●探偵事務所(仮)あるいは校舎三階廊下にて
「ふむふむ、素行調査ですか。いいですね、お嬢様が好きそうです。最初にお嬢様と接触なさるのは八辻様ですね?」
「Exactly.その通り。地領院君が最近俺に隠れて何かをやっているから、突き止めてほしい、と依頼する予定だ」
八辻 鴉坤(
ja7362)は頷いた。
「調査対象は地領院様ですね? もしかすると、お嬢様が何か失礼な事を申し上げるかもしれませんが……」
「今後のために縁を得ておくのも悪くないからな。気にしなくていい。何、昔から設定を演じるのは得意な方だ。悪役も任せてくれ。はじめは執事さんの誘拐事件って案もあったんだぜ?」
ニヤリと悪ぶって笑う地領院 徒歩(
ja0689)。思わず後ずさりした執事を見て、ルーミア・M・レギンレイブ(
ja6866)があはは☆ と笑いながらフォローを入れた。
「あ、心配いらないからネ? 『捨て猫の世話をしてたけど照れちゃって言えなかった』っていうオチだから」
「そ、それは何より。では、こちらでご用意するものはありますか?」
「や、彼が世話してるって設定の猫は、これからなんじょーお姉さんが捕獲予定だし、事件をよりフクザツに見せるためのアイテムは用意済みさー」
与那覇 アリサ(
ja0057)の手の中には、いかにも意味ありげな封筒がある。中身は猫の飼育用メモや、注意すべき点を書いた紙で、万が一お嬢様に検分されても「やらせ」がばれぬよう手抜き無しで仕上げた渾身の作であった。
「探偵ごっこのために猫探し……まったく、どっちが探偵なんだか判らんじぇ。じゃ、ゴール地点で待つとするかや」
やれやれとボヤきながら、南條 真水(
ja2199)は一足早くその場を去ることにした。今回の計画に野良猫の存在は不可欠。とはいえ校内の猫配置など真水には皆目検討もつかないので、その辺の人間に聞き込み調査してマタタビを使って集める予定なのだ。
「執事の嬢ちゃんも大変だねえ。ま、同情くらいはしてやるじぇ」
ひらひら、と手を振って去ってゆく真水。七瀬 桜子(
ja0400)はびっくりしたように口元に手を添えた。
「あらあら、執事さんは男性ではないのですか?」
「ひっ、ひどいです……」
「男子の制服を着ていらっしゃるからてっきり……」
申し訳なさそうにしている桜子を慰めよなくてはと、星野華月(
ja4936)はオロオロし始めた。
(私も実は勘違いしていたのですが……。あぁ、でもそんなこと言ってしまったら執事さんがますます傷ついてしまうでしょうか)
「あ、あの」
そして、とりあえず元気付けようと華月が声を出した時、ちりりん、と鈴が鳴った。
「はっ! お嬢様が痺れを切らしたようです。では『役者』の皆様、並びに『サポート役』の皆様。お芝居開始です! よろしくお願いしますっ」
「入りなさい」
執事のノックに、鈴振るような、しかし高慢そうな声が応える。鴉坤は気づかれぬよう苦笑した。なるほどプライドが高そうだ。彼女に対しては一人前のLadyとして接するべきだろう。
部屋の奥には重厚なデスクがあり、物々しい椅子に埋もれるようにして一人の少女が座っている。彼女はそこからぴょこんと飛び降りてこちらに駆け寄ってきた。
「で、あなたは私に何を依頼したいの?」
「友人が、最近どうもおかしな行動をとっている。徒歩に限ってまさかとは思うが、面倒ごとに巻き込まれてはいないかと心配でな」
「ふぅん?」
少女は好奇心を隠しもせずに、キラキラした目で鴉坤を見つめてくる。どうやら食いついたようだ。
(この事件を切欠に、彼女が色々気付いてくれるといい。自分の言動に振り回される人間の気持ちや、人と触れ合う事の意味に)
「良いわ。調べてあげる。この私にかかればあっという間よ」
「調査対象は俺の古くからの友人で、地領院 徒歩という。……よろしく頼む」
ふ、と鴉坤がわずかに微笑めば、少女はふふん、と胸を張ってみせた。
ルーミア、桜子、華月の3人は、部屋から出てきた探偵一行を遠目に観察していた。彼女達は通行人を装って誘導したり、露払いしたり、お嬢様がトラブルを起こした際にはその後始末もするという大変な任務を負っている。故に、常時張り付いて、時には先回りしなくてはならない。
「あれが探偵に憧れるお嬢様ですか。可愛らしいですこと」
お姉さん気質ゆえに寛容な感想を桜子が漏らせば、ルーミアが眉をよせて唸る。
「う〜ん、まさにワガママお嬢様って感じだよネ。執事さん大変そう」
華月はこてん、と首をかしげた。
(わがままですか……私もちょっと言ってみたいかも)
わがままというのは、実は大変なエネルギーを必要とするのではないか、というのが華月の印象だ。のんびりした性格の自分とは違う「何か」を、あのお嬢様に感じる。それは憧れにも似ていた。
「そういえば、猫の捕獲はうまくいってるのかな〜? サポートに行った方がいいかな?」
ルーミアの言葉に、桜子は携帯を取り出した。やはり連絡網は必須だろうと、入念に準備しておいたのだ。2〜3回のコールで真水に繋がる。
「もしもし? 現在探偵さんは、徒歩さんとアリサさんの取引目撃地点へ向けて進行開始しました。猫さんは見つかりそうですか?」
『もしもし〜? もう少しで猫だまりスポットに到着だじぇ〜。捕まえたらメールするから、もうちっと待っててくれんかや?』
「はい。頑張ってくださいね」
電話を切って、桜子は前を行く探偵達の後姿を見つめた。
「平和ですねぇ」
「だネ〜。あ、でもそろそろ私、先回りしとくネ」
「お気をつけて」
ルーミアは華月にウィンクすると、元気に走り去っていった。
●取引現場、あるいは人通りのない廊下の窓際にて
徒歩とアリサは、比較的人通りの少ない廊下で今か今かと探偵達を待ち構えていた。まずはお嬢様に「怪しい取引現場」――と見せかけて、実は猫の飼い方メモの受け渡しなのだが――を目撃させなくてはならない。刺激を求めるお嬢様へのサービスだ。とはいえ、いつやって来るとも知れぬ相手をただ待ち続けるのはなかなかの苦行だった。
そこに、メールの着信音。アリサは天の助けとばかりに携帯を取り出した。
「あ、なんじょーお姉さんからメールだ。『\捕獲成功したじぇ/』だって」
「そうか。ここまでは計画通り、か」
「あと、サポート班からも。そろそろ……あ、来たさー」
素晴らしいタイミングで、探偵一行が廊下の角を曲がってこちらに近付いてきた。彼女達と行動を共にしている鴉坤が、「お嬢様がそちらに気付いた」という合図を出す。二人は大きめな声で芝居を始めた。
「待たせたかな? 依頼人はきみ?」
「俺だ、例の情報は持ってきただろうな」
「へぇ、ちょっと意外だったさー。まさか『あんなもの』欲しがるタイプには……」
「っ……余計な詮索はいいっ! 早くしろ、誰かに見られたらどうするんだ」
徒歩がアリサを睨み付けた。赤いカラコンを入れた右目がギラリと光って、凄みが出ている。なるほど、大した演技力だ。アリサも負けじと、にぃっ口の端を吊り上げ、いかにも悪役っぽい顔を作って演技を続けた。
「まぁまぁ慌てない慌てない。で、例のモノだけど……」
ここでぐっと声を潜める。そしていかにも重要なものであるかのようにもったいぶりつつ封筒を取り出し、徒歩に渡した。
「というわけで、取引終了さー! じゃ、あとはたっぷり『楽しんで』ね〜」
最後にもう一度声を大きくして別れを告げると、徒歩は後ろ手にひらひらと手を振って足早に立ち去って行った。
アリサは窓から飛び出してそのまま木の上に飛び移る。身軽なアリサの動きにはお嬢様もとっさに反応できなかったようで、慌てて物陰から出てくる気配を感じた。
「逃げたわっ! 追いなさい」
「ど、どちらを……?」
「両方よ! 分裂でも何でもして追いなさいったら!」
「ぶんれつっ?」
背中の後ろで理不尽なやり取りが聞こえるが気にしない。あとは真水と合流し、猫たちの毛並みの手入れでもしてのんびり待つとしよう。
お嬢様がアリサを追って窓から飛び出そうとしたので、ルーミアは話しかけて止めることにした。うっかり落ちて、怪我でもさせたら大変だ。
「ねぇねぇ、こんなところでなにしてるの?」
「怪しい取引現場を目撃したの! 容疑者は二名で現在逃走中よ。そういえばあなたが来た方にも一人向かったと思うけど、見なかった?」
「ゴメンネ〜、私はわかんないや」
ルーミアは困ったように首をかしげて、それからおもむろにポンと手を打ち鳴らした。
「あ、でも本当に怪しい人なら、多分あの道を通るんじゃないかな? あの先に『いかにも』って感じの場所があるんだよネ!」
さりげなく次の進行ルートを指差すと、お嬢様はアッサリ頷いて、そちらへ向かって歩き出した。とりあえずこれで、お嬢様が怪我をするようなことはないだろう。しかし、まだまだサポート役として出番はあるのだ。
悩んだ末、ルーミアは光纏して大人の姿になった。
「こうしておけば、誤魔化せるよネ?」
「ふぅ。これであとは、よほどの事が無ければ徒歩さんのところにたどり着きますね」
露払いを終えて戻ってきた桜子が、ほっとしたように溜息をついた。
「でも、最後のダメ押ししたほうが良いと思うよ! 華月ちゃん、お願いネ?」
「は、はいっ」
華月は深呼吸して、探偵一行が最後に迷う可能性がある、1階の渡り廊下に向かった。
やがて姿を現したお嬢様は、思惑通り華月に声を掛ける。
「そこのあなた、怪しい男を見なかった? えぇっと、特徴は……」
一生懸命徒歩の特徴を説明する姿を微笑ましく思いつつ、華月はうぅん、と考えるふりをしてしばらく間を置く。演技には間が必要なのだ。
「そんな風な先輩なら、たまに猫用の缶詰を持って歩いていくのをお見かけしますよ?」
「たまに、ってことは常習犯なのね。ねぇ、この先に怪しい通りがあるって聞いたんだけど、あなた、知ってるなら案内しなさい!」
華月こてん、と首をかしげた。
「さぁ……私もまだこの学園に不慣れで。良かったら今度案内していただけませんか?」
お嬢様はまさかそんな反応が返ってくるとも思わなかったようで、一瞬呼吸を止めたようだったが、小さな声で「いいわよ」と答えた。
「しっ、仕方ないから付き合ってあげてもいいわ。今度ね! 今は私、探偵としての任務で忙しいからもう行くわっ。じゃぁ、また、今度ねっ!」
元気に走っていくお嬢様に手を振りつつ、華月は思った。
(そういえば、お嬢様の名前も知りませんねぇ、私)
●ゴール付近、あるいは校舎裏の一角にて
にゃーにゃー、みゃおみゃお、うにゃぁぁん。
「う〜ん、ちょっと頑張りすぎちゃったじぇ〜……」
真水は身体中に猫をしがみつかせて苦笑していた。やってきた徒歩が本気でドン引きしている。
「うっわ、真水さん、集めすぎだろ?」
「それがねぇ……」
どうやら、野良猫を捕まえた際に使用したマタタビの粉が真水の身体についていたらしい。ゴールで猫を引き渡すべく徒歩を待っているうちに、どこからともなく猫が集まってきたのだ。
「さすがにこの子達全部を面倒見ていた……ってわけにはいかんかや?」
「それはいくらなんでも無茶だろう」
「だよね〜……」
真水は引きつったように笑った。
「これ、あとで執事のじょーちゃんに引き取ってもらえんかね? 里親探しにも限界があるじぇ〜……」
「おーい、もうすぐ来るはずさー、ってなにこの数っ」
やってきたアリサは一瞬ぎょっとしたが、もう時間が無い。
「仕方ない、おれとなんじょーお姉さんが、抱えられるだけ抱えて隠れるさー」
「やれやれだじぇ〜」
一人残った徒歩は、指で猫をじゃらしながら内心途方に暮れていた。
「あれは、何をしているのかしら?」
「野良猫にエサをやっているように見えます。お嬢様」
「良いことじゃないの。なんでコソコソしてるのよ?」
「思春期の殿方にはちょっと恥ずかしいことなんですよ、多分」
コソコソ、と背中の後の茂みの中から聞こえてくる会話の内容がこそばゆいのだ。振り返ってはいけない。しかし今更ながら恥ずかしい。
(何でも良いから早く終わらせてくれ、生殺しだっ)
「ふぅん。ま、いいわ。依頼終了ね。なぁんだ、てっきり野良猫の連続誘拐かと思ったのに」
お嬢様は何が何でも犯罪に結び付けたいらしい。その無邪気な残酷さに苦笑しつつ、鴉坤はその頭をそっと撫でて囁いた。
「……Existimabatur hoc decora.(あなたが思っているより、この世界は美しい)……しかしその事にも、今のままでは……気付けない……」
そして立ち上がって、徒歩の方に歩いてゆく。
「あ、せっかく見つからないようにしてたのにっ」
茂みでぎゃーぎゃー騒ぐお嬢様の声に驚いたフリをして、徒歩は振り返った。
「なっ! 何故ここに!」
「何、たまたま通りかかったんだ。……猫か。可愛いものだな」
鴉坤は中の一匹をひょい、とつまみあげると、そのまま去っていった。
「ちょっと、まってよぉ」
そのあとをお嬢様が付いてゆく。どうやらお嬢様は鴉坤に懐いたようだ。執事はふりかえり、ぺこりと頭を下げそのあとを追っていった。
「お疲れ様〜」
鴉坤達の姿が校舎内に消えたのを見計らって、隠れていた他の面々が徒歩のところに集まってきた。
「お嬢様もなんだかんだ言って満足してたみたいだネ!」
校舎側に隠れていたルーミアが、去ってゆくお嬢様の表情は満足げだったと太鼓判を押したので、みんな一斉に胸を撫で下ろした。
「お嬢様も満足してくれたなら私も嬉しいですよ」
桜子が、校舎の方を優しい目で見つめながらポツリと呟く。
「執事さんも大変とは思いますけど、大事なお嬢様の為にここまでするぐらい大切にしているからきっとこれからも安心ですね。素敵な事ですね」
「お嬢様、悪い子ってわけではなかったですものね」
お名前を聞きそびれてしまいました、と残念そうに言う華月。対照的な性格だからこそ、仲良くなれたかもしれない。
「二人の関係は、部外者が口を出すことじゃないんだじぇ」
「あのお嬢様の性格は、下手に弄ると悪化しそうと言うか、治ると面白くない気がするしな」
真水と徒歩の言葉に、一同うんうんと頷く。
いやいや美しい主従愛だった、良いもの見せてもらった、と言いつつコッソリその場からフェードアウトしようとした徒歩の肩に、アリサがぽん、と手を置いた。
「さ。猫の里親探し開始するさー」
「……やっぱり?」
結局、その日の夜遅くまで里親探しに走り回った一同は、さっさとフェードアウトした鴉坤が一番勝ち組だったのではないか、と疲れた頭でぼんやり考えたのであった。