●
はらり。はらり。
どこからとなく薄紅の花弁が舞う。
二〇一七年、四月。
天の覇王・ベリンガムの指示により制圧された京都の街を取り戻さんと、撃退士たちが集結していた。
久遠ヶ原学園はもとより、撃退庁・フリーランスから成る混成部隊による、一大決戦が始まろうとしている。
●
事前調査で持ち帰った極秘ルートを走りながら、天宮 佳槻(
jb1989)はほんの少しだけ、考えに意識を奪われていた。
(もし、自分が天界に属していたら……或いはザインエルに共感し、その下で戦いたいと感じたかもしれない)
誰かに打ち明けたなら、驚かれるだろうか。それとも『らしい』などと言われるだろうか。
これまでの体制へ反旗を翻したザインエルが、京都にゲートを開いてから一年。
この地は、監視という名のもとにほとんど手つかずだった。
監視していながら、出雲では何があった? 学園直近で、何があった?
何を、『監視』していたというのだ? すべてがザルではないか。好き放題に、動かれたではないか。
王権派が京都へ大軍を派遣しなかったのは結果論であり現時点でのことでしかない。先はわからない。幸運でしかない。
(考えが当たっていれば『彼がエルダーに感じているもの』と『僕が学園に――人間に――感じているもの』は同じなんじゃないだろうか……)
信じるもの。命を賭すもの。もし、それを選べるなら――
「アマミヤ? 怖い顔して、どうかしたか?」
並走していた少年堕天使・ラシャが、彼を案じて呼びかける。そこで佳槻は我に返る。
「いえ……。僕は、少し先へ行きます。ラシャさんは周りの人たちの援護をお願いします」
「オウ!」
「それから、野崎さん――」
「はいさ」
常駐していた多治見より、野崎緋華も今回の作戦へ合流していた。
風紀委員という肩書を外し、ひとりの撃退士として。長く天使カラスと縁をもってきた者として。
「情報は伝えていますが、サンダレーベンの牽制を優先してもらえますか」
「了解。今回は守勢より攻勢へ回った方が良さそうだね」
「守りは自分たちが広範囲で請け負いますから!」
そこへ若杉 英斗(
ja4230)と、それから雫(
ja1894)も歩調を合わせる。
「ストレイシオンの防御効果があれば、恐らく戦闘フィールドのほとんどを補えます。天宮さんや若杉さんの結界が加われば、守りの低い方も耐えやすくなるかと」
「なんや、呼ばれた気ィしたんやけど」
先頭を突っ切っていたゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が、わざわざ戻ってくる。
「……右腕」
あきれ顔で、矢野 胡桃(
ja2617)が一言。
「お世話になれる部分は、甘えましょう……?」
にこり。
耐久性に関しては、胡桃も強く言えない。
「立ち続け、ないと。諦めないため、に」
「……せやな」
「安心しろ、いざという時は僕が雨で終わらせてやるから」
「終わる意味が違うからなーー!!!」
スッと会話に入ってきたアスハ・A・R(
ja8432)へ、反射的に飛び上がりながらゼロは前線へ戻っていった。
「……冗談なのにな」
「真剣な冗談だったって、過去の記録にあると聞いたよ」
「ほう」
野崎の言葉へアスハは『心外だ』とばかりに、大袈裟に驚いて見せた。そんな彼もまた、先行してゆく。
(天雷……か)
メンバーたちの漫才をよそに、陽波 透次(
ja0280)は先の報告書から覚えた引っ掛かりを思い起こしていた。
天雷。
かつて、死天使サリエル・レシュが放った特大の技。あれもまた、天より放つ強大な雷撃だった。
借り物だというその剣を貸し与えたのはザインエルだろうか。
どんな思いを込めて与え、そしてカラスは振るっているのか。
きっと――彼とは、『思い』が重なる部分が多いのだろうと予想する。
けれど互いに目指す『願い』が、ぶつかる。
互いに譲れないというのなら、それも『道』だろう。
前に開けたその道を、透次は真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、進む。
やがて、前方に黒い影が見える。天使だ。恐らく、こちらの接近を知らず周辺巡回でもしていたのだろう。
そこへどこからとなく白い鳥――彼が重用している連絡伝達用サーバントだ――が群れをなして飛来し……
撃退士たちはその間に、息を潜めて配置に付く。
「残念だけど突破はさせないわ! 先手必勝!」
反転しかけた天使に、雪室 チルル(
ja0220)が真正面から呼びかける!
「悪いが……わたしにも、譲れないものがあるんだ」
金色の眼で冷ややかに見下ろしては、天使は呪歌を口ずさみ、天雷の剣を引き抜いた。
●
緊急を伝える思念と、使いのサーバントがゲート主であるリーネン・イェラネンのもとへ届く。
「……そう」
もたらされた情報は多くない。
ここはザインエルが開く予定のゲートだった。状況が変わりリーネンが展開を引き継いだが、それゆえに粗もある。
(それでも、この舞台へ招き入れたなら)
それはそれで有利ではある。ゲート内では敵対者へ強い負荷を掛けることができるから。
慢心ではない。事実であり、確信であった。
京都を護る天使たちはまだ、『多奏祭器』を知らない。
●
「何度だって奪い返してみせるさ。私はもう誓ったし、この答えに命を懸けているのだから」
大炊御門 菫(
ja0436)は、『多奏祭器』発動により全身へ力がみなぎるのを感じながら前を向く。
かつて、これより凶悪なゲートが京都に展開したことがある。
撃退士たちの力はまだまだ弱く、サーバント一体に酷く手こずる中で活路を切り開き、囚われの人々を救い出した。
長く続く戦いへ、一度は幕引きもした。
それでもまだ、奪うというのなら――
「明けぬ夜は無い……行こう」
菫と同じく長く京都へ携わってきた鳳 静矢(
ja3856)の声もまた、落ち着いたものだった。
『封都』と学園年表に刻まれた戦いから五年。
(これ以上この地に更なる悲しみを生まない為に、必ず今回で京都を解放する)
自分たちは、強くなった。
「御影先輩」
『絆』を結び足並みを揃えながら、山里赤薔薇(
jb4090)は御影光へ声を掛ける。
「絶対に死なないで」
短い言葉に、強い想いが込められている。
深い桃色の瞳が、じっと御影を見上げる。
「もちろんです。ここは『はじまりの場所』なんですから」
愛用の太刀を構え、御影は微笑で応じた。
撃退士たちが、力を尽くした戦いの始まり。
新たな力を手にしての、始まりの戦い。
赤薔薇はコクリと頷いて、戦線へと向き直る。
(もう迷わない。皆が幸福に暮らせる楽園を創るんだ)
失ってしまった大切な人。
失いたくない大切な人。
たくさんの出会いが、赤薔薇を強くしてきた。
今一度、ちからを。
(これが多奏祭器の力……すごい)
サブラヒハイナイトが放つ鬼火の矢が雨のように襲ってくるが、不知火あけび(
jc1857)にはどれも止まって見える。
幾人もの撃退士が、飛行能力で空中を駆けるように移動していた。
「真緋呂ちゃん、いくよ……!」
「こちらは任せて」
サンダレーベンが吐き出す雷球を潜り抜け、友人である蓮城 真緋呂(
jb6120)と共に2体を挟み込むように。
あけびが片腕を上空へかざし、漆黒の棒手裏剣を降らせる。
他方、真緋呂は仄かに青白く輝くゲート内に炎の華を散らした。
重々しい音を立て、大鷲が地に墜ちて動かなくなる。遠くで雷球の爆ぜる音が虚しく響いた。
「……思ったより手ごたえがない?」
「それだけ『多奏祭器』の底上げが大きいという事ね」
他方の2体を相手取り、小龍を爆発させた赤薔薇へナナシ(
jb3008)が周囲の状況を確認しながら応じる。
「ゲート内の負荷をナシにするだけでも大きな恩恵だけど……ここまでとは思わなかったわ」
攻撃力や防御力はもちろん、命中率や回避率まで爆発的に跳ね上がる。
事前に数字を説明された時にはピンとこなかったが、苦戦したという前回の報告書が信じられないほどの『軽さ』だ。
「やれやれ。貴様らの往生際の悪さは手術が必要だな。丁度いい、実験台にしてやる」
しかし、一筋縄ではいかないのがサブラヒだった。防御シールドの手ごわさは健在である。
――が。
エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は、それこそ先日の戦いで『ヒント』を目の当たりにしている。
彼らが纏うのは和式の鎧。そこに『穴』がある……!
紅い唇に冷酷な笑みを浮かぶ。
愛銃で、鎧のつなぎ目をピンポイントで狙い――アウル毒撃破を噴射する!
「鎧の内側から腐り落ちろ」
(飛ぶというのはこんな感じなのですね……)
ゲートへ突入してしばらく経つが、ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は未だに慣れない様子だった。
慣れないだけで、制御できないわけではない。
回避は決してファティナの得意分野ではないのだが、軽く体を捻るだけでほとんどの攻撃が彼女を避けるように空中へ消えてゆく。
(茜ちゃんの前配置なのが残念d……)
後衛について、周囲を警戒していたファティナはハッと思い至る。
「光さん!!」
「ふぁい!? あっ、ファティナ先輩。どうかなさいましたか」
やや前方にいた御影が、勢いよく呼ばれて声が裏返る。
「飛びましょう!」
「えっ」
「せっかく大学部の儀礼服に身を包んでいるのですから、さぁ!!」
「なにが『せっかく』なんですか!? せんぱい!!?」
「ふわっとしたスカートの方が尚よかったのですけれど」
「だっ、ダメですよ、こんなところでっっ あーーっ」
※手を引いて、一緒に上昇しただけです
「この距離は俺らの間合いなんだよね」
飛行というより、低空を滑るように駆けぬける一つの影。龍崎海(
ja0565)だ。
仲間たちが正面と上空から敵を相手取る合間を縫い、サブラヒハイナイトが列を為す、その側面へと回り込む。
(祭器の力で対処できるはず……!)
両手を伸ばし、放つはヴァルキリージャベリン。
アウルに輝く投槍は、文字通りサブラヒたちを串刺しにしてゆく。
正面からの攻撃の蓄積と相まって、槍の先端から順にサブラヒは薙ぎ倒されていった。
他方では、空飛ぶパンダ・下妻笹緒(
ja0544)が稲妻と氷雪の魔術でもってサブラヒを撃破する。
「これで、当座の敵は倒しきったか……?」
「の、ようですね」
後方から援護していたファティナも追いつき、周囲を見渡す。
ゲート内は命中や回避へ影響を与えるほどではないがほの暗く、50mも離れれば様子は解かりにくい。
が、サブラヒが纏う鎧の音やレーベンの羽ばたきは聞こえない。
まだ何処かに潜んでいるかもしれないが、突撃するならば今だろう。
「行きますか」
【水盾ノ調】術者を担う静矢がタイミングを伺う。
「どうせ空けるなら穴は大きい方が良い。一斉に砕き突入しよう」
笹緒の提案に、異を唱える者は居なかった。
魔法が効くか、物理が効くか、カオスレート差は有効か。強度は如何ほどか。
そのどれもが、試してみなければわからない。どうせ試すなら、一斉に。
「それにしても……静かなモンだな」
後方へ目を遣りながら小田切ルビィ(
ja0841)が呟く。
「カラスのやつ……、上手く足止めできてるって信じていいのかねェ」
「――茜。聞こえる?」
『はい、こちら神楽坂茜です。前線の状況はどうですか、ナナちゃん』
ナナシは光信機を使い、後方に居る神楽坂――多奏祭器の術者――へ連絡を繋いだ。
「こちらはコアの間へ突入するわ。今の調子なら大丈夫だと思うけれど、ゲート外からの奇襲に備えて入口方向には気を付けて」
『はい』
「それから――」
光信機越しに伝わる友の声が、微かに震えている。多奏祭器を御するに大きな負担が掛かっているようだ。
「全てが終わったら、どこか遊びに行きましょう。お弁当を用意して、お花見なんてどうです? ね、茜さん」
ナナシの背後から、ファティナがヒョイと顔を出して光信機へ話しかけた。
『その声はティナさん? お花見ですか……楽しそうですね』
――どうか無事でいて。
願いはすれど、今は言葉にしてはいけない気がした。
互いに無事でなければ意味がない。
全員が無事な状態で京都を解放しなければ、大切な友は心からの笑顔を浮かべることは無いだろう。
だから。
ほんの少し近い未来の、約束を。
●
「ちょっと俺達に付き合ってもらうぜ、カラス!」
理想郷に依る結界を展開し、英斗がチルルへ続くよう真正面から啖呵を切る。
「そろそろ、長く続く因縁を断ち切りたいですね」
口の中で呟く雫は、いつでも飛びかかれる用意が出来ていた。
カラスが剣を引き抜き、そのまま天へ掲げようとする。
それより、疾く。
「貴方とは戦いたくなかった。……けど、願いがぶつかるなら戦う」
これまで越えて来た、全てに恥じない為に。
先んじて、鏡傀儡を利用してラシャより光の翼を映しとっていた透次は、純白の羽を力強く空に打ち付ける。
風を蹴り、速度の限界まで駆けながら黄金の刀を振り抜いた。
「――ッ」
チルルたちの声や囲まれていたという状況把握のため、カラスには微かに隙が生じていた。そこへ、迷いのない刃が襲い掛かる。
息を呑んだのは、攻撃を仕掛けた側・受ける側、双方だった。
守りの術式が間に合わないと判断し、回避に賭けたカラスがほんの微かに優った。
透次が振るった刃は、暗色の外套を裂くに留まる。
青年の黒い眼は、しかし悔しさを宿さない。この初手にも意味があるからだ。
「ワインは持ってきとるか?」
チルル、英斗、透次。カラスにとって『正面』からのアプローチが立て続けに行なわれたタイミング。その真上。
「こっちの雷も味わってみてや!! 悪ないと思うで!」
透次とは逆方向から接近・飛翔していたゼロが、その身にまとったアウルの雷をカラスへと叩きこんだ!!
さすがにこれは、回避も防御も出来ない。
周囲に稲妻の菊花が咲き乱れる。そして、黒い塊がドサリと地に墜ちた。
(さて、お相手してもらいますよー?)
櫟 諏訪(
ja1215)は、敵勢力を挟んで向かい側にいる胡桃へ片目をつぶってサインを送る。少女は決意を固め、トリガーを引いた!
(譲れない……のは、こちらも同じだから……!)
「それじゃ……Shall we Dance?」
集中力を極限まで高めた諏訪の眼が、右腕を的確に狙う。透次が外套を切り裂いた為、それは無防備に投げ出されていた。
胡桃のダークショットとクロスするように三連射撃が同じ軌道を走る。
(……スタンが効いていますね)
ゼロの攻撃が確実な効果を上げたと判断し、雫は行動を組み替える。
最優先すべきは何か――味方のサポートか、敵への追撃か――
「このチャンス、絶対逃さないんだから!」
チルルの攻撃は、敵が空中に居たのでは本領を発揮できないものが多い。仲間が墜としてくれた今が、絶好の。
「今は声が届かないのが、残念ですけれど……」
彼女の攻撃に、雫も乗る。少女の周囲に、アウルの粉雪が舞い始める。
大剣を振り下ろすチルル。対照的に、薙ぎ払うように横へ斬りつける雫。
「……少しでも、削らせてもらう……」
少女剣士たちの斜め後方から、Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)の愛銃がダークショットで追いかける!
びくり、カラスの身体がアウル弾によって大きく跳ねた。
地面を濡らす赤黒い血が、止まることなく広がり続ける。
「――――ま、さか」
それからぐったりと動かなく、なる。スタンに依るものとは違う気がする。
スナイパーライフルを構えたまま、胡桃の胸がドキリと鳴った。嫌な予感が襲う。なぜだろう、全身から血の気が引いていく。
――戦場では本気を。
覚悟はしていた。していた、けれど。
「さあ! まだ立てるかしら!!」
勢いのまま駆け抜けたチルルが振り返り。濡羽色の髪から覗く白い顔を確認しようとしたところで……
「寝るのは構わんが……こちらの目覚まし時計は少々荒いぞ、黒いの」
周囲を、蒼い雨が覆った。
サンダレーベンは纏う光球のことごとくを潰され、自身も大きく体が傾ぐ。
サブラヒハイナイトはボロボロになりながらも辛うじて立っているが、鎧が大きく剥がれ落ち、ミイラの皮膚が露出していた。
逃げ場を失ったシノビスナイパーは、気の毒なことに何ひとつ仕事を為すことのないままに雨に溶けた。
「……あ あす、」
ゼロの声が震える。
「至上二度目だ、きちんと『味方(ゼロ)』を避けたのは。偉いだろう?」
これは術者に掛かる負担が大きいのだから。
何か言おうとするゼロへ、アスハは鼻を鳴らす。
「アスハァアアアアアアアアアwww」
そうだけどそうじゃなくて!!
ゼロ渾身のツッコミが、虚しく京の空に響いた。
アスハがトドメを刺す前に、手遅れだった可能性は高い。
けれど、もしかしたら間に合ったかもしれない。
――間に合う? 何に?
「ヴェズ、ル、フェルニル……」
胡桃が天使の名を呼ぶ。歩み寄ろうとする。その眼は何処かうつろだ。
「矢野さん、まだ危ない……!」
それを制し、英斗が前線へ出る。結界内に胡桃を入れて守りながら、残存するサンダレーベンに対して白銀に輝く聖剣を降らせる!
「ひとまず眠ってもらうよ」
アウルの輝きが、光球を破壊された大鷲に突き刺さり、そのまま眠りに落とす。落下には至らないが、傾いだ体がもう一段階、高度下げた。
「もう一押しなんだね! 落ちてもらうよ、カマァ!」
それを見て、私市 琥珀(
jb5268)が星の鎖を投じる。
キラキラとしたアウルの鎖は巨体に絡みつくも、引きずり落とすには至らない。
「抵抗力が強いようですね……」
八卦水鏡を展開しながら、佳槻は次の攻撃へと備える。
(高位サーバントともなれば、その辺りの能力値も高くなるか。カラスにも効いたかどうか)
星の鎖がもつ落下効果は、術者の能力は最終的に関与しない部分がある。相手の抵抗力次第だ。その辺り、戦いが高度になるほど確実性は下がってしまう。
それはともかく――、少なくとも。
カラスの撃破は成った、ようだ。
かといって現場のサーバントをそのままに撤退するわけにもいかない。
全てを倒した上で天使の生死を確認しなければならない。まさかとは思うが死んだふりをしているかもしれないし、自己回復能力がある以上は侮れない。
長引けば騒動を聞きつけた他のサーバントが接近して来るとも限らないし、とにかく速やかに場を収束させるべきだ。
佳槻は神経を研ぎ澄ませ、フィールド外の様子も伺う。
撃退庁とフリーランスの混成部隊に依る各方向からの同時襲撃は上手く行っているらしく、鬨の声が響いていた。
外敵が接近するようであれば気づけるように。そうでなければ、残存するサーバントを逃さないように。
より視野を広く取れる位置へと移動した佳槻が、ゆらりと動く侍に気づく。
「アスハさん、来ます!!」
「うん?」
指揮官を喪い、制御から解き放たれたサブラヒハイナイトが、人語ではない何かを叫び片手で太刀を振りかぶる。
「この程度――」
ボロボロに崩れかけた外観に反した速度に、アスハの対応が僅かながらぶれる。発動しようとしたシールドより先に刃が襲う。
(が、……この程度、か)
前回やりあった時にも感じていた。やはり、守りに突出しているだけに攻撃力は高くない。
アスハに攻撃が直撃するも、ダメージは顔を微かにゆがめる程度。
「武士道精神に反してごめんよ!」
そこへ真後ろから貫く形で野崎がダークショットを放ち、ミイラ侍は完全に崩れた。
「それは、僕を囮にしたことも含めてか?」
「含めて」
こくり。悪びれない女へ、アスハは喉の奥で笑った。
そんな会話の合間にスピカが眠れるレーベンへ撃墜の一撃を放ち、この場の戦いは終わった。
終焉は、あまりに、あっけなく。
天使が起き上がることは無かった。
どこからとなく降る桜が、いつかの吹雪のようだと誰かが呟いた。
●
ここまでは、前哨戦。
『多奏祭器』による能力底上げの威力は、同一サーバントを前回相手取ったエカテリーナがよく知るところであろう。
彼女ではなくとも、ゲート内でありながらの威力は実感しているはず。
「鬼が出るか蛇が出るか……といっても、待ち構えてるのは権天使だけれどねぇ?」
返り血に濡れる黒百合(
ja0422)が、小さな唇を舐めた。
淡い光を発する蒼水晶。不揃いな高さの六角柱が群れを為して地を覆っている。その下に、敵将が待ち構えているという。
この騒動を知らぬわけがないし、突破したなら即座に攻撃が待っているだろう。
「行きましょう!! 善は急げ! です!」
「――せぇ、の!」
静矢へ絆を結んでいる袋井 雅人(
jb1469)が連想撃を、続くように水無瀬 文歌(
jb7507)が歌声で攻撃を。
「ここは、目いっぱい力を乗せるだけよね」
ナナシが、物騒な光を纏うピコピコハンマーを振り下ろす。
――ポキュッ☆
可愛らしい音の直後、ド派手に結晶群が崩れ落ちる。
一か所に空け過ぎたか――しかしそれは杞憂だった。
「ありがとう、追掛けていくわぁ」
ナナシの動きを見ていた黒百合が、すかさず穴を広げるように雷光砲を走らせる。疑似電流によってヒビが入った結晶は、一瞬の後に盛大に砕け散った。
余剰アウルを放出した少女は白く変化した髪を後ろへ流し、次の行動へ。
「これだけ空ければ……」
「皆さん、行けますよね!!」
赤薔薇が振るう鎌と御影の太刀が、決定的な最後を打ち込んだ。
「それでは――」
『多奏祭器』が持つ、特殊スキルの一つ【水盾ノ調】。
発動に三名を擁し、指定の一名が『戦器・氷宿フロスヒルデ』の力を引き出せるという。
蒼水晶を砕き、その先にあるゲートの間へ突入の際が一番危険なタイミングだと相談しあった結果、盾の発動はこのタイミングだと決まった。
術者である静矢を中心に、雅人・文歌が続く。
予想通り、おびただしい数の矢が繰り出されてくる。
コアの間には、ハイナイトより一段階上位のミイラ将軍が控えているという事だったが……一度に三本の矢を繰り出してくる。そのため、実際の数より多く感じるのだ。
「まともに喰らえば火傷では済まないだろうな……。水盾の見せ所、か」
「天魔さん達と共に生きる未来を信じてっ。守ります、絶対に!!」
文歌が思いのたけを叫び、鼓舞する。
今まで、多くの戦いがあった。『多奏祭器』は、その中で得てきたものが結集して生み出されたものだ。
祭器その物の力。引き出されるスキルの力。その全てが、過去から現在へ、そして未来へ継がれてゆくものだ。
「出来る限り攻撃を引き付けるわ。今のうちに、奥へ進んでね」
真緋呂は水盾の効果範囲を活用しながら、最前線へ出ることで囮を担う。
(こうやって、大勢で……知らない人もいて)
それでも『守ろう』と真緋呂の意識が働くようになったのは、これまでの出会いのおかげ。
複雑な思いを抱えて学園へやってきた少女は、様々な出会いと経験を経て、幾つの階段をのぼっただろう。
帰ろうと思える場所。大切にしたいと思う人。
そんな存在が、真緋呂の今を支える。そんな思いが、真緋呂が誰かを支えようと決断する原動力になる。
「すまないが、しばらく頼む」
真緋呂を強襲する火矢を、菫のアウルが――霞が、柔らかく受け止める。『朧月霞桜』だ。
少しでも、真緋呂の負担を軽くするために。
護りに長ける菫は、前進する一方で周囲の補佐も担う。スッと横へ並んだ黒い童女の陰に気づくと、そちらにもアウルの霞で守りを。
「手が届く範囲は護る、その刃を大切にするんだ」
「ピコハンだけどね。ありがとう」
菫を追い抜き際に、ナナシが微笑を返す。
上位天使戦において、カオスレート差は最大の武器にして弱点になりうる。空蝉の術とて無限ではない。
菫によって初撃を免れたナナシは、そこから更に空を蹴ってコアの間の奥へと進んだ。
●
「女王様を守るのが仕事じゃないのかい?」
いいのかい、そんなに前へ出て。
リーネンが目視できる位置へ到達しながら、ルビィは大剣をサーベイジショウグンへ向ける。
右頬の横の位置で、両手を交差して剣の柄を握る。刺突の構えに見せ――
「“Ochs(オクス)”――雄牛の角の一撃、ってな?」
混沌の片鱗を乗せた最大威力の刃は、和式鎧の『繋ぎ目』を狙う。
首と胴の隙間。ほんの少しの余白へ的確に剣先を滑らせ、そのまま水平に。
一撃のもとに刎ね飛ばされた首は、兜ごと遥か遠方へ消えて行った。
「――っと!!?」
その直後、将軍の背後から鈍器が襲い掛かってきた。
「……どういうことですの」
黄金の髪をゆらし、その合間から覗く蒼い瞳は怒りに燃えている。
権天使、リーネン・イェラネン。『喜び歌う』を名に持つ女は楽器であるはずの三味線を逆に持ち、殺気を立ち昇らせていた。
「女王様が直々に最前線へ来るたぁ……」
ブン殴られ数メートル吹き飛ばされたルビィが目を見開く。
サーバントを盾にしてギリギリまで守りを固めるかと思いきや、そうでもないらしい。
「リーネンさん、お覚悟!! 今日、ここで京都を返してもらう!」
そこへ一気に間合いを詰めたあけびが、友から贈られた軍刀を抜き放ち二連撃を繰り出した。
手足へに集中させたアウルが紫の花弁となって咲き、舞うような美しい軌跡を描く。
「甘いですわ」
「……ッッ!!」
リーネンを将軍が庇うことは予測済みで、あけびの狙いはそこであった。
しかし。想像以上に将軍の守りは固い。刃が通らない。
「お前がザインエルの代理であろうと、此処にいるのがザインエルであろうと、私たちは倒し京都を奪還する」
菫が更に畳みかける。敵へ休む間を与えない。信を紡ぎ束ねた篝焔の旗をなびかせ、煌めく炎の刃を向けた。
「――できるものか!!」
攻撃全てを薙ぎ払うかのように、リーネンが仕込み刀を抜いた。
あけびは渾身の回避で逃れ、菫は朏でもって刃を上方へ弾き返す。
「アテナさんは旧体制に戻すつもりじゃない! 彼女なら、新しい光を貴方達天使にも見せてくれますっ」
まるで投降を促すような文歌の言葉が飛び込むと、権天使は酷薄な笑みを浮かべた。
「何も知らない、お姫様の何を信じろというのかしら。あなたたちは、お花畑のような言葉を信じたの?」
ふわふわと甘く夢のような根の浅い、そんな言葉を。
「私はアテナさんと話しました。天界を憂い、未来を真剣に考えていらっしゃいます。『正統な証』を持つ彼女が、王の座に就いたなら……」
「ならば知っていますでしょう? 『新しい傀儡』が生まれるだけですわ」
何も知らない、無垢な姫君。
あらゆる言葉で態度で言いくるめるのは易いだろう。
彼女の意思を尊重すると言って、末端で少しばかり調整するのは易いだろう。
忠臣が傍にいる? それがどうした。前王ゼウスも同じではなかったのか。
そもそもだ。
前王ゼウスは、ベリンガムに『王の証』がないと知った上で後継者に決めたのではないか。
『王の証』を持つアテナが生まれても、変えなかったではないか。
ゼウスの本意を、エルダーの誰も知らないのか? 誰も尊重しようとはしないのか。
死んでしまったら、忠誠は無くなるというのか。
『そんな者たち』を、信じろというのか?
時として、愚かな集団は優れた個を殺してしまう。殺してしまうだけの『力』がある。
愚かさとは罪であり、それでいて一つの『力』だ。
「馬鹿げたことを」
生の短い『ニンゲン』ならば、その醜さを知らないのかもしれない。だからこそ天使の糧にされる。弱者はいずれ淘汰される。
人界に生きるものが、自分たちが知る情報だけで善悪を判断し叫ぶのはたやすい。
しかしリーネンたちにとっては『自分の世界のこと』である。一方的な情報によって決めつけられては哀れみの感情しか出てこない。
ひととは、なんと愚かな。
「私はっ、王権派の方々ともお友達に――」
「危ない、文歌! それ以上は駄目だっ」
二太刀。
言い募る文歌を、リーネンの刃を襲う――咄嗟に、菫が朧月霞桜でもって守り切る。
「反吐が出ますわ。それ以上、餌が吠えるのは止めて頂戴」
相容れない。絶対的な価値観の壁。
捕食する者と、される者。リーネンにとって、天使と人間はそれ以上でも以下でもない。
「天界の情勢は天界が片付けます。資源であるこの世界を無理に壊したくありませんけれど、此処も数ある世界のひとつ」
アテナが身を寄せたのは、不幸の一つでありましょう。そう続けて。
「『正統な証』をもっているから王になるとは限らない、ただの『鍵』として使うことも可能でしてよ」
「……ッッ」
友を愚弄され、文歌の眼に涙が浮かぶ。
「弱きものは強きものの下へ。認められるべき能力は有益に。その世界の、何が悪いのかしら。
才がありながら理不尽な判断で切られる者の悲哀……それくらいは、『餌』でも想像つくのではなくて? この程度も考えられませんの、可哀想」
エルダー……古参の天使が取り巻きであるアテナには『旧体制からの脱却』など無理だ。
「此処は、わたくしがザインエル様より託された土地。明け渡すわけには参りません」
近接戦の手を止めることなくリーネンは歌うかのように言葉を紡ぐ。
語気は穏やかで、しかし言葉は辛辣だ。振り回す三味線は凶悪で、抜刀術と絡めロクに撃退士を近づけさせない。
遠距離攻撃を繰り出せば将軍が盾となる。
鬼気迫る攻防はしばし続く。
恐らく、ヴェズルフェルニル――カラスは死んだ。
完全に途絶えた情報ラインから、リーネンはそう確信している。
なぜ、ゲート内でこんなにも敵勢力が力を持っているのか……それが実力なのか別の物なのか、今のリーネンに知る術はない。
しかし戦うよりない。リーネン自身が、文字通り最後の砦だ。
(使えない……)
新参だった天使へ、胸中で悪態をつく。
王権派と呼ばれる天使たちは基本的にベリンガムの思想へ共感を抱いている。
リーネンのように、ザインエル個人を慕う者は少ない。少なかった中のひとり――レギュリアは結局、二重スパイだった。
次に会うことがあれば千回くらい切り刻んでやりたい。
その中で、久しぶりに見込みがあると思えばこれだ。
(何故)
理不尽だ。
(何故)
あの方は、手足をもがれ続ける。
人界で、何度、苦汁を嘗めさせられる。
使徒を喪ったと聞いたから、似たような使徒を贈ったところ、微妙な顔をされたことは覚えている。
(何故)
むかしのことばかりおもいだすのか――
●
盾の発動を行った後、雅人はサーベイジショウグンの陣形を迂回して、最後方に居るフゲキメイデンを狙いに向かっていた。
(味方の魔法耐性を上げられたままでは、まともに戦えませんしね)
サーベイジショウグンには、どう考えても魔法が有効だ。それを補うための巫女なのだろうけれど。
「鳳君! 信じていますよ!!」
静矢が盾の術者であれば安心だ。そう思う一方で、無茶しすぎないようにとも思う。
遠方からの攻撃を空蝉一度で回避して、ナナシは一方のフゲキメイデンを魔導銃の射程に入れる。
「ザインエルの翼も落とした曰く付きよ。堪能して頂戴ね」
穏やかな物言いとは裏腹な、闇遁・闇影陣を乗せたこっ酷い一撃でもってミイラ巫女を吹き飛ばす。
「……向こうは」
自身の射程へ持ち込んだ雅人が攻撃を仕掛けていた。盾発動のプレッシャーを見せることなく、生き生きと立ち回っている。
そこへ、分身を発動した黒百合が加わり撃破。
「大丈夫ね」
ひとつ頷き、童女は反転した。
確実に駒を潰し、チェックメイトへ追い詰める。
フゲキメイデンの撃破を為した者たちが敵将の方向へ戻る他方で、エカテリーナだけがコアの間の奥へ奥へと向かって行った。
●
「もろとも焼けてしまえばいい」
フゲキメイデンに依る魔法耐性効果が消えるのを確認した赤薔薇が、アンタレスを敵陣へ放つ。
反射的にリーネンを守ろうとするサーベイジショウグンたちは、勝手に巻き込まれてくれる。
魔法が通る――それを確信した笹緒は、『最後』に向けて動き始める。
近接戦を展開する味方の後方から単発魔法を放った後に、瞬間移動で逆方向へ回り。
「『舞台は整った』……!!!」
その声に、リーネンの眼が一瞬だけ後方へ向けられる。
ジャイアントパンダの周囲に……塔頭寺院が出没している?
此処は京都だ、簡素枯淡の美とは言ったもので、なるほど違和感は
いやいやいやいやいやいや。
魔道だ。
気づき、リーネンが防御姿勢をとる。
たちまちのうちに、塔頭寺院の周囲へ池や木々の幻影が現れ……白銀の波動が真っ直ぐに、リーネンに向けて破壊という名の道を付ける。
リーネンは真っ先に菫を三味線で吹き飛ばし、次いでサイドへ逃れる。
対象を喪ったアウルはそのままゲート内の彼方へ消えゆく。
「小癪な……」
憎々しげにリーネンが呟く。その時、既に上空では『舞台が整っていた』。
「力づくは本意じゃないの。それでも、この世界を護る為に避けられないのなら……覚悟を決めるわ」
女権天使が天界を思うように。
自分もまた、自分が暮らすこの世界を護る。
どうしても、相容れないのならば――それも、選択のひとつ。こころを、定める。
真緋呂は真っ直ぐな眼差しで、リーネンを見下ろした。
正面。上空。『空間』を活かして、十字に繋いだ五名の連結。
蓮城 真緋呂。
不知火あけび。
小田切ルビィ。
ファティナ・V・アイゼンブルク。
龍崎海。
それぞれが身に着けた腕輪――『多奏祭器』星群の腕輪――が共鳴する。
「今度こそ京都は取り戻す。――でなけりゃ、鬼島のダンナに哂われちまうんだよ……!」
ルビィの叫びと共に、聖槍アドヴェンティを模したエネルギー体が五名の手元に生まれ、一斉にリーネンへ撃ちこまれた……!!!
●
感情の置き場がわからない。
膝を天使の血に濡らしながら、胡桃は声を上げることが出来ず、呆けた表情でただただ双眸から涙を流していた。
冷たい手。冷たい頬。破れた外套や衣服の隙間から、今はもう新しく血が流れ出ることすらない。
「……胡桃」
『家族』の佳槻が、少女の肩に手を置く。
加減などできない状況だった。
今まで、僅かな隙を突かれどれだけ煮え湯を飲まされてきた相手か。
向こうも常に、全力だったという事だ。生き延びるために必死だったという事だ。
仮に今回は多少の油断があったとしても、直ぐに切り替えて全力で立ち向かってきたはずだ。そして、それを許したなら撃退士側の勝機は非常に低くなっていた。
「……あ……」
どうすればいいのか。戸惑うラシャが思わず声を発し、佳槻は視線を上げた。
(ラシャさんは故郷を『思い出の始まりの地』と言ったけど……)
いつかの会話を思い出す。
だとすれば。
佳槻にとっての故郷とは土地ではない。
それまでどうでも良いと感じ生きてきた中で、初めて、自分の迷いと考えを示さなかった事を悔やんだ『カラスとの戦い』そのものだ。
生きている、と実感したのも、また。
自分に関わることでさえ、どこか遠くに感じていた。己に感情があるのかどうかもよくわからなかった。
曖昧な自分の中に、僅かに風が起きたのは――
(これで、終わり……なのか)
カラスにだって、命はある。尽きることはあるだろう。当たり前のことだ。
ぶつかるしかなかった。避けることはできなかった。
互いの言い分を理解しあった上でのことだ。
悲しみはある。透次は無言のまま、天使の手から離れた『天雷の剣』に触れた。貸主が術でも施しているのか、恐らく認めた者にしか扱えないのだろう。アウルが通る感覚はない。
「認められたんですよね……確かに」
王権派。エルダー派。そんな言葉が生まれる前と、生まれた後に。
富士に端を発した悲しい戦いから、ここまでを繋いできた二者は確かに気持ちを同じにしていたのだろうと透次は考える。
(ザインエルは――……どうするのだろう)
京都で。富士で。そして今また、京都で。彼の為にと多くの命が落されて。
(もし、次に……)
ザインエルと直接対決をすることが、あったなら。その時、透次はなんと言葉を掛けるべきか。
「……貴方の言う、譲れない物とは何だったのですか?」
沈黙しか返らないと知っていて、雫は問うた。
彼は人類を、撃退士を、その力を認めていた。
『上』に対して不信感を抱く様子さえあったようだ。それでも、最期まで天界側に付いた。
そこまでする何かとは、なんなのだろう。
人間の雫にはわからないのだろうか。それとも、雫が記憶を欠落しているゆえにわからないのだろうか。
(て、敵を倒したのよね??)
(ここは、諸手をあげて喜ぶところじゃないのかな???)
通夜のような空気に、チルルと琥珀は戸惑う。
ひとまず周囲は安全のようだし、ゲート班の成功を待つばかりではある、のだけれど。
「今は少しだけ、このままで……ですねー?」
諏訪が小声で二人へ呼びかけた。
「よくわからないけど……悲しんでいる人がいるなら、そうよね。そっとしておかないとね」
「うーん、ゲート班からの報告を待ちながら周りの警戒をしておこうかっ」
「そうね、それがいいわ。ついでに暴れ足りない分を発散して来るわ!」
チルルは琥珀へ頷きを返すと、連れ立ってその場を離れた。
ゲートが解放されたなら、あとは残るサーバントを殲滅しなければ囚われの住民たちが危険なのだから!
つま先で土を蹴り飛ばし、それからゼロはカラスを見下ろした。
「相容れんまま、これで終いとは思いたないけど……終わったもんは、しゃあないわな」
突き放すような口調に、胡桃の肩がビクリと跳ねる。気づいていながら、ゼロは言葉を続ける。
「なあ、カラス。聞こえとるか。……お前の風は俺がもらってもええか? 『あの剣』ごとな」
多治見に置いた『風の剣』。カラスだけが扱える魔法剣。撃退士への、信の証。
――その能力を喰らい、己の物とする。
「ええやろ、姫?」
「それは――……」
話を振られ、野崎が言いよどむ。持ち主が居なくなれば、あれは多治見に無用となるか? ――どうだろう。
――あれはわたしのものだ。あの土地へ預けただけであって、誰であろうと譲るわけにはいかないな
「は!!!?」
急に頭へ声が響き、ゼロは30cmほど飛び上がった。
なんだ、幻聴か!!?
「……死ぬかと思った」
「死んだかと思っていたぞ」
こふっと血を吐き出してから今度は肉声で呟いた天使へ、遠巻きにしていたアスハが冷ややかな眼差しを向けた。
「死んでへんのかい!!!」
「『天使』としては死んだようなものだ。ありがとう」
顔を微かに動かし、天使は皮肉を言う。
「お陰様で右腕は完全につぶれた。魔力を流せない。攻撃を腕へ集めてくれたおかげで、急所は免れたようなものだけど……雨がねぇ」
「あれは凶悪やからな」
体験常連のゼロは同意を示しつつ。
「気づかれないよう途中で呪歌で血を止めて、今はどうにか」
「回復しとったんかい、この状況で……」
「ところで」
唖然としているゼロに、天使が極上の笑顔を作る。
「てっきり君は『新しい風』を作るのだと思っていたよ。わたしの中古品が欲しいのかい? あげないけど。絶対」
「半分死んどったクセに口だけは不死身やな……!!!!」
「〜〜〜〜〜〜っ」
こらえきれず、ついぞ胡桃は声を出して泣いた。傷だらけの天使の身体にしがみつく。
「深い、思い入れはないけど……おかーさんを、泣かせるの……ゆるさない」
その様子を見たスピカが、無機質な目のままスナイパーライフルを構えた。
「!!? ちょっ、物騒なモノしまおか!?」
「おかー……? 胡桃、様子が変わったと思っていたら……いつの間に大きな子を……」
「うわぁあああああばかぁああああああああ!!!!!!」
ゼロがスピカに向き直る、カラスは傷口に染みる涙に顔をしかめながらも真顔で問う、そんな状況に胡桃の感情は暴発した。
「……回復スキルに余裕があってなによりです」
一連の騒動を見届けた雫が、淡々と治療活動を始める。
「最悪だ」
こんな甘ったるい結果になるなんぞ。
蒼髪をガシガシとかきむしり、アスハは深い落胆の息を吐き出した。
●
笹緒による陽動。【聖槍ノ調】術者たちに依る無駄のない陣形からの一斉射撃。
リーネン・イェラネンは、そうして確かに討ち果たされたが――決定打は、それだけではなかった。
「他に誰も狙い手がいないとはな」
強固な護りを施された、ゲートコア。
それを攻撃し続け、障壁を砕き、コア自身へとダメージを与えていたエカテリーナが銃を下ろして髪を後ろへ流した。
コアのダメージは、術者へ反映される。
コアを破壊してもリーネンは戦い続けるだろうけれど、コアへの攻撃自体は有効な手の一つであった。
予想外の攻撃を察知したリーネンはわずかに守りの動きが遅れ、回避もままならず、全ての攻撃を受けるに至った。
術者たちはリーネン撃破と同時に、スキルの反動で倒れるも水盾の恩恵により事なきを得る。
手を取り合って立ち上がる頃には――ゲートは解放され、結界は消え去っていた。
●
「ああ……。春ですね。年々歳々、花相似たり」
多奏祭器を手に、神楽坂茜は真っ青な春の空に舞う桜を見上げる。
京都。
いくつもの戦いがあった。喪った仲間がいた。忘れることは無い。
それでも、こうして季節は巡り花が咲く。
暁を迎えた人々は目を覚まし、日常を取り戻す。
(見えていますか、鬼島さん)
夏の京都奪還戦で命を落とした、大切な戦友を思う。
生徒会副会長であり、かつての生徒会長であった鬼島武。神楽坂にとってかけがえのない『先輩』でもあった。
彼が救った命は、確かに生きている。彼の心は、確かに受け継がれている。
「鬼島のダンナ、笑ってくれるかねぇ」
「そう思います」
歩み寄るルビィへ、神楽坂が振り返る。
「お疲れ様、茜。すごい効果ね、多奏祭器」
「ナナちゃんもお疲れ様です。お役に立てて良かった」
「……茜」
じ、と友人を見つめて。ナナシは言葉を紡ぐ。
「あの春から、もう三年が経とうとしてるの。私の気持ちは……誓いは、変わらないわ」
貴方の夢を私も一緒に叶えたい。いつか天魔と人とが当たり前のように手を取り合える世界を。
今は未だ、道の半ば。
それでもきっと、あの頃から進んでいるはず。
「無事で良かった」
全てが終わり、赤薔薇が御影へぎゅううと抱きつく。命の儚さ、強さを知ればこそ、その感触が赤薔薇には尊く感じられる。
「山里さんも無事でよかったです。一緒に戦ってくれて、ありがとうございました」
抱きしめ返し、御影が笑う。
(京都……)
離れてしまった、あの人も何処かに居るだろうか。そんなことを、頭の片隅でちらりと思う。
『いつか』の約束が、きっと果たされることを願う。
「このまま、ゆったりと京の花見を楽しみたいところだけどねぇ」
「人々を守るのが撃退士の仕事ですからね! 行きましょう、鳳君!!」
「うむ」
静矢や雅人の他にも、余力のあるメンバーは残党退治へと向かって行った。
(私は。アテナさんを信じてる)
権天使には権天使の理屈があるだろう。そうだとしても。
文歌は、アテナと対話した時に感じたものを信じる。共に歌った、あの時間を信じる。
「新しい光……。私たちが信じなくちゃ、誰が叶えるの?」
千年先に、自分たちは生きていなくても。その礎を築くことはできる。
それを信じ、少女は進む。
●
かくして、『京都奪還』と『多奏祭器の実践登用』の双方が成った。
人界における王権派の大規模ゲートを潰した功績は非常に大きい。
今回の報告を受け、多奏祭器についても微調整を施すこともできるだろう。
権天使リーネン・イェラネンは、その死亡を確認された。
天使カラスについては幸か不幸か一命をとりとめたものの再起不能だという。ベリンガムとの決戦が終わるまで、学園にて拘束するのが妥当と判断された。
京の空に喜びの凱歌が響く。
この勝利は『次』へ向けた何よりもの朗報となるだろう。
決戦の日は、近い。