●
――……キィ……
蝶番の軋む音、不思議な世界の扉が開く
「…お菓子ね」
花厳 雨(
jb1018)は、踏み入れた温室の中央。東屋に設けられたティーセット、ところ狭しと並べられたお菓子を見てきょろり。
「食べないなんて馬鹿らしい」
食欲は人間の本能なんだよ。付け加えられた台詞は思わず延ばした腕への可愛らしい言い訳。
【私をお食べ】
「美味そうなアップルクーヘンだな……」
いいながらも、飛鷹 蓮(
jb3429)が見つめているのは、小さなカード。お決まりすぎる。あまりにも、あの世界を彷彿とさせる。
眉間に僅かに皺を寄せ
「見なかったことにしよう」
と焼き菓子の一つに手を伸ばす。
「飛鷹先輩じゃないですか。良かった、誰も居なかったらと少し心配しましたよ」
「一条か」
蓮が口に菓子を運ぼうとしたところで、一条常盤(
ja8160)が声を掛ける。
「美味しそうですね。私も一緒にいただきます」
迷うこともなく菓子に手を着け、ほぼ二人同時にぱくり。
「さっくりとしていて、おいし…おや…叶先輩にそっくなフィギュアが、動い……て…?」
まぁ、なんということでしょう
自分がちっちゃくなっちゃっうとか、これ如何に?!
「って、どうして止めてくれなかったんですかセンパーイ!」
「う、ん。ちょ、いっちー、ごめ……耳から脳味噌ででで出るから、あんま揺すんな」
がくがくがく☆
常盤は一時停止していた思考が戻ると同時に、歩み寄った叶の胸ぐらをがっつり捕まえて、がんがん前後に揺すぶる。叶の頭はそれにあわせて激しく前後。
「貴方もどうかしら?」
「あ、これはどうも」
膝くらいの位置まであるクッキーをころころ転がして近づいてきたのは、一足先に小さくなっていた雨。反射的に受け取るが、明らかにデカい!
その賑やかな様子をティーカップにもたれ掛かり、組んだ腕の先を顎に添えて眺めていた蓮は、ふとカップを降り仰ぎ
(紅茶風呂は香りがよさそうだな……)
自分の状況も去ることながら、平皿に綺麗に並んでいるクッキー、バニラエッセンスの香りがほわりと上るプディング。
「彼女だったら全部平らげそうだな」
ぽつりと零し、愛しい白き姫を思い浮かべる。
(……満面の笑みで)
その様子が、ありありと目に浮かび、浮かんでしまった笑みを隠すように口元を手で覆った。
そして、ちらりと一カ所に視線を釘づける。
あれは、そっとしておいて良いのだろうか――と。
菓子皿の中、大の字に転がるチョコレート魔神。
否。極普通のどこにでも居る天使、マクセル・オールウェル(
jb2672)だ。
実は一番にここを訪れていたのは彼。
つやつやな茶褐色の肌を隠すこともなく、白い歯をきらりと覗かせて
「む、美味そうな菓子であるな、遠慮なくいただこう」
遠慮なくがっつりいただいた結果。天使だからかな? 倒れてしまったわけだけど……割と菓子の中に馴染んでいる。
「天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ、ボクを呼ぶ声がする! そう、ボク参上!」
どこかから輝かしい効果音でも聞こえてきそうな勢いで元気いっぱいご登場! イリス・レイバルド(
jb0442)
「…って何だこれーーッ!?」
ないすシャウト。
きっちり押さえて食していただき、グッジョブです。
●
ぽてぽてと聞こえそうな姿が横切った。
思わず膝を着き両手を机上へと貼り付けていた常盤も顔を上げ、その姿を追った。
足下から、頭のてっぺんへと視線を流せば……
パンダだ。
パンダ…小パンダ。
「なるほど、これは素晴らしい」
器用に腕を組んで深く首肯する。パ…違う、下妻笹緒(
ja0544)
「我々はこの菓子を口にしてこのサイズへと、変化を遂げた」
ポケットから取り出したのは、恐らく例の欠片。
「これが実用化されたならば、今あるエネルギー問題も、食料危機も、全て解決する。そう、時代はコンパクト化だ」
言い切ったつぶらな瞳は遠くを見ている。試しにその視線の先を追ったが、蝶がひらりと飛び去っていった。
「あえて懸念点を挙げるとすれば、一変したこの世界に自分自身が適応できるか否か――確かめねばなるまい、己の体験をもって」
そして、笹緒は姿を消す。止める暇もなくテーブルの下に降りた。
「食虫植物には気をつけてくださいねー」
後ろから掛かった常盤の声に、ひらりと手を振る姿は男前だ。
「あの札見えるだろ?」
叶が指さした先に見えるは小瓶。ひらりと【私をお飲み】の文字。
「あれを飲めば戻れるらしいんだ」
「ではまだ来ていない招待客になんとか」
叶の説明に首肯した蓮も瓶を振り仰ぐ。戻る方法も目の前に提示されているのなら……ほっとしたのも束の間。
「わぁ、美味しそうなお菓子ね」
ひらりと花びらのようなピンクのストールがなびく。
勝手に摘むのはお行儀悪い、かな? きょろきょろしているのは、群雀 志乃(
jb4646)
彼女に託そう。こくりと見合わせて頷く。
「一つだけなら…ちょっとだけ味見♪……ん? ふふっ、ちっちゃな動くお人形さん。可愛い」
にこり。
そうじゃないっ!
そうじゃないのに、ぱくり♪ あぁぁぁぁ……食べちゃうよね! お約束なんだから。
●
状況説明を志乃に行いながら、とりあえずこの人数がいれば小人でも大丈夫じゃないか、と小さな希望が生まれ。
その光と共に、瓶を振り仰ぐと急に曇った。
否、陰が落ちた。
「うわっ」
「ああっ」
ぐぉぉぉ……っ
襲いくる風圧にころころ転がり、全員もだもだ。
一瞬、地鳴りのように感じたが、目にした巨大生物の全容を確認すれば、すぐに分かる。
たしっと器用に、テーブルの上にのっかった、四本の足。真っ白な毛並みが美しい猫。そう、猫だ。ブルーの瞳が、興味深そうに眇められる。
「にゃう」
降下してきた頭部に、雨は目を白黒。じりっと僅かに後退し
「嫌いじゃない、でもそのサイズは、驚異的だわ」
黒々とした鼻先が触れそうになった瞬間、雨は跳躍――たんっと地面を蹴って飛び上がる。
「にゃっ!」
反射的に猫パンチ☆
「ひゃっ」
ほんのり冷たい肉級に弾かれて、ぽーんっと飛ばされた雨。身につけていた鈴音がりーんっと後を追う。落下地点はマシュマロの山。
「お、おー…」
目の前を、白、ピンク、黄色、水色いろんな色が過ぎ去っていく。
あまーぃ香りと、やわらかーぃ衝撃に包み込まれた。
「おい、大丈夫か?」
「ん、平気」
蓮の声に、マシュマロ山の隙間から、腕をずぽっと伸ばしてひらひら振った。
「ダメ! ダメダメダメーもってかないで!?」
猫がもう一度こちらへと興味を示す前に、叶は近くにあった瓶を蹴り倒した。
同時に、イリスの悲鳴のようなダメダメコールが掛かる。
「あの薬はボクたちが安心してこの状況を楽しむために必要なんだよーっ!」
「あ、わりぃ……」
わざとじゃないわざとじゃない、いえ、本当。
ぱくりとにゃんこがくわえてテーブルから飛び降りた瓶。それは紛れもなく。
「あぁー!【私をお飲み】がぁぁっ」
イリスの悲痛な叫びが
「折角一口分確保してから、小さい体をたのしー…ちっちゃくないよッ! 誰が小さいってんだバカヤロー」
うわーん! ちくしょーっ! と木霊する。
にやりと瓶をくわえた猫が挑発的にこちらを見て、尻尾をゆらりと揺らした。
「あれは盛大にモフる必要がありますね……(このサイズでは風紀の取り締まりができないという最大のがデメリット。薬を取り戻さなくては!)」
神妙に頷いたのは常盤だが、心の声の方がだだ漏れだ。
●
「な! なんと?! わ、我輩、いつの間にか巨人の国に来ていたのである!?」
マクセルご起床なぅ。
「むぅ、先程の温室に似ている気がするが、気のせいであろうな。む……! これは……」
ぱくり、背中にしていたやや固いが甘い匂いを出す菓子を口に運ぶ。
「菓子であるな。流石、巨人の国。このように巨大な焼き菓子を一口で食すほどの巨人が生活しているとすると」
これは冒険しつくす必要があるのである! ぐっと握りしめた拳が力強い。
「さぁ! 誰か着いてくる者はおらぬか?」
ぽつーん
「あの…」
「巨人の国だ、どのような危険が潜んでいるか分からぬであるからな。恐れもあろう、やはり我輩が先陣を切って!」
とぅ! …マクセルさん行ってしまいました。
説明もさせてもらえなかった叶は、がくりと頭を下げその隣を
「私も遊んで…いえ、猫を追いかけてくるね」
マイナスイオン浴びまくると人間素直になるよね。
非常食(お菓子)を包んで、巨大植物の森へと志乃も旅立っていった。
「雨さん。生きてます?」
蓮もモフモフ堪能の旅――本人は至って真面目に薬奪取を掲げていたが、あの瞳の輝きは狙っているに違いない――に出てしまい、今残っているのはマシュマロに埋もれた雨と、いきそびれた叶だ。
「ぷはー…美味しいわ…叶も食べる?」
もの凄い満足顔で飛び出す。
「ふふ…っみんな追いかけてくれたし、大丈夫、よね…」
だから、ね…? 雨の笑顔とともに差し出されたマシュマロの欠片を受け取り叶もぱくり。
「頂きます」
(まだ二人来てない気がするんだけど―)
「うに! お菓子美味しいんだよ!」
側のドーナツ森の中から出てきたのは、真野 縁(
ja3294)
ドーナツの森を超堪能。ご満悦。
「いっっぱい食べるんだよ」
●
「――遅くなってしまいましたね」
時間を確認し、温室までの道のりを急ぐ常盤楓の姿もあった。
「ふむ。やはりこのサイズで移動するには不便だ。この広大な温室を制覇するためには、何が必要か?」
小パンダ笹緒は思考した。
いつもであれば、乗り物が欲しいところだ。
分かっていても自転車にでも乗っていれば拍手したい気持ちになるのは仕方ない。だって(見た目)パンダなんだもん!
「現状で、乗れるものがあるわけもなく、そう、調達する以外に道はないのだ」
ぽってりしたふさふさの指先は明後日を指す。
「イリスちゃんいっきまーす!」
その先をひゅぉっと飛び去るのは、イリス。
小天使の翼を駆使し、鬱蒼と茂る常緑樹の間を抜けていく。
「んんー! 風が気持ち良いー♪…ぶっ☆」
前方不注意だったイリスを受け止めたのは、ムクゲ。薔薇のような大輪の花びらに受け止められ
「わわわっ」
落ちる落ちる落ちる、慌ててわしゃわしゃっ☆ピンクの愛らしい花びらかき抱くように掴んで
「落ちるー☆……とと、ボクって運が良いーっ!」
尻もちついた状態からぴょんと立ち上がったイリスのお尻の下にはありんこさんが目を回していた。
「大丈夫、イリスちゃん?」
「あれぇ、志乃ちゃんこそどろんこだよー?」
「んと、楽しくてつい遊んじゃったの」
見た目に反してアクティブだ。
そして、志乃の視線は一点に釘付け。
「な、何かなぁ?」
耐えかねたイリスに、志乃はほわりと微笑みイリスの腕の中を指さす。そこにあるのは大きな花びら。
「え、これ、欲しいの。良いよ、ボク偶然引っこ抜いちゃったから」
「本当! 嬉しい。引きちぎる訳にもいかないし、欲しいけどどうしようかなと思っていたの」
受け取りながら、イリスが落ちてきたムクゲを振り仰ぐ柔らかいピンクの花びらからは優しい香りがした。
「あ」
その視界を遮ったのは、猫。ぐわっと二人の上を跳躍して見事に着地。まるで誘うように優雅に歩いていく。くわえた瓶がきらりと光るのが憎らしい!
「んと、猫なら……」
志乃は当初の目的を思い出し、肩からかけていたストールを手にしたが
「追いかけよー!」
たんっと地面を蹴って、再び小天使の翼で飛翔したイリスの言葉でその後をぱたぱたと追いかける。
「蓮くーん! そっちいったよー」
葉から葉の間を渡り歩いていた蓮の眼下に白い巨大生物。
よし。頷いて、蓮は猫に向かってダイブ! するつもりが滑ったので、そのまま、ボスっとその背に落ちたが
(もふもふ……だな)
満更でもない。
「あぁ! 蓮くんボクもー!」
てーぃっ! と急降下してきたイリスもぽふり☆
「……もふもふぅー」
戦意喪失させるこれはなんだ!
思わず埋もれる、仕方ない。その先で堂々たる名乗り(名乗ってないが)をあげたのはマクセル。
「そこな巨大猫よ、待つが良いのであーる!」
我が筋肉で呼び寄せて見せよう! と得意満面でサイドリラックスのポーズから決めてくる。
流れるように右腕が下弦の月を描き正面へと戻って、フロント、顔の横で上腕二頭筋を見せつけ、そのまま腹の辺りまで下げて、ぐっ!
背中の横幅をも強調しつくし、めくるめく筋肉祭りが繰り広げられ
「猫よ、我が筋肉を見るが良いのである!」
ノリノリで次のポージングへと移……もきゃっ☆
「ね、猫よ! 我が輩は玩具ではないのである!」
マクセルは猫に容赦なく足蹴にされ、繰り返し踏まれるが、もきゅっ、もきゅもきゅ…ああ、ぷっくり、ひんやり心地良さそうだ。
「ハイヨー!」
そこへ颯爽と現れたのは笹緒。
バッタの背に跨り、器用に葉っぱの筋を手綱にしている。
ズザザーッ
長く折れ曲がった後ろ足が、小さな土煙を上げる。
「そこ行く猫よ。私の言うことを聞くのならこのビスケットをやろ……!」
最後までいわせてーっ!
ていやっと弾かれてしまい、笹緒は愛バッタにも逃げられてしまった。
実は、上空から葉を使った落下とか急降下アタック☆とかも考えていたのだが、チョイスを誤ったか。くぅっ!
●
「常盤ちゃんが、潰れてる」
ぱたぱたと追いついてきた志乃が、綺麗な切り口の猫じゃらしの下に常盤を発見。
「潰れているのではありません」
「新しい遊びなの?」
「違いますよ、群雀先輩」
むくり☆意外と元気です。
「飛鷹先輩! 何故そんなところに! うらやま……」
しい、と当然続く。
「もふもふ最高だよ!」
「ああ、貴方まで」
イリスが猫の上から元気に手を振る。当初の目的を覚えている人はいませんか?
「わ、私だって!」
常盤をスルーして歩き始めた猫を先回りして、よじよじと近場の植木をよじ登り、とぅっ!
「もふりゃーっ☆」
かけ声オカシイですが気にしない。
「にゃーもふもふです♪」
●
りーん
温室中に響きわたるウェルカムベル。
「おや?」
楓は小さく首を傾げ、ふむ、と一息。少し片そうと楓が手を伸ばすと
『楓先生駄目ですよーー!』
「?」
尋常ではない気配に手を止め、
「おや」
足下にすり寄ってきたのは例の白猫。膝を折って、小さな頭を撫でる。
温室内にちりじりになっていたメンバーは白猫に回収されていた。
「雨さん、起きてください」
「んー?」
満腹満足した雨はうとうと、叶の膝を拝借して一眠り。常にマイペースに楽しみ倒した。
順番にティースプーンから、薬を口にする。
「楓先生が無事で良かったですよー」
「ふふ、ありがとうございます。折角です、改めてお茶にしましょうか…」
「飲んだ人間が巨人化する薬があるとは!」
新しく注がれる紅茶の香り。
志乃は笑みを浮かべて、ひとひらの花弁をハンカチに包み思い出とともにお土産にした。