●花見日和
柊 夜鈴(
ja1014)は、閑散とした公園を見渡した。桜、桜、桜。まさに今が花の盛りと言ったところか。本来であれば、今頃は花見客達がひしめき、そこかしこに屋台が出ているだろう場所である。それなのに自分達しかいない、というのは、なんだか居心地が悪い気がした。
撃退士達は公園のメインゲートのすぐそばにある広場に集まっていた。先ほど、管理事務所にパンフレットを取りに行った柏木 丞(
ja3236)とニナエス フェアリー(
ja5232)を待っているのだ。斡旋所で渡された地図はいまいち判りにくかったので、気を利かせた丞とニエナスが、到着早々調達に行ったのである。何せこの公園はとても広い。地図無しに闇雲に歩き回るのは得策とは言えないだろう。
今回の作戦は、明るいうちに桜の配置、被害者が出た箇所、その他違和感を感じる場所をチェックしておき、敵の出現に何らかのパターンがないかを探るというものである。その間に敵と接触できればよし、そうでなくとも地形を頭に入れておくことで夜――今までの被害状況からも、敵が活動を開始するのは夜だろうという事は容易に想像できた――の戦闘が少しでも楽になるはずだ。
公園の中心には大きな池があり、その周りをぐるりと遊歩道が囲んでいる。そして、桜も遊歩道に沿って満遍なく植えてあるようだ。
(これで「周囲の木に被害を与えるな」とはよく言ったものだ)
cicero・catfield(
ja6953)はやれやれと首を振った。
「お〜い、パンフもらって来たっすよ〜」
「事務所のみなさんから、くれぐれもよろしくお願いしますとの事です」
丞とニナエスが戻ってきて、全員にパンフレットを配った。植えてある桜の種類、本数まで書かれている。しかし……広い。
御巫 黎那(
ja6230)は、パンフレットから顔を上げると、改めて公園の広さに頭痛がするとでも言いたげに空を仰ぎ、やや大仰にため息をついて見せた。
「曰く、勝利は、苦労する人々を好む。ああ、ならば我々は好まれるだろうさ」
かくして、事前調査が始まった。
「ふわぁ、これは凄い……」
満開の桜に見とれ、氷月 はくあ(
ja0811)は一瞬立ち尽くした。
(早く皆がゆっくりお花見出来るように、気を引き締めなきゃですねっ!)
しかしその為には敵の特定を急がねばならない。それなのに……。
「うーー、どれも同じに見えてくるっ」
そう、どれも等しく美しく、怪しく見えてくるのだからそう簡単にはいかないのだ。
はくあが桜を見上げて困ったように唸ると山崎康平(
ja0216)も頷いた。周り中さくら、さくら、さくら。囲まれ、押しつぶされるようでなんだか空恐ろしく感じる。この中に得体の知れぬ敵が潜んでいるかもしれないのだ。
「ふむ……せっかくの花見も、こんな花では風情が台無しだな。」
「そういや。桜の下には死体が……なんて。花見中にアレっすね」
丞がポツリと言った言葉に頷いて、無明 行人(
ja2364)は道の両側に広がる枝を見上げた。風にさわりさわりと揺れる様は、手招いているようではないか。
この景色は美しい。例えこの中の一本が人に仇成すものだとしても、心奪われてしまう景色である事は否定できない。いや、だからこそ被害者達は惹かれたのかもしれない。
日が沈む少し前、撃退士達は入り口付近に再び集まっていた。それぞれチェックした点を照らし合わせて、お互いの不足分を補うように地図に書き込んでゆく。
「これは、気まぐれに遊んでいるようにしか思えないな……」
予想はしていたが、あまり思わしいとは言えない調査結果に康平は眉をしかめた。被害者が出た場所は不規則にばらついており、とても次の出現場所を特定できそうにない。敢えてあたりをつけるならば、不自然に感じる程度に周りに比べて木の生え方がまばらな場所、だろうか。それにしても多すぎるが。
「杯中の蛇影と言うが、実際に混じっているとなると、な」
黎那が難しい顔で地図を覗き込む。そう、怪しいと思うとどこもかしこも怪しいのだ。
「やはり、勝負は夜か」
ciceroの言葉に、一同は頷いた。
日が傾いてから急激に気温は下がってゆく。昼間とは違う顔を見せだした桜を見上げ、皆はふるり、身を震わせた。
●花冷えの夜
やはり敵の活動は夜なのだろうとの結論に至り、撃退士達は夜用の作戦に切り替え、二人一組で四箇所に分かれて索敵する事になった。敵が警戒して出てこなくては本末転倒なので、敢えて分散するのである。康平とはくあはA、夜鈴と行人はB、丞とニエナスはC、黎那とciceroはDという班分けだ。それぞれが懐中電灯を持ち、花びらを吸い込むのを防止するためにマスクを着用している。阻霊陣も用意し、透過による内部からの侵食にも備えた。
B班、即ち夜鈴と行人は、公園の南側で敵の奇襲を受けていた。奇襲と言っても、元々怪しいと踏んでいた場所だったので心構えはできていたが。
行人は間一髪で最初の攻撃を避けた。足元で突然殺気が膨らんだ、と感じて即座に飛びのいたのだ。襲ってきたのは鞭のようにしなる根だった。すさまじい勢いで振り下ろされた、大人の腕ほどの太さの根が地面を抉る。どおぉぉぉん、と重い音があたりに響き渡った。まるで、戦い開始の合図のように。
「年に一度の桜と人との逢瀬を邪魔するとは無粋なディアボロですね」
どぉぉん、どぉぉん。叩きつけられる根を最低限の動きでかわしながら、行人は目を細めつつ、光纏した。大太刀を実体化し、構える。
夜鈴も遅れる事なく戦闘準備に入り、敵を見据えた。
「花見のために消えてもらおうか」
二人の前で、桜は枝を左右に広げ、すすり泣くように身体を揺らして花びらを撒き散らした。逃げ出す気配はない。
「もう少しだけ下がった方がよさそうですね。……皆さんにも連絡しないと」
重い音を立てて襲ってくる根の攻撃を避けつつ後退する。これだけの音が響けば、連絡する前に向かっている班もあるかもしれないな、と夜鈴は思った。
行人が携帯越しに何やら苦笑しているのを横目に、夜鈴は襲い来る花びらを鉤爪で振り払う。撃退士の体質と下準備のお蔭か、呼吸の際に吸い込みさえしなければ特に害はなさそうだ。ただ、視界を奪われるのはいかんともし難い。
「A班は既にこちらに向かっているそうです。思いのほか早く陣形が整いそうですね」
夜鈴はこくりと頷いた。
その頃、C班の丞とニナエスは公園の西側をゆっくりと歩いていた。
先ほどから心なしか風が強くなってきている。花びらがひらりひらりと舞ってゆく様を見て、丞はそっと一人ごちた。
(明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは。ま、散ってもらうと苦情来るし。多少の嵐が来ても散らせられないんだけど。 頑張りますかね)
それにしても今夜は冷える。冴えた月が照らす桜は、なんとも寂しくて恐ろしいものだ。
ニナエスが風に乱された金糸の髪を手で押さえながら呟いた。
「こんなに花が咲いているのに、寂しく感じるなんて不思議ね」
丞はこくりと頷き、殺していた息を吐き出した。
そこに、かすかな重低音。二人は顔を見合わせた。
「B班の方角、かしら」
「そうみたいっすね」
丞とニナエスはB班のいる方向へ駆け出した。
「すぐに連絡が来ないということは、やっぱり奇襲だったのかしら」
「まぁ、その為の二人行動ですから、心配ないっすよ。あ、ほらきた」
心配そうに顔を曇らせるニナエスに、丞は携帯を取り出して見せた。
「もしもし〜?」
『B班、交戦中です。南側に集合して下さい』
「了解っす」
ね? と首をかしげて見せると、ニナエスは微笑んで、そして表情を引き締めた。
しばらく走ると、木の影から何かを狙うはくあの後姿が見えてきた。どうやら彼女の照準先に敵がいるらしい。はくあはちらりと丞とニナエスに気付くとぱたぱたと手を振り、指で敵の位置を伝えた。油断ならない敵らしい。はくあは小さな身体で影から影へ移動し、前衛達の死角を守っていた。
二人は彼女の弾道を邪魔しないように、そちらへ向かう。
「綺麗だけれど……悲しそうな桜ね……」
「来たか。明かりを頼む」
ニナエスの声に振り返った康平が、トワイライトの使用を頼んだ。
「ええ。みなさんよろしいですね?」
その場の人間に確認してから、光纏したニナエスが淡い光の珠を生み出す。
「助かります。これでやっと、本格的に攻撃に移れますね」
言うが早いか行人は、まさにニナエスに襲いかかろうとしていた右の枝に向かって飛燕を放った。枝が軋み、桜が痛みに身を捩るように花びらを振りまいた。
それを迎え撃つように康平が踏み込んでゆく。彼は、いっそ美しいとさえ思える足捌きで花びらの妨害を避けながら本体に肉薄した。そして桜が焦ったように伸ばした根が届くより早く、その胴を凪いだ。ひぃぃぃぃん、という桜の泣き声が響き渡る。康平はそのまま幹の向こうへ飛び込み、追撃の根を避けた。
「花びらは視界の邪魔ってだけで、攻撃するだけ無駄みたいっすね」
スピードを生かして花びらの攻撃を翻弄しながら、丞が言った。
「根っこと幹の方は前衛さんにお任せしますっ!」
「私達は枝を」
弱った右の枝に向けて、はくあとニナエスが集中砲火を開始する。攻撃手段を一つずつ殺いでいこう、というわけだ。星空の下、絶え間なく響く銃声。そして桜の花びらの間を縫って薄紫の光が飛ぶ様は幻想的ですらあった。
夜鈴は、後衛の方に向かおうとした根の前に回りこみ、その攻撃を鉤爪で受けとめた。すさまじい力で押し負けそうになる。そこに黒髪を翻し飛び込んできた影が一つ。黎那だ。
「さて。では伐採してやろう」
黎那は夜鈴を押しつぶそうとしている根に向けて、ハンドアックスを振り下ろした。しかし、根を切り落とすには少々足りなかったようだ。ならばもう一度、とハンドアックスを構えなおす黎那の頭上に、今度は左の枝が振り下ろされる。援護が間に合わないか、と思いきや、すかさず行人が大太刀を一閃した。 桜はまたひぃぃぃぃん、と泣いて花びらを散らした。
「やれやれ。せっかくの貸しきりの夜桜だというのに。春宵一刻値千金、なんて洒落込めればよかったものを」
黎那のボヤきにciceroが笑いながら答える。
「敵を倒してからでも遅くないだろう? これは『花見』のための依頼なんだから」
笑いながらも、彼の放つ矢に容赦はない。矢による牽制と先程のダメージで、動きの鈍った根に、夜鈴が止めの一撃を振り下ろす。
「桜が散る前にお前を散らしてやる……」
とうとう、一番厄介だった根が落ちた。
桜の木は今や満身創痍と言って差し支えなかった。おそらく攻撃の主力であった根は落ち、右の枝は千切れ、左の枝も無事とは言えない。幹もボロボロだ。視界を遮る花びらは相変わらず健在ではあるが、本体が弱ってきたせいか動きは鈍い。
「悪ぃけど、綺麗だって言ってくれる奴をフるのも此処までってことで、な?」
丞は困ったように眉を寄せて苦無を振るう。泣き叫ぶ桜は気の毒で哀れだった。
「……なんで散り行く花の桜を選んだんですかね、ディアボロも」
やりきれない気持ちでポツリと呟いた疑問に答えられる者はいない。
代わりというように、行人の鋭い突きが桜の幹を貫通し、とうとう桜は動くことを止めた。残った枝を力なくゆらし、ひぃんひぃんと泣き続ける。
そろそろ頃合か、とciceroは首もとのロザリオに触れ、そっと祈りを囁いた。
「我が手は審判を得る 我が敵に裁きを下し これを倒すであろう 父と子と聖霊の御名において」
彼の狙い済ましたストライクショットが桜を貫く。そうして、桜の泣き声も止んだ。
●桜の下で、お眠りなさい
「終わりましたね……あれ? ……なんだろ……ちょっと涙が……」
はくあが、目を真っ赤にして木の影から出てきた。ディアボロの泣き声に中てられたのかもしれない。相手は憎むべき敵であったはずなのに、同情してしまうなんておかしなことだ。
「これで彼女も、安らかな眠りについたんですよ」
行人が慰めるようにはくあにハンカチを差し出した。
「ありがとうございます。そうですよねっ」
はくあは行人にお礼を言うと、目元を拭いてにっこりと微笑んだ。
「ふむ、折角来たのだし私は花見をして帰るとしよう。こうして静かに花見ができる機会などそうあるものではないからね」
黎那の言葉に、皆が賛成する。そう、きっと自分達には気晴らしが必要だ。せっかく依頼を遂行したというのに、気分が落ち込むなんて割に合わないではないか。
「じゃぁ、明け方のお花見ね。ついでに手当てもまかせてちょうだい」
ニナエスが救急箱を持ち上げて笑ってみせると、丞が真っ先に手を挙げた。
「あ、バンソーコがあれば欲しいっす」
場の空気が一気に和んだ。
手持ちのお菓子を提供しあい、即席のお花見が始まる。
ニナエスは、仲間達の手当てが終わってからずっと、一心不乱にスケッチブックにペンを走らせている。
夜鈴はといえば、夜のうちはひっそりと頭を垂れていた花が朝露をたたえながら空に向かって開くさまを、言葉もなくじっと見つめていた。
「あぁ、見事なものだ」
思わず黎那がこぼした言葉は、おそらく全員に共通する感想だろう。
撃退士達の花見は、ciceroの放った一言で終わりを告げた。
「さて、そろそろ他のお客さん達に譲らなきゃいけないな」
そう言った彼の指差す方向には、目を血走らせてブルーシートを掲げ、ゲート前で待っている花見客の群れ。
正直、ディアボロなんかよりよほど怖かったっす、と丞は後に語る。
学園に帰ってから彼らに送られてきた感謝の手紙には、何故か公園内の清掃に対するものまで含まれていた。どうやら康平がこっそりとゴミ拾いを頑張っていたらしい。
それを聞いた仲間達の感想は「ツンデレって公園にも発揮されるんだ」であった。