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未だ春は遠く
その息吹は花咲くことを知らない――
放課後。教室の一つを締め切って小町は前と後ろの扉に『秘密会議中・入室禁止』の紙を貼り付けた。
かなり悪目立ちする。
「柏原様」
神妙な面持ちで、小町の正面へと座り膝つきあわせると言った距離間で切々と語るのはステラ シアフィールド(
jb3278)
「手紙を書こうとしたのですが、よくよく考えるとわたくし此方の文字を書けません。というより字を書いた記憶すらなかったです」
――え、それはどういうことでしょう?
小町はきょとんと目を丸くしたが、ステラは穏やかに続ける。
「しかし、分かる範囲で恋について調べて納得しました」
こくりと頷いたステラに不安しか浮かばないのだが――後日この会議の数日前から山のような本を前に、疑問符を大量発生させながらも、書籍と格闘していたステラの姿が確認されていたことが分かる。
「手紙とは、思いを見えぬ相手に伝える為の媒体と聞き及んでおります、ですので、素直に今の気持ちを乗せて文をしたためる事が……」
そこまで口にしてステラは遅疑逡巡した後、ゆっくりと続けた。
「誰かのものを参考にするのは良い事かと存じますが、手紙を書くのはご本人である柏原様ですので、惑わされることなく素直な気持ちで手紙をしたためることをお勧めいたします」
真摯に綴られる言葉に小町は、神妙に頷き顔を上げきる前に
「ですが、恋する乙女は応援してあげたいのです!」
言って笑みを浮かべ小町の隣りに座ったのは睦月 芽楼(
jb3773)
ぱんっと机上に広げたノートを破り取り、胸ポケットにインしていたボールペンを取り出す。
「あの、便箋ならそこに」
側にあった小花模様の綺麗な便箋を小町は指さした。
「あれは、忘れてしまった方用です。良かったら使ってくださいね」
そして、こつこつと紙の隅っこをボールペンの先で突く。
「では、私も一緒に書こうと思うのです。えと、その、ラブレターを」
言って見つからない程度に小さく深呼吸。
(私の思いも届くでしょうか……)
●うちの探偵さん宛
「寝不足で書くのが一番だよ!」
机には黒猫プリントの紙。手にはボールペン。にっこり、からっと言い切ったのは雨宮 祈羅(
ja7600)
「酔ってるときも結構いける、けど、小町ちゃんはまだ駄目か」
ペン先は書き出しを綴りながら、祈羅ははにかんだ笑顔を浮かべた。
「いや、正直いうと、単にうちがヘタレなところがあって、肝心なときに素直に書けないだけだけどね!」
「それは分かります!」
思わず力強く答えた小町に、祈羅も、だよね! と相づち。
「だから、絶対一気に書いて、読み返さない!」
「なるほど」
「読み返したら、恥ずかしくて捨てたくなるもん!」
「それは捨てたら駄目です!」
勢い余って机上の紙が皺を掴みそうになり、小町は慌てて取り上げる。
**
述べる思い、ねぇ…
えっとね、結構前にね、依頼やってたんよ、
大告白のイベントを。
あの時、まだ知り合って間もないし、面白がってやってたけどね
言ってたことは覚えてる。
「うちと出会うまでも、幸せでいてね。出会ったらもっと幸せにするから」って。
正直、ちゃんと幸せにしてるのかな? って不安だったりする。
だって、逆に心配かけることも多いし、迷惑もかけるしね…
でも!
不安だとしてもさ、もう後悔しても遅いよ。
やっぱり無理だ、やっぱり付き合うのやめようなんて言わせないよ! 絶対!
…っていうか、こういう弱音っぽいのうちに似合わないと思う!
血の気の多い君だけど、行きたいところに行けばいい、やりたいことやっちゃえ(笑顔)
帰ってくるの待つし、待ちきれなくなったら、一緒に戦うまでだし!
そのためにも、頑張って腕上げるよ!
……えっと、まぁ、あとね、
大好きだよ!
うん、好き。大好き。
彼氏になってくれてありがとう(笑顔)
これからもわがままいっぱいいうし、困らせることいっぱいすると思うけど、
これからもずっとよろしくね!
「よろしくお願いしますぅぅ……」
思わず感涙しそうな小町に祈羅は困ったように、赤くなる顔を隠すことなく微笑み
「小町ちゃんも頑張って」
と頭を撫でた。
そのとき、ふわりと甘く優しい香りが鼻腔を擽る。
●私からあなたへ
「何の香りですか?」
かりかりと万年筆が紙を弾く心地よい音に混じって、他とは違う香りが漂う。
ひょっこりと覗き込んだ小町に、氷雨 静(
ja4221)はゆるりと唇の両端を引き上げて笑みを作ると
「バニラムスクの香りですよ。薄く便箋にかけてあります」
香りというのは記憶に刻まれやすいと聞いたことがある。小町は、なるほど。といたく感心したように頷き、静かなる湖面のような美しい水色の便箋に、ブルーブラックのインクで綴られた文字を目で追った。
**
思えば
私の人生は罵倒と無視とそして叱責に彩られていました
そんな中で
私は心を凍らせ偽りの仮面を被り謝罪の言葉を吐き続けました
ごめんなさい
いつしか私の口癖のようになった言葉
最初の最初はお父さんとお母さんへ
それからは親戚のおじさんおばさんへ
果ては学園の級友達にまで
そして貴方にも
ごめんなさい
生まれてきてしまってごめんなさい
こんな私でごめんなさい
でも
涙も流さずに泣いている私を貴方がみつけてくれました
そして
ごめんなさいじゃなくてありがとうって言うんだよって教えてくれました
そうしてお手本のように
生まれてきてくれてありがとうって言ってくれました
そこから世界は姿を変えました
モノクロだった世界が色を取り戻し
雑音だらけだった世界が音楽を奏で
無味無臭の世界には沢山の美味しいものと芳しい香りが満ち溢れ
凍えそうだった世界には貴方の体温が
ありがとうと一つ唱えるたびに世界が変わっていきます
お父さんお母さん生んでくれてありがとう
親戚の皆さんお世話をしてくれてありがとう
学園の皆友達になってくれてありがとう
そして貴方に
恋人になってくれてありがとう
『本当の私』を受け入れてくれてありがとう
ありがとうを教えてくれてありがとう
だから
今度は私からあなたへ
愛しています
心から
「恋文……参考になるでしょうか?」
柔らかく微笑む静の輪郭が揺れる。小町は慌てて手の甲で目元をごしごしと拭うと
「ありがとうございます」
と泣き笑いのような顔を浮かべて何度も頷いた。
●俺の白き姫へ
「男性側からの視点も大切だよね」
軽く頬を叩き浮かびそうな涙をごっくん。小町は次に飛鷹 蓮(
jb3429)の元へと歩み寄る。
その気配に気が付いた蓮は、軽く視線を投げて小さく肩を竦める。
「俺自身もラブレターというものは初めて書くのだが…それでよければ、共に頑張ろう」
共にと言ったにも関わらず、じっと蓮の手元から視線を外さない小町に耐えかねる。
短く嘆息した蓮は
「…いや、頑張るのは柏原だぞ。俺のことはどうでもいい」
「そんなことない。非常に興味深いです」
小町の意気込みがどこに向かっているのかは分からないが、変わりそうにない。折れるのは蓮の方だ。
コンバータにはロイヤルブルーのインクが染み込ませてある万年筆。
広げられていた便箋は優しい手触りと風合いを持つファインペーパー。色は相手をイメージしたものか、はたまた自分か……薄いプリムローズだ。
**
何かが始まる予感というのは期待で鼓動が弾み、そして少しの恐怖を覚えるのだろうか
だから人はわざと、遠回りをしようと考える…のか?
…いや、どうなのだろうな
気づかぬふりをして、自らの想いだと言わないのなら…俺は言葉など無くていい
「――……」
刹那文字を綴って居た手は、その動きを止め、思案気に揺れる。
そして、再びペン先が文字を綴り始めると、それは歌うように雄弁に語り始めた。
…いつの頃からだろうか
俺の中には自分でも驚いてしまうほど、君を恋い慕う気持ちが秘められていた
君が俺を求めてくれるのなら、俺は君のためだけに在る
…今この瞬間も、それが全てだ
この言葉を伝えたら、君は……
いつも気丈で、そして、気取らず無欲で、時に敏感な君は……微笑んでくれるだろうか
泣いたりは…しないだろうか
君の涙は綺麗だから…きっと見惚れてしまう。だから、俺の前でだったらいくらでも泣いていいと、我儘を言わせてくれ
――俺は、君が好きだ。切に、愛しい
この鼓動の糸は君だけのために捧げる
ありふれた明日などいらない。君が傍にいてくれれば、それでいい――
書き終え机上に縫いつけられた視線。
蓮は恥ずかしげに目を伏せてしまった。それは暗に何も言うなと告げられているようで、小町は「ありがとうございました」とだけ告げて次なる意見を求める。
(想いを言葉に変換するというのは実に難で…本当は単純なのかもしれんがな)
蓮はその背を見つめ、エールに似た想いを込めた。
●妻へ
「よろしくお願いします」
にこりと告げられたのはアスハ・ロットハール(
ja8432)
結婚しておきながら、改めてというのは恥ずかしい話だが、微力ながら参考になれば……と前おいて、アスハはビデオレターを提案した。
「想いや言葉を文章にするのが苦手な身としては、記憶媒体も廉価になり、携帯等で簡単に動画が撮れるから、な」
「な、なるほど」
「飾らない自然体で、ありのままの自分を出すのも、一つの手、だろう」
「なるほど……手本プリーズです」
――想定内だ。
「これは、もし、自分ならば、だ」
「はい。お願いします」
アスハには、撮る覚悟は出来てはいるが、やはり僅かに照れた空気を隠せない。
しかし、小町の手本となるべく、小さく咳払いをし羞恥心を押し留めると真剣にカメラの前の椅子へと腰を下ろした。
●REC
「妻に向けて…になるの、かな。
こうして画面越しでキミに、というのも妙な気分、だが。
改めて、告白、か…何と言えばいい、か。
全く…これでは、あの時と何も変わってない、な。
……。
…好き、だ。ふむ、キミが、好きだ。
どこが、とか、何が、というのではなく、キミだから、好きになった。
気づけば、目で追っていたし、偶然出会えた時は嬉しく思ったり、していた。
一目惚れ、というのも、あながち間違いではない、と思う。
ワガママを言えば、キミに、僕の隣に、いて欲しい。
僕と共に歩んで欲しい…それが僕の、願い、だ。
…あれから7ヶ月経つ、か。早いもの、だな。
正直に言うと、僕の隣にキミがいてくれることが、今でも少し信じられない。
…本当に、感謝を。キミがいるから、今の僕が、いる。
改めて、ここで…
愛している、これまでも、これからも」
小さく送られる終了の合図に小町は停止ボタンを押す。
アスハと同じように緊張していたのか、二人して大きく深呼吸。
「あとは洒落た封筒に包んで、名前を添えて送ったり――」
「う、うぅ。ハードル、高そうです…」
友人同士での遊びで動画撮影する訳じゃないとなると、自分にそれほどの自信もないし、初めての告白に用いるには少々尻込みしていまいそうだ。
●君への歌
「何、してるの?」
机上に両手を載せて、何かを弾くように動く指先と亀山淳紅(
ja2261)を順番に見つめて小町は不思議そうに問いかけた。
「えーっとな、歌の恋文…って、ステキやと思わん?」
「……歌?」
「いや、え、ナルシちゃうよ!?」
思わず問い返した小町の反応に、引かれたのかと慌てて取り繕った淳紅は否定した後、短く唸ってくしゃりと髪をかきあげる。
「でも、こんなんでも喜んでくれるかなぁ…」
漏れて出た声は彼の心にある、ただ一人に向けられている。
そして、先に披露が終わってしまった祈羅や静は丁寧に便箋を折りたたみ封筒に仕舞い込む。
「折角やし、うちも渡そうかなぁ。静ちゃんは? 蓮ちゃんはどうするの?」
「私は――」
「え、俺……」
そして芽楼は、何かのインスピレーションを感じたのか、怒濤の勢いで何かを綴っている。
――ガラガラ
入室禁止の扉が開くと真由美が入ってきた。
「キーボード借りてきたよ」
「え、淳紅ちゃん歌うの、聞きたい聞きたい」
「はい、私も是非」
次々に賛同が上がり
「しゃーないなぁ……」
となるのは必然。
淳紅は、音を確認するように幾つかキーを弾いたあと、静かに呼吸を整える。
この歌いだしまでの程良い緊張感が逆に心地よい。
十本の指が奏でだすメロディー、それに載せられる歌声は静かであり軽やか――
**
※1A
「こんばんは」「はじめまして」
ありふれたフレーズでつながった糸
最初はたくさんある糸の中
光も揺れもしなかった
※1B
それがある日 少し色を変えた
君の想いがしまわれた時
揺らぐ二つの黒い宝石
糸が’りん’と強く音を立てた
※サビ1
金星(ヴィーナス)を北極星(ポラリス)も
霞むくらいにきらきらしてて
焼き尽くされた日も 深海(うみ)に沈む日も
届けばいいと息を吐き出すの――
※2A
「ありがとう」「こちらこそ」
よく聴くメロディーで始まった恋
今でもたくさんある糸の中
細い銀鎖が小指をつないだ
※2B
幸せですか 問いかけるのも?
弱い心を押しこめる日々
揺らいでくれるな 俺の瞼よ
幸せなのと 弱い音を唄う
※サビ2
彦星(アルタイル)も 隣の織姫(ベガ)も
歌うように空で光り放つ
幸せな日も 今を呪う日も
届くようにと声を上げるの――
※Cメロ
君が語る《久遠(とわ)の物語》は
僕には少し かなしすぎるけど
それでも一緒に ねぇ
「手をとって」
**
女性音域に近いカウンターテナーは耳から全身へと染み渡るようだ。
そして繰り返されるサビの間に、ぽつりと蓮から小さな声が掛けられる。
「……それで、柏原は書けそうなのか?」
ふとその声に小町が顔を上げると、ステラ、芽楼、祈羅、静にアスハ。歌っている淳紅からの視線が重なる。小町はそれを受け、はにかんだ笑みを浮かべると小さく首肯した。
「……〜手を伸ばしたそこに 君が いれば……」
キーボードが最後の音を納めると同時に、立ち上がり折り目正しく一礼した淳紅に併せて拍手が起こる。
「おおきにねー♪」
にこりと笑った淳紅は
「次は柏原さんの番やねー」
重ねられた言葉に、ふわりと頬を染めた小町は拳をきゅっと握りしめた。
「――ところで、睦月様はどのようなものをお書きになったのですか?」
芽楼の紙を覗き込んだステラは一拍おいて静かに頷く。
文字は読めなくても何か伝わるものがあったらしい。
同じ悪魔とはいえ、愛情表現はそれぞれの自由なものだ。
●
協力してくれたみんなを想い、
淳紅が響かせたメロディーを繰り返し、小町は筆をとる。
(好きの形も、その表現方法も誰ひとり同じなんてなかった。私が綴ったものは私だけの想いなんだよね?)
「――んーっと、親愛なる……じゃ、ちょっと重いかな」
春は確実に近づいていた――