●
光の届かぬ廃墟。
かつて天魔被害でもあったのか、あちこちがボロボロに崩れている。
シンと冷える夜気が闇の輪郭を際立たせていた。
風が吹き、遠く葉擦れの音がそのまま胸をざわめかせる。
まだか。
敵はまだか。
倒すべき、倒されるべき、あの――……
●神去りて
「今日で決着をつけよう…… 皆の為にも、仲間の為にも、な」
廃墟の一角に身を潜め、御手洗 紘人(
ja2549)――チェリーから渡されたインカムの状態を確認しながら、志堂 龍実(
ja9408)は筧を振りむいた。
ナイトビジョンの装備で、夜間といえど変わらぬ視界を保っている。
昂る感情をしきりに抑えている卒業生の、その表情も見て取れる。
「大丈夫か、筧」
「ありがと。皆が居るから平気だよ」
ひとりであれば、どんな暴走をするか―― その裏返しの返答でもある。
辻斬りに遭ったフリーランス撃退士達。
『撒き餌』と称され、生かさず殺さず切りつけられた一般の人々。
ターゲット移行の後、深い手傷を負ってなお、捕えられず撤退を喫した久遠ヶ原の撃退士達。
その誰もに、かけがえのない誰かが居たはずだ。
鋭敏聴覚を駆使して周辺警戒に当たっていた佐藤 としお(
ja2489)は、伏せていた目を開く。
「犠牲者が出ている以上、どんな理由であれ、その罪を償って貰わないといけませんね」
力を求め、相手の成長を楽しみ、傷つける――?
そんな行為、思想、許されるわけがない。
(何が刀狩をここまで駆り立てるかは知らんけど、何かに命をかけてるって奴は正直嫌いやない……)
亀山 淳紅(
ja2261)は、としおの声を聞きながら己の思いは口にせず、足場の確認をしていた。
自分は、戦いは好きじゃない。
けど、自分の命を放り出しても構わないほど、好きなものはある。
ヴァニタスへ共感するつもりはない、ただ――いつかの自分のなれの果てかと思うと、このまま捨て置くわけにはいかない。
そう、考える。
「……『刀狩』か。ここできちんと倒して、後顧の憂いを無くすべきだろうな」
愛用の十字槍を手に、榊 十朗太(
ja0984)は間近に捉えた感触を思い出す。
有効と呼べる攻撃を与えられたのは、最後の一度だけ。
けれど、負った傷と引き換えに得た物はある。それは決して小さくないはずだ。
(因縁、と呼べるほど深いものはないが)
十朗太が、刀狩と刃を交えたのは神去月のこと。
今は師走。各地へ神々も戻っている――などといった考えは、この場に置いて可笑しいかもしれないが。
『神去月だ。邪魔する天界勢は 居ないだろう?』
『あなたの世界のソレと あたし達の世界のソレは別物よ。……馬鹿ね』
あの時耳にした、ヴァニタスと悪魔の会話。
人々の世界の『神』と、並行世界から侵攻してくる『天使』達をなぞらえた、ふざけたやりとり。
戦国から続く旧家、そして神職も務める家に生まれた身として、何も感じないわけじゃない。
「……最善を尽くすこととしよう」
軽く首を振り、余計な思考は捨てる。
元が何であれ、目的が何であれ、戦うことに変わりはない。
「鷹政くん、今回も宜しく〜☆ か弱いチェリーのたt ……ごほん、為に頑張ってね☆」
「はは、頼りにしてるよ、チェリーちゃん」
(『盾』って言ったな? 言ったよな??)
いやきっと空耳だ。そう流して、盾にするように背を押してきたチェリーへ筧が笑いかけた。
魔法少女プリティ・チェリーの実力は、以前の戦いで筧も目の当たりにしている。
強敵を前に浮足立ちがちな戦場においても、動じることのない精神力があることも。
「そういえば、前回聞き忘れてたんだけど」
「うん?」
「鷹政くんのロリ趣味的に、チェリーって守備範囲?」
「……そのせっていはどこからうまれたの……」
ロリ趣味じゃないから。
とりあえず、そこだけは強調しておく。
張り詰めた空気が、少しだけ和んだ。
●空に浮かびし穴へ
それぞれが定位置についたことを確認し、チェリーと淳紅はいつでもトワイライトを発動できる体制に入る。
夜目、ナイトビジョンなどで闇を気にせず動けるメンバーばかりではない。
『龍仙です、見つけました』
事前に廃墟周囲の地図を借りて周辺を探索していた龍仙 樹(
jb0212)の声が、インカムを通じ全員へ届いた。
程なく、獣の荒い吐息が誰の耳にも届く。地を蹴る爪の音と。
ダアト二人がトワイライトで周囲を照らし出せば、おびき出されるように先行であろうヘルハウンドが数頭、姿を現した。
「さぁ、いきますよ」
敷地へ駆け込んできた樹は、振り向きざまに弓銃で先制攻撃を仕掛けた。
「犬さん、こちらっ♪」
駆けつけるヘルハウンドの鼻先へ、三善 千種(
jb0872)が矢を放つ!
情けない鳴き声を上げ、ヘルハウンド達は突撃の足を一時的に緩めた。
「勝手に向かってきてくれるうちは、楽ですねぇ☆」
キリリ、次の矢を番え、射程圏内に入る傍から攻撃してゆく。
「――邪魔ですね」
群れるヘルハウンドを神埼 煉(
ja8082)が白銀の篭手で殴り飛ばし、鴉守 凛(
ja5462)が斧槍を振るう。
「そうそう簡単に倒れはしませんね」
仲間たちの攻撃の合間を埋めるように射撃をしながら、としおが片目をつぶった。
主を護るための使役魔――防御特化とは聞いていたが、対戦してみればそのしぶとさを実感する。
前衛陣が扇状に展開し、後衛が広く援護できるよう各自で応戦しながら移動してゆく。
(さぁて…… 狼たちのご登場ってことは)
中衛に陣取り、静かに戦況を見渡す九十九(
ja1149)は過去依頼からの情報により先の展開を読む。
(想定としては混戦・乱戦で孤立や各個撃破が最悪、それに加えて――)
「……あんたの行動さねぇ」
闇を切り裂くように、鋭い風が吹き抜けた。
九十九がすかさず回避射撃を放ち、狙われた淳紅をサポートする。転びそうになりながら、淳紅はなんとかバランスを保ち、刃から逃れた。
ヘルハウンドの群れから、跳躍一つで抜けだしてきたヴァニタス――刀狩は、初弾をそらされ愉快気に鼻を鳴らした。
「手負いの状態が最も危険だけど…… ま、やるだけやりますかねぃ」
回避射撃の成功に、九十九もわずか、安堵する。
自分たちの力が、全く及ばない相手ではないようだ。もっとも、これまでのダメージの蓄積も大きいところではあるだろう。
「少し は ホネが ある、か?」
刀を振り抜き、着地から顔を上げ。赤い瞳が撃退士達を見まわす。
銀色の髪が、闇の中にあってなお、頬のあたりにサラリと光る。
左手には、血が滴るような刃。
「ヤンデレ属性付与か…… イケメンのヤンデレ……滾る」
「チェリーちゃん、心の声もれてるもれてる」
ヘルハウンドを相手取る筧の言葉に、チェリーはコホンと可愛らしく咳払いで誤魔化す。
「さて、イケメンさん…… 今宵は勿論、エスコートして戴けます?」
「無論」
返された言葉は短い。深手を負わせたチェリーの事を、忘れる刀狩ではない。笑みを浮かべて応じる。
「――冥界 まで」
刀が、振り上げられる。
「どこを見ているのですか?」
すかさず凛が突出し、斧槍で衝撃波を喰いとめた。
「ッッ」
決して決して小さくは無いダメージに、しかし凛は片足を下げることで受け止めきる。
噛みしめる奥歯が音を立てる。
(仲間が纏めて薙ぎ払われるより……!)
「はじめまして、……には興味、ありませんか?」
目と目を合わせ、睨みつけるように。挑むように。腕は痺れ、力を出し切っているため声は震えるが、瞳は輝きを強めていた。
(彼の興味が強さにあるのなら、見せれば良い……)
それが狙い。あるいは正当化するための理由。
凛は、刀狩の好奇心を煽るよう大きなモーションで武器を振るう。
わざと地面をえぐり、瓦礫を飛ばし、土煙を起こす。
どれだけの効果が期待できるかはわからないが、目くらまし程度になるといい。
「お相手、致します。さぁ……」
「刀狩、その名は何度か聞いています。狩らせるつもりはありません―― その刃、止めさせて頂きます」
標的をヘルハウンドからヴァニタスへと切り替えた煉が、凛と双璧を担う。
互いの距離には気をつけ、徐々に刀狩から護衛の狼を引き剥がすこと・後衛が全力で火力を放出できること。
回復役のスペシャリストが居ない編成ゆえ、長引くほど不利になる。仲間たちの『全力』を、一番良い形で発揮することが鍵となる。
九十九が全体の動きを把握し、攻撃・防御の穴に声を掛けた。自身は回避射撃と応急手当てに徹する。
短く的確な九十九の声は、結果的に互いのグループの状況を知らせる役割をも果たし、混戦の中でありながら確かな意思統一を与えるに至った。
指揮、指示、そんな大仰なものではなく――静かに奏でられる楽、それゆえに誰もに届く、そんな声だ。
「あっちに行きたい気持ちは山々だけどな!!」
叫びながら、十朗太が槍を縦横無尽に振るう。
跳躍するヘルハウンドの腹に、リーチを活かした槍を引っ掛け、そのまま地へと叩きつける!!
「俺は……仲間を信じる」
刀と槍、再びの直接対決を夢に見ないわけじゃない。しかし、抑える物を抑えなければ――願望ばかりで先走れば、叶うものも叶わない。
(まずは、こいつらを減らさねぇと!)
突進してくるのなら、逆手にとってカウンター攻撃とする。一撃一撃が、重い。簡単に大ダメージを与えられる相手ではない。
その横を、淡い緑のオーラが走った。
弓銃から大剣へと持ち替えた樹は、十朗太と肩を並べエメラルドスラッシュで追撃する。
「即殺で行きます……!」
「おぅ!」
「――お前たちの相手はこっちだっ!」
後方からは、としおの援護。
主人である刀狩が突出している現状で、巨体の狼たちは迷走している状態だ。
上手く動けば、敵の分断も可能となろう。
「この守護の剣は、そう簡単に折れませんよ……!」
としおの声に反応したヘルハウンドの攻撃を、樹が庇護の翼を展開し、受け止めた。
「わあっ、――Io canto 『velato』!!」
後方のヘルハウンドが魔法属性攻撃のモーションへ入ったことに気づいた淳紅がvelatoを発動し、五線譜の帯で攻撃を防ぐ。
「遠吠えで魔法攻撃って、エグいなぁ……」
最前線で牙を止めている仲間たちには防御も回避もできないだろう。
「行かせるかっ!」
一方、刀狩・ヘルハウンドの中間にいた龍実が鋭い声を発し、対刀狩に布陣しているグループへ飛びかかろうとしていたヘルハウンドを氷晶霊符で牽制した。
「よォっし! ちょっと下がってて!」
間ができたことを確認し、チェリーがヘルハウンドの群れ・刀狩を圏内に収めたスリープミストを放つ。
バタバタと、数体のヘルハウンドが眠りに落ちる。
「もう一回、行っくよー☆」
今度は、他方。
(効かへんか……)
淳紅はジリジリと他方向に回り込みながら、眠りに落とされるヘルハウンド、そして効く気配の無い刀狩を睨みつける。
チェリーが三度目のスリープミストを放っても、ヴァニタスは落ちることは無かった。
(当たれば充分やのにっ)
以前、魔法による大ダメージを受けているからか、その相手がチェリーであるからか、戦闘狂のヴァニタスも警戒して回避に専念しているようだ。
もとより風の如き攻撃を得手としているヴァニタスだ。突進より回避を選ばれては、なかなか当てるのも難しくなる。
深手を負い、本来の力が欠けた状態ゆえに、残された全力で押すも引くも対応しているようだ。
スリープミストは味方識別が出来ないだけに、煉や凛が追い打ちをかけることもできない。
「さぁっ、出し惜しみはナシだよっ」
挑戦的な表情で、チェリーは続けざまにファイヤーブレイクの詠唱に入る。
防御に関しては完全に前衛を信じ、チェリーは己の全力を刀狩にひたすらぶつけるばかりだ。
「残念、バックダンサーは眠っちゃったみたいですねっ」
一時とはいえ、標的に集中攻撃を掛けるチャンス到来ッ!
千種は炸裂符でストレートに攻撃を与える!
刀狩の目が千種へ移動する、その逆方向へ淳紅は足元狙いで魔法攻撃を撃ち込み、集中させる暇を与えない。
刀狩が淳紅や千種を標的と定める前に、凛が斧槍で斬りかかる。
「……楽しい、と感じるのは……何故ですかねえ」
直近にヴァニタスの確かな力を感じながら、凛は決して引かない。
タウントを発動させ、出来る限り敵を引きつけながら――煉と連携を取り盾役を交代しながらも、不思議と恐怖は感じない。
むしろ、確実に傷を負っているのに痛みさえ――。
理性が霞み、戦闘狂の気質が顔を覗かせる。
戦っている相手は、天魔? それとも、内なる自分……?
「負けるわけにはいかないんだろう…… 一気に行くぞ!」
龍実が叫ぶ。
眠りの魔法に負けなかった狼の群れ、眠りから覚め始めた狼の群れ。
出来る限り早く倒し、ヴァニタス戦の加勢に向かわなくては。
刀狩の気配にも気を回しながら、龍実は前線で忍刀を振るう。
闇の地表に、黒きヘルハウンドの死骸が重なってゆく。
長期戦は必至だが、集中力を切らせるわけにはいかない。そして、広い視野の確保―― と、その時だ。
わずかな隙をかいくぐり、前線を飛び越えた狼がいた。
「三善!! ――筧、ここは頼む」
縮地発動で、龍実が千種に襲いかかるヘルハウンドを忍刀で落とす。
「ケガは?」
「掠り傷ですっ 大丈夫、アイドル生命には支障ありません」
元気系☆アイドル陰陽師は言うことが違う。
刀狩へ集中していたせいで回避損ね受けた傷は決して浅くなかったが、努めて明るくふるまう。
「ペットのオイタは、飼い主の責任です」
千種の手には、すでに吸魂符の用意がある。
応急手当に九十九が向かってきた。
頷きを返し、龍実は再び戦闘へ身を投じた。
「無茶するなぁ、志堂君」
「なんてことないさ。そのための機動力と筧だからね」
「まぁな」
スイッチして直前まで龍実が対応していたヘルハウンドの相手を継いでいた筧が声を掛けると、龍実はくすっと笑って応じた。
●届かぬと知って、なお、
「お前のしてる事は、唯の我儘だ」
銃口を真っ直ぐに向け、としおが口を開いた。その腕は光を纏い、いつでもスターショットを放てる状態だ。
ヘルハウンドを掃討し、撃退士達は残るヴァニタスのみを包囲していた。
「自分の価値観の為に他者を傷つけるなんて…… そんなこと、許されるわけがない」
「『ヒト』であれば 咎められよう」
刀狩は、としおとの言葉に一笑する。
「『ヒト』でない者を――天魔を。討つのが僕達です」
「知っている だから、オモシロイ」
としおと刀狩の応酬を、樹がじっと聞き入る。
(自我はハッキリしているようですが―― 撤退などの交渉は難しい、でしょうか)
天魔であろうが、被害者は出したくない……それが樹の願いであるが、事ここに至るまでの被害はあまりにも大きい。
その場しのぎで撤退させたとして、懸賞金の身であれば遅かれ早かれ、撃退士に討伐されるであろう。
「おれが 力を示せば アイツの力を示す コト に ナル」
(――主君の、悪魔かねぇ?)
刀狩が武器の握りを変えるのを確認しながら、九十九は報告書にあった女悪魔を思い出した。
『強い部下を持つ主は強い』――たしかに合点のいく理屈ではある。
(そのための、撃退士狙い……? コレが話に聞いた刀狩ねぇ……)
狂気を秘めていることは確か。しかし、それとはまた別の――別に―― 何かを、感じずにはいられない。
度重なる戦闘の傷を癒しきることなく戦いに現れる。
主はそれを、どう考えているのか。
「『ヒトゴロシ』――最初の名は、ソレ だ。オマエらを 屠っても オナジ、か? ――ゲキタイシ」
月の見えぬ暗闇。霧の立ちこめる夜の出来事。むせぶような、血の匂いの中。
名もなき刀鍛冶の青年が起こした、連続殺傷事件。新聞記事にはならなかった。
小さな集落は、突如現れた悪魔によって壊滅されたのだと――そう、報じられて終わった。
時代の流れで、天魔被害は珍しくなくなってしまった。
惨劇の中、被害者が一人足りなかったとして、怪しむ余裕もなかった。
それだけのこと。
「試させろ、おれの力を――」
誰も知らない、あの時の言葉を刀狩は薄い唇に乗せた。狂気をはらんだ、赤い瞳で。
充分に間合いを取っている撃退士に向け、一歩深く、踏み込む。
「ッ、今です!!」
としおが叫ぶ。スターショットが炸裂する。
九十九が回避射撃を放ち、煉を援護する。
受け止めきるだけの余力がなかった煉は、勢いを受けて斬風を回避することに成功し、そのまま白銀の篭手で動きを封じにかかる。
「トークタイムは終了です! さぁ、そろそろ眠ってくださいねっ☆」
千種は刀狩の側面へと回り込み、舞のような所作で炸裂符を放った。
(ここだ)
符の爆発にタイミングを合わせ、十朗太が縮地で背後に回る。
「せぇええええ!」
十字槍の射程を活かして、渾身の薙ぎ払い! 当たれ!!
槍を振り抜き、確かな手ごたえが痺れとして伝わる。
「この輝きに、全てをかけます……!」
としおの合図でオーラを発動させていた樹が、絶妙なタイミングでエメラルドスラッシュで斬り込む。
「鷹政くん! 30秒だけチェリーを護って!」
「任せろ!」
提示された時間の意味を理解し、筧が前に出る。
立ち上がり、闇雲に振り回される剣撃を、筧の太刀が受け止め火花を散らす。
「まだまだっ!」
としおが、二撃目のスターショットを放った。
「Canta! 『Requiem』」
タイミングを合わせ、淳紅が歌い上げる。
刀狩の足元に真血色の図形楽譜が展開し、伸び出したる死者の手が動きを止めた。
破魔の射手を発動させた九十九が最初で最後、ヴァニタスへ一矢撃ち込み――
セルフエンチャントからの龍虹笛――以前の対峙でも、大打撃を与えたチェリーの最大火力。
今の、刀狩の状態であれば――!!
「皆の思いを…… そして、鷹政くんの怒りをこの一撃に!!! いっけぇぇぇぇぇぇ!!」
淳紅により行動を止められた刀狩を、チェリーの放つ虹色の刃が襲いかかった。
●捨てることのできない思い、抱いて
刀狩は、斃れた。斃された。
深手を追う度に、保護者のように現れた悪魔は―― しかし、なぜか今は姿を見せない。
「悪魔への遺言が有れば、聞くさぁね」
九十九が、虚空を見上げるヴァニタスの傍らに立つ。
――自由に
それが、最期の言葉だった。
自由に――なれた? なりたかった? なれ?
真意はわからない。誰にもわからない。
ひとであることを捨て、凶悪な力を手に入れ、願望のままにそれを振るい続けたヴァニタス、
それを姉のように恋人のように母のように見守っていた悪魔、
二人の間に結ばれしものなど知りようがなかった。
たった一言を残し、ヴァニタスは微動だにしなくなった。
光を失った眼球は、ただただ空を見上げている。
九十九は膝をつき、その目を閉じさせた。
「私は、特に因縁なんてありませんでしたが」
敵であれば。依頼であるなら精一杯取り組む。千種にとっては、それまでのこと。
けれど。
「レクイエムくらいは……捧げてあげますよ」
そっと胸に手を当て、伸びやかな声で鎮魂歌を唇に乗せる。
それは闇に溶け、天へと昇ってゆく。
(貴方は狂っていた…… ただ、それは……貴方だけ、なのかな)
千種の歌声を耳に、凛は思いを巡らせる。戦いを終え、落ち着きを取り戻した心で、理性が感情に飲み込まれた境界を思う。
戦いという狂気に、飲まれるのは――
やがて、歌声に男性の声が重なる。淳紅だ。
(後もう一音…… 届くやろか)
生み出す力に溺れたヴァニタス。
生み出す歌に全霊を懸ける自分。他人を傷つけることも厭わない。その姿を重ねようとは思いたくない――けれど。
(好き、って、なんやろな)
迷い、悩み、淳紅は歌う。
自分が好きだと情熱を傾けることで、結果的に誰かを傷つける―― それはきっと、誰にでも起こり得ること。
だから、出来る限りは『優しくありたい』。偽善であると、己は愚者であると思っても、捨てられない願い。
「……筧」
穏やかさを取り戻した闇の中、龍実は筧の袖を引いた。
友を喪った。替えの無い相棒を喪った。その仇を今、目の前で喪った。
胸中は、どんなものだろう。
多くの感情が渦巻いているだろうと推察しながら、それでも龍実は言葉を掛ける。ひとりにはしない。
「終わった、な」
「……あぁ、志堂君」
応じる声は掠れていた。
「鷹政くんも、ヤンデレ属性追加!?」
「しません」
ワクワクと瞳を輝かせるチェリーの額を、困った笑顔で筧が小突いた。
「……ありがとね、チェリーちゃん」
「えっ 盾、嬉しかった? そっちに目覚めちゃった??」
「じゃなくて。――『俺の怒りを』って言ってくれただろ」
「だって…… 怒ってたでしょ?」
「……そうだね。そうなんだと思う」
無力さを悔いる、その果ては純然たる怒りなのかもしれなかった。己に向けての。
しかし、それで実力差が縮むわけではない。仇討ちで喪った命が戻るわけじゃない。
空に浮かぶ月へと召された魂へ、永遠に手は届かない。
「終わった」
終わらせよう。
言葉を落し、涙を落し。
それは自分へ言い聞かせるように。筧が言葉を吐きだす。
「お疲れ様でした」
煉が、筧の背を軽く叩いた。
撃退士を襲うヴァニタス『刀狩』。
その凶悪さゆえに懸賞金まで懸けられた存在は、久遠ヶ原撃退士達の長期間による連携・追撃によって倒された。
最後の一戦で勝利を納めた撃退士達へは、成功報酬が追加されるであろう。
「全額―― と、行きたいところなんだけど」
帰途、説明するフリーランスの歯切れが悪い。
「撃破に至るまで、多くのフリー仲間にも手を借りたし……被害を受けた一般人も居る。懸賞金の中から、そっちにも振り分けたいと思うんだ」
いいだろうか?
ヴァニタス討伐、それは決して今回のメンバーだけでは為し得なかった。
ずっと携わってきたからこそ、感じる。
「俺は、まぁ ひと泡ふかせられて充分だけど――懸賞金なんて意識してなかったし」
十朗太がこともなげに応じ、メンバーを振り返る。
「懸賞金……そういえば」
樹が口元に手を当てた。他も同様で、すっかり忘れていたらしい。
「……ありがとう」
改めて、筧が頭を下げた。
●
月籠る夜に、いざや行かんと日出ずる先へ進み出たのは夏のこと。
神去月の空に浮かびし穴へ、届かぬと知ってなお、捨てることのできない思いを抱いて臨んだ戦いも終幕を迎えた。
怒りも憎しみも、これで解き放たれ―― 物語は、おしまい?
ほんとうに?
主たる悪魔が現れない、護衛としてそれ以上のディアボロが現れない、そのことを疑問に思う者は、居なかった。
少なくとも、この段階では。