●ひよこを待ちながら
陽が昇り始めた早朝。撃退士たちは二手に別れ、まだ無事に残っている苺農園で巨大ひよこを待ち受けていた。
野沢さんのビニールハウスは半分以上が見るも無残に破られて苺が食い荒らされていたものの、まだ三割ほど無事で残っている。
「大きいひよこって、どんなひよこなんだろうね?」
白い息を吐きながら、菊開 すみれ(
ja6392)はビニールハウス周辺に視線を向けた。
ひよこと言えば、あの、ぴよぴよと鳴くひよこなのだろうけれど。
そんな、大きなひよこなんて。
事前に農家の人たちからひよこたちの情報を聞いていたとはいえ、なんだかちょっと、信じられない気持ちがない訳ではない。
「っていうかさ」
ひよこ、と言われて思い浮かぶものを考え、片瀬 集(
jb3954)は漆黒の髪で隠れている赤い双眸を緩く細めた。
「天魔なんだよね、そのひよこ? そういうの、何考えて作ったんだろう……」
冷静に考えなくても、別にひよこじゃなくたっていい筈だ。
「どういう理由があったとしても、おじさんたちが心を篭めて作った苺畑を駄目にするなんて、愛ちゃん許せないの」
ぼろぼろのビニールハウスを見て、周 愛奈(
ja9363)はぐっと拳を握る。
寒風に晒されている苺畑は、葉っぱだろうと何だろうと毟られていて、例え遣り直すとしても全て元通りになるまでには時間がかなり必要になってしまうのだろう。
これ以上の被害を出さない為にも、どんな相手だろうと、しっかり退治しなくては。
集が野沢さんに頼んで用意してもらった苺を農園の入り口付近にばら撒き、ひよこたちが来た時に食い付けるように仕掛けておいた。
後は此方側に来るのを待つだけ、だが。
「……ん」
遠くに何か黄色い毛玉のようなものを見付けたのは、天風 静流(
ja0373)だった。
朝陽を受けて光を放つ毛玉が少しずつ大きくなっているように思えば、即ちそれが。
「来たようだな」
敵を迎え撃つよう距離を測りながらヒヒイロカネの指輪に触れ、収められていた拳銃を取り出した。
少し時を遡り――
被害に合っていない祖父江さんの苺畑では、新崎 ふゆみ(
ja8965)は分けてもらった苺を綺麗な箱にひとつひとつ並べていた。
クッション材に紅い宝石の如く丁寧に置いていけば、ぱっと見では高級苺だ。
「う〜ん、こっちにぴよぴよちゃんが来たら、絶対ビニールハウスに行かせないようにしないとっ」
本当は最初に被害に合った植原さんの所で迎え撃てれば良かったのだけど、話を聞くと既に食い尽くした畑には見向きもしないらしい。
高級苺で誘き寄せる作戦ではあったが、ひよこたちが食べる量を考えると、ふゆみが用意した量ではちょっと勝てそうにない。
そんな訳で、祖父江さんの苺農園から手前の場所で待ち受ける事にしたものの、高所で警戒した方が見付け易いだろうと、四人のうち二人が離れていた。
「ひよこが相手となると、一見して弱い者虐めになりそうですけど……」
依頼ですから、と深呼吸をし、牧野 穂鳥(
ja2029)は心を鬼にして挑む決意を固めるその横で、ふゆみが軽く首を横に振ってみせた。
「おっきいの三メートルくらいあるんだよっ。可愛く見えてもギャングだよっ」
つまりは、傍から見えるものが問題ではなく、自分の気持ち次第ということになるのだろうか。
「が、頑張ります」
穂鳥の意志がどの方向に向いたものだとしても、依頼を完遂させるものなのは確かだ。
●朝陽と共に現れるヤツら
祖父江さんの苺農園の入り口付近にある小屋の屋根で、月丘 結希(
jb1914)は一度ぐるりと周囲を見渡した。
周辺は畑ばかりで見通しがいい分、ひよこが何処から来るのかと警戒する箇所が広い。
同じく屋根に上っているセラフィ・トールマン(
jb2318)が半分引き受けてくれた事で負担も半減したが、ひよこがお行儀よく道路を歩いてくるとは限らない。道のない所もよく見ておかなくてはいけなかった。
「ひよこさんと戦うのって、やりにくそうですよね」
朝陽を手で遮りながらセラフィが呟くと、そんなふうには考えてもいかなった様子の結希は目を瞬かせる。
「敵の見た目がどうだろうと、駆除するのがあたしたちの仕事よ。……というか」
結希の疑問は、寧ろひよこ型サーバントの存在そのものだ。
「苺を食い荒らすなんて無意味モノ、なんで作ったのかしら。農家の人を殺して略奪する方が早いわよね」
「……殺る気より食い気、なんですかねえ?」
「……失敗作の天魔を投棄した、ってとこかしら」
それが一番納得出来るのは、多分気のせいではないだろう。
「――って、来た……!」
セラフィが声を上げて指で示した方向には、徐々に大きくなってくる黄金の毛玉があった。
どどどどと地鳴りを響かせ、ぴよぴよと高い鳴き声が届く頃には、三匹の巨大ひよこが向かっているのは祖父江さんの農園というのが結希とセラフィには分かった。
その報告を受けて野沢さんの農園に居る者たちへ穂鳥が連絡している間、ふゆみは高級っぽくした苺の箱を用意する。
それにしても。
ひよこが向かってくる速度が、なんだか思っていたより早い。
まだちょっと遠くに居るけれど、ふゆみはひよこに見せ付けるように苺を一粒つまんで口元へと運んだ。
「ああ美味しいなあ〜、高い苺は美味しいのだ〜☆」
声も大きめに、分かりやすく、笑顔で。
ぴよっ。
それに気付いたのか、一鳴きしたひよこの速度が少し弱まった。
「超コウキュウな苺の味なんて、ぴよぴよたちには分かんないんだろうなあ〜★」
意識が引ければ、農園から離れた場所に誘導する予定だったのだけど。
ぴ、ぴよーっ!(こ、こんな奴、相手にするんじゃねえぜー!)
黄金のひよこが怒った感じで大きく鳴くと、祖父江さんの農園に向かって走り出した。
「あれっ」
これまで人に嘴を向けなかったひよこがふゆみの持っている苺を奪う為には、彼女を傷付ける可能性が高いからか。
そんな量じゃ足りないという質より量だったのか。
きっと、その両方。
「行かせません……!」
農園の入り口を塞ぐように立ち、穂鳥は先頭に居る黄金のひよこに備えて戦斧を顕現させる。
ひよこたちを遠目から見ていた時には、可愛さにときめき、ふわふわの羽毛に埋まりたいと思っていたのだが。
一転して殺気を放ち、朱色の羽衣を纏う事で魔力を高めていく姿は、迷いを捨て去ったように思わせる。
「ひよこさん、こっちだよ」
仲間を守るように前に出たセラフィは、青銀の柄を握り締めて細身の剣を構える。
やりにくいと言っていた彼女だが、動作に躊躇いは既にない。
その遥か後方から、放たれた弾丸が黄金の身体を貫く。
ぴよっ!?(なにィ何処から!?)
「呪文や結印なんて、古いのよね」
驚いたひよこが見た方向には、蛇の模様が刻まれた小銃で狙い定めていた結希が居た。
ぴーっぴっ!(おやぶーん!)
ぴょーっ!(許さないぴょー!)
黄金ひよこの後ろに居たちょっと小さめのひよこが、むきーっ! と横に出てきた頃には、もう一方の農園に居た仲間が駆けてくるのが見えた。
●ひよこパニック
射程内にひよこを捉えた静流は、ルーンが刻まれた銃身を向けて即座に撃ち放つ。
ぼふんと黄金の羽毛に二度目の銃弾が埋まる間にも、愛奈と集が距離を縮めていく。
「普通のひよこよりまるい……」
ぬいぐるみがそのまま大きくなったような敵を見てほんの一瞬だけ気を取られたものの、すみれは自分の攻撃が届く距離で足を止め、取り出した洋弓に矢を番える。
黄金の毛玉に目掛けてぶすーっと突き刺さった。
ぴ、ぴよー!(と、遠くからぷちぷちしやがってー!)
攻撃してきた奴らが届かない距離にいる事にもどかしさ覚えた黄金ひよこが、ばっさばっさと羽根を揺らして気を高めていく。
仕方ねえ! とばかりに眼前に居る穂鳥とセラフィが居る方向へ、くわっと嘴を開くと――
ぴよぴよぴよぴぴよ――!
凄い鳴き声と共に、掌サイズのひよこオーラが無数の弾丸となって二人へばちばちと体当たりしていく。
「んっ……」
青眸を細めて魔力の弾に堪えるセラフィが後方を一瞥すると、穂鳥は魔力の障壁で何とか凌ぎながら無骨な斧を手に進む姿が見えた。
「抵抗しないでいただけると、一瞬です」
ぴよー!(んな訳あるかー!)
振り被ると斧の周囲に生じていく激しい風の渦と、それを弾くように増量していく黄金の羽毛。
ぼふーん! とぶつかり合って勝利したのは、黄金ひよこだった。
羽毛が散ってちょっとよろめいた所に、ふゆみの日本刀が弾き飛ばすように勢いよく叩き付けるが、それもまた気合か何なのか黄金ひよこは耐えていく。
けれども更にふらついていく足取りは、確実に傷を与えている証だ。
セラフィの振るう氷刃の剣が、結希が正確に放った弾丸が、追い討ちを加えていく。
ぴっ、ぴぴぴーっ!(こうなったらお前らみんなめろめろにしてやるっぴー!)
ちびひよこたちが、魔力をつぶらな瞳へと集めていく。
が。
ぴょぴょー!?(こいつらあからさまに目を逸らしてるー!?)
奇妙な光景と言うべきか、誰も彼もひよこと目を合わせないよう、顔を背けていたという。
嘆きの鳴き声が周囲に木霊した。
「大人しくするの!」
距離を詰めた愛奈が植物図鑑を手に、弱り始めている黄金ひよこの周辺に、何処からか無数の腕を呼び出す。
手のひとつひとつが足や頭や羽根を掴み、動きを封じていく。
もがく巨大な黄金の身体は、静流が自身の手に馴染むよう改造していった銃にとって外しようがないとも言える。
射貫かれた身体に攻撃の手は休まらず、結希が持つ漆黒の銃がスコープを通して頭部に狙い定め、確実に穿つ。
ぴ……!
「……面倒臭い……」
最早弱々しい鳴き声しか出てこない巨体に、自身の背丈ほどもある黒の斧槍を手にした集が、駆ける勢いを乗せて馬頭の形状の刃を渾身の力で叩き付けた。
「悪足掻きはしない方がいいよ」
それは、そっちの不利を長引かせるだけだから。
ぴよー……!
その断末魔は何と言っていたのか、撃退士たちには分からなかった。
●苺とひよこと
ぴぴーっ!(よくも親分をー!)
ちびひよこの一匹がぴょーんと高く飛び跳ね、集を押し潰すような体当たりを仕掛ける。
「飛べるひよこは、ひよこじゃないよ……っと」
跳んでるだけなひよこのプレスに、斧槍を振り下ろした直後で体勢を整い切れなかった彼は、自分より大きな黄色い塊に激しく打ち付けられる。
ぴょー!(やったろーじゃんけー!)
残りの一匹もまた、大きく飛び跳ねてセラフィに向かって落ちていく。
ひよこたちと視線を合わせないようにしていた所為か、反応が一瞬遅れて柔らかな羽毛に埋もれていく――以上に、がつんと身体を揺るがす衝撃に、思わず目を閉じた。
「見た目は可愛いんだけど……!」
抱き心地はさぞかしいいんだろうな、と思わないでもないけれど、すみれはやっぱりまともに視線は向けずに弓を射る。
きちんと見て狙いを定めなくても、俊敏な動作で放たれた矢が敵を貫くのは、流石撃退士と言うべきか。
風の魔法について記されている書物に持ち替えた穂鳥は、攻撃を集中すべくすみれに続いて風の刃で切り裂いた。
「こっちも苺たちのカタキだからねっ」
ふゆみは未だセラフィの上に圧し掛かっているひよこに向け、腰を落として掌底を打ち込む。
思わぬ衝撃にひよこは、ぴょーっ! と鳴きながらごろごろ転がる。
「ひよこさん、可哀想だけど……そろそろおしまいだよ」
圧迫から開放されたセラフィは、息を吐きながら氷剣を構え直す。
言葉ではそう言っているが、剣閃は容赦なく羽毛に包まれた身体を切り裂いた。
鈍い光を反射させる黒い穂先の管槍へと持ち替えた静流は、集中的に攻撃を加えられたひよこに向かって駆ける。
「もう終わりだ」
片手で管を握り、柄を握るもう片手が槍を固定し、走る速度と身体の重さを乗せた衝撃は、羽毛に守られた身体を容易く貫通させて地面へ叩き付けた。
ひよこが鳴き声を上げる暇もなくぐったりするのを一瞥して、すみれは残った一匹に弓を構える。
あまり苦しませないように倒してあげたいけれど。
放たれた矢は、一寸のズレもない正確さで深く突き刺さるものの、倒すまでには僅かに足りない。
「……おじさんたちに迷惑を掛けた罰を、受けるの!」
愛奈が魔力を集中させて炎塊を作っていく。
もう逸らす必要はないと、ひよこをじっと睨んで――
ぴーっ!
灼熱の炎は、断罪のように最後の一匹を包んでいった。
「人様に迷惑を掛けたのが運の尽きね」
ゆっくりと息を吐いた結希は、周囲を見回す。
苺農園へ侵入される前に撃退したお蔭で、これ以上の被害は出さないままに終えられた。
山でひっそりと暮らしていれば、このひよこたちも死ぬ事はなかったのかもしれない。
いや、目立つサーバントだったから、そのうち退治依頼が出たかもしれないけれど。
「何の目的で作られたのか、少し理解に苦しむ敵だったね」
でっかいひよこの存在意義に、集は黒髪の奥で眉を顰めた。
見た目の愛らしさに数名が身悶えしていたのは知っているものの、まさかその為ではないだろう。
……万一そうだったとしても、当人たちもちゃんと気持ちを切り替えて戦いに臨んだのだから、障害らしい障害になっていない。
「恐ろしい敵だった……」
と呟くすみれの意味は、集の考えているものに違いない。
「あ、ふゆみは植原さんちのお片付けを手伝ってくるね☆」
「なら私は野沢さんのお手伝いに行きます」
ふゆみとは別の方向に穂鳥が向かっていく。
ひよこ騒動に後始末もあまり出来ていない農園関係者は、その申し出をありがたく受け取ってくれるだろう。
それに続く者も歩き出すと、喧騒が無くなったこの場所に静寂が訪れる。
いくら可愛くても、ひよこは迷惑以外の何者でもなかったのだから。