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空き教室に、メンバーは椅子を円の形に配置して着席していた。
ほどなく、短いノックと共に筧鷹政に連れられ一人の少女が入ってくる。
「安曇春香と申します。今回は我儘を聞き入れて頂き、ありがとうございます」
黒髪に黒いセーラー服の少女は、深々とお辞儀をした。そして、空けられていた席の一つに座る。
筧は、その様子を教室の片隅でじっと見守っている。
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「春香ちゃんだっけ、お父さんの事は残念だったね」
努めて優しい声で、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が言葉を掛けた。
天魔の心を折ることがライフワークともいえる彼女にとって、渾身の演技 ちがう TPOを考えたもの。ボロが出るのも時間の問題ではあるけれど。
春香は声無く頷き、軽い握手を交わした際の違和感に、ややあって訊ねる。
「あの、失礼ですが……ユーティライネンさんは」
「ああ。俺の体は見ての通り、8割機械だ」
「はち……!?」
見てのとおりとは言うけれど、見ただけではわからない精巧な技術だ。
「昔、天魔に襲われてさ。機械化による戦闘能力は天魔と戦うためでもあるし、生きるためでもある」
「辛い思いをしたのに、戦うのですか?」
怖くなかったんだろうか。痛くなかったんだろうか。
目の前の美少女は、そんな過去を微塵も見せず、胸を張って立っている。
「俺は、1度死んだ。そこを一般人の先生たちが寄ってたかって俺を改造 ゲフンゲフン、救ってくれたおかげで今の俺がいるってわけ」
そして、それは無償ではないのだとラファルが言う。
「戦ったり、義体の運用レポートを提出すること。傷病兵たちへのボランティアをこなすことで、高価な義体のレンタル料を払えてるって訳さ」
戦わなければならない。生きるために。生きている限り。
そういうリスクを負い、選び、自分は撃退士として学園に居る。
「俺ほどじゃないにしても、みんな似たり寄ったりじゃないかな」
ラファルは自身の経歴から切り出し、戦いを望んで撃退士になった生徒ばかりではないのだと続けた。
「一部の声の大きい奴らを見て、それが総体だと思っちまうのはいつの時代もおんなじじゃないか? そんな世の中で大事な事はさ。自分にとって何が大切なのかを見極める事だよ」
それは、春香にもわかる。こくこくと頷き、話の続きを待つ。
「たとえば天魔が殺したいくらい憎いのと、実際に殺すのには雲泥の差がある」
「そう、ですね」
「春香ちゃんは、その街の奴らが憎いか?」
ザクッと切り込む言葉に、春香は顔を上げた。
「憎いとは、思いません。悲しいことと、……できるなら、伝えたいんです」
どうすれば『撃退士』を信じてもらえるのだろう?
春香が撃退士の本質を知らなければ、伝わる言葉を紡げない。
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次いで、龍崎海(
ja0565)が口を開く。
「具体的に、聞いてみたいことはある?」
「テレビでは、例えば『国と国のように世界と世界が付き合っていくようになるのではないか』って言われているんです。本当なんでしょうか?」
蹂躙され続けてきた人類が、人類の中で限られた者だけが持つアウル――その技術を磨いた『撃退士』の活躍によって、天使や悪魔と渡り合える世界に、なんて?
撃退士は、そこまで一般人と違うのか。それはもはや、違う種族ではないか?
「撃退士も『人間』だよ。多少は頑丈だけど、肉体の強さについては天魔と違って物理攻撃は通じるから、戦車や戦闘機に襲われて平気なわけがない」
「……ですよね」
「心無い言葉を浴びせられれば、傷つくし」
こくり。こくり。春香は深く頷く。
「お父さんのことは、誇っていていいと思うよ。周りがどう思った所で、人の命を救った立派な行為だったのだから」
「……はい」
最期の街へ行った時、どんなことを言われるか予想もつかない。
それでも春香は胸を張っていていいと、海は伝えた。
「それと『国と国のように』だったね」
有識者の一人の発言であろうけれど、一般人向けの説明としては納得しやすい例えなのだろう。
「天界はアテナ、冥魔界ではルシフェルが代表格だけれど、彼らは派閥の一つを率いているといえばわかりやすいだろうか。三界同盟は、あくまでアテナ派やルシフェル派との同盟なんだ。それぞれの世界全体じゃない」
「派閥……、ですか」
天界、魔界、冥界、それぞれがそれぞれに事情を抱えている。地球だって同じだ。
「今回の一件は、廃棄ゲートが原因だったというよね。その説明は、俺から現地で伝えるよ。それで良いかな」
「! ありがとうございます、お願いします」
穏やかな語り口で主観を挟まない海の言葉は、誠実であり胸へスッと入る。
街へ同行してもらえることを、春香は心強く感じた。
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(人、天使、悪魔……大きく変わろうとしている今だから、起こる混乱も不安もあるのでしょう)
替えの利かないケガを負ったラファル。俯瞰的に『世界』を語った海。
それぞれを聞きながら、ユウ(
jb5639)は自分が何を伝えるべきか考えていた。
「初めまして、春香さん。私はユウ、学園に所属しているはぐれ悪魔です」
その自己紹介に、春香は目を丸くした。ユウの姿は、どう見ても人間だ。悪魔と聞いてイメージするような特徴は全くない。
「天界や魔界から所属を外れた者も、力は人類の撃退士と大きな違いはありません」
その種族が本来必要とするエネルギー供給が断ち切られ、人界の食事では力を保つことができない。結果的に『弱体化』する。
「それでも一般人の方々との『力』には差があります。力の差による畏怖の感情が起こることもあるでしょう」
お父さんを、怖いと感じたことは有りますか?
その問いへ春香は首を横に振る。娘にとって、父はスーパーヒーローだ。
でも、誰もがそうではないのだと、ユウは丁寧に伝える。
「ただし畏怖の感情を持たれる事、持つ事は決して悪いことではなく、生きていくうえで当然の感情なんです」
春香がピンと来ていないと感じ取り、ユウは円の中心へと進み出る。
「失礼しますね」
――変化。
全身にアウルを巡らせ、悪魔本来の姿へ戻る。二本の白い角が生え、衣服が漆黒のドレスへと変化する。
眼差しは鋭いものへと変わり、先ほどまでの穏やかさから一転した。
「!!!」
ガタッ、春香が椅子から落ちそうになる。ユウはすぐに術を解いて彼女を支えに駆けつけた。
「怖がらせてしまい申し訳ありません。けれど、知って欲しいんです。力を持つ者への恐怖を持つということを。そして力を持った際、その感情を向けられてしまうことがあるということを……」
スキルに依る『変化』はアウルが見せたものであり、ユウが悪魔へ戻ったわけではない。しかし、そうやって外観が大きく変わる場合もある。
学園へ帰属している堕天使・はぐれ悪魔の中には、もっとわかりやすい容姿の者もいるだろう。
「私からも、街の皆さんへ伝えたいことがあります。当日は同行させてくださいね」
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「春香ちゃん、可愛いね。美少女プロレスに興味ないかな?」
明るく切り出したのは、桜庭愛(
jc1977)である。
「プロレス自体を、あまり観たことはないですね……」
うーんうーんと記憶を辿るも、あまりどころか一度も観たことが無いと春香は気づく。
兄弟はいないし父は仕事で留守がちだし、同年代の同性の友人と遊び、夜は家事と勉強で手いっぱい。
話題に上がるドラマやバラエティ番組は押さえているけれど。
「そっかー。私はね、私たちは『同じ』だと伝えたいの。『力を持たない人々』が撃退士を恐れ異端視している事はよくわかっているよ。
だから、私は、自分の出来る『伝え方』で撃退士を伝えていこうと思うの」
一般人と撃退士が、同じであることを伝える。
それと美少女プロレスが結びつかないので、春香は大人しく続きを待っている。
「私のしている美少女プロレスで、もっと多くの力を持たない人々に試合を観てもらって、私たちを身近な存在だって知ってほしいの。
私は、アウル女子プロレスラー……いいえ、『美少女レスラー』だから♪」
「美少女でなければ、資格はないんでしょうか?」
小首を傾げ、春香は訊ねた。
「女の子は、誰だって美少女だよ。ただのレスラーより、素敵な響きでしょう?」
なるほど。
「試合で私たちを『伝えること』が出来れば、みんなに声を伝えることができる。『あなたたちは力なき存在なんかじゃない』って」
観客たちの熱い声援が、レスラーを奮い立たせるのだ。
「それは――……『一般人は、レスラーを応援するための存在』という事でしょうか。引き立て役ですか?」
「そんなこと言ってない! 一緒に、熱い思いを共有できるの。ううーん、ここにリングが無いのが惜しいな」
あったなら、どんなことになったのだろう。
「ね。友達になろう、春香ちゃん。『力がない』と嘆くなら、私があなたたちの力になるから」
「嘆いてはいないんです。それに私が欲しいのは『力』ではありません」
一般人に対する報道は正しいのだろうか。
端的に言えば『情報』で、撃退士しか知り得ないものがあるのだろうか。
――そういう主旨の依頼であると、伝えたつもりだったのだけど。
「伝えるって、難しいですね」
春香は腕を組んで首をひねった。
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そこで休憩がてら、学園内の案内となった。
「現役が一緒に回った方が説明しやすいでしょう」
「ダヨネー。よろしく、静矢君」
鳳 静矢(
ja3856)の申し出に、筧が痛いところを突かれたとばかりに笑い、先頭を託す。
歩きながら、静矢は語り始めた。
「一般人に対する報道は正しいのか、という問いだったけれど。私は一生徒だし、そこまでは解らないな。学園生や撃退士であっても、組織中枢に関わる人物でなければそんなものだよ」
「意図的に偏った報道を流すという可能性は?」
「あるだろうねぇ。いつの時代でも同じだろう。ただ、内容は様々であっても人類の絆を壊す為とは思わないな」
それは、静矢が重ねてきた経験から言えることでもあった。
「相手を信じること――それが、未来を切り拓くために大切なことだと思うんだ」
一通り回り、校庭の木陰にあるベンチに腰掛けると静矢は先の話について触れた。
「……依頼の縁で、私は四国の天界軍を統括する天使と会談した事がある。彼は人類も同等の存在であると認め、今は双方が無駄に争う事の無い様に協力してくれている」
「それがアテナという天使ですか?」
「いや、それより前の頃だね」
同盟が前面へ打ち出される前から、きちんと動きはあった。
天界も魔界も互いに事情を抱えており、『向こう』の情勢にも関わることまで公共の電波に乗せることは無理がある。
情報に偏りがある可能性・全てを伝えられないとは、そういうことだ。
「天魔でもそういう人物も居る。だから、一番大事なのは相手を信じていく事かなと思う。……あとは、諦めない事かな」
酷い目に遭ったり忘れられない事もあると思う。裏切られる可能性だってある。
それでも、諦めず、投げ出さず。
自分が信じることで、いつか相手にも気持ちが伝わるだろう。
自分が信じないで、相手が自分を信じてくれることなどあり得ないのだから。
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「おっと、ここに居たか」
そこへ小田切ルビィ(
ja0841)が姿を見せ、案内役を交代することになった。
純血の悪魔や天使もいれば、人類あるいは天魔それぞれの混血もいるという学園生たちは、外見だけでは判断の出来ない者も多い。
「ここじゃあ天・魔・人が共存してる。依頼があれば撃退士として互いに背中を預け合って戦うが、一般人と同じく考え方は皆それぞれ違うものさ」
天魔との平和的共存を目指す者、徹底抗戦を望む者。様々だ。
「護る為に戦う者、破壊する為に戦う者……戦う理由は人それぞれ。軍隊のように意思統一されている訳でも無ェし、人を護る為のロボットでも無い。心は一般人と変わりゃしない――ソレをアンタは恐ろしいと感じるかい?」
「いいえ。撃退士を怖いと思ったことはありません。私が怖いのは……」
そこで言葉を切り、春香は目を伏せた。
うーーーん、やはり依頼目的はうまく伝わっていなかっただろうか。難しい。
●最期の街
そして、3日後。
一足先に、静矢が街を訪れていた。
久遠ヶ原学園の撃退士であると告げると、住民たちはサッと青ざめる。
「お伝えしたいことがあります。出来る限り多くの方々に集まってもらえないでしょうか」
ざわめくこと、しばらく。それから近くにある運動公園へ案内を受けた。
「同盟が成っても、天魔の個々すべてが統率できる訳ではありません。人間同士の間ですらも、考え方や行動が違ったり争いが起こる様に……ですね」
大衆を前に、通る声で静矢は語った。
「危機感を煽らない為に、良い面ばかりが取りざたされているのも原因ではあります。ですが、今後は天魔の騒動には慎重になって頂き――」
「そ、それじゃあ、今までのことはデマだったってことか!?」
「平和になるんじゃないのか!」
「騙してたのか!」
「そうは言っていません、野良天魔はコントロールの外であり――……」
「今回のディアボロは廃棄ゲートから湧き出たものだと報告を受けています。あれは不発弾みたいなものなんです」
住民が騒動を起こしかけたところへ、駆けつけた海が助け舟を出した。
「不発弾の対処は、使用した国じゃなく現地の国がしますよね」
わかりやすい例えに、人々の動きが止まった。聞いてみようかという気になる。
「廃棄ゲートも同様に考えて下さい。ゲート主が死亡したか放棄したか、その段階で管理は人類側へ委ねたことになるんです。そして処理できるのは専門家の撃退士なんです」
なるほど。
「爆発の代わりに、サーバントやディアボロが自動生成されてしまう、と」
ふむ。
「これは同盟と無関係に起こり続けることです。ですから、避難指示・避難勧告の意味をもう一度考えてください。もしも『次』が起きた時、皆さんが速やかに備えられるように」
海へ並び、ユウが続ける。
「三界同盟が締結されたと言っても今後も小競り合いは続くし、再び大戦が勃発する可能性もある。この世から争いは永遠になくならない。――それは人類の歴史を見ても明らかだろう。種が異なるなら尚更だ」
ルビィの言葉は楔となり、住民の心へ刻まれるだろう。
「安全な場所などないということ、か……」
「そのための、私たち撃退士です」
信じて下さい。
そう、静矢が結んだ。
「父が守ったこの街が、この先もどうか平和であるように……お願いします」
海とユウに支えられる形で、春香が人々へ頭を下げた。
●
「春香さん」
共に花を手向けようとしていたユウが、先を示す。
春香の父が倒れたという場所には、いくつもの花や水が供えられていた。
風が吹く。夏の手前、軽やかな優しい風。それは、これから進む道を示すように。
「俺たちも行こうか」
「……はい」
海に促され、少女は一歩、踏み出した。