●これまでも、これからも
「小さい頃、家族でよく行ったなぁ」
改装された水族館を前に、藤咲 千尋(
ja8564)が、しんみりする。
ほんの少し前まで、アウルに目覚めるまで、家族と共に過ごすことなんて当たり前だった。
自分も大好きだった水族館。
(怖い印象を払拭して、目いっぱい子供たちに楽しんでほしい)
そう、真剣に思う。
「藤咲さん、それは?」
大城 博志(
ja0179)は徹夜の下準備のお陰で寝不足気味の目をこすり、大荷物を抱える千尋へ訊ねる。
「あっ、お魚の帽子です。スタッフの目印に良いかなって!!」
千尋が、紙袋から魚をデフォルメしたぬいぐるみ帽子を取り出した。
人数分、用意してある。
「ふくもある! これ、いいですか〜?」
キャッキャと手に取ったのは神薙 瑠琉(
ja4859)。
『ふく』とはつまり『ふぐ』のこと、山口県名産ふく提灯のような、愛嬌のあるフォルムが魅力的である。
「大城さんのは、なんですか?」
「えっ、あ、コレは」
木ノ宮 幸穂(
ja4004)に紙袋を覗きこまれ、博志が慌てる。
「着ぐるみ……?」
ヘッドはダンボールをメインに追加パーツを作成、その上から生地を貼り付けた形。目や口の部分にはフェルトを。
ボディは生地をそのままボタン止めの着ぐるみ縫製――予算内に収めるため、苦戦した点がいくつも見える。
「出来は……その」
「イルカの被り物にヒトの体…… シュールですね」
牧野 穂鳥(
ja2029)の一言が追い打ちをかけ、博志が撃沈する。
「あっ、違います、そうじゃなくって えぇっと、すごく、頑張られた様子が窺えて! いいなと思って」
言葉の選択は難しい。
穂鳥はアタフタしながら言い訳する。
「アットホームな水族館には、いいかもしれませんね」
アーレイ・バーグ(
ja0276)が空気を読んで、フォローした。穂鳥がコクコクと首を縦に振る。
「お祭り騒ぎで盛り上げるのも悪くはないですが、風評被害を防ぐのは正しい知識です。お祭りの方も楽しみますが」
そんなアーレイは手作りの小冊子を見せた。
水族館の協力を得て、事前に作っておいた物の見本品が手元にある。
内容は、ざっとこんなものだ。
1・天魔に関する基礎知識
2・撃退士に関する基礎知識(久遠ヶ原はここで軽く触れる程度)
3・この地域を守る撃退士(地域の撃退士の組織図や連絡先など)
水族館で魚と触れ合いながら、水族館を襲った『天魔』というもの、それを倒した『撃退士』というものを、正しく知ってもらう。
この水族館を襲った悲劇から、目を背けないこと。そして、確かに脅威は取り払われたということ。
それを伝えることが、今日のイベントの要であろう。
「出来る限りの事をしましょう。……わたくしたちにしか出来ない事をしましょう」
近衛 薫(
ja0420)は小冊子の主旨を読み取り、決意を新たにした。
「風評で、海のない街の水族館がなくなるのは避けたいな」
島育ちで海と慣れ親しんで育った礼野 智美(
ja3600)には、この水族館の存在意義が、とても強いものに思えた。
「戦うだけじゃなくて後のことも大事よね」
「大人も子供も楽しめますように」
「楽しむのは、得意分野よ♪」
桐村 灯子(
ja8321)が発した一言に、氷雨 静(
ja4221)が今日一日を思って祈る。
楽しませるには、自分たちから楽しまないと!
守叉 典子(
ja7370)が明るく息巻いた。
起死回生の、一日となるように。
団結する一行を見守りながら、藍 星露(
ja5127)ただ一人、複雑な表情を浮かべていた。
●おいでよアクアパラダイス
「皆様、今日はたっぷり楽しんでいって下さいねー!」
屋外のショーステージで、アシカのショーが始まる。
アーレイが星条旗をあしらったビキニ姿で登場すると、盛大な歓声が上がった。
(これでも、珍しく大人しい布地面積なんですけどね☆)
サービスとばかりに偶然を装い、ふるんっと乳を揺らすと、バックのアシカ達が拍手を始めて、一気に場の空気が和んだ。
それはアーレイにも予想外のことで、アシカの人懐っこさを体感することとなる。
「さー、お久しぶりの、アシカのクウちゃん・オン君・ハーラさんです! 今日のために、新しい遊びを覚えてきましたよーー!」
ショーの手順は、桜庭から教えてもらっている。
(滅多にない機会です、ここは純粋に楽しんでいきましょう)
しなやかな四肢を伸ばし、アーレイは客席へ笑顔を向けた。
「小ぢんまりしてるとは思えないわね。このトンネル、すっごくきれいじゃないの……心躍るわ〜♪」
空間を上手に使ったアクアトンネルの真下で、典子は足を止めていた。
「ここだけは、昔と変わらないね」
彼女に声を掛けてきたのは、ひと組の老夫婦。
「……なんだか嬉しいものですねぇ。『変わらない』でいてくれる場所があるというのは」
「思い出の場所なんですか?」
「このトンネルの下でプロポーズされたのよぅ〜」
「まー!!」
ひとしきり昔話を聞き、典子は手を振って別れる。
水族館は、子供が楽しむものばかりだと思っていた。
(そっか、これが地元ってことね)
――ドゥッ、
激しいお子様アタックが博志を襲った。
「おさかなミッケー!」
「ふふ、残念です。それはお魚じゃありません」
らっこの帽子を被った穂鳥が笑いながら、差し出された台紙にシールを貼る。欄には『イルカくん』とある。
独自企画『魚(うお)りーを探せ!』は、子供たちに大人気だ。
館内の生き物を各コーナー一匹ずつピックアップして、見つけたら近くの係員にスタンプを貰えるスタンプラリー。
シールだったり、手製スタンプだったりと、コンプリート魂をくすぐる仕様となっている。
子供たちへはスタンプを押しながら魚の説明を、
心配を隠せない親へは、そっと他のスタッフが安全性を説いた小冊子を配る。
もれなくアタックを受け続けている博志が心配だが、時折『だいじょうぶ』とジェスチャーで返してくるのがなんだかおかしい。
アザラシやらっこがノビノビ過ごす水槽を振り返り、穂鳥は神妙な顔つきになる。
(万一閉館ということにでもなれば、この子たちは行き場を失うようなこともあるのでは……。あっ、アクビした! カワイイ!!)
お世話タイムには、水槽に入って清掃をしたりエサをあげたりの触れ合いが待っている。
待ち遠しくてたまらない。
(私たちは天魔と戦う撃退士だけれど。何も存在を消すことだけが仕事なわけじゃない、寄り添う命を守ることもできるはず。……証明したい。この水族館を元以上に盛り上げることで)
次の瞬間、アザラシの無防備な寝返り姿にハートを撃ち抜かれることとなる。
一方、ふれあい広場。
「あー! カニさんだー」
小学生に紛れ、サクラを演じる静が臆面もなく生き物たちに触れる。
最初は恐々と眺めるだけだった子供たちが、少しずつ集まってくる。
と、いってもどう触ればいいのか分からない。
そこに智美がさりげなく近づいて、腰を落とした。
「ここをこうやって…… ほら、面白いでしょう」
おっかなびっくりの子供たちの掌に、イソギンチャクを乗せてやる。
初めての感触にキャアキャア騒ぐけれど、落ち着いた智美の対応が安心感を与えてくれた。怖がって、生き物を放り出すという行動はとらない。
「ママさんたちも、どうぞこちらへ」
幾人かは、子供を引きとめてる親もいる。
(親だったら、子供が安全に遊べるかっていうのは気にするよな)
気持ちはわかる。だからこそ、解きほぐしてやりたい。
智美の誘いに対し、親たちの表情に迷いが浮かんだ。
「さーて、ここでお魚クイズー!」
少し離れた場所で、魚にまつわる絵本の読み聞かせをしていた千尋が、智美の横に駆けつけて片手を挙げる。
「今、絵本にも出てきた、このイキモノの名前、わかる人いるかなー?」
ちょうど、智美が手にしているものである。
「じゃあ、そこの可愛いあなた!」
ズビシ、と指名を受けたのは静。
「えーとえーと、なまこ! かなあーっ」
「すごーい! 大正解!! みんな拍手ー!」
食べるなんて想像つかないかもしれないけどねっ、と更にマメ知識を追加して、千尋が場を盛り上げる。
「じゃあじゃあ、続いて紙芝居いっきまーす! またクイズ出すからねっ よーっく聞いていてね!!」
第二弾と聞いて、今度は人の集まりも増え始める。
「コラきみたち!! 弱いものいじめはやめるんだ!! ってそこのきみ! 水の中に飛び込んだら女神様に尻子玉を抜かれてしまうよ!!」
浦島太郎のはずであるがアドリブをきかせて水に飛び込みそうな子たちに注意しつつ、千尋は紙芝居なのかひとり芝居なのかわからない熱演を繰り広げた。
「水族館なんて何年ぶりだろー」
久々の水族館にわくわくしながらも、本業は忘れない。
幸穂は職員に許可を取り、巨大水槽での潜水を試みた。その手には、水中カメラ。
しばらく、感覚慣らしのために遊泳したあと、光纏して客たちの視線を意識した泳ぎに変える。
幸穂の光纏は、動くと光が小羽が散るように見える。
魚の群れに交じり、幻想的な光景を作り上げる。
じっとこちらを凝視する客に気づくと、にこやかに手を振って見せる。
水槽の前には穂鳥がアシストでスタンバイしており、幸穂が映す水槽内の視点で見る魚の説明をしてゆく。
どこか外国の海を冒険しているような映像に、大人も子供も夢中になる。
やがてカメラは水槽の底を探り―― 仕込んであったホワイトボードを映す。
『もうすぐイルカショーが始まるよ!!』
「さて、今日はいつもより、スキンシップ多めに行きたいと思います」
灯子がお辞儀を一つ。
物静かに始まったイルカショー。
準備運動のジャンプ、回転、豪快に飛び散る水しぶきに歓声。
水の膜を利用して、灯子は瞬時に動きやすい服装へとチェンジする。
ジャンプするイルカに呼吸を合わせ、その背へと跳躍!!
この身体能力こそ、撃退士の真骨頂であろう。
潜水した後、灯子がプールサイドまでイルカに送り届けてもらう頃には、観客たちの目はランランと輝いていた。
「じゃあ今度は、このショーを見ている誰かに手伝ってもらいます!」
カラフルなボールを取り出す。
指名された子供が、父親に付き添われて舞台に上がる。
「だいじょうぶ、どこに投げてもキャッチしてくれますよ」
キュイ!!
灯子の声へ応えるように、イルカが鳴いた。
ショーを終えたアーレイは魔法使い姿に衣装を替え、くらげコーナーへと駆けつける。
「撃退士の技でクラゲをライトアップします〜 是非見ていって下さい」
瑠琉が、足をとめた客たちへ小冊子を配ってゆく。
『撃退士=天魔退治』は当たり前の図式ではあるが、持っている力の使い方はそれだけではないというアピールにもなる。
薄暗い館内で、アーレイがトワイライトを発動させる。
半透明のくらげたちが、幻想的に照らされ、あるいは反応して自ずからも発光し、不思議な空間を作り出す。
「はゎ〜 くらげさんは〜見ててあきませんねぇ〜。ふわふわしています〜」
瑠琉も、思わず魅入ってしまった。
常時ふんわかした雰囲気の瑠琉であるが、その着物の袖には、武器の手裏剣が隠されている。
(この水族館がなくなるのは〜 寂しいです〜)
館内の配置も暗記済み。
万が一にアクシデントが起きたとしても、守り抜く準備は万端だった。来客も、水族館も。
バックヤードツアーは薫が先導した。
「こちらで餌の作り方、どうやって餌をあげているか、稚魚をどう育てているかを見て生命に触れていただければと思います」
めったに入れない施設の裏側は、子供よりも大人たちの方が興奮気味だった。
「こちらが、飼育員の桜庭さんです」
「えっ、あ、……桜庭です」
水槽内の掃除を終えてきたところで、一部始終を見られていた桜庭が赤面してお辞儀をした。
「安心して楽しんでいただける水族館としていけるよう、がんばってまいります」
はにかみながら、桜庭は飼育員の仕事の説明へと誘導していった。
バックヤードを抜けると、ふれあい広場へと繋がっている。
「か弱く一生懸命生きているんですよ」
薫の言葉に子供たちは大きく頷き、海の生き物たちと向き合っていった。
「短い時間でしたけれど…… 伝わったみたいで、うれしいです」
見守る親たちも安心しているようで、大きく頷きを返す。
(一生懸命、生きている)
それは、私たち人間も同じこと。
ひたむきに働く桜庭の姿を思い、薫は目を伏せた。
「あ、コレですか。芋版画の応用ですよ。今回のイベント用に消しゴムを削って作ってみました」
『魚(うお)りーを探せ!』で手製スタンプを用意していた智美は、ママさんからの質問に対応していた。
イベント用に、と言いながら、用意した数は相当なもので。
「スタンプを全部押した子には、プレゼントです」
今日の日付も彫られたそれは、きっと宝物になるだろう。
●本日のサプライズ
「各担当お疲れ様〜! ……それと、みんなに記念のお土産よ♪」
典子が、売店でこっそり購入しておいたストラップを差し出す。
盛り上がっているところへ、依頼主である館長と桜庭が姿を見せた。
「今日は、本当にありがとうございました」
「なんと礼を言ったらいいか……」
頭を下げる二人を制し、星露が一歩、前に出る。
「あたしたちが頼まれた『水族館に対する不安を取り除く』範疇には入らないかもしれませんけど……」
星露は、後ろ手に持っていた包みを2人に差し出す。
小首を傾げながら桜庭が受け取り、包みをほどく――
――再開、おめでとうございます
――お魚増えてて楽しかった!
――学生時代に通い詰めた場所です。当時を忍ばせる部分が残されていて、なんだかほっとしました。これからも、みんなの水族館であってください
――バックヤード見学ツアー、興味深かった。施設に懸ける皆さんの情熱が伝わりました
「売店のお客さん達に、寄せ書きをしてもらいました。
楽しめてない場所から帰る時におみやげを買おうなんて、思わないでしょうから……。
今日、遊びに来て下さった皆さんの、素直な気持ちです」
撃退士の臨時スタッフではなく、元からいる桜庭や館長たちに向けての、メッセージ。
長い間、親しまれていた場所だからこそ、贈られる言葉がある。
色紙に、桜庭の涙が落ちて、文字が滲む。
館長は、言葉なく背を向けた。目元を、そっと押さえて。
●また来てね!
「お客さん、また来てくれるようになるかなー」
幸穂が、自信なさげに呟く。
「私は楽しかったです。また来たいな〜」
ぬいぐるみ帽子をギュッと抱きしめ、瑠琉がゴキゲンに笑った。
「まあ、この手の事は楽しんでいけば何とかなるさ!」
博志が明るく笑い飛ばした。
「同じ名前の場所はいっぱいありますが……ここにしかない、ここだけでできる事が、ありますもんね」
建物を振り返り、薫が目を細めた。
深海を思わせる、濃紺の空が広がっていた。