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低く重苦しい、呻き声が聞こえる。
獣の咆哮というよりは人のものに近く、人のものというには禍々しい響きだった。
「ご迷惑をおかけいたします」
交戦ポイントへ到着するその前に、負傷した体を引きずる知楽 琉命(
jb5410)が頭を下げた。
手負いとはいえ、戦場において傍観はしていたくない。
かといって強引に我を通し、これ以上仲間の足を引っ張ることはしないと告げる。
「後ろは任せました。絶対に、知楽さんには傷付けさせません」
回復手である琉命は、部隊にとっても要となる。
姫宮 うらら(
ja4932)は力強く笑みを返し、大切な戦力なのだと琉命の手を握った。
「い、嫌やわ! あの牛人間」
瓦礫の陰から、そっと向こう側を覗いた亀山 淳紅(
ja2261)が、ぴゃっと戻ってきた。
「え、そんなに……ですか?」
「心が不安定になるっ!」
やめといた方がええで、興味本位に顔を出す御影の肩を淳紅が掴む。
「件か……。妖怪を真似るとは冥魔のしそうな事か」
「時代小説で見かけた怪異の現物を見られるとは。……かなりイメージは違くてがっかりだが、仕方がないのだ」
硬直する御影の隣に、水無月 神奈(
ja0914)と酒井・瑞樹(
ja0375)が並び立つ。
二人は姿かたちの予想をしていたからか、動揺は少ない。
人面牛身の妖怪、生まれると同時に預言を口にし、直ぐに死に絶えてしまうという『件』。
生まれながらに死ぬべき宿命をその手に握った存在―― を、意識しているかどうかは解らないが。
なるほど、確かに不気味な形だが人の頭が付いている。
完全な人の姿を取りながら、その実はぐれ悪魔の身である美森 仁也(
jb2552)は冷静だった。
「相手を逃がさない事を考えれば何とかなると思いますね」
道なき道を走る余裕を与えず、連携取れない状態に持ち込めれば。
「集落を襲いに行ったら大変だもん、放ってなんか置けないよ」
山の上では、いつディアボロが追ってくるか戦々恐々としているに違いない。
単身でも飛び出してしまいたい衝動をグッと抑え、犬乃 さんぽ(
ja1272)は自身の力を発揮できる位置取りを探す。
(まずは眼前の敵を排除……。それにしても……)
瓦礫の配置、徘徊する敵の動きを読み解きながら、常木 黎(
ja0718)は崩壊した町について考える。
「優しさが信じられないってのは、わかる気がするねぇ」
口をついた言葉は、誰に言うでもなかった。
いっその事、交換条件を持ち出された方が幾分か信じられる……などと。
●
「日本じゃあ赤いと3倍早いって聞くもん、素早い相手はニンジャにお任せだよ!」
瓦礫伝いに息を潜めてからの、攻撃開始は電光石火だった。
「ニンジャの速さには、絶対追いつけないもん」
隼突きで、さんぽが先陣を切る。
「Here we go!」
黎の放つクイックショットが、的確に赤き件の頭部、片側を吹き飛ばした。
「お、お、落ち着くんや」
直視できない敵の姿が、どんどんグロテスクオプションを付加していくが、これは味方の攻撃が当たっているだけ。
押しているだけ。
「Io canto――『velato』」
淳紅は前に出て、もうどこから噴出されているやら判らない猛火をマジックシールドで受け止め、
「そのまま、倒れたってなー!」
持ちこたえられたとしても、朦朧状態に落とし込めば追撃の助けになる――カウンターで、マジックスクリューを巨体へ捻じ込んだ!!
――どう、
音をたて、赤牛が地へ倒れ込む。
「姫宮うらら、獅子の如く参ります……!」
安心している暇はない。
(この地に再び、日の昇らん日が来ることを――)
変わっていく今と先。変わらぬ想い出をその胸に。
うららは赤いリボンを解き、銀糸の髪をなびかせた。
「これ以上、此の地を蹂躙させは致しません……!」
足場の悪さをものともせず、撃退士たちへ突進の姿勢を見せる若き件へ斬糸で薙ぎ払いを掛けた。
獅子の爪牙の鋭さで、敵の武器たる移動力を奪ってみせる。
「どんなに攻撃力があっても、動けなければ怖くないのだ」
初撃は赤牛へ集中砲火、そこから班分けをしていく算段が、予想より早く撃破達成したために瑞樹はこちらへ加勢する。
動きを止められ無防備なそれへ、鋭い剣撃を浴びせる。
「――っ、硬い肉、なのだ」
その上空から、無数の光の針が降り注ぐ。闇の翼を広げた仁也だ。
「なかなか…… しぶといですね」
「行くぞ、光。……逃がすか!」
「はい!」
こちらを確認するなり後退しながらの呪詛を放ってきた老いた件へ、多少の傷などくれてやると神奈が距離を詰める。
赤牛に手間取るようであれば、違った戦いになったであろうが……あとはもう、押すだけだ。
……押すだけだと、そう見せかける。
御影は神奈を『案じるふり』をして、やや膨らんだ軌跡で件を追う。
「Damn.こっち向きな」
逆方向へ走り込んでいた黎が、挟み込むようにアシッドショットを撃ち込んだ。
着弾点から、じわり、腐敗の効果が見て取れる。
「余所見とは、いい度胸だな化け物」
退路は、御影が塞いでいる。これ以上、退かせなどしない。
神奈の右瞳が金色に輝きを変える。
――水無月の技の真髄、極光。
魔を祓う光の粒子の軌跡に沿って、件の身体は上下にずれ、そして落ちた。
単身で赤牛からの魔法攻撃を受けた淳紅へ、琉命がヒールを掛けようとする――それを、淳紅自身が制した。
「知楽さん、自分は掠り傷や! あっちの援護に行ったって!!」
「……はいっ」
混戦にあって、よく通る淳紅のメゾソプラノ。
(届く…… 届いて!!)
琉命はアサルトライフルの銃口を、若き件に向けた。
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淳紅に神奈、深めの傷を負った仲間たちへ、琉命がヒールを施す。
「他に、痛むところはありませんか?」
「毒なら消えた」
気合の足りない呪いだ、ボソリと神奈が呟く。
「先手必勝……とは、言ったものだな」
敵の機動力から潰していった作戦の成功に、瑞樹は深く頷いた。
思うがままに炎を吐かれても、突進を許しても、逃げ回ることを許しても、面倒なことになっていただろう。
「さて……明るいうちに、上へ行きましょうか」
戦いと、その後の対処も落ち着いたとみて、仁也が次へと促す。
今回の依頼で、もしかしたらディアボロ撃破よりも厄介かもしれない場所へ。
咽かえるような草木の香り。
かき分け、土を踏み、石を避け、道なき道を一行は進む。
(冥魔に蹂躙され、瓦礫と化した町とて変わらぬ日常が其処には在ったはず……)
うららは、瓦礫の下から見つけた写真や子供の玩具などを胸に抱いていた。
集落へ避難した人々が、いつ再びあの町へ降りて来るのか暮らすのか、それはわからない。
ディアボロさえ撃破してしまえば脅威は去ったと、すぐにでも建て直しが始まるのかもしれない。
(町が在った証を、其処に在った想いを、何か一つでも拾い上げたい……。今、届けてあげたい)
もしかすると、襲われた際の記憶を揺さぶる、残酷なものになるかもしれなかった。
けれど、もしも雨が降ったら?
ほんの少しの気象の変化で、手が届く物さえ容易く失われてしまうのだ。
後悔は、少ない方が良い。そう思う。
●
撃退士たちの到着に、集落は沸いた。
「あの、それで……皆さんに、お願いがあるのです」
泥だらけの衣服、崩れ落ちて泣いているのが避難してきた麓の住民なのだろう。
集落の人々も喜びを見せているが、どちらかと言えば反応は落ち着いている。
対照的な両者の姿を確認しながら、琉命がそっと提案をする。
「僅かながら、食材をお持ちしました。よろしければ、皆さんと」
「交流会……とでも、いうのか?」
言葉の選択に悩んだところを、神奈が拾う。
「大鍋や火の準備をお願いできるだろうか? 大勢で作れば、きっと美味しいと思うのだ」
カレーや豚汁、難しくはなく一度に大量に作れるもの。体の芯を温めてくれるもの。
夏の終わりといえ、山の上の夜は冷える。
そんな心と心の距離を、近づけられるように。
(食べる事と作る事が切欠になってくれれば、きっと仲良く出来るのだ)
「……む。この場合、人参はどう切るのが良いのだ?」
「あはは、貸してお嬢ちゃん。こう、こう…… こうすると、味が浸みるんだよ」
本当は料理が得意な瑞樹。しかし、敢えて抑えて、手伝いを仰ぐ。
「豚汁にはねぇ、これが隠し味!」
「そ、そんなものを入れるのか!?」
どの土地へ行っても、オバチャンなるものの知恵袋というのは凄い。
瞬く間に『料理の豆知識』披露大会になる。
どちらがどちらの住人かだなんて気にならなくなる状況に、瑞樹は笑いながら食材を鍋に投じた。
「私達が戻る時、宜しければ希望者の方は麓に下りてみられませんか? 雨とか降れば、写真などが駄目になってしまうでしょうし……」
うららの傍らに、仁也が進み出る。
現状で持ち出せたのは両手ほどだけ。
それでも、ほんの少し前までの平穏を残す欠片に、人々は落涙していた。
喜びか、悲しみか――それは、わからない。
「私もですね、保護者をやっている従妹の町が襲われまして。持ち出せたのって極僅かなものだったんですよ」
麓の町の脅威は退治され、歩いて往復できる距離であるのなら。
町の人々は、不安げに顔を見合わせていた。
――戻れる距離に、自分たちはいる。そのことに『気づいた』様子だった。
集落全体に、空腹を刺激する香りが漂い始める頃。
集落の住民へ、淳紅が声を掛けていた。
「食事の時なんですが。迎え入れる気持を言葉にして、もう一度伝えてあげてくれませんか」
こちらは最初から受け入れている、壁を作っているのは『向こう』だと、住民は困ったように返す。
「想いは言葉にせんと伝わらへん、不自由なもんですから」
「行くよ必殺、超ドックウォーク!」
さんぽは、子供たちを集めてヨーヨー技を披露していた。
幼い子供たちには、大人の事情など分からない。新しい友達ができて嬉しい、けれどお父さんたちは怖い顔をしている。
そんな言い表せない不安を、さんぽの明るさが吹き飛ばす。
「すごい、お姉ちゃん! 僕も、僕もやるー!!」
「……って、ボクお兄ちゃん、お兄ちゃんだからっっ」
はわわと赤くなりながら、それでも丁寧にさんぽは技の伝授もしてみたり。
(子供同士が仲良くなったら、釣られて大人も仲良くなってくれないかな……。未来を背負うのも子供たちだし)
ゆっくりと日が暮れ始め、空気全体が染められていく様子には、誰もが手を止めて見入っていた。
それはとても美しい夕日だった。
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「常木せんぱーい ごはんですよー」
「ん、ああ…… そんな時間か」
夜の警戒に当たるべく、先に仮眠をとっていた黎が御影の呼び声に身を起こした。
集会所を出ると、食欲のそそる香りが出迎える。訪れた夜に、炊き出しの炎が暖かく揺れている。
琉命が、手際よく配膳に立ち回っていた。
「E la fine del sole, Wish Upon a Star!」
――太陽の終わりと、星に願いを!
「ほら光ちゃん立つ! 歌うでー♪!」
「え、えぇえ!?」
食事が進み、それぞれが打ち解けた頃合いを見て淳紅が手拍子と共に。
●
食事が終わり、後片付けも落ち着いて。
「ボク、日本の温泉大好き♪ 星も綺麗♪」
ちびっこ達に手を引かれ、さんぽは奥にあるという温泉へ。
「露天であれば星空もよく見えそうだな……。行ってみるか? 光」
落ちてきそうな星空の下での露天風呂。贅沢かもしれない。
「依頼斡旋前から携わっていたのだものな。疲れを落とすといい」
そう言われてしまえば、頷くよりない。
疲労を見抜かれて顔を赤らめながら、御影は神奈と同行した。
音の鳴りそうな星々の輝き。
天然の温泉で手足を伸ばし、御影は深く息を吐く。
「生き返りますねー……」
この集落の住民が、長年に渡りここで暮らしてこれたのは、温泉の存在が大きいのかもしれない。
「そうだ。神奈さん、今日のケガ……」
振り向いた御影が、その先の言葉を飲み込んだ。
神奈の、左鎖骨から走る傷跡。昨日今日のものではない。
「……この傷を自分の手で消す事が出来た時、私はようやく自分を許す事が出来るのだろうな」
(神奈さんは…… 今は、ご自分を許すことができない……?)
戦場で見せる激しい戦いぶりは、その一面なのだろうか。
「ええと…… 月が綺麗ですね」
口数の少ない神奈へ、どこまで踏み込んでいいか御影にもわからない。こうして誘ってくれるほどに、心を開いてくれているのだとは思う。
だからこそ、踏み荒らしたくはなかったし、変な誤魔化しもしたくなかった。
神奈に、何かしらの事情があって。
自身を許せない理由があって。
それでも、自分が出会ったのは『そんな水無月 神奈』なのだから。
そのままで、充分に。
「綺麗です」
「……そう、か」
ぱしゃり、神奈は湯を自身の顔にかけてしまったから、どんな表情をしているのか御影が知ることは出来なかった。
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見晴らしのいい場所で、夜警についていた黎が人の気配を感じ取る。
「拒否されても暴動一つ起さなかった。そして今度はあんたらを受け入れた。――なんでだと思う?」
問わず語りに言葉にする。さあ、どう出る?
「さぁ」
返ってきたのは、青年の声だった。
「親の世代のことだから。けど…… 信じてなけりゃ、川上になんて住まわせないって ここに来て、わかった」
温泉が湧く場所。清らかな川の源流。
麓の町の人々にとっても、恐らくは大切な場所。
当時の町の人々の『精いっぱいの気持ち』だったのだろう。
「まぁ理由はどうでもいい。ただ、感謝すれば良いのさ」
肩を竦めて言ってみせると、青年が笑うのが空気で伝わった。
「Take it easy」
青年が何処へ行くのか――星を見るためだけか、解らないけれど。
馬鹿な考えではないのだろう。
見えていないとわかった上で、黎はそっと手を振った。
そんな自分自身は簡単に吹っ切れちゃいないことを、自嘲しながら。
●
薄っすらと空が色づき始める。
冷たい空気が、柔らかみを帯びてくる。
朝が来る。
山を下りる撃退士たちへ、麓の人々、それから集落の住民も数名、同行するという。
「見ておきたいんだ。これから、戻る場所を。戻すまでにどれだけかかるかわからないけれど、皆で戻る場所を」
(……ああ)
そこで、淳紅はようやく気付く。
集落の人々は、本当の意味での『戻る場所』を喪ってしまっていて
麓の町の人々は『戻れる場所』がすぐそこに、まだ残っていて
だから……、迎え入れるのは、きっと、今度こそ『麓の町の人々』の番。
「ほな! 大きな声で歌いながら帰りましょーか、クマに遭遇したら大変やしな!!」
(人は、自分と違う者の考えは…… 特に大人になると、なかなか受け入れにくい、けど)
共に歩き、仁也は考える。
昨日の今日で、大きく心境に変化を与えることは難しいかも知れない。
けれど、ゆっくりと受け入れ、理解し合うきっかけになるのなら。
そう、願う。