●来る者拒まず
詩織を連れて行くことに関して、集まった撃退士たちの意見は男女で多少分かれる形となった。
「詩織は勿論、連れて行くわ。だって……大切だった……いえ、大切な人の最期を看取りたい……出来れば殺されるのではなく自ら幕引きしたいのはわかるもの」
そう言ったのはケイ・リヒャルト(
ja0004)。長い黒髪が美しい。
「どんな姿だろうと愛する人の最期を看取りたい、叶うならその苦しみの幕を自分で引いてあげたい……無謀なお願いですけどわかりますよ。だって、同じ立場なら私もそう思うでしょうから」
詩織の護衛を担当する黒羽風香(
jc1325)も言う。
「愛する人の最期か……。見届けることは『倒す』ことだけじゃないけれど」
それでも華澄・エルシャン・ジョーカー(
jb6365)は、ふんわりとした金髪を夜風に泳がせて詩織を受け入れる。暗視鏡を手に持って。
勝手な真似をしないなら、ついてくることは厭わないと言うのは逢見仙也(
jc1616)。詩織の心中は察するが、下手に言葉は掛けないレイス(
jc1786)。冥魔がいる可能性を考慮して、危険を察知した場合は離脱させるようにと言うのは龍崎海(
ja0565)。
どれもまっとうな意見で、感情論でもあり、現実的とも言えた。
「少なくとも戦闘中は、公園からある程度離れていて欲しいかな……」
レイスは詩織を危惧する。
「ついて来るなら、極力後方に下がった上で、勝手な事はしないと約束してくださいね」
風香も詩織に約束させる。彼女ははっきりと頷く。
「私たちが呼ぶまでは、軽々しく行動しないようにお願いしますわ」
華澄も詩織の目を見て言う。
「わかりました。皆さんのお邪魔になるようなことはしません。弘くんを……よろしくお願いします」
はっきりと意志の込もった言葉に、海は双眼鏡を手渡した。
「一応渡しておくよ。小さな公園だから、使わなくてもいいかも知れないけど」
ありがとうございます、と詩織はそれを受け取り、風香と共に公園の入口付近まで下がった。その前には仙也が二人を守る形になる。
ケイが阻霊符を発動する。
──さぁ、始まりだ。
●フェイク
ケイや仙也、レイスが注視していた動物型のオブジェの中から、透過能力を無効化されたディアボロが浮かび上がってきた。もちろん、パンダやカバのオブジェのような愛らしいキャラクターではなく、目撃情報にあったような、獣の形をしたディアボロが二体。形状は、元は犬か何かだったのか、ディアボロ化した弘よりも小さく、四足で立っていた。しかし身体の表面は弘と同じように、うろこ状のもので覆われており、尾も長く硬そうだ。当然、牙も生えている。
「やっぱりそこだったね」
海も警戒していたため、攻撃の準備は既に整っている。まずは星の輝きのスキルを発動して周囲を照らすと共に、ディアボロたちの目を背けさせる。それほどの美しい輝き。
その隙に、レイスは一対の曲剣でディアボロのうろこが薄そうな関節などを狙って、ヒット&アウェイ。剣がうろこ化されていない耳の部分を切り裂き、ディアボロは奇声を上げる。
その間にも、もう一体のディアボロと弘だったものが、別々に動く。連携などを図れるような知能はない。
華澄はまず、射程範囲内に入った獣型のディアボロを、美しい刀で斬りつける。喉を狙ってみるが、これがなかなかすばしっこい。
ケイが三人の後ろから、装甲を溶かす特殊なアウルの弾を撃ち放つ。二体の獣型ディアボロの身体のうろこに、弱点を付けた格好だ。
一体のディアボロが痛みのためか、獰猛な叫び声を上げてケイの頭上を飛び越える。公園の外に出ようというのだろうか。
「させねーよ!」
オブジェからディアボロが現れることを想定していた仙也もまた、詩織を守る風香の前でショットガンを構える。撃ち放った散弾銃は一体のディアボロにヒットし、落下する。
そこへ風香の放った弓がディアボロの喉笛に深々と突き刺さり、一体が絶命した。
多少の距離があるといえども、犬を改造したような生き物が目の前で壮絶に死するところにいる詩織だ。さすがにこの非日常的な戦闘には震えを隠せなかった。
「大丈夫ですか?」
風香は詩織の様子に気付いて声を掛けるが、彼女は気丈に頷く。歯を食い縛って。
もう一体の獣型ディアボロと撃退士が戦っている間、弘だったものはゆっくりと尾を振った。
「うわっ!」
勢いで砂場の砂が巻き上がり、撃退士たちが思わず目を伏せる。勢い、獣型のディアボロも薙ぎ倒された。
「敵も味方もないですわね」
受けた砂埃が少なかった華澄はすぐさま態勢を立て直し、近くに転がってきた獣型ディアボロに刀を突き立てた。断末魔の悲鳴。
同時に海も、不安定な姿勢ながら槍で弘を薙ぎ払う。獣型のディアボロより重量があるせいか、倒れるまではいかなかったが、やや相手は態勢を崩した。
それを目の端で確認したケイが、弘の足の裏をめがけて再びアシッドショットを放つ。
「ぐぎゃああああぁぁぁぁぁ!!!」
既に人のものとは思えないその咆哮に、詩織は愕然とした。やはりアレはもう弘ではない。優しかった彼の面影は剥き出しの牙によって凶暴なものに変えられ、いつもつないでいた手は鉤爪になっている。その手には勿論指輪はなかった。
震えこそ止まったものの、詩織は弘がこの世にいないことを自覚する。改めて頭で理解する。滅せられなければならないモノだと認識する。
「……皆さん……」
詩織の呟きを、風香は聞いた。彼女の気持ちは堅かった。
「最後は、きっと私が──」
●するかしないか
残りのディアボロが本当に弘だけなのか、ケイとレイスは慎重に公園内を散策した。仙也は時々後ろを振り返って、風香と詩織のいる場所を確認する。彼女はしっかりと、この戦闘を見つめていた。
海と華澄は弘に立ちはだかる。
「あまり長い時間を掛けたくありませんわね」
華澄の言葉に、海も頷く。そして、こんな姿になってでも、やはり無残な殺し方はしない方が良いと判断した。
「少なくともディアボロを生み出した存在がまだいる可能性は考慮しておくべきか」
ずっと感じていた思いを言葉にする海。確かに、弘をこんな姿に変えた張本人はどこかで今の戦闘を見ているかも知れない。できればそれも滅してしまいたかったが、取り敢えずは目の前の敵に集中だ。
生命探知で海が周囲を見た結果と、ケイとレイスの動きにより、この場には弘以外のディアボロがいる気配はなかった。それならば。
まずは仙也が後方からフォースを放つ。光の波は弘を押しのけるように直進する。吹き飛ばされた弘は、右側へ横倒しになった。
「取り敢えず、厄介なのは尾です!」
公園の入口から風香が叫ぶ。ケイが銃を放ち、華澄が腐敗した尾の付け根を太刀で力一杯叩き付けた。三分の二程度千切れた尾を、レイスが振るった剣がすべて引き裂く。
「ぐおおおぉぉぉ!!!」
再び咆哮する弘。無事に尾は切り離され、今度は仙也が護符を用いて弘の腹を攻撃する。直線移動する炎の鳥のようなものが弘の胸の辺りに直撃して、数枚のうろこが剥がれた。
「いただくよ!」
待っていたように海は新しく出来た弱点に槍を突き刺した。弘は少し暴れたが、尾が切られた時にかなりの生命力を持って行かれたようで、おまけに心臓付近を槍で刺されていることもあり、徐々に動きが鈍っていった。
今なら──いける。
動かなくなった……いや、ほぼ動きがなくなったように見えた弘を前に、警戒を解かないまま風香が先導して詩織を連れて来た。そしてその意志を確認する。
「本当にあなたがしたいようにしてください」
(命を奪う苦さを負うことより、逝く人への一掬の涙を素直に流させてあげたいわ)
華澄は静かにそう願う。
ケイは銃を構えて弘の口腔を狙った。
「もし詩織がトドメを刺したいのなら、いらっしゃい」
少し戸惑った詩織だったが、ここまでの戦闘を、一度も目を逸らさずにきちんと見ていたことから、かなりの強い意志を持ってそこにいたのだと思われる。一歩、そして一歩と彼女はケイに近付いていった。それは弘を死に近付けていくということでもあり。
「本当にいいんだな?」
仙也の言葉に、詩織は黙って頷いた。弘はまだほんの少しだけ息がある。いつ反撃されても対応できるように、海は槍を掴んだまま抜かず、華澄は銃を喉元に押し当て、レイスは弘の左手を剣でクロスする。
「ぐうぅ……」
弘が不意に声を上げた。一瞬旋律が走ったが、動きはしない。詩織への最後のメッセージ……などと、都合の良い解釈をすることもできたが、誰もそうしなかった。詩織でさえも。
「弘くん……」
銃に掛けた自分の指の上に、そっと詩織の指を乗せるケイ。もしも彼女が引き金を引いたなら、ケイは渾身のアウルを込めて銃を放つだろう。
そして。
「さよなら」
詩織は目を閉じなかった。弘の変わってしまった野獣のような目を見ながら、短く言っただけだった。そして「ありがとう」と呟き。
引き金を、引いた──。
詩織の力を感じたケイは、そのまま自分のアウルを込めて、弘の口腔内を撃った。喉を焼かれ、爛れた弘は、断末魔を上げることはなかった。ただビクン、ビクン、と二度身体を痙攣させた後、確実に沈黙した。
詩織はさすがに呆然としていた。
「彼の目を閉じてあげて。詩織さん。これはあなたにしかできない。ここにいるのは悼まれるべき命。もう敵ではないわ。見送ってあげて」
弘の喉から銃を離し、華澄は言った。
「罪なき人を傷つけるモノを屠る重さは私たちが担う。恋の幕引きは──あなた自身が」
華澄に背を押され、詩織は弘だったものに初めて触れた。もうあの温かさはない。冷たいうろこ状の皮膚に触れ、初めて涙があふれた。弘の目を閉じさせてやる手には、幸せを誓ったはずの指輪。
「何より、『他人』に歪められたまま『誰か』に最期を奪われるなんて悔しいじゃないですか。愛する人が最期に見るのも聞くのも自分であって欲しい……そう願うのは普通の事だと思います。だから、横山さんが気に病む事はありませんよ」
風香が詩織の心の負担を軽くするために言う。反面、レイスは黙ってその姿を見ていた。下手な慰めは更に哀しみを誘うと判断し、敢えて言葉は掛けない。
海が初めに危惧したのは、詩織がパニックを起こしたりしないかということだった。しかし、一見すると思ったよりずっと彼女は落ち着いているように見えた。ただそう見えるだけで、心の中ではさまざまな後悔や葛藤、愛しさや哀しみが渦巻いているのはわかる。それを少しでも和らげることができればと、ささやかながら海はマインドケアを施した。
●思いを込めて
「私は、豊中さんの指輪を探したいと思うのですが」
そう提案したのは風香だった。公園の入口から戦闘を見ている間、詩織はずっと右手の薬指にはめた指輪をさすっていたのだ。唯一のお揃いの品で、愛情の証でもあったそれは、二つ揃って初めて意味を成すような気がした。
「あたしもそうしたいわ」
「私も手伝います」
ケイと華澄も同意する。詩織の指に嵌っているのは、シルバーの指輪だった。高校生に買えるのはせいぜいこれくらいのものだ。シンプルなデザインで、まるでマリッジリングのような細い指輪。鉤爪にされた時点で既に霧散しているのかも知れなかったが、それでも破片だけでも見つかれば、と風香は思っていた。
男性陣も敢えて反対することもなく、探すのに手を貸してくれた。
「これ……じゃないか」
海は拾ったアルミ箔の破片を放り投げる。
「これでもないですよね」
レイスは艶のある小石を元に戻す。
「これは……違いそうね」
ケイも錆びた鉄屑を投げ捨てる。
「なかなか難しいですね」
華澄もしゃがみこんで探している。
「こんなのじゃないか」
仙也は壊れたプルタブのようなものを掲げた。
「それ……でもいいかも知れません」
風香はしげしげとそれを見つめて言った。
血溜まりの近くに落ちていた、希望的観測で言えば指輪の破片のような、けれどももしかしたらただのプルタブのカケラかも知れないものを、取り敢えず詩織に渡した。
勿論詩織にも見分けがつかない程に壊れ、傷だらけで輝きを失っている輪っかの切れ端でしかなかったのだが、彼女は今までにないくらい安らかに、ニッコリと笑った。
「ありがとうございます」
詩織は丁寧に礼を言い、それを胸のポケットに仕舞った。
●黒い影
「あーあ、つまんねぇの」
夜目を効かせて、撃退士たちに気配を悟られないように、これまでの戦闘を見ていた悪魔が呟いた。
「人間の部分を残したのが敗因かなー」
犬はどうせ単なる力試しだった。ただ人型のディアボロを生み出したのは初めてだったので、弱点を把握しきれていなかったのだろう。
悪魔は嗤う。
「ま、今回は運良く見学できたし、良しとすっかね」
黒い翼は、漆黒の夜を駆けて行く──。