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警邏要請のある街に撃退士たちが到着したのは、陽が西に傾いてきた頃だった。
とはいえ今の季節は冬。日の出は遅く日の入りは早いだけあって、時刻を確認すると夕方と言うにはやや早い数字が表示された。見回りの指定時間までには充分な余裕があるが、陽が落ちてからいつ頃までかかるか分からない任務時間の為か、昼間は特に動かず休む撃退士もいる。
しかし、エルオラ・アズール(
ja0174)と犬乃 さんぽ(
ja1272)は更に情報を得る為、それぞれ街中へと足を運んでいた。
この区域が含まれる地図を購入したエルオラは、それを片手に住人へ聞き込み調査を行う。流石に全員が今回の事を知っているという訳ではなく、時折不審な目で見られる破目にもなったが、辛抱強く時間をかけて聞いて回れば幾つかの話を得る事が出来た。
怪しい影が目撃された時刻は、深夜とまではいかないようだ。
その時間帯にわざわざ高台に行く者はあまり居ないが、公園のある場所には街路灯がしっかりと点されている。
噂によると、最初に腐臭が漂い、それに驚いた町人が慌てて振り返ると大型犬よりも一回り大きな動物らしきものが薄暗がりにあるらしい。その所為か、捨てられたペットの怨霊だとか、山が近いからそこに野犬が居ついて食料を探し回っているだとか囁かれているようだ。
そして、動物らしきものと同時に人影も見られたという。
知り得た情報を地図に書き込みながら、エルオラは首を傾げる。
「どうしてそんな時間に? そんな街外れに……?」
断片的すぎるピースが繋がる気配は、まだない。
さんぽも同じように住人へと聞き込みをしていたが、知りたい事ははっきりしていた。
目撃されたのは高台のみ。それに何らかの理由があるとすれば、過去に謂れがあったとしてもおかしくない。
(その人影は高台に何か思い入れがあるんじゃないかって思うから――)
この仕事に根本があるのだとしたら、それを求めてみよう。
住人に話を聞いて回ってみても話したがらない者が何人か居たが、下校中の中学生らしき少年たちにも同様の事を尋ねてみると、彼らは顔を合わせて「あれかな?」「あれじゃね」と互いの確認をした後に、自分たちと同じくらいの少年が数年前に行方不明になった事件を教えてくれた。
高台によく行く子で、夜遅くまで帰宅しない事もあったらしいが、朝になっても昼になっても帰ってこない。両親は捜し回ったが姿どころか痕跡も見付からず、警察に助けを求めて街中を捜索する事態になったが、まるで神隠しにでも遭ったように少年が戻る事はなかった。
さんぽは感謝の言葉を伝えて少年たちと別れた後、ううん、と首を捻る。
「失踪した男の子か……」
事実を確かめる為、市立図書館の新聞やデータベースで情報を探してみる事にした。
その失踪事件は地方紙にも取り上げられており、日付は二年前の今頃だ。記事を読んでも聞いた話と食い違う部分はない。
「でも、少し時間が経ち過ぎてるかな?」
今回の依頼と何か関連性はあるのだろうか考えながら外を見ると、夜の帳が落ち始めていた。
用意されていたホテルで、撃退士たちは集まって夜の見回りの為に必要な物を準備する。
連絡を取り合えるように携帯電話の番号を交換し、更に万一に備えてトランシーバーを借りていたエヴェリーン・フォングラネルト(
ja1165)と言羽黒葉(
jb2251)が皆に渡していく。
「では、私は南西のお寺がある方に行きますね」
牧野 穂鳥(
ja2029)が自分の行き先を告げると、エヴェリーンは頷き返す。
「じゃあ、リィは東の外れの方を調べます〜」
「なら俺は西側に行く」
トランシーバーがきちんと作動しているのを確認しながら、黒葉は既に目撃情報が出ていた場所を口にした。
「私は北と北東周辺を張り込みするつもりよ」
「……一度に二箇所は難しいと思いますから、北東へは私が向かいます」
エルオラの言葉に僅か思案した灰里(
jb0825)は、分担するように言葉を向ける。目撃報告に二度目はない。だが、これからも絶対にないという確証もまたないのだ。可能性がある限り、全てを見て回った方が良いという判断からだった。
「もしかして、リィはひとりですか……?」
エヴェリーンの声が何処か心細そうだったのは、集まった情報の中に捨てられたペットの怨霊という噂があったからだろうか。そんな彼女を見て、さんぽは安心させるように微笑んで見せた。
「それじゃボクも一緒に行くよ」
各々の行き先が決定すると、準備が整った者から任務を果たすべく外へと向かっていく。
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西の丘に向かった黒葉は、照明が殆どない廃工場の近くまで来たところで嘆息する。
入り口付近にバイクが数台停められており、少し開いていた扉からは明かりが漏れ出て、何人かの下品な笑いが聞こえていた。
「……報告通りの場所だな、ここは」
素行の悪い少年たちの溜まり場らしいが、こんな所で何をしているのか。想像しなくても良からぬ事だと知れるものだ。
しかし目撃者がこの中に居るとしたら? その可能性がある以上、訊かない訳にはいかないだろう。
黒葉はもう一度溜息を吐いて、扉を押し開いていった。
比較的歩き易い歩道の先にある北東の高台に辿り着くのは容易い事だったが、灰里は決して気を緩めなかった。
異臭の有無に留意しながら街灯に照らされている公園にを一瞥するが、今の所不審な点は見当たらない。念の為に地面を確認してみるが、目立った足跡もないように思える。
単なる不審者ならそれで構わない。
けれどもし、天魔が何かを企んでいるのだとしたら――その時は。
防火服で包まれている手を、灰里は強く握り締める。
狩らなければいけない。それも、徹底的に。
「張り込みに不可欠なのはアンパンとミルク。日本書紀にもそう書いてあったし?」
北の公園で呟くエルオラに突っ込む者は不在だった。というより何の気配もない。不審な影が目撃されてから来る者はいなくなったのだろうか。
「ヤキソバパンじゃ駄目なんだよなあ」
アンパンを頬張りながら周囲に向けている視線はいい加減なものではないし、感じ取れる臭いに濁りはないのを確認した上だった。
腐ったペットのようなものと人の影なんて、きっとマゼラン星雲からやってきたケルベロスゾンビと、巨大化出来るマゼラン星人に違いない。……たぶん。
今も輝きを見せている数多の星々になら、そういう存在もいるかもしれない。たぶん。
東の外れにある高台は、普段から人が来ない理由が分かる程に急な階段だった。手摺がないといつ転んでもおかしくない上に、途中に街灯がひとつもない為、非常に暗く感じる。
エヴェリーンは昼間に来た時にも思ったが、こんなところで足を踏み外したら命に関わる危険性があるだろう。
転げ落ちないよう気を張って上り切った先に広がる光景に、さんぽは息を呑む。
満天の星空の下には、夜景と言うには乏しい街の明かりが、まるで地上に煌く星のように見えた。
「綺麗ですねえ……」
隣に来たエヴェリーンも息を零す。
ここに来る人は、もしかしたらこれを見に来ているのかもしれない、と思ってしまう程だった。
「っと、ちゃんと見回らないとだよね」
さんぽは気を取り直して周囲を見遣るが、自分たち以外の気配はない。エヴェリーンもは懐中電灯を点して地面を見ていくが、これといった物もなかった。
まだ何もない、と考えるべきか。
時間はかかるかもしれないが、ここに何者かが来る可能性は充分にあるのだから。
光源がないという意味では、穂鳥が居る南西が一番暗かった。
この先に寺がある為か雑木林に囲まれていて、非常に暗く、人が通る気配もない。
しかし穂鳥は暗闇を意に介さない。懐中電灯で照らした先を何事もなく進んでいくと、寺と広場を示す小さな案内板が見付かった。
先ず寺の周辺に向かった穂鳥は、閉ざされた門前で短く礼拝した後、一周するように見て回る。
静かなものだ。自ら望んで請け負った仕事だが、徒労に終わるのならそれに越した事はない。
寺の方に何もない事を確認してから広場へと歩を進めていく途中、不意に目を空に向けると、満天の星空が視界を埋め尽くす。
(去年の今頃は、海で――)
去来する想いに身震いする寒さを覚え、穂鳥はしっかりと巻いていたマフラーに口元を隠した。ポケットの中にある物を外套の上から撫で、大きく息を吐く。
そこに一瞬たりとも油断がなかったとは言えないかもしれない。
一拍の間の後、顔を上げた時に感じた異臭に、彼女は足を止めた。
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携帯に着信があった頃には、黒葉の周りに立っている者はいなかった。
顔の右半分を包帯で隠している彼女を不審に思った少年もいたが、幸か不幸かひとりだった事が侮らせる事となる。
何見てんだ、という因縁から始まり身勝手な理由で拳が飛んで来た。
が、一般人と撃退士の身体能力は雲泥の差だ。
十人ほど居た少年たちを黒葉があしらい終わるのに、時間はかからなかった。
話を訊く為にひとりの少年の腕は離さないでおいたが、残りの少年たちが散り散りに逃げていく様子に友情というものは感じられない。
本日何度目かの嘆息を零した後、不審人物について訊いてみたが、事ある毎に「てめえが一番怪しいだろうが」と減らず口を叩くものだから上手く聞き出せないでいた。
そんな時に鳴り出した携帯を確認した黒葉は、掴んでいた少年の腕をぱっと離して駆け出す。
「今そっちに行く」
この場で聞き出せた情報は、二つ。
不審な人影は中学生くらいの男で、その少年とペットのようなものは行動を共にしている。
全員に電話をかけている余裕はないと判じ、黒葉は短文のメールを送信した。
穂鳥と黒葉の連絡に気付いた灰里とエルオラもまた、走り出していた。
腐臭の元凶が固まって行動しているのなら、自分たちがここに待機する理由はない。
ただ、そいつらが天魔なら、今から向かったところで間に合うかどうか――
離れて見回る事の短所を痛感しても手遅れだ。
祈る暇もなく、今はただ全力で走るしかなかった。
「ど、どうしましょう……!?」
「ここからだとちょっと遠いけど、行こう!」
他の者と同様に連絡を受けたエヴェリーンとさんぽは、急いで階段へと向かう――途中。
「っ!」
「え?」
突然視界に入った光に二人は足を止めた。それが自分たち以外の懐中電灯のものだと覚るのには僅かばかりの思考を経たが、相手はより時間を要したに違いない。
「だ……、誰?」
聞こえてきたか細い声は、少女のものだった。
「……誰?」
耳に届いたのは、確かに男の声だった。否、まだ年若いく感じるのだから少年と言うべきか。
穂鳥は逡巡する。彼が報告にあった不審者で間違いないだろう。近寄る事にすら躊躇いを覚える腐臭の元凶でもある。それを、自分ひとりでどうにか出来るだろうか?
ざり、と地を這うような音が聞こえるが、少しずつ見える影は人ではない。もうひとつ目撃報告があるペットのような影か。
このまま戦わず仲間が来てくれるのを待つなら時間は稼ぐ必要があった。
「あなたはどうしてここに――」「と、止まれ、待て」
二人の声が重なったものの、にじり寄る音もまた止んだ。
「こ、っちに来なきゃ何もしないし」
臆病で子どもの駄々のような様子に戦意は感じられず、穂鳥から仕掛けるのにも躊躇いが生まれる。
「あなたが何もしないなら、私も何もしませんから」
「…………」
探るような時間だけが流れていく。腐臭は相変わらずだったが、影は微動だにしない。
静寂を破ったのは、穂鳥の携帯電話だった。
少年がびくりと大きく震えたように見えたが、出ない訳にもいかない。慌てて鳴り響く携帯を取り出すと、相手はエヴェリーンだった。
『牧野さん、大丈夫でしょうか? ええと、今こちらに居る女の子が行方不明の男の子待っているらしくて、もしかしたら、そちらに居るのはその人かもしれないのです』
もし電話に出られる余裕があるとしたら、まだ戦ってはいないかもしれない。そんな願いに近い連絡が届いた事で、穂鳥にも少しだけ何かが見えた気がした。
「もし、あなたを待っている女の子に心当たりがあるなら――」
発した言葉は電話の先ではなく、暗がりの先に居る少年に対して。
●そこに、貴方が
階段を物ともせず駆け上がったエルオラは、足を休めずそのまま穂鳥のいる方に走っていく。
だが、彼女以外の姿は見当たらない。
「……マゼラン星人たちは?」
「ごめんなさい……」
穂鳥の言葉を聞き終わる前に、少年と腐臭のするものは広場から飛び降りるように雑木林へ逃げてしまったという。
もしかしたら東へ向かったかもしれないと、たった今皆に報告したばかりだった。
「と、いうことは……」
また走らなければいけない、という事だった。
息を切らせて黒葉が東の高台に到着した頃には、灰里も既に来ており、警戒して階段付近を見張っていた。
報告にあった少女は、エヴェリーンとさんぽに護衛されるよう間に居た。二人にとって少女に出会った時は火急の事態だったが、切羽詰るように少年の知り合いかと問われ、彼女の話を聞く事にしたのだ。
気を落ち着けて平常心で微笑みながら、自分たちは見回りを請け負った撃退士である事、探している者はもしかしたら同じ存在かもしれない事を優しく告げると、少女は涙を零しながら今までの事を離してくれた。
「……ただ待ち続けるのは、辛いよな」
黒葉の言葉に、少女は何度も頷く。今更後悔しても遅いのは分かっている、そんな様子は黒葉にも何故か分かった。
「でもね、そんな辛そうにしてると、その子も辛いんじゃないかな」
慰めるようにさんぽが少女の背を撫ぜ、ここの星はとっても綺麗だから見に来るかもしれないよ、と穏やかな声をかける。
「捜しものが見付かるまで、リィたちもご一緒しますから」
エヴェリーンの言葉に、少し離れた場所で聞いていた灰里は僅か目を細める。
もし少年が彼女の元に戻れるとしたら、天魔と関わりがなかった場合くらいだろう。
けれど少年は、腐臭のするものを従えているように聞いている。可能性としては、既に天魔の手に落ちたと考える方が納得できるのではないか。
もしそうだった時、この手で躊躇いもなく屠る事が出来るだろうか。
時間はまた、静かに流れる。
眩しいくらい輝く星々の下で少年の姿が現れる事は、とうとうなかった。
翌日の夜も少女と共に待ち続けてみたが、何処に居ても何も起きないまま朝を向かえる事となる。
皆の意見や情報を元に詳細な報告書が完成したのは、更にその翌日だった。
ただ、書かれてない出来事がひとつだけある。
壊れてもう動かない腕時計が、東の高台の頂上付近の手摺に巻き付かれていた。
それを手渡された少女が、泣きながら『おかえりなさい』と一言だけ呟いた事くらい、記さずとも良いような気がしたから。