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曇天。
蒸し暑さに加え、脛まで埋まる泥地が気を重くする。
「湿地帯か」
カイン 大澤(
ja8514)は微かに顔をしかめ、アサルトライフルの銃口を地面に付けないよう注意を払う。
「成程、聞きしに勝る醜悪さだ。見るに堪えん」
割り当て区画へ向かう途中、他方で繰り広げられている戦闘にて和尚魚の姿を確認し、リョウ(
ja0563)は額を抑えた。
「や、また会ったね」
「常木先輩!」
後ろから肩を叩かれ、御影は常木 黎(
ja0718)へ振り返る。
「またご一緒できて、心強いです」
「I have now returned―― とか言ってみたりね」
皮肉気、というよりはどこか楽しそうな笑みを黎は浮かべている。
「この間の続きとは行かないけど……、いいんじゃないの、こういう戦場も」
前回、この要塞へ橋を架けるという任務は、時間、そして数との勝負であった。
状況を考えるなら、今回の方が味方の突撃を背に負っているだけに更にホット。
知らず、黎の気分も高揚しているようだ。
(京都に関わって、やっとここまで来た。ココを落せば折り返しだ。待ってろ天使ども)
一歩ずつの重さを噛みしめるのは、黒井 明斗(
jb0525)。
一年前、学園全体が動いた大規模作戦には、明斗は参加していない。
それでも京都奪還戦へ携わるようになり、感じることは増えてきている。
故郷を護れるよう、強くなりたい。その願いは、誰かの故郷である京都へも通じるからだ。
「突撃部隊の成功まで、塔入口を死守しますよ」
「防衛は一応得意分野ですからね、張り切って行かせてもらいましょう」
明斗の言葉に、イアン・J・アルビス(
ja0084)も続く。
「それだけをやるのは久しぶりですが、一匹たりとも通さぬように働かせていただきましょう」
「御影さんも、防衛部隊をお願いできますか?」
臨戦態勢前の戸次 隆道(
ja0550)は、静かな口調で御影へ声をかける。
「はい、この太刀にかけて!」
「はは、そう肩肘張らずに。うまく行ったら、スイーツでも食べに行きましょう」
「はぅ!?」
「……フラグではありません、ありませんから」
どこからとなく集う視線を、隆道は乾いた笑いで振り払った。
和尚魚との対面も二度目――といっても前回は無理やり振り切って突破したのだが、隆道は肩の力を抜き、戦闘へ臨むよう心掛ける。
「陽動や防衛も、重要な役割……」
自分のやるべきことを頭の中で繰り返し繰り返し、リアナ・アランサバル(
jb5555)は周辺をキョロキョロ見回した。
自分たちがしっかりと防衛ラインを築いたら、突撃部隊が一気に監視塔へ向かうはず。
「ええ。しっかりと、護り切りましょう。そして、打ち倒しましょう」
騎士然と武器を手に、アステリア・ヴェルトール(
jb3216)は前を見据えた。
目的地は、もうすぐそこだ。
●
「それでは一つ、役目を果たしてきましょうか」
その一言を機に、隆道の顔つきが変化する。
「勝利を積み上げて奪い返すために…… 立ちはだかる敵は蹴り飛ばす!」
「届かぬが故に引きずり落とせ――水底の魔性」
リョウが水上歩行で足場を確保し、不敵に笑う。
牛鬼だけを見据えて駆けだす隆道に襲い掛かる和尚魚を、【影蝕】にて動きを止める。
直視したくないサーバントだが、倒すほどにボスである牛鬼は力を蓄えるという。
「倒し過ぎも要注意、ってねぇ」
「段取りは大切だな」
黎の返しへ頷いて、リョウは真っ先に襲い掛かる和尚魚を蹴散らすにとどめる。
「ち…… 後任せたよ」
初弾で切り上げ、黎もまた牛鬼撃破へと向かう。
「塔内には誰も通しません。安心して、そちらのお仕事を完遂してください」
その背へ、イアンが声を投じた。
「さて……。ここから先は通行止めですね。通りたくば強引に突破していってください」
できるものならば。
門前の壁となり、イアンは残る和尚魚へタウントを発動した。
●
(こっちから手出ししなきゃ襲ってこないってえけど)
遠方に牛鬼を捉えながら、カインは行く手を阻む和尚魚をターゲットとする。
和尚魚は、牛鬼を護るように立ちはだかるものと、塔を護る部隊へ襲い掛かるものとに分かれて行動していた。
アサルトライフルで先制を撃ちこみ、すぐさまブラッディクレイモアに活性化を切り替え、接敵と同時に首を斬りおとす。
「随分と非効率な体してるな」
拳に噛みついてきた個体には、そのまま火薬式のパイルバンカーを打ち込む。
「頭だけ人間の使ってるから妙に脆い、こいつ作った奴相当趣味悪いな」
蔑みの目で、果てたサーバントを見下ろし。
「……いってえ」
毒が回るのを自覚するも、零す言葉は無感動だ。
人の形をした部分を破壊することには慣れているが、気持ちのいいものではない。痛みより不快が上回る。
「悪趣味なことさせやがって、掃除が面倒だ」
「大澤、そちらから直進は射手の範囲内だ、こちら側へ」
顔に跳ねた泥を拭うと、先を行くリョウが振り返っていた。
●
「まずは、先手必勝ですね」
イアンのタウントに釣られる敵を含め、明斗がコメットを降らせる。
「こっちに来ないでいただけますか? 邪魔ですので」
コメットの射程外から接近してきた敵をシールドで受け止め、イアンは振り払う。
「牛鬼の関係もありますから、倒しすぎないようにしておきましょうか」
「そうですね……」
明斗たちと肩を並べる御影もまた、シールドを展開して防御ラインの維持に努めていた。
「大丈夫ですか? 頑張りましょう、僕らが倒れなければ突撃部隊は必ず勝ってくれます」
御影の顔色が悪いことに気づいた明斗が、すかさずクリアランスで治療する。
「あっ、ありがとうございます、黒井さん」
ふるふると、御影が首を振る。
いくつもの攻撃を受けているうちに、自覚なく朦朧状態に陥っていたらしい。
特殊抵抗値が高ければ、回復も早く、足を取られることもないのだろうけれど。
「そうですね。牛鬼対応部隊も…… それに、今、監視塔で戦ってる皆さんも…… ここを、護れば必ず」
塔の入り口は狭い、監視塔を背にすれば3人でも無謀な包囲は敷かれない。
こちらが二手に分かれたことで、向こうも戦力を裂いている。
勝算は、充分にあった。
「けど、黒井さんも無理はなさらないでくださいね」
自分たちの傷は、明斗が回復できる。
しかし、明斗自身は誰も癒すことができないのだ。
高い防御力で盾となるも、ダメージは蓄積する。
「こう見えて、僕はしぶといんですよ」
和尚魚の一体を槍で貫き、明斗は笑顔で応じた。
泥にまみれ、それでもなお穢れることのない強い心でもって。
●流星光底の牛鬼
「気持ち悪い顔して近付いてくるんじゃねぇ!」
滑るように泥地を移動してくる和尚魚を一蹴し、隆道は牛鬼を攻撃圏内に入れる。
防衛部隊も、恐らくは和尚魚の数体は撃破しているだろう。
牛鬼は和尚魚を倒されると逆上し攻撃力が上がるという情報だが、その数値というのはデジタルで表示できるものではない。
現状、どれだけの火力を有しているのか判断は出来なかった。
「ま、防御が留守になるならそれはそれで美味しいよねぇ」
隆道と逆方向に回り込んでいた黎が、牛鬼に対し素早くアシッドショットを撃ちこむ。
「どう、とっておきの錆弾は? 『滲みる』?」
ジワリ、被弾した個所が変色するのを確認し、黎は冷たい笑いを差し向ける。
ぐるりと牛鬼の巨体がこちらを向く、上身を起こし、鋭い爪を振りかざす、
刹那。
「余所見たぁ良い御身分だなぁ、えぇ!?」
真紅に染まった髪をなびかせ、隆道は渾身の蹴り技を叩き込んだ。
それとほぼ同じタイミングで、牛鬼の周囲が魔方陣に囲まれる。
「参ります」
高度を保ち飛翔する、アステリアによる範囲型焼滅術式だ。完全に牛鬼から死角となっていた。
続けざまに黒焔が爆発する。
焼かれながら、牛鬼が咆哮した。方向転換をして炎を吐き散らす!
「ちぃッ」
寸でのところで、リョウは空蝉で回避する。
「当たるとデカイね……」
直撃しようものなら一発で焼き尽くされていただろう、猛火であった。
狙いを外しやすくするよう、黎は牛鬼の『目』へ狙いを変える。
命中せずとも、煩わしいと感じさせられれば充分だ。
(狙われると危ないから、狙われないように目立たないように……)
そんな合間を縫って、リアナはワイヤーを繰り出す。
一撃離脱の間合いを保ち、敵の攻撃対象を絞らせないように。
牛鬼が反撃を始めたことから、包囲の輪も少しずつ移動する。
避けたいと思っていても射手の射程圏内へと押し出され、こちらもまた多方向からの攻撃に注意しなければならなくなる。
「皆さん、下がってください!」
アステリアの声が響き、それを合図に各々が体勢を立て直す。
高範囲殲滅術式、敵味方識別無しの『魔剱』が雨のように降り注ぐ!
牛鬼が暴れ、周囲の泥が跳ねる。無暗に爪を振りかざす。
「そこまでだよ」
この流れだと、恐らく続けて炎も吐くだろう。
させてなるかと、黎が下がりながらのクイックショットで今度こそ眼球を狙う。
「……ザマァ、大当たり」
Jackpot!
立てた親指を下に向け、黎は片目を瞑った。
「少しの間、止まっててもらうよ……」
近づける機を得、リアナが蒼い雷を放ち牛鬼の影を縫いとめる。
生じた間に、カインが泥地に半身を浸しながら牛鬼の胴体の下へと滑り込んだ!
『背中が硬いなら腹はどうよ?』
流れる動作で下顎へとパイルバンカーを密着させる。肩紐の緊急用の着火装置を歯で引っ張り点火。
アウルの力を込めた渾身の一撃で、頭部を吹き飛ばす!!
短く口走った慣れた国の言葉を、仲間たちが聞き取ることは出来なかった。
「!! 大澤!」
――ずっ。
牛鬼の体が泥に沈む、下敷きになるところをリョウが引っ張り出した。
「……無茶をする」
「俺だからできるだろ」
「確かにな」
迷いなく武器を扱う判断力と、その体躯でなければ遂行はできなかっただろう。
連携で作り出した、大きな隙というのも重要だった。
『武器も装備も泥抜きがめんどくせえなこれ』
「自身の判断だろう?」
国の言葉は解らなくても、悪態をついていることは知れる。
リョウは苦く笑い、肩をすくめた。
「さて、陽動との事だが――別に倒してしまって構わんのだろう?」
バサリとコートを翻し、リョウは残る敵へと向き直った。
「行かせる訳には、いかない……」
リアナも頷く。
防衛部隊の負担を軽くするためにも、ここで残る敵を極力倒すに越したことはないだろう。
●裏鬼門より差し込む光
遠目にも、牛鬼の撃破は確認できた。
「これで、心置きなく倒せますね」
ふぅ。イアンは嘆息と共に大剣を活性化する。
「門番は健在だよ。ただで塔に入れるなんて思わないことだね」
負傷を重ねていたが、明斗もまだまだ余力がある。
槍を手に、攻勢へ転じる。
――そこへ。
厚い雲の切れ間から、一条の光が差し込む。
「……あれ」
明斗が眼鏡の位置を直す。
遠方の射手たちが弓を収め、離脱を開始した。足元の和尚魚も然り。
「これは…… 達成したのでしょうか」
イアンが、そびえる監視塔を仰ぎ見る。
明かり取りの窓しかないため、内部の様子を知ることは出来なかった。が。
指揮官が撃破されたのであろうことは、想像に易い。
退路確保も兼ねて区画内の敵掃討へと動いていた部隊も、こちらを振り返る。
「終わった…… 陥落、したのか」
まだ、実感はわかない。それでも。
明斗は声にすることで、少しずつ状況を把握していく。
やがて撃退士たちの歓喜の声で、南西要塞は揺れた。
「案外と早かった」
「まだまだ守れましたよ」
戻ってきたリョウに対し、イアンが胸を張る。
それは強がりではなく、現実であった。
30分、フルに戦うとしても十分なペース配分だった。
「いや…… すごいケガよね?」
黎は明斗へ、残しておいた応急手当で回復を。
「牛鬼部隊の皆さんは、大きなケガはありませんでしたか?」
御影が出迎え、皆の様子を伺う。
その中に、深い傷を負ったリアナの姿があった。
「アランサバル先輩!」
「……大したこと、ない」
射手からの攻撃はほとんどを回避したが、避けそこないも幾つかあった。
目を見開く御影に対し、しかし当人は感情の薄い表情で首を横に振る。
「そっちへ敵が行かなくて……よかった」
「よかった…… はい、良かったです。皆さんが、止めてくださったから」
リアナが、敷地内を駆けるサーバントの動向をそれとなく気に留めていたことを知り、御影はその手を強く握る。
「御影…… 泣いてる?」
「え? えへへ……。ちょっと、気が緩んじゃいました」
「緩むと…… 泣く?」
御影の表情の変化、感情を表す言葉を、リアナは実感として理解することができず、おうむ返しに聞き返すばかり。
「そうですねぇ。泣いちゃう時もあります。すっごい美味しいスイーツを食べた時も!」
「……スイーツ?」
その単語に、隆道の肩が跳ねる。
「約束ですよー、戸次先輩!」
さて、隆道はどんな表情をしているのだろうか。
「それにしても…… 見事に泥まみれですね」
ほとんどを上空に居たアステリアでさえ、衣服に泥が跳ねている。
ずっと地上で戦闘を続けていた者たちは言わずもがな。
自ら泥地へスライディングしたカインに至っては迷彩状態だ。
「かといって、あの堀で洗うのは勘弁だね」
「あは、は。たしかに」
南西要塞をグルリ囲む堀には、しばらくは対面したくない和尚魚が潜んでいる。
黎の言葉に、御影が力なく笑いを返した。
京都が天界勢に奪われ、一年以上が経過していた。
それでも、自然だけは何物にも奪われることなく、雨は降り、風は吹き、緑は繁る。
巡る季節に焦りを覚えないわけではない。
2013年、7月。
京都中京城を取り巻く八要塞の一つ、南西要塞・陥落。
落とすべき要塞は、残りわずか。
「不当に奪ったもの、その代償は払ってもらう」
ここからは、見えないけれど。
この先に在るであろう残りの要塞、そして大収容所のある方向を睨み付け、明斗は決意を刻み込んだ。