●星合い祭り
二人の逢瀬に月が遠慮をしたのか、月明かりが控えめな夜空には星の川が流れる。
「七夕はお盆行事の一環です。昔は宮中行事として天皇が、織女と牽牛が会えることを願ったり、織女にあやかり技芸上達を祈願する神事でした」
ゆるゆると語られる七夕の歴史。
「それが、一般に広まるにつれ神事との関係が薄れ、様々なことを願う現在のスタイルになったそうです」
そこまでの説明を終えた一条常盤(
ja8160)を受け
「その織姫と彦星に当たる……あの上の方で一際明るく輝いている星が織姫」
東の空を指さしていた腕を、つっと下げ続ける。
「で、そこから右下にある明るい星が彦星。ちょうど間に天の川なんだよねー。一年に一回会える、っていっても七夕に星が近づく訳じゃないのが切ない」
そう話しながら立ち上がった市川聡美(
ja0304)は「なので」と紡いで、皆を誘い込む。
持ち込んでいたタライには水。
水鏡に映った星空は、時折風に揺れて、さわりと揺らぐ。
―― ……ぽちゃんっ
「一緒にしちゃいましょう」
水面に手を突っ込んだ聡美は、ぐるりと一周円を描いた。
夜の星空では、決して交わることのない星が今一つに解け合う…… ――
●準備はOK? それぞれの前日
どさりと、明日のために準備した素麺と薬味になるだろう品を一揃い、テーブルに並べる。人数的にこれで足りるだろうか? 抜けはないだろうか?
ちらと目に入った折り紙の数も気になるが、こちらは自分だけが用意するものではないだろうから、恐らくは事足りるはずだ。
慎重に一品一品確認し頷く。
「すみませーん。これ下さい」
食後のデザート調達に余念のない者たちもいる。
(とりあえず、こんなものか?)
明日に控えたイベントを前に、夏の星と物語の背景を予習して、用意したものが爆竹と赤色の飾り……在英時代の中国人の方の影響とはいえ、予習したのにそれで大丈夫か? という男も一人。まあ、良いかと自己完結して、アルコール類がプラスされた。
きゅっきゅっ、きゅっ
手の中にある物体の球体部分に点と線を描き加える。晴れを願うならばこれだろう。桐原雅(
ja1822)は満足げに瞳を細めた。
「晴れると良いのだけど」
ぽつと零し窓の桟にぶら下げたてるてる坊主越しに、夜空を仰ぐ。今夜は生憎星が見えない。
そのことに不安がないと言えば嘘だが、今出来る最前を尽くした。大丈夫、きっと二人の邪魔はしないだろう。
机に戻ってもう一度、学園の図書館で借りてきた折り紙教本を参考にいくつか試しに作ってみる。
●折り紙の可能性は無限大
もちろん、屋上への鉄扉を開いたら目にはいるのが、笹なんていえない巨大な竹。雅の願いが届いたのか綺麗な夕焼けに照らされ、吹き込んでくる風にさわさわと葉を揺らし、幹を撓らせる様は雄大さすら感じる。
「でかー。誰が作ったのコレ?」
全員が振り仰ぎ、一番に声を上げたのはアティーヤ・ミランダ(
ja8923)
その声に被るように、カメラのシャッター音が響く。
「すごい! 大きい! ちょっとざっくり割ってみたいほどだ!」
興奮気味なのは、非公認新聞部所属として、突如屋上に現れた巨大な笹を記事にしたいと、好奇心を刺激された聡美だ。
「切ったらお姫さまとか入ってないの?」
重ねたアティーヤの気持ちも分からなくはない。けれど、きっとこんなデカい笹に入っていたら、成人してしまっているだろうなと何となく思う。
そんな無邪気な様子に微笑み「本当、凄い笹だねー」と穏やかに重ねたのはジェニオ・リーマス(
ja0872)
「笹は伸びるのが早いって言うけど、伸びすぎじゃないかな」
てっぺんに登ったらお星さまとか綺麗に見えそうだな、と続けたジェニオの言葉を受けるように、がしゃんっとフェンスに雅が脚立を立てかけた。上の方への飾り付けをする際に必要だろうと持ち寄ったものだ。
園芸部々長草加が、外での作業は暑いだろうと屋上に日陰を確保していた。
そして自分は、あとは宜しくとばかりに『部費確保』とでかでかと書かれた短冊を一枚残して出て行く。控えめに増額求むとも記されていた。
紫陽花柄に工夫されたくす玉や、細長く切った紙で繋いだ輪飾り・吹き流し・網飾り、くず籠、巾着、紙衣。七夕物語を模したものまで作成されていく。
七夕知識に乏しくとも、持ち前の柔軟さでアティーヤも小器用に作り上げていく。時折、開いた紙に幾何学模様が現れるのはご愛嬌だ。
初作業という点では、八辻鴉坤(
ja7362)も似たようなもので、折り紙自体に馴染みが薄い。思案気に手を止めると、つっと机上の本が控えめに動く。
「参考にしてもらえたら嬉しいな」
と雅が作業開始時に広げていたものだ。設計図ともいえるそれがあれば作業はかなり捗るだろう。
ある程度完成したところで、笹に飾り付けていく。
「紙衣は紙に捧げる着物なので笹の一番上に飾りますね……おや、届きません」
ぽつ、とこぼした常盤に「変わるよ」と彼女の手から綺麗に折り整えられた衣を鴉坤は抜き取ると、固定してあった脚立に登る。
鴉坤が腕を伸ばしても先端はまだ遠い、偶然にも男性陣の身長は同じ。要するにここが一番高い位置になる。
伝説に沿った飾り付けを丁寧に整えていくのは、氷雨静(
ja4221)
皆で沢山作った網飾りを繋げて天の川。上弦の月を象ったものにカササギを象ったものを連ねて橋に見立てたもの。二人はこれを渡って会うことになる。
故に、織姫、牽牛を象ったものは川の両岸に配置された。
「綺麗に飾り付け致しましょう」
優しげにそう口にして微笑む。
「星飾りも沢山作ったよ」
と持ち寄ったジェニオは、笹に飾り付けていく。星、星……あれ?
「……星?」
途中から、何故か手裏剣だ。微妙に違う。そういえば、教えて終わって作っている最中、途中から脱線した友人が作っていたことを思い出した。
「あ? 飾りだよ飾り! これも!」
力説していたのは英御郁(
ja0510)金魚も出来たと駆け寄ってきた、その人だ。じゃあ、飾ろうかと振り返ると、御郁は、ふと時間を止めていた。その深刻な様子に、どうかした? と口に仕掛けたところで先に御郁が口を開く。
「……ん? でも俺、こんなの作ったことあったっけな……? 誰に教わったんだろう……」
記憶の欠落している部分がある御郁には、時折このような瞬間がある。しかし、彼は特に気にした風もなく、快活の良い笑顔で「ほい」とジェニオの手に赤い可愛らしい金魚を載せた。
●貴方の願いは何ですか?
わいわいとにぎわっていた飾り作りから打って変わって真剣。じぃっと色とりどりの短冊を前に全員思案気。
「これに書いて吊すんだよね?」
願い事かー。アティーヤは、落ち着かな気に体を揺らす。候補が沢山あって選べなーぃ。というのを体言している姿は目見美人なのにどこか愛らしさがある。
「何にしよう。無病息災、美味しいものが食べたい、彼氏が欲しい……」
そして最終的にはあっさり決定。
『素敵な彼氏が欲しい』
「書けたー」
ひょいと身軽に椅子から立ち上がって、足取り軽く笹へと括る。
「願いたいことはたくさんあるんだけど……」
うーんっと唸りつつ、最初に書いた『ゲームがもっと上手くなりたい』はくしゃりと丸められた。そして改めて書き直す。
『自分にとって大事な人ができますように』
こよりをぷつりと挿して一つ聡美は頷いた。
『打倒、師匠!』
師匠に一撃叩き込むところを想像し、力強く書き綴る。そして雅は、ちらりと周りを確認。それぞれ集中している。
僅かに体を逸らして、もう一枚。
『先輩に想いが通じますように』
見られると恥ずかしいから、すっと抱き込んで笹へと吊す。脚立に登って出来るだけ高いところへ。
『僕と僕の家族と友達が皆、仲良くのんびり楽しく暮らせますように』
(十代は凄く忙しくて、目が回って何が何だか分からなうちに過ぎたし、人間忙しいと、ギスギスしたり怒ったり色々なトラブルが発生したりとか大変なんだよ)
これまでを振り返り、しみじみと感じた。
だから、やはりジェニオにとっては、短冊に書き留められたそれがとても重要なことだった。
「願い事、なぁ……」
ぬぅっと眉間に皺を寄せて御郁は考える。
記憶がない。失ったものを取り戻したいと思うのは、至極当然のことだろう。しかし、御郁は、そのことに強い執着を感じてはいなかった。
(不安がないっつーと嘘だが、別に困ってねぇしな……)
ふむっと首肯して、隣りのジェニオを見、それぞれに思いを認めていく仲間を見る。自ずと願い事は定まった。
『色んな想い出が作れますように』
(ダチと面白おかしく時間を重ねられんのが、ずっとイイや)
にっと口角を引き上げると「書けた?」とジェニオに問い掛けられる。当たり前だろ? とでも言うように笑った御郁に、僕もと手元の短冊をひらひらさせ立ち上がる。
改めて見上げてもデカい。
「こんだけデケェ笹なら願い事届きそうじゃね?」
くしゃと一枚目を握り潰し、くるりとペンを回して持ち直す。そして鴉坤はあっさりと認める。
『一日でも多くの晴れの日を……あと、美味しい酒のため美味しい水(雨)も所望する』
読み直すと、実に我が侭な願いかもしれない。
(結局俺は何をしても「自分の事だけ」なんだよね)
ふと浮かんだ笑みの奥に秘めたる想いを、表に出すことは出来ない。それはきっと、その場に居合わせたとき、そう、現実として目の前に必要となるときでないと願うことも出来ない。
『見送るのは辛いから、誰よりも先に逝きたい……』
(……やっぱ訂正。仲間と生きたい。皆を生かしたい)
思い直してそう書き掛けて、やっぱりそれも押し留めた。
我が侭と言うよりは甚く不器用だ。
こつこつこつとペンの後ろで短冊の角を打ち、常盤は悩む。何度か武芸上達と書こうとして躊躇。
「もう少し面白いことを書いた方が良いでしょうか……」
短く唸って悩んだけれど、やはりこれだと思い至って
『武芸上達』
大きく太い文字で書き上げた。
笹に吊して改めてその文字を見詰める。
物心付いたときには剣を握っていた自分。毎日鍛錬で遊ぶ暇もなく、それが嫌だった「私は夢を見ることすら許されないのか!」憤り反発して家を出たはずだ。
しかし、学園での生活。自由を手にし改めて、自分は剣も鍛錬も好きなのだと気が付いた。
京都の大規模作戦、全力を出しても倒せない敵を前に、何故か心が沸き立った。
きっと自分もまだ強くなれる。もっと高見を目指せる。いつの日か正々堂々と勝負して、勝利を手にしてみたい。
原点回帰。そうかも知れない。けれど、そこへ至るまでの道を無駄とは思わない。家を出たことで、初めてそれが己が内側から求めるものだと気が付いた。
……自分で見つけた、自分らしい夢。
常盤は満足気に瞳を細めた。
心を落ち着け静かに筆に墨を含ませる。呼吸を整え、そっと筆を走らせた。
音もなく筆を置き
(これでいいのです……これで……)
きゅっと結ばれたこよりの先で短冊が一枚風に揺れる。
●お腹を満たした後は
「由来は諸説ありますが、七夕の日には素麺を食べる風習が昔からあります。お口に合うか分かりませんが、みなさんで一緒にいかがですか?」
飾り付けが完成したところで、常盤が食事の準備を始める。
「お邪魔でなければお手伝いさせて下さいませ」
メイドの血が騒いだ静も手伝い、先ほどまでは鮮やかな色紙が広がっていた机に今は、色鮮やかな五色の素麺に、星飾り付のフルーツムースケーキ。わらび餅、胡瓜の漬け物、一夜漬けなどが並んだ。いだたきますと声を揃えて素麺に舌鼓を打つ。
「……美味しいねー。いいねー、美味しいご飯作れるんだ」
でもなんで素麺なんだろうね? ま、いっか。とアティーヤ。
「素麺……シンプルながらシッカリした味。うん、美味しいよ」
「こーゆー時に食う飯って、何かいつもより美味ェ気がすんだよな」
それぞれの好みに合わせて平らげて、満足したところで星空鑑賞会に至った。
御郁とジェニオは、星座盤と睨めっこ。
頭上に広がる星空と照らし合わせる。
「あの星の並びでへびつかい座とか、昔の人間はずいぶん想像力豊かだよなァ……寧ろあれはギョー座? あっちは、区画的に銀座っぽい?」
「うん、確かにあっちのは餃子座かな。あっちは正座な気がする……!」
いいあってお互いに、ぷっと吹き出した。
タライの中で見た奇跡。
(恋にとって昨日はなく、恋は明日を考えない。ただ今日だけを、完全な今日を要求する……誰かの名言にあったね)
今は小さなグラスの中で再現されている。小さく映り込んだ星を見つめ瞳を細める。
(織姫、そして彦星。君たちは今日この日に何を思うだろう?)
ふっと鴉坤が吐き出した吐息に表面が揺れる。
「あ♪ もしかしてお酒?」
ひょっこりと顔を覗かせたアティーヤに、鴉坤はにこりと応える。
「そうだよ、飲む?」
一番笹に近いところで、静は、光源球を使い夜陰に笹が隠れてしまわないようにライトアップする。見上げれば、笹の枝に吊された短冊が目に入る。
『いつまでも 幸多かれと 君がため 思いを隠し 星に願わん』
七夕の星よ私の想いは叶わずとも、あの方がいつまでも幸せであることをお願い申しあげます。そう詠み認めた短冊。静のものだ。
胸に秘めた想い人。恋しい想いが必ずしも成就するとは限らない。明確な事実にも想いを消し去ることは出来ない。それ故、抱き続けるその想いは切ないけれど、せめて想い人の幸せを願いたい。
揺れる短冊の後ろには、星々が静かに煌めいている。
「綺麗……悲しいくらいに」
呟いて瞳を伏せると、静は七夕の歌を口ずさんだ。穏やかな曲調に胸に沁みる優しい声。夜空に溶け込み星の二人にも届きそうだ。
小さく溜息憂い顔。
(先輩と一緒に参加したかったな……)
今年は予定が合わず共に過ごせなかった人を想い、来年こそはと気持ち新たに、雅は見上げた空に織姫と彦星の姿を探す。
(ちょっとロマンチックだったかな。まあ、あれは全部、天文学部の友人に聞いた話だったんだけどね)
ははっと笑いを零した聡美はそこで、はっと思い出す。
「みんなー、折角なので、最後に笹をバックに記念撮影しよう」
ぶんぶんと手を振って、カメラを軽く持ち上げた聡美に、二つ返事で全員集まった。
「はーい、カメラこっちです」
三脚にカメラを固定して、レンズを覗き位置を確認。撮りますよー、とセルフタイマーのボタンをぽちり。
カウントダウンが始まったカメラから聡美は小走りに皆に歩み寄る。
整然と並んで、ポーズ。
三、二……
ザァァァッ! と突然の風に笹が煽られて、ぐらりと大きく撓った
「危ないっ!」
慌てて全員で笹を支え ―― ……カシャリ
「あ」
鳴ったシャッター音にカメラを見詰める。
カサカサと頭上で擦れ合う葉音がまるで笑っているようだった。