●vs 子供
「よかったねー。シスターさん、事前にお話させてくれるんだよね」
手土産の箱を両手に持ち、飯島カイリ(
ja3746)は笑顔で隣を歩く黒兎吹雪(
jb3504)に声を掛けた。彼もこくりと頷いて答える。
「うむ、まずは少年の外出許可を得たいゆえ」
小柄な二人なので、その後ろを歩く筋肉隆々の渋い男が一層大きく見える。
「カイリ殿、その両手の箱は何ですかな?」
見た目の豪快さに反して、クリオン・アーク(
jb2917)は非常に丁寧に話しかける。
「これ? クッキーの詰め合わせだよ。教会に何人シスターや子供たちがいるかわからないから、小分けできるものがいいのかなって思って」
「あら、それはいいわね」
クリオンに並んでいたElsa・Dixfeulle(
jb1765)は、白銀の美しい髪を風に流されながら頷く。
「僕も……心身の安らぎをもたらすのにチョコレートバーを……」
さらに後列に続いていた冬樹巽(
ja8798)も、おっとりと同じ意見だったことを明かす。
「なるほど、子供にはまずお菓子を与えるのが話しやすいですよね」
ファング・クラウド(
ja7828)も巽の横で、なるほどそれなら自分は炭酸飲料でも持ち込めばよかったかと、炭酸ジャンキーの彼は思った。
六人が目指すのは、街にある小さな教会だ。ここに依頼者のシスター・アネモネと山下まさと少年、他にも大勢の孤児になった子供たちがいる。孤児というのはつまり、天魔たちによって家族を失った者たちのことだ。
敷地内で掃除をしていた初老の女性が、すぐに彼らに気づいて中へ案内してくれた。シスター・アネモネにはすでにアポイントメントを取り付けてある。
突然少年に話す前に、シスターと話してみようというのが彼らの中で決まった方向性だった。現役を退いたとは言え、元撃退士であったシスターに、伝えたい想いのある者もいる。
クリスチャンであるElsaには見慣れた大きな扉を開けると、そこはまるで児童福祉施設だった。窓の装飾や十字架の掛かった壁などはもちろん教会のものだったが、10歳以下と思われる児童が走り回り、片隅では少し年上の子供が集まって読書や勉強をしている。ここはすでに神に祈りを捧げるためだけの場所ではないようだった。
「こんにちは。よくお越しくださいました。私がシスター・アネモネです」
シスターとは名乗ったものの、タイトスカートに白い無地のブラウス、黒いカーディガンといった教師のようなスタイルをしていた。
「あの、これ皆さんでどうぞ」
カイリが手にしていた箱を差し出すと、シスターは「ありがとう」と受け取り、その隣にいた小さな女の子が早速その包み紙を剥がした。中身がクッキーだとわかると、きらきらとした瞳でシスターを見上げる。
「みんなー、撃退士のお姉さんたちが、お菓子を持ってきてくれました。仲良くいただきましょうね」
その声に小さな子供たちは集まり、瞬く間に小分けされたクッキーがなくなっていく。
最初はその体格の良さに、少し子供たちに遠巻きに見られていたクリオンだったが、にかっ、と微笑んで見せたところ、父性を感じたのか、子供たちがいっせいに集まってきた。天使の微笑を使わずとも、純粋な子供好きな心は伝わるのだろう。
それを扉の向こうからじっと見ている少年がいることに、巽は気がついた。吹雪もちらとそちらを見たが、まだその時ではないと思い、すぐに目を逸らす。
「甘いもの……好きかな……?」
巽は少年に近づいて、ポケットからチョコレートバーを取り出す。
光を宿さない虚ろな瞳で無表情な巽なので、クリオンのように一瞬で子供の気持ちを掴むことは難しいかも知れない。けれど、この少年と同様に目の前で両親を天魔に殺された身だ。気持ちはわかる。
「く……っ!」
少年はばっと手を出し、巽の手からチョコレートバーを奪って走り去った。何か言った気がする。
──来るな、撃退士っ!
「仕方ないわよね。私たちはあの子が憎んでいる撃退士ですもの」
巽が振り返ると、Elsaが淋しげに立っていた。
「そうですね……でも、チョコレートバーは受け取ってもらえました」
それだけでも、まだ余地はあるはずだ。
●vs シスター
「……ええ、シュトラッサーになりたいと。だから天使に会いたいと言っています」
子供たちを見守るシスターは何人かいたが、そういえばここには男性がいない。クリオンの周りに子供たちが集まったのは、そのせいでもあるのかも知れない。彼は子供たちを引き連れて、外で遊んでいるようだった。子供たちのはしゃぐ声や、「そーれ」などというクリオンの野太い声も聞こえる。
「シスター。与えられた故の苦しみもあるわ。だからあなたは撃退士を辞めたのでしょう。でも私は賜りし力を使う事が、主の意思と……」
Elsaは首に掛けたロザリオをぎゅっと握る。辛辣なことを言っている自覚はある。本当は彼女のような穏やかな形で子供たちを救うことが、信徒として正しい姿なのかも知れない。
「……それとも私が間違っているの……」
それは心の声だった。
「もう少し詳しく……まさとくんの話を聞かせてくれませんか……?」
巽が促す。カイリとファングも黙って待った。吹雪はタイミングを計っている。
「初めは、漫画やアニメを見て影響されたのか、木の棒で何かを叩き割ったり、体力作りのようなことをしていました。天魔や撃退士について本で調べたりしていましたし、私たちにもいろいろ質問していたんです。だからてっきり、撃退士を目指しているのだと思っていて」
「でも、アウルに目覚めなかったんですよね?」
ファングが確認する。
「はい。もちろん元の資質ですから、必ずなれるとは言っていませんし、本人もわかっていました。でもどこからかシュトラッサーの存在を知ってしまって……。撃退士に敵う力を持つことができて、天魔とも関わりを持つことができると。うまくいけばどちらもやっつけられる。子供の想像力で都合よく解釈したようで」
「まだ6歳だもん、しょうがないよ」
カイリはフォローする。
そこへ吹雪が申し出た。
「シスター、少年をしばし外出させてもよろしいか?」
「え?」
シスターも驚いて見つめ返す。吹雪は力強い視線で返す。
「いや、最終手段だ。責任は全て私が負う。なに、悪いことをするわけではない」
やや躊躇したシスターだったが、吹雪の揺るぎない態度を見てこくりと頷いた。
「わかりました。責任は私が負います」
彼女の強い口調に、Elsaはハッとして顔を上げた。
●vs 人間
クリオンと遊ぶ子供たちを遠目に見ながら、少年は庭で巽から奪ったチョコレートバーをかじっていた。甘いミルクチョコレートの味が広がる。姉と食べる時はいつも半分こだったから、1本丸ごと食べ終わるには時間がかかりそうな気がした。
「きみがまさとくんかな?」
カイリが人懐っこい笑顔で声を掛けた。少年はばっと振り向く。
お姫様のようなドレスを着たかわいいお姉さん、さっきチョコレートバーをくれた悲しそうな顔のお兄さん、赤い髪の背の高いお兄さん、長い髪のきれいなお姉さん、それから。
少年が見た感じで、一番自分と年が近そうな、背の低い、青紫の髪をツインテールにした、女の子……男の子かな?
ツインテールがロップイヤーを模したものとも、吹雪が男だということも、もちろん自分の憎む天の者であることも知らず、少し興味を抱いた。
しかしわざと低い声で返す。
「何だよ撃退士」
「へえぇ、いきなり生意気だな」
ファングは少年の挑発的な態度に少し苛立つ。確かに撃退士への憎しみは上辺だけではないようだ。
「ねぇ、そう言えば天魔の事、知ってる?」
カイリが話を振ると、早速少年は怒鳴った。
「知ってる! 僕のパパとママとお姉ちゃんを殺した奴だ!」
「家族の事、好き?」
「大好きだよ! だから、あいつら、許さないんだ!」
追いすがる子供たちを落ち着かせ、クリオンもこちらに合流した。
「まさと君……僕も……天魔に襲われ……家族を失ったんだ……。目の前で襲われたショックで心を閉ざしたから……復讐心は湧かなかったけど……。あの時……心を失わなかったら……僕もきみと同じことを考えていたかもしれない……」
途切れ途切れに、巽は自分の経験を吐露する。今思い出してもこんなに苦しいのだ。まだ1年そこそこしか過ぎていないこの少年にとっては、まだまだ膿んだ記憶に違いない。
「お兄ちゃんも?」
少年は驚いて巽を見た。
「じゃあなんで早くあいつら殺さないの? なんで撃退士なんかになるの? 撃退士が憎くないの?」
子供故の純粋な質問だった。撃退士が撃退士をやっている理由など、初めて聞くに違いない。
「恨みなのね。私も似たような境遇よ」
Elsaは後を受ける。少年は再び驚いて彼女を見た。
「私はその感情を肯定する。失えば恐怖と不安に押し潰されてしまうから。けれど今でも思うの……何故見捨ててくれなかったのか……その方が幸せだったかもって」
見捨てて欲しかった……そう、自分だけを救った撃退士を憎むのは、その想い故かも知れない。
「まさとくんは、家族が天魔に殺されて、どうして復讐しようと考えた? 撃退士を何故憎んだ?」
カイリは優しく問いかける。少年は食ってかかるように地面を蹴った。
「殺されたから殺すんだ! 助けてくれなかったから憎むんだ!」
吹雪は冷たい目で少年を見つめた。クリオンは淋しそうな顔。
二人は堕天して人間側についたとはいえ、少年が憎む天魔に他ならない。
カイリは穏やかな口調で続ける。
「撃退士だって人間、神様の様に全てを助けられるわけではないんだよ。撃退士を嫌いになる、てことは人間が嫌い、て事になるし、それは自分の家族、友達が嫌い、て事になるんだよ。それでも、撃退士が嫌い?」
「嫌いだ!」
少年は躊躇なく言い放つ。
そこでたまりかねたようにファングが拳銃を取り出した。気付いた少年は身体を硬直させる。殺すだのなんだの言っておきながらも、本当に殺傷能力を持つ武器を見たのは初めてなのだろう。
「……昨日までの隣人が、友が、家族が、お前に銃を向けるかも知れない、お前を殺すかも知れない。お前は命を奪う覚悟があるか? お前は命を背負う覚悟があるか? お前は怨まれる覚悟があるか? お前は憎まれる覚悟があるか? お前は、お前を殺してやりたいと思っている人間は本当に誰もいないのか?」
冷たく強くファングが少年の前に立つ。身長差が大きいせいで威圧感が増し、少年はそのまま立ちすくむ。
ファングは持っていた拳銃を少年に握らせた。そのまま自分のこめかみに銃口を当てさせる。安全装置が掛かっているかどうかなんて、初めて拳銃を見る少年にわかるはずもない。震えて引き金を引いてしまう恐れさえある。
「その覚悟があるならば、トリガーを引け! 引いてみせろ! 仇と思った者を撃てッッ! 復讐とは、それ以外の全てを捨て去り続ける行為だ! それを成してみせろ! 捨て去ってみせろ! 殺してみせろ! 山下まさとォオォォオオオオオオッッッッ!!!!」
少年はガクガクと全身を震わせ、今にも倒れそうだった。カイリがそっとその身体を支え、Elsaが手から拳銃をほどく。
「私は君が憎む天魔」
クリオンがおもむろに言った。少年はまだ震えている。それでも彼は続けた。
「君が願うシュトラッサーは私達天使のしもべ。シュトラッサーも君の人生を狂わせた天魔に他ならないのです」
「少年、私についてくるがいい」
吹雪は少年の手を取った。そっと様子を伺っていたシスターに合図を送り、ひとまずそこを出た。
●vs 天使
そこは大きな病院だった。少年は力なく笑う。
「僕は……もうお医者さんに診てもらうところはないよ」
「少年が診てもらうのではない。そなたが見るのだ」
吹雪は少年を病院に連れてくるつもりだったので、既に病院側には事情を説明しておいた。患者の迷惑にならない程度にあちこちを見て回る。
大部屋に並べられたベッドに眠る子供たち、後遺症を負ってリハビリに励む姿、救急搬送されてきたストレッチャーにも出くわした。
「よく見るがよい。これはそなたが成そうとしている風景だ。皆の怒り悲しみ憎しみがわかるか?」
「?」
わからないという顔をする少年に、Elsaは静かに言った。
「この子たちは、天魔に傷つけられたり、崩壊させられた建物の下敷きになったりして、怪我をした子たちよ」
「えっ?」
そう言えば、自分もこんな病院に運ばれた。たくさんの子供たちがいて、目と口以外は包帯でグルグル巻きで、男か女かもわからずに横になっているだけの子供すらいた。傷ひとつない自分に驚いたものだ。
「母君が君に覆い被さっていたと聞いております。何故だか考えてみた事はありますかな? 奇跡は偶然でしょうか? 母君が守ってくれた事の意味をもう一度、考えてみることはできませんかな? 手の届く所を精一杯守った母君の想い、無駄にしてはいけませんぞ」
天の者と言ったクリオンから、そんな言葉を聞かされるとは思わなかった。少年はだんだんわからなくなる。人間に「殺してみせろ」と言われたかと思えば、天魔に母親の最後の優しさを説かれるなんて。
「天魔ってね、全てが悪い訳じゃないんだ。まだ君はそれを知らない。……君はまだ、知らなくていいのかも知れない」
カイリも言い添える。
「今はまだよい、そなたは憎むだけで誰からも憎まれてはおらん。されどそなたがシュトラッサーとなれば、ここにいる全ての、いや、それ以上の者達の怒りや憎しみを向けられる事となるのだ。そなたはそれを受ける覚悟があるのか? それは本当にそなたが望んでいる事なのか?」
吹雪の言葉に少年は俯く。巽は「これだけは言わせて」と少年の前に立つ。
「私怨だけじゃ……天魔どころか……撃退士すら倒せないよ……。それじゃ……きみから家族を奪った天魔と同じだ」
「今は私達やシスターに守られ、あなたにその日が来れば守る側になって欲しい。方法は、一緒に考えましょう」
Elsaも少年に手を差し伸べた。
「皆、そなたの事を想っておるのだ。そなたの命はそなたのものであるが、そなただけのものではないのだ。ゆめ忘れるでない。そなたは賢く優しい子だ。皆の想いが伝わっている事を願っている」
背を向ける吹雪を、少年は呆然と見る。
「あんな……小さい子に」
くすりと笑ってファングは少年に耳打ちする。
「あんな姿だけど、もう爺さんくらいの年齢の天使なんだよ」
さらに驚き呆ける少年を連れて、六人は教会へ戻った。
安堵からか、シスター・アネモネに抱きついて泣きじゃくる姿を見ると、多分もう少年の心配はいらないと確信できるのだった。