どこか遠くで鐘の音が鳴り響いた。遠く近く…広場に集まった人々を神の座へと誘うように――
普段であれば春風を纏ったような立ち姿の狭霧 文香(
jc0789)は、白い着物を身に纏い凛と涼やかな雪女に扮する。
こつんっ
人混みを抜けて文香の足下に当たったのは綺麗な模様が施してある手鞠。
拾い上げようと腰を折ると短い着物の丈から覗く裸足が視界に入った。不思議に思いつつ文香が顔を上げると座敷童子が一人。
「すま、ない…」
言って伸ばされた手の中に、文香は拾い上げた手鞠を乗せて微笑んだ。その笑顔に言葉少ななハル(
jb9524)も僅かに瞳を細めた。小柄な体格に中性的な顔立ち、全体的に白い姿に瞳の赤が差し色となり流麗であり儚げだ。
「よし♪」
蓮城 真緋呂(
jb6120)は、腰に携えた刀に手を添えて頷く。
どんな仮装にするか悩んだ結果。静鹿御前を選択した。角の生えた頭に立烏帽子を被る。静鹿御前といえば絶世の美貌を誇る鬼姫。水干姿に緋色の袴は、暗闇がベールのように掛かる場所でも鮮やかに映える。
「これで最後」
皆に渡す提灯数を確認していた叶は服を引かれ不意をつかれる。
「…コン…」
狐耳がひょこんっ顔を覆っていた狐の面がすっと上がると、得心し笑みが浮かぶ。
「小夜か」
「…はい、お久しぶりです、月見里さん…」
吃驚しました? とばかりに小さく首を傾ける夜科小夜(
ja7988)に笑顔で頷いて、抱え上げた鬼灯々籠を一つ手渡した。
「ほぃ、可愛いお狐さんにも提灯一つ」
「…ありが、とう、ございます…」
「月見里さん、俺も手伝いますよ」
新たに声を掛けられ、叶はびくりと肩を跳ね上げた。落としそうになった提灯を抱え直す。
「すみません。日下部司です。灯籠配りますよ」
目にも明らかに驚かれて微苦笑しつつ、狩衣に犬耳、犬の面を被っていた日下部 司(
jb5638)は面を上げ微笑んだ。
「先生どうですか? 私、ちゃんとお化けに見えますか?」
お化けと言えばコレと聞き知った白い装束で、
「うらめしや〜」
胸の前で手の甲を柳の葉の様に揺らした草薙タマモ(
jb4234)に引率で来ていた楓は微笑む。
「元気溢れるお化けさんですね」
そして、仕上げにこれは必需品かもしれませんよと袂から白い三角の天冠を取り出しタマモの額に結ぶ。
おお! と感嘆の声をあげたタマモはにこりと笑って元気良く
「それじゃ、はりきって出発!」
天高く拳を突き上げた。
まるでその声を合図にした様に畦道の両端に立てられた篝火に炎が灯る。
「ちょっとした百鬼夜行ですねぇ」
「…あー、だりぃ…で、何すんだよ」
先頭で鐘を慣らして歩く村人に続き、いつもと変わらない姿で列に加わったのは百目鬼 揺籠(
jb8361)。普段ならある程度意識して隠す紋様も仮装という体裁があれば気にする必要がなく気楽だ。その隣で、前に流れてくる髪をかき上げながらダルイを体現して歩くのは、恒河沙 那由汰(
jb6459)。ヤンキー風な風体に愛らしい狐耳にふんわり尻尾。可愛いは飲み込んでおこう。
●
行列はそれぞれの早さで続く。まだ何も不幸なんて知らない子どもたちがはしゃぎ駆け回る。
「へへぇ、かわいいな」
見ているだけで心がうきうきしてくるように感じながらタマモは足取り軽くついて歩く。手にした灯籠が作り出す陰がタマモの動きにあわせて長く短く…まるで踊っているようだ。
大丈夫と分かっていながらも、転んでしまわないかと気にかけていた司は、この不思議な行列に瞳を細める。
己の近しい人たちは皆健全であり、ここで出会うことはない。けれど、撃退士を勤める上で如何にしても救いきれなかった命がある。彼らのことは忘れることはない、ふとした瞬間に思い出さない日はない。
黄昏時の残り陽は、宵闇が強くなる。赤紫の空は群青色に染まり、どこかで子どもが一番星を見つけてはしゃぐ声が聞こえた。
「人…増えました、ね」
いつの間にか隣を歩いていた小夜の呟きに、司は歩みが遅くなる。
“増えた”人たちの中に、見覚えのある姿…表情は分からない、けれど、共に歩く姿は胸打つものがあり、例えこの雰囲気に飲まれた故の、幻想であったとしても良かったと思った。
(俺は、歩き続けます。守れなかった人たちの為にも、何より自分自身の為にも…)
道を照らす篝火がよりいっそう赤々と燃え始める中、真緋呂は懐かしい気配に気がつく。忘れるはずがない、身に染み着いている温もり、気配――
(お父さん、お母さん…?)
きょろきょろと逡巡する。分からない、けれど、分かる。
――ごめんね。
皆のこと忘れていた訳じゃないの
冥魔への憎しみを失くした訳じゃないの
でも…友達に囲まれて『一人じゃないよ』って言ってもらって、優しくされて、きっと私はどこかでこのままで居たいと思っていた。
復習なんて置いておいて、大好きな人たちと楽しく過ごしたいって…
無意識に握りしめる手に力が篭もり、腰に据えた刀の鍔が鳴る。
だけどもう揺るがない
私は鬼を斬る鬼になる
改めて強く誓った心に呼応するように、包む空気が変わる…
(…どうして、二人とも哀しそうなのかな…)
「――分からないよ」
ふ…と真緋呂は闇を仰ぎ瞑目した。
同じく瞼を落とし、はらりと涙するものも居た――
父にひと目会えたら、そう思った。そして「ごめんなさい」と「ありがとう」が伝えられたらと思った。
それが叶ったと達せたと、身に染み渡ると揺らぐ視界を我慢することが出来なかった。
文香は胸に抱いた灯火に瞳を細め、人間の母と恋に落ち天界を捨てた父を想う。
その父も、わたしが産まれて直ぐに、天魔の争いに巻き込まれて命を落とした。
残されたわたし達は、周囲の人々に受け入れられなくて…わたしは、自分が混血児であることに耐えられなくて…
父を憎みさえしていました。
だから、父がどんな想いで天界を捨てたかなど、考えもしなかった。
苦しみに引き結ばれた文香の唇が微かに緩む。
でも、今だからこそ分かる。この学園に入った今だからこそ。
過去や境遇や柵さえも越える、尊いモノがこの世にはあること
「お父さんは、それを知っていたのですね」
わたしはまだまだ甘くて、自分の事に手一杯で、その境地に達せていないけれど…でもいつか、胸を張ってご報告できるような、そんな自分になりたいと思っています。
涙を拭い決意を新たに前を見つめる文香の頬を撫でる慈しみの感触。それはきっと…
ぽん、ぽーん…
殿を歩き鞠をつく小さな手。長く続く行列は最初はもっと短かったような気がする。ハルは、ぼんやりとそれを眺めながら自身のことを思う。
全体的に白いハルはどこか世離れしていてお化けらしさを醸し出していた。
満たされていたり、哀しげであったり、皆の表情を見つめながらハルは小さく嘆息する。
「…ハルのおかあさん…」
何処かに居るのだろうか? 生きているのだろうか? どんな人、だったのかな?
ハルの記憶は暗く湿った土牢の中から始まった。そこには母の感覚はない。
寂しいという感覚すら鈍って憂うことはない。けれど、もし生きているのなら…。
「…好きに、なってくれた、かな?」
忌み子とされた過去…だからその事だけは不安に思った。胸の中が、すぅっと冷えていく気がする。
「ハルは…分からない」
零してしまった声をも掬い上げ包み込むような暖かさ…
「…ぇ」
それが何かも分からない。ただ、じんわりとした温もりが全身に沁みていく。もしかすると母の温もりとは、こういうモノかもしれない…ハルにそう思わせるには十分だった。
磁器の様に白く皇かな肌に、ほんのり朱が指す感覚が面映ゆかった。
●
とっぷりと陽が沈んだ頃。ひときわ高く燃え上がった篝火の先。不思議な陰影を浮かび上がらせる神社へと到達する。幾つもの炎に照らされた境内は光が無数に交差した。
拝殿に向かって静かに鎮魂の祈りを捧げた司。
「さぁ! お腹一杯食べるのです」
ぐっと拳を握った真緋呂に「俺も、食べよう」と笑って踵を帰して露店へと足を進めた。
「…月見里さんは、亡くなった方で、誰か会いたい方は、いらっしゃいますか……?」
会場の一角に腰を下ろして、いの一番に大好きな稲荷寿司に舌鼓を打ちつつ問いかけてきた小夜に、叶は首を振る。
「会っても顔も分からないよ。小夜は誰か居たのか?」
死者の帰る日。特別な想いを秘めた人が多い。そんな人達をぐるりと見回したあと小夜は、
「…小夜は、父様と、母様に、会いたい、です…」
折った膝頭を見つめ、ぽつりと呟いた瞳は憂う。
人ならざるモノをも見る。見えるはずなのに、見えないものがある。一度でも会えればと思わない日はない。
「こっちも美味いぞ?」
ぽすぽすと頭を叩かれ顔を上げると、にこりと笑った叶は小夜の膝に暖かな湯気を上げる器を乗せた。
「小夜なら、今じゃなくても会えるよ。だからきっと、まだその時じゃないんだろ?」
食え食えと箸を握らされ、小夜はかもしれないと瞳を細める。
「…美味しい、です」
「だろ?」
その時がある、そう思うだけで楽しみが増える。それはきっと幸せなことだ。
「…一ヶ月と少し前、兄様と一緒に、夜の学校に行きました…」
しんみりとした雰囲気を変えるように、近況報告を始めた小夜に叶は頷く。
「…その日は、好きな人に自分のネクタイをあげる日だったそうで…兄様のネクタイを、頂きました」
あれ?
叶の記憶が確かなら、そうするとその恋は月がなくならぬ限り続くとかなんとか…そんなジンクスで流行ったときがあったような?
「…小夜の学年ではまだつけられませんが、その時まで、いえ、それ以降も、大切にしたい、です…」
うっとり幸せそうに微笑む小夜に、まあ良いかと微笑む。それに何より
「兄貴がいて良かったな」
「…はい」
「おい揺籠、稲荷食い放題だぞ!」
嬉々として作り上げた稲荷山を、ひょいひょいと食い崩しながら、隣で甘味を肴に酒を煽っている揺籠に声をかける。
「で、狐サンは祭の稲荷全て食い尽くすつもりなんですかぃ?」
終わりなく稲荷寿司を平らげている那由汰に呆れ顔。
「お好きですよね」
「はぁ? 好きじゃねぇよ! じじぃボケたか?」
しみじみと口にした揺籠を否定しつつ、また一つとその手に稲荷が握られ、ぱくり☆満足そうに尻尾までふわふわりと揺れる。
「この後に及んで何言ってんですかぃ?」
くつくつと笑う揺籠に舌打ち、眉間の皺を刻んだまま皿に手を伸ばし空を掴む。
「仕方ねぇ、揺籠。稲荷取ってこい」
「何で俺が取ってこねェといけねえんですか」
「おめぇが稲荷を取ってくる。俺が食う。完璧な流れじゃねぇか」
ふんぞり返っていわれても…
「はいはい、じゃあ後で。酒の序でですよ」
空になったお銚子を振って、よいしょと腰を上げた揺籠を那由汰は早く行けと追い立てた。
「お嬢ちゃん、あっちの稲荷が美味しいよ」
「いやいや、こっちの芋炊きを食べなきゃね」
天使の微笑を携えたタマモに村人がやんやと集まって次々に露店を案内し、よそってくれる。タマモはそれらに舌鼓を打ち満足げに微笑んだ。
「んんー! 芋炊きも稲荷寿司も美味しいっ!」
もう一つ、と箸を伸ばしたところで、ふと気になる気配を感じて視線を泳がせた。
気配の主は
「ねぇ、おにーさん! おにーさんは、他の人とはちょっと雰囲気違いますね!」
他の人達のアウルとは、ちょっと違うー? と可愛らしく首を捻ったタマモに
「おやおや、可愛らしいお化けさんですね」
那由汰の命に仕方なく従っているという体をとってふらりとしていた揺籠は足を止める。
「なんていうんだろ、例えるなら、人間の言う『妖気』って感じかなぁ」
そう、ちょっと自分に似ている気がする。
「妖の気、それは言い得て妙です。正解ですよ」
「私、草薙タマモ! よろしくおねがいしますね」
言ってにこにこっと毒なく微笑むタマモからは、天界のことは知らなくとも、懐かしい感じを受けた揺籠はゆるりと口元を緩めて
「百目鬼と申します。どうぞ、よろしく……あ」
最後まで告げず目に留めたのは、タマモの手にした
「その稲荷ってぇ、何処で頂きました?」
タマモに教えて貰った屋台で稲荷を手に来た道を戻る。
「全く狐サンも人遣いが荒、ぃ…」
曖昧に浮かべた笑いを消すだけの衝撃。まさかと思いつつ視線は、見つけてしまった知る顔を追う。
彼女であるはずはない。揺籠は浮かんだ思考を打ち消すように頭を振る。
「ジィさん! てめぇ簡単な仕事す、ら…」
帰りの遅い揺籠を案じた那由汰は、人混みの中にその姿を見つけ大股で歩み寄る。そして、声を張ったにも関わらず揺籠は気づかない。
「おめぇ何してんだよ」
距離をゼロにしたところで声を掛ける。その声はいつもより低く冷たい。視線の先を睨み付け
「人は死んじまったらそれまでだ…。会いに来るなんて事はねぇよ」
普段死んだ魚のような瞳に一縷の哀が滲む。
「そんなもんに縋ったって意味ねぇよ…守れなかった惨めな自分を思い出すだけだ」
ぷいっと踵を帰し、ざりっと玉石を蹴る。
(…例え生きていたとしても、俺に会いになんてこねぇでしょうし)
揺籠は頷き並んでその場を離れた。
「それならそんなもの見ねぇで蓋をしちまえばいい、そもそもあいつがここに来るはずねぇんだ…あいつは別の事にいってるはずだ」
まるで自分に言い聞かせるように紡がれる台詞。俯いて前に流れて来た髪の隙間から伺いしれる表情は不機嫌であり悲しげだ。
「ちっ、柄にもねぇ! てめぇがしけた面してっから稲荷がしけっちまったじゃねぇか!」
空気を一掃するように声をあげ、揺籠の手の中から稲荷を一つ摘み上げるとそのまま口へと放り込む。
「稲荷は最初からしっとりしてるもんでしょうよ」
その全てに微苦笑し励ましも込めて揺籠は那由汰の頭を小突いた。
びゅっ!
「……!」
その背後で一枚の札が鋭く切り込む気配が二人の後ろ髪を揺らした。
同時に振り返るが足下にも周りにも、もうその気配はない。
「ジィさん、酔ってんじゃねーの」
「狐サンは、寝ぼけてるんでしょうねぇ」
お互いに茶化した。有り得ないのは分かっている、けれど、揺籠は背中の古傷が微かに熱を持った気がした――
ようやっと境内の明かりが届く場所。巨大な古木を背もたれに、ハルはちびりと利き酒。
「…甘い…な…」
美味しい、と、もう一口。初めて飲む酒は暖かく甘く優しい。ひらりと舞い落ちる赤い葉に目を細め。
「おや、甘酒ですか?」
喧噪から離れていたハルを見つけ楓が歩み寄る。綿菓子もどうぞと、差し出された白いふわふわ。
楓と綿飴を交互に見て、おずおずと受け取り会釈する。少しちぎって口に含めば、ふんわり甘く溶けていく。自然と緩む頬、不思議と胸の奥が暖かく感じた。
夜風に乗って真緋呂の奏でるフルートの澄んだ音色が木霊する。
終焉の鐘が鳴り響くまでのその間……優しく楽しい夢を見た。