●
雅な三味線の音が遠く響く。眠りに包まれた街、京都。
一筋の雷が、静寂を打ち破る。
崩れ落ちる瓦礫、舞う土煙。
その向こう上空には黒衣の天使と雷の大鷲、地表には大鎧を纏うミイラ武者。
撃退士を待ち受け、その撤退を阻むものたち。
「ふふ……侍が居るのに戦わずに帰るのは、味気ないと思っていたところだよ」
撃退士部隊の片隅で密やかに、剣鬼・無幻を発動する鬼塚 刀夜(
jc2355)は好戦的な笑みを浮かべる。
上空の敵による範囲攻撃を警戒しつつ、地上の侍を討とう。
物理攻撃に対して非常に屈強であるという事前情報はあるものの、ならばこの刀がどこまで通じるか試してみよう。
(ま、主任務は情報を持ち帰る事だから本気の死合いは別の機会にだね)
血が騒ぐのを適度に制御しつつ、刀夜は切り込むタイミングを伺った。
(飛行している個体は二つ……こちらの動向は把握されていると考えた方が良いな)
エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)はブロンドの髪を背へ流しながら、索敵で自身の視界を確保しながら戦域全体を考える。
こちらの視界は瓦礫が邪魔をして通りが悪い。が、こういった行動も向こうからは筒抜けという前提で動かなければ痛い目を見るだろう。
(まずは、その『目』を潰す)
狙うは、光球をまとう雷の大鷲。サンダレーベン。デカい的だ、撃ち損じはないはず。
「ここはタイミングを合わせて、連携波状攻撃でいきましょー?」
彼女の後方より、櫟 諏訪(
ja1215)がサインを送ってきた。
「次にお前が動く時、俺の銃弾はその首を貫いているだろう……死の咆哮さえ与えてやるかよ!」
叫び、敵の意識を引き付ける矢野 古代(
jb1679)もまた、諏訪へ同意のサインを出している。
プロフェッショナルの射手が三名。これで落としきれなければ――それほどに、敵は厄介という事。
エカテリーナはクイと顎を上げ、承諾を示した。
途中で落としきったなら、残りの者が次の行動へ移ればいい。
(まさか、カラスとここで……このゲート内で出会うとは思わなかったですよー?)
左腕を動かそうとしない天使を視界の端に納め、諏訪は過去の戦いを思い起こす。
その左手を奪う作戦に諏訪は一枚噛んでいた。その後に対話する場面もあった。
当時、諏訪が訊ねたのはカラスにとって大切なもの。戦う理由。
明確な答えは引き出せなかったが『彼が王権派天使として、此処にいる』ことが、あの時の答えのように思えた。
何を信じるか、何の為に戦うか。
撃退士の力を心を認めた上で、彼はこの答えを出したのか。
真紅の翼を広げ、小田切ルビィ(
ja0841)は富士で死闘を繰り広げたイスカリオテ・ヨッドの言葉を思い返していた。
彼の最期の叫びは、この手で命を奪った事実と共に生涯忘れる事はない。
(……カラスは散っていった同胞の叫びを、想いを一身に背負って今迄生き延びて来たのか)
過去の報告書には目を通しているが、カラスと対峙するのは初めてだ。
ニアミスはあった。昨年の夏、岐阜ゲートでの権天使ウル討伐戦。その時、ルビィはウル討伐を選び頑強なサーバントを相手取っていた。
(だとしたら、今度こそ不退転の決意で王権派に与しているのだろう)
岐阜でのカラスは、たしかに己の武器を撃退士へ預け、力を振るうことなくその場を去ったと聞いている。
その後、天界へ戻った彼に何か心境の変化があったとして――それは安いものではないだろうとルビィは推し量った。
「お二人には、最優先で情報を持ち帰ってほしいんです」
天宮 佳槻(
jb1989)に呼びかけられ、御影光とラシャが振り返る。
「例え一人でも情報を持ち帰れば、最低線は確保出来ます。僕が支援します」
「……わかりました」
「それジャ、アマミヤのコトはオレが守るナ!!」
御影は神妙に頷き、ラシャはどこか嬉しそうだ。個人としての戦闘力に関していえば御影は決して弱くなく、ラシャは支援能力に長ける。
であれば、佳槻の援護で御影が守りに徹し、ラシャが佳槻のフォローをすることで撤退を進めるのが得策であろう。
「急いて初手から飛び出せば狙い撃ちにされますから……」
佳槻が、二者へ撤退経路に関して伝える。
(ザインエルとカラス、か……。結界外には出ない・その一方で調査情報の持ち出しを阻止する任へ、新参を送り込むか?)
密やかに行動へ移しながら、佳槻は思考を続けていた。
カラス自身は、ザインエルへ思うことがあっただろう。しかし、ザインエルにしてみれば『新参の寝返り』でしかないのでは?
そんな天使――場合によってはどう転ぶかわからない――へ、ゲートと結界・外界を結ぶ前線を任せる?
京都の指揮をザインエル本人が執っているわけではないかもしれないけれど。
王権派に人手が足りないのか、納得させるだけカラスの弁が立ったのか。
天界でも王権派とエルダー派の小競り合いはあるようだし、人界の事情に通じているものをそのまま配置したとも考えられるか。
「御影さん、ラシャさん。大丈夫、みんなで無事に撤退しましょう。天宮さんも、どうか気を付けて」
撤退行動を取り始めた三人へ、若杉 英斗(
ja4230)も声を掛けた。
「地上は俺が引きつけます!」
「お願いします、若杉先輩。先輩も……御無事で。結界を抜けたところで待っています」
英斗の守りの力は、御影も良く知っている。だからこそ、無理をし過ぎないように。
後輩たちを頷き一つで見送って、英斗は前線へ視線を戻した。
(カラス、王権派についたか)
人界での騒動が落ちつくまで、戻ることは無いように思えたが……。
上司であるウルに、思いのまま戦ってほしいと話を持ち込んできた昨夏を思い出す。英斗も、対ウル戦へ参加していた一人だ。
ウルは、最後まで王権派にもエルダー派にも言及することなく『ウルという一柱の天使』として散っていった。
(それが、お前の意思なのか)
羽ばたきの音を感じながら、英斗は地を踏む足に力を込める。
●
「お久しぶり、ヴェズルフェルニル。元気そうで嬉しい、わ」
鈴のような少女の声が、戦場に響く。矢野 胡桃(
ja2617)だ。魔道書を手に小首を傾げ、微笑んで見せる。
「君は……少し変わったかな? 胡桃」
「そう見える、かしら」
いつかの夏より儚げな空気を纏う胡桃へ、カラスの表情に懐かしさが滲む。
耳馴染みのある呪歌を口ずさむ天使に、胡桃はひとつ問いかけた。
「『預かりもの』は、まだこちらでも?」
自分を信じてほしい。
そう告げて、撃退士側へ預けたカラスの『風の剣』は今も岐阜県多治見市に在る。
信頼と引き換えにした『預かりもの』を、彼は取り返さなくていい?
扱いにくい借り物で戦い続けるのだろうか。
「あの時の気持ちに、変わりはないからね。胡桃には感謝している」
最後の最後、カラスの撤退を許したのは彼女の一声だった。天使は、それを忘れていない。
「随分お早いおかえりで。企画書はできとるけど、『その時』はもうちょい先みたいやな」
「……ほう?」
凶翼で飛翔するゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が言葉を挟む。天使は片眉を上げて見せた。
「良かった。頂いたワインだが、今日は持ってきていなくてね」
「ソレ戦場に持ちこんだら割れるからな?」
「弾丸を心臓の前で止めるくらいはしてくれないかな」
「ないわ! ドラマの見すぎやで!!」
思ったより人界擦れしている、この天使。
というか、ヒトの贈り物をなんだと思っているのか。
「――と、積もる話はまたあとで、やな」
ニヤリ。ゼロが笑みを浮かべる。と同時に、一気に加速する!
カラスを、サブラヒハイナイトの横を抜け、最奥に潜むフゲキメイデンを狙う。
「今日の天気予報や。雷からの雨に注意しとけ」
漆黒の鎌を振るう、雷光が爆ぜ、菊花の残像を纏う。
後方支援に特化した能力を持つ巫女は、自身の守りの力は低いらしい。
不意を突かれたこともあるだろうが、その一撃で倒れ、周囲を取り巻く魔法耐性を上げる結界も解かれた。
「ッッとぉ!!」
刹那。
遠方より潜んでいたシノビスナイパーが側面からゼロを狙い撃ち、太刀を引き抜いたサブラヒハイナイトが斬りかかってくる!
「どんなに上手に隠れても、上空からは丸見えやでぇ!」
シノビの位置は、飛翔した段階で特定していた。フゲキメイデンを撃破直後に狙ってくるだろうことも予測済み。
が、背面から迫ってくる侍が邪魔をする。
銃弾は喰らうものの、凶悪な太刀は回避に成功。
回復のプロフェッショナルが存在しない今回のメンバーでは、傷一つ一つが重い意味を持つ。出来る限り、攻撃を受けずに済まさなければ。
ゼロが啖呵を切る他方で、狙撃手たちが一斉攻撃を仕掛けた。
「ドーモ、カラス=サン。早速だが俺は逃げるぜ! お前と同じ空間なんて怖くていれるかよぉ!」
古代の声がサインとなる。
天使を狙うと見せて――対象は、サンダレーベン一体。
「この世界には要らん翼だな」
「まずは一体、可及的速やかに落としますよー?」
「こんな場所にいられないってのは、まぁ本音だな!!」
三箇所から放たれる対空弾。
そして、遠距離からの攻撃へ動きを見せたのは……サンダレーベンの纏う光球だった。
6つあるうちの3つが意思を持たぬ自動発動で、向かい来るアウル弾の軌道を逸らす。
ぶつかり、軌道を捻じ曲げ、消滅する。
発射された3発のうち、エカテリーナのミサイルだけが光球による阻害にも負けずレーベンの身体に炸裂するも墜落させるには至らない。思いのほか高位のサーバントのようだ。
「……?」
一瞬、何が起こったか理解できず、諏訪は目を見開く。
(あの、光球は……?)
(攻防の機能……いや、違う。あれは)
遠距離攻撃に対するオート迎撃。ルビィは記憶を掘り起こす。どこぞで、そんなサーバントがいなかったか?
何かあるとは感じていた。心のどこかに引っ掛かっていた。
その引っ掛かりを、もしも誰かに話していたのなら似た経験を持つ者が思い出していただろうか。
「ソイツに遠距離攻撃は効かねぇ……!」
正しくは、光球がある限りオートで撃ち落とされる。ルビィは叫び、空を駆る。
握る大剣が、光と闇のオーラを纏う。
渾身の一撃は敵の翼を削ぎ落し、今度こそ巨躯を地上へ落とした。
「チィッ、もう一発欲しいところだな……」
この波状攻撃で倒しきれなかったことに、ルビィは歯噛みする。
ゼロ同様に即座に侍の攻撃が来るかと備えるも、サーバントは弓を構えたまま走り出した。
「……カラスの指示か!」
フォローが間に合わない。矢の行き先を、ルビィは目で追う。
鬼火を宿す魔法の弓矢が、一直線上の位置へ向かって狙い撃つのはエカテリーナ。
「まだ分からんようだな、もはやこの世界に貴様らの居場所は無いということが。それとも命や名誉と引き換えに得たいものがあるとでも?」
体力の半分以上を持っていかれながらも、女は声に苦痛を覗かせない。毅然として立ち続ける。
「あったとしても、それすらくれてやる義理はない」
人界において天・魔との協定が結ばれ、それぞれの知識・技術が結集されつつある。王権派を排除すべく、あらゆる方向から働きかけている。
単純な力押しだけで物事を進められるなどという考えは、驕りだ。
エカテリーナは嘲り混じりに言い放った。
「おおっと、良いところに出てきてくれたね! さあ、切れ味を試させてもらおうか!!」
エカテリーナを狙い前線へ出てきた侍は、刀夜の攻撃圏内だった。
スラリと太刀を抜き、紅き鬼は距離を縮める!
弓を手にした侍が防御の姿勢をとる、その構えから更に下段へ峰打ちを叩きこむ!
「硬い……けど、鎧の手ごたえじゃないね?」
鬼騙しによる意識の刈り取りの手ごたえを感じつつ、刀夜は違和感を抱く。
もう少し刃を交えない事にはトリックは見抜け無さそうだ。
「次、頼むよ若杉君!」
刀夜は思考を切り上げ、景気良くバトンパス。
「はい。――お前の相手は俺だ、かかってこい!」
すかさず彼女をフォローする位置へ進み、英斗は『理想郷』による結界を展開する。
(とは言ったものの、コイツ普通のサブラヒナイトじゃないな。こりゃ荷が重いかも)
刀夜の攻撃力は英斗よりも高い。なのに、掠り傷しか負わせられないとは……。
太刀の攻撃はゼロが回避し、弓を受けたエカテリーナも深手だが一撃で瀕死とはなっていない。
護りに突出している分、武器の威力はさほどでもない……のか?
「鎧に何かあるのかな」
「うんーー、なんかこう……僕もおかしいなって思った。上手く言えないけど、エネルギー体の面へ刃を当てたような反動?」
「面……ですか」
「日本の鎧なら、デコボコがあるでしょ、こう……あの通り」
刀夜が攻撃を仕掛けた具足は数枚の鉄板が重ねられ、後ろを紐で結ばれている。
古ぼけた鎧だ、刃が引っかかる・或いは食い込むような感触があっても良いはず。――実際の鎧であれば。
「色々と試してみるしかなさそうですね」
本当に、どうにも物理攻撃は効かないのだろうか。有効な手立てはないのだろうか。
(倒そうとは思わない。その代わり、全力で意識を引き付ける!)
英斗は気を取り直し、長期戦へ身構えた。
●
サブラヒハイナイトが動く傍ら、サンダレーベンがくちばしを開く。
至近距離で雷槍が放たれ、上空に留まるルビィを穿った。
「――ッ」
魔法エネルギーの槍はルビィの身体を貫き、そして爆ぜた。周囲へ白い雷光がパチパチと余波を放つも、仲間から離れた位置に居たので誰も巻き込むことは無い。
弱り切った大鷲の、必死の抵抗と言ったところか。
しかし自分一人であれば、耐久には自信がある。血の塊を吐き出して、青年は天使へ向き直った。
「お前がカラスか? 京都ゲートに居るって事は、今はザインエルの配下って訳かい」
「そんなところだね」
「イスカリオテは言っていたぜ。『あんな幼い天使にあんな生き方を強要させあんな死に方へと追い詰めた世界を破壊する』ってな。
強要させたのは、ザインエルじゃないのかい?」
幼い天使――サリエル・レシュ。彼女の死を受け、イスカリオテ・ヨッドは死天使を継ぎ富士に果てた。
試すように、ルビィの紅い瞳は天使の表情を伺う。
「それもまた『上』からの指示に過ぎない。もう君たちもわかっているんだろう?」
カラスは未だ、攻撃へ転じない。サーバントへ指示を出し、情勢を見極めながら対話に応じる。
「『上』とは何だと思う?」
天界の王・ベリンガム。
天使であれば、誰もがそう信じていた頃がある。
しかし、事実はどうだった?
ベリンガムは前王を弑した。
ゆえに幽閉された。
残る権力者たちがベリンガムの名だけを使い、天界を操った――
「彼女へ、司令殿へ、軍団長へ、生き方を強いたのは『古き天界』だ」
エルダー派だ。そう、カラスは告げる。
それは前王ゼウスの時代から染みついたもの。
ベリンガムが何故、父王を殺したのかは誰も知らない。
ザインエルならば知っているのかもしれない。知らずに忠誠を翻す人物ではないし、知ったからと不用意に他言する人物でもない。その頑なさは、天界の者はもちろん人界にも伝わっていることだろう。
いずれにせよ、それが行なわれる前から、そして行なわれてからも、『天界の姿勢』は変わっていない。
(ザインエルの離反も察しが付く気はする……。エルダーは、多くの犠牲を払いながらそれを生かす事も出来ず、現状維持を続ける無能な指導者に見えた)
四神結界を展開し、御影とラシャを範囲へ呼び込みながら佳槻は会話に耳を澄ませていた。
(無能は死者に対する冒涜だ)
それを信じ、死んでいった者に対して。その死から、何も学ばないことは冒涜だ。
現在、学園側は天姫アテナを通して更に深い情報を得ている。
『王の資格』を持たずに生まれたベリンガムを、後継者として選んだのは前王ゼウス自身だということ。
しかしベリンガムには、資格を持たない以外にも不穏な点が感じられたという。
そして今――
力を振るい、有力なエルダー達をも手に掛け、天界を大きく揺るがす存在となった彼に対してエルダーたちは『正統な力を持つ』妹姫を、この期に及んで担ぎ上げた。
自分たちは知らなかった。そんなことだと知っていたなら。
――それが通ると?
『名しか知らないベリンガム』の指示を、ずっと信じてきたのではなかったか? 疑いさえせず、確かめもせず、従ってきたのではなかったか? それを忠誠だなんだと言ってきたのではないか?
『天界の王・ベリンガム』に対する忠誠は、信頼は、その程度だったと?
だから、彼は立ち上がったのではないか?
それを誰が咎められようか。
「『正統性』とは何だと思う? 誰の都合によるものだろう。父殺しをしたベリンガム様に対し、姫君へ兄殺しをせよと言う。ひどい話だ」
実質的に首を刎ねるのはアテナでなくとも、権力交代としては同義だ。
こと此処に及んで、天界に所属する者たちは各自の信念によって動きべきなのだろう。
エルダー派、王権派、そういったコトバに縛られるのではなく。
ルビィの問いへ、カラスはそう締めくくった。
「貴様らの目的など私は知らん。だが貴様らが我々に仇為す以上、私は撃退士として貴様らを葬るまでだ」
話を聞き終え。銃口を天使へ移したエカテリーナが告げる。
どんな理由であろうと、天界にとっての正義だろうと悪だろうと、それは人界には通じない。
それもまた、正しい。
「そういうことだね。君とは気が合いそうだ。わたしにも、君たちの世界だけを尊重する理由はない」
あらゆる並行世界からエネルギーを収集し、成立している天界。
人界も、収集先の一つだ。
「自分たちの世界さえ安全を保障されるなら、他の世界はどうなっても構わない……極めて現実的だ。『全ての平和』は絵空事だと、わたしも思うよ」
(それでも……)
絵空事であったとしても。
敵であれ味方であれ、犠牲を出したくない。その胡桃の信念が揺らぐことは無い。
互いに譲らぬ以上、先には衝突しかないのだろうか。
「世界の在りようは、いくら、でも」
興味がないね。
胡桃に背を向けているアスハ・A・R(
ja8432)は淡々と述べ、次の瞬間に姿を消した。
『擬術:零の型』。幾度も交戦した使徒の技をカスタマイズし、自分の技へとしたものだ。
青年は長い蒼髪をなびかせ一瞬にして地表を滑り、カラスの背後を取った。
●
――光の雨が降る――
●
それもまた、アスハが認めた敵より再構築した技だった。
蒼く輝く魔法弾は、絶え間ない雨の如く降り注ぐ。
「今日は出血大サービス、だ」
「出血させないサービスやんな!! おおきに!」
術者に負担が大きいことから基本的に味方をも巻き込む使い方をしているアスハだが、今回はきちんとゼロ(味方)を識別して除外している。
先んじて英斗の結界内へ入り込んでいたゼロだったが、こういう時は空気を読んで識別すると理解しているゼロだったが、どうにも生きた心地がしなかった。刷りこみ恐い。
周囲の遮蔽物は砕け散り、フゲキメイデンによる恩恵を喪った侍たちも体勢を崩す――が、背面を取られたにもかかわらずカラスは風雷の防壁で雨を防ぐ。
しかし。
「ごめんなさい、ね。濡羽の君。でもお互い『仕事』だもの」
間髪入れず、逆方向から黒いアウル弾が駆け抜けた。
「……ッ」
「ふふっ。魔法だと思った? 残念、変わらずこちらも私の得意分野、よ」
魔道書から愛銃『事代主』へと持ち替えていた胡桃が笑む。
光雨への対応に続いて発動させた風と雷の防壁が右肩を護るけれど、その上からでさえダメージを押し通す。
――戦場では、全力で。
それがきっと互いへの敬意。
(今回の私の達成目標は、全員離脱する事と調査隊が情報を持ち帰る事。そして、濡羽の君。貴方の戦力を少しでも削ぐ事)
攻撃起点が右腕だというのなら、そこさえ潰せば命まで取らずに済む。
「地に墜ちてしまえば、如何様にでも料理出来るな」
遠距離攻撃の命中率を下げるというなら、それ以上の命中率でもって攻撃すればいい。
エカテリーナの周囲に、毒々しい黒霧が発生する。
――アウル毒撃破。強酸性の消化液へ変換させたアウルをジェット噴射し、翼を喪ったサンダレーベンを襲う。
迎撃の光球を押しのけ、腐敗をもたらす一撃が大鷲を覆った。
レーベンを撃破、侍たちは戦場中央へ偏っている。――右側が、空いた。
撤退部隊がそこを利用するのは、まだ先だ。充分に、戦局を偏らせてから。諏訪は位置を変えながらカラスへ追撃のアシッドショットを放つ。
やはり防壁により遮られるが、こちらの目的は腐敗効果の付与だ。
エネルギー体の盾の上からでも、アシッドショットの効果はジワリと蝕んでゆく。
(ほとんど動かしませんねー……?)
アスハや胡桃からの攻撃を防いだのと同じく、左腕は外套を揺らす程度にしか動かない。
手のひらから生み出す風に稲妻が纏わりつきながら、半円状の防壁を生み出している。発動速度自体は早く、撃退士が用いるシールドとの類と変わらない。
諏訪は注意深く、カラスの変化を伺っていた。
彼がここにいる以上、戦闘の機会はこの先もあるだろう。その時の為に、少しでも有益な情報を持ち帰らなくては。
戦場が、にわかに動き出す。
敵陣奥へ滑り込んだアスハを狙うのかと思いきや、シノビは尚もゼロを狙撃してくる。仕留めるまでこだわるのが仕事人の矜持か?
「若様シールドの安心感は凄まじいな」
高命中を避けきることはできないものの、先程とは比較にならない掠り傷。
「自分の力は、仲間を護るためにありますから」
「助かるよ、若杉君! その調子で続いていくからねっ」
刀夜の次の手は、斬鉄。護りの固い相手にこそうってつけの技だが――
「――うん?」
脚に続いて狙うは肘手前の前腕。が、あまりの硬さに刃が滑り鎧の繋ぎ目に引っかかる。――ここでまた、違和感。
「出し惜しみはなしだ!」
英斗が連携を取り、他方向からガードクラッシュを叩きこむ。
スタン状態を継続できればとも狙ったが、それは上手くいかなかった。
「若杉君。もしかしたら、なんだけど……」
体勢を整えながら、刀夜は耳打ちを。
狙うべきは、面じゃない。『点』だ。
「アマミヤ、今度はコッチ」
ラシャが佳槻へ、水の烙印に続いて風の烙印を施す。
一つ一つの効果時間は短いが、万が一を考えれば常に必要だろう。
四神結界から鳳凰召喚へとスキルを切り替えた佳槻は短く礼を告げる。
「へへっ。いつもの分の、恩返しナ」
悠長な会話をしている場ではないのだが、『何かの役に立てる』実感が、少年堕天使の気持ちを高揚させているようだ。
戦域の右側が充分に空いたことを確認し、佳槻たちは移動を開始しようとしていた。
「……っ、天宮さん、ラシャさん!」
御影が足を止め、二人を呼び止める。
上空の黒い影が動いた。
カラスが、蒼白く輝く天雷の剣を空へ掲げた。
●
トールハンマー。雷神の槌。
そう称するのがふさわしい、強大な衝撃だった。
「――ッ」
三連続で落とされ、尚も立っている撃退士の数は少ない。
英斗や佳槻が張った結界のお陰で、誰もが一命をとりとめている様子ではあるが……
「やはりゼロが重力に負けたか……これがゼログラビティ……」
「上手いこと言うたつもりでしょうけど……自分も負けとるで褌王……」
「え、見えてる?」
「……上着からはみ出とります」
古代が携行していたのは、真白の褌三枚ほど。
(よかった、身に着けている忍の褌がチラリしてなくて……いや、チラリもまた味だが今はそうでなく)
果てた古代とゼロの会話もそこそこに、深手を負った佳槻が顔を上げる。気絶ギリギリのところを、気力を振り絞って立ち上がる。
「あなたがついたのは天王? それともザインエル?」
「……『故郷』かな」
無慈悲な攻撃を放った直後とは思えない穏やかな声が返る。
「天界が、わたしの故郷だ。君たちが人界を守りたいと思うように、わたしにも帰る場所を守りたい気持ちがある」
「…………故郷」
君たち、と括られたが……佳槻にとって、遠い言葉の一つだった。
大切に想うもの、という事は頭で把握できる。
「天界を守るために、必要な選択が王権派だったということですか」
「そうなるね。わたしの価値観だけれど」
「――……」
聞き届けたところで、佳槻の意識はフツリと切れた。
『天・魔・人、それらが相争う構造がそれをさせたのならば、その世界構造を破壊する。天も人も魔も破壊する』
集中攻撃を免れたルビィは次の一手を考える傍らで、イスカリオテの血を吐くような言葉を思い出していた。
破滅と再構築を望むハーフ・ブラッド。その血ゆえに理不尽な扱いを受けた、元権天使。
(その願いを継いでるってわけでもないだろうが……)
天界の歪みは、とうに起きていた。それだけは、理解した。
(ちょーっと、しくじりましたかねー?)
脚が、動かない。
混濁する意識の中、諏訪は爪で地表を掻く。その感覚も覚束ない。
回避射撃すら圧倒する威力。
カラスへ満足なダメージを与えられないどころか、サーバントもろくに倒せていない。
三名以上が気絶したなら撤退という計画だったが、三名どころじゃ利かない。
回収する撃退士に掛かる負担も大きいだろう。
(でも……)
なんとしてでも撤退しなくてはいけない。けれど、情報を集めきれていない。
まだ……倒れるわけにはいかないのに。
「うん?」
襲い掛かる侍の太刀をシールドで防ぎながら、アスハは違和感に気づく。
(あの攻撃は……)
佳槻たち撤退組。
ゼロや諏訪、矢野父娘とエカテリーナといった後方組。
狙いはその三箇所。一部、近接していた故に重複して攻撃を受けた者もいるが……
英斗の結界の強力さは証明されているし、三回立て続けに攻撃できるのならば守りの起点を襲うのが定石ではないか?
いや、その定石を破って仕掛けてくるのが彼という話も聞いてはいるが、
(ああ)
ややあって気づく。
アスハ自身が、時として『未識別に』範囲魔法を扱うゆえの気付きかもしれなかった。
(あの雷は、味方も巻きこむ、のか)
そして、なまじ威力が高いために己の一撃で貴重な手駒を粉砕しかねない。
だから侍と近接戦闘をしていた英斗や刀夜を襲わなかった。
(それは良しとして……さて、どうやってメンバーを回収して撤退するか、だな)
●
過去と現在が、重なる。
きっとこの天使も『退かない』のだろうと、ルビィは確信に近いものを抱く。
「お前の考えはわかった。だがな……やっぱり、譲れねぇものは、譲れねぇ」
ルビィが側面から封砲を放つ。カラスは障壁を生み出し、それを防ぐ。
――その隙に。
「行きましょう!」
「無理は禁物だからね!!」
英斗がゼロを背負い、刀夜が諏訪の腕を引き上げる。
「御影ちゃんは大丈夫かな〜」
刀夜が顔を上げれば、満身創痍ではあるもののラシャと共に佳槻の肩に腕を回し、撤退方向へ向かう御影の姿があった。
「タダじゃあ逃がしてもらえないだろうさ。あんたの結界に掛かってるが、イケそうか」
ルビィが前線から下がり、矢野父娘とエカテリーナの三者を一気に担ぐ。
英斗の結界があれば、少しは持ちこたえられる。タイミングを合わせて全力移動すれば結界外へ出られるだろう。
「任せて下さい。でも……」
スタンから目覚めた侍を迎撃しながら、英斗は遠く離れたアスハを案じた。
もう一体の侍、そして忍が接近しサイドを固めている。
シールドによる防御にも回数制限がある。『4回攻撃』の厄介さは英斗もよく知っていた。
「アスハさん! 撤退です!!」
「――できるものなら」
とうにしている。
こちらの動きの先を行く波状攻撃の、最後。
黒い影が舞い降りた。
●
逃げようと思えばいつでも逃げることができたし、仲間の全てを見捨てようが自分だけでも生還すればそれはそれで任務は達成できたのかもしれない。
満身創痍のところを、結界外へ仲間を逃した後に反転した英斗によって救出されたアスハが後にそう語った。
「僕は京都にもカラスにも、興味も因縁もないからね」
「こちらに興味や因縁が無くても、あちらに戦う意思がある限りは襲われますよ、命の危険はいつだって付きまといますよ。……無事でよかったです。もう!」
サラリとした口ぶりに御影はプンスコするものの、最後はカクリと肩を落とした。
「御影ちゃんも、無事で何よりだよ!」
その背を、刀夜がバンバン叩く。
「あいつが気に掛けてた後輩ちゃんに万が一があったら、僕があいつに殺されてたからね、ハハ」
「……あいつ? どなたですか?」
「とある鍛冶師さ」
「……あ!」
刀夜が彼に直接頼まれたわけではないが、御影について話に聞いていた。
御影もまた、知り合いの『鍛冶師』は一人しかいない。
「先輩にはお世話になってます」
「僕も僕も」
共通の友人を話題に、二人は暫し戦いの疲れを忘れた。
「喰うか喰われるかがこの世の掟なら、私は喰われる前に喰う側に回り、悉く奴らを屠り尽くす。勝ち残り、この世界で生き抜く資格を得るのだ」
重体の身でありながら、エカテリーナの心は折れることを知らない。
どこまでも一方的な向こうの言い分を聞いたからには、全力を以て潰すに値すると確信しただけだ。
かくして。
京都ゲート突入までの最小接敵・最短ルートの情報に加え、新たなる王権派天使の存在・その能力とを学園へ提出することができた。
奪われては取り戻しを繰り返してきた古都。
もうそろそろ、その長き攻防へ暁をもたらしても良いのではないだろうか。