●
萌える緑の香りを乗せた、風が吹く。
穏やかな春のある日。天使と撃退士たちは神妙な顔で一定の距離を保っていた。
天使カラスの後ろには、翼持つ巨人と無数の白い鳥型サーバント・スノウホワイトが整然と並んでいる。
10mほど上空にそれらを留め、黒コート姿の天使はフワリと地上へ降りた。
――この場は退こう、その代わりに少し、お喋りでも?
撃退士たちの間にも動揺が走る。
天使の言を信じるならば、無用な戦いは避けられる。
民間人のSOSがある、今すぐにでも向かいたい。しかし、それだけなら眼前の天使が許さないらしい。――何故?
許さないなら、最初から戦えばいいではないか。
許すなら、話などせず別れればいいではないか。
「時間は有限だから―― そうだな、ひとり2つまで。質問があるなら応じよう。内容にもよるけどね」
天使が何を望んでいるのか、そこから撃退士たちが得られるものは何か。
しばしの沈黙に、スノウホワイトの羽ばたきだけが蒼天に響いた。
●
「あなたがカラスですか。ご高名はかねがね」
沈黙するだけ時間の無駄だと、口を開いたのはエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)であった。
小柄な少年は、臆することなく天使の前へ進み出る。
「僕のトモダチが、あなたのことを随分と気にしておりましてね。前々からお会いしたいとは思ってました」
礼儀正しい物言いとは裏腹に、エイルズレトラの青い瞳は冷静に天使の考えを読もうとする。
エイルズレトラの『トモダチ』……堕天使のラシャ。彼は以前、カラスに至近距離で襲われたという。結構な言葉を浴びせられたという。
カラスと面識のないエイルズレトラだが、報告書に見る過去の戦いぶりや友人が気にしていることから、興味はあった。
「時間がないのに、おしゃべりする暇はあるのですか? 我々も急いでおりまして、このまま平和的に別れるのも一つの手かと」
つまり、対話の放棄。
それを少年は口にする。
(まずい)
誰より先に動いたのは、天宮 佳槻(
jb1989)だ。
スッとエイルズレトラに並び、腕を伸ばして少年を制する。
「以前は随分と『評判のいい撃退士』だったらしいですけど、……それは今でも?」
そのまま質問へ割り込む。
何も知らない人間たちへ『撃退士』を名乗り信頼を得、その実、結界内への誘導や隔離といったことをカラスは過去にしている。それを佳槻は知っている。
故に問う。
『今』もそうなら――これから向かう何処かでも、彼は『撃退士』を名乗っているのかと。
「『わたしは侵略者です』に比べれば、受け入れられやすいからね」
答えはYES。カラスはニッコリと笑った。
「……だそうですよ、マステリオさん。『撃退士』を装う者が、少なくとも今すぐ人間を殺すとは思えない。ならばここは、争わないことを選ぶのが得です」
仮にカラスをここで逃しても、彼は『人間を殺さない』。最低限のことが守られるなら、恐れるのは自分たちの損失だけでいい。すなわち助けを求める声。
撃退士にとっての損失とは何か。カラスの前に倒れ、民間人を救えなくなることだ。
佳槻の説得を聞き、カラスは愉快げに喉を鳴らした。それから、エイルズレトラへ向き直る。
「名も知らぬ少年、君は勇気があるね。敵へ、むざむざと背を向けることができるんだ? わたしなら怖くてできない」
情報は対価だ、フィフティ・フィフティで安全に別れるための。カラスは告げる。
戦闘サーバントを持たないとはいえ、逃げるだけならカラスにも可能だろう。しかし撃退士から全力で襲われたらば手傷を負わないと言い切れない。
対価を払わない『約束』に信憑性などない。
だから自分は対価を払う。カラスはそう重ねた。
が、説明を受けても、エイルズレトラの疑念は晴れない。
「では、何か我々に掴ませたいネタでもあるのですか?」
「掴みたいのは、そちらだと思っていたが――そうでもないのかな」
こちらの情勢を知りたいのではないか。
多少ならば与えることも可能だ、そういう『取引』のつもりだったのだけど。
「……君からは以上かい?」
問いが2つめになると言えば、少年は首を振った。これからが本命だ。
「天界は内部分裂中と聞いています。そちらにとっての『敵対派閥』について情報をお教えいただけませんか」
(カラスは、余分なことを嫌うリアリストじゃないのか? だったら)
「もし、利害が一致するようであれば――力になりますよ。敵方の力を削ぎ、協力して差し上げましょう」
エイルズレトラはそう告げる。カラスは微笑を崩さない。
「現実味が無いね」
そして、少年の提案をバッサリと切った。
「それは、いったい『誰』がやるんだい? 久遠ヶ原の総意を、今ここで決められるだけの権限を君は持っているのかい?」
あるいは少年、君ひとりでそれを成し遂げるのかい。
「残念。取引としては成立しないよ。『次』があれば、信じさせるだけのものを持って来てごらん」
できるのなら、ね。
カラスは笑顔で手を振って、エイルズレトラとの会話を打ち切った。
●
(内部分裂、敵対勢力……それ自体は否定しない、か)
危うく戦闘になるかと案じた佳槻は、表情には出さず肩から少しだけ力を抜く。そして思考を整理する。
カラスが、ここで対話を持ちかけた『表向きの理由』は理解した。
「『戦う時間がない』っていうのは何で? 話す時間はあるのに? 誰かが待っているの? 逃げるための口j」
「STOP」
ゆっくり質問を練り上げようとする佳槻の他方向から、散弾銃のように問いかけが発射された。
とつとつと問うのはRobin redbreast(
jb2203)、あどけなさの残る顔で純朴な疑問を投じる。
対するカラスは、言葉の弾丸を右の手のひらで止めた。
「それは全て『質問』かい?」
「『戦う時間がない』理由を聞かせて?」
先の、エイルズレトラからの問いにも重なる。
同じ答えでもつまらないね、と前置きをして、カラスは口を開いた。
「戦いと会話を同列にするのはいかがかな? 戦うとケガをするし体力も消耗する。同じ時間を経たとしても、損失するモノが違う。納得してもらえただろうか」
1を訊ねたところで1しか答えは返らない。
誰かの問いを聞き、その答えを聞いた上で、質問の幅を付けたなら違ったかもしれない。
だとしても、カラスが先を急ぐ真意をその口から聞き出すのは容易ではないだろう。薄々、こちらも感づいているとしても。
「その、檻になってる巨人は前に見たことがあるよ。人間を連れ去るためのものだよね」
だから、ロビンは角度を変えることにした。
問い以外のアプローチで、相手の反応を見る。
「…………そうだね」
学園にて【死天】というタイトルで纏められている報告書群で、確認できる。『狩』の文字が入ったデータだ。
数百人レベルの失踪事件が発生、それは『人々を操る歌う少女と、人々を回収する籠の巨人』によるものだと判明している。
静岡県の山岳地帯で起きた出来事で、その頃カラスは伊豆へ加勢していた。時制的には合わないが、司令であるイスカリオテ・ヨッドとの合流後に存在だけを知ってもおかしくはない。
「ここから近い京都にもゲートができたみたいだけど、そっちに加勢に行かないで、こっちで人間を集めているんだね」
人間をたくさん集めて、何に備えているのかな。
――それは、聞くまでもないだろう。天使にとって人間とはエネルギーの源だ。骸はサーバントの素材となる。
「1人でもたくさん人間を集めたくて、時間が惜しいし消耗も避けたいから、ここは撃退士に譲って他の場所で別途たくさん回収するつもりなのかな」
撃退士たちが向かう先以外の、人間たちがたくさんいる場所へ行くつもり?
カラスは沈黙したまま次の言葉を待つ。表情は穏やかなまま、しかし相槌ひとつ打たない。
「2月にウルと戦った時に、ウルはゲート展開による能力ダウンがなさそうだったよ。カラスも能力ダウンがないみたいだし。
あのゲートは誰が開いて、何のためのものなのかな。ウルとカラス以外に誰がいるのかな」
もとは富士とか伊豆みたいな拠点とは違って、目立たない出入り口用のゲートみたいだったけど。
「積極的に人間を集めているってことは、事情が変わったみたいだね」
「それで、質問は?」
そろそろ良いだろうか、カラスが少女の弾幕を遮る。
「張り合ってるの?」
京都の、ザインエルと。
答え次第で、それはエイルズレトラの問いにあった『敵対派閥』に結び付く。
「京都とこちらとでは、ゲートの意味合いが違うからねえ。張り合うとは、少し違うな」
――ゲートの意味合い。
学園側にも、ザインエルの真意は正確には伝わっていない。
ただ、この岐阜ゲートが『人間を集め、エネルギーを採集する』方向へ動き始めていることに対し、京都のそれは違うらしい。
ロビンとの対話は、ここで終了となった。
●
誰にも気づかれないように、佳槻はそっと息を吐き出す。一時はどうなることかと思ったが、なんとか乗り切ったようだ。
(嘘か真実かというより、真っ当なことしか言ってないな)
質問にもよるのだろうけど。
敵対派閥。京都。そういったキーワードが覗いたところで、次は佳槻が問うた。
先に1つ訊ねているから、残るは1つ。
「他の天使は内乱の影響か目に見えて動きが活発になっているようですが、こっちはその割に動きが緩やかな気がするんですけど」
(このゲートに限らない……去年からだ。カラスが撃退士の振りをしたり、ウルと共に人々が自ら結界に向かうように仕向けようとしたり、それまでと違って回りくどいやり方が目に付くようになった)
それは、どうやら今でも変わらないらしい。
(感情をかき集めるなら、それこそ以前以上の力ずくで来てもおかしくないのに)
過激派・ウルと頭脳派・カラスの組み合わせとはいえ、立場はウルが上なのだから、彼が命令すれば強引にでも通るだろうに。
それをしない、出来ない理由は? それに、何よりも気になるのは――
「結界の中が空っぽになったりしないんですか?」
ストレートな問いに、カラスは思わず声を出して笑った。
「国内の情勢については、もしかしたら君たちの方が詳しいのかもしれないね」
そう前置きをして、
「持っている力が10と仮定して、すべての案件へ10の力を注ぐわけにはいかないだろう? 少数精鋭と言ってほしいな。
案じてくれてありがとう。建前として、こちらの蓄えは充分だ、と答えておこうか。
そもそも、結界に入れた人間から即座に精神を吸収するようなことはしない。ケースバイケースだけどね」
活動が緩やかに見えるのは、あえてなのだと答えは返った。
「狩猟採集から牧畜農耕に移行するように、精神吸収の量を調節して絶えないようにしている、とか?」
「大雑把な言い方になるが、そんなところだ。エネルギー吸収はある程度の時間を掛けた方が好ましいとされている」
青い果実と赤い果実、どちらが美味だと思う?
そう例えを持ち出して、カラスは佳槻との対話を終えた。
(やはり……というか、結界内へ連れ去られた人間たちは、すぐに殺されるわけじゃないということか)
まずは一つ、安心材料か。生きてさえいるなら、取り返す機は得られる。
それから、と考えを巡らせる。こちらはストレートに訊ねても返答はないだろうと、内心に留めているが。
(……内乱によって、『魔界との戦いの為』という今までの大義名分に揺らぎは生じていないだろうか)
少数精鋭――ということは、岐阜ゲートは『上』から要所と見られていないのだろう。充分な戦力を投じられていないのだろう。
敵対勢力のゲートと撃退士勢力に挟まれた状態だというのに、それでも『上』へ従うのだろうか?
(『精神や魂の吸収』が戦争の為だけなら、その戦争が愚かで不要という考えが天魔の中に生じるとしたら……人と天魔の関係もまた変化するのかもしれない)
それぞれの所属から離れる天魔も増えている。
『食い物の恨みは恐ろしい』という言葉が人界にあるように、天魔の食料――エネルギー源――に懸ける執念が果たして如何ほどか、にもよるだろうけれど。
●
(初っ端から切り出すには話題が堅い……とは、思ったが)
話の流れを見るに、問うならばこのタイミングだろうかと鳳 静矢(
ja3856) は考えを纏め上げた。
(伊吹山ゲート消失に伴うディアボロの暴走と、周辺住民の危機はイコールで結ばれるはずだ)
今回は自分たちがSOSをキャッチできたから駆けつけたが、それのできなかった人々だっているはずで。
ここへ居合わせたのが、檻状のサーバントと伝令用のサーバントを引き連れた天使カラス。怪しまないわけがない。
カラスが撃退士の振りをして民間人へ接していた、その好感度の高さは過去報告書でも知れている。
その調子で今回も――、と考えられやしないか?
「訊ねたいことがある。伊吹山ゲート消失後、野良ディアボロと戦う機会は増えたか?」
「取りまとめる管理者が居なくなった以上、四方八方に散るのは自然だろうね」
つまりはYESだ。
「なら何故、戦闘に向かないサーバントを連れている?」
簡潔な問いへ、天使は笑いで返す。
「面白いことを聞くね。わたしがディアボロ風情に傷を負うとでも?」
「そうではない。野良ディアボロ風情を相手にするなら、戦闘用サーバントを差し向ければ済むだけのこと。なのに何故、『戦闘に向かないサーバント』を連れている?」
巨人の独特な形状を指し、静矢は質問を詰めた。
――その、檻になってる巨人は前に見たことがあるよ。人間を連れ去るためのものだよね
――そうだね
ロビンとの会話で、カラスは用途を認めている。逃げ場はない。
「認めよう、此処へは人を攫いに来た。恐らく対象は君たちと同じだ。今日のところは断念するけどね」
「……そうか」
『断念する』証として、サーバントたちを解かりやすい位置で留めているのだろう。
翼巨人は大きさからして動きは遅そうだが、伝令のスノウホワイトは一羽だけ抜け出したなら、狙撃も難しい。
仮に他の場所にも翼巨人を待機させるなどしていたら、そちらで動かれてしまう。
しかし、カラスはそれをしない。
今日は退くが、明日は解からない。
今日中のことだってわからない。撃退士とは別の場所で人を攫うかもしれない。
『すぐには殺されない』ということは、佳槻の問いで判明しているが――それも、どれだけの期間の事か。
伊吹山ゲート撤収に伴う混乱に乗じての、人間収集。
確実な言質を取り、静矢は質問を終えた。
●
(以前『こんなところで、死ぬわけにはいかない』と言っていましたけれど、何を自分の中心に置いているのでしょうかー?)
天界で内乱が起きた今、カラスにとって『中心』にどんな影響があるのだろうか。
撃退士とカラスの会話へ耳を傾けながら、櫟 諏訪(
ja1215)は考える。
(もしそれが失われたのだとしたら、むしろよっぽど怖いことになりそうですねー……)
今は未だ、大丈夫なのだろうか。
今も既に、始まっているのだろうか?
様子を伺いながらも、努めて明るく諏訪は笑顔を浮かべた。
「お久しぶり、ですかねー? まさか、会うことになるとは思っていなかったですよー?」
「まったくだ。不慮の事故とはこのことだね。その節はありがとう?」
「そういえば、怪我をした左手の具合はどうでしょうかー?」
にこり。
にこり。
ほんの3か月ほど前、雪に覆われた岐阜の山にて。
カラスは撃退士三者からの一斉攻撃にて左手を損傷した――その相手の一人が、他ならぬ諏訪である。
「おかげさまで、切断は免れたね。ほら、この通り」
カラスはおどけて、グーパーと閉じ開きして見せる。
「それは何よりでしたよー?」
にこにこしながら、諏訪はさりげなくカラスの服装を確認した。
それまでに使っていたクロスボウはサーバントへ与えたままらしく、ならば『風の剣』の所在を追うが……コートを羽織っているため、判別できない。
今この場での確認は諦め、それから諏訪は問う。
「貴方にとって、一番大事な物、こと…… 心情は、守るべきものは何でしょうかー? 天界か、その仕組みか、それとも……仲間か、何のために戦うのでしょうかー?」
「ふふっ、それは怖い質問だね。順番を付けるなら自分の命、それに優るものはないな。
――でも、君たちは違うんだろうね。だから、我等の『糧』に成り得る。撃退士の力を持つ者からは搾り取れないのが残念だ」
あいまいな問いだろうか。問うた諏訪自身が、そう感じていた。
それでも、その返答から、『どういった思惑を持ち、どういった歯車たろうとしているのか』が覗くことが出来ればと考えたのだ。
(死ぬわけにはいかない理由……そう、あっさりとは話しませんかー)
命が大事。それはそうだろう。嘘ではないはずだ。そうして守った命で何を為したいのか。聞きたいのはそこだった。
(もし……理由か拠り所かそれを失ってしまったとき、『歯車でいられなくなってしまった』ときにどうなるか……ですねー?)
カラスが、撃退士を軽んじていないことはこれまでの報告書からも解かる。
それゆえに今回は対話を持ちかけたのだろうし、安易に弱点を晒すこともしなかった。
●
「……こんな機会、そうないな……」
春風に、柔らかな明緑髪を揺らすのはフィル・アシュティン(
ja9799)――そのもうひとつの人格『エルム』。その髪の先が、わずかに紫がかっている。
「お久しぶりだね、エルム。元気にしていたかい」
「きっと……お前よりはな」
これまでの対面では、キリキリと冷たい風に吹きつけられることが多かったように思う。
今回のように……状況が切羽詰っているとはいえ、互いに武器を取ることなく会話ができる場などなかった。
「折角の提案だし、わたしは……話をしたいと思ってた」
「……『話』、か」
暗赤の瞳を真っ直ぐに向け、エルムは言葉を続ける。
「……わたしは…… そうだな、カラス、お前にとって生きることとは何なのか。それを聞きたい」
「…………哲学的だね?」
先ほどの諏訪の問いへ重ねるように、違う角度からの質問。
カラスは微苦笑を浮かべ、思案しているようだった。
ただ、今のまま滞りなく過ごすことが生きることか。
喪うことを繰り返さないために、何か考えているのか。
「お前にも、信じる者がいるはずだろうし、まだ喪いたくない者もいるだろう。可能なら、答えを聞きたいが」
淡々とした声音に、責めるような強さはない。裏を探るような駆け引きの意図も見えず、例えるなら穏やかな風のような、優しさだろう。
「そうだな――生きることとは、喪い続けることだと考えている。天使の持つ時の流れは、君たち人間よりも長いけれど……それでも、少しずつ少しずつ、何かを喪い続けている」
(生きること……生き続けること……たとえば誰かを喪い、それでも生きなければならない……)
それはエルムにも、理解できる気がした。
喪失は、命の長さに関係ない。
「……わたし達もまた、大切な人を喪いたくない……」
「うん。だから、戦いは起きてしまうんだね。どうしても避けられない。わたしたちが欲するものは、君たちにとって少なからず大切な存在だろうから。そして、それ無くしてわたしたちは生きられない」
仮に違う世界へ行っても、その先で起こることは同じなのだ。
地球で人間をエネルギー源として収穫しなくなったなら、他の場所で同じことをするだけ。変わらない。
「『フィル』は歩き続けることだと言う。他者の想いや願いを胸に、とな」
フィル、それはエルムの主人格。エルムはフィルの表へ気まぐれに現れ、気まぐれに消える……『風』のように。
儚げに微笑んでから瞳に強さを取り戻し、エルムは『エルム』の意見を述べる。
「わたしは……抗うことだと思う。移ろいやすい存在だからこそ……死や、消滅に抗うこと」
「似た者同士なのかもしれないね、わたしたちは」
衝突は避けられないのかもしれない。しかし、少なくとも今は違う。真っ直ぐに言葉を届けることができる。
「……願わくば、これからも互いに信じる者を、そして己自身を喪わないことを……」
「なかなか難しい問題だけれど、祈ろう。ありがとう、エルム。君の吹く先に、幸多からんことを」
●
野崎さん、ごめんなさい。
矢野 胡桃(
ja2617)は言った。
アップルグリーンの瞳は凛としていて、迷いの色はない。
「どうして、あたしに謝るの?」
「だって……」
伝え聞いて、知っている。野崎とカラスの間の、奇妙な縁を。
今回、対話という場面を設けられても自身からの言葉は選ばず、場の均衡を選んだ彼女の心境を察しようとするなら……胡桃の選択は、逆を行くのではないか。
「だけど私は、私の『信念』を絶対に曲げないわ」
「気を遣ってくれてありがとう、胡桃ちゃん。それだけで嬉しいよ。……ぶつかっておいで」
ふふっと笑い、野崎は少女の髪を撫でて送り出した。
(さぁ、話しましょう、濡羽の君。貴方たちと私たちの道が、本当に交わらないものなのかどうか、を)
同じ舞台に、本当に立てないのかどうか、を。
「やあ、胡桃。しばらく合わない間に逞しくなったようだね」
「女性に向けて、その言葉は、どうかしら? ……今日は、新しい技のお披露目は無しよ、濡羽の君」
「ふむ」
普段と違う空気を感じ取り、カラスは胡桃の言葉に耳を傾けた。
「……ヴェズルフェルニル。貴方も死にたくない、きっとウルだって貴方を死なせたくはないでしょう。そして、私も死にたくはないし、これ以上誰も死なせたくはない、わ。勿論、貴方だって死なせたくない」
一番大切なものは自分の命であると、諏訪の問いへ応じていた。
二番目三番目を聞いたところで素直に答えるとも思えないが、きっと上役であるウルの存在も入っているだろう。
そこにどんな意図があるにせよ、『死にたくない』『死なせたくない』意思がある。
胡桃は――撃退士として数々の戦いを経て。出会いを経て。『敵であれ味方であれ、死なせたくない』と願うようになった。
それは、茨の道だろう。
自分の目の前さえ平和であれば満足なのか?
身内を殺された者にとって、復讐を果たせないのは辛いだろう。
それでも。
(私は。例え貴方がどういう思惑を抱いていたのだとしても、対話を諦めないわ)
難しいことは、今は横に置く。胡桃が触れ、言葉を交わし、銃弾と矢を交えた、眼前の天使の命を考える。その存在を、考える。
「学園にいても、『天界でのいざこざ』について耳にすることがあるの。だから貴方に問うわ。貴方の戦う理由の一つに、天界での『それ』があるのかしら?」
天界でのいざこざ。大きな内乱。原因・情勢の方向など真相は不明だが、噂程度に聞こえている。
内乱により、カラスは戦いを余儀なくされている?
「それにはYESと答えようか。無縁とは言い難い」
嘘をついても仕方がない。苦く笑い、カラスは答えた。
「そう……ありがとう。では、頭のいい貴方に問うわ。貴方の目の前には、撃退士という『戦力』がある。貴方はそれを、上手く使って天界での『それ』を収めようとは思わない、のかしら?」
それは胡桃にとっての、勝負だった。
もしも、答えが――……
「NOだ」
が、期待を抱かせる間すら置かず、端的に答えが降った。表情は穏やかだが、声音は何処となく厳しい。
「胡桃、君は天界を知らない。この世界に降りる天使、君と出会った天使が全てと思わないことだ。全てに、撃退士が太刀打ちできるわけではない」
そしてまた、エイルズレトラとの応酬にも戻る。
――久遠ヶ原の総意を、今ここで決められるだけの権限を君は持っているのかい?
「命はね、とても尊いと思う。必ずや散るからだ。失われるから、喪いたくないと願う。その尊い人間の命を、わたしたちは糧としている。奪ったことをナシにして、協力してくれとは言わないし思わない」
「……利害が一致すれば、協力することだって出来るでしょう?」
「しかし、一枚岩にはなり得ない。恐ろしいのは獅子身中の虫だ。少なくとも、わたしが指揮を執るのなら君たちへ協力を頼むことはない」
そして残念ながら、わたしは指揮官ではないし君たちを受け入れる権限もない。
そう重ね、言い募ろうとする胡桃を制し、カラスは会話を終えた。
●
全てのやり取りを、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は後方から観察していた。
翼巨人の檻の中には人間らしい姿はない。
伝令サーバントは1羽も群れから離脱していない。
単純な質問には簡潔に答え、取引めいたものに対しては現実性を理由に断る。
感情面については、案外と饒舌なようだ。
(で、情報には餓えてる感じ、か)
――国内の情勢については、もしかしたら君たちの方が詳しいのかもしれないね
佳槻との会話が引っかかる。
少数精鋭。裏を返せば孤立状態なのではないか?
撃退士へ対話を持ちかけたのも、そこか。
(対話……か。こっちの思いに、ちゃんと応えてくれるんかいなぁ?)
「ま、そっちはそっちでいろいろもめてるみたいやけど」
胡桃の肩をポンと叩き、その右側へとゼロは進み出た。
「自分らどうするん? 正直、どっちついてもロクなことにならなさそうやけど、大丈夫なんか?」
単刀直入な言葉に、カラスは肩を揺らした。
「君はストレートだね。いつもそうだ。まっすぐで、真っ直ぐすぎるから、私なんかに撃ち落とされるんだよ」
「やかましいわ!」
「どっちについてもロクでもないなら、自分の心に従うだけだ。選ぶことができるとは、幸いだね」
選べる立場にある。強制的に置かれているわけではないのだと、カラスは言う。
だからといって、納得できるか。憮然とした面持ちで、ゼロは言葉を重ねた。
「『死ぬわけにはいかん』ってお前は言うた。ならお前はどういう形で生きたいんや、それは現状かなっとるんか?」
「おかげさまで。自らの意思で選び取る道を進んでいる。信じる方とも巡り会えた。富士の山で果てることも覚悟したが――上々の人生だ」
(信じる……、ウルか)
二人の詳しい経緯は知らない。
ただ、やたらとフランクに会話をしていたことは記憶している。付き合いやすい相手ということか。
それが今の、カラスのモチベーションなのか。
●
「全員分の話は終えたね。時間も、これくらいなら支障ないだろう。土産は充分かと思うけど」
カラスが別れを切り出そうとしたところで、ゼロが引き留めた。
「……カラス。俺も連れてってくれ」
意外な展開だと、カラスは金眼を見開いた。
「絶対に手は出さん。抵抗するんやったら殺してもいい。お前だけやなくて、ウルとも話してみたい。
お前も俺らも……失うだけの戦いってのは、もうええんとちゃうか? 新しい風ってやつに乗るのも悪くない……と、俺は思いたい。頼む。一緒に行かせてくれ」
ヒュッと風が吹いた。
コートに手を差し入れたかと思えば瞬時に引き抜かれた風の剣。
旋風状の魔法エネルギー体で形作られるそれは、ピタリとゼロの首筋に当てられる。
「それはできない」
男の首に一筋の傷をつけることなく天使は答え、そして魔法を解除し剣の柄だけが『右手』に残る。
(左腕は調子が悪いまま、ということでしょうかー?)
諏訪が、それを見つめていた。
片腕ならばクロスボウと剣の両用は難しいだろう。それが貸し与えた理由かもしれない。
扱うのが右手に変わっても、引き抜く速度に違いはないようだけれど。
「わたしが撃退士拉致の犯人として指名手配される。これ以上、敵は増やしたくない」
「お前は生きたいと願った。なら生き方ってのはいろいろあると思う。堕天して守る力が弱くならんでもええ方法が……な」
「例外はあるかもしれないが、わたしはそこへ加わるつもりはなくてね」
それに。
「『新しい風』の明確なビジョンが見えないね。それじゃあ、乗るわけにはいかないな」
「会社の新規商品開発案か!」
「残業しても良いから、精度の高い企画書をお願いするよ」
「乗るなや!!」
くすくすと笑い、カラスは剣の柄をスーツの後ろ側へ戻した。
「今日は有意義な時間をありがとう。君たちにとっても同じであれば嬉しい。では―― どうぞ、武運を」
●
天使の一言を合図に、残る撃退士たちは本来の依頼である民間人救出へと向かって行った。
最後まで後方を牽制していた野崎も合流すると、静矢が彼女へ告げる。
「野崎さん、他方も厳しいでしょうが……早期に岐阜ゲート攻略を為さないと、より酷い状況になるかもしれません」
この広い山々を相手に、撃退士が24時間体制で見守るのは難しい。
そうしている間に、カラスは着々と人間たちをゲートへ運ぶのだろう。勢力を増していくのだろう。
精神の動きが無くなった人々を最後に奮い立たせ根こそぎ吸収する『ラストラン』は、ウルの得手だ。
今は命を取られなくても、取る時は一気……その恐怖も付きまとう。
「即答はできない。多治見へ持ち帰っての検討だ」
が、こうして伊吹山ゲート撤収に依る漁夫の利でエネルギー源を集めていることは解かった。
京都のザインエルとは対立関係にあるらしいこと。
しかし他の天界勢力からは応援が望めないらしいこと。
カラス自身は、左腕が本調子ではないらしいこと。
岐阜ゲート勢にとっては、ザインエル勢力と撃退士勢力に挟まれる形となったが、それでも人界へ下る考えはないこと。
今回得ることができた情報と言えば、この辺りだろうか。
さて、これから導かれる作戦は――……
風の行方は未だ見えず。