこから出てきたのは、恵とミーミルの二人だ。
「二人とも大丈夫かな?」
恵が臨戦態勢を解きにこりと二人に問いかけると、グラルスもユーカリも頷いた。
「こっちには二匹居たけど、一匹こっちに逃げるのが見えたんだよ。仕留めた?」
恐らく最後の一匹がそれだったのだろう。グラルスと顔を見合わせたあと「だいじょーぶ!」とユーカリは明るく答えた。
自分たちの居た区域からじわじわと道へ出る方へと注意深く、戒は頭上を、小紅は周囲を確認する。激しい戦闘の音が聞こえていたから終わりかも知れない、まだ残党がいるかも知れない。警戒を解くことなく慎重に進む。
「終わり、か……」
誰にいうでもなく漏らした小紅の台詞に、戒は同意しかけて、ペンライトの明かりに何かがてらっと鈍く反射した様な気がした。そして、黒い陰がもぞりと動いた瞬間
―― ……ガウンッ!
「この程度が狙えなくて、狙撃手が目指せるかね……っと!」
戒の銃が火を噴く。致命傷とまでいかなかったヒルは、ぺしゃりと隣りの木に飛び移り、素早くそれを繰り返して一息に距離を縮めてくる。その姿を、急ぎ追い狙いを定める。
「正面だっ!」
声と同時に、小紅はぐっと剣の柄を握り締めて下段から一気に振り上げる。
ザシュッ!
確実に仕留めた手応えだ。彼女の繰り出した剣戟の余波が失せると、辺りは元の静けさを取り戻した。
「今ユーカリから連絡が入った。既にみんな合流。報告にあった敵の数は今ので最後。殲滅完了だ」
ふっと口角を引き上げた戒に、小紅はしっかりと頷いた。
●
最後に周辺の安全を確認した後、戦闘終了と確信したメンバーはそれぞれに緊張を解き村へ向かい始めた。
「戦闘は肩が凝るんだぜー」
大きく延びをした戒に小紅も微かに表情を緩める。
「温泉はどこにあるのかな?」
「お肌すべすべだよねー」
わいわいとミーミルとユーカリの声に頷きつつも、恵は自身の腕を睨みつけながら眉を寄せる。
「ボク、ちょっと糸が掠ったのかもべたべたして気持ち悪ぃ」
心底嫌そうなその姿に頷きつつグラルスは穏やかに
「洗えばきっと直ぐ落ちるよ」
と慰めた。
―― ……ぽちゃん。
広々とした湯船に身体を浸けると思わず「極楽、極楽」と口にしそうになるのは日本人だけなのだろうか?
村の人たちに報告も終え、学園にも依頼完遂の報告をした。その頃にはもうとっぷりと日も暮れて予定通り村で一泊するしかないだろう。
村は過疎化が進み寂れていたし、今時、こんなところがあるなんて、と思うほど古い佇まいの家ばかりだ。しかし、唯一の温泉旅館は、村でも憩いの場なのだろう、丁寧に手入れが行き届き快適に過ごせる施設になっていた。
「ここは桃源郷か……?!」
「戒も早くおいでよー」
がらがらと露天風呂へと続く引き違い戸を開けたところで、思わず立ち尽くしてしまっていた戒に、いっちばーんっ! とばかりに乗り込んで、つぃーっと湯船の底に手を着いて泳いでいたユーカリが声を掛ける。戒はその声に、はっ! と我に返り、もちろんだ! というように、ぐっと拳を握り締めた。
「どう? 恵ちゃんべたべた取れた?」
すいっと隅っこにちっちゃくなって湯船に浸かっていた恵の側に、ミーミルは腰掛けて心配そうに問い掛ける。
「う、うん。大丈夫!」
「そっか良かった」
にこりと微笑んだミーミルに釣られて、恵もにこり。
「―― ……それにしても」
言いつつ一点を見つめてしまう。同性とはいえ仕方ない。
「あ、ごめんね、そのえーと」
「恵、おっぱい大きいよねっ!」
ユーカリの悪意の無い元気な声に、恵はふわわっと頬を染めてぶくぶくと鼻先までお湯に沈んでしまった。湯の色が乳白色だったことは恵にとって有り難い。
「こ、小紅さん、お背中お流しいたしましょうか……?」
静かに湯から上がり洗い場へと向かった小紅に、タオル片手の戒が問い掛ける。小紅は、ちらとだけ戒を見て、直ぐに正面に向き直ると
「ああ、頼む」
と表情変えることなく頷いた。
(もうコレで思い残すことはない気がしてきた……!)
小紅の矮小な背を泡で満たしながら感涙していた戒は、泡を立て過ぎた上に力を入れ過ぎて、思わずつるりっ!
「ひゃんっ?!」
予想していなかった衝撃に小紅は、瞬時に耳まで真っ赤になって慌てて身体を縮めてしまった。
「すすすっすまないっ! 小紅不可抗力でっ」
(ああ、小紅の胸に、胸に……神様ありがとう)
男湯。一人で使うには贅沢過ぎるくらいな岩造りの露天風呂。
そこにゆったりと浸かって、グラルスは、ふー……っと長い息を吐いた。
「向こうは楽しそうだなぁ。でも無理して一緒に、というわけにもいかないし、仕方ないか」
ざばりと両腕を岩の縁に乗せて、その上に顎を預けのんびりと満天の星空と静かな夜を照らす下弦の月を見上げる。田舎は余分な明かりが無いお陰で、星をとても明るく鮮明に見ることが出来る。境界になる柵にしなだれかかるように咲く紅梅も美しい。秀麗な景色に自然と心癒される。
そんな中、ふと柵の向こう側を思い
「景色……なんて見て、ないよね」
グラルスは、ふふっと一人静かに笑いを零した。