●
夏の熱気を孕む風が、闇夜の木々の葉を揺らす。
平安の世に、愛しき人と引き裂かれた姫が散らした命を祀る『真珠院』があったとされる場所。
ガブリエルゲートの影響で当時の名残は無く、今は人気の少ない森林地帯となっている。
そこに、ポツンと2階建ての家屋が建っている。
『トワイライト』――薄明りの名を持つ、フリーランス組織の事務所だ。
複数企業が合同出資して成り立っている『DOG』のある静岡において、フリーランスという存在は皆無ではないものの珍しい。
彼らはDOGでは取り合ってくれない、或いは依頼できないような案件を引き受けるアンダーグラウンドな側面もある。
そうした中で、生み出されたモノが”真珠”。
『アウル能力を身に着ける=能力者として生まれ直す薬』と言われ、静かに広がっているのだという。
午前1時。
依頼に応じた久遠ヶ原の撃退士たち、風紀委員の野崎 緋華、DOG所属の塩見らが事務所の見える位置に集まっていた。
更にそれを取り囲むように、DOG隊員たちが周辺に潜んでいる。
組織のリーダーであり”真珠”開発者である松井銀次を捕獲次第、速やかに事務所を制圧する手はずとなっている。
「物質透過は使えるようじゃな」
近場で透過侵入を試みた緋打石(
jb5225)が、するりと地表から姿を見せる。
「この距離で透過が可能ということは、少なくとも今は阻霊符を使っていないという事じゃろう」
阻霊符の効果は、半径500m。
いつでも発動可能だから、こちらの潜入がバレればどうなるか――までは、確証出来ないが。
また、地中には酸素がないゆえ、地下通路へ入らない限り潜っては地上へ戻るの繰り返しになる。
「見えんモノも多いが、とりあえず逃走されちゃあ終いやからな。逃走経路の封じ込めは重要やろ」
周辺地図を眺めながら、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が言う。
「それと2階、か」
DOG隊員が、2階から侵入を試みて撃破されている。
(それなりの実力者が見張りに就いている可能性が高い……。コイツを自由にさせるのも厄介だろうな)
飛行能力を持つメンバーの中で、小田切ルビィ(
ja0841)は単身で2階からの侵入を名乗り出た。
「平和に、なったはずなのに……火種は、許されない……」
Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)は、静かに怒っていた。
ついに平和な世界への道筋が出来たというのに、火種を生み出す者に対して。
そして、『火種の名』に対して。『スピカ』は、別名『真珠星』。自身の名を、そのように使われるだなんて。
「人々の不安につけ込む輩は許せないな。野崎さん、俺に任せといてください!」
「ありがと、英斗くん。今回は閉所戦闘になるだろうし、頼りにしてるから」
「僕は塩見さんと裏口へ回りますね」
張り切る若杉 英斗(
ja4230)、DOGの塩見は防御に優れたディバインナイトだ、正面と裏口とに分散させた方が良いだろうと天宮 佳槻(
jb1989)が告げる。
地下通路の探索及び逃走経路封鎖は、ゼロと石が二手に分かれて。
事務所の正面玄関からの侵入は、英斗を先頭にスピカと野崎が。
裏口へからは、佳槻と塩見。
そして2階からはルビィが単独で入り込むこととなる。
「手練れ含め、六人の撃退士を生け捕りか。難儀よのう」
「松井銀次ってのはナイトウォーカーなんですよね。闇に紛れるスキルとかあるから、逃がさないようにしないと」
直前の打ち合わせを終えて、石が首を鳴らしてウォーミングアップを。英斗が、大切な確認事項を共有した。
「そんじゃ、パパッと行きますか」
闇夜にあっても明るい声音でゼロが作戦決行を促した。
●地上班
(生まれ直す? 能力覚醒とかではなくて?)
足音を潜めて会議室があるであろう位置へ回り込みながら、佳槻は思考していた。
(もっとも、今更というか今までなかった方が不思議な案件というか……)
アウルの力は望むと望まざるとに関わらず、人間の場合は『生まれつき』だ。
持たざる者が身に着けたいとするのなら、『覚醒』ではなく『生まれ直し』という表現になるのだろう。
一方的に蹂躙されるよりない天魔に対し、抗う力を持つのは人間ならばアウルに覚醒するしかない。
ただでさえ、その壁は高かったろうに『今後はアウル覚醒者が増えていくだろう』なんて言われたら、これから覚醒しようのない非覚醒者は不安にだってなる。
「うーん……駄目ですね、中の様子は伺いようがない」
塩見が佳槻へ囁いた。
事前に、会議室の様子を窓からでも確認できればと思ったが……今は、深夜だ。分厚いカーテンが掛けられ、僅かに明かりが零れるも人影を数えることはできない。
後ろ暗い会話を、大声でするわけもない。
「こちらは、野崎さんに頼めばよかったでしょうか」
己の能力不足だとばかりに塩見は言う。
今回の学園生メンバーにインフィルトレイターは居ないから、野崎にセットスキルの変更オーダーをしたなら索敵・鋭敏聴覚で、内部の会話を聞くことができたのだろう。
「仕方ありません、裏口へ行きましょう」
「……裏口、か」
当たりを付けられれば幸運くらいのものであった、意識を切り替える佳槻へ、塩見は何か思い立ったらしい。
「どうやって入りましょうか、ね」
「え」
「どうやって入るの?」
「え」
「え」
正面玄関にて。
後方に居た野崎が、ポンと訊ねた。
「……鍵、掛かってるでしょ」
一般民家の平日日中だって、鍵をかけているもの。
怪しい組織が後ろ暗い話し合いをしているというなら――言うまでもない、と。思って。居たのだけれど。
「チャイムを鳴らすか、扉ごと破壊するか――ちょっと微妙かな……。やるなら止めないけども」
真夜中の訪問者は怪しすぎる。
扉ごと破壊は、裏口と一斉突撃ならアリか。
「合図と同時に一斉突撃ですから、破壊でも大丈夫だと自分は思っていました」
「その合図のタイミングが不明瞭……よね。ゼロさん待ちでいいのかな」
「……たぶん?」
かくり、スピカが首を傾げる。
「OK、もう少し待機ね」
●地下班
(存外、簡単に入りこめたのう……)
非常灯に照らされた通路へ到着した石は、遁甲の術を使い周辺を警戒しながら地下通路を進んでゆく。
かび臭く、埃がうっすらと積もっている様子を見るに、見張りはいないようだ。
どうやら、本当に逃走用のものらしい。
(罠を設置……罠……)
通路からの逃走を防ぐために何か、と考えるも適した道具の持ち合わせがない。
(発煙手榴弾……は、一本道を逃げる者に意味はないの)
落とし穴でも掘ってやろうとも思ったが、そこは時間が足りない。
まずは事務所下まで進み、安全を確認するだけで充分か?
「生まれなおしねぇ……。まぁ、俺も予定しとる所ではあるんやけどな」
天魔双方の血を持ち、魔界からはぐれたゼロは、学園卒業後なんらかの手段で『はぐれを辞める』つもりでいる。
そういう意味では、生まれ直しになるのかもしれない。
石と別方向から地下通路へ侵入し、こちらはボディペイントで潜行効果を纏う。
(しっかし、おもろいくらいに誰もおらんな。現時点で、地下通路は使用されておらんか)
さて、石の首尾はどうだろう。
ゼロはスマートフォンを確認し……
―― 圏外 ――
ですよねーーー!!
え、地下でも会話できるような通信機とかそういうの
貸してって言えば貸してもらえたんだろうか。
『意思疎通』なら石が使えるはずだけれど、あれは情報の一方通行だ。
え。うそ。マジですか。これどうすんの?
●地上班
「圏外」
待てど暮らせど地下班から連絡がないため通話を試みた英斗が、画面を凝視した。
「うーーーん。突破音とかで良いのかな。会議室までは穏便に行ければと思ったんだけど」
ガシガシと、野崎は無造作に薄紅色の髪をかき上げる。
何しろ、この建物は『事務所』であって。2階建てであり裏口があるということは『玄関開けたら2秒で会議室』ではないことくらい、察しはつく。はず。
会議室という一つの部屋に居る状態ならば一網打尽も可能だが、そこから飛び出されて個々に動かれると面倒なことになる。
なので。
正面玄関部隊から連絡が入り、佳槻と塩見は顔を見合わせた。
「向こうは野崎さんがいますから、開錠で静かに入れますよね。こっちは……」
佳槻は、ワイヤーを活性化した。
「これでドアノブを突き破れば、音も最小限にできるかと」
●上空班
光源を持たず光纏時のオーラも消して、ルビィは闇に紛れ屋根の上に居た。
(――会議中とはいえ。余程迂闊な連中でも無い限り、見張り位は置いておくよなぁ?)
合図を待ちながら、彼は一つの窓に狙いを定めている。いつでも突撃できるように。
1階で会議。ならば必然と2階は手薄になる。
忍び込むのなら、その能力があるのなら2階からを考える者がいて自然であって、ならば対応に強者を配置するのも納得できる。
(つまり、2階自体が誘いの罠だ)
ルビィは、そう当たりを付けていた。
パァンッ
シャープな音が、地上に響く。思ったより小さな突撃音だが、それをもって合図と受け取る。
真紅の翼を広げ、ルビィは2階窓へ最接近。
拳ではめ込み式の窓を突き破ると同時に、発煙手榴弾を放り込む!
「ハアイ! 久遠ヶ原ピザのお届けに上がりました!! 何方かいらっしゃいますか――? ……な〜んて」
先手を取って、笑うつもりだった。
視覚を奪う発煙手榴弾は、人間種族であれば効きやすい。虚を突いて、一気に攻撃を―― そのつもりだった。
刹那、周囲が暗闇に閉ざされる。
(ナイトウォーカー……松井か!!)
暗闇でも視界を確保できるゴーグルを装着しているものの、手榴弾の煙幕のせいで相手の位置が特定できない。
「トワイライトへようこそ」
響く声には、愉悦が込められている。
「わかりやすいトラップだったので、まさか二度目があるとは思いませんでしたが」
「ッッ」
見えるはずなのに見えない。
見張りがいると見当をつけていた。
相手がこちらの侵入を予測している際にどんな備えをしているかは、考えていた?
ルビィが次の行動選択をする前に先手を取られる。――疾い。
凶悪な斧槍が、煙幕を切り裂いてルビィに迫る。
闇討ち。ナイトストライク。闇を歩く者の強烈な一打。
闇を見通せるか否かに関係しない、闇を味方につけた攻撃。
「へっ。間合いに入ってくれてありがとうよ!」
けれど、間合いを詰めてくれたおかげでルビィにもようやく相手が『見えた』!
攻撃を大剣で受け止め、弾き返す反動で封砲を放つ。
「素直に討たれてくれよ、可愛くねぇ」
シールドはできたものの、ルビィが負った傷も浅くはない。口にたまった血を吐き出し、反撃の感触が薄かった松井に向けてニヤリと笑みを浮かべた。
(こんなところでボスを引き当てるとは運がいいぜ)
ミッション最大の目的は、松井の生け捕りだ。
ここなら少なくとも、取り逃すことはない、ハズ。
1階のメンバーが到着するまで、ルビィ一人でどれだけ凌げるか――或いは純粋な一対一なら、このままどうにかできるかもしれない。
●正面突破
「行くよ!」
セットスキルの1つを開錠へ変更した野崎が正面入り口を開けると、英斗とスピカが入り込む。
「あそこが会議室――」
すぐに踏み込み、室内を押さえれば!!
扉を発見した英斗が戦闘態勢を取る。
「……逃がさ、ない」
後方から、スピカもまた集中力を高める。
あと一歩。その直前に、扉が開き、周囲は煙幕に包まれた。
発煙手榴弾だ。
「子供だましだが、ないよりは困るだろう?」
煙の向こう、重低音の声。
「松井の邪魔はさせん」
「おまえ……戸村か!!」
フランク戸村、松井の護衛を務めるという金髪のインフィルトレイター。
侵入者の徹底排除に余念がないという情報だが……
「……ヒデト……あいつ……逃げる……」
視界を塞がれたスピカが、聴覚に集中したところ、どうやら階段を駆け上がっているらしい。
その先に松井がいる? ――だとしたら、単独で2階から入ったルビィが危ない!
「照合する必要、ナシ……撃つ」
無機質な声と同時に、スピカはオンスロートを放った。識別無効の攻撃は、こんな時に便利である。
「2階へ急ごう!!」
煙が晴れてきた。会議室前の廊下から階段へと、戸村が負ったと思われる血痕が続いている。
英斗が先導し、戸村と松井の姿を追う。
●裏口侵入
佳槻が最低限の破壊で、鍵のかかった裏口を開ける。
「このまま直進すると階段、左手前に会議室のようですね」
そっと開けて、佳槻は建物内部を見極める。そう広い造りではない、正面突破部隊との合流も早いはずだ。
静かに侵入しようとし――会議室のドアが開き、金髪の男が飛び出してくる。と同時に、発煙手榴弾を炸裂させた!
「っ!?」
「天宮さん、失礼します!」
佳槻が足を止める、煙幕を白刃が切り裂く、塩見が佳槻の肩を引いて後方へ突き飛ばして盾を担う。
「今日は豪勢なお客さんだネ!!」
耳障りな、甲高い声。
イカレた蛍光紫カラーの髪を逆立てた男が、笑いながら刀を振り回す。阿修羅だ。煙幕に紛れ縮地を使ったか。
防御の暇もなく斬りつけられた肩を押さえながら、佳槻はゆっくりと身を起こす。
攻守の相性でいうなら、阿修羅に対し塩見が優る。
盾役を任せる間に、佳槻は治癒膏で傷を塞ぎつつ現状把握に努めた。
松井の護衛だという戸村は先程、2階へ向かった。ならば、松井は2階に居るのだろう。
他に要注意戦闘力を持つ阿修羅はこちらに。そして、彼に付き従うかのように3人の撃退士が後方に控えている。
(情報通りだな、様子が不自然だ。低レベルとは言え、自然に覚醒した『撃退士』ならそこそこ戦えるレベルだろうに)
盾や武器を手にしているものの、目には怯えがはっきりと浮かんでいる。
フリーランスの組織に、そんな『撃退士』が所属するなんて考えにくい。
(もしかしたら)
佳槻は仮説を立てる。
(薬物で急激に覚醒し、身体能力に意識がついて行けてない……或いは何らかの副作用が出ているのかも)
つまり、”真珠”使用者の可能性。
(だとしたら、松井らが3人を殺害・遺体の爆破や焼却で証拠隠滅しかねない……。阿修羅が執行役なのか?)
彼らを守るふりをして、最悪の場合には刃を返す。……ありうることだと、思う。
符を構え、佳槻は強く前方へ踏み込む。阿修羅を押さえている塩見に並んだ。
「まずはその動き、全て止めます」
因陀羅の矢――アウルで形成された稲妻が、周囲一帯に降り注ぐ。
低レベルの撃退士たちはたやすく貫かれ麻痺に陥る。
塩見との競り合いに集中していた阿修羅もまた、完全に虚を突かれた形となったようだ。
「圏内突入ーーーー!!!!」
ザッ、床からゼロが勢いよく飛び出してきた。
「物音は聞こえても、どこで何が起きてるやらサッパリって酷いと思わんか、かっちゃん!! 地下通路潜入って重要ミッションと違うんかー!」
「ゼロさん、その紫の息の根を止めてくれますか」
「やること残ってて安心したわ……」
的確に攻撃対象を示されて、ゼロは嬉々として愛用の大鎌をクルリと回転させた。
「そのまま、意識全部刈り取るで!!」
麻痺で動けない、死活さえも許さないタイミングで、アウルの雷が菊花と散る。
「地下への階段は潰してきたぞ。これで良いな、ゼロ殿」
「ありがとさん!!」
石は地下通路をくまなく確認した上で、事務所からの唯一の『入口』を破壊して遅れて到着。罠を張るより早くて楽だった。
「して……ひぃ、ふぅ……4人か」
「戸村は2階へ逃げました。正面から入った若杉さん達も、彼を追って2階へ。松井も、恐らくは」
捕えるべき『トワイライト』メンバーの数を確認する石へ、佳槻が現状を伝える。
「4対2、先行して2階から入った小田切殿の戦闘力からして不安もなかろうが…… ……この場も心配ではある、な」
全員が、最後の戦いの場であろう2階へ向かうのも不安がある。
「ちょっとすまんよ」
麻痺と重症で動けない3名へ、石が短く謝罪を前置きし。
鈍い音がいくつか連続で響く。
逃げることができないよう、手足の骨を折ったのだ。
「治るとはいえ、気持ちの良いものではないの……。しかし、無駄な死を避けるためじゃ」
「阿修羅は完全に気絶していますね。塩見さん、ここの監視をお願いできますか」
「わかりました。仮に目を覚ましても、必ず止めます」
佳槻の要望に、塩見は快く頷く。
「阿修羅もそうなんですが……この3人が殺されることのないように、守ってほしいんです」
「殺され……?」
佳槻の懸念の理由を聞くと、そういうことならと重ねて応じた。
「自分は気になることがある。会議室へ入っていて良いか」
「りょーかい、そんじゃ俺たちは2階へ向かうわ」
「もう、決着がついていて良さそうですけどね」
石は無人であろう会議室へ、ゼロと佳槻は2階へと向かって行った。
●トワイライト
松井の攻撃力は、確かに高い。
カオスレート差のある相手ならば、下手すれば一撃で葬られるのも理解できる。が。
「戦う相手は、よーく選ばねぇと、な。学校の先生に教わらなかったか」
的確に攻撃を防ぎながら、ルビィはタフな戦いを継続していた。
先手を取られ苦戦はするが、時間稼ぎはできそうだ。
「学校の先生が、大切なことを教えてくれるとも限りません。知識を得るために己の手と足を使うことが楽しい。そう思いませんか」
「それは、否定しないけどな」
戦場ジャーナリストを目指すルビィにとって『自分の足で』は理解できる。が、今の論点はそこではないことも解かる。
「……個人で『真珠』の開発なんて不可能だよな? ――アンタ等のバックには何が着いてる?」
「色々と、色々と。ひとくちには言えません。生まれながらにして持ち合わせていないものを、手に出来たならと願う方はいつの時代もいらっしゃる」
ましてや、こんなご時世です。
銀髪科学者は、闇に白衣を翻しながら笑う。
「まあ、そうだな」
(三界の微妙な力関係に亀裂を入れる事を望む奴等は少なくはねェ……。アウルを望む一般人だけが協力者ってことはないはずだ)
「松井! 逃げろ!!」
――そこへ、一筋のアウル弾がルビィを襲った。戸村だ。
「ッと!!」
アシッドショット。初手ダメージこそ小さいが、確実にルビィの装甲を腐敗させてゆく。
「逃げろと言わせて逃がすわけにはいかねえな」
窓を背に、ルビィは松井の退路を断つ。
他の部屋へ逃げ込むにも廊下を走りゆくにも、ルビィへ背を向けることになる。それはできないだろう。
「おとなしく投降しろ! もう逃げられないぞ!」
駆けつけた英斗が叫ぶ。できることなら松井狙いで行きたかったが、やはり戸村が盾となっている。
「あまり追い詰めないでください、こちらは弱いネズミなのですから噛んでしまうでしょう?」
松井の黒縁眼鏡が、星明りに反射して表情が見えない。しかし笑っていることはわかる。
松井が話す合間に、腰を落とした戸村が、専門知識を乗せたピアスジャベリンで英斗やスピカたちを穿つ。
「――ッ……フランクに……用は、ない……」
敵将さえ捕まえてしまえば、全て終わるのだ。
かといって、今の立ち位置ではそうもいかない。
オンスロートを放てば、ルビィを巻き込んでしまう。
「狙撃手が、接近戦に弱いなんて……だれが決めたの……?」
「あっ、スピカさん!」
痛みに、若干怒りを覚えたと見えるスピカが英斗の制止を振り切って進み出る。
「”破壊者”ミョルニル……!」
振りかざした武器が、アウルによって生み出された巨大な鎚を纏う。
「今なら……! くらえっ! セイクリッドインパクト!!」
スピカに続き、英斗は白銀色の輝きを放つ魔具で渾身のトドメを見舞う。
戸村ほどの撃退士であれば、これで重体まで落とせるはずだ。
「追い詰めないでと、言っているのに」
闇色に染まった逆十字架が、スピカと英斗を襲った。
英斗の盾が柳のように柔らかに揺らぐ白銀のオーラを纏い、凶悪なレート差攻撃を往なす。
「スピカちゃん!!」
他方、スピカの防御は決して固くない。ぐらりと傾いだ少女の背を、野崎が慌てて支えに回る。
「だいじょうぶ……まだ、戦える……」
その表情は、殺戮マシンという表現がふさわしく。
ゆらりと立ち上がるスピカを、野崎は止めるべきか判断に詰まる。
「ここは自分が押さえます」
すっと、英斗がその行く手を遮った。
「松井! ここでお前を止める!!」
「それは困りますねえ」
スピカを背に庇い、英斗が進む。松井は下がる。
(これで良い)
松井の意識には、英斗が先程放った一撃が残っているはずだ。近距離戦を得手とする、と。
無論、それはそうだが……
「くらえっ……!!」
白銀の円盾『飛龍』が、英斗の意思と共に松井へ襲い掛かる。
「完全に囲まれちゃあ、逃げる闇もないよな」
英斗の考えを察したルビィが、窓から離れた。
継戦からダメージが蓄積していた松井へ大きな打撃、そこへルビィが大剣を振り抜いて手加減を加えた引導を渡す。
「安心しろ、峰打ちだ。――なんて、な」
●
程なく周辺待機していたDOG部隊が詰めかけ、事務所は制圧された。
「みました野崎さん、俺の活躍ぶり!」
「みたみた。一時はどうなるかと思ったけど……やっぱり頼りになるねぇ」
ばしー、と野崎が英斗の背を叩く。
「みんなが気に掛けてくれたおかげで、建物の損傷も少ないから各種資料や”真珠”実物の解析も進めやすいよ。ありがとう」
「撃退士の道は、まだまだ続きますね」
「そういうこと。……これからも、よろしくね」
この先、学園を卒業してしまう生徒も増えてゆくだろう。
それでも、縁や絆は切れることなく続くことを、野崎は願った。
「もちろんです。また多治見でワインとか飲みたいですよねぇ」
「あーーー、いいねぇ……。今年くらい、役職とか忘れてパァーッとしてみたいね」
近い未来の話で、2人は顔を見合わせ笑いあった。
「”真珠”に関する資料はこれのようじゃな」
透過能力を使用し、会議室と2階室内を調べていた石が、発見した書類を提出する。
「処分される暇も与えない戦いぶりだったようで安心じゃが……まぁ、こういうことか」
「一般人ではなく、それまで気づかなかっただけのアウル能力者を覚醒させる……、……妥当な落としどころですね」
「黒幕を引きずりだせりゃ一大スクープになるかと思ったが、そこまで科学は進歩しちゃいない、か」
佳槻やルビィが、それらに目を通し安堵とも落胆とも取れぬ言葉を漏らす。
「ふつーの組織がこんな薬作れる資金、そら無いわなぁ」
ゼロはうまく強請って自分の財源にとかなんて考えてない、考えてなどいないったら。
(一歩違えば社会的弱者になるのは、我々撃退士や天魔じゃろうな……。アウルを持たぬ者の不安はわかる)
石は、連行を待つ3人の『撃退士』のもとへゆっくりと歩み寄る。
「手荒な真似をして済まなかったな。……『アウル』に目覚めて、どんな気分じゃ? 思うような『撃退士』になれたか?」
穏やかな口調の問いに、しかし3人は震えるばかりだ。
「後悔しない人などおらぬ。アウル覚醒者か否かなど、特徴の一つじゃ。これからも胸を張っておればよい」
今回の件は、アウルに目覚めていなかったというだけであり、いつかは気づくことだった。
それでも、『持たぬ者』『持つ者』双方の気持ちを、この3人は深く感じたことだろう。
恐怖も、傲慢さも、後悔も。全て、人が抱いて当然の感情だ。
自然なことなのじゃよ。
痛むであろう手足をさすり、石は言う。
(べリンガムも、然りじゃろうの……。哀れな境遇だと思うが、自らの不幸の克服のため世界を巻き込むのでは身勝手であり『敵』でしかなかった)
傀儡だったとはいえ『王』の座に着く者がそれをすれば、どうなるか。
だから石は彼に与えられた『今』を、こう考える。
(あやつは、敵でありながら敵に愛された。生まれ変わりではないことは、その証だと思う)
確かに、力は無いよりあった方が良い。『他者から見下され利用されたくない』という意識もあるだろう。
言葉を交わす石と『撃退士』の様子を遠くから眺め、佳槻は考えていた。
(けれど、それは自分自身が生きて掴んできたものを捨てる程価値のあるものだろうか? 力だけあっても、都合の良い道具や厄介なゴミとして扱われるだけなのに……)
自身の、幼少期を思い出す。ゴミや使い捨ての道具のように扱われていた日々。
『自分に力がなかったから』と、考えていた時期がある。
でも、今は違う。
『意思がなく、ただ与えられるのを待っていたから』、それが原因だったのではないか。
意思は、経験から生まれる。だから、歩いてきた足跡は大切なのだ。失敗も、成功も、全てが糧になるから。
(それはベリンガムも同じだろう。生まれ直した存在が、どんな成長をするかはわからなくても……わからないからこそ、目を逸らさない者が必要なはず)
能力者として生まれ直す。
今回こそ、詐欺のようなオチで済んだからよかったものの……『望む者』が居るという事実に、スピカは複雑な思いを抱いていた。
アウル能力自体、恐らく今も研究途上だろう。
アウルに発言した際、能力を制御できず暴走してしまうという話を耳にすることがある。
それに……スピカは、それに起因して心に深い深い深い傷を負った。
能力なんて、なければよかった――そこまでは、言わないけれど。
目覚めることが自然であれば、そのように。
目覚めないことが自然であれば、そのように。
強制して手に入れるものではない……そんな必要のない世界に、ようやく落ち着いたのだから。
「それでも火種が生まれるのなら……私は、消す。それだけ」
連行される松井の背へ、ゼロが言葉を投げかけた。
「お前の気持ちは分からんではない。急な世界の変化は、いろんな歪みっつーのを生むわけやしな。お前らも焦ってたんやろ? 裏の世界はチカラにものを言わせて天魔が牛耳る可能性もあるしな」
「これはこれで、ひとつの成果ではあったんだよ。無論、最終目標は本当の”真珠”だけれど……。真珠ヶ淵へ身投げするほどの悲しみはいかばかりかと、ね」
愛した人との間を裂かれ。授かった子を殺され。ようやく会いに行ったあの人は、既に別の―― その、絶望は。
『自分には、手にすることができない』その、絶望は。
「まぁ俺もはぐれ辞める予定やし、その辺を咎めるつもりはないよ。なんにしたって『チカラ』が必要な場面ってのはあるやろしな」
「…………」
それ以上の発言は許されず、松井は護送車へ詰め込まれていった。
「つーわけで、姫。俺らが暴走した時はよろしゅう頼むで。あ、でも理不尽な世界には従うつもりはないからそこんとこも覚悟しといてくれよ♪」
「は? え、はぐれを辞める、って」
唐突に呼ばれ、唐突な告白を受け、野崎は混乱する思考を整理する。
「ゼロさん、魔界へ戻るの?」
「なんでそうなるん」
「所属を、学園ではなく魔界へ戻すという事でしょ? あ、天魔ハーフだから天界もあるの、かな。どっちにしてもエネルギー供給がアッチ由来になるわけだから、そうなるんでしょ?」
「え。マジで?」
「今の能力を維持するままなら人界の食事で良いだろうけど、敵対してきた天魔レベルまで上げるなら『今』は地球じゃないにせよゲートからのエネルギーが必要なわけだし」
「ほう」
「三界協定は、あくまで『地球』との協定だから、他の並行世界ではゲートエネルギー続行なのかな……。よくわかんないけど」
そっか。学園を出ちゃうんだ。魔界か天界へ戻るなら、しばらくは会えなくなるのかな?
「ちょっと寂しいかもね」
「いやいやいや、何言うてますのん。俺が、そんな下手打つわけないやんかー」
真面目に今後を検討している野崎を、ゼロが笑い飛ばした。
「そんなん、正攻法以外にいくらでも抜け道があるやろ。俺は自分の望みを譲る予定は全く無いで」
「……風紀委員に逮捕されない程度にしてね?」
「そのための、これですやん?」
いつぞやのオイルライターを見せると、『それもそうか』と野崎は笑った。
●
夏の朝は、早い。
深夜に決行された作戦も、後始末まで終える頃にはうっすらと空が白んでいた。
トワイライト。
黄昏時。あるいは夜明け。
終末であり、黎明の頃。
一つが終わり、きっと一つが始まろうとしている。