●幽光も射さず
請け負った撃退士達が現場に辿り着くと、そこは昼間だというのに何処か仄暗さを感じさせた。
当時工場全体が燃え盛った名残がまだあるのか、十年以上野晒しにされている建物は焼け焦げたような黒色が広がっている。
「……出入り口は、封鎖もされていないのですね」
御幸浜 霧(
ja0751)がそう呟いて向けた視線の先には、かつて自動ドアだったものが興の侭に進む侵入者の手によって抉じ開けられた状態だった。
人ひとり通れるくらいの空きは、車椅子の彼女が通るには少し足りない。
ドアに手をかけた御守 陸(
ja6074)が力を入れて押し込むと、鈍い音と共に開いていく。
「早く、助けてあげないとですね」
この奥に天魔が存在しているのであれば、行方不明になってから二日という時間が示すものは――
脳裏に浮かぶものを打ち消すように、陸はかぶりを振った。
僅かにでも残された可能性を、今は信じるしかない。
「過ぎた好奇心は、身を滅ぼすのだけれどね……」
日が射した事で目に留まるものに、早見 慎吾(
jb1186)は嘆息した。
焼け焦げた跡は外よりも酷い。
自動ドアが機能していなかったのであれば、中に居た人達はどうなるか。黒の濃淡が過去に起きた惨憺たる事柄を如実に語っているようにも思える。
それでも尚、無遠慮にこの奥へ向かう行為は、褒められるものではない筈だ。
「うー……」
その後ろから覗いていたファラ・エルフィリア(
jb3154)の唇から、小さな唸り声が漏れる。
「いかにもユーレーが出そうなトコなの……」
彼女は悪魔であるが、苦手なものは苦手だ。
何があったのかを知った上で痛ましい痕跡を目にすると、そういうモノが現れてもおかしくはない重苦しい雰囲気が、此処にはあるような気がする。
「隠れるなりして、無事で居てくれればいいんだが……」
暗所でも視界を妨げないゴーグルを取り出し、梶夜 零紀(
ja0728)はゆっくりと中へ踏み入れた。
かつて多くの従業員が勤務していただけあり、全体を見るに結構な広さがある。工場内が崩壊していなければ身を隠すスペースがあるはずだ。
けれど、既に二日が経過している事実に楽観などは出来なかった。
(……同情はしません)
この状況が意味するものを覚ったように、牧野 穂鳥(
ja2029)は光の届かぬ通路の奥を見据える。
どのような結果になったとしても、己のした事の責任を負わねばならないのは己のみの筈だ。例えそれが、命を左右する事になったとしても。
(ですが、待っている方が居るのなら、その方の為に――)
ただ待ち続けるしかない人達の為に、帰ってもらわなければ。
「事務室、真っ黒、ね」
出入り口のすぐ横にあるガラス窓を覗き込んだ物部 ココが首を傾げる。
全焼した工場に、最早資料は残されていないに違いない。
「という事は、これだけを手掛かりに行くしかないんでしょうね……」
依頼内容を聞く際に配られた簡素な見取り図を手に、陸は小さく息を吐く。
十年以上前に遺体収容と調査の為だけに用意されたものらしく、何が何処にあるのかなどの詳細な情報は殆ど記されてない。
「なら、手近な所から見て回ろう。皆で固まって行動した方がいい」
「そうですね……。倉庫は既に警察が捜査していますから後回しでもいいと思います」
周辺を見回しながら零紀が言うと、穂鳥も頷いて返す。
「では念の為に事務室を調べた後、休憩室を見て、工場の方に行きましょうか?」
慎吾の言葉に同意を示すように霧は頷き、薄暗い通路に僅かな時間の思考を巡らせた後、阻霊符を取り出した。
「奇襲されても逃げられても厄介ですから、わたくしは阻霊符を発動し続けますね」
天魔の透過能力を無効に帰する為、紫色のオーラを纏い光纏する。それと同時、脚に桜の紋様が浮かび上がると、彼女はゆっくりと車椅子から降り立った。
「密集しすぎても動き難くなるけども」
ファラは手招きしてココを呼び、付かず離れずにいるように告げる。
「物部さんの初めての依頼だし、頑張って成功させるねー。一緒に頑張ろう!」
あたしもまだまだひよっこだけど、皆で強くなれたらいいな。
そんな思いで紡がれた言葉と微笑みは、なんだかとても眩しく見えて、ココはこくこくと二度頷いた。
●届かない手を
懐中電灯やフラッシュライトという照明器具のお蔭で、事務室と休憩室の調査は手短に済んだ。
机などの備品は崩れる寸前といった有様で、小さな物は殆どが燃え尽きており、人の気配も無いし隠れる空間も無かった。
「やっぱり、工場の方か……」
陸が地面にライトを向けると、警察の捜査の為に判り難くはなっているが、薄く積もった埃に残る足跡が工場の方に向かっている。
猛火に耐え切れず半ばたわんだ状態になった扉を零紀が押し開けると、中は光すら飲み込むような闇が広がっていた。
「此処は窓も無いのか……?」
眉を顰めながらナイトビジョンを装着する零紀の後ろで、慎吾が星雲の煌きを思わせる光彩を生み出した。
暗視ゴーグルで慎重に進む零紀と、己が身の半身は優に隠せる程の盾を持った霧が前列を務め、後列では慎吾が自分を中心に放つ光を頼りに警戒する。
陸もまた暗視ゴーグルを身に着け、鋭敏にした耳で僅かな異変も聞き漏らさぬように意識を集中させた。
奥へ進むに連れ、撃退士達の光は孤立するように常闇の中に浮かぶ。
生命線とも言える光源を絶やさぬ為に、穂鳥が虚空でゆるりと手を下げると、燭を宿す鬼灯が提燈の如く彼女の手に現れる。
誰も声を発しなかった。
灯りが増え、ファラは頭上にある物や床が崩れる兆候がないかと注意を払う。その隣でココは地図と周囲を交互に見ていた。
「……此方には居ないようです」
霧の発した小さな言葉が、周囲に響く。
生体反応を察知する力を用いたにも係わらず、何の反応も無かったのだ。
「僕も、此処まで変わった音は聴こえませんでした」
陸の報告に、他の者も変わった所は無かったと告げる。
「より慎重に行きましょう」
落ち着いた声で言った後、穂鳥は第一工場の奥の闇を見遣る。その先に、第二工場に繋がる通路があるはずだ。
圧迫感を覚えるのは、この闇の所為だけだろうか? ――何か居るとしたら、そこしかない。
「過去のゲートから現れるディアボロとかも、居るもんねー……」
それはあくまで可能性の話ではあったが、自分でそう口にしてからファラは小首を傾げた。
「あれ? てことは、昔出てきたのが居付いちゃった系?」
だとするなら、事前に調べる事で多少の情報も得られただろうか。時機を逸してしまった以上、今は兎に角前に進むしかなかった。
「……何か、聴こえる……水の音?」
「……そう言えば何か湿気を帯びた感じがしますね」
ゴーグルの奥で眉を顰める陸の言葉に、慎吾も目を細めて通路の先を警戒する。
鬼灯の光を下に向けた穂鳥が、これ、と小さく告げた。
殆ど荒らされていない通路の埃が、途中で大きく広がり、そのまま手前の大きな扉の中に入っている。
それはまるで――
「引き擦り込まれた、みたいな……?」
ファラが恐る恐る口にした。小さく息を呑んだのはココだろうか。
霧は新たに生体を探る力を行使し、まだ反応は無いと首を横に振ると、零紀が音を立てぬようゆっくりと扉を開いた。
――黒一色と言っていい程に昏い場所。
何も襲ってこない。何も無い。……何も?
否。先程までとは決定的に違っていた事がある。
何かが腐ったような、饐えた臭い。
それがどんな意味であるのか、各々の脳裏に最悪の事態が過ぎる。
そして撃退士達は確認しなければならない以上、冥漠へと踏み入らなければならなかった。
どれだけ進んだだろうか。
「! 左側に何か――!」
探知した霧が声を上げるのとほぼ同時、光を侵蝕するような闇が撃退士達へと躍り込む。
「……っ!」
咄嗟の行動が間に合ったのは穂鳥だけだった。
ソレが誰を狙ったのかは一瞬の出来事過ぎてはっきりと分からなかったが、刹那に障壁を展開して自らを盾にしたのだ。初依頼で経験の浅い彼女の事を気に掛けていたが故の行動だろうか。
殆どを障壁が阻んだが闇色の腐臭を放つ泥が飛び散り、穂鳥の衣服を汚していく。
陸は暗視ゴーグルですら靄に包まれて見えるソレに銃口を向け、己の勘を頼りにトリガーを引いた。
闇に吸い込まれる弾丸は、直感的に命中したと感じる。
痛覚の反応が無かったのは、それすら許さぬ寸陰で零紀が斧槍を繰り出したからか。
だが確かに靄の中へと穂先は突いたにも係わらずのに手応えは無く、眉を顰める。
彼もまた暗視ゴーグル越しに黒い靄を確認していたが、今は奇襲されたに等しいこの状況を打破する事が先決と判じた。
(此方の弱い部分を狙っているというのでしたら……!)
霧は穢れなき聖なる鎖を顕現させ、澱む靄を絡み取るべく放つ。
相手がディアボロであるなら、最大の力を発揮するものとなる――筈だが。
靄が大きく揺れ動いた。それが鎖は至らず不可思議な動きをする敵を野放しにした侭の証だった。
靄に包まれたソレがどちらの方向を向いているのか判別がつかない。
だとしても、互いの隙を補うように位置を取れば、何処かが死角になる。
「この、爆ぜちゃえ!」
ファラは掌に作り上げた札を靄の中心に目掛けて投げ打つ。
ごうん、と闇の中で小さく爆発したのを印にするように、慎吾が肉薄する。
やや遅れてココが牽制として放った符は靄の中のソレを捉えなかったが、振り下ろされた薄桜の刀は確かな手応えを所有者に伝えていた。
●ゆらゆらと
ア゛――ア゛ゥア゛ァ――――!!
それは果たして声だったのだろうか。
人が発声するものではない音を悲鳴のように上げたソレは、敏速な動作で光の届かない闇の中へと跳び退る。
「……どうする?」
姿が消えた方向から眼は離さず、ファラが呟くように仲間へと問う。
「奴が俺達を狙うなら、また来るはずだ。固まらないで警戒した方がいい」
自分の二倍近くある長さの斧槍を持ち直し、零紀は彼女とは違う方角に身体を向ける。
「扉は私達の後ろにあるひとつだけですし、逃げるにしても此方に来るでしょうね」
慎吾も刀を構えて闇を見据える。闇雲に動くよりは、仲間達と共に待ち伏せた方が良いように思えた。
「……もし可能でしたら、一瞬で構いませんから隙を作っていただけませんか? その隙さえ逃さなければ鎖で拘束出来る筈なのです」
感じ取れない敵の気配に神経を尖らせて警戒を続ける霧が、先程成し遂げられなかった事の再試行を提案する。
まさかあそこまで逃げ足が早い相手とは思っていなかったが、然ればこそ移動を封じるという効果は期待出来るだろう。
「分かりました。策があるなら試さない手はありませんよ」
陸が暗視ゴーグル越しに見えるのは、まだ形を保っている何かの大きな製造機械だ。
物陰に隠れられてしまうと、流石に此処からは確認出来ない。あの真っ暗な靄も、位置の把握を困難にしているのだから。
皆も了承の意を短く告げる。
「……物部さんは、あまり動かない方がいいかもしれません」
あの敵がもし弱みを探り当てられるのなら、狙われる可能性も否定は出来なかった。
敵の手が届き難いだろう今の位置に居るのが最善だろうか……。穂鳥が思案の言葉を口にすると、ココも少し考えるように一拍の間を置いて「わかった」と頷いた。
どれくらいの時間が経ったのか。
撃退士達を守るように照らす光は第二工場に入ってから一度も途切れていないのだから、長い時間ではないのだろうけれども。
呑み込んできそうな闇と、時折断片的に聴こえる怨嗟の如き悲鳴が、神経を磨り減らす。
「此方、に――!」
慎吾が光の揺らめきを察知したと同時に声を上げる。
傷を負わせられた事に執着したのか、偶然なのか。一瞬の間に、彼の視界が黒で埋め尽くされた。
「――っ!」
どちらにも隙があった訳ではない。
ただ、陸はその中の一刹那から隙を生じさせる為に狙撃した。
――ア゛ア゛ァァア――――!!
耳をつみさくような絶叫が響き渡る。
寸での差で慎吾は真正面から身体を逸らし、間髪を容れず零紀が長斧槍で闇靄を穿つ。
怯む時間すらも与えず、挟む位置と後方からファラが札をココが符を放ち、穂鳥が許多もの鬼百合の蕾柱を顕在させる。
符と炸発札は避けたのか地に刺さるが、鎌首をもたげて膨れ上がる百合の蕾に宿る天雷が閃く瞬間は為す術が無かった。
幾つもの行動が重なるその瞬間を、逃す訳も無い。
霧が再度顕現させた神聖なる鎖は、闇に呑まれようと冥魔の身体から自由を奪う。
ソレがどれだけ藻掻き慨嘆の絶叫を上げようと、勝敗は決したも同然だった。
「……一番奥で、見付けました。もう、潰されていて……」
陸が暗い表情で言葉を途切れさせる。それだけで、行方不明の青年二人が凄惨な姿となっていたのかが窺い知れる。
「命って、そんな簡単に取っていいもんじゃない……!」
共に見付けたファラは、無念さを露わに唇を噛んだ。
「帰りたかったろうに、ね……」
二人が遺品として持ってきた黒ずむ血濡れのカメラと携帯電話を見て、残酷な事実に目蓋を伏せる。
「奴さえ居なければ、唯の肝試しで済んだだろうが……」
今はもう安らかに眠る事を願うしかなく、零紀は遺体の見付かった方を向いて黙祷を捧げた。
「……ごめんなさい」
ココは一言だけ漏らして項垂れ、霧は祈願する。
過去現在を問わず、この闇色に染まった工場で命を落とした全ての者が、どうか静穏な眠りにつくように。
(……あなたもですよ、名も無きディアボロ)
彼女と同じように願いつつも、穂鳥は感情を表には出さず、未だ調査の手が及んでいない場所へと歩を進めた。
光を呑み込むのではないかと感じた闇も、気のせいか仄暗いまでに変化したように思う。
だとしたら尚の事、此処の安全性を保証するまで調べ上げて、取り壊しを進言したかったのだ。
この廃工場は、あまりに多くの命を死に至らしめた。
もしかしたら、その結果として怨嗟の声を上げ続けたディアボロをも生んだのかもしれない。
その終わりのない苦痛から解き放つ可能性があるのなら、切願と共に尽力すべきではないだろうか。
僅かに崩れた壁から、陽が射し込む。
妨げの無い眠りを誘うように――。