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人里から離れ、荒廃した土地。冥魔の領域。
冬らしい雪景色の中に生き物の気配はない。遠く、うっすらと赤色に発光する結界が見えた。
「術式展開中は、長い時間だから、目立たない場所を見つけたいね」
背伸びをしながら、Robin redbreast(
jb2203)は白い息を吐く。
吹き溜まり、枯れ木の並ぶ場所、そういったものを探す。
「華さん。華さんは結界へ突入していくことが本命ですから、それまでは休める時に休んで、体調を整えておいてくださいね」
「……わかりました。ありがとう」
ユウ(
jb5639)の言葉に華は笑顔を見せるが、さすがに緊張しているのだろうぎこちない。
「…………この辺りか」
心配の言葉を飲み込み、華の弟・護が術式展開の場所を見定める。
「長丁場へ付き合わせることになるが、どうかよろしく頼む」
不器用な印象を与える青年は一礼すると、箱から【祭器】を取り出して雪の上へ置いた。
(……あれが【祭器】)
眼前にして、君田 夢野(
ja0561)は息を呑む。
白い水晶のような物質からなる、小さな星型の十二面体。
(試作品とはいえ、こんなに早くできあがるとは……。つまりそれだけ、委員会も本気ってコトか。ならコッチも、応えていかなくてはな)
材料が揃えば即座に作成へ取り掛かれるだけ、研究は仕上がっていたということなのだろう。
(祭器が実用化されれば、たくさんの人達を救う手助けになるかもしれない。そのためにも、今回の実験は意味のあるモノにしたいな)
護の術式発動に合わせ、祖霊陣を展開するのは若杉 英斗(
ja4230)だ。
発動位置を重ねることで、周辺に出没するディアボロとの距離を的確に測る。
「御影さん、柏木さん、今回は大船に乗ったつもりでいてください。なんたって夜来野さんがいますからね」
「……若杉先輩が、じゃないんですか?」
「鉄壁の盾、ディバの鑑とも言える若杉殿には敵いませんよ」
英斗の発言に御影が笑いを誘われ、話を振られた夜来野 遥久(
ja6843)が爽やかに切り返す。
「ディバの鑑、か……。先輩程の力は無くても、無いなりに私もここを護り抜きますね!」
柏木は表情を真剣なものにして、英斗と遥久へ言葉を向けた。ミーティングの時はおどけた側面も見せた彼女だが、今回の依頼の重要さは理解している。
「……気長に待つしかないかな」
周辺の警戒に当たっていた鴉守 凛(
ja5462)は、人知れず呟いた。
術式の完成を、ではない。この研究が、もっと『先』へ進むこと。
結界の無効化で留まらず、その先――ゲートに依る影響すら無効化できる日を。
現在の【祭器】は天魔の目的である『エネルギー収集』の妨げにはなるが、彼ら自身を脅かす程ではない。
途上の成果が無駄とまでは思わないけれど、凜が望むのはここではないのだ。
「学園が主体となって作る物ですから、まずは守護すべき者に向けられるのは致し方ないですけどねぇ」
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「随分と腑抜けたゲートの様だな。結界直近だがディアボロの数はそれほどじゃない」
スナイパーライフルを肩に、影野 恭弥(
ja0018)が戻ってきた。
的確な狙撃で長距離から敵を落とす。こちらに気づかれる前に。
仲間が襲われたと認識する程度の知能はあるようだが、方向を特定できず徘徊するばかり。退屈な護衛時間だった。
「影野先輩、良いところへ。そろそろ、術式が完成しそうです」
声を潜め、御影が駆け寄る。
祭器を通し大地に手を翳す護の額を、汗が伝って落ちた。十時間にわたる呪文詠唱の集中は並大抵のものではない。
「――――ッ」
アウルと地脈の力が絡み合い、祭器はフワリと宙に浮かんだ。
純白に輝き、四方へ対結界の陣を展開する。
一同は、反射的に結界へと視線を走らせた。
「……消えていく」
華の声が震える。
赤色に覆われていた支配領域が、祭器の力で色を喪っていく。
「華」
彼女の袖を、ロビンが引いた。
「お腹、減ってない? サンドイッチをどうぞ」
無事に術式が展開するだろうかという不安。
展開したことの安堵。
そして、これから結界地域へ入り込むという緊張……。
大きな感情の谷間に、ロビンは大切なエネルギーを差し出した。
「魔法瓶に温かい飲み物もあるからね」
「……ありがとう、ロビンさん」
華が纏う防寒着も、少女が貸し出したもの。
長い長い『戦い』になる。撃退士は人並み外れた体力があるけれど、華は力のない『一般人』だ。
自分たちとは違う。そのことを、忘れてはいけない。
「華さんは必ず守ります。そちらの方もお気をつけて」
ユウの言葉に、護は力強く頷いた。
御影と柏木、護を残し、一行は結界へと進んでいった。
「……千塚さん」
「はい」
遥久の声に促され、華は一歩踏み出す。半日ほど前まで、人間の魂を揺さぶっていた結界の中へ――……
「だい、じょうぶ……です」
胸を抑えながら、華は深く息を吐きだした。
大丈夫。
身体に異変は感じられない。
結界は、外観だけでなく性質自体が無効化されている――……!!
「千塚さん、少しでも気分が悪くなったら言ってくださいね。吸魂の影響かもしれないですから」
「わかりました」
華の護衛として、英斗がつく。長距離射程を持つメンバーでディアボロの接近を許さない布陣ではあるが、最後の最後は彼が守り抜く。
反対側には遥久が。吸魂の兆候があれば、即座にスキルでそれを止める備えだ。
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(ゲートよりも実験を優先したことが、『自分達』にとっての災いになるかもしれないな)
天宮 佳槻(
jb1989)は、術式の成功を体感しながら言葉には出さず、そう考える。
今のところ、遭遇するのはディアボロばかり。けれど、その中には『ディアボロになりかけの人間』も居るかもしれない。ゲートを壊したなら救える命だ。
しかし、『今回』は彼らを優先できない。仮にゲートを破壊する力があっても一般人の華を守ることが最優先だからだ。
その選択は、このゲートで親しい者を失った人の気持ちの捌け口となるかもしれなかった。
なぜ助けない、と糾弾されるかもしれない。撃退士への失望を招くかもしれない。
ゲートを前にして何も出来ないのは今に始まった事ではない、ようやく一歩を踏み出せたと喜ぶべきだとしても。
(……いつの時代も、そんな面はどうしてもあるのだから。でも、だとしたら)
だとしたら。
そういった感情を向けられるのは、自分に似合っているのかもしれない。そんなことも考える。
人のココロというものを親身に感じられない自分なら……非難の言葉も、額面通りに似合うのではないか。
「……流石に1年ともなれば『収穫』もだいたい済んでるだろうな」
弓を引く手に少しだけ迷いを見せ、放つ。それから夢野は首を振った。
ちょうど、佳槻が抱いていた懸念と同じものだった。
接近するディアボロを撃つことへの迷いを振り払う。
「展開を許し、奪還を果たせなかった。……俺達撃退士の失敗例とも言える直視に堪えない光景だな」
「……ええ」
遥久は、毅然とした眼差しで周囲の惨状を見渡した。
建物の多くは崩れ、そこに狐火が溜まっている。
撃退士たちの存在に気づいていないのだろう遠方では、無意味な破壊音が響いた。人間の悲鳴はない。
――守れなかった。奪われてしまった。
遥久の胸に過ぎるのは、京都が封じられてしまったあの時のこと。
四年近く経とうとも、それから奪還を成し遂げたとしても、愕然とした喪失感が消えることはなかった。
あの日救えなかった命を、忘れたことはない。
「【祭器】という希望を、未来に繋げたい。そう思います」
「……待てよ」
会話の途中で、夢野は足を止めた。今のところ、周囲に変化はないようだが……
「これが、天魔の目に触れれば? ゲート主は、この異変に気付かずにいるだろうか」
その頃、凜とロビンは集団から少し離れた場所で、安全な道筋を用意すべく索敵を担当していた。
双眼鏡を手に、物陰から様子を伺う。
今のところディアボロには結界が解除された認識は無いらしく、目的もなく徘徊しているだけ……のように、思っていたのだが。
「あら」
凜は夜叉鬼の1体と、目があったような気がした。
「後ろに意識が向かないうちに、倒しちゃいたいね」
それまでの大人しさと一転して、ロビンがいち早く魔法で先制を。
「えぇ。敵の動きにも変化が出て来たようですしねぇ……」
凛の追撃、まだ倒れない。
「どうやら、こちらの行動がバレたみたいだな」
最後、恭弥の長距離弾が鬼の額を撃ち抜いた。
「前方方向、右手夜叉鬼1体撃破。左手にもう1体接近中。その後方に狐火6体が群れている。――来るぞ」
恭弥の報告で、一行に緊張が走った。
「だよな。放置はナイよな」
どこの誰が、妨害を与えたか……特定されたわけだ。
夢野の嫌な予感は的中し、だからこそ彼は唇に笑みを刻む。
「さあ、戦いの時間だ。ようやく――希望ってモンが見えてきた所だからな」
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佳槻は戦神の剣を招来すると、夜叉鬼も狐火も全て含めて切り刻む。
撃ち漏らしの死にぞこない、しかし華へ爪の先も触れさせるわけにはいかない。纏まってくるなら一気に倒す。
「どうやら、敵が集まり始めているようですね」
ユウは後方から迫る蛇女に射撃を続けながら状況を確認する。
これまで安全に進んできた道、そこからもディアボロは迫っていた。
「敵を引きつけます、少し離れます」
宣言をして、佳槻が陽光の翼を広げた。
敵の攻撃がギリギリ届かない程度まで飛翔し、鳳凰を召喚する。視覚的にわかりやすい陽動だ。
「――あ」
瓦礫の多い街中では気づけなかったが。遮蔽物のない空中へ出て、佳槻は『境界』を目にした。
目視だからおおよそだが、100mもないだろう。
空気が、チラチラと輝いている。無色の星の瞬きが壁を為していた。
攻撃を重ねて受けながらも、ずるり、ずるりと這いよる蛇女が、一気に胴を伸ばし英斗に襲い掛かった!
「……近寄らせるか!」
盾で受け止め、収束したアウルでそのまま跳ね返す! 束縛する隙を与えず、はるか後方へ吹き飛ばした。
「徹底的に排除します」
そこへ遥久の霊符が追討ちを掛け、完全に息の根を止める。
――その後ろ。どさりと人の倒れる音がした。
「千塚さん!? 大丈夫ですか」
華が、膝から力が抜けたようにへたり込んでいた。遥久が駆け寄り、様子を伺う。
呼吸が荒く、目もどことなく虚ろだ。
「千塚さん、返事をしてください。千塚さん」
「――、……」
だい、じょうぶ。
うわごとのように返される言葉。
「祭器の力が弱まってるんでしょうか」
英斗も慌てて戻り、懐から通信機を取り出した。
「――あ、御影さん? 若杉です。そちらは異常ありませんか?」
『はい、敵にもほとんど見つかっていません。そちらは……激化しているようですね』
「ええ。でも、心配はいりません。無事ならよかった」
結界へ入ってから定期的な通信連絡も問題ない。
術式は稼働している、結界は無効化されたままだ。吸魂の可能性を考えていた遥久だが、アプローチを変えることにした。
「……いえ、……大丈夫。大丈夫ですよ、千塚さん。息を吐きだして……吸い込んで」
先に、マインドケアを。
暖かなアウルが華を包み込んでいく。
「…………あ」
張り詰めた神経が優しくほぐれ、気丈な女性の頬を涙が伝った。
「ごめんなさい、私…… 大事な仕事だって、役割だって……わかっているのに……」
自分の立ち位置が、不意に怖くなった。恐れている場合ではないという理性とで、感情がぐちゃぐちゃになってしまった。
「大丈夫です。弟さんが護ってくれていますよ」
「護が…… そう、ですよね。私がここで無事でいられるのは、あの子が展開した祭器が機能しているから」
遥久の声が、華の心に響く。
「祭器は無事です。しっかりと展開されています」
首を振り、華が立ち上がった。
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背後の廃墟を、蛇女が突き破る。
「!!」
一瞬にして巻き付かれたロビンが、締め付けに耐えながら手のひらから電撃を走らせる。スタンエッジだ。
威力こそ劣るが、効果は変わらない。
「そろそろ引き際じゃないか?」
スタンに落ちた蛇女の頭をストライクショットで撃ち抜いて、呼吸をするように恭弥が提案した。
「境界についてはカメラに収めました。周辺の建物との関係から、画像解析である程度の距離を算出できるかと」
デジタルカメラを片手に、凜。
「祭器の機能については確認が取れましたし、これ以上はたしかに消耗が厳しくなりますねぇ」
「俺が退路を切り開こう。その間に体勢を整えてくれ」
弓から大剣へと持ち替えた夢野が歌うような一射を放つ。進行方向にたゆたっていた狐火を打ち払い、斧の投擲モーションに入っていた夜叉鬼を崩す!
「お手伝いします」
夢野へ、ユウが並ぶ。
「殿は俺がやる。近寄らせやしない」
凛と恭弥が最後尾を担った。
「千塚さん。走れますか?」
「……はい!」
トンと遥久に背を叩かれ、華は本来の強さを取り戻した。
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「皆さん、無事でしたか……!!!」
出迎えた御影もまた傷だらけであったが。
長距離攻撃を巧みに組み合わせ、深手を負った者はほとんどいなかった。それも、撤退途中の回復魔法でほとんど取り戻している。
「止まっている暇はない、このまま走り抜けるぞ」
「わかりました!」
敵が何処まで追いかけてくるかわからない以上、少しでも遠くへ少しでも早く退く必要がある。
夢野の指示へ、御影たちも応じる。
「姉さん。実験は成功か?」
「ええ。ばっちりだわ」
「……だったら、よかった」
「寝るにはまだ早いわよ、ほら、走った走った!」
祭器の発動で消耗している弟に姉が鞭を打つ。弟は力なく笑い、脚に力を入れた。
ようやく敵の追随から逃げ切って、一行は再び結界の張られた冥魔の領域を振り向いた。
「……次に来る時は、あのゲートを壊せるかな」
ロビンが呟き、
「もし、あの結界内にいる『人』が見ることがあったら……効果範囲の煌めきを希望の光と感じるだろうか?」
陰に徹する佳槻が遠く遠くを見た。
あの煌めきを、より多くの場所へ届けることができるようになるのだろうか。
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後日。
祭器の試作品は期待通りの効果を発揮したこと。
現地の地脈と提出された写真から推測するに、今回の術式効果範囲は直径約800m程だったこと。
これらから、地脈次第ではより広い効果が期待できること。などなどが報告された。
あの日に見た、祭器の煌めき。それは、人類の希望に繋がるほんのかけら、そして重要なかけらとなった。