●
遠く近く、犬の遠吠えが聞こえる。
否―― 狼、だろう。
「さて、ささっと回収して、ささっと引き上げましょう」
いつもの笑み、いつもの調子。
「筧さんの『遺体』を回収するつもりはありません。命とセットで、引きずって戻ります」
退路を護る依頼者へ、石田 神楽(
ja4485)が常と変らぬ笑顔を向ける。
「救助完了後は即撤退、全力でわき目もふらず逃げますから!!」
丁嵐 桜(
ja6549)は唯一、件のヴァニタスと対峙した経験を持つ。依頼者の危惧もわかる。
桜の言葉に幾分か安心したようで、依頼者は小さく頷き、撃退士たちを送りだした。
(大切な相棒を喪失する――。同じ状況になった時、私は耐えられるのでしょうか)
石段を駆けあがりながら、レイラ(
ja0365)は考える。
天魔によって大切な人を喪う、それ自体は珍しくなくなってしまった昨今。
とはいえ、だからといって、痛みが鈍るわけではない。
かつて、筧と共に石段を駆け登った時は陽が高かった。
加倉 一臣(
ja5823)は、フリーランス達と共に作戦遂行した時を思い起こす。
『皆も、居るだろう? いつでも背中を預けあえる仲間がサ』
封都の大規模作戦の後の、救出戦だった。
傷だらけで、立ってるのがやっとという風体で、それでも命を張り続けていた。
学園卒業後の進路を考える自分へ、明るい笑顔で応じていた。
「ったく…… ここで削られてる場合じゃねぇだろ、筧さん」
(自分が同じ立場なら同じ事をしたかもしれない……、それでも)
苦く、呟く。
赦せない気持ちが胸にあり、果たすべき願いが心にあり、成すべき使命が其処にあっても、
「討ちとった先ですら、喪った命は還って来ません」
東城 夜刀彦(
ja6047)の胸には、消えない影がある。消してはいけない誓いがある。
(先生……。どうか筧さんを守って……)
間に合うように。取り戻せるように。
自分の手が、届くように。
夜刀彦は闇にまぎれ、駆ける。
●月籠る夜に
幾つかの鳥居をくぐりぬけ、辿りついた境内。
仄かな明かりに照らされる中、いつからそうしていたのか、血に塗れた大太刀を振り続ける赤毛の姿があった。
自身もまた、己の血に塗れ、赤黒い影と化している。
群がる狼が、振り払われては再び襲いかかる。
(ヴァニタスは……居ませんね)
レイラの視線に、桜が頷く。ただし、神出鬼没の存在であるから油断はできない。
「筧さんの回収が最優先だね。まずは狼たちから引き離さないと」
名芝 晴太郎(
ja6469)が、爆発的瞬発力で群れに向かう。
「ガリアクルーズさん、援護頼みます!」
「先手必勝、ってね。まとめていくよ。……押し流せ、太陽の炎よ。ヘリオライト・ウェーブ!」
晴太郎が斬り込む、突然の加勢に狼たちの統制が乱れる。
そこへ、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が広範囲魔法を放つ!
薄紅色の結晶が数体の狼をとらえ、爆ぜる。
「なかなか、すばしっこいね……」
対象の全てへは、狙い通りのダメージは与えられなかった。
グラルスは手ごたえに目を眇め、一体一体を丁寧に狙い撃つ方向へ魔法を切り替える。
一方。
「ここで先輩が一人で頑張ってもしょうがないですっ」
晴太郎たちが狼を引きつける間に、背後から橘 和美(
ja2868)、神楽、一臣が筧のもとへ回り込んでいた。
「筧さん、迎えに来た。一旦退くよ」
努めて明るい口調で一臣が声をかけ、我を失っている阿修羅の動きを止めるべく、手を伸ばし――
「ッ、てェ!!」
「一臣さん……応急処置、しますか?」
「要らない、俺には不要だ、神楽くん」
太刀を握る拳で裏拳を鼻先に受けた一臣が、顔面を抑えて友人を制する。
「力づくでも止めますよ? そうすると余計危険かもですが、なりふりかまいませんからね」
これだけ傍にいるのに、和美たちの声は届かない。振り向きもせず、ひたすらに敵へ突っ込もうとする、が――
「行かせません。筧さんへも、狼へも」
夜刀彦の背が、立ちはだかる。
土遁・土爆布の術を用いて、狼たちを蹴散らす。
(東城さんを攻撃するとは思いませんが……)
対象への射線をふさがれ、正気を失った男がどう動くか。
不安を抱えながら、神楽は筧を背後から羽交い絞めにする。微量ながらも、黒癒――カリソメで生命回復を図る。
体力を戻し、意識を――普段の彼を取り戻してくれたなら、話は早いのだが。
「……っぐ、ァ」
叫び過ぎたのだろう、枯れ果てた声が喉の奥から絞り出される。
ひとつひとつの回復量は微々たるものだが、神楽と一臣が持てる限りの能力で当たる。
生命力の回復とともに、筧の体からこわばりが引く――まずい、神楽が咄嗟に判断する。
「橘さん!」
「え、……わっ!!」
筧が神楽の腕を振り払い、和美を突き飛ばす。前線へ向かおうとする。一臣が歯を食いしばり、筧の手首を掴み、無理やり引き寄せた。
「アンタの相棒は! こんな時、何て言った?」
(冷静な人だったって、依頼人からは聞いた。こんな風に先走りがちな筧さんを抑える事も、日常茶飯事だったのかな)
そこでようやく、筧の瞳が一臣をとらえる。
(仇討上等、俺もそうしただろう。でも――)
「今じゃない」
一臣が、血を吐くように言葉を絞り出す。
(筧さんが突っ走るたび、その人はどんな顔で何と言ったんだろう)
けど、その人はもういない。それでも――だから、『今』は自分たちが止めないといけない。
「貴方が動かなければ、私たちは全滅するでしょうね」
微かに気を取り戻したとみて、神楽が言葉の刃を滑り込ませる。
彼とてプロの端くれであるなら、何が重要か汲み取るはずだ。
「いつも仕事持ってきてるみたいに、今回も私たちにまかせちゃってください」
夜刀彦と共に狼の進撃を食い止めながら、和美は力強い笑みだけを振り向いて見せた。
「後は二人にまかせたわよっ」
それを最後に、彼女は前線へ身を投じてゆく。
残る狼もわずかとなっていた。
夜刀彦と和美が絶対的な壁となり、狼たちをこちらへ寄せ付けない。
「頼む。この世界で生きてく覚悟ってヤツを後続に見せてくれよ」
痛いほど、一臣の指が筧の手首に食い込む。
『ごめん』、掠れた声で、ゆがんだ笑顔で、筧は自我を取り戻した。
●いざや行かんと
「少しでも撤退しやすい状況を作らないと」
グラルスは光の羽から雷の矢へと術式を変える。
「……貫け、電気石の矢よ。トルマリン・アロー!」
流れに乗るように晴太郎も続く。前線を張り続け、無数の傷を負っていたが意に介さない。
「天のシリウスよ、我が祈りに応えよ! 天狼斬!!」
和美は封砲で晴太郎の援護に入る。
配下を失い凶暴性を増している黒狼へ、続けて星の光を纏った蹴りを繰り出した。
確実に討ち倒せる配下から、と狙いを定めたのは吉か凶か、その牙をまともに受けると危険だということだけは解る。
黒狼が、一番体力を消耗している晴太郎へと狙いを定める。
「――慈悲も容赦も与えないッ!」
しかし、晴太郎は引かない。ブレットバンドが、黒い翼の如く軌跡を描き、引導を渡した。
「……出てきませんね」
「それなら、それで、今のうちに」
『刀狩』の登場に備えていた桜とレイラが、幾分か肩透かしの思いを抱きつつも狼の撃破を見届け頷き合う。
「! 待って下さい!!」
全員が撤退へと駆け始めたところで、桜が叫ぶ。
「あ、ちがう、逃げて下さい!」
慌てて言い直したところで、誰もが状況の異変を察する――
『狼型ディアボロは、撃退士たちの力を測るレーダー』、そうだ。もともとの、狼たちの役割、とは。
闇の中から、熱風が放たれる。鋭い赤き刃は、戯れるようにギリギリのダメージだけを与えてゆく。
「少しは 力をつけたか?」
白髪の青年が、ゆらりと姿を見せた。その手には、真紅の日本刀。
先制攻撃を受ける形となったが、桜の戦意は消えない。
「そりゃーっ! やらせませんよーっ!」
気勢を上げて、しかし力のコントロールに意識を払い、ウォーハンマーを振るう。
――全力で撤退、そうはいったものの『これ』を相手に背を向けることは万倍、危険だ。逃げるとしても、隙を作らなければならない。
「『刀狩』! 覚えていますか!!」
最初に対峙した時、桜は一撃も掠らせることができず薙ぎ払われた。――けれど、いつまでもあの頃のままの自分じゃない。
「……鉄槌か」
「武器だけですか!」
(それならそれで、今は構いません!)
問いに、応じた。それが大きい。
鉄槌を避け、振りあげられた真紅の刃を、桜は武器の柄で食い止める。ビリビリと腕が痺れる、が、凌いだ!
敵がこちらを甘く見て、加減しているというのならば好都合。付け入る隙は、そこからこじ開けろ!!
反対側に回り込んでいたレイラが、低い姿勢から敵の足元を狙った技を仕掛ける。
「そう、簡単には行きませんか……っ」
薙ぎ払いを回避され、レイラはすぐさま大きく後方へ跳躍し、間合いを取る。
「神前での取り組み、大いに結構じゃないですか!」
桜が柏手を打ち鳴らす。
戦闘力を上昇させる行動を、刀狩は悠長に眺めている。
「うおおおっ! どっせーーい!!」
――対天魔戦用相撲技、今生投げ!
全力を懸けた、炸裂必死の一技だ。
アシストしてくれる仲間がいればこそ、このタイミングで全力をぶつける!
桜の声により初撃をシールドで凌げた和美も、天狼斬での攻撃を試みる。
星の光が消えぬ間に、真紅の刃の薙ぎが襲う。
「……くっ、今のうちに、早く!!」
和美は撤退できる者から抜けるようにと声を掛ける。
「筧さん」
夜刀彦が、硬直している筧の袖を引く。ここで再び逆上されては元の木阿弥だ。
わかってる、ぎこちなく筧が頷き、足を動かす。その背で、夜刀彦はヴァニタスへ問うた。
「競い合うことでしか己を測れないのですか。それとも充実が欲しいのですか? ……充実が欲しいのでしたら今はお退きいただきたく。あなたの望みは、いずれまみえる時に」
静かに、刀狩を睨み据える。
「それまでに おぬしらが生きてる保障もあるまい。人の生は短い ゆえに強力なものを生み出す。それがおもしろい」
――面白い。そう評し、人を 撃退士を蹂躙するのか。
神楽は黒刻――ボウトクを発動し、赤い瞳を開く。能力の強制強化に伴い激痛が体を走るも、決してそれは表には出さず、射程範囲ギリギリからスターショットを放った。
光を纏う弾丸は、冥魔へと確実なダメージを刻む。
「……最強の武器とは、恐らく『人間そのもの』ですよ」
――心身合わせて。
黒一色の銃剣を構え、神楽は告げる。
人間を辞めたヴァニタスへ、神楽の言葉はどのように届くであろうか。
横から、レイラが掌底を叩きこむ。
それが、総員撤退の合図となった。
「無理やりにでも突破口を作るまでだね」
グラルスの放つ魔法が目くらましとなり、全員が階下へと走り出す――!
●日出ずる先へ
大ダメージを受けた者もいるが、まずは車に乗り込んで、限界速度ギリギリで走り出す。
「橘さん、大丈夫だった? ……悪かった」
「正気を失った筧さんは見物でした」
「 」
まずは全員へ謝った後、突き飛ばしてしまった和美へ再度謝罪を述べた筧だが、切り返しに絶句する。
「ちなみにコレは、覚えてる?」
「え? ……男前が上がったね、加倉君」
「鰹節が鰹節を削る光景は見物でしたよ」
「 」
裏拳を受けた鼻先を指す一臣に、記憶のない筧が首を傾げると、神楽が簡潔に状況説明をした。筧の心が削れる。
「ごめん、俺ちょっと走って帰る。頭冷やす」
「今すぐここで冷やして下さい」
車から飛び降りようとする筧の、ボロボロのジャケットの裾をグラルスが掴んだ。
「あ、遅ればせながら誕生日おめでとさん」
笑いを取り戻し、一臣が手持ちのスポーツドリンクを放り投げた。
激戦を経て――温くなっている。受け取り、人肌の温度に筧は神妙な面持ちをした。
誕生日なんて。いつの間にか通り過ぎ、自分でさえ忘れていたのに。
「あは、は…… ありがとう、加倉君。……ありがとう」
キャップを捻り、そこで手を止める。
「今日のことは――忘れない」
その瞳の中に昏いものを感じ取り、晴太郎は言葉を呑みこむ。
「私も忘れません! 必ずや、正面からの取り組みで勝ってみせます!!」
全ての空気を吹き飛ばし、桜が拳を握る。立ち上がり、車内でよろめいたところを苦笑いでレイラが受け止めた。
(いずれ来る決戦時、誰かの助けとなるように……)
震える手を閉じ開きし、夜刀彦は心を鎮める。
弱いままでなど、いない。
敗北も、悲しみも、積み重ねながら全てを己の糧として生きてゆく。
生きてゆく、生き抜いてゆく。
そうして進む、――日出ずる先へ、と。