●下準備
その村までは、約束通り役所の職員が車で連れて行ってくれた。
数少ない村人たちは全員が村長宅に集合してくれていた。役所の職員が気を利かせてくれたらしい。
「それで、その山の地図などはありますか?」
御崎緋音(
ja2643)は最高齢と思しき白髪の老人に訊ねた。
機能性重視だが、年頃の女の子らしいかわいらしいアウトドアルックファッションだ。村の誰かが「都会風じゃのう」と感心している。
「そんなものはありゃせんよ」
やや肩を落として老人は言う。
「……地図にない村、か」
そう呟いた鳳月威織(
ja0339)の言葉に、天野那智(
jb6221)は「地図にない村と言われてますが、地図くらいあるでしょう?」と聞き返す。
本当に地図に載っていないなんてひどすぎるからだ。
すると役所の職員が地図を取り出して広げて見せた。
「この村はここにあります。ちゃんと地図には載っていますよ。まぁ……本当に名前だけですが」
申し訳なさそうに青年は肩をすくめる。
確かに村の名前は乗っているが、駅はおろか、山の名前すら載っていない。これでは何の役にも立ちそうになかった。
「じゃあ、わかる範囲でいいから、ちゃっちゃと書いてもらうことはできないのか?」
ロベル・ラシュルー(
ja4646)は聞いてみる。横から礼野智美(
ja3600)が文具セットを取り出した。
「ああ、用意がいいな」
ロベルは感心する。智美は老人たちから聞いたとおりにてきぱきと地図を描き、最初にカラスのような天魔を見たという地点に赤ペンで「×」をつけた。
それから、三週間前に山に入ったという老人から、ちょうどその地点と反対側になる道への行き方も教えてもらうことができた。草を刈ってあるから、多少伸びていても周囲と成長が違うのでわかるだろうということだった。
「それで、もし天魔以外の野生動物が出た時にはどう対処したらいいかな?」
今回のメンバーの中では唯一の天魔で撃退士である、うらは=ウィルダム(
jb4908)は訊いた。
「獣がディアボロじゃなくても退治して欲しいなら喜んで引き受けるよ」
一見かわいらしい女の子のような少年、キイ・ローランド(
jb5908)も追って言う。
「そうじゃな、熊も狼も山から降りてくることはないし、襲われることもないので、これからもうまく共存していきたいと思っておる。しかし、猪は畑を荒らしよるから、出来れば見つけ次第駆除を願いたいのう」
老人一同も、うんうん頷いている。余程猪の被害に困っていたのだろう。
「わかりましたなの。それじゃあ悪いディアボロ以外は、猪討伐ですね」
そう言う八歳の少女である、周愛奈(
ja9363)を見て、役所の青年は少し胸を痛めた。
こんな小さな子に現場に行かせる世の中なんて……と。
「じゃ、予定通りA班B班に別れて行きましょう。準備はいいですね?」
那智の声に、皆頷く。事前に携帯番号の交換は済ませたし、携帯が圏外の場合に備えて、愛奈と那智がトランシーバーを持っていた。
「あ、良かったら雨合羽か何か、悪天候の時に邪魔にならないものを貸してもらえないか?」
ロベルの言葉に、役所の青年がトラックから雨合羽を数点取り出し、自前で持ってきていないメンバーに手渡した。
「どうかお気をつけて」
老人たちの心配気な表情に、威織はにっこりと微笑む。
「すぐに帰ってきますよ」
●山中・A班
「あった、ここなの、おじいさんが刈った痕」
愛奈が地図を覗いて確認する。さすがは現場の人間の言葉を元にした地図だけあって、すぐにわかった。智美もうまく描いてくれていたから助かる。
「上に道がつながってます」
緋音はゆっくりと身を低くして進む。同じA班のロベルとキイも、周囲を気にしながらゆっくりと進む。
「道が途切れたな。ここでじいさんが襲われたってことか」
ちょうど草の刈り取られていない場所まで来て、ロベルが立ち止まる。血痕等がないので、やはり相手はディアボロなのだろう。老人の血痕もなくて幸いだ。
「このまま奥に進もうか? カラスの棲家があるかも知れないよ」
キイの言葉に一同頷き、歩く順番を入れ替えて進んだ。
先頭からキイ、ロベル、愛奈、緋音という、戦闘に適した布陣にしたのだ。
●山中・B班
「島の奥みたいだよな」
智美がぼそりと呟きながら、落ちている石を幾つか拾ってポケットに入れている。
うらはは虫除けスプレーをかけ、汗拭きタオルを腰に掛けている。
「ここでしょうか? 草の成長が少し違うような」
那智が三週間前の草刈り痕らしきものを見つける。なるほど、草の背丈が他と違っているのがわかる。
「コンパス通りですね。ここから入ってみましょう」
「私が先頭になりましょう。草を刈って進みます。田舎育ちで作業は慣れているから」
威織の提案に智美が進んで先頭に立つ。その後ろに威織、うらは、那智となる。
「何も出ないといいんだけどね。威織は両手に花どころの騒ぎじゃないね、美女三人に囲まれて悪い気分じゃないだろう?」
うらはは前を歩く威織の背中に、肘でうりうりとする。
「ははは、光栄ですよ」
威織は言われるままににっこりと微笑み返す。
●カラス
「キィ──!」
どこからか、高いところから鳴き声が聞こえた。それはA班の全員が耳にしていた。
「来るぞ!」
ロベルの声に全員臨戦態勢に入る。黒い大きな影が上方に一つ見えた。
キイが冥魔認識を使う。愛らしい少年の面影は消え、大人びた撃退士の顔になっている。
「間違いなくディアボロだ!」
巨大なカラスのディアボロが射程距離に入った瞬間、間髪入れずに緋音が雷帝霊符を発動させる。木々に当たらないように、空中の一点のみを狙って。
ゴゥ、と音がして、カラスは落下した。撃破できたはずだ。
「死体は別の獣を呼んじゃうから回収するね」
キイがカラスの落下地点へ向かう。しかしそこへあと二匹の巨大なカラスが飛んできた。先ほどの気配を察したのだろう。
キイは身をかがめ、愛奈の放つ桜花霊符の進路の邪魔にならないようにした。
カラスは桜の花びらのようなものに巻かれ、また一匹墜落する。キイは少しずつそちら側へ移動する。
獣の死体の臭いは別の獣を呼び寄せる。それがディアボロならば倒すまでだが、猪以外の獣とは共存したいという村人のために、余計な暴動は避けたいのだった。
「ほらほら、もう一匹いるんじゃないの?!」
キイは声を上げて、二匹の落下地点に走った。ここに集まってくれればいい。
予想通り、キイを目掛けて三匹目が滑降してきた。それをロベルのオートマチックが撃ち抜く。カラスは弾けるように落下した。
「ありがとー!」
キイは持ってきていた袋に死体を回収する。特殊加工してあるので、丈夫で腐敗臭も漏れない袋だ。現場に残った臭いは風が消してくれるだろう。しかし雲行きが怪しくなってきた。雨で臭いは流れるだろうが、これからの戦闘がやりにくくなりそうだ。
●熊と狼と猪
遠くで何かの鳴き声と、銃声のようなものが聞こえた。きっとA班が成果を挙げたのだろう。誰も心配はしなかった。それより、ウサギ一匹出てこないこちらの方が不気味に感じられるB班だった。
「雲行きが怪しくなってきましたね。こういう時は、雨雲は早いですから、今から雨具を身につけておきましょう」
威織の提案に、三人も雨合羽を羽織る。途端に大粒の雨が頬を打った。
「うわぁ、本当にすぐ来た。山の天気が変わりやすいって本当だね」
うらはは人間界の知識をまたひとつ実感する。
「自然とは素晴らしく大きな存在なのですよ」
笑みを浮かべてうらはに言う那智は、自然が大好きで、とても詳しいのだ。
思ったより和やかに捜索していると、上の奥の方からガサガサという音が聞こえてきた。A班と合流する道ではないはずなので、獣かディアボロに違いない。村人には山には入らないように言ってあるのだし。
ガサ、と顔を出したのは猪だった。鼻をヒクヒクさせている。人間の臭いがわかるのだろうか。
咄嗟に智美はポケットから拾った小石を取り出して投げた。
「当たった!」
うらはが叫ぶ。と言うことは、ディアボロではないということだ。
しかし猪は駆逐対象だ。驚いて逃げようとする猪の前に、威織が神速で回りこむ。そこへ那智がアイスウィップで急所を刺した。思わず智美は顔を背けたが、これは仕方のないことだと割り切る。
来る前にキイに言われた通りに、他の獣を呼ばないように威織はキイから渡されていた袋に死体を収納した。
しかし、既に猪を追ってきていたらしい熊が、顔をあげるとデーンと立ちはだかっていた。
威織も落ちていた石を拾って投げてみる。当たった。熊はディアボロではないのだ。
「手を出せないな……」
威織は困った顔で、熊と目を合わせたまま後ろに進む。熊はじっと威織を見つめていたが、追ってきた猪の臭いが途絶えたせいか、元来た道を帰って行った。
「本当に人間と共存してるんだね」
うらはが驚いて言う。那智も驚いていた。こんなに明らかに共存が確立しているとは思わなかったからだ。
すると、反対方向から猪が突進してきた。何かに追われているようだ。見ると、すぐ後ろに狼が走っている。
うらはが気迫で確認すると、どちらもディアボロではなかった。しかし、狼の目の前で獲物を奪うのはどうしたものだろう。
取り敢えず、猪の走っていく方に一緒に駆けていく。狼と猪の距離は縮む一方だ。
そこで那智は気付く。今走っている方向に真っ直ぐ行けば、A班と合流するかも知れない。
トランシーバーで愛奈に連絡を入れたところ、カラスのようなディアボロの討伐は終わり、他のディアボロを探しているとのことだった。こちらの事情を説明し、狼に見つからないように猪だけを狩れるか訊いてみた。相手がキイに変わり、「やってみるよ」という答えが返ってきた。
ひとまず、そこまで狼を猪に追いつかせるわけにはいかない。
うらははもう一度気迫を使い、しばらく狼の動きを封じてなんとか間を持たせる。
●遭遇
「来たぞ!」
最初に気づいたのはロベルだった。すぐに猪が走ってくる。その後ろの狼に対して、愛奈は異界の呼び手を使って束縛した。狼が動けない間にも猪は走っていく。
合流したB班の智美が縮地で猪に接近する。那智がサンダーブレードで攻撃し、ロベルがオートマチックで急所を打った。
狼とはだいぶ距離が離れたので、こちらまで来る心配はなさそうだ。
キイがナイフを取り出し、すぐに猪の胸を開いて動脈を切って、血抜きをした。
「こーしないとお肉は不味くなっちゃうからね」
「えっ? 食べるの?」
緋音が驚いて訊く。
「友達のおみやげに貰って帰ろうかなって。あとはおじいさんたちに精をつけてもらうよ」
きれいに処理して、キイは一旦袋にしまった。
●帰還
「おお、帰ってきよったぞい」
戻るまでに日が暮れかかったのは、智美が昼食として軽いランチを持ってきてくれていたのを皆で食べたからだった。
あれからもうすこし山深いところまで進み、猪を四匹ほど始末した。ディアボロはもちろん、熊や狼に遭うこともなかったので、遅いランチを摂って山を降りてきたのだ。
心配させて申し訳ない。
「大丈夫でしたか? 怪我などされていませんか? 救急道具もありますが」
役所の青年が心配そうに声を掛けるが、雨に濡れて服が泥だらけになった以外は、いたって元気だった。
キイが猪の死体を取り出し、
「それじゃあおじいさんたち、これで精をつけてね」
と、差し出した。
喜んだ老人たちは、この時期にしか採れないという、赤く甘い果実を皆に持たせてくれた。
「うわぁ、美味しそうです!」
緋音は故郷を思い出して喜んでいる。那智もその見知らぬ果実に興味津々だった。
「とりあえず山の捜索は済ませましたけど、また変なものが出たら連絡お願い致します」
智美は村人と役所の青年に注意を促した。
「人口の大小は関係ないんですよ。人の少ない所が襲われて全滅した例も少なくないですから」
「わかりました。どうもありがとうございます」
青年は礼を言う。老人たちも各々頭を下げて礼を言った。
「あのう……」
愛奈はおずおずと言う。
「……愛ちゃんにいろいろと教えて欲しいの。その、山のこととか、村のこととか」
「おお、いいともいいとも。こっちへ来なさい。ばぁさん、まんじゅうでも持ってきてくれや」
孫のような愛奈はあっと言う間に老人たちに馴染み、自然の話を聞いたりしていた。
それを見て、威織も近くにいたおばあさんに声を掛ける。
「僕も……してもいいならちょっと力仕事手伝ってから帰ります」
「あらまぁ、ありがたいね。じゃあ、こっちの屋根の修理、手伝ってくれないかしら」
成り行き上、ロベルとキイも若い男手ということで、一緒に手伝うことにした。田舎の村で、汗を流すのも悪くはないだろう。
「お嬢ちゃんたちもこっちへおいで。濡れて寒いだろう。風呂でも入って行きなね」
老人たちは雨が降った折に、各自家で風呂を沸かしてくれていたらしい。
皆で一つの風呂、というわけにはいかなかったが、各自各家に招かれ、汗と泥を流してさっぱりすることが出来た。
あとから男性連中も風呂を借りた。
●決意
「あのう……」
役所の青年は、一番穏やかそうな威織に声を掛けてみた。
「はい?」
「撃退士って、素質があれば今からでもなれるんでしょうか?」
威織が見たところ、青年はまだ二十代そこそこだった。アウルの素質さえあれば、久遠ヶ原に入ることは可能だ。
しかし威織はそうは言わなかった。
「あなたにはあなたにしかできない仕事がありますよ」
「そうだよ。役人さんからこうして依頼がきたから自分たちもここに来れたんだし、なら、ここは役人さんが守るに値する場所ってわけだ」
キイも隣で言う。ロベルは簡易吸殻を持って一服しながら、一緒に立っていた。
「お前がいたからここの村人は救われたんだよ。撃退士だけが人を守る仕事じゃないんだ」
自分より若い三人の男性に力付けられ、役所の青年は「そうですね!」と笑顔を輝かせた。