●再現された日々
夏の手前。生ぬるい風の日。
16時。某市民プール到着。
「再建の時にも遺体は見つからなかったのなら……さらわれた、かな。ディアボロにする為に」
新設の市民プールを見上げ、鴉乃宮 歌音(
ja0427)は眉根を寄せた。
ディアボロはゲートの影響以外では、悪魔が作成する場合もあるという。
数年前のディアボロ騒動がゲート関連でないのなら、悪魔が放したディアボロの戯れと考えられよう。
そうすると『失った駒の補填』として、『水泳少女』が攫われたという考えに筋は通る。
「本当に怪異は全部天魔の仕業、で良いのかなぁ?」
「天魔の仕業なら目的がよくわからないけど、人の仕業なら……」
首をコキリと鳴らす因幡 良子(
ja8039)に、紫ノ宮 莉音(
ja6473)も考え込む。
数年前の行方不明事件、再建された施設、怪奇現象……アヤシイ高級食材はズラリと並べられてあるのだ。
「3つの噂とも人が起こせるレベルのもの、だしね」
雀原 麦子(
ja1553)は、次のように説明する。
・泳いでいると長い女の髪が指先に絡みつく
→髪の毛は排水の詰りや、故意に髪を流すこともできる。
・決まった時間になると50Mプールが一瞬だけ血の色に染まる
→照明かその時間に差し込む日の角度か、赤のセロハンや赤硝子等の細工でも可能。
・女子更衣室の鏡に、居ないハズの人影が映る
→鏡の角度で映す場所を変えたり合わせ鏡でトリックもできる。
「天魔関与なら退治、人のイタズラなら……天罰が下るかな」
五十鈴 響(
ja6602)はフゥと息を吐く。
事実はどちらか。それを見極めるのが今回の依頼である。
『17〜18時頃に掃除等の理由で早く閉めてもらえるように』
響は仲間たちと相談の結果、そのように事前に市民プールへ交渉の電話を入れていた。
歌音の助言で天魔関連の秘密調査である事を併せて伝えると、プール側は二つ返事で受け合った。
「様々な現象を見せても、直接的な被害はない……のは何故なんでしょうね 」
狩野 峰雪(
ja0345)が穏やかな表情のまま、不審な点を挙げる。
「悪戯としたら、毎日勤務する職員が怪しいですかね」
麦子が挙げていた『50Mプールが赤く染まる』仕掛けなど、そう簡単に出来るものではない。
(幽霊だか天魔だか知らないけど人の悪戯で済めば一番平和なんですけどねぇ)
卯月 瑞花(
ja0623)は胸の中で思う。しかし、きっとそうではないのだろうと、予測もしていた。
(多分、行方不明の二人とも、ディアボロ化はしてると思うのですが……)
峰雪の言う通り、『被害は起きていない』ことが気に懸かる。
「とりあず、安全の為に調査するか」
憶測を並べても仕方が無い、しかし並べることで注意点は見えてくる。
翡翠 龍斗(
ja7594)はそれぞれが持ち寄った『水泳少女』の情報・『同級生』の情報を頭に叩き込み、スタートを促した。
「担当する場所を調べ終えたら集まって情報つき合わせて、事件の推論してみようか」
良子の提案に、皆が頷きを返す。
「さあ、真実を突き止めに行きましょうか、ワトソン君!」
麦子が龍斗の肩に腕を回し、冗談混じりに拳をあげた。
「え 俺がワトソン!?」
●泳ぐ影
女子更衣室にて。
「何か反応があるといいんですけど……」
入手しておいた、古いスポーツ雑誌に掲載されていた『水泳少女』の写真。
それを見ながら、瑞花は変化の術を使う。
誤認防止の為、雪結晶のチョーカーを着用。それ以前に2-6ゼッケンのスクール水着姿なので、まったく問題ない。
武装はヒヒイロカネ状態にしてあり、いつでも発動できるよう準備もぬかりなく。
「おお、すごいすごい!」
服の下に水着を仕込んでいた良子は、すばやく準備を済ませて瑞花の術に見入る。
「水泳子ちゃんの髪の長さ、こんなだったかー」
「長い、って程でもないですよね」
毛先を良子に遊ばれながら、瑞花も首を傾げる。肩を、少し越す程度。
まとめて水泳キャップに収めるのならば丁度いいとも言える。
「ウワサの鏡はー っと」
雀柄のビキニにパーカーを肩から掛けた麦子が、更衣室内を見回す。
「ここは私と五十鈴ちゃんに任せて〜」
「なにかあったら、連絡します」
響が携帯を見せ、そうして各自が行動へと移っていった。
歌音がプール内で噂について利用者や職員から聞き込みをしているところで、麦子が合流した。
「更衣室は良子ちゃんと響ちゃんが、先に調査しておくって。瑞花ちゃんの変化、凄かった!」
対する歌音は、調査の成果を麦子に伝える。
『再建前から残っているものはないか』、歌音個人が気に留めていた点は『施設のレイアウトのみ』ということだった。
これで『プールが赤く染まる現象は夕方の日差しによるもの』という推理が不成立となる。
以前のプールでは、起きなかった現象なのだから。
「世は不可思議に満ちている」
飛び込み台への階段を上がりながら、歌音はパーカーを脱ぐ。
各施設を調べ、符合を繋ぎ合わせていくよりない。
5Mの高さから、施設内を見渡す。
プールサイドでは龍斗の先を行く、スクール水着姿の黒髪の少女が目についた。変化の術を使う瑞花であろう。
「とう」
歌音は、綺麗なフォームで飛び込み、水面に向かった。
少ない抵抗の角度で、水の底まで潜り込む。
不鮮明な視界の中、『通信士』を発動させて天魔の有無を確認する。
(髪の毛……か)
流れる場所。あるいは異形が出入りする場所。排水口を思い浮かべ、捜してみるが――
「ムギコ、いきまーす!」
「……世には順番という物がだな…… けほっ」
「ごめんなさいっ 思いっきり水しぶき飛んじゃったわねー あははっ」
プールから出る前に飛び込んできた麦子の煽りを受け、思い切り水を飲み込んだ歌音の背を、謝りながらも愉快げに叩く麦子であった。
男子更衣室での調査を終えた峰雪は、莉音と共に25Mプールへと向かう。
道すがら、歌音が話していた『さらわれた』説をなぞる。
(行方不明になった順に考えると、数年前のディアボロは行方不明の級友さん。プールに現れるのは水泳少女さんの可能性が高いのかな)
今回の事件をディアボロの仕業だと仮定して――ディアボロは『自我を失う』というが、潜在下に残された物が存在し、プールの破壊を拒んでいるということはあり得るのだろうか。
「ディアボロになってまで、泳ぎ続ける……か」
無意識に、独り言を口にしていた。
峰雪は、『水泳少女』に己を重ねる。
仕事一筋に生きてきた自分、唯一の生き甲斐、それを喪う辛さ。
(それでも、ディアボロなら退治しなければならない。今はそれが……自分の仕事だ)
ディアボロの正体が『水泳少女』であれ、無関係のものであれ、彼女の大切な思い出の場所――彼女の帰りを想って新設されたこの場所を、再び破壊されることがあってはならない。
峰雪が振り返ると、少し後ろを歩く莉音もまた、考えに耽っているようだった。
(選手にとって大事な場所を壊すのは許せない)
かつて水泳部に所属していた莉音にとって、今回の依頼は真相がいずれにせよ見過ごせるものではなかった。
水泳を競技として辞めた理由は――誰にも明かしていない。
それほどに、大切な存在だったから。
真剣な表情を解いて、莉音は峰雪を見上げる。
「まあ……泳ぎましょうか」
ほやん、といつもの柔らかな笑みを浮かべ、莉音は峰雪を追いこすと25Mプールへと飛び込んだ。
――心地よい水の中。
しなやかに四肢を伸ばし、莉音は異常が無いか探る。
クイ、指先に違和感が引っかかった。
『水泳少女』の姿をした瑞花は、50Mプールの傍を歩きながら龍斗に他愛もない話題を振る。
トランクス型の水着にジャージの上着を羽織った龍斗は、瑞花の変化による周囲への反応を視野に入れながら相槌を返す。
皆が瑞花を――『水泳少女』を見ているのだ。
さざ波のような声。誰もが動揺を隠せないでいる。
龍斗が、瑞花に視線を戻す。正しくは、彼女を含めた周囲を注視する。
異変は――
「うそ」
異変を感じたのは、瑞花であった。
「なにか、あったんですか」
自分の肩に手を乗せたままの良子へ、響が問う。
プール施設を巡ってから、最後に更衣室をチェックするのだとばかり思っていた響は、良子の行動に驚きながら……理由があるのだろうと察し、乗った。
「クロ」
「え」
「鏡の端に、チラッと映ったの。卯月ちゃんの後姿に重なるように、競泳水着」
「まさか」
「私にしか、見えなかった……そして、反応アリ」
良子の発動する『異界認識』に、引っかかった。
襲って来ないのは、撃退士が大勢いるからだろうか。
そう考え、響との『ふたりきり』を作り上げて見たが……どうも、違うようだ。
「よし、プール行ってみようか」
「はい」
確実に目撃した事を伝えるべく携帯で連絡をとりながら、二人はプール施設へ向かった。
●幻影の水葬
『本日 定期清掃につきまして 18時をもって 閉館させて頂きます 繰り返します――』
17時。館内アナウンスが流れる。
(う……アレ見た後に潜るのって想像以上に心にきますね……)
瑞花の目に映った、濃度をもった赤い水槽。
感じたのはほんの一瞬。
硬直する自分の腕を龍斗に強く掴まれ、我に返った。それと同時に龍斗のスマホが鳴り、良子達から連絡が入った。
――ディアボロは確かに居る、と。
「翡翠〜〜……」
「下調べが、俺たちの任務だからな」
「ですよねー」
怪奇ではない、人的イタズラでもない、自分たちの専門分野。
恐れることは無いはずだが、こう容易に相手の術中にはまったことが、怖い。
「えぇい!」
瑞花は『水上歩行』を活用し、プール中心部へ向けて潜水した。水中であっても行動に制限を受けないのが術の特性である。
龍斗は反対側のコースで泳ぎ始めた。
『本日 定期清掃につきまして 18時をもって 閉館させて頂きます 繰り返します――』
18時。一般利用客が引いてゆく。
「今日はなにも起きなかったねー」
そんな声さえ聞こえた。
撃退士達は50Mプールの傍へ集い、それぞれの報告を話しあっていた。
「今日の怪異は全部、僕たちが受けたんやねぇ……」
指先に黒髪を絡ませた莉音が肩をすくめる。
「うわ! なにそのゴッソリ!」
ドン引きの麦子の発言に対し、歌音が身を乗り出す。
「人毛ではないようだね?」
「長髪の常連客がいるのか聞いてみましたけど……珍しくないみたいで。水泳少女さんくらいだと特に……ですが、それは」
証言の裏付けをとっていた響が言葉を挟み、それから目を背ける。
女子更衣室での鏡の話を聞き、龍斗が抱いていた意見を吐きだした。
「助けを……求めているんだろうか?」
「え?」
響が顔を上げる。
「気づいてほしい、というサインにも思える」
「16時というのは、放課後の時間帯……かな」
峰雪が続けた。
血の色に染まる現象は、彼女が最後に見た光景なのかもしれない。
莉音の指に絡まったモノだけが、幻影ではなく実物としてここに在る。
「……撃退士を噂で呼び寄せて殺してほしかったのかしら?」
麦子の言葉に、続く者はいなかった。否定するにも肯定するにも、辛い答えしか浮かばない。
(私の中に音楽があるように、彼女も水と共にあることが自然だったのかな)
できれば行方不明の彼女が今回のディアボロでなければと祈っていた響は、複雑な心境となる。
「わぁっ!?」
明らかにおかしい生命反応を莉音が察知すると同時に、全員が戦闘態勢に入った。
50Mプール、その中央からだ。
水面が赤く変色し、一部が粘度を持って持ち上がる。そのままゆっくりと人間のような形状となり――
瑞花が壁走りを駆使して、施設の管理部分へ向かう。
50Mプールの排水バルブを全開にし、赤き異形の足止めを狙う。
人の声ともつかぬ呻きが上がる。
流れ出てゆく水に抗うように、異形は身悶えした。
スライムのような形状から人の腕が形取られ、プールサイドにペタリと張り付く。
「実体化したまま排水の細かい鉄柵に……ふふ、新しい怪奇現象です?」
「卯月ちゃん、これは新手のホラーだわ!」
パニック的な。
どこか楽しげなリアクションの良子だが、異界認識をシールドへ変更し、ただでさえ水着姿で防御の薄い状態のフォローに回る。
それぞれが阻霊符を発動させ、ディアボロを建物内に閉じ込めた。
滑りやすいプールサイド、足元に注意を払いながら龍斗が戦闘態勢を取る。
――助けを求めているのかもしれない
自分の発言ではあったが、では、ディアボロになってしまった彼女にとっての『救い』とは何か、龍斗は考える。
「『滅せよ闇の子よ』」
歌音が攻撃を仕掛ける。
両手に構えられた銃口から、白い光の弾丸がディアボロに撃ちこまれた。
後方より、響も魔法で援護する。
(大会に出たかったのなら……)
一言、会話ができればいいと峰雪は考えていた。
しかし、それは淡い願いでしかなかった。
夏の手前。生ぬるい風の日。
少女が失った日常と同じ今日がやってきても、少女はもう、日常として過ごすことができないのだ。
ディアボロになるとは――そういうこと。
(感傷より、仕事を優先するのには慣れている)
慣れていると思っていた。
しかし、今は武器を操る指先が厭に重い。
「くぅっ」
「卯月!?」
「あたしは平気ですよ! それより!!」
幻覚を掛けられ、よろめく瑞花が己の腕を傷つける。
驚いた龍斗だが、彼女に背を押され、そのまま先へ進んだ。
「俺は、お前という奴が居たことは絶対に忘れない。だから、安らかに眠れ」
せめて、穏やかな日常を。
●紡がれし鎮魂の歌
「Aurora ――……et vovis(そして 二人の為に)」
異形の散ったプールサイドで、響が淡い光を灯す。
真相はわからない。それでも気持ちは感じ取った。そう思う。
当たり前の日常が崩れ去った、数年前の夜。
まったく無関係だとは思えなかった。
この場に居る撃退士の誰もが、あの夜に失われた命を想い、祈りを捧げた。
「魂の束縛は終えた。安心して眠るがよい」
施設の被害状況の確認を終えた後、管理職員へ歌音が言い渡す。
建物を出ると、車の用意をしていた卒業生が片手を挙げた。
「お疲れ様。どうだった?」
「犯人当てをしようにも、相手が会話のできない天魔である以上、不完全な推理ゲームだったわね」
麦子の言葉に、筧が苦く笑った。
「けど、祈ってくれたんだね」
響の光は、薄闇の屋外にもこぼれていた。
それから、良子の様子がおかしい事に気づく。
「どうかしたの? 因幡さん」
「あ、ううん、なん、でも!」
「そーそー! 来る時に水着を仕込んできた関係で、替えの下着忘れたってだけ! ねー、良子ちゃん♪」
「言わないで雀原ちゃん……」
「これからも……みんなにとって楽しく過ごせるプールであったらいいね」
響が言い、そして月を背に建つ新設の市民プールを見上げた。
生ぬるく吹く風が、夏の訪れをそっと伝えていた。