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目の前に広がるは雪景色。
「また、園芸部さん面白そうなものを……」
その一角でぽつりと口にしたのは星杜焔(
ja5378)
「鯖の人です」
「ああ、あの……」
ぼそぼそと草加と柳原が頷く。自白作用のある花回収の一件忘れたくても忘れられない。
しかしながら、焔は聞こえない体を貫き、並べられていた瓶を一つ取り上げて「これですか?」とにこり。
にこり怖いとか、ちっとも思ってません。
「草加部長さん……この才能をもっと世界に役立つことに使えば、名のある賞を受けることも」
「それは面白いでしょうか? あまり魅力的だとは」
しみじみと口にした一条常盤(
ja8160)に、草加は首を振りつつ瓶を握らせる。中を見れば、ごちゃりと桃色と水色のハートの小粒が入っていた。
きゅぽっとコルク栓を抜けば、ふんわりとフルーツっぽい甘い香りが立ち昇る。
「ホンマこれ飲んだら変われるもんなんやろうか」
九条穂積(
ja0026)は、太陽に瓶を翳してマジマジと見つめた。
「実に興味深い薬だ」
「では、お嬢様。試してみましょうか?」
ふむとラムネの話に頷いたラズベリー・シャーウッド(
ja2022)に穂積はにこり。
「いや、僕は着替えが先かな」
「おぉ、そうでした」
どっか別室でもないやろかーと逡巡した穂積に、柳原が大きく手を振る。
「テレレレッテレーン♪お着替え用かまくらー!」
何故かだみ声を作る柳原はおいといて。単にかまくらの入口に布を掛けた物だ。
かまくらの中は意外と暖かい。用意していたニットワンピースとレンギスはぶかぶか。ラズベリーは、ぐいっと袖をたくし上げ、手にした水色のラムネを口内へ。
嚥下すると同時に、ぽぅっと全身が温かくなった様な気がする。
「お嬢様ー」
カーテンの向こうから穂積の声。自身の体の変化に刹那言葉を失っていたが、その声に直ぐにいつものラズベリーらしさを取り戻した。
「ふむ……目線の高さが違うと新鮮だな」
こくりと小さく頷いて、カーテンを開く。その先には、ぶかぶかの執事服を着た穂積がちょこんと立っている。
「君は……もしかしなくても穂積君、かい?」
「そうですよぉ、お嬢様。あぁ、こんなにもお美しくご立派になられて……私は感動に打ちひしがれております……!」
いつもは膝を折り、自分に視線を合わせてくれる彼女の青い瞳が、じぃっと見上げてくる。
(ふふ、何だか僕の方がお姉さんって不思議な感じ)
ラズベリーと入れ替わりに着物に着替えて出てきた穂積はまるで人形の様に整って美しい。
音もなくその前に膝を折ったラズベリーは、そっと手を伸ばして穂積の髪を撫で、緩やかな笑みを湛える。
「着物が良く似合ってる。まるでお人形さんみたいに可愛いね♪」
そして、滑り降りてきた腕はその矮小な背に回されてぎゅっと力が込められた。
「行こうか、折角の雪の風情も楽しまないと、ね」
するりと腕を解かれると、外気の冷たさが全身を撫で微かな寂しさを感じる。
「そうですね。お嬢様、お手をどうぞ……って、どうみてもあたしが手を取られるほうや!」
自ら突っ込み、ううっ情けない私をお許し下さいと続けた穂積に、ラズベリーは頬を緩め手を伸ばした。
穂積は目の前に差し出された手と、見上げた先にある親愛なる我が主の凛々しき姿に安堵と誇らしさが生まれる。
まだ誰の足跡も刻んでいない雪の上は、サクサクと軽く歩くだけでも愉快なものだ。
「穂積君と僕、こんな風に歳が逆だったり、同じ年頃同士で出会ってたら…今とは少し違った関係になってたかな?」
「っあ、すいません。お嬢様に見惚れてて……えぇともう一回えぇですか?」
ラズベリーの成長した姿を拝めただけで、感極まり
(心の中の新規フォルダ作って保存しとかな)
と思うほどだったので、つい聞き漏らしてしまった。慌てて問い返すが、ラズベリーは、ふ……と綺麗に両方の口角を引き上げて笑みを作ると「いや、何でもない」とゆっくり首を振る。
「ただ、とても良い夢だと……穂積君、今年も宜しくね?」
「もちろんです、お嬢様」
きゅっと繋いだ手に力を込められて、それに応えるための小さな手がもどかしいくらい穂積は力強くその手を握り返した。
●
「はい、藤花ちゃんどうぞー」
「ありがとうございます」
桃色のハートを二粒受け取ったのは雪成藤花(
ja0292)手のひらにある小さな粒を見つめて
(……あれから十二年になりますね、焔さん)
どこか感慨深げだ。
刹那二人見つめあって小さく頷くとぱくり。
揃って身の丈が縮み。
顔を見合わせれば、初めて出会ったあの日を思い出さずにはいられない。
嬉しいような、恥ずかしいような。微かに頬を染めてお互い笑みをこぼす。
きっとあのまま同じ時間を過ごし、大きくなっていたら、こんな感じだっただろう。
そのころの自分たちは、何をして遊んで居ただろうか。
そんな周りの様子を見、わくわくしながら常盤も水色ラムネをぱくり。
「おっきくなっちゃった!」
「禿は無さそう。あ、ちょっと後頭部の髪色見てくれる? 綺麗に色抜けて白髪になってるかな?」
「んー? 天気が良すぎて良く分からなぃ……」
側にいたのは、水色ラムネを食して壮年期に入った八辻鴉坤(
ja7362)と特に食してない叶だが、常盤の発言を意図的にスルーしたわけじゃない。決して。
(……雪の上は滑りやすく寒いですねぇ)
常盤は、そっと瞳を伏せて桃色ラムネをカリコリ。ごっくんすると同時に、視界がしゅるしゅると下がっていく。
「おぉ、これは……見た目は子ども! 頭脳は大人! その名は……Σにゃぁ!?」
「ええっ?!」
言い切る前に、突然、大量の雪が常盤の上に落ちてきて埋まってしまう。木とか建物とかないですけど、どこから?!
「い、一条さん?! もう、ぎりぎりの発言しようとするから……」
がそがそと、鴉坤に掘り出された常盤は、ふるふるっと頭に残った雪を仔犬の如く払いのける。
「おお、八辻先輩、素敵紳士ですね」
ぱちぱちと小さな手を叩き誉めるが、とりあえず立ち上がろうか?
「よい…しょ……」
小さな手のひらが大きな雪山を形成しようとしている。人が入るためには、自分たちより大きなものが必要だ。ラムネを食べる前に作っておけば良かったとか、そんなことは禁句。
視覚的にこちらの方が可愛い――いや、そうではなくて。
「なかなか、大変ですね。焔さん」
そう口にするものの、その表情から労は見て取れない。どこか楽しげであり喜ばしげだ。
「そうだね〜。あぁ、藤花ちゃんは無理しないでね」
一般スキルを駆使しても、それなりの時間が掛かりそうに見える。
「手伝おうか? しっかり作らないと危ないよ」
そう言って笑顔で助け船を出したのは、手の足りないところなどはないか気を配っていた鴉坤だ。その好意に二人はふわふわの笑顔で声を揃える。
「ありがとうございます。おじさん」
――おじ……うん、そうだよね。
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そして雪遊びでも始めようか思ったところで、常盤は発見してしまった。
「楓先生!」
ぼすっ☆勢い良く駆けだし勢い良く倒れる。
「一条さん、ですかね?」
常盤の前に膝を折り、楓は目の前ですっ転んだ小さな体を起こして丁寧に雪を払う。
「先生、どうぞ」
にこにこと屈託なく渡される桃色ラムネ四粒。楓は「ありがとうございます」とにっこり受け取って、空いた方の手で雪を掬いぎゅっぎゅっと雪玉を作る。
ラムネは食すためにあるのですが?
そのまま大きく降り被って、もちろん――投げた!
雪玉の軌跡先にいたのは、おじさんは何か複雑だったと一度元に戻った鴉坤と、じゃあ次は桃色をと喋っていた叶。一般人の投擲とは思えない程のスピードで雪塊が飛んでくるから……
「っ!」
反射的に叶は避けたのだが
「がふっ☆」
そのせいで鴉坤は直撃を食らってしまったようだ。音もなく眼鏡が雪の上に落ち、はらはらと余った雪も落ちた。話し掛けようとしたタイミングも相まって
「けほっ何か口に入っ…」
何を食べたかは明らかだ。するすると視界は下降。視線の先にあった自らの手のひらも縮んでしまう。
「―― ……」
辺りが水を打ったように静かになった。
誰も動けない中、小さな鴉坤少年だけがそっと眼鏡を拾い上げ掛け直す。
「……月見里さん」
「俺?!」
ご指名を受けた叶は、目にも明らかに肩を跳ね上げる。
「今のは誰かが投げた雪玉で」
かなり身長さも出来て見下ろしている筈なのに、鴉坤に見下ろされている気がするのは何故だろう。
天使の容貌であるが故に余計に空恐ろしい。
「そんなことは良いんだ。気づいた時にはこの180の高さだったから、この目線は懐かしいなぁと思うし……それで、どうして避けたの?」
「っえ、あー、えーっと」
つい、では許されそうにない。じりっと足を引き、回れ右! 逃げろ!
「ごめんなさ……へぶっ!」
雪原に綺麗な人型が出来た。
「どうして逃げるの? 怒ってないよ」
話があるだけで――にっこり。
怒ってないとか審判の鎖まで発動して置いて、少年よ、どの口が言うのか。
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「一条さん」
その一部始終から目を離せなかった常盤に、楓はぽつと名を呼ぶ。それに常盤が返事をするより早く
「避難しましょう」
諸悪の根元は平然と言い放つ。
そして、楓が膝をあげるのと同時に、常盤の視界もぐんと上昇した。
「えぇっ!」
常盤は突然のことに体中の熱が顔に集中し、ぼふっと音がしそうなほど真っ赤になるが、楓はそんなことに気がつきもしないで、小さな常盤を抱き抱え
「落としはしませんが、念の為しっかり捕まっておいて下さいね」
と柔和な笑みを浮かべた。
踏み出した足は雪の上なのに早い。急な揺れに、わわっと楓の首にしがみついた常盤に、楓はくすくすと愉快そうな笑いを零した。
避難先はかまくら。
「お邪魔しますね」
「おー、先生と常盤やったかな?」
雪景色を堪能した後、のんびり炬燵で暖をとりつつ――どうやって、かまくらの中に運び込んだのかは問うてはいけない。最初からあった――持ち込んだ七輪で、こんがりきつね色に焼き上がった餅が良い香りを燻らせて居た。
「まぁ座りぃ、なんか飲むもんでも入れようか? 餅でも食べへんか? 切り芋もあるんやけど」
言いながら少女の姿のままの穂積は、晴れやかな着物の袖を、そっと押さえて新たに用意した湯呑みに茶を注いでいく。ふうわりと上がった湯気に、茶の香りが混じり、ほっと胸を撫で下ろした。
「餅は磯辺焼き風にして砂糖醤油で食べるのが僕的には好きなのだけど、二人はどうかな?」
「私はそのお勧めが良いです」
にこりと即答した常盤に、穂積が「任しときー」と腕を振るう。小さいながらもいつも通り懸命に尽くしてくれる穂積の姿にラズベリーの心は喜に満ちる。そして、改めて
「外で何かあったのかい? 先程悲鳴が聞こえたが」
真摯な瞳で問いかけてきたラズベリーに、常盤は小さな手で湯呑みを包んで、ふーふーっと息を吐きかけつつ
「大丈夫です。八辻先輩が、月見里先輩にやたらとドSなのは仕様ですから……」
なるほど、仕様ならしようがない。
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良い香りが立ち上ってくるかまくらはもう一つ。
「藤花ちゃん、こっち焼けたよ〜」
上手に出来上がったかまくらの中で焔と藤花は七輪を挟む。
「ええと、きな粉と餡子どちらが良いですか?」
受け取った餅のトッピングを確認。普段なら焔が一人で仕上げまで整えて手渡してくれるのが常だが、たまにはこう言うのも良いと思う。
夫婦共同作業的な?
小さな手でたどたどしくきな粉を絡めている藤花を眺めながら、焔は内側から満たされる気分を満喫する。
(あの時も再び出会えていたら、俺の毎日はどんな風になっていただろう? まだ小さな彼女には、やっぱり怯えられていただろうか。それとも…今のように、すべてを受け入れてくれて――幸せを分けてもらえた、だろうか?)
「焔さん?」
「あ、ごめん」
どうぞ。と差し出してくれている藤花に気がつかなかった。不思議そうにまん丸の愛らしい瞳を瞬かせる藤花に焔は笑みを深める。
「……最初はやっぱり妹みたい、だったんだなぁって」
「そう…ですか?」
「うん。それで、妹が欲しくなって強請ったら、父さんに『今は良いキャベツ畑がないから駄目だ』って言われたのを思い出したんだ」
言ってくつくつと笑い声を漏らす。
ようやっと昔のことをとても穏やかに口に出来る焔を見つめて、藤花も満たされることが出来た。
「お餅、美味しいですよ」
「うん。そうだね」
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「出遅れてしまいましたね」
急用にて他メンバー同じ時間帯に集まることが出来なかった或瀬院由真(
ja1687)はぱたぱたと足早に中庭へ急いだ。吐く息は白く頬に当たる風は冷たい。
「或瀬院さん」
「はい」
由真を呼び止めたのは草加だ。丁度良いところで会いましたとにこにこ。
手にしていた七色(この時点で既に怪しい)の液体が入ったコップを手渡す。
「試飲をお願いします」
「ラムネ、ではなかったのですか?」
「はい。それを粉末にして葡萄ジュースに溶かしてみました」
寒いですし、みなさんかまくら付近で遊んでいるからとそちらでと案内され輪に加わる。
かまくらの側では常盤が雪だるま作成に精を出す微笑ましい姿。
自分も幼い頃に戻るのも楽しいかもしれない。そんなことが脳裏をよぎった。
「遅くなりました」
寛いでいたラズベリーと穂積、鴉坤に由真は軽く挨拶をし、どうぞと席を空け退席した楓が居た場所へと腰を下ろす。
そして、正面にいた穂積ににこりと微笑んだ。
「お人形さんみたいに可愛らしいですね」
「まぁ、座敷童みたいって言われたことはあったなぁ」
かまくら内が団欒の時を過ごしている間にも、外では、ずぽっと雪だるまの下段に木の枝を刺し、手にはめていた手袋を添えて常盤は満足げに頷く。
(最後の仕上げは……)
手にしたペンライトを目の位置に突っ込んで
「眼力ビーム!」
かち!
「ちょっやめろ。こっち向けんな! 眩し!」
「何してるんですか? 叶ちゃん」
愛らしく首をかくんっと傾げる。その視線の先では苦々しい表情をするものの子どもの姿で、何より雪だるまにされていたのでは……迫力零。
「……」
かちっ
「だから点けんな!」
●
「あ、或瀬院さんっ!」
かまくらからも悲鳴染みた声が響いてくる。
草加に持たされた飲料を試飲した由真は白く美しい肌が七色に。
「なるほど、同じ量を溶かし込めば中和されて変化なしとみたのですが……」
アーチ型の出入り口で、草加が神妙に頷くが愉快そうなのが隠せてない。
そんな騒ぎを総無視して、
「指輪の交換をどうぞ……」
おとーさーん! と楓を巻き込んでの焔と藤花の結婚式ごっこが執り行われていた。
幼い二人の小さな手にはガラスの指輪がきらりと煌めく。
――あの頃と、これからの入り混じった夢の時間。
目覚めの後もきっとどこかに残るはず……それは貴方だけに刻まれた時間だから