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フェスティバル、開催前日。
朝の訪れが、だいぶ遅くなってきた季節。朝五時、外の空気は冷たい。
カフェ『ベリーベリー』のオーナーに案内され、樋口 亮(
jb7442)が従業員用入口より店舗へ入る。
「準備していたものは…… ああ、こちらですね、ありがとうございます」
会場の装飾とスタッフ衣装を担当する亮は、この日までの間に普段の店内の様子の下調べを兼ねて三度ほど、食事に足を運んでいた。
それに合わせ必要な材料を見積もり、買い出しを済ませてカフェへ預けている。
「裏方にとって、本番とは開催日前ですからね」
放課後になり、春名 璃世(
ja8279)と御影が連れだって顔を覗かせた。
「樋口先輩、どれくらい進んでらっしゃいますか?」
裏方仕事のほとんどを亮へ任せてしまっている。
食器類を磨き直したり、当日テーブルを飾る小物を作ろうと考え、璃世は前日からカフェを訪れてみたが……
「ああ、お疲れ様です。思いのほか時間かかりそうなので、夜は越えますかね」
亮が、顔色一つ変えずに返した。
朝五時から入っているのだとオーナーから聞いて、璃世の表情が固まる。
「何かお手伝いできることは……!!」
そこまで徹底していたとは思いもよらず、御影があたふたと身を乗り出す。
「明日にかけては制服を基にした手直しだけですからね。装飾は翌朝のうちに。音響は司会の方が来てから詰めますし」
会場を彩る季節の花は、明日届くように発注している。
付け入る隙が無かった。
「樋口先輩……。明日、美味しいスイーツいっぱい食べましょうね」
オーナーがホットドリンクと軽食を差し入れしてくれて、三人でほっこりしてから前日準備・夜の部はスタートとなった。
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「来店プレゼントで、玉葱の皮で染めたハンカチってプレゼントできませんか? 綺麗な薄黄茶色になるんですよ」
フェスティバル当日、朝一番に従業員用入口を叩いたのは美森 あやか(
jb1451)と礼野 智美(
ja3600)の二人。
食べるだけではない、玉ねぎの魅力。
『オニオン・フェスティバル』と銘打ったのだから、それくらいの洒落が効いててもいいかもしれない。
玉ねぎの皮は文字通り捨てるほど出るのだし。
「皮を煮込んだり、浸したり…… ここで全ては難しいだろうから、一度、皮だけ持ち帰らせてもらえますか?」
智美の申し出に、断る理由はない。
「お願い、智美」
「あやかの頼みなら喜んで。フェスティバルの途中からになると思うけど、乾燥器にかけて梱包して持って行くよ」
「おはようございます。よろしくおねがいいたしますね」
「……おはようございますぅ……」
試したい料理がたくさんある村上 友里恵(
ja7260)、料理以外にも考えのある月乃宮 恋音(
jb1221)も続く。
「玉ねぎ料理……どんな物があるのか、とても楽しみです♪」
おっとりと笑う友里恵自身の作戦は『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』。
恋音はエプロンをする前に、オーナーの元へ。
申し出たのは、経理担当。
事務能力には自信アリ。無駄な出費を省き、イベントを別方面でも補佐できれば、ということだ。
積み上げられた段ボール、厨房から漂う香りに気圧されながら、水無月 神奈(
ja0914)が姿を見せる。
「……ものの見事に玉ねぎばかり、だな」
「おはようございます、神奈さん!」
御影が大きく手を振り、一階の売店フロアへと招いた。
新作メニュー制作以外のメンバーは、こちらで詰めのミーティング。
フロアへ足を踏み込むと、嫌みのない金木犀の香りが神奈を出迎えた。
亮によるものだ。食事の邪魔をしないよう、イートインコーナーまでは届かないよう気配りがされている。
「樋口先輩の作ってくれた制服、すごく可愛い……♪」
リメイクされた制服に、璃世が感嘆の声を上げた。ブラウスに萩の花を散らし、秋らしさを押し出している。
「久しぶりにこういう趣もよいでしょう」
店長風、ギャルソンの衣装に身を包むのはグラン(
ja1111)だ。
彼自身は、来場者プレゼント用としてジャック・ランタンの頭を玉葱にアレンジした、可愛らしい手作りバッジを用意している。
「リディアさんには、司会用の専用品です」
スカートはウェイトレスの物をそのまま、ゆったりめのスーツ風に上着を合わせている。
「ヒグチさん、これって」
「お気に入りのようでしたからね。邪魔でしたら取り外しもできますよ」
リディアが愛用しているヘッドドレスに似合うよう、袖口にはレースが施されていた。
「……私に司会役を任せるとは冒険心に溢れ過ぎです」
張りのある声質、見栄えのする外見。しかし性格は知識欲に魅入られたインドア派。リディア・バックフィード(
jb7300)は、用意された衣装に袖を通し、気合を入れる。
全体の進行・BGMなどの打ち合わせをすませると、厨房での様子を覗いたり、各知識の叩きこみへと向かった。
ウェイトレスと、ウェイター。
二種の制服を前に、神奈が固まっている。
(喫茶店で働くなど……これ程に私に不向きな仕事は、無い)
制服以前の悩みである。
「揃えるなら合わせるが……」
着るのであれば、男装だろう。
「神奈さんとお揃いですか?」
ウェイターの衣装へ手を伸ばそうとした、その後ろから御影が覗き込む。
「こういった女の子らしい衣装を着たことが無いので……なんだか照れくさくって。けど、神奈さんと一緒なら心強いです」
「そ、そうか」
そういえば、そうだった。
普段は表だって口にはしないが、御影は『女の子らしさ』に関して彼女なりに思うところがあるらしい。
ブーメラン、だったか?
「……私だと、女装だと思ってな」
「何言ってるんですか! 浴衣姿だって素敵だったじゃないですか!!」
バァンと御影に背を押され、神奈は少しだけよろめいた。
「光に頼るのも悪いが…… 接客で悪い点があれば指摘を頼む」
「一緒に、頑張りましょうねっ」
神奈と御影のやりとりを遠く眺め、グランは微笑する。
納豆を題材にした、似たようなイベントを思い出していた。
(それにしても、光嬢は相変わらず興味深い)
「光嬢」
グランが呼び止める。
女の子らしい服装をすることが無いというのなら、
「こっそり、秘密を教えてあげましょう」
お化粧の仕方だったり、お洒落のワンポイントだったり。
「ありがとうございます、グラン先輩! 神奈さん、春名せんぱーい、グラン先輩が良いこと教えてくださるそうですー!! 接客女子集合です!」
「!!?」
なかなか、こっそりとは難しいようであった。
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「材料、たくさんあるのですねぇ」
きらきらと、友里恵の瞳が輝く。
玉ねぎだけでは膨らみにくいイメージをサポートするように、豊かな副材料が並んでいた。
「チョコやアイスの味が気になるので、確認の意味も込めて食べてみますね♪ あ、参考までに玉ねぎアイスって頂けますか?」
副材料の魅力も知っておけば、より引き立てることができますでしょう?
「……はっ」
気づけば、副材料を食べすぎていました♪
「あるもので戦う…… 戦場に通じる何かがありますね」
神妙な顔で頷いてみせて、友里恵は思いつくままに調理を始めた。
(フライドオニオンの甘しょっぱいクッキーもありますけど、あれもほんの少ししか使いませんし……。使い切るなら軽食の方でしょうか?)
幾つか考えてきたアイディアと、予想以上の玉ねぎの迫力に驚きながらもあやかはひたすらに玉ねぎを炒める。
オニオン・グラタン・スープ にカレースープ。
どちらも、充分に玉ねぎのうまみを引き出したものだ。
通常のオニオンスープと、フランスパンやトマト、チーズなどを用いてアレンジを加えたグラタンスープ。
それぞれ単品としても美味しいし、軽食やケーキ類とも楽しめる。
主役と名脇役、両方で輝くメニュー。
「智美も…… がんばってくれてるんだよね」
あやかは、玉ねぎの皮むきを手伝ってくれた親友を思う。
同じだけの時間を掛けて、今、頑張ってくれている。
「……よしっと。あとは煮込んで…… 次ですね」
恋音は『玉葱の甘さを利用し、糖分を控えたヘルシーレシピ』がテーマ。
「……色々なレシピを試せるのは、楽しみですねぇ……」
ただ美味しいだけより、女性客の興味を強く引けるだろう。
こちらも、あやかと同じく玉ねぎを炒めるところから戦いは始まる。
焦がすことなく、飴色になるまで。
もくもくと素材と向き合う時間は恋音を無心にさせた。
仕事としての全体の流れの把握、進行は失念していないけれど、誰に対して緊張するでない『料理』は、実に心地いい。
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試食会。それは焼きたてを味わえる贅沢な時間。
「玉ねぎをチョコで包んだ玉ねぎチョコなのです♪」
「へぇ」
スティック状のそれを、リディアが手に取る。
「……ドッキリ枠、でしょうか」
生玉ねぎだとは思いませんでした。
テーブルに手を突き床にくずおれ、それ以上の言葉を失う。
「あっ、こちら美味しいです、村上先輩。もちもちして、なんだか癒されます」
玉ねぎを餅でくるんで揚げたもの。表面には砂糖をまぶしてある。
どこか懐かしい素朴な外見で、御影は気に入ったようだ。
「揚げ餅玉ねぎですね、カロリーの権化です♪」
低カロリー押しの恋音と対照的な、欲望の権化であった。
「……洋菓子に玉ねぎを使う事があるのは知らなかったな」
恋音が焼き上げたオニオンタルトを口に運び、神奈が感嘆する。
香辛料が使われているから、『菓子』というよりは『惣菜』に近いだろうか?
これに、あやかが用意したスープが合う。
「オニオンクッキーは、どれも美味しいのです♪」
飴色玉ねぎと粉チーズを練り込んだクッキーも、恋音のものだ。
プレーンのほかに、粗挽き黒胡椒やチリパウダーでバリエーションを付けている。
幸せそうに友里恵が頬張る。
「美味しいだけじゃなくて、皆がお客さんのことを思ってる優しさが味に出てるね」
ほわほわと、璃世も笑顔に。
この美味しさを、お客さんにきちんと伝えられるように。
幸せと一緒に、璃世は噛みしめる。
「そちらは?」
テーブルの片隅に、いくつか積み重なっている生玉ねぎへ、グランが目を留める。
「玉ねぎに顔を彫った、ジャックオニオンなのです♪」
打ち合わせはしていなかったと思うが、奇しくもグランが用意した手製のバッジとキャラクターが重なる。
「誘導灯、ではありませんが、ポイントになる場所へ飾りましょうか」
亮は舞い込んだイレギュラーを取り込んだ。
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「本日は第一回オニオンフェスにようこそお出で下さいました。私は司会進行役を勤めさせて頂くリディア・バックフィードです」
耳になじみのあるクラシック音楽をBGMに、フェスティバルが開幕!
評判を聞きつけた来場者は女性が多い。
中には勇気が必要だったのか、男子生徒4〜5人といったグループも。
「玉葱の歴史は古く、紀元前のエジプト王朝時代から栽培されており……」
並んでいる間にも退屈をさせないよう、リディアは書物で得た知識を。
「本日は、カフェへようこそ。来場者プレゼントの、玉葱精霊です」
小さな子供へは、グランが膝をついてバッジを手渡す。
店内に踏み入れれば、愛嬌のある生玉葱精霊が二階へと道案内。
(待ってる間も、楽しいですね〜)
恋音の友人として来場した袋井 雅人(
jb1469)は、列の真ん中あたりについて周囲の様子を伺う。
「グラタンスープ、定番にしてくれないか要望しちゃおうかなあ」
「冬になったら、絶対通うよね!」
(なるほどなるほど)
直接インタビューするまでもなく、心に残るメニューは耳に届く。
「泣かないの。お家に帰ったら、ママが作ってあげるから」
「あれがいいのー!! 玉葱精霊ー!!」
ちょっと、よくわからないものも、耳に届いた。
雅人の少し後ろで、ハンカチの準備を終えた智美がハラハラしながら、そんな料理の評判を見送っていた。
(あやかの手料理は美味しいし、心配はない…… けど、なんだか緊張するな)
ピシリとアイロンの掛かったハンカチのように姿勢を正している智美の、心の中はソワソワしっぱなしであった。
「お勧めはなんだろう?」
メニューを手に、老紳士が璃世へ問いかける。
「それでしたら、こちらの『タルトフランぺ』を。フランス風ピザです」
男性でも食べ易い物を、とあやかが用意したものだ。
「パイ生地に玉葱の薄切りと刻みベーコンをトッピングしています。どのお料理も食べたら笑顔になれますよ。おかわりも、是非どうぞ」
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秋の花による出迎え、玉葱精霊の誘導、暖かなメニューに柔軟なアナウンス。
絵本の一幕を思わせる会場に、雅人の表情が綻ぶ。
「カレースープとオニオンタルトをお願いします」
璃世が笑顔でオーダーを受け、綺麗にラッピングされた染物のハンカチを差し出した
「こちら、来場された方へプレゼントしています」
「これはありがとうございます」
玉葱精霊のバッジは、お子様向けへシフトしたらしい。
(もともとは一般的なガーゼハンカチでコストも低い……ふむ、イベント配布物として効果的ですね)
食後にハンカチは、実用的だとも感じる。
フェスティバルという形でスタッフの数が揃えばこそ、こういったこともできるのだろう。
季節を先取りしたメニューで、次へと客を引っ張ることもできる。
(これは…… もしかして、MVPは玉ねぎなのでしょうか?)
万能性、恐るべし。
独自のチェックリストを伏せ、雅人は到着した料理を楽しむこととした。
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「「ベリーベリーお疲れ様でしたー!!」」
フェスティバル、無事終了!!
後片付けも済み、シンプルになったカフェスペースで全員がソフトドリンクで乾杯を。
「引き篭もりの対人能力を侮ってはいけないのですよ…… あ、そこのオニオンサラダ取って下さい」
「樋口先輩、ほとんど食べてませんでしたでしょう? 取り置きしてもらってたんですよ、どうぞ!」
「あ、これはどうも、春名さん」
「ところで光嬢。料理の実力は向上しましたか?」
「うぐっ。こ、ここでそれを持ち出すのですかグラン先輩……」
「上達はしているな、光。こないだの炊き出し、美味かった」
「一仕事を終えた後は、また格別ですね。……ぽっ」
「智美、今日はありがとう。ハンカチ、みんな喜んでくれてたよ」
「間に合ってよかったよ。作ったものを手に取ってもらえる、って嬉しいことなんだな」
「月乃宮さん、本日のレポートです。店内の飾り付け・制服・各料理やお菓子ごとに、項目を分けてみました」
「……おぉ……。袋井先輩、ありがとうございますぅ……。定番化の声が、多いのですねぇ……」
コスト面に関しては、恋音がまとめている。
これらのリストと併せて最後にオーナーへ提出する予定た。
まだまだ玉ねぎは山と積まれているけれど、評判が評判を呼んで、ぐいぐい消費されるといい。
消費された頃、また何か、楽しいイベントが開かれるといい。
この、カフェ『ベリーベリー』で!!