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本州ではすっかり終わった桜の季節。
少し北上するだけで、こんなにも違う。恵庭渓谷は満開の桜で彩られていた。
(そういえば、昨年と一昨年は多治見で花見だったな……)
車から荷物を下ろしながら、天宮 佳槻(
jb1989)は多治見の桜を思い出した。
昨年の今頃と現在では、情勢は大きく変化している。
それでも、ひとは桜の下に集い、楽しみを共有する。不思議なものだ。
ジンギスカンの準備、休憩所の準備。メンバーは忙しく動き回る。
ブルーシートを抱えた少年堕天使・ラシャが体勢を崩したところ、陽波 透次(
ja0280)が慌てて受け止めた。
「大丈夫ですか?」
「お……おう。ありがとな、ヒナミ!」
「いいえ。お礼を言うのは僕の方です。先日は翼を貸してくださってありがとうございました」
先日あった、京都での戦いの事だ。透次は『忍法・鏡傀儡』でラシャの翼を写し取り、空中戦へ挑んだ。
「オレの翼で良ければいつでも言ってくれ。綺麗だろ?」
ラシャは得意げに笑うと、真っ白な翼を顕現する。
「はい、次も機会がありましたら」
ジンギスカンは一緒に食べようと約束を交わし、透次は調理の手伝いへと向かった。
ジンギスカン班も賑やかだ。調理の準備と器具の用意など、やることは多い。
「硬めの野菜は、隠し包丁を入れるとすぐ火が通るしタレ等も中まで染みて美味しくなりますよ」
「隠し包丁ですか」
鳳 静矢(
ja3856)の助言を受けて、御影光はマイ包丁を後ろ手に隠す。多分そうじゃない。
くすくす笑いながら、静矢は手本を見せてやる。
「そういえば、ジンギスカン用の鉄鍋ではないのですね」
静矢が顎を撫でると、レジスタンスメンバーであるナナがくふふと笑う。
「この人数だったら鉄板だなー」
「肉も焼きやすいしな」
レラは言葉を継いで、クーラーボックスから肉の塊を取り出した。
スライスされたラム肉が重なり、円柱を成している。
「まってレラ君、塊で焼くの? 解凍されてないよ?」
「焼きながら解凍するだろ。それで、1枚ずつはがしていく」
5cmくらいを一塊と示し、レラが答えた。
「解凍されたのを、一枚ずつ広げない!?」
「……『肉は野菜の上に置いて、鍋全体に配置し蒸し焼きにするのが美味しい』ってテレビで見たんですが……」
持ち込んだ肉を手に、透次も直立してしまった。
「なんじゃなんじゃ、戦争か!?」
ワクワク顔で飛び込んできたのは緋打石(
jb5225)である。
「こういう戦争なら楽しいね」
龍崎海(
ja0565)は、ジンギスカン論争も楽しむ様子。
「冬でベリアルとの休戦だけでも大きな変化だったのに、さらに三界同盟とかなるとはねぇ」
「おかげで、こうしてジンギスカンを楽しめるわけよね」
レジスタンスのリーダーであるミーナ・ヴァルマは、花椿の髪飾りに桜柄の着物姿で大いにはしゃいでいる。
ちなみに、ミーナの『せっかく平和になったんだから着物で花見をしてみたいの!』というリーダー無茶振りにより、レラとナナも和装である。
レラは濃緑の着流し、ナナは萌黄色に白い小花をあしらったもの。
「アラドメネクから了承の返事が来たことにも驚きだよ」
海が深々と頷いた。
猛将の二つ名を持つ洞爺湖ゲートの預かり主は、生粋の武闘派として学園にも知られている。
「うむ? そういえば龍仙殿の姿が見当たらぬな」
「ああ。個人でアラドメネクへ写真を送りたいから、先に撮っておくって言ってたよ」
ラシャと一緒に休憩所の用意をしていた野崎緋華が通りがかりついでに答えた。
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桜の撮影スポットを探しながら、龍仙 樹(
jb0212)はどこか戦いに挑むような心持でもあった。
猛将から、冥魔の領域内で宴をする条件として提示されたのは『桜の風景写真の提供』。
真意は図りかねるが、学園側からは写真と共に手紙類の同封も可とされていた。
「……この桜は」
一本だけ立つ、色味の濃い花を咲かせる桜の木。そこで青年は足を止めた。
美しく、力強い。この花を猛将へ届けたいと感じた。
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せっかくの着物姿なんですから。
レジスタンス組へ、休憩所の準備を終えた佳槻がカメラを片手に呼びかける。
「似合っていますよ。写真に納めませんか」
佳槻は、レジスタンスがどういった戦いをしてきたか知っている。
彼らが休息をとれるようになったことの意味を知っている。
「……写真?」
「いいじゃない、撮ってもらおうよーー!」
眉根を寄せるレラの背を、ナナがグイッと押す。
たすき掛けしていたレラは渋々と解くと、ミーナが濃紺の羽織を掛けてやる。
青い青い空に、満開の薄紅の花弁が透ける。
隠れて活動してきたレジスタンスにとって、それは晴れやかな記念写真となった。
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樹が戻ってきたところで、ジンギスカンが始まりとなる。
どんな焼き方が美味しいのか、鉄板を区切ってそれぞれに試してみようという事になった。
「それで……その、僕からの差し入れなんですが。ラシャさん、御影さん。それに皆さんにも、日頃の感謝を込めて」
ずっと機を伺っては逸し続けていた透次が、えいっと二つの木箱を差し出した。
「「黒毛和牛霜降り肉」」
ざわざわっとする周囲の中、
「美味しいのか?」
人界知らずは怖いもの知らず。ラシャが箱の一つを手にする。
「ヒナミ、これはどうやって焼けばいいんだ?」
「各種野菜を鍋に敷き詰めて、一番上をもやしにするのが良いんだそうです」
「ほむ……水分の関係でしょうか」
野菜を持ってきた御影が感心し、透次へ向き直る。
「私、ほとんどお役に立てませんでしたが……良いんですか?」
「相談の際に元気に鼓舞してくれる姿に、とても勇気付けられてました」
京都では透次と戦闘区域は違ったものの、質疑応答に走り回っていた御影である。
札幌での戦いにおいてはレジスタンスとの繋ぎを担っていたのだと、透次は後に知った。
(レジスタンスと学園の繋ぎ、大変だっただろうな……)
想像するしかできないが、容易な仕事ではなかっただろう。
せめてもの労いになれば。
「油はねが厄介ですから、私が取り分けましょう」
「すまん。ほら、リーダー。言わんこっちゃない」
樹が着物組を気遣うとレラがジト目でミーナを見遣る。
「気になさらず。せっかくの休日なんですから」
「ふふ。ありがとう、龍仙さん。私の我儘に、みんなを振り回してしまったわ」
綺麗に盛りつけられた紙皿を受け取って、ミーナは樹へペコリと頭を下げた。
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「花見か……。まぁ、こんな時だからこそ悪くはないかね」
心に、花を愛でる余裕がなくなるようではいけない。そういうことかもしれない。
賑わう鉄板付近から一歩引いて、静矢は空を仰いだ。
「や、静矢君」
「ああ、筧さん。こんなものを用意しましたが。いかがですか?」
肉多めに盛った紙皿を片手に歩み寄ってきたフリーランスへ、静矢はそっと酒瓶を見せた。
「わお。そういうの大好き」
「そこー。なんか悪い顔してるー」
「風紀委員に賄賂は効きませんか?」
静矢の言葉に、野崎は微苦笑をこぼした。
「随分と……長い事戦ってきた気もします」
二人の紙コップへ酒を注ぎながら、静矢が呟く。
「所も立場もその都度違えど、積み重ねた結果が今、色々な形で実を結ぼうとしているのでしょうね……」
「そうだなぁ」
静矢の紙コップへ注いで、筧。
刃を交えることでしか解決できないこともあった。
対話で通じる心もあった。
「それぞれが、この桜の様に明るく見事な結果を咲かせていければ……いや、そうしていかねばなりませんね」
「難しい、ね」
静矢が用意した酒は、とても澄んだ味がする。目を閉じ、舌に伝わる辛さと甘みを堪能し、野崎が言う。
「難しいってことは、不可能じゃないってことだと思う。まだまだ終わりじゃないんだ」
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ブルーシートの上にはテーブルが並べられ、佳槻が前日から作っていたという五色ぼた餅や静矢からの桜餅も目に美しい。
鉄板の番人はレラが務め、それぞれ自分のペースで食事を楽しみ始めた。
そこへ。
「花見と言えばレクリエーションじゃろ!」
やおら石が立ち上がる。
「酔ってるね、石ちゃん」
野崎が目を遣ると、缶ビールの空き缶が数本ほど石の傍らに転がっていた。
「……ビンゴですか」
ラシャがカードを配って歩き、受け取った透次が、ふむと眺める。
ノートを切って作った、手作り感満載のビンゴカードだ。
「景品を提供しても良いという者はおらぬかー!」
完全にノリと勢いだ。
「石ちゃんはー? 言い出しっぺの法則だよ」
野崎が意地悪そうに歩み寄る。
「ふむ。二日酔いの共として、これをもらおうか」
手荷物を勝手に漁り、取り出したのは『爆裂元気エリュシオンZ』。
「あたしからは、これを進呈しよう。多治見の名産品とも言われる一本……の、食玩だけど」
野崎がボディバッグから『ぼっちの匠』ミニフィギュアを取り出す。
「じゃあ、俺も……学園生に役立ちそうなものと言ったら」
筧は財布から『学食のカレー』食券を取り出した。売り切れ御免の一品、カツカレーである。
その他、あらかた揃うとゲームスタート。
のんびりと、番号が呼びあげられる。
「アラドメネクへ手紙を送りたいんだ。これでいいか、確認してもらえるかな」
合間に、海はミーナへ書き上げた文章のチェックを頼む。
「祭器なしでの手合わせ?」
「アラドメネクたちは、祭器なしの撃退士と戦ったのはずいぶん前だと思う。今の俺たちの力量を知ってもらえば、この先の交流へ繋げられるんじゃないかと思うんだ」
意見を聞き、ミーナは小さく頷く。自身も花見へ誘っただけあって前向きであるようだ。
「そうね……。同盟が結ばれている間であれば、良いのかもしれないわ」
「つぎー、6番じゃ!!」
「あ、俺だ。ビンゴだよ」
「龍崎殿が一番ノリじゃな。勝手ながら賞品には順位をつけさせてもらった。一番は……御影殿手製の『一口マフィン』じゃ!!」
「きゃあああああああ」
発表され、悲鳴を上げたのは提供者である御影だった。
「撃退士であれば乗り越えられる試練だと思います!!」
「試練のマフィンなの?」
「修行中なので……」
「筧さん、手作りの甘酒を用意してきたんですが……間に合ってましたか」
筧の手元には、静矢に振舞ってもらった酒が残っている。
「いーえ、大人は欲張りなんです。頂くよ」
紙コップを差し出す『大人』と、気づけば目線が同じ高さになったと佳槻は気づく。
「ん? 甘酒だったら天宮君とも乾杯できるんだ」
今まで、できそうでできなかった酌み交わし。紙コップで乾杯を。
「花見の最後に、集合写真を撮ろうって陽波さんが提案してくれました。疲れ果てて寝落ちないでくださいね?」
「肝に銘じます」
そこで読み上げられた番号に、佳槻は顔を上げた。ビンゴのようだ。
「おめでとう天宮殿。これからの季節に大活躍必至じゃな、『虫よけアロマ』はレラ殿からじゃ」
「これからが、私達久遠ヶ原学園生の正念場だね」
「ええ……。色々と、ありましたけど」
桜餅を頬張りながら、御影は静矢と共に桜を見上げる。
今は平和に感じるけれど、情勢は最終局面へ待ったなしだ。
「皆、無事で勝って帰って来よう。……来年の春も、またこうして花見が出来るように」
「そうですね……。京都から東北、北海道と桜前線を追うのも楽しいかもしれません」
「9番ーー ビンゴはおらぬかー」
「ふむ、私だね」
かくして、学食カレーの食券は静矢の手に渡った。
『ぼっちの匠』を手に、透次が微妙な表情をしている。
「おおお。酒の匂いもするんだな」
覗き込んだラシャが、興味深そうに眺める。霜降り肉の美味っぷりに感激して、ようやくこっちへ戻ってきたようだった。
「……意味が込められてるんでしょうか、この名前」
大勢でにぎわう中で、このチョイスとは。
「学園のクリスマスイベントでも配られたって聞いた。歴史の重みがあるんじゃないか?」
ラシャが真剣に語るものだから、透次も勢いに飲まれて納得した。
ざわめきをBGMに、樹は筆を走らせる。
アラドメネクへ宛てた手紙だ。
彼へ送りたいと感じた桜の下で、樹はもう一枚、写真を撮っていた。
天へ昇る緑龍が模様として描かれた薙刀と、魔法書を手にした、自身の立ち姿。
互いに戦場での姿しか知らないから、この姿を刻んでほしいと思った。覚えてほしいと思った。
護るために戦う樹が、こんな感情を抱くのは珍しいかもしれない。
そこで、読み上げられた番号でビンゴになったことに気づく。
ラシャ秘蔵だという金平糖は、春色の和紙に包まれていた。
「――して。自分がビンゴじゃな」
石が、残る景品へ目を遣った。
なお『爆裂元気エリュシオンZ』は御影が引き当てていた。
「良い香りじゃ。ミニバラのブーケは、ミーナ殿からじゃったな」
「ええ。札幌にも咲き始めがあったの。ドライフラワーにもできるし、長く楽しんでね」
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ゲームが終わり、あらかた食べるものも食べ終えて。
「ラシャ殿、『水切り』を知っておるか?」
石はラシャを連れて河原へ降りていた。
平たい石ころを見せてやると、少年堕天使の眼は好奇心に輝く。
「こうして、川面へ滑らせるように……」
一段、二段、三段……六つ跳んで、石が沈んだ。
「おおおおお!」
コツを教えてもらい、少年も真似をする。
なかなか上手く行かないが、十度目のチャレンジで二段を跳ねた。
「ラシャ殿ー、楽しいかー?」
「すっごく! ヒダは、楽しいかー?」
「無論じゃ!」
一人で桜を見上げていた野崎の隣へ、佳槻がそっと並ぶ。
「特製の甘酒、いかがですか?」
「あら」
野崎は紙コップを受け取る。
「いいね。心がスッキリする」
「なによりです。……」
「カラスのこと?」
「自分でも、不思議で」
こくりと頷き、佳槻は先に自身のことを語った。知りたい理由を伝えておくべきだと思った。
「ここ三年位は、一度くらいカラスを出し抜きたくてやってきた気がするんです。だから……」
「目標が、わからなくなった?」
そういうことなのかもしれない。
「アレも、腹の底は見えないからね」
カラスは王権派の情報を黙して語らず、かといって死に急ぐ姿も見せないという。
戦うことのできない体で、諦めない理由があるのだろうか。
「全てに結果が出たら……何かが変わるかもしれない」
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そして後日。
――この状況が終息した暁には、再び貴方との戦いを望んでいます。
人類と、人と共に歩む天魔が、貴方の刃を超えうるという事の証明を、いずれしたいと思っています――
大勢の撃退士が平和そうに桜の下で宴をしている大判の写真。
その他、様々な風景写真や手紙がアラドメネクの手元へ届いた。
「ふん」
(『人類と、人と共に歩む天魔が』か)
その中にアラドメネクをカウントしていないとは、上出来だ。
「良い花畑だ」
写真の幾つかをルシフェルらへ届けるよう側近へ指示し、残る幾つかと三通の手紙を、アラドメネクは自身の懐へとしまった。