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頬を撫でる風は、まだ冷たい。
大きな月が、辺りを明るく照らし出し視界を保つ良夜。
七つの細く長い影が新たに加わる。
ざり……っ
乾いた土を踏む音が、やけに大きく響く。
鬱蒼とした森を抜け視界は一息に拓けた。ぽつぽつと古い民家が点在している。それ以外は荒れた田畑があるのみだ。
「……眠い……」
出てくる欠伸を隠すことなく、ぽつりとこぼしたのは炎とともに眠るもの(
jb4000――ホムラ ネム。
人が住まなくなると言うこと、その地が放置されるということ……それは土地自体に暗い陰を落とす。
不気味な静寂が辺りを支配していた。
目的の古民家は集落の外れにある。
「ここ?」
叶から渡されていた地図とその家屋を確認。木造平屋建て田舎の一軒家。雨戸は締め切られ、一部崩れているところが、僅かな風に煽られてカタカタと音を立てる。
一応、外から中の様子が伺えないかと、嵯峨野 楓(
ja8257)と犬乃 さんぽ(
ja1272)は足音を忍ばせ、ぐるりと一周。しかし、きっちりと締め切られた雨戸、中の様子を十分に伺えるような小窓もない。
打ち破られたような一カ所から室内を伺うと、月明かりに空気中の細かな塵が音もなく煌き舞落ちている。
「静かねー」
『居る』のだろうが、ここからでは確認がとれない。
さんぽは待機していたネムを振り返る。
小さく首肯したネムは、口内でぽつぽつと詠唱した。
「術式展開――管理番号零零壱号解放要請」
内側から沸きいでる感覚に、更に重ねる。
「――解放確認――C『L』顕現――」
ぼふ……小さな爆炎から生まれ出たものは、ネムが我が友と称する召喚獣ヒリュウだ。
隠密行動をしているわけではない。寧ろ見つけてくれ状態。
遠慮なく入り口の引き違い戸を開いて、さんぽとヒリュウは室内へと入っていく。
その姿を見送ったフローラ・シュトリエ(
jb1440)は、この後飛び出してくるだろう猛犬への奇襲攻撃に備え、立ち位置の確認をする。
すぐ側には乾ききった畑、及び荒れた田が広がり、地面はでこぼこと不安定、足場が良いとはいえない。しかし、生活の中心であった家屋への被害は最小限にとどめ、加えて万に一つでも懐中時計を破壊する可能性がある以上、屋内での戦闘は控えたい。
「万一があったら大変だから、家には被害が出ないようにしないとね」
それは全員一致の意見だった。
入り口付近のみでは十分な広さが確保しきれない、こちらに進み出ることも視野に入れておこう。
それに習うように、美森 仁也(
jb2552)も奇襲に備え、楓はタイミング良く阻霊符を発動させるため戸口の側で待機、その反対側でネムはヒリュウと視覚共有を行い同じく奇襲に備えた――
●
中は静かだ。
吹く風の音が耳に届く。
――……すっ
ルーノ(
jb2812)は、垂直に銃を構える。音により、敵にこちらの存在を気取らせ、外への誘導に一役買う為だ。銃口の先がちかりと赤を弾いた瞬間。
月夜を引き裂く一線
ガウンッ!
(……やはり、これはあまり好かない)
小さく息を吐く。
その音と火薬特有の硝煙の臭いが掻き消える前に、家屋の中から物音が響いた。
「……一頭……確認……」
「こっちは、二頭! 見つけた」
ヒリュウと視覚共有していたネムは、戸口でぽつりと告げてヒリュウへと誘導を促す指示を下す。
ヒリュウを引くと同時、襲いかかるように襖戸を無視して猛犬が躍り出てきた。
「これ以上この家で好き勝手させない、正義のニンジャのボクが相手だっ!」
高らかに上げられた名乗りと同時に、英雄燦然ニンジャ☆アイドル! 発動。この場が暗いから余計に光る。いつもの三倍輝いてます! だと良いな。
「行こう!」
引き付けに成功した手ごたえを得て、さんぽとヒリュウは踵を返し出口に向かって一直線。
ディアボロの鋭い爪が、畳をえぐり辺りにい草を撒き散らす。
鉄砲玉のように飛び出してきたさんぽとヒリュウの後を、三頭は一呼吸とあけず黒い弾丸の如く弾け出る。
「っ!!」
びくりっ!
思わず肩を跳ね上げた。
透過能力で飛び出してきた一頭は楓の側ぎりぎり、由美のようにしなった尾が、楓の髪を掠め泳がせる。
三頭全てが確実に外に出た瞬間
「みんな、今だよ!」
さんぽの発した一声。
楓は家屋へと阻霊符を発動させ、フローラ、ルーノ、仁也、ネムが一斉に十字を描く形で奇襲攻撃を仕掛ける!
撒き上がった爆風。
手応えもゼロではない、しかし、
「ガルルル…」
徐々に晴れてきた土埃の中から
ガシンッ!
躍り出てきた一頭の鋭い攻撃をフローラが受け止め、力を載せて弾き返すと黒犬はたたらを踏む。
そして、晴れた視界の咲に牙剥いているのは依然、三頭。月明かりを浴び、ぎとりとその体毛を浮かび上がらせる。
どの個体も膝を折る様子はない。
地面に、黒ずんだ血溜まり……素早くディアボロの状態を観察したルーノ。
「中央個体の傷が深い」
素早く判断し支援のため声を上げた。
震動する唸り声を上げ全身で呼吸をし、牙の隙間からはぼとぼとと涎が滴っている。
「グヲォンッ!!」
地面に響き渡るように大きく吼え、一頭が大きく跳躍!
続く形で地面を蹴った黒犬に楓はそれを許さず
「連携はさせないわ」
雷狼噛を詠唱。地面に浮かび上がった魔方陣から飛び出したアウルの固まりは、小金色の電気を纏った狼と形を変え、風を切り襲いかかる。
直撃! 短い雄叫びを上げた黒犬に畳みかけるように幻狐焔を叩き込んだ。
「ブルームーン……好きなだけ、爆していいよ……」
爆煙が晴れるまでの間に、ストレイシオンを召還していた防御効果を受け青く発光したネムは、止めとばかりにけしかける。
ブルームーンと名付けられたストレイシオンの晴青色の鱗が月明かりに煌めく。
「術式展開――管理番号零壱壱号解放要請――解放確認――C1st1発現――」
放たれるWW−C1st1ミッドナイトカウボーイ。迸る業火。
それを美しいと感じるまでに決着は付いた。
「ここまでは無理ですよ」
遮二無二飛び込んで来た一体。
闇の翼を発動した仁也が空中から放った矢が、その肉体を捕らえ地面へと叩きつける。
その隙を逃さずその場所へと縫いつけるのはルーノの審判の鎖。地中から浮かび上がってくる無数の鎖の輪廻が獰猛な犬を捕らえた。
「一気に行くわよ」
フローラの放つEissand。
辺りに舞い上がった水晶。その繊細な煌きとは対照的に容赦なく敵に致命傷を与えていく。
初撃にて深手を負っていた一頭は、家屋に思い入れがあるのか……自身の傷によって出来上がった血溜まりを弾いて逃亡を図った。
ダンッ!!
その勢いもあって、大きく阻霊符の壁に弾かれ、派手にバウンド地面に顎を滑らせる。
「幻光雷鳴レッド☆ライトニング!」
さんぽの声と同時に降り下ろした武器からの真紅の電光が黒犬へと直撃する。
「キャウンッ!」
犬らしい悲鳴が聞こえ、立ち上がろうとする四肢はガクガクと揺れ地面に引き寄せられようとしている。
「止めだよ! マジカル☆ニンジャサイズ、クロックアップ!」
闇を纏い大鎌と共に切り込んださんぽの一撃は、二連続目を試みる前に対象は沈黙した。
●
「全く、躾のなっていない犬だ」
敵全ての完全なる静止を確認し、ルーノは苦々しげに告げて、ぱんと袖口を叩き立ち居を正した。
続いては家屋、懐中時計の捜索。
ほわりっ
トワイライトにて照らし出された室内は、月明かりの中で見たよりも荒れていた。
畳はい草がぼさぼさと乱れ、隙間から草が生える。
土足を戸惑う必要がない雰囲気だ。
「月見里あっちねー」
「了解」
楓と同じように手に明かりを灯した叶は、二手に分かれた。
慎ましい生活をしていたのだろう。
余分なものが一切ない。
楓とさんぽ、フローラが入った部屋は書斎として使われていたようだ。
壁一面に本棚が設けてあり、大小様々な大きさの本が並んでいる。畳の上に落ちてしまっているものには、深い爪痕が刻まれているものも――
「写真とかもあれば良いよね」
一冊を拾い上げ、ぱんっと払うとぼわんっと埃が舞い上がる。
けほけほっ
「うん、あんまり動かさない方が良いね」
苦笑したさんぽに楓も頷く。
楓は、がたがたと開閉困難になっている文机の引き出しを開る。中には湿気を含んで波打ってしまった便せんに、封筒。筆記用具。
あって当たり前のものしかない。
「んー、それらしいものはなさそうね」
「あ、こっちこっち、これ、アルバムだよね」
短く唸ったフローラの声に重なるように、さんぽが明るい声を出す。
三人が額をつきあわせて、分厚い表紙をぱらりとめくる。
みしみしと紙同士が無理矢理引き離される音がして、緊張した。慎重にさんぽと楓、二人掛かりでページを持ち上げる。
「―― ……」
古ぼけた写真たちは、実際に経った年月よりも更に古く感じられた。
季節の移り変わり、何気ない日常。
刻まれているその全てが穏やかで、写真の中で微笑むどちらかの姿がそこにある形のない幸せを物語っている。
「二人揃ってるのがないね」
「二人暮らしだから?」
「でも一枚くらいないかしら」
丁寧に納められた写真は、途中から誰も写らなくなっていた。
風景ばかりが収まっている。それも位置が妙だ。
まるで誰かがそこにいるかのようなアングルに、切なくなった。
ページが残り少なくなったところで
「あ……」
整理されることなく挟まった写真がばらばらと落ちてきた。
そして、三人は互いに顔を見合わせ――頷く。
「これじゃないか?」
ルーノと叶が入った部屋は寝室になっていたようだ。
煤けたタンスと三面鏡の付いた化粧台、上げられることのない布団からは、獣の臭いがした。
床の間にあった、小さな引き出しの二つ付いた煙管箱。
奥さんの体調が思わしくなかったことから、使われていたとは思えない。
そのうちの一つから出てきた品物を持ち上げたルーノの手元に
「それ、それだよー」
隣の部屋から合流してきた楓が声を上げた。
こっちへと、ハンカチを広げて促した楓に、ルーノはそっとその上へと時計を寝かせる。
ずっしりと重い真鍮。布越しでもそのしっとりとした重さが手に馴染みひやりとした冷たさを伝える。
輝きを持っていた頃もあっただろうが、今はすっかりくすんでしまっている。
楓はそれを丁寧に拭い
「行こうか?」
そう続けた。
●
夜道は明るかった。
月の照らし出す道は細く長い。両脇に細く背の高い木々があるというのに道だけは浮かび上がるように標となる。
なんとなく、この静寂を破ることは憚られた。
すぅぅ……っと、風が流れてくる。
香りを運んできた気がした……しかし、桜はそれほど強い芳香を漂わせはしない……。
甘くもなく、苦くもない、大地の香りだ。風の薫り。
それに混じって
ひらり――
花びらが流れてくる。薄桃色の小さな花弁は、懐中時計を包んだその上に舞い降りる。
「――……つい、た」
視界は拓けた。
月光をまぶしいと感じるとは思わなかった。
突き出した崖の先にそれは佇む。思わず息をのむ光景。
「すご……ぃ」
「……きれぃ」
直前まで
(月光で夜桜見物とか浪漫だわー)
とワクテカしていた楓もそれを音として発することはなく、当然紡ぎ出されるはずの賛辞すら、口に出すことを戸惑わせるほど圧巻。
思わず止めてしまった足は、ふらりと前に出て、吸い込まれるように残った距離を縮める。
「どの辺りかしらね……」
ほんのり色香を含む所作で首を傾けたフローラに、ルーノがぽつりと答えた。
「あそこじゃないか」
いわれて視線を移せば、確かに他の場所と微かに土の色が違う。
丁度、桜の根本にもほど近い。
「シチュエーションからすると手で掘り返したいところだけれど」
所定の場所に膝を折り、そういった仁也は事前に用意していた折り畳み式のスコップを取り出した。
●
ザク……ザクッ……規則的に土を掘り返す音が、谷間に響く。
「どうして依頼出そうと思ったの?」
仁也の側で柔らかくなった土を掻いていた叶の頭上から楓が問いかける。
「……そりゃ、忘れられるからだろ。土地も家もそこで暮らしてた奴も、みんな忘れる。それは仕方ないけど、でも」
いいつつ手をひらひら、その上に楓は持っていた時計を乗せた。
「こいつらは忘れない――」
――ガッ!
「あ、何かありますよ」
「箱ねぇ」
「箱だね」
のぞき込んだフローラとさんぽの声に仁也は頷く。
やや思案した後、それを一度取り出した。地中の水が浸食し、元の木目はどのようなものだったのかも分からない、長方形の箱。
蓋部分の繊細な掘りは桜を描いているのが何となく伺える。
仁也は、みんなの顔を見上げて、頷くのを確認してから、そっと箱に手をかけた。
ぎっと壊れそうな音を立てて開いた箱は
「――オルゴールだ」
はじき出される音は所々ぎこちなく飛び、曲名すら分からない。
それなのに、胸が切なくなるような響きを持っていた。
「それ、入れてあげたらどうかしら?」
「あと、これもだよね」
フローラに促され、さんぽが丁寧に差し出した写真を一枚。叶は懐中時計と共に箱の中へと納める。
ギギッと音を立てて、蓋は閉じられ再び地中へと帰る――
今度は二人一緒に……――
「せめて想いだけでも届けられれば、ね」
「うん、これでもう、心残りはないよね…ずっと一緒。大好きな桜の元で、二人仲良くね」
見えなくなった地面にぽつり。
思わず感傷的になってしまった雰囲気を払拭するように、楓は努めて元気な声を上げた。
「さぁって、終わったら花見花見!」
それに併せてにこりと微笑むと、それぞれに応じるように微笑む。
「うん、夜の桜って、神秘的だよね」
(人生の終焉と決めた地を、天魔の襲撃で離れる、か)
立ち上がり膝に付いた土を払いつつ、仁也は自分が盛った土の中を想う。
(愛するものと離れるのは辛かっただろうな)
自分の今ある立場を思うと他人事には思えない。仁也は緩やかに瞳を細め、つ……っと視線を桜へと送った。
見上げた桜は満開。
天上を多い尽くす、淡いピンクは月明かりに淡く輝く。
その側では、愉快気に談笑する仲間、根元ではネムが座り込み、組んだ腕の中に頭を落とすように眠っている。
「花など見ても仕方がないと思っていたが……案外悪くはないな」
誰にいうでもなく、口にしたルーノ台詞にも頷ける。
(そろそろ、あの娘を連れて夜の花見も良いかもしれない――)
まだ残されている自分たちの大切な時間にも想いを馳せた。
胸に焼きついたオルゴールの音は語りかけるように、
『……ただいま』
『お帰りなさい。ねぇ、ねぇ見て下さい。桜が満開なのよ』
『ああ、やっと君と見上げることが出来た』
やっと――色が戻り、音が戻り、そして言の葉が生まれる……
それにあわせるように桜の花弁は
――…ひら、り…ひら…り……
まだ柔らかい土の上に、そっと舞落ちた――