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深夜、と呼ばれる時間帯を越え、空気が一層にキンと冷える頃合いがある。
星の光は和らいだように見えるのに、朝の訪れは遠い。
霧までとならない水蒸気が、撃退士達の肌を冷やした。
「猫みたいな姿のサーバント……う〜ん。なんだか他人事じゃない気がするというか、妙な親近感があるね」
野生の猫のような、しなやかな動きを得手とする並木坂・マオ(
ja0317)は、ご対面する敵の姿に興味を示した。
「人の声真似に惑わされる事はないけど……、避難完了してるって先生の言葉、信じてる」
指定の空地へと近づく中、民家の一つにも灯りは点いていない。
避難は完了しているらしく、『声』らしきものが聞こえたなら敵と判断していいのだろう。
蓮城 真緋呂(
jb6120) は、やや不機嫌な感情を込めて。
(……どうして猫型に作るかな)
激、まではいかないけれど、おこ。
(私は猫は大の大の大好きじゃが、猫型化物は超嫌いじゃ)
言葉なく怒りを抱くのはネピカ(
jb0614)。
犬の遠吠え、猫の鳴き声。
日常に紛れやすいもので惑わせるなら、どちらでも同じだろうに。
(って言うかそもそも存在から気に食わん。問題の町外れとやらで、ガンガン頭突き倒し尽くしてくれようぞ!)
「猫に似た敵だからな。意を決さねば」
表情が険しいのは、酒井・瑞樹(
ja0375)も同様である。
「わざわざこっちが不利な夜明け前に仕掛けなきゃいけないってゆーことは、その時間にしか集まらないのかな?」
猫、というキーワードに引っ掛かりを覚えながら、マオは小首を傾げた。
人払いも済んでいるなら、日中にしらみつぶしに探せば良いのでは?
「町の人達が早く安心して暮らせるように、早くやっつけないとね!」
インラインスケートで滑走しながら息巻く犬乃 さんぽ(
ja1272)の言葉が、期せずマオへの回答となっていた。
――こちらが不利な状況だとしても、敵の存在が明確な時間帯に攻撃を仕掛けること。
それは、突然の避難勧告で動揺している住民たちが、少しでも早く戻ってくるための強硬策だ。
「やれるさ……」
伏していた目を先へ向け、自身へ言い聞かせるように常木 黎(
ja0718)は呟いた。
(『これ』しか無いんだから……)
手にしたリボルバーを、両手で握りこむ。
使い慣れた武器で、確実性のある戦いと、そして勝利を掴むこと。
それが、唯一の誇り―― だった。
立て続けにそれが揺らぐ場面に直面し、心は妙な冷え方をしていた。
(他には、何もない)
だからこそ、慎重を重ね、最善の手を尽くす。それだけだ。
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夜風で、空き地の雑草が闇の中で揺れる。
月明かりの下、ぼんやりとした草の群れの中に、ターゲットの姿はそう容易く見えない。
「……………むむぅ」
体を軽く動かしてほぐしつつ、ネピカは闇に目を凝らす。
(朝晩がすごしやすくなった分、天魔も活動しやすいって事じゃろうか? 季節の移り変わりも良し悪しじゃな)
あと数時間もすれば、早朝の散歩にも早起きからの二度寝にも、きっと気持ちのいい気温になるはず。
(せっかくの気候を台無しにするサーバントには、さっさと消えてもらうのが良かろう)
言葉にするより、脳内で考えを巡らせることの方が断然多く、今日もネピカは周囲から見るとひとり百面相である。
「はぁ……。後始末くれぇしていって貰いたいもんだ……」
死んだ魚の目で、恒河沙 那由汰(
jb6459)は嘆息する。
気だるそうな手つきで、手荷物から貸与申請をしていた通信機を配ってゆく。
「何かの時の保険程度だけどよ」
真っ暗闇というわけでも、障害物の陰になるというフィールドではないけれど。
たとえば、敵の持つ能力である『魅了』に掛かった者の判別などに使えるだろう。
「なんだか、変な感じ……です」
ナイトビジョンを装着し、通信機の具合と両方をチェックしながら、日中の戦闘との違和に水葉さくら(
ja9860)は微かな緊張を見せた。
「月明かりと草でなかなか見つけ辛いが……。逆に、不自然に揺れる場所が怪しい、と見よう」
同じく夜戦対策をしてきた瑞樹が、夜の草原をぐるりと見渡す。
今のところ、不審な点は見られない。
ヘッドライトを用意してきたマオは、灯りをつけてしまえば的になってしまうだろうと考え、敵を捉える直前までは自粛。
「暗くたって、ニンジャの目にはお見通しだもん♪ ……でも、夜聞く猫の声って、赤ん坊の泣き声みたいで吃驚しちゃうよね」
本物の猫が紛れていたら、ドキっとするかも?
持ち前の明るさで、周囲の緊張感を取り去った。
「『誘いの声』を手掛かりにできればいいんだけど」
辿りついて声がしないのは、どういうことだろう。
真緋呂は唇に人差し指を宛てて思案する。
こちらが撃退士であると知っているわけではないだろうに……。
なにがしかの、行動パターンがあるのかもしれない。
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「さて、……行こうか」
「あんまり、近づきすぎないように、だな」
「………………」
黎が那由汰へ作戦開始を促し、ネピカは無言で笑みを浮かべる。
(敵の範囲系の攻撃に巻き込まれんよう、周りとの距離はとっておいた方が良さそうじゃな)
周囲の動きを見ながら、ネピカは程よい位置を取る。
ある程度まで全員で進み、それから二手へ分かれるという全体方針だった。
「時間をかけると、禍猫の厄介な魔法がじわじわ効いてきそう。速攻重視かな?」
トマト片手に闘気解放、マオの瞳がキラリと光る。
「まずは、凶猫との戦いなんだろうけど――……!」
仲間たちのグループから飛び出し、草原へ分け入る。
刹那。
「…………!?」
ヴン、脳を揺さぶられるような騒音がマオの頭を襲った。足が止まる、その背へ闇にまぎれて小さな爪が襲い掛かる。
続けざまに斬りつけられるが、そこで動じるマオではない。
ヘッドライトを点灯し、後ろ回し蹴りのモーションでそのまま鬼走りへ切り替える。
背面の凶猫を、そのまま踏み倒した。
「あたま、いた……」
遠くで、何かが移動する気配がした。
(小理屈などどうでもよい、化け猫を全滅させるのじゃ)
後方では、ネピカが烈光丸を手にした。
光を放つ刀身。
照明器具として使用するには心許ないけれど、『向こう』にはどう見える?
「ネピカさん!!」
「…………っ」
左右同時からの凶猫の襲来に、ネピカは耐えきる。反撃の刃が闇に煌めいた。
「炎が居場所を教えてくれる。……そこ!」
すぐに闇へ紛れようとする対象を、真緋呂は逃さない。
ネピカが斬りつけた凶猫へ、炎焼による炎の槍を投じる。
「武士の心得ひとつ、武士は敗北や失敗に挫けてはならない!」
瑞樹は叫ぶ。
辛い敗北。痛い失敗。助ける暇もなく倒れる友人の姿。
それらに、心を引きずられるのではなく――挫けず、今度こそ、助けとなれるよう。
ネピカを襲った凶猫、もう一体へ向けて封砲を放つ。
「犬乃さん、こちらだ!!」
「鋼鉄流星ヨーヨー★シャワー! 行けっ、ボクのヨーヨー達っ」
瑞樹が示す場所、真緋呂の移した炎から敵二体を確実に捉え、さんぽが忍法を発動した!
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他方ではさくらが先頭となり、邪魔になる足元の草を払いながら周辺警戒に努めていた。
「ふぅ……」
ボス格の禍猫と、手下の凶猫。
順当に考えればボスは後方に控えているとみるが、こちらの動きに合わせて移動しているとしたらその限りではないだろう。
神経を張りつめながら進むのは、それだけで体力を消耗する。寒いはずなのに、じわりと汗をかく。
「だりぃな……。早く出てこねぇか?」
那由汰が軽く愚痴をこぼした。
いつ襲ってくるか、後手に回るのもかったるい。
最後方を進む黎は、息を潜める。
後方、と言ってもだだっ広い草原では、全てが前方であり、側面だ。
仲間たちより広い視野を取るよう心掛け、奇襲の可能性を最大限まで潰すことを重要視している。
それこそ、蟻一匹逃さぬ心算で。
さくらが草を払う隙を縫うように、索敵で敵の姿を――
「got it!」
短く叫ぶ、さくらが顔を上げる、襲い掛かる凶猫の爪を、寸でのところで受け止める!
「住処をお邪魔して申し訳ない、ですけれど……斬らせて頂きます、ね」
さくらは返す刃、神速のフェンシングで敵の機動力を削ぎ、
「わりぃが逃がさねぇからな!」
那由汰の全身が淡い緑色を纏う。
閃滅でもって鎖鞭にて凶猫を払う。
「ちっ、ちょこまかと……」
こちらの一斉迎撃に反応した凶猫たちが次々と飛びかかってくるところを、黎は移動しながらのピアスジャベリンで殲滅した。
「獅子搏兎って奴さ」
突き抜けるアウル弾の余波で、微かに草が揺れる。
ちらり、その隙間から――見えた、赤茶の個体。
あくびをするような、鳴き声。
「にゃう!?」
全身へ電流が走ったかのように、さくらの身体が一瞬だけ痙攣する。
「ちっ、メンドくせぇ攻撃してきやがる。根暗は嫌ぇなんだよ」
魅了に掛かったさくらの瞳がとろりと溶けるような色味を帯びて、直近の那由汰へと直剣を繰り出した。
「お、わっと」
その剣先には、本来のさくらの力すべてが乗せられているわけではない。
完全に支配するほどの、強さではないということか。
(ってぇことは、近くに居るはずだ……)
皮一枚を切らせるに留め、那由汰は禍猫本体を探す。さくらを止めようと悶着する方が面倒なことになる。
黎の放つアウル弾の軌跡が、行く手を教えた。
「一度捉えれば……逃がしません。撃ち抜きます」
ふるふると首を振り、さくらは正気を取り戻す。
ステータス異常を引き起こす敵を相手取るのなら、仮に掛かった場合の回復の早さは自身が随一。
身を持って証明し、戦列へ復帰する。
小天使の翼を広げ、上空から敵を追う。
「そら、捕まえたぜ…… シッポ」
那由汰が、禍猫へ炎の槍を放つ。
闇の中、炎焼によって仄明るく浮き上がる炎を目印に、さくらは上空から引き金を引いた。
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「見破ったよ! ……にゃおー拳!!」
ようやく草原の奥へ潜む最後の禍猫へたどり着いたマオは、クラクラする頭を抱えながら、鋭い蹴りによる衝撃波を放つ。
「……これ以上ちょっかいはかけさせない! これがニンジャの速さだっ」
夜陰に紛れ、さんぽが駆ける、風よりも疾く。マオたちへ追いつく。
叫ぶが早いか、瞬速の突きを繰り出し―― 猫型のサーバントを撃破した。
遠く、赤子の泣き声のような、猫の子の声のような、悲鳴が闇に響き、そして飲み込まれていった。
「ちっ…… 嫌な事思い出させやがって……」
それがまるで記憶の底に沈む少女の声のようだったから、那由汰は誰にも聞こえないよう、小さく悪態をついた。
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かさり、草の揺れる音に驚いて、真緋呂が振り返る。
「あ、猫……」
猫だった。
人畜無害の、野良猫だ。
今までの戦いに恐れていたのか、収束に安堵したのか……。
やせ細り、毛並は荒く、それでも生きることに貪欲な野生の猫。
真緋呂の声に釣られるように、瑞樹とネピカが声なく近寄る。
「む、避難勧告は人にのみであって、野良の動物には無縁だからな」
「そうだね」
瑞樹が手を差し伸べると、するりと猫は避け、闇にまぎれて行った。
釣れない姿が、また愛らしい。
動物好きの心得一つ、無理強いはしない。目を細め、瑞樹は後姿を見送った。
強く生きて、そう心の中で呟きながら、真緋呂は瑞樹へ頷く。
「ネピカさん、ケガは大丈夫?」
真っ先に集中攻撃を受けてしまったネピカを案じるが、静かに首を縦に振られるだけだった。
ネピカの表情からは感情を読み取りにくいが…… 野良猫の姿に、痛みも忘れたといったところだろうか?
「獅子搏兎……、か……」
先を行く仲間が魅了に掛かり、同行する仲間を斬りつける。
目の当たりにして、何もできなかったことに、黎は自嘲の笑みを浮かべた。
「獅子搏兎、でしたね」
その胸中を知らず、さくらは屈託のない笑顔で歩み寄ってきた。
「作戦・連携……上手くはまって、何よりでした」
「……そう思う?」
「あ、えっと、み、魅了された時の私…… どこかおかしかったでしょうか…… 記憶になくって」
暗い表情の理由を知らないから、さくらは顔を赤らめ、おどおどしてしまう。
「いや、そうじゃなくて……」
「はー、疲れた。上空から確認してきたが、他には変な気配無かったぜ。野良猫くれぇだ」
やれやれ、首を回しながら那由汰も合流する。
「お疲れ」
黎は片手を挙げて応じつつ、掠り傷を負った那由汰をじっと見るが、やはり然して気にしている風ではなかった。
事前情報として敵能力を知っている以上、同士討ちは誰もが覚悟の上だった。
むしろ、覚悟していたより軽く収められたかも知れない。そうも思う。
被害が起きることを想定し、ならばそれを最小限に食い止めるには――。そこで意見を一致させることができたからだろう。
(煙草吸いたいな……)
以前、精神安定剤代わりにしていたそれが、ふっと黎の頭をよぎった。
少しでも。少しずつ。学園での経験は、自身の糧になっているのだろうか。
時折とても、不安に駆られる。
帰還に向けて全員集合したところで、振り向いたさんぽが歓声を上げた。
「うわぁ、綺麗な朝焼け……!!」
きらきらと輝く瞳が、朝日に照らし出される。
「もう、そんな時間なんだねー」
マオが、大きくノビをする。
あくびをしたり、目をこすったりしながら、一同は季節の変わり目の朝焼けに、しばし足を止めた。
新たなる一日を告げる太陽を迎え、露時雨に濡れた草原は輝きを弾いていた。