●包囲網は万端か
久遠ヶ原島に在る浜辺。ゆっくりと陽は傾きかけ、海が赤く染まっている。
(苗字、ね……つまんない、ことで、争って、バカじゃないの?)
零那(
ja0485)は右の義手を弄りながら、暮れゆく夏の海を眺める。
(ま、私には、関係、無い事だし……)
引き受けた、依頼だし。
「肝試し、って言ったっけ」
各々が何をするかは知らない。いや、打ち合わせはしていたが、零那は敢えて詳しく耳に入れていない。
(自分が楽しければ、まぁ……)
肝試しの場所は、現在使われていない『海の家』。
年中泳げる久遠ヶ原の海だからこそ、肝試しに適する建物を見つけるのは苦労した。
セッティングに走り回った狩野 峰雪(
ja0345)は、建物内から見える夕日に目を細める。
「甘酸っぱい青春、か。懐かしいねぇ……」
依頼人の協力者に手を回し、ターゲットの苦手なものも把握している。
『苦手なもの』、それは驚くほど単純なものだ。
子供じみた下らない争いであったなら、それこそ真っ先に登場しそうなものである。
(鈴木君の……いつも負けてあげる度量、なのかな? 僕の買い被りでなければ)
「うちの学校でも、ボクと同じ名字の人はいるけど、縁もゆかりもないよ?」
脅かし役の準備をしていた一色 万里(
ja0052)は、峰雪の声に反応して振り返る。
「そういうことじゃ、ないんだよ」
佐藤鈴木戦争。おどけて銘打ったその裏は。
峰雪は困ったように笑いを返した。ここで明かすのは野暮というものだろう。
「最後の思い出、素敵なものであってほしいな」
肝試しの後に予定に仕込んである打ち上げ花火。
そちらの担当をしている相楽 和(
ja0806)は、手配した花火の状態確認をしながら口にした。
タキシードにマント姿、カボチャの被りものを小脇に抱えたエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は、後ろからその様子を覗いている。
「そうだね。せっかくだから、僕達も楽しみたいよ」
「ぴっこーわ ふつうわいたずらしない いいこなの!」
周囲を走り回って準備をしていたせいで息を切らせながらも、ぴっこ(
ja0236)が手を挙げる。
「……『自称』ね?」
いたずらっぽく片目をつぶるエイルズレトラへ、ぴっこは舌を出した。
「だいがくせーのおねちゃんお おどろかーす…… ぴっこに できるかしらの」
ぢしんないなーの……。しょんもりしながら、ぴっこは今までしでかしたイタズラを思い出してみる。
「えと えと あーれと これと そーれと……」
「多いですね!?」
「えぐ えぐ……」
「泣くほど怒られたのか!?」
ぴっこの様子に、和とエイルズレトラが同時に口を挟む。
「それだけ経験豊富なら、きっと大丈夫ですよ」
「僕もいるしね」
カボチャを拳でコココンと叩き、エイルズレトラが肝試し会場へ向かう合図をする。
「ぴっこ がんばるなの……」
お仕事だから、と気を取り直すぴっこを、二人が温かく見守った。
「それじゃあ、合図送るから」
「必ず、成功させよう」
手を振り、それぞれは持ち場へと向かった。陽は、だいぶ沈んでいる。
海は濃紺となり、薄闇に溶け込んでいた。
――雨、降らないでしょうか。
柏田 夕美(
ja7073)は、配置につくばかりの準備を終えたところで、案内役として建物入り口に居るミーナ テルミット(
ja4760)へ声をかけた。
「私、雨女で……」
なにかしらイベントのある日は、雨の記憶が多い。
本日晴天、それは何度もどんな経路でも確認したが、それでも不安はぬぐえない。
「雨に咲く花火もキレイかな!!?」
「雨に……」
「この日の為にミーナ、実は花火職人サンに弟子入りして作ったんだゾ!」
「えぇっ?」
「実際はチョットダケお手伝いしたダケだけどナ!」
屈託なく笑うミーナに、夕美は気圧されつつもどことなく暖かい気持ちになった。
「花火…… 綺麗に咲くと、良いですね」
「ミーナ一生懸命作ったからナ! ワクテカだゾ!」
そこへ、エイルズレトラが花火チェックから戻ってきた。
さぁ、聖戦終結へ向けた包囲網の準備は整った!!
●試させて下さい、その度胸
「理不尽だわ」
呟いたのは佐藤である。
「下らない戦争は終わりって、切り出したのは鈴木君でしょう」
「『なにそれ知らない』と言ったのはサトウだろが!」
「いいじゃないか、準備はできてるんだし」
鈴木と佐藤との掛け合いに、如月が苦く笑う。
『この夏で鈴木が学園を去ること』
『実はこの先は肝試しであること』
それらを伏せて、『3人でバーベキューをしよう』と持ちかけて今日に至る。
宵闇の中、バーベキューの食材を抱えた大学生男女3人が歩く。
「すみません、道に迷ってしまったのですが……進行方向はこちらでいいのですか?」
すぅっ、と闇の中から紫紺の傘が現れた。
こんな天気に――傘?
「進行方向って……何の話?」
正面に立ちふさがれた形の佐藤が首をかしげる。
「その、私――」
ゆっくりと、傘が取り払われ、あらわれたるは――
顔のない女。
「ああ、進行方向は間違ってない。そのまま真っ直ぐで海に出る」
「ありがとうございます…… 雨が降らなくて よかった」
鈴木が佐藤の背を肘で小突きながら、のっぺらぼう――夕美へ声をかけた。
ぺこりと一礼し、夕実は再び傘をさし浜辺へ向かう。
「な、なに、今の!?」
「のっぺらぼうだねぇ」
「夏だものね―― じゃ、ないでしょう!」
呑気な如月へ、佐藤がクーラーボックスでアタックする。
首を捻る佐藤の後ろで、攻撃を受けた如月が転んで足を捻っていたが、お構いなしに一行は進んだ。
佐藤鈴木に、如月がやや遅れてついていく―― その、中間あたりで、傍らに小さな明かりが灯った。
「あ」
反射的に如月が声を発する、二人が振り向く、明かりが大きく揺れる。
「バケ〜〜」
ちんまり。
包帯を模したトイレットペーパーで全身をグルグル巻きにしたちびっこミイラが現れる。
「!?」
佐藤がリアクションに困る。男ふたりは笑いをかみ殺す。
(はんのう いまいち なぁーの)
「あちち……かぁみに ひがついちゃたなの」
「「「!!!!」」」
これには3人とも度肝を抜かれた。
ぴっこはトワイライトを発動し、さも包帯に引火したと見せかけているだけだが……
「大丈夫!!?」
佐藤があわてて駆け寄る。
消化で頭がいっぱいになった彼女の視界が、急に砂嵐のようなものにかき消された。
頬に、ペチペチと透明な翅がぶつかり、また去ってゆく――
「む、 」
●試すもの、試されるもの
虫―――!!
女性の声が響き渡り、作戦が順調に進んでいることが知れる。
「もうソロソロ、コッチに来るナ!」
「よし、ここでひと押しですね」
カポリ。エイルズレトラがカボチャの面を被る。
「それにしても」
くぐもった声で、エイルズレトラが続ける。
「虫の類が苦手とは。肝試しより、ぴっこちゃんの攻撃が有効そうだ」
朝一番から、虫捕りに走り回っていたぴっこである。
共食いしないように分けて保管、という周到さ。
麦わら帽子をかぶり走り回る姿はごく普通の初等部生であり、その捕獲量の異常さ以外は誰も気に留めることはなかったであろう。
「ふふふ、ようこそ『恐怖の館』へ」
「ココは10年前に一家ザンサツのあったイワク付きの!」
出迎える二人に、既に佐藤はぐったりとしていた。
「理不尽だわ……」
「たまにはいいだろ、こういう肝試し」
頭を押さえる佐藤の肩を、如月が叩いてやる。
「マジメ、イイこと言うナ!」
「ハジメです」
ミーナに名前を間違えて覚えられていた如月が、とっさに返し――その手を佐藤に捻りあげられた!
「アンタたち、仕組んでたのねーー!?」
「気づくのが遅いわ!!」
イワク付きはともかくとして、『恐怖の館』である。
二人はターゲットたちを無事に建物内へと送りこみ、花火の打ち上げ準備へと駆けてゆく。
「モットこう、一般参加者もドワーッて来たらよかったのにナ!」
「考えましたけどね。戦争終結まで持ち込むのに時間がかかり過ぎてしまいますから」
「ムズカシイナー!!」
難しい、が、成功して欲しい。それは切実な願いだ。
「ただの、偶然、バカみたいに、信じるから」
紫煙を燻らせ、零那が呟く。
ターゲットの侵入、確認。
電気は点かないのかと悶着を起こした後、ペンライトの細い光が廊下を照らす。
(笑い、飛ばせるくらい、じゃないと……)
煙の存在に気づいたらしく、光が一点で止まる。
(残念)
家具に吸いかけの煙草を挟めた零那が、するりと一行の背後を取る。
冷たい義手で、佐藤のうなじを撫で上げる……
「薄っぺらい、関係」
ぼそり、耳元で囁いて、すぐに闇に紛れる。
佐藤の背筋が、ビシリと伸び――周囲を警戒するも、零那は視界の範囲外に溶けている。
アハハハ、女の高笑いが響く。
「誰よ! 出てきなさいよ! どういうこと!?」
「なにかあったのか?」
零那の囁きを聞いていない鈴木が、取り乱す佐藤の肩を掴む。
「――なんでもない」
振り切るように動く、彼女の荷物をグイと引く白い腕。
「だから――」
大きな裂傷の入った左腕が、佐藤の視界に入る。
「これ、もらうわね」
気を取られた瞬間に、肩に提げていたクーラーボックスを奪われた。
「あぁあ!! 高級牛肉!」
「如月君、そこじゃないわ」
笑い声が響き、そして階上へと続く。
階段に吊るされたコンニャク。
手すりをカバーする海藻。
女の笑い声に引きずられるようにお約束の仕掛けを踏みぬきながら、3人は屋上へと出ていた。
波の音が、近い。
「結局、なんだったのよ……」
肩で息をしながら佐藤がぼやく。海に面した手すりに、チョコンとクーラーボックスが置かれていた。
盗人の姿はない。
佐藤は一人、歩み寄る。
ふ、と月を映す海面に目が行った。
その、海上に――
「わたし?」
いや、ちがう、ここは久遠ヶ原だ。何でもアリだ。
おそらく、鬼道忍軍あたりの―― でも、どうして、
海面に気を取られる。
屋外で、ちいさなライトが数度、明滅した。
●打ちあがるシュプレヒコール
――ひゅーん
耳に懐かしい音が尾を引く。
「サトウ、ス……――」
背後の鈴木が、何かを言いかけ――
ドォン、低い音と共に光が炸裂する。
濃紺の空に、彩り豊かな文字が咲く。
「『サトウス スキ』……?」
たーまやー、と呑気に見上げていたエイルズレトラが小首をかしげる。
「『サトウ スズキ』 のツモリだったナ!」
「次いくよーー」
照れ笑いのミーナから離れた位置で、和が第2弾に点火する。
「『ばいみなーてるみとっ』」
「ばい みーな てるみっと と入れたかった!」
「「あーーー」」
和とエイルズレトラは納得の表情で頷き、努力を評価しミーナの肩を叩いた。
パラパラと、続いて和が手配した打ち上げ花火が連続して上がる。
あっけにとられる佐藤の両脇を、鈴木と如月が固める。
「戦争は、終結しそうかな?」
そこへ、姿を見せたのは峰雪だ。
「え、なにこの展開」
「浜辺でね、バーベキューの準備はできてるよ」
「食材、持ってきてくれたんでしょ」
ソレ、とクーラーボックスを指して零那も姿を見せた。
先行してお化け役を務めた夕美たちが、浜辺でスタンバイをしている。
打ち上げ花火組は、もう少しお仕事続行中である。
戯れる大学生たちを、峰雪が微笑ましく眺めながら手際よく肉を焼いてゆく。
隣で夕美が手伝い、焼きあがったものを配って回った。
「如月のおにちゃわ おひさしぶりなの」
「! あはは、君も手伝ってくれてたんだ」
面識のある如月が背をかがめ、お辞儀をするぴっこの頭を優しくなでた。
「はいはーい! こっち向いてーーー!」
海上で佐藤を演じた万里が、カメラを持ち出して不意打ちのシャッター。
「並んで並んで、はいポーズ♪」
依頼者たち以外のメンバーも含め、ランダムに撮ってゆく。
「ほら、花火も綺麗だよ!!」
元気いっぱいな彼女の調子に、誰もが飲み込まれ、笑顔になる。
(さっきから……鈴木さん、シャッターのたびに目をつぶってる)
うっかり気づいてしまった夕美が、肩を震わせた。
花火班も合流し、夏の夜は一層賑やかとなる。
そんな中、万里が如月へと駆け寄った。
「写真、データで送っておくから絶対渡してね。海の上からも撮ってあるの。あとで見た時、結構、思い出に残ると思うんだよね」
理も理不尽も入り乱れ、なにがどうでもよくなったような状況の中、如月がハッとなる。
「……ありがとう」
「ふふっ、ボク達はボク達で、思い切り楽しませてもらってる!」
万里はウィンクを飛ばし、参加者それぞれの写真を収めたカメラにキスをした。
●戦争終結
散々騒いで、たくさん食べて。
「先輩、最後の思い出になるんだ……。大人になるって、大変なんだね」
後片付けをしながら万里が言葉を落す。
生死だけが、別れではない。
(見失う前に、捕まえるべきだよ。……捕まえるのが無理でも、後悔しない選択をしておくべきだよ)
眼鏡を外し、相変わらず言い合いをしている二人を眺める。
「和君、ぴっこちゃん、一緒に帰ろうか」
エイルズレトラが荷物をまとめ、友人たちに声を掛ける。
(たとえば、この友情が……)
友情は続いたとして、互いの距離が離れる時が来るのかもしれない。
いや、いつかは必ず訪れるのだろう。
ぴっこの手を引く、エイルズレトラは固く目をつぶる。
「楽しい夜だね」
エイルズレトラの心は知らず、和が愉快気に反対側のぴっこの手を引いた。
「あ、あの…… 佐藤さん」
別れ際。その背へ夕美が声を掛ける。
「水をあげるのを忘れないでくださいね。……その木が大きく育った頃、また二人で会えるといいですね」
手渡されたのは、小さな鉢植え。枝に、可愛らしく鈴が結び付けられている。『鈴木』とひっかけたかったようだ。
「え? どういうこと……」
「鈴木くん……鱸は出世魚だから縁起がいいんだよ、自信を持って」
「スズキ違いです」
峰雪に肩をポムと叩かれ、項垂れ、それから鈴木が顔を上げる。
(当たり前のように傍にいる……、その幸せを、多くの人間は喪ってから噛み締める)
事情を説明し、鈴木が佐藤に張り倒される様子を眺め、峰雪は思う。
(別れを知らせず、思い出作りを企画する優しさ。恋愛は勝敗ではないけれど、最後は鈴木くんの勝ち逃げかと思ったけれど)
何も言われず、残されることは優しさになるか?
(佐藤さんも、鈴木くんのことを憎からず思ってるんだろう。興味がないのなら無視すればいいわけだし)
名前を理由に、子供じみた下らない喧嘩。
大学生になってまでやるようなことじゃない。
じゃあ、その理由は?
「ほんと、くっだらない」
一行から離れ、夜風を楽しんでいた零那が、喧騒の変化に気づいて煙草の煙を長く吐き出した。
「サトウとスズキ、結婚シテ戦争終わらせるんだゾ!!」
ミーナの言葉に、佐藤と鈴木がビクリと飛び上がり、周囲から盛大なシュプレヒコールが飛んだ。