●銀世界
山村を次々と侵し乱していく二匹の銀狼を討伐すべく請け負った撃退士たちは、雪化粧によって白銀の世界と化した塊村で待ち構える。
人の住む場所を荒らしては近くの村へと向かうという単純な行動により、次の目的地は既に示されているようなものだった。
狼型の敵である為、鋭敏な嗅覚を危惧した撃退士たちは風の吹く方向を確認していく。
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が事前に村人へ確認を取った事で、地図こそなかったものの簡易な見取り図を入手出来た為、風下である事、戦い易い広さがある程度ある場所に近い点在する建物を見つけ出す事が叶った。
皆の姿が住居や小屋へと消えていったのを確認したエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は、一人だけ銀雪の積もる外で待機する。自身が囮となり、狼たちを仲間の居る場所へと誘き寄せ、不意を打つ可能性を高める為だ。
「害獣駆除ですか。分かりやすくていいですねえ」
目標が此方に向かっている事は判明している為、後は自分に意識を向けさせればいい。
村民が避難してから時間が経過している為か屋内と言えど暖気は全くなく、撃退士たちの唇から白い吐息が零れ落ちる。
寒気が深々と身に染み透る中、湖城 雅乃(
jb2079)は用意していたカラーボールを取り出した。
姿形が全く同じという銀狼を区別する為に予め準備しておいたそれを、自身の三倍以上はある巨大な槍の柄に括り付けていく。討伐には新たに入手した武器の試し切りも兼ねた心持ちもある彼女だったが、非常に小柄で華奢にすら見える身体で長矛を軽々と扱う様子は、何処か不思議な光景だった。
しっかりと防寒具に身を包み小屋で待機していたフィンブル(
jb2738)も、同様の物を用意していた。彼女の場合はそのまま投げ付ける事を予定していた為、透過されないように所有している祖霊符も手にする。
「人界に来て、初めての闘争ですわね」
天使であるフィンブルは、何処か愉しそうに蠱惑的な笑みを浮かべる。
待機している時間を持て余す現在、外に出て雪達磨を作りたい衝動に駆られてしまうが、これを耐えた先にある『もの』にこそ彼女の望みはあるのだからと今は堅忍する。
同じく天使であり初任務でもあるエリーゼは、楽しんでいければと思う反面、少し複雑な心境も抱いていた。
(今まで仲間だったかもしれない『モノ』と戦うというのも、中々に妙な状況ですね……)
銀狼はサーバントかディアボロか判明していない為、天使によって呼び起こされた従者である可能性も否定出来ない。そこに僅かな戸惑いが生じない訳ではないが、逆に新鮮味も感じてしまう。
(これもまた人間界に来たお陰、という事でしょうか)
たおやかに微笑むエリーゼの青い瞳は、好奇に満ちていた。
雪風が先程まで存在していた足跡を消すように少しずつ降り積もり、雪天は益々濃さを増し、空は雲で閉ざされる。
撃退士と言えど、寒暖に耐性がある訳ではない。
エイルズレトラは、寒威に耐えながら只管に銀狼を待ち受ける。
どれ程の時間が経っただろうか。
雪景の中で動く二つの影を視認した瞬間から、戦いは始まった。
●雪花舞う中で
アウルの力を発動させた事により生じた光華が、まるでスポットライトのようにエイルズレトラの身体を照らす。
息もつかせず村へと降りてきた銀狼の影がその光を認めたのか、彼に向かって速力を更に出して距離を縮めていく――が、エイルズレトラもまた仲間の待つ場所へと駆け出した。
僅かに距離が縮まったように思えても、一人と二体の間が決定的に詰まる事はない。
常人から見れば驚異的な速さで村を疾走している刹那でもあったが、村家に身を潜めていた者たちも気付くのが瞬間遅れる。
合図らしいものもなかった為、仕方のない事であったが、エイルズレトラが足を止める事は二体の牙に掛かるに等しい。
そして、僅か数秒の遅れは、彼らにとって大きな差にもなる。
フィンブルが逸早く察知して飛び出し、阻霊符に篭められた力を開放した。
この瞬間より広いとは言い難い領域ではあるが、彼女が光纏し氷の如き翼を現せている限り、天魔の透過能力を打ち消される。
銀狼がその異変に気付くよりも早く、その背後へと雅乃が恐ろしく長い槍を構えて駆け寄り、その勢いを乗せて突き刺す。意識が完全に別の方へ向いていた狼は避ける事も出来ず、蛇の如き穂先が喰うように銀の毛皮を朱に染める。
同時に、括り付けてあったカラーボールが破裂し、黄色い液体が派手に飛び散った。
しかし、その巨大な蛇矛で以てしても届くのがやっとだ。
エリーゼが続いて屋外へと出るが、想定よりも先に居る敵には、駆け寄っても彼女では僅か足りない。
神喰 朔桜(
ja2099)は己が師から与えられた秘術により、魔力の質を高め、放つ容積を引き上げていく。今は届かぬと知ってもレイル=ティアリー(
ja9968)は銀狼との距離を縮める。出来る事なら奇襲での連携を保ちたかったが、狂った心算はこれからの行動で補う他なかった。
仲間が姿を見せれば、エイルズレトラは銀狼を惹き付けていた光を解除する。自分と銀狼の速度は近い事を知った彼は立ち止まらず、駆ける方向を転換させてアウルの力によりカードを顕現させる。
無傷の銀狼が飛び掛るのとほぼ同時――
全力を篭めたカードが直線上の二匹を貫いていくが、小柄な少年の身体もまた三メートルを超える巨躯によって雪面に叩き付けられる。
槍傷を負った銀狼も続いて彼の無防備となった脚へ牙を向けた。
「――っ!」
噛み砕かんばかりに食い込む牙と顎門に苦悶の声を上げるが、それに加えて二匹の周囲が瞬く間に凍り付いていく。身動きが取れないエイルズレトラの命の灯火さえ急速に弱めてしまいそうな程に。
「この……!」
雅乃は自分の槍を振り切った銀狼に、間合いを詰めて再度蛇刃を振るう。手足のように軽々と操られた長大な槍の切っ先が、噛み付いたままだった銀狼の腹部を易々と引き裂く。しかし鮮血を散らしながらも執念なのだろうか、狼牙は閉ざされたままだ。
「マステリオ殿!」
伸し掛かっている銀狼の脚へと向け、レイルは音が届くよりも高速な動作で両刃剣を突き刺す。正確な剣捌きは寸分違わず後足のひとつを抉るが、骨を砕くまでには至らない。
エリーゼはどちらに狙いを定めるべきか僅か迷いを見せたが、今は一刻も早く片方を屠る事を優先し、犬歯を剥き出しにしている傷が深い銀狼へと視線を向ける。
(これ程、敵意を顕わにして、死傷者を出しているようでは……)
ほんの少しだけ抱いていた願望は叶いそうにないと痛感しながら、彼女は手にした天魔の基礎が記された書物から魔力を引き出し、白矢を銀狼の脚へと目掛けて撃ち放つ。
流石に噛み付いたままでは唯の的になるだけと気付いたか、銀狼はエイルズレトラの脚を解放して避ける動作をしたものの、寸時遅く矢が脚を貫いた。
「結構素早いみたいだね。これは苦労するかなあ」
魔力を最高にまで高めた朔桜は、五つの黒焔を纏った雷槍を自身の周囲に生じさせる。
言葉は殊勝であるが、彼女の表情は銀狼を目にした瞬間から、自信に満ちているとも余裕を見せているとも思える笑みに湛えられたままだ。
――なんてね、と呟く瞬間には、黒き雷槍がどのような隙も逃さず白銀の身体に突き立てられていく。
「まあ、わたくしと遊んでくださらないの?」
徐々に紅く染め上げられていく相手を独占したいとすら想うフィンブルは、嫉妬にも似た言葉を零す。
「楽しみましょう、お犬様?」
艶やかに微笑みながら、長躯な彼女の身長程もあろうかという大剣を振り上げる。
渾身の力で叩き付ける直前に銀狼が身を翻し、両刃は銀雪に沈んだものの、それですら生にしがみ付こうとする表れのようにも感じた。
対峙しているこのひと時でさえ、愛し合う一環のようだ。
言葉はなくとも己が行動で恋情を伝えればいい。命尽きるまで、何度でも。
●散り行く銀朱
未だ巨体に伸し掛かられているエイルズレトラから引き剥がすべく、レイルは僅かな隙間をから銀狼を押し分けるように腕を捻じ込んでいく。
「ただ在るだけで凍らせるとは、厄介な能力ですね……!」
触れるまでの距離ともなれば、手袋越しにですら指が悴んでいく。況してや身動きひとつも取れない状況下ともなれば、深刻さを増すだろう。
獲物を奪い取ろうとするようなレイルの行為に、銀狼は大口を開けて鋭い牙を向ける――が。
「この程度で私を落とせるとは思わない事です」
瞬間的に騎士の剣を盾として阻む。全ての衝撃を防ぎ切った訳ではないが、レイルにとっては致命傷に程遠い。
堪らず後退した銀狼から視線は外さず、エイルズレトラを庇うように立ち塞がった。
残りの一匹は魔具による切り傷や魔術によって穿たれた痕が全身にあり、満身創痍だ。
ここで背を向けるのは死を意味すると覚っているのだろう。もう一匹の元へ駆け寄る事はせず、眼前に居るフィンブルの胴体に向けて跳躍する。
自分に向かってくるのは僥倖とばかりに彼女も笑みで以て応えるが、跳躍の僅かな隙を窺っていたエリーゼは、銀狼の周囲に光輝を収束させて作り上げた無数の剣を一斉に放つ。
――それでも絶命させるには至らない。
だがバランスを崩した事により爪は獲物とした女の腹を浅く切り裂くだけに留まったが、間合いが詰められた一瞬の弊害で、構えていた手にある阻霊符も巻き込む。
破壊された符に僅か目を細めたフィンブルは、武器をワイヤーに変え搦め捕るように締め上げ、じわりと肉に食い込ませていく。
ギャウン、と悲鳴のようなか細い声を発した銀狼に、攻撃の手を休めず雅乃は長槍を胸部へと墓標のように突き立てる。
最初こそ鈍い感触があったが、ずぶりと穂先が沈むと身体を貫いていく。
びくん、と一度大きく銀狼の身体が跳ねたが、二度と動く事はなかった。
「あなたの相棒、もう壊れちゃったよ」
残念そうに零す朔桜は、残りの一匹に標的を定めた。
「折角だし、私も遊んであげる」
動物と『戯れる』のは嫌いじゃないしね、と笑みを絶やさない彼女は、闇色の焔を併発させる雷を再び生み出していく。
完成した秘術の五つの黒い稲光が、銀狼に向けられる。
まともに喰らえば危険だと知ったのか、銀躯が後方に退いて避けようとするが、放たれた雷はひとつへと収束し、巨弾の如き槍が逃さず撃ち抜く。
怯む様子に、銀狼から解放されたエイルズレトラが傷からの激痛に耐えながらカードを作り出す。
その一撃に賭けるように渾身のアウルが篭められた一枚が銀の肉を穿つと同時、余剰の力が変質し、体内から侵食していくように感覚を蝕んでいく。
それは手足を動かす事すら鈍くしてしまう程の力。
先程までとは打って変わり立場が全くの逆になった銀狼は、逃げる事も叶わぬならせめてもの道連れにとエイルズレトラに牙を向こうとするが、阻む位置で剣を構えているレイルがそれを許さない。
例え速さが如何程あろうと、動きが鈍ってしまえば、止まってしまえば捕捉する事は難しくはなくなる。
エリーゼが光剣を無数に顕現させて幾多もの傷痕を作り上げ、雅乃が長槍の蛇状の刃で傷口をより広げて肉を曝け出し、レイルが踏み出せば音すらも待たぬ刹那の刺突で深奥を抉る。
「なんだ、やっぱり簡単に壊れちゃうの?」
有り余る魔力を揮う時間の、なんと短い事か。朔桜は残念そうに言いながら雷槍で無慈悲に貫いた。
「時間が過ぎ去るのは一瞬でしたが、愉悦の逢瀬でしたわ」
地に伏した銀狼の元へと歩み寄ったフィンブルは、笑みを深めて甘く囁く。
それは、別れの口遊み。
直後に大剣を首へと突き立て、純白の雪を紅く紅く染めていった。
●いつかの淡雪へ
初めこそ予定外の過程に手間どったが、終わってしまえば瑣事となるだろうか。
エイルズレトラの傷をフィンブルがアウルの光で再生していけば、痕も残らず完治する。自分の傷を治すのは、ひと時の恋が冷めるようでもあったが。
扱っていた長槍をもう一度だけ軽く振るった雅乃は、この得物は果たして己に合っているのか小首を傾げながらヒヒイロカネに収納していく。
初任務を無事に終えたエリーゼは、完遂出来た喜びで、少しの未練を断ち切る。これからの人間界の生活で、またの機会に巡り会える可能性だって否定できないのだから。
何か遊び足りない心地ではあったが、過ぎた事を考えても仕方ないと朔桜は無邪気に笑んだ。
少なくとも自分たちの関与によって被害は出ない事に、レイルは胸を撫で下ろす。
血で染まった雪は、未だ降り続ける新たな雪で覆い隠されていくだろう。
それが融けて消える頃には、この山村にも遅い春が訪れる。
突如白銀の災厄に見舞われてしまった傷痕は浅くないだろうが、いつかきっと、癒える日も訪れるように――。