●無限の入り口
花冷えの頃。薄く靄のかかった峠道。
幻覚は、まだ始まっていないはずだが、幻想的な光景を前に一同は息を呑む。
「昔話が相手とは、なかなかに面白いではないか」
「大蛇か……。伝承では人を飲んだり食べたりするな」
蛇行する坂道に対しフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が不敵に笑い、鳳 静矢(
ja3856)はサーバントの特徴から何かを考え込む。
車で登れる幅ではないので、ここからは歩いて行く事になるが、そこで鳴上 悠(
ja3452)が小さく声をあげた。
「あった!」
舗装された路面に、バイク2台の走行痕。救出依頼を受けた2名のものに間違いないだろう。
龍崎 海(
ja0565)も歩み寄り、道の途中でプツリと痕が消えている事を確認する。
(京都では、大規模な救出作戦が行われている。脱出させたはいいが道中で襲われたとなったら意味がない……)
依頼が一般人からの発信であったことから、海は市街地の混乱を肌で実感していた。
皆が皆、撃退士に守られ避難誘導を受けているわけではなく、撃退士たちの情報網をもってしても『地元民しか知らない抜け道』は存在し、サーバントはそのどこへでも出現する事が可能だ。
天使たちの本意までは解らない。サーバントが人間を無作為に襲っているのか、天使の指示により動いているのか……。
「帰らずの峠、ね。……俺らまで帰れなくなったら、ホンモノだ」
「では、そのフラグ――……折るとするか」
槙名 レン(
ja6769)が淡々とした声音で冗談めかすのを受けて、目指すはフラグブレイカー・或瀬院 涅槃(
ja0828)が口の端を上げた。どんなフラグであろうと、まずは折ることが肝要。
「あァ、そうだ。道へ入る前に、これを」
シャリン、透った音が響く。郷田 英雄(
ja0378)が赤い紐の束を握っており、その先にいくつもの鈴がぶら下がっていた。
「わぁ、カワイイのー! 郷田先輩、それ、どうしたんですか?」
受け取り、さっそく己の武器に付けながら若菜 白兎(
ja2109)が小首を傾げる。ちなみに彼女の剣には、すでにフサフサ尻尾のような飾りが付いていた。本人いわく『狐じゃらし?』だそうだ。
「行方不明者の捜索時に、誰が何処に居るかわかりやすいように、用意しておいた。まァ、この霧なら、先に渡しておいた方がいいと思ってな」
戦闘時は不要としても、幻覚に陥ったりはぐれたりすることの予防にもなるだろう。
「狐は化かすと言う……警戒するに越した事は無い、な」
静矢が頷き、手を伸ばした。
断る理由もなく、皆も英雄から鈴を受け取り、思い思いの場所に携えた。
●切り拓け
視界を邪魔するほどの霧ではなく、季節からして自然現象だろうと解っていても気分のいいものではない。
ザクザクと、舗装の終わった土を踏む音に鈴の音が時折混じる。
「大蛇に狐か。今回の敵は、妙にけれんみのある相手だな」
「獣の首に興味は無いが、な」
涅槃の言葉にフィオナが鼻で笑う。
獣――サーバントの撃退は今回の依頼において重要項目ではあるが、見失ってはいけないものが、あるはずだ。
――、……、
ひとのこえが、きこえた。気がした。
感知したのは全員らしい。動きを止め、周囲の気配に集中する。
撃退士全員が反応したのであれば、いわゆる『物の怪』ではない。倒すべき天魔である。
上り坂、左手は深い森、右手は山肌を覗かせた天然の壁。先はゆるやかなカーブを描き……恐らくは、その向こう。
この道幅が続くのであれば、上下挟み撃ちという作戦は難しいかもしれない。森に入り迂回すれば――その余裕が、あるならば、の話となる。
「……狐狩り、か。俺は猟師じゃあないんだけど」
曲がる、その手前でレンは路上の石を先へと蹴り飛ばした。何らかが居るのであれば、反応があるはず。
――――、来た、獣の足音!
……ァアアアア、
地鳴りのような獣の声。自然の生き物ではないことは明確だ。
続けざまに威嚇で放たれるピストルの乾いた音が、薄ぼんやりとした靄を拓いてゆく。
靄を迷彩とし、その中より白銀の狐が姿を現した。
「俺たちが動きを抑える。いい所を狙ってくれよ!」
咆哮しながら飛びかかる間にも、涅槃とレンが牽制射撃を行う。
その間に仲間たちは、あらかじめ分けていた班編成へと塊を移動して、銀狐対応班が前線へスイと出た。
涅槃の銃弾が銀狐の足元を撃ち抜き、ややバランスを崩したところで静矢が狙いを定める。
「まず一撃……!」
大太刀を振りぬき、放たれた黒い衝撃波が地を這う。
追走して来た金狐は射程圏内を逃れるが、延長線に居た大蛇まで捉えた!
案の定、道幅をどっしりと占領し、とぐろを巻いている。
あの巨体で、首を伸ばし炎を吐かれたら……どこにも逃げ場はない。
「……確実にいくぞ!」
金狐対応班も形を整えたのを確認し、静矢は海と前線を交代する。引いたところから、得物を手裏剣へと替え、レンと共に後方援護を仕掛けてゆく。
「ふむ、先にあれを倒してしまっても構わんのだろう?」
白い蛇は幸運の使いだというが、あのサイズは度を越えている。
2班が狐退治に取り掛かる間をくぐり、英雄とフィオナは大蛇の意識をこちらへ向ける役割を担う。
「ああ。蛇の抑えは我にやらせよ。貴様は攻撃に専念するといい!」
(何だ、男として、女のフィオナに守られるのは格好悪いと思ったが)
ともすれば、横柄にさえ受け取られかねないフィオナの満ち溢れる自信は、この異様な大蛇を前にしても揺るがない。男だの女だの、守る守られるといった考えを持ち出すことを滑稽に感じるほどに。
(負けちゃいられないな)
タウントを発動させ大蛇を引きつけるフィオナと呼吸を合わせて、英雄は銃での牽制を開始した。
峠の道幅殆どを占める大蛇に対し、森林部を使いながらジリジリと背後に回ってゆく。
先制での足止めが成功した銀狐対応班は、静矢の破壊力・レンのアシストでコンスタントにダメージを与えていく、が、
「硬いっ」
銀狐の牙をショートスピアで食い止める海が、歯を食いしばる。
その攻撃力が、槍を伝わりビリビリとくる。
(抵抗力が高いから、異常状態攻撃に対しては俺が一番ましなはず!)
対処が追いつかず、多少の負傷があったが体に変化はない。つまりそう言う事だ。
警戒すべき遠方に居る大蛇の炎も、フィオナが巧く引きつけることでその気配はないようだ。
しかし、素早い狐の動きに無駄に時間を消費してしまっている感がある。
威力のある近接武器の方が有効だったろうか? それも、今更の話だ。
ヒュ、と何撃目かの静矢が放つ手裏剣が銀狐に突き刺さり、
―――グルゥウウウウウ……
狐のそれとは思えぬ、低い低い咆哮を上げた!
レンが、それを機だと見抜き、
「ごめんな、先に逝ってて」
とびきりのストライクショットで引導を渡した。
「……海さん、オツカレ、ありがと」
「こっちは掠り傷だ。二人とも、ケガはない?」
海は、感覚が麻痺しかけている手を振りながら鷹揚に答え、静矢とレンへ振り向いた。
「ああ。では――次へ向かうか。……大蛇退治には、やはり刀だろう」
静矢は再び大太刀へと装備を切り替え、次なる戦闘へ臨んだ。
「狐さん、こっちです、よー」
白兎が、身の丈以上の剣をかざし、注意をひきつける。しゃらり。鈴が鳴り、金狐の黒い眼光がそちらを見る。
「……うっ」
(……一生懸命頑張って わたしは皆の盾になるの!)
怖くない、と言えば嘘になる。
けど、大丈夫、大丈夫、後ろには頼れる先輩たちがいる。
2人を護る役は、自分が引き受ける――!
目を閉じず、引かず、白兎は狐と対峙する。
「きゃあっ」
剣を盾代わりとして攻撃を受け流すが、どうしてもひとつひとつの衝撃に振り回されてしまう。
大きく隙が生じる度に、十字に陣取った狙撃手の攻撃が狐の足止めをし、白兎を助ける。
「若菜さん、あとちょっと!」
あとちょっと、耐えていてくれれば倒せる。リボルバーからファルシオンへと持ち替えた悠が、距離を縮めて痛烈な一打を叩きこんだ!
攻撃対象に関して混乱した金狐の隙を、涅槃は逃がさない。
「悪いな。好機を逃す様な男では無いんでね」
――金狐は、頭から霧散していった。
「大丈夫か、若菜」
涅槃が、白兎の頭をポンと撫でてやる。
「気を抜くのは、まだ早いです。皆で大蛇を退治するの」
頬を紅潮させる彼女の言葉に、悠と涅槃は顔を見合せて笑った。
そう。勝負はこれから。行方不明者の捜索もある。
編成が功を奏し、狐の牙による被害が出る事はなかった。
ただ、撃退までに時間を要した事が気がかりだ。
大蛇の相手をしている英雄とフィオナは無事だろうか!
●峠の主
「はッ、伊達にデカい図体してる訳じゃない様だな。だが、遅い!」
しかし、更に、硬い。
フィオナの陰から大剣へと持ち替えた英雄が刃を振り下ろすも、太い首にどれほどダメージを与えているか判らない。
そこへ大蛇が吠え、大きく首を巡らせる。
「ちィッ」
英雄は跳躍し、薙ぎ払いの様な首から逃れるが、渾身の一撃が致命傷を与えるまで達さないことへ舌打ちをした。
(……ふむ、ダメージを自ら回復する能力は無いようだから、確実に蓄積させているはずだが)
幸運を考えるならば、狐殲滅前に大ダメージを与えなかった事だろう。2体を従えている、という情報が確かであれば、危機に際して狐まで集結する可能性もあった。
「下がれ!」
耳元でフィオナの怒声が響いた、と認識すると前後して英雄は襟首を掴まれ後ろへ放られる。彼女の何処に、そんな力が!
どうやら先程の一撃によりタウントの効果が外れたらしい。大蛇が首の位置を高くし、
――炎の息が、来る!
「フィオナ!!」
「足りん……足りんぞ! 我を焼き殺したくば、この3倍は熱い炎を持ってこい!!」
「ぶは」
英雄には防壁陣を張りながら高笑いを見せるフィオナに、英雄は思わず噴出した。
どこまでも、強気な――……!
「あァ、助かった。後でジュースでも奢ってやる」
正直な話、フィオナのフォローが無ければ相当ヤバかった。が、自分にも意地がある。
文字通り、身体を張って仲間たちの盾となっている彼女へ報いるのは、決して弱音じゃないはずだ。
「ふむ、口の中まで鱗はなかろう。ついでに火も差し押さえだ」
吐くならば、何度でもその炎を吐けばいい! タイミングは把握した!
「援護する。今のうちに立て直せ!」
涅槃の狙撃が大蛇の頭部を襲う。
「こっちにも居るよ!」
大蛇の視界外から、悠が駆けこみ、斬りつける。
広範囲の炎の吐息は、狐退治から駆けつけた仲間たちにも少なからず手傷を負わせているが、大事に至る者はいないようだ。
「隙間なら軟いか……?」
鱗は伸縮にも応じるという情報だが、伸びきっている状態なら少しは違うはずだ。涅槃、悠の連続攻撃でのけぞったところで、静矢は紫鳳翔を放つ。
咆哮する大蛇の壁役を、海がフィオナとチェンジする。
「安らかに、眠らせてやるよ」
そこへ、レンの銃弾。
2人だけで時間を稼いでいた頃とは、火力が格段に違う。
攻撃側へと転じたフィオナの剣が、金色の光を纏う。
英雄とフィオナが視線を交えた。言葉は要らない。誰よりも長く、この蛇を相手にしてきたのは自分たちだ!
薙ぎ払うように蛇の首が地を這う。それを飛び越え、炎を吐くために口を開いた瞬間を狙う!!
「急所は頭と、相場が決まっている!」
二閃。2人の剣撃がクロスして、大蛇の頭を薙いだ!!
●今度こそ
峠の靄が晴れてゆく。日が中天を過ぎていた。
バイクで峠越えに臨んだという救出対象2名であるが、天使たちが欲するのは人間であり機械に興味はないはず。
バイクだけが別に転がっている可能性もあると、示唆したのはレンだ。
手分けして周辺探索する者もいるが、幾人かは撃破した大蛇の周囲に集まっていた。
「丸呑みにされた可能性があるな……」
天使が『日本版・神の使い』として造り上げたサーバントであるならば。
刀を手に、静矢が太い胴体に歩み寄る。悠も手伝いにまわる。
「……何にせよ、無事ならいいんだ」
消化されてたら、という考えがレンの脳裏をよぎるが、あくまでこれは「ヘビ型」の「サーバント」だ。生物では、ない。消化器官などないだろう……と、思う。
峠の脇道、森林の奥へ向かっていたグループから、バイク発見の声が聞こえた。と、同時に――
「何だ、フラグも折れないとは情けないな。よし、俺が手本を見せてやろう」
「「無理無理無理」」
――他方から、救出対象発見の報が上がった。
ここまでお膳立てしたのに、何故サーバントの中から出てこない!
息巻いて救出者の元へ向かう英雄の背に、仲間たちが呆れながらも安堵の声を浴びせた
「ヒロ兄、なんか、これ、ヤバイ」
霧が晴れない。振り向く先は闇。
ばあちゃん、たすけて――
子供の頃へ戻ったように、2人は震えていた。
が、そこに差す一条の光――
「おい、大丈夫か!? 元凶は既に倒した。安心してくれ」
「「ばあちゃん!」」
「……坊主と呼ばれる事はあっても、これは予想外のリアクション」
大の大人二人に飛び付かれ、涅槃が若干、引く。
そこへ白兎が、救急箱を持って駆けつけた。
「助ける事ができて、よかったです」
それは確かに、白兎の言葉であった。
けれど、この峠に纏わる悲しいエピソードの結末にも思えたし、自分たちと京都を結び付ける、亡き祖母のもののようにも思えた。
(今は、逃げる事しかできないけれど……)
いつか、京都へ帰ってこよう。
この、峠を通って。
京都を故郷とする従兄弟たちは目と目で頷き、そして自分たちの為に命を懸けてくれた撃退士たちへ深々と頭を下げた。