●背と背を合わせて
「あ、いらっしゃいますね。……なんて言うか、すっごい目に見えて落ち込んでる感じです」
寮の外側、閉められたカーテンの隙間からそっと覗きこみ、笹鳴 椎花(
ja2856)が背後に控えるメンバーに伝える。
「あらあら…… 元気を出して欲しいですね〜?」
鳴澤 成美(
ja8836)が、口元に手を当てる。
「自分ばっかり、悲劇の主人公気取りっ?」
「まぁまぁ…… 失敗、後悔、挫折は、人を成長させる糧ですから」
憤る唐沢 完子(
ja8347)を、一条 常盤(
ja8160)が宥める。
「年下の女の子に差を見せつけられた、って辛いのかなぁ?」
(あ、でもあたしも弟達に料理負けたのはかなりクるものがあったし……うん、辛いなぁ、うん)
椎花はそれ以上は口にせず、調理室で準備を整えている市来 緋毬(
ja0164)のサポートへ向かうことにした。
「腐りたい気持ちはわかるよ。とことん落ち込んでいいんじゃないか?」
対し、男性陣の対応は五月に対して肯定的なものであった。
小柴 春夜(
ja7470)もまた、戦いに対して悩みを抱いている。
「僕も結構凹みやすいから、なんだかシンパシー感じちゃうな。……とりあえず、行こうか」
千明 志鶴(
ja4337)は多くを語らず、気のいい笑顔を見せる。
同性ということで、おそらくは自分より心の距離は近いであろう二人に宥められ、完子も落ち着きを取り戻す。
「皆の説得も聞かないで勝手に自己完結しそうになった場合は、少し強引にでも押し入るわよっ」
それならば、と場にいる皆が頷いた。
コンコン。天岩戸をノックする。
「僕は中等部2年、千明 志鶴。お友達に頼まれて、来たよー 他人の方が話しやすいのかもだから、話を聞いてきて欲しいって」
努めて穏やかに、志鶴が声をかける。返事はない。
志鶴が目くばせすると、メンバーは部屋の前から少し離れる。
「話してみない? 一人で悶々としてても、悪い事ばっか考えちゃうよ」
「……『依頼』なんだろ? 依頼主は?」
掠れた声が、扉の向こうから聞こえてきた。
しかし内容は残念レベルで卑屈である。
「んー…… 今は匿名希望、かな?」
この程度の掛け合いは、想定のうち。志鶴はドアに背を預け、ぽつりぽつりと話し始めた。
「僕……あんまり自信ないんだ。僕より強い奴もいい奴も面白い奴もいっぱいいるし。他の人の方がずっと上手くやれるってしょっちゅう思っちゃう」
「そっちの愚痴なのか?」
笑う気配が、扉の向こうで。
「今回も他の人に任せた方が、とか思ったけど」
ストレートな物言いに、噛み殺すような笑い声が返る。
「でも、不安で辛い気持ち、わかるし。そういう時は、人に話してみると結構楽になるって、知ってるから……ちょっと思い切っちゃった」
「不安で辛い……か」
「うん。違った?」
「ちょっと……違う。僕は……情けなくて。一般人より、かけ離れた身体能力があろうが……怖いものは怖くて……戦える人は、臆面もなく進んでいって……」
入学当時の思いが、実戦を目の当たりにして揺らいだことが恥ずかしい。
そんな大義名分を持たなくたって、『依頼は依頼』と自らの命を惜しみなく懸けてゆく姿には、年齢差など関係なくて。
小さな声が、扉越しに背中へ響いてくる。
「そうだね……。うんとさ。依頼で仲間が助け合うのは当然で、助けてもらうのだって大事な経験だと思うんだよだよ。五月も落ち込んじゃった人の気持ちがわかるはずだから、そういう人がいたら助ける側になって欲しい」
「君みたいに?」
「だめ?」
考え込む空気。そっと、成美が志鶴へ歩み寄る。
音をたてないように、ポジション交代。
「高等部3年、鳴澤 成美です〜」
ガタタ、と何かが崩れる音がした。
突然、対応役が変わって驚いたのだろう。
「差支えなければ、聞いてもよろしいでしょうか〜」
「……なんですか?」
年上ということで丁寧な言葉を選びながら、ドア越しの会話を続ける。
「撃退士に、なろうと思ったきっかけを……」
深い、ため息の気配。
「助けられたんです。家族を……足の悪い婆ちゃんが逃げ遅れて……放っておけなくて。そこを」
聞けば、久遠ヶ原から派遣された学園生だという。自分にもアウルの力があるとわかった時の、喜びといったらなかった。
あんな風に、誰かを助けることができたら――
一人の命を救うことで、その人に繋がる多くの心も救うことになる。そんな撃退士になれたなら。
「先日の依頼、任務自体は成功だったと伺いました。なのに……どうして、自信を失って引きこもってるんですか?」
――ドサドサドサ
崩れた上に、何かが降り注ぐ音がした。
「水無月先輩か……」
雑誌か何かの下敷きになったらしい五月の声が、くぐもって聞こえた。
「最初からヒーローになれるだなんて、僕だって思ってませんでした。けど……」
「『今』強い人は、色んな苦労をして、色んな努力をして、そうして強くなっていったと思うんです〜」
成美の言葉を、五月は静かに聞き入る。
「どんなにカッコいいヒーローも勇者も、最初は弱いし負けるけど、それを努力と不屈の精神で乗り越えるから強くなるし、カッコいいです。
五月さんは……このまま、撃退士を辞められてしまうおつもりですか?」
成美の問いに、返答はなかった。
「アンタはまだ、挫折していいほどの経験すらしていなーーい!」
そこへ。バーン、と完子が飛び出した。
「初戦が怖くて動けなかった? 当然。あんな化け物最初に見て怖くないって方がおかしいわよ。
自分より年下の方が強かった? 当然。その子の方がアンタより経験豊富なんだから!」
一気にまくしたてる完子へ、扉の向こうからは困惑の気配。
「自己紹介が遅れたわね。中等部2年、唐沢 完子よ」
「か、唐沢さん、もうちょっとソフトに〜……」
「努力をしなければ、経験を積まなければより強くなる事は出来ない。アンタより強かったその子だって、経験はアンタなんかよりずっと積んでるのよ。
それがたった一回の経験で砕けた……? ふざけんな!」
成美の制止を振りほどき、完子が叫ぶ。
『叱咤』担当とはいえ、半分以上が本音だ。
「誰かを救う英雄になりたいなら、今すぐ立って血反吐を吐くまで努力なさい! 今のアンタの行動は……努力をしている全ての人に対して失礼よ!!」
「そうじゃない!!」
そこで初めて、五月の強い声が返ってくる。
「う、あ…… すみません、……ひとりにしてもらえませんか」
『何がわかる』、出かかった言葉を五月は呑み込んだ。わかるからこそ、集まってくれているのだと、志鶴との会話で知っているから。
『挫折していいほどの経験すら』わかる、わかってる。自分だって、言葉の上ではわかってる。
受け入れられたら、こんなところでこんなこと、していない。
「そうやって! いつまで殻に閉じこもってるつもりなのよ!」
尚も言葉を続けようとする完子の肩を、春夜がそっと抑えた。
「小柴 春夜、高等部2年だ。よろしく。……お邪魔してもいいか?」
「…………」
「ドアの外で聞き耳たてられるのも、厭だろう?」
迷う、気配。
「俺は京都での大規模作戦でしか、戦闘経験はないんだ。だから、五月の気持がわかるとか、こうしろああしろとか、そんなことは言えない。
ただ、愚痴でも何でも聞かせてもらうよ」
春夜の言い回しに、ようやく五月の警戒も解けたようだ。
責める風でない口調に、ドアがゆっくりと、開けられた。
「……この度は、なんだか迷惑を」
「迷惑だと思っていたら、誰も五月のことを頼まないし、引き受けないよ」
ネガティヴな発言も、春夜はサラリと流す。
「…………う」
言葉に詰まる五月の頬には、幾筋もの涙の跡がある。
あの日のことを、何度も思い出し、ふがいなさに泣いた跡だ。
挫けるな、立ち上がれ、何度も己を叱咤して、それでも少し前には確かにあった、勇気が奮い出てこない。それが情けなくての無限ループ。
「わかって……いるんです。頭の中では。これくらい、って……」
周囲から気遣われるほどに、更に落ち込んでいく。
春夜は、五月の独白に対し過剰な同情はせず、穏やかに話を聞く。
話したいことは話してすっきりすればいいし、厭なことは無理に引き出さない。
それが、春夜のスタンスだ。
「……羅針盤か」
「え?」
「あ、えぇと 心に羅針盤があるとしたら……どんな状況でも、まっすぐに指し示す方向があるとしたら、さ」
「……」
春夜の切り出した言葉を、五月が聞き入る。
「その針が示すのは…… 俺にとっては、大切な人の笑顔かもしれない」
(……会いたいな)
生き別れの恋人を思い、春夜が遠い目をする。
「五月にとっての、羅針盤は?」
●手の鳴る方へ
五月が春夜へ、何か言いだそうとした時。
――グゥ、と腹の音が室内に響き、春夜が笑った。
「昼時だな。朝は食べてるのか」
「寮長が……」
答え、そういえば今日は昼の差し入れがないと気づく。
鼻をつく、香ばしい匂い。もしや。
「食べ物の力はさすがです」
寮の裏庭へ姿を見せた五月に対し、準備を進めていた椎花が手を叩く。
「君は、さっきの……」
「やだ、目が合ったの気のせいじゃありませんでしたか。中等部2年、笹鳴 椎花です」
部屋の周辺を探っている時に、感づかれていたようだ。
「お腹がすいては元気が出ませんよ? 思うことがありましたら、お話してください」
緋毬が五月と春夜を出迎える。
できたての唐揚げ、それに彩り豊かなお弁当に水筒にはスープ。
レジャーシートを広げて、ちょっとしたピクニック気分が用意されていた。
今までドア越しに話していたメンバーも、声でそれとわかる。
会話をしていない者もいた。総勢8人が、五月の説得のために訪れていたのだ。
「熱いので気をつけてください。いっぱい食べてくださいね♪」
「う、あ、はい」
話してくださいと言いながら、緋毬はどんどんランチの準備を進める。
「えへー、美味い! 緋毬と同じで、優しい味だな!」
自己紹介もそこそこに、末松 愛(
ja0486)は唐揚げに手を出している。
「私は、先日の京都がはじめての実戦でした……」
紙コップにスープを注ぎ、五月へ手渡しながら緋毬が話を切り出した。
「私は不安や躊躇いがあって、一歩動くのが遅れて……そんな私を、御一緒の皆様が助けてくださいました。
まだまだ未熟ではありますが、少しでも皆様のお役に立てるようになりたい……そう思います。これは私の話で、全く的外れと思いますが……」
五月が、首を横に振る。
「強さは、これからだと思います。私達は学生です。学んでいる途中なのですから」
にっこり。緋毬が微笑む。
首を縦に振り、スープを口に運び――五月はその熱さにむせ込んだ。
思えば、こんなにアツアツの食事を口にするのも久しぶりだった。
「さて……、体を動かしてリフレッシュしませんか?」
食事を終え、場の空気が和やかになったのを見計らって常盤が切り出す。
その手には、野球のボール。
球技が得意という情報を得ての、コミュニケーションツールだ。
「放っておくと、体はどんどん鈍りますからね」
――と、話す傍からの大暴投。五月が苦く笑いながら、それに喰らいつく。そして、的確なコントロールで返球。
「やはり初めてというのはなかなか思うようにいきませんね」
常盤は掌でボールを遊ばせ、今度は丁寧に放物線を描き、放る。
「私が初めて参加した依頼は京都での大規模作戦でした」
パシン。優しく、五月の手の中に納まる。
「仲間を守るどころか自分の身1つ守れない状況に、絶望に近い感情を覚えました」
ぽん、やわらかに、常盤へ投げられるボール。
「何とか陣地を守り抜いた時、『三本の矢』の話を思い出しました」
ヒュッ、段々と常盤のコントロールも落ち着いてくる。
「1人でできることには限りがあります。ですが、協力すればより大きなことを成し遂げられる」
ボールを受け止めて、五月は再び泣き出しそうな顔をした。
「私は仲間としてあなたを救いたい。そして仲間として共に戦いたい」
「おー……皆さん凄いなぁ、少しずつ五月さん元気になってるみたい」
その様子を眺め、昼食の後片付けをしていた椎花が額の汗をぬぐった。
「ヒトシー! これ、皆で協力して こんぷりーと、してみたいと思わねーか?」
キャッチボールと後片付けがひと段落したところで、愛が何やら紙きれを振って歩み寄ってくる。
食堂や購買の、期間限定メニューが愛の字で綴られていた。
「一人じゃ無理でも、皆でなら出来るじゃん!?」
その発言に、五月が笑いを噴きだした。
ついさっきまで、それはすべて『戦闘』における話だったのだ。
それが――これも――、たしかに『一人では為しえないこと』だ。
「クラスメイトの人にもな、聞いてきた! 肉食だなー、ヒトシは! ちゃんと野菜も食べなきゃだぞ」
リストには、五月の好物が特に大きくピックアップされている。
「俺たちとヒトシも、仲間とか、友達とか、なれたら良いな! あ……別に、こんぷりーとは……俺たちとじゃなくても、いいんだけど……」
強引過ぎたかと、愛の語尾が弱まる。
五月は、彼女に目線を合わせ、首を横に振る。
愛が、小さな体で元気いっぱいに校内を駆け巡る姿が目に浮かぶ。
先の依頼で行動を共にした如月と、ちょうど同じ年頃だ。
そんな彼女に、ここまで元気よく接されると、どうしようもなくなってしまう。
●それぞれの羅針盤
「人には向き不向きがあると思うんです、その人の能力によっても、その時の状況によってもそれは変わってくると思います。だから……」
1回で諦めちゃったら、自分の可能性なんてわからないんじゃないでしょうか?
――何回もチャレンジした成果ですが。
そう付け加え、椎花が五月へ手製のクッキーを渡す。見事にボロボロである。
「さっきの唐揚げ、私もお手伝いしたんですよ」
美味しかったでしょう? 言われ、五月は素直に頷く。
「こういうのも戦闘も……1人でやるものじゃないって、思います」
「俺、兄ちゃん達が居るから、父ちゃんや母ちゃんと離れて暮らせてるし、戦いにも行ける。兄ちゃんが居るから、俺も強くなれる。唯も、そうだったんじゃねーかな」
なっ、
愛が、物陰に向けて最後の言葉を投げかけた。
「……如月さん」
五月が目を見張る。
「おせっかい……だったかも、しれませんが」
ゆっくり、如月が姿を見せる。その後ろには、付属品のように水無月。
「これ以上ウダウダしてたら、また唐沢さんに叱咤されるな」
こっそり見せられた、彼女の努力の跡。消えない傷跡。
それもまた、五月の心に刻まれる。
「あなたは独りではありません」
常盤が五月の背を叩く。
「御一緒に、一歩ずつ進んでいきませんか?」
緋毬が笑顔を向ける。
五月は固く目をつぶり、気持ちを切り替えるように強く首を振り――それから、前を向いた。
学生生活は、始まったばかりなのだ。