●月が覗く空
「穴を掘る爺さんか…… 月夜の晩に限って、ねぇ……」
神楽坂 紫苑(
ja0526)が、目的地へ向かう途中に呟く。
「確かに、月は魅力的ですよね。見上げながら、思いを馳せてしまうくらいには」
或瀬院 由真(
ja1687)が、昇り始めた満月を確認した。
その隣で、相馬 遥(
ja0132)が目を輝かせている。
「月夜の怪人、中々手強そう!」
「た、戦うわけではないです、よ?」
沙酉 舞尾(
ja8105)が小走りで追いながら、遥に声を掛けた。
(金田さん…… 立場は逆ですが、重なる部分が大きいのです……ゆっくり、お話ができたら)
舞尾は『月夜の怪人』の背景に、14歳で死別した育ての親を思った。
金田学生寮に到着した一行を、依頼人の青柳が出迎えた。
「あおやーぎの おにちゃわ おひさしぶりなぁのよ」
ぴっこ(
ja0236)が、ぺっこりと挨拶する。
「ああ、君か。何かと世話になるな」
ぴっこの頭を撫でながら、青柳は改めて今回の依頼者達に向き合った。
「この度は、むさくるしい場所へ来てくださって感謝しています」
青柳の後ろにいる数名の寮生も、ぺこりと頭を下げた。その様子に、『月夜の怪人』とやらがどんな人物か見える気がする。
「金田のお爺ちゃんと仲良くなりたい……かな」
天文部部長である九曜 昴(
ja0586)が呟いた。
同じ天文を愛するものとして、純粋な興味もあった。
「……月夜の怪人さんは、満月のたびに何を考えておられるのでしょうね?」
卯月 千歌(
ja8479)の声が、濃紺の空気にふわりと飲み込まれていった。
「まずはどのあたりの穴にいるか探すの……。……他に穴がないとは言ってるけど、気をつけるの」
昴の言葉に皆が頷き、手分けして動き出す。
紫苑、遥が生命探知を発動、由真はトーチで周囲を照らし、危険が無いか確認しながら『穴』を捜す。
舞尾や千歌、ぴっこは敷地内での月見に適した場所探しに当たった。
「……わざわざ穴を掘ってまで月見か。……物好きだな」
殺村 凶子(
ja5776)が、それぞれの動きを見ながら嘆息交じりに声にした。
(困った爺さんだが……、出来れば原因解決はしてやりたい、か)
説得だの何だのと、スッキリしたビジョンが凶子には思い浮かばない。
(……話を聞いているうちに何か思いついたら、動こうか)
さほど広くない敷地内。探知した遥が、まっしぐらにダッシュする。
「おじいさーん! 元気ですかーっ」
遥が、穴の底を覗きこむ。元気な声が暗闇に反響した。
「あーなにおちたら ぴっこ 泣ちゃうなぁの くわくわ……」
ちらりと覗いただけで驚いたぴっこは、思わず傍にいた千歌にしがみつく。
初等部生にしてみれば、深さ3Mなど恐怖でしかない。聞くと見るとは大違い。
しがみつかれた千歌は、突然の事にオロオロしながら「大丈夫ですよ」となだめた。
スキンシップは苦手……とはいえ、こんな小さな子が怯えているのだ。どう触れていいかわからないなりに、ぴっこの気持ちを落ちかさせようと背をさする。
――穴の奥底で、懐中電灯のようなものがチカリと反射した。
「僕が……先に行くの」
つい、と穴に足を下ろしたのは昴だった。
スマホのハンズフリー機能はON。穴の中での会話は、これで届く。
「えー……、じゃあ、自分たちは、向こうで」
紫苑が地上を指す。
『寮の敷地内に穴を掘り人を誘い込む行為を止めるよう説得・行動を』この依頼に対し、言葉での語りかけの他に用意している作戦があるのだ。
紫苑を始め数名が、そちらの作業のために穴から離れていった。
●怪人との夜を
「これはこれは、かわいらしい客人が来なすった」
昴がクッションマットに正座すると、金田が驚きを笑顔に変えて迎えた。
「どれ……いい頃合いだの。見上げてごらんなさい」
出口では月の欠片が姿をのぞかせていた。
「ん……穴から月って……ちょっとしか見れないの……。そういうのが……好きなの?」
ゆっくりとした昴の口調へ、紙コップにコーヒーを注ぎながら金田が頷く。
「やっぱり……その刹那の美しさが……いいのかな? そういう楽しみもあるから……ね」
月の欠片が穴に満ちてゆく。なるほど、不思議な光景だった。
昴は、金田を否定しない。問い詰めない。
金田があれこれと月にまつわる昔話・噂話を得意げに話して見せるのを、穏やかな表情で頷きを返す。時折、天文部としての己の知識を織り交ぜての切り返しを、金田は楽しんだ。
「穴に……拘るの? もっと色々な月の楽しみ方……あるよ? 僕……これでも天文部の部長なの。……そういうのを探すのも……楽しいの、手伝うの」
「ありがとう、お嬢さん。楽しかったよ。またおいで」
引き止めるでなく、追うでなく、金田はひらりと手を振った。
昴の言葉は、彼の心に届いたのだろうか。
「こんばんわ、満月綺麗ですねっ! あっ相馬遥です。穴に引篭もってるって、寮生の皆さんも心配してますよっ、と言う事で皆で満天の星空の下でお月見しましょう」
キリッ!
穴から舞い降り、クッションに無事着地した遥が身を乗り出して、一息にまくしたてる。
薄闇の中、対面した金田が小さな目を丸くして、それから破顔した。
「元気なお嬢さんだの」
「上で、皆待ってます。大勢で月の話をしたり、最近の出来事を話したり、楽しく賑やかなお月見会はどうですかっ?」
「上で、のぅ……。それよりお嬢さん、この老いぼれと話をせんかね。ほれ、茶菓子もここに」
「うっ、これは魅力的……ですがっ 上で、皆で食べましょう、そうしましょう!」
横穴から差しだされた茶菓子に惹かれながらも、遥は踏みとどまる。
順番待ちをしているメンバーもいるのだ。
『上で待っている』ことを強調し、遥は穴から抜け出た。
やや、空回り気味だったかもしれない。しかしこれが、遥にできる精いっぱい。
続いて入ってきたのは凶子。
「どうだね?」
「……美味しい」
コーヒーと、それから個装されたパウンドケーキ。
豊かな香りが鼻から抜けて、凶子のアホ毛がご機嫌に揺れた。
「なかなか、西洋の保存菓子もあなどれん」
「……これ、保存菓子なの?」
「そうとも」
月のウンチクではなく、まさかの洋菓子ウンチクを聞かされた。
が、アレコレとエピソードに纏わる菓子を出され、凶子が疑問を挟む余裕もない。
「……ああ、そうか」
3杯目のコーヒーをおかわりしたところで、凶子が呟いた。
「娘さん? ……好き、だったのかな。洋菓子」
長い前髪の間から、凶子の瞳がまっすぐに覗く。
「それもあるのぅ 昔のことだがね」
以上が、凶子と金田の会話であった。
「お邪魔いたします」
穴・突入組、最後は由真だ。
「こういう形で月を見上げる、というのは初めてですね」
同じ場所で昴が月を覗いてから、随分と経っている。月は反対側の欠片だけを覗かせ、星々が砂のような煌めきを見せている。
金田は目を細め、由真と共に穴を見上げる。
沈黙に、コーヒーと土の香りがふんわりと漂う。
「こうした穴の中から月を見上げる事に、拘りがあるようですが。もしかして、亡くなったお子様も、こうして月を見るのが好きだったのですか?」
金田は土壁にもたれ掛かり、鼻を鳴らす。ふふ、と穏やかな笑いだった。
「……宜しければ、お話頂けないでしょうか。その辺りの話を」
「なぁに、そんな大仰なものじゃない。年を取ると、失ったものが恋しくなる。欠片でいいから近付きたいと、思うようになる」
「欠片……ですか」
「手を伸ばしても、届きやしない。まして、自ら飛び込むことも許されない。この距離が、ギリギリの芸術性ってなもんでね」
読み間違いを、していただろうか。
なぜ、金田は月や穴に拘るのか――
いくつか用意していた言葉を、由真は飲み込む。
「そういえば……寮生の方々が心配していましたよ。慕われているのですね、金田さん」
手を差し伸べている存在も、あるのだということ。
それを伝え、柔らかな微笑と共に由真は穴を後にした。
●照らし出す世界
「この部屋ならどうだっ! ……綺麗には見えるけど芸術的じゃないかなぁ、よし次ぎ次ぎ」
穴から戻った遥が、寮内の一室一室を突撃訪問し、窓から見える月を確認する。
ノック無しの女子の来訪に男子寮生たちはドキドキである。
舞尾は屋根裏部屋を探索したが、埃っぽいだけで窓はなく、穴を開けるのは危険だと判断すると外へ出てきた。
穴の中での会話をBGMに、紫苑は昴が指定した観測に最適な場所でのパオ作りに取り掛かった。
ラチスフェンスで正六角形の壁、丸枠と梁と支柱を連結し頂点を天窓にした円錐台の屋根。布はシーツを代用。
身長の高い紫苑を中心に、ぴっこや千歌が材料運びを手伝う。
ポータブルカンテラが照らす中、作業は進められた。
「目指せ、新・アーティスティック。ですね」
千歌は日曜大工の類は経験が少ないが、事前にメモを取っていた組み立て順序を追いながら出来る部分から仕上げてゆく。
次第に調子が上がってきて、鼻歌を口ずさむ。
穴から戻ってきた昴たちも設営に参加した。
「穴はいきなり掘り出したようだし、月と孫は、手が届かないで、寂しくなったんだろう。思い出したりして……」
凶子や由真とのやりとりから、紫苑はそう連想していた。
決して、遠くない推察だろう。
パオが組み立て上がり、地上でのお茶会準備もOK。
「うん、なかなかの出来栄えだな」
紫苑が腰に手を当て、満足そうに胸を張る。
「……それで、卯月はなにをしてるんだ?」
凶子が小首を傾げて問うと、千歌は顔を赤らめて空に向けて伸ばしていた手を引っ込めた。
「あっ、手をいっぱいに伸ばして穴の開いたコインの穴から月を覗くと、月と穴のサイズがぴったりハマルとか聞いて……コッソリ試したくて……」
その手には、5円玉。
「…………どう、だった?」
見ますか? と千歌が差し出すコインを凶子は受け取り―― その感想は、きゅぴーんと伸びた、彼女のアホ毛で推し量ることができた。
「それじゃあ、私たちでお迎えに行ってきますね」
舞尾がぴっこを伴い、穴へと向かう。
「あっ! ぴっこさん、危ない!」
舞尾が止める暇もなかった。
暗闇の中、石コロにつまづいたぴっこが、そのまま穴へ転がり落ちる。
――ぼふん、柔らかな衝撃音が、遅れて響いた。それから老人の笑い声。
「くわくわ……」
真っ暗な穴への急降下、泣きだすぴっこへ、金田が豪快に笑う。
「こいつはちんまい天使さんだのぅ。ケガはないかい?」
差し出されたキャンディを口にしながら、ぴっこは泣くのと喜ぶのと、感情をうまく制御できない。
「ぢいぢ さみしいなぁの?」
ようやくようやく、言葉にして金田を見上げた。
「ぴっこもころーくの……」
しょも。目に浮かぶ涙は、穴に落ちた恐怖からだけではない。
「ぢいぢ さみしくないよぉに、ぢいぢが しわわしになぁるよぉに、ぴっこ がばるなぁの……」
小さな手が、皺だらけの金田の手を、キュッと握る。
「…………」
じんわりと、ぴっこの体温が金田に渡る。
言葉だけではない何かも、確かに伝わる。
「……悪かったのぅ、怖い思いをさせたの」
それから、金田は空いた手でぴっこの頭を優しく撫でた。
「ちょっんとかわんた おちゅきみ しないなーの?」
ぴっこはご機嫌を取り戻し、パッと笑顔を上げた。
「おちゃお、よういしてるなの いしょに どかしーらの?」
そういえば、しきりに女生徒達もそんな話をしていたか…… ふ、と金田が顔を上げると――
「外へ、出てきませんか」
舞尾が、星明かりを背に手を差し伸べていた。
差し伸べられる手へ、金田が手を伸ばしても届かない、届かないけれど……
●明日に続くアート
「爺様!」
「出てきた!?」
「やはり女子効果か……」
パオの周囲には、寮生たちも待っていた。
舞尾が、持参した桔梗の花で金田の指を染める。
その指先で『窓』を作ると懐かしい人に出会えるという、懐かしい絵本に準えて。
「何が……見えますか?」
月、それから周囲。くるりと『窓』を通して見渡す金田へ、舞尾が問う。
「イタズラ小僧ばかりだの」
くくく、金田が笑いをこぼした。もちろん、題材の絵本は知っている。それを通じて、舞尾が伝えようとしていることも察したようだ。
「今日も綺麗な満月です」
千歌や紫苑がお饅頭に串団子、そして遥が甘酒を用意していた。
ポットに入ったお茶やお菓子類は、ぴっこが事前にお茶会で活動しているクラブに事情を話し、分けてもらったもの。
「気が済んだか? 穴に引きこもらなくても、不満や言いたい事が有れば周りの奴に相談か、呟くだけでも良いと思うぞ? 皆、心配しているんだからさ」
紫苑がパオへと手招きした。
「月見だったら……僕でよければいつでもお付き合いするの。声かけてくれたら……ね。一人よりは楽しいと思うの」
中に居た昴が振り返る。
窓から差し込む、月の光。
深い深い穴の中で何かの訪れを待つように見上げる、孤独とは別色の光。
(お爺様、娘さんのことで思うことがあるのかな……)
目的が、単純に『月を見ること』とは思えない。
千歌はそう思う。けれど、どう切り出せばいいのか解らなかった。
夜遅くのお茶会は、賑やかに進んだ。
金田の月の話、昴の星の話。
由真が水に映る月の美しさを説き、簡単な池でも作ってみようかと寮生の間でも動きが持ちあがった。
眠気に襲われたぴっこがグズり始めたところで、皆が慌てて時計を見る。
「そろそろ……お開きでしょうか」
由真の言葉に、紫苑がストップをかける。
「最後に、コレ」
その手には、デジタルカメラ。
「自分達も、ちょくちょく顔を出せばいいと思うけど……。まぁ、今夜の記念に」
お泊りセット準備バッチリの遥は、月が綺麗に見える空き室へ宿泊を希望。
意識が限界のぴっこと共に、金田学生寮へ一晩お世話になる事に。
他のメンバーは、紫苑が夜道を送り届けることとなった。
「写真、出来たら持ってくるよ」
「金田さんを見てると……お父さんを思い出します。……また遊びに来ても、いい……?」
舞尾の身の上を聞いた金田が相好を崩す。
「「はい、喜んでーー!!」」
「お前らは黙っとれ!」
金田の背後から飛び出さんばかりの寮生たちを、金田が一喝した。
まんまるい月のように、笑顔が広がった。
「まだまだ……お前たちの元へは行けんようだの」
人がはけ、すっかり傾いた月を見上げて金田が呟く。
静かで孤独な穴の中では、娘たちと通じる事ができる気がした。
けれど……自分は生きている。生きている子供たちに囲まれている。
苦く笑いながら、上着のポケットに手を入れ――何かが差し込まれている事に気づく。
『いつも見守っています。どうか元気な笑顔を見せて。……今宵、月より』
一筆箋に、添えられた月見草。
差出人を察し、金田はふっと微笑んだ。
それからも、金田学生寮を訪れる舞尾の姿があった。