●下準備
「お姉ちゃんも少しは笑い方教わってくればいいよ」と妹に言われて依頼に参加したアイリス・レイバルド(
jb1510)は、事前準備としてランスロットにアンケートを取っていた。内容は、テーマは久遠ヶ原に来て楽しかったことや印象に残ったこと、悲しかったことなど、ありきたりではあるが、個人を知る上では重要な事項だ。
(積み重ねてきた歴史が二年しかない? 二年も積み重ねた歴史があるならば十分過ぎる情報だろう)
彼女はそう思う。「二年しか」ではなく、「二年も」あるのだと。
そして他に集まったメンバーに、「久遠ヶ原限定他人の思い出の地巡りの旅だな、期間までには戻る」と言い残し、しばらく学園内をうろうろしていたようだった。
同じ頃、ヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)も、ランスロットの友人関係を辿り、情報収集をしていた。好きなことや嫌いなことを聞き出し、興味の引けそうなものを探す。彼はその情報を他のメンバーと共有し、各々の計画に役立てば、と考えた。
(思い出したくない過去なら、思い出さなくても良い。記憶が無いのなら、新しく思い出を作れば良いだけのことです)
やがてアイリスも戻ってくる。他に集まったのは、元気少女・卯左見栢(
jb2408)とクールだが本音を知りたい鎖弦(
ja3426)、何かを隠し持っている様子の月詠神削(
ja5265)と和服姿が麗しい月生田杏(
jb8049)、そして無言で考え事をしている様子の剣崎仁(
jb9224)と、依頼中も妹のことばかりを考えているイツキ(
jc0383)である。
それぞれにランスロットの顔面筋を動かす妙案を持っているようだったが、アイリスとヴァルヌスから得た情報を参考に、方向修正をしながらランスロットにぶつかることにしていた。
●卯左見栢の挨拶
「ふぅん、笑わない子かぁ……感情があるならあと一歩……何かが足りないのかもねぇ」
栢は呟いて、少女Yを通して予め決めておいたランスロットとの待ち合わせ場所に向かう。
どうこう考えても仕方がない、ここはいつもの明るく元気な栢のテンションで行く!
「あっ、ランスちゃん、見っけー!」
栢はランスロットに駆け寄り、元気に挨拶をした。
「はじめまして! アタシ、大学部一年の卯左見栢っていうの。よろしくね」
突然声を掛けられて、あまりの元気な栢に押され気味のランスロットは、「お、おう」と返す。
「ていうかランスちゃん、ホント美人さん! アタシ、テンション上がっちゃう!」
興奮のあまり、栢は思わず光纏してしまい、ふわふわな横髪がウサ耳のように動いてしまう。表情は変えないが、多分驚いた様子のランスロットに、「あ、これ勝手に動いちゃうから気にしないで〜」と声を掛ける。栢のテンションに合わせて、パタパタゆらゆらするウサ耳風横髪に、ランスロットは「賑やかだな」と呟いた後、「可愛らしいな」とも言う。もふもふが気に入ったらしい。
「えへへー、ありがとっ」
どさくさに紛れて、栢はランスロットにスキンシップ作戦を図る。抱きしめたり撫でてみたり、百合娘らしいフランクさでランスロットの緊張を解いていく。するとランスロットは、「ん?」と言って栢に向き直った。
「今のは、キス、というやつではないのか?」
「そうだよー。親愛の印っ♪ 外国では挨拶代わりらしいけど、日本では挨拶ではしないね」
心象を悪くしただろうかと、栢は少したじろぐ。しかしランスロットはキスされた頬を撫でながら言った。
「親愛の印を、私にくれるのか?」
「うん。アタシ、ランスちゃんと仲良くなりたいもん。ランスちゃんが嫌じゃなかったら、だけど……」
「嫌ではない」
「じゃあ、アタシたち今から友達だね」
「友達……また増えた。ありがとう、と言えばいいのか?」
「お礼はいらないんだよ。嬉しいのはこっちなんだから」
顔面筋は動かせなかったが、心は動かせたようである。
●鎖弦の挑戦
栢とランスロットの友情が成立したところで、人員交代。
(何故人は表面的な部分にばかり拘るのか、理解に苦しむな……)
ハーフ悪魔の鎖弦には、やはり人間が表面的な部分に拘ることが不可思議なようだった。ランスロットも天使ゆえに、表面的なことは気にしていないのかも知れない。
鎖弦が気になっていたのは、ランスロット自身にも「笑いたい」という意志があるのかということだった。アイリスとヴァルヌスの情報から考えると、彼女は皆が求めるのなら笑顔を見せたいと思っているらしい。それで皆が喜ぶのなら、笑顔というものを身につけたい気持ちはあるようだった。
(皆のため、か……)
鎖弦は模擬演習と銘打って、ランスロットと一戦交えたいと名乗り出た。ランスロットは表情を変えないので、嫌がっているのか喜んでいるのかは読めないが「いいぞ」と答えた。
鎖弦は思っている。刃を交えれば、相手の本質や心がわかる。それは言葉を交えるよりも深く、確実に知ることができる。逆もまた然りで、自分のことも向こうに伝わってしまうだろうが……。ランスロットにその気があるのなら、自ずと表情を変えるだろう。
ランスロットは自前の長物を手に取る。鎖弦は、義妹より授かった流美天咲(忍刀・大雀蜂)を使うことに決めていた。普段戦闘で使っているものではなく、この忍刀だけは活人剣として使うと決めていた。ここで役に立つかも知れない。
「手加減は……しない」
「わかった」
数少ない言葉でも、鎖弦の真剣さが伝わったのか、ランスロットも気合を入れて構える。腕一本くらいは覚悟していた。
ランスロットの長物と、鎖弦の忍刀が激しくぶつかり合って、文字通り火花を散らす。どちらも本気で、一歩も譲らない。が、最終的に鍔迫り合いの果てに、ランスロットの長物が飛ばされてしまった。鎖弦はトドメの代わりに、忍刀をランスロットの胸に寸止めする。
「参った。降参だ。本当に敵だったら、私はもう死んでいるな」
ランスロットは鎖弦がトドメまでは刺さないことを感じ取っていたのか、両手を上げて降参のポーズをとった。鎖弦も忍刀を引く。
「……強いな」
鎖弦はそう呟いたがしかし、ランスロットは戦いを好まないのだということが、刃を交えながらひしひしと伝わってきた。誰も傷付けたくない、傷付くなら自分だけでいい、そう思っているようだった。
「お前の方が強いぞ。太刀筋に迷いがない。美しい剣だな」
忍刀への思い入れを見透かされたようで、鎖弦は少し目を逸らす。
「良かったら、手合わせの礼に茶でもどうだ?」
●毒なお茶会
自家製緑茶と手製のおはぎを持参していた鎖弦は、様子を伺っていた他のメンバーにもそれぞれコップとおはぎを配る。
「美味いな」
「美味しいわね」
鎖弦のお手製のおはぎは好評で、ランスロットも黙々と食べていたが、声を掛ける前に二つ目を手に取ったので、気に入ったものと思われる。事前に甘いものが好きだと聞いたのが功を奏したのかも知れない。
そこで動き出したのは、神削だった。するっとランスロットの隣に滑り込み、「美味しいおはぎですね」と声を掛ける。
「そうだな、人界の食べ物は美味いものが多いが、これはぬくもりを感じる味だ」
神削は内心、そんな素晴らしいおはぎを持参してくれた鎖弦に申し訳ない気持ちを抱きつつも、作戦を決行することにする。
「俺も飴を持ってきたんです。良かったらいかがです?」
過去の依頼でも大いに役立った「例のブツ」を、神削は持参していた。黒に菱型の模様の入った、一見スタイリッシュな輸入菓子のようだ。蓋を開けると、黒に近い暗褐色の菱型の飴が無造作に入っていた。
実はコレ、世界一不味いお菓子としてテレビ番組でも放送された程の、北欧の有名菓子なのである。主成分に塩化アンモニウムを含み、リコリスで偽装されたような飴だ。
かつてコレを食した神削は「科学室で量産される鉄くずにの味がする」と評したらしい。
ランスロットの場合、感情と表情の連動が断たれているのだと彼は推測する。手足が麻痺して動かなくなっているのと似たようなものだと。
例えばこんな逸話があるだろう。車椅子生活だった人が雷に打たれた衝撃で再び歩けるようになったとか、寝たきりの老人が地震の時に跳ね起きて自力で逃げたとか。つまり強烈な衝撃は、動かなくなった身体の一部を、火事場の馬鹿力的に回復させる効果があると神削は考えたのだ。ランスロットの顔面筋も、このブツで回復できるのではないかと彼は考えた。
「おお、今日は何かと尽くされる日だな。ありがたくいただく」
菱型の飴を、ランスロットが一つ口に放り込む。表情は変わらない──が、ランスロットは飴を噛んで食べる方だったらしく、ガリっと音がしたと思った途端、ランスロットの顔面筋がぴくりと動いた。明らかに不快を表している。
「前にキャラクター消しゴムを食べさせられた時の味がする」
多分少女Yにいろいろ試された中に、そういうことがあったのだろう。しかし、次の瞬間、ランスロットのものとは思えない悲劇的な言葉が出てきた。
「qうぇrちゅいおpあっぐんm!!!」
既に言葉になっていないが、顔面筋が少し崩れた! ランスロットは口を開け、何とか意識を保っているが、周囲のメンバーはランスロットの口からアンモニア臭を感じて大慌てする。
「ちょ、お茶、お茶!」
杏が鎖弦の水筒を取り、コップに二度注ぎ足す。それでもランスロットは涙目になっていた。
「……爆発的な味だ……お前、これは人間にとっては美味いものなのか?」
取り敢えず復活したランスロットは、神削に訊ねる。
「美味しいと思う人も中にはいるかも知れません」
あくまで可能性の話だが、と心の中で付け足す。ランスロットは「勉強になった」と言って、また三つ目のおはぎに手を伸ばしていた。口直しのつもりだろう。
しかし、今、確かにランスロットの顔面筋が動いたのだ。神削の飴作戦は荒療治だったが、効き目はあった。あとは杏に任せよう。
●月生田杏の依頼
涙目から回復したランスロットに、杏は知人の呉服店が新作の着物のモデルを探しているので、それを引き受けてもらえないかと願い出た。もちろん口実である。
「ランスちゃんの着物姿、アタシも見たいなー」
無邪気な栢の発言に乗じて、メンバーは一緒に呉服屋に行くことにする。着付けに入るというので、呉服屋で借りた一室で杏とランスロットは二人きりになった。
「好きな色はあるかしら?」
オネェ口調の杏だったが、立ち居振る舞いも優雅で、和服もよく似合っている。
「特にない。イメージカラーは紫だとよく言われるが」
「そうねぇ、イメージカラーは放棄しちゃってもいいかしら? 普段と違う色合いも似合うと思うのね。ランスちゃんはお着物は初めて?」
着付けからヘアセット、メイクまでを手際よく仕上げていく杏は、おしゃべりも上手でランスロットを飽きさせない。しかしランスロットの身体は、緊張のためかやや堅い。
「なぁに? 不安? 心配しなくていいわ。女の魅力は男が一番よく知ってるものよ」
杏はギラァっと不敵に笑う。
「あたしに任せなさい♪」
着付け中もメイク中も、決してランスロットには鏡を見せない。変身中の経過より、急に変化した時の戸惑いや意外性を見せたかった。
「……しかしホント綺麗ね。小さい頃はどんなコだったの?」
「二年前以前のことは覚えていないのだ」
「そうなのね。でも無理に思い出さないで? むしろ思い出そうとしちゃダメ。忘れるってのは、自分の心を守るための大切なものよ」
「心を……守る?」
先ほどの飴の効果だろうか、少しランスロットの顔面筋が動くようになった気がする。杏にもわかるくらい、ランスロットはきょとんとしていた。
「ま……かく言う僕も、本物のオネェじゃないしね。そうすることで、自分の心を守ってるだけなんだ」
他人には滅多に言わない本音を、杏はさらりと流す。相手の心を開くためには、自分の情報をフルオープンにすることが肝心。心をガッチリ掴むための基本だと彼は思っているから、ランスロットと二人きりの今だけ「僕」という一人称を使った。
それからは女子同士のような明るい話題を交え、着付けを終える。
「教えてくれてありがと。……さ、出来た! みんなにお披露目しましょ」
●芸術で
「うっわー、ランスちゃん超可愛い!!」
「とてもキレイです!」
皆が様々に賞賛する中、ランスロットはようやく自分の変化した姿を鏡で見ることができた。
「これが……私なのか?」
決してイメージカラーとは言えない薄い桜色に、足元から桔梗の花が描かれた着物。緑の帯に、金の帯締め。金髪は敢えてそのままアップに結い上げ、ノーメイクでも美人なのに、和装に似合うようにメイクされた技術は相当なものだった。
「杏さん、すごい腕前ですね」
そう杏を称えたヴァルヌスは、
「良かったら、このまま再びお茶にしましょう」
と、持参した手作りのケーゼクーヘン(ドイツ風チーズケーキ)と紅茶を並べた。
「戦うのは苦手ですけど、こういうのは得意なんです」
えへへ、と彼は言う。杏は着物での座り方をランスロットに教える。戸惑ったような、嬉しいやら恥ずかしいやらの表情がにじみ出てきている。
これまで黙って見て、ついてきていたアイリスだったが、決して何もしていないわけではなかった。脇に抱えたスケッチブックを取り出し、ランスロットに渡す。
「私はどうにも口下手だからな。気の利いた話術はないが、代わりにこれをずっと描き留めておいた」
「見てもいいのか?」
アイリスはこくりと頷く。そこには、今日栢にキスされた場面や、鎖弦と一戦交えた真剣な表情、神削の飴を食べて悲惨な表情になっていた一瞬、そして美しく変身した和装姿や、今皆でケーキを囲んでいる和気あいあいとした絵が描かれていた。そこには今日参加したメンバーが全員描かれており、その前に書き溜めておいた、ランスロットの思い出の場所の絵もあった。
「すごいな……」
呟いたランスロットを見やると、不意に涙していた。感動したのだろう。芸術とは、心を揺さぶるものだ。
「涙は女の武器よ! でも、女の笑顔には誰も敵わないわ」
杏が言って、ランスロットの口角をきゅっと上に引き伸ばす。
「さ、笑って」
「笑う?」
「そうよ、にこっ、て」
「こ、こうか……?」
唇が震えて目が死んでいるので、とても怖い表情になった。それでも、やがて彼女も笑えるようになるだろう。彼女の心は死んではいない。だから。
「君が望めば、君は笑える。その為に力になろうとしている友人がいて、こうして馬鹿を出来る人達もいる。今すぐじゃなくても良い。焦らなくても良い。でもありのままの君を見れたら、皆が幸せになれるんだ。僕も、君もね」
ヴァルヌスは口調を崩し、柔らかい微笑みをこぼす。彼は心の底からそう思っていた。それは他もメンバーも同じ思いだった。