●駆けつける撃退士
「もうっ! 死んでやる!」
だだっ、と、若い男が走ってきた。彼は月居愁也(
ja6837)。久遠ヶ原の撃退士の一人だ。
「やめろって! 早まんなって!」
遅れてもう一人、犬耳を付けたコスプレ風少女が追ってきた。こちらはハルティア・J・マルコシアス(
jb2524)。
突然の乱入者に何事かと、かの中年男はしばし考えを中断する。
「俺が大事に置いてたプリン! それ食べたよな!? 絶望したっ!」
「いやだから、プリンくらい俺がまた買ってやるからって」
「違う! あれはコンビニでバイトしてる友達に頼んでやっと買えた季節限定モノなんだよ! もう手に入らないんだ!」
「そんなんでいいのかよ、そんなんで! また来年出るんじゃないのか?」
「来年はマロン風味じゃないかも知れないだろう?」
「あー、はい。──でも死ぬとかダメだし!」
思わず納得しかけて、ハルティアは思い出して愁也に殴りかかる。
「がっ!」
よろめいて尻をついた愁也はしかし、決して大袈裟ではなかった。
(平手って約束なのに、グーは痛い……)
涙目の愁也を見て、ハルティアは視線で謝る。
そこで二人は、今初めて気付いたように、傍らに座り込んでいる男に目をやった。
愁也は胸ポケットから出したペンライトで男を照らす。
「あれ、順番待ち? それなら待つけど」
その横を、再びだだだだっ、と人影が走り抜ける。躊躇もなくおもちゃのような柵を越えて行った。
「あっ」
男は思わず声をあげる。
「この先は……危険だ」
「大丈夫だよ。あいつら撃退士だもん」
ハルティアが事もなげに言う。
「撃退士? あんな若者たちが……? 女の子まで……」
「若くても女でも、撃退士やってるんだよ。そんなおっちゃんこそ、こんな危ないとこで何やってんだよ」
●暗闇に灯りを
「血の……臭いだ」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)は言った。
わかりやすく男の前で派手に柵を越えた後、四人の撃退士たちは足を緩め、慎重に高架下に近付いた。何度嗅いでもこの臭いは気分のいいものではない。
「まずは、トワイライトを発動します」
大きなシルクハットを被ったハートファシア(
ja7617)は、ポゥ……と淡い光球を作り出した。灯りのなかった付近が明るくなる。
鳳静矢(
ja3856)は太刀をいつでも抜けるようにしながら、ハートファシアと共に周囲を窺った。
皇夜空(
ja7624)もコグニショングラスを起動する。
そこへ、グルルル……と低い唸り声のようなものが聞こえてきた。
「これが野良犬か」
夜空がコグニショングラスを通して高架下の奥の暗がりに見えた姿を確認する。
大型の犬のようだ。黒いので闇に馴染んでいる。
「ふむ、こいつはディアボロのようだな……」
静矢は周囲を警戒した。
「まだ居るかも知れない。目の前の奴以外にも気を付けるんだ」
「では、こちらも茶番を始めようか」
夜空は冷たい微笑を浮かべる。
低い唸り声と共に現れたのは、全部で四頭の野良犬──ディアボロだった。
「一人当たり一頭ですか。十分茶番ができます」
ハートファシアはトワイライトを高架下まで移動させる。
この程度の知能レベルなら、奥に更に倍の数が控えているということもないだろう。
まず一番に、ラグナがシャイニング非モテオーラを発しながら飛び出した。
「愚か者がッ! 私の輝きに見惚れるがいいさッ!」
走り出したラグナにディアボロたちが惹き付けられている間に、夜空は一頭に向けて鋼糸を放つ。
「俺は戦う事しか出来ない、破壊者……だから戦うッ! 争いを生む物を倒す為に……その為に! 貴様を破壊するッッ!!」
それはディアボロの右目を貫いた。
「ギャン!」と犬らしい声を上げてディアボロは伏せる。
それに気付いた他の三頭は我に返り、一頭が灯りのそばにいたハートファシアに向かった。
(ええっと、少しは怪我でもした方がリアルですよね?)
わざともたもたしたハートファシアにディアボロが牙を剥く。
(でも負傷は服が汚れますし)
牙を避けて両腕でディアボロの身体を受け止めて弾く。よろめいて高架下の壁にもたれた。
一旦着地したディアボロが、再びハートファシアに襲いかかる。
「きゃー」
静矢がその間に飛び込み、太刀、柳一文字を横に薙いだ。
ディアボロが真っ二つに両断され、鮮やかに血しぶきが散る。
「名演技だな、ハートファシアさん」
「静矢さんこそ、素晴らしい演出です」
●戦いの光景
「きゃー」
高架下に灯りが灯り、どうやら戦闘が始まったようだった。少女の悲鳴が聞こえてくる。
(ハートファシアさん、棒読みだ……)
内心汗をかきながら、愁也とハルティアは男の前に座っていた。
「話はだいたいわかったけどさ。アレ見てもそう思う?」
愁也は明るく照らされた高架下に目をやった。
まるでスクリーンでも見るように、彼らの戦闘シーンがよく見える。
普段はあの中に混じって闘っている愁也とハルティアはともかく、一般人が見て恐怖しないわけがない。
愛玩犬としての従順な面差しなどまったく見えない、野良犬どころではないディアボロの姿とその断末魔。
返り血を浴びながら武器を、身体を使って闘う撃退士たち。
それを見てもなお、この柵を越えると言うのなら、もう止めはしないが。
「ま、アンタの好きにすりゃいいけどさ」
「何故……私なんかのためにここまで……」
男は力なく呟く。
「別におっちゃんのためじゃないけどさ。一般人にも被害が出てるわけだし」
ハルティアはそっけない。
(んー、人間の考えることってやっぱりわかんねぇ)
「でもま、おっちゃんに何かあったらその家族が気にするし、何より今、この場でそれを見た俺が気になるだろ」
「アンタだって、あの闘ってる奴らに何かあったら、気にならないのか?」
愁也も男に向き直って言う。
「でも、私は……」
男は言葉をなくす。愁也はその胸ぐらを掴んで強い口調で一喝した。
「甘えんな。死のうなんて気力があるなら、まず自分がやれること先に考えろ!」
●命の重さ
「そろそろ話はついた頃か?」
ラグナがちらりと柵の向こうを見やる。
男が夢中で柵を越えようとする気配がないところを見ると、なんとか説得できたのだろう。
「それでは、片付けさせてもらう!」
ラグナは夜空によって右目を貫かれた一頭をツヴァイハンダーFEで斬りつけた。
残される者のことも考えずに、自分が辛さから逃れたいために死ぬなど、許さない。
妻も子も──残される者が確実にいるというのに。
ギリ……と奥歯を噛み締める。そこへもう一頭のディアボロがラグナに向かってきた。
「許さない! お前もッ!」
ふと遠い過去が蘇り、それごとディアボロを打ち消した。
あの男に一言だけ言ってやろう。
「そこの彼が死ぬには何かが、もっと何かが必要なのだ。でなければ我々は此処に来た甲斐がない、彼はまだまだ無限に長く歩き続けなければならない!! 死ぬためだけに!!」
夜空は両目を見開き、口唇の端を釣り上げながらディアボロに鋼糸を絡め、思い切り引き裂いた。
ヴィジュアル的には凄惨だが、見せつけるものとしては効果的だろう。
辺りには血の臭いが濃く立ち込めていたが、幸いにして、仲間の血が流れることはなかった。
あとは神父としての顔で、説教でもくれてやろうか。
「終わったか? さらに奥から出てくるなんていうことはないだろうが」
静矢はハートファシアのズレたシルクハットを直してやってから、慎重に周囲を確認した。
「きつい躾が必要なのは、むしろあの男の方か」
「本当に」
ハートファシアも周囲を見渡し、少し奥までも見に行く。小さな身長で、天井裏までもを確認した。
「大丈夫ですね。ゲートもないようです。すぐに立入禁止は解除されるでしょう」
●心に光を
「ああ……」
柵まで戻ってきた四人の撃退士たちを見て、男は青ざめた。
返り血を浴びた彼らの姿が、負傷したように見えたのだろう。ならば敢えて訂正することもない。
「──!」
つかつかと歩いてきた夜空は、突然男の両頬をひっぱたいた。男は呆然と彼を見上げる。
「死ぬ事は誰にでも出来る、簡単だ。だがな、生きるということは死ぬよりも辛いッ──それはな、生きるという事は神が与えた試練、挑戦、賭博、ギャンブルッッッ──生きるという事は、それほどに劇的だッ!! お前は今その鉄火場だ、鉄火場にいるッ!! そこでお前は降りるのか、人間をなめるなッッ!! 生きることが『出来なかった』人間も、確実に、存在するんだッッ!!」
夜空の剣幕に一同驚いて黙ったが、すぐにハートファシアも続けた。
「保険金? 仕事を辞められない? 家族を言い訳に逃げているだけじゃないですか」
少女の言うことがまっとうすぎて、男は返す言葉もない。
「だいたい、保険金っていくらなんです? 何億? 何兆? たとえ国家予算ほどあっても、あなたという人の存在の代わりにはなりません。本当に家族の為と言うのなら、いなくなってはダメですよ」
ああ、たかだか数千万円で、家族の幸せが守れると思っていた。
夫に先立たれた妻が、父を失った子供が、それっぽっちのお金で幸せになれるはずがないのに。
「私も学生の身分だが妻が居る……義理だが兄弟姉妹も居る。だから敢えて言う……貴方が死んでどれだけの人が悲しむか、もう一度考えて欲しい。そして、貴方だから出来る事……貴方が生きていなければ出来ない事が必ずあるはずだ。辛い事が有ったのかもしれないが、もう一度良く考えて欲しい」
そう言った静矢が太刀を携えていることに男は気付く。
若い学生が、こんなものを持って戦っているというのに、自分は……。
「あんさ、死ななきゃなんねー理由なんて、種の繁栄の妨げになるから位しかねーの。おっちゃん、まだやれることあるんじゃねーの?」
ハルティアも、精一杯人間の気持ちを考える。
「人ってさ、なんで自分で死のうとすんのかね。ちょっと不思議だわ。生きたい奴もいるってのによ」
生きたい奴……愁也は懐かしい友人を思い出す。
「なあ、生きてんだろ? 動けよ、考えろよ。アンタはまだ『生きて』んだからさ」
ラグナはその時、両親を思い出していた。
「……どうせ死ぬのなら、家族とよく話し合って、それからにすることだな」
無表情に、冷たい台詞を投げつける。
「残された者が、傷つかないはずなどないのだから」
「……は……」
男は両手で顔を覆った。肩が震えている。泣いているのだろうか。泣くほど、彼らの気持ちが伝わったということだろうか。
撃退士というものは、多かれ少なかれ、家族なり恋人、友人や仲間を失ったり傷つけられたりした経験を持っている。
だからこそ、彼らの言葉は偽善ではない。今『生きて』いるのは、誰かに『残された』者なのだから。
不快そうに溜め息を吐いて、ラグナはその場から先に立ち去った。
一人、また一人と背を向ける中、ハートファシアは最後に告げる。
「形だけでも、上司が引くぐらいのやる気を見せれば、イビリも減るのでは? やり方は……自分で考えるのですよ」
一度夜空が振り返った時は、男はまだ俯いていたが、気持ちは前に向いていることがわかった。
そして、その心は家族のもとへ向かっていた。