●
晴れた空に、軽快な汽笛が響く。
ホーンテッドクルーズ、出航の合図だ。
「本日は御乗船いただきまして、誠にありがとうございます」
添乗員役の御影が、船内でマイク片手にアナウンス。
(魚は、何を考えて泳いでのであろうな……)
海や生き物の説明を聞き流しながら、アヴニール(
jb8821)はガラス張りのテーブルから海底を覗く。
海水はエメラルドグリーンの透明で、ゆらゆら泳ぐ魚影も鮮明だ。
何処からとなく流れ、そして去ってゆく。何を目指し、泳ぎ続けているのだろう。
「……外の空気も良い、な。甲板にでも行くのじゃ」
ふっと、アヴニールは視界がゆがみかけるのを感じる。慌てて目元を擦り、甲板を目指した。
すれ違うように船底へ降りて来るのは、蒼薔薇の乙女。シアン・BR・ルナルティア(
jb2554)。
(深い海なら、ばあ様の寝床にいけそうな気がしますの……)
ふわふわ、ふわふわ、海に浮かぶような足取りで歩く。
ガラス越しの海、丸窓の外の水平線。どことなく涼やかな空気に、シアンは御機嫌の表情。
「素敵な揺れ心地ですの。ふかふかソファがあったら最高ですの……」
海の底、夢の中へ突入するつもりで、シアンは辺りを見回した。
「豪華なお部屋……は、ないのですね……」
船内はワンフロアっきり、何がしかの個室があるというではない。
「あら、あんなところに」
だが、船尾の方向・壁沿いに、横になれるソファが用意されていた。そのまま海を眺めることのできる、ゆったりとした造り。
夢の精に呼ばれるように、シアンはふわふわと近づいていった。
●
――それでは暫しの遊覧、お楽しみくださいませ
アナウンスが終了すると同時に、心地よいBGMが流れ始める。
この後、とんでもないことが起きるだなんて微塵も感じさせない優雅さだ。
(ホーンテッドクルーズ……中々面白いですね)
これも『仕込み』のうちなのだ。
グラン(
ja1111)は無邪気に楽しむ一般客を見渡しながら、そっと口元に笑み浮かべた。
ホラーアドベンチャーを盛り込んだツアーであるとはわかっていても、それがどういったものかまでは蓋をあけるまでのお楽しみ。
未知なるものへの期待も、スパイスになっているらしい。
「こんにちは、グラン先生。調子はいかがですか?」
「上々ですよ。光嬢に運営側と橋渡しをしていただいたおかげです」
「ふふー、それは良かったです」
とん、と肩を叩いて声をかけて来る御影にも、グランは何を仕込んだかは伝えていない。
「恐怖とは、未知からくるもの。光嬢も、ご注意を」
「?? はいっ、がんばります!」
ガイドですからね、案内役が取り乱してはいけませんからね!
御影は着々とフラグを立てながら、別の参加者へと声をかけに行った。
「海底観光船『るるいえ』でのアルバイトかあ〜…‥。なかなか面白そうよね?」
るるいえ……それは、とある神話の海底都市の名だ。
意味ありげなネーミング、それに企画。
巫 聖羅(
ja3916)は、その設定を活かそうとアイディアを思いつき、こっそりと準備を終えている。
「あとは…… あ、いたいた。光、頼めるかしら」
「はーい! どうかしましたか、巫先輩」
ちょいちょいっと手招きし、御影へ何物かを手渡す。
「コレ。騒動開始から、BGMに使ってくれる?」
「承知しました。盛り上げていきましょうね!」
「もっちろん!」
●狂気のクルーズ、スタート!
(んと、船の中の人を怖がらせればいいんだね。了解だよ)
水中から船底を目指し、Robin redbreast(
jb2203)はゆらりと泳ぐ。
(この辺り、かな)
狙いを定め、ロビンはナイトアンセムを発動し、周囲を突然の闇の世界へと反転させた――
「うううわ!!?」
真っ先に奇声を上げたのは、無邪気に魚の様子を眺めていた人界知らずの堕天使・ラシャ。
『ホーンテッドクルーズ』の言葉の意味も解らないまま乗り込んでいたので、効果覿面もいいところだ。
「えっ、ナンだ!?? 襲撃か!?」
「落ち着いてください、ラシャ君」
後ずさる少年の肩を、グランが受け止める。
「リアクションも大切ですが、過剰な反応は良くない方向へ不安を煽りますよ」
天魔被害がないからこその、今回のような企画なわけで……そこへの信頼が揺らぐようなことがあれば、営業にも支障が出るだろう。
「良く……? え? !!! 光った、なんか光った!!!!」
闇の中、うぞうぞと黒い塊が揺らめき、生き物のように船底の向こう側を動き回る。
近づいてきて分かったが、それは人の形をした海藻だった。絡みあい意思を持つように蠢くそれはひとつひとつが蛇のようにも見える。
合間から、キラリと宝石のような緑色の瞳が光る。
「わーっ、なんだろなんだろ! 乗る前に港で頼むって渡されたけど、ひょっとしてこれに呼び寄せられてる?」
どよめく船内で、不安交じりに声を上げたのは犬乃 さんぽ(
ja1272)。
「……えっと、長身で浅黒い肌の人だったよ。日本人離れしてて……もしかして、その時から事件は始まっていたのかも」
荷物から、なにやら曰く有りそうな古い人形や、謎の浅浮き彫りを取り出して高く掲げて見せる。あっ、人形の首が落ちた。
「事件? ……。コレも関係あるのか?」
キョロキョロ、ラシャは壁に貼られていた古い新聞記事に気づく。
外国の海難事故に纏わるもので、写真には浅黒い肌の――
「ふふふ…… どうやら、恐怖の扉は開かれたようです」
マイクを通して、聖羅が語り始める。
気づけば船内のBGMが、おどろおどろしいものへと切り替わっている。
「『るるいえ』……その正体を暴くまで、恐怖体験は終わりません……。どうか、皆さんの手で終止符を……!」
さあ、勇気を振り絞って立ち上がれ!!
「死にたくなければ走るんだ!」
歌音 テンペスト(
jb5186)の、正気に満ちた声が凛と響く。
普段の彼女を知る者ならば、きっと気づくに違いない。
――すでに、華麗に発狂済みです――
「ここはあたしに任せて、先に行って!」
「え、先にって…… どこへ」
「此処ではない何処か……そう、楽園≪エリュシオン≫で会いましょう!!」
戸惑う一般客を、さらに混乱へといざなうのもお手の物。
「ほら、そこのあなたも――……」
美少女の香りを感じ取った歌音が、片隅で背を向けている少女へ手を伸ばす。
触れた瞬間、パチンと何かがはじける感触。……水滴?
「……私に、何か?」
振り向いたのは、雫(
ja1894)であった。
流れる銀の髪、美しい赤い瞳。その腹部には6つの蛇の頭、そして12本の蛸のような吸盤の付いた太い脚が蠢いている……
突如として現れた海魔の姿に、船内は悲鳴に彩られた。
「おいでなすったか、【海魔】め! 覚悟しやがれ、てめぇらはアタシが一匹残らず捻り潰してやるぜ!」
景気よく拳を鳴らし、天王寺千里(
jc0392)が啖呵を切る。
「捻り潰す……? この私をですか……?」
相手が撃退士であることを確認してから、雫は淡々とした口調を崩すことなく応じた。
(……動きづらいです)
しかして、内心は自ら選んだ衣装にこそ苦戦している。
相手はフットワークが軽そうだ。
久遠ヶ原のスケバン。学園一の喧嘩好き。そう自称する千里は、サラシにロングコート、そして下駄という番長スタイル。
「そのバケの皮、文字通りに引っぺがしてやる!!」
下駄が床を蹴る。
「あいにく、そう安い皮ではありません」
ゆらり、雫の蛸足が伸びる――蛸足に見せかけてのダークハンドが、千里を捕えた!
「そんなハリボテ、効くかよぉ!!」
千里は間一髪、束縛効果を跳ね除けて、関節技を極める要領で足の一本を引き抜く。
「あたしのために、争わないでーー!!!」
美女も美少女も平等に、歌音にとっては宝です。
二人の間に割り込みながら、召喚したストレイシオンは海の底。
ガンッ、と衝撃が船底から響く。
「なっ、なにごとだ、外にも大きな何かが居るのか!!」
「逃げられないというの!?」
こうして、一般客の恐怖に拍車がかかるのであった。
歌音に言われるがまま走ってみたラシャだが、さてどこへ行ったものか。
「どういうバイトなんだ、コレは……」
顎を伝う汗をぬぐいながら甲板に出る。
こちらは、まだ船内の動揺は伝わっていない……?
「? おい、ソンナところに座ってたら危ないぞ」
こちらへ背を向け、海に向かって手すりに腰掛けている女性の姿があった。放っておくわけにもいかず、少年はとことこ歩み寄る。
「……ねぇ」
手を伸ばせば方へ触れられる位置まで来て、ようやく女は声を発した。
ゆるりと振り返る――その右目を覆う眼帯からは、小さな蛸足が蠢いている――
「!!!!?」
ラシャが後ずさる、良く見れば彼女の脚も――蛸のソレだ。
「ねぇ、あなたの眼を頂戴…… このままじゃ、何も見えないの……」
「わっ、わわわ」
伸びる手は白く細く、女性そのもの。
蛸足目、海の魔女・エルナ ヴァーレ(
ja8327)である。
ラシャは反射的に翼を顕現し、飛翔して躱そうとする。
「――値おいてけぇ……ッ」
ずる、ずる……べしゃり
少年を追おうとするは良いが、海への転落防止に結んでいた蛸足の一本を外し忘れていて、エルナは床へビタンと叩きつけられるように転倒する。
「へ!? だ、ダイジョブか……」
なにごとか。
予想外の展開に、助けるべきなのだろうかと見下ろしたラシャもまた、急激なめまいを覚える。
彼は故あって、高所恐怖症であった。自分自身でも時折それを忘れてしまうのが致命傷である。
「たっ、大変だ! みんな、こっちに来ちゃだめだよ!!」
戦わずして倒れる二人を前に、駆けつけたさんぽは一般客へそう呼びかけた。
いろいろとお見せできない光景であった。
●閑話休題
『ちょ っ と こ っ ち』
やおら賑やかになり始めたところで、九条 静真(
jb7992)は一緒に参加していた志摩 睦(
jb8138)の手を引き、口パクで伝える。
甲板から、船内へ。阿鼻叫喚なのはどちらも変わらないが、それぞれに休息場となっている区画がある。
そちらで一休み。
「みんな本格的、だね。静真くんはホラー、平気?」
だいじょうぶ。
静真は微笑と頷きを返した。
パニックホラーなアトラクションは案外と面白く、巻き込まれかけたところを静真が軽く往なす場面もあった。
「クルージングって初めてだったけど、凄いね……」
――とんでる みたい
甲板からの景色も良かったが、船底から覗く海の世界もキラキラしている。
静真はメモ帳に感動を書き留め、それからもうひとこと付け加える。
――およぎたくなる
「ほんと。綺麗な海だもんね」
今回はイベントの都合で遊泳はできないけれど、こんな綺麗な海で魚たちと泳げたのなら、きっととても楽しい。
「…………?」
しばらくは、魚や貝を見つけては、その名前を教え合っていたのだが……次第に、睦がソワソワし始める。
「ええと……ちょっと写真撮ってても良い、かな……?」
写真が趣味の睦。集中し始めると、周りが見えなくなってしまうかもしれない。
申し訳なさそうな視線を受けて、静真はなんの問題もないとその背を優しく叩いた。
――海。魚。ゆらめく海藻。波乱万丈な船内も納めておこうか?
嬉しそうに笑みを返してから、シャッターを切る睦。その様子を、静真も楽しそうに見守った。
同じ景色も、写真に切り取ると違って見える。ガラスのテーブルに広げ、二人でゆっくり語り合う。
睦の目に映る、海の世界は神秘的で素敵だった。自然と、静真の表情も穏やかで優しいものになる。
『お も い で た く さ ん』
「うん。そうだね……。忘れないよ、今日のこと」
じわじわと、形容しがたい感情が睦の胸を満たす。
「それで、静真くん……、その。折角だし甲板に出て、一緒に一枚……撮りません、か?」
「……」
言葉を選ぶように、ゆっくりゆっくり、睦は尋ねる。
戸惑っているようで、視線がどこか定まらない。
緊張は感じ取るけれど、その理由が静真にはわからない。だって――
笑んで頷けば、睦は安堵した笑顔を見せた。
だって今日は、二人きりの思い出の日なのだから。
●
B級パニック映画よろしくドタバタしている光景を、画面向こうの出来事のようにお茶を楽しむ少女たちも居た。
御堂島流紗(
jb3866)、クアトロシリカ・グラム(
jb8124)、氷咲 冴雪(
jb9078)の仲よし三人組だ。
「海のクルーズとか、まったり過ごすのに最高だと思うんですぅ」
潮風を受けてうっとりと、流紗が言う。夏のお嬢様をイメージした、白のワンピースドレスがよく似合っていた。
「先ずはクルーズを満喫したいわねっ。ショーは……あとからでも参加できるし、見てるだけでもいいんだよね!」
紅茶を囲みながらクアトロシリカは上機嫌。愛しのハニーたちと一緒だからに他ならない。
「もー、やだ二人共ドレスチョー可愛いじゃなーい♪」
「海、ということで格好は白のセーラー風ワンピースを選びましたが……そう言っていただけると嬉しいです」
デレッとしたクアトロシリカへ、冴雪は控えめに笑みを返す。
「夏には清楚な白! 最高!」
「冴雪さんもクゥさんもとてもかわいいと思うんですぅ」
ティーカップを両手で包み込み、流紗はおっとり笑う。
白で纏めた二人とは別に、クアトロシリカはアクティブな装いだ。
膝丈のアロハ風サマードレスに、下はショートパンツ。足元はエスニックサンダルで、南の島でバカンスといった雰囲気。
「それにしても、流紗の髪は今日も綺麗ですわね。一体どんなお手入れをしていらっしゃるの?」
「髪の手入れですか? えっと、特にしてませんけど……」
冴雪に金髪を撫でられながら、流紗はその指先を目で追った。
「髪のケアを教えて下さったら、お礼にあーんで食べさせて差し上げましてよ」
「うーん。愛をもって接してやると綺麗に育つとか聞いたことあるですぅ、冴雪さんの髪も綺麗だと思うですぅ」
「えぇ? それだけですの?」
とはいっても、それが流紗の答えなのだから、約束は約束。
パウンドケーキを『あ〜ん』している傍らで、
「あたしもー! あーんしてご飯食べさせてえー」
「クゥも? はい、あーん」
甘える彼女へは、サンドイッチを。
「うふふ、それにしても冴雪っち……。何だか前よりボディラインがセクシーになってない!? 育ち盛りなの!?」
「何ですの? クゥ。自覚はありませんが……。何でしたら触って確認しても宜しくてよ?」
「ほんと!?」
「た・だ・し。触ったらその3倍は触り返すけれど、それでも宜しくて?」
「……えっと、クゥさんのお胸触るのですか?」
「ま、待って!? あたしは平たい胸族ですから……!!」
誰も入り込めない秘密の花園は、こうして続いてゆく。
●カメラを戻しまして
「いあいあ合戦ドンドコ! 実況は《貴様のザコキャラ》あんのーんであるFOOOO!」
甲板にて明るく実況を致しますはUnknown(
jb7615)。仮装要らずの姿を堪能あれ。
「はい、こちら現場のゼロです。船内、いやぁ阿鼻叫喚に尽きますね! 何このSAN状! 先ほど、ストレイシオンによって穴の開いた船底補修にガイド嬢が追われております。物理的にピンチです」
海賊船長の衣装に身を包み、相方を務めるゼロ=シュバイツァー(
jb7501)から、穏やかじゃない情報がもたらされる。
「そいつは穏やかでは無いな。甲板では既に二名の死者が出ておるが、……む。船内から一般人が逃げて来たな。夢の国にようこそ人類、では冷たい海の底まで案内しようか……」
「あー、ソレ半魚人に追い立てられたヤツらですわ」
「下民たちは正気を削られているようだな! 悲鳴が実に心地よいであーる!」
「お察しします」
「かーらーの、フラグまっしぐら! あーあー、そっちは……」
「えっ、なんやのアンノ、なになに?」
「逃げることに夢中で、安全な場所がどこかにあると信じて、狂気に支配された無知なる人類は一心不乱に一つの場所をめざして走り出した。そこが救済の地であるがごとく」
声のトーンを落として、シリアスモードでアンノウンは語り始める。
「彼らの行く先には、人畜無害そうな青年の姿。俯く彼の――その頬の火傷跡。半袖の裾から覗く軟体生物の蠢きには気づいていない……」
助けて、と手を伸ばす。
青年が振り返る。
「……お客さんが追われてきた化け物って…… 俺よりも怖かったかい……?」
ぬらり。
顔面から、特殊メイクによる蛍光ウミウシを生やした点喰 縁(
ja7176)が振り返る。
「おーーーー。ええ絶叫ですなあ、アンノさん」
「ところがそこへ、謎の女剣士登場!」
「なんやて」
現れたのは、水無月 神奈(
ja0914)であった。
全力跳躍から竹刀を一振り、縁の腹部を横薙ぎにして海へ落とす!!
「ふっ…… 俺のメイクは、耐水性でさ……。船底で待ってる……ぜ」
\ぼちゃん!/
「何物かに追われていたようだが、ケガはないか?」
「あ、あああああ」
神奈が一般客を振り向くも、すでに彼らは恐怖で腰が抜けてしまっていた。
「……まいったな。まあ、戦意喪失の一般人に危害を加えるようなイベントでもないしな。保護案内は…… 光か」
途方に暮れ、神奈は船内にいるであろうガイド役の御影を探しに向かった。
「いあ! いあ! 海魔め、これ以上は好きにさせないぞ!」
甲板に残る撃退士――さんぽが、最後の戦いを挑む。
「SAN値を生け贄にフェンリル召喚! 先には進ませないんだから!!」
狼型のドラゴンが姿を見せ、海魔へと飛びかかる。
――他方。
ずるる、蛇のような海藻が、海面から甲板へと這い上がってきた――ロビンだ。
「な、なんだって……!! 海中からも!?」
ハッとして、さんぽは壁走りと水上歩行を駆使し、彼女の上陸を阻む。
海藻を纏ったダークハンドが伸びる、束縛を躱す、からの……
「……縛……、斬!」
デュエルヨーヨーで海藻部分を絡め取り、そのまま海へお帰りなさい!
\ばしゃん!/
「以上、サムライガールとニンジャヒーローショーだ。酒の肴に最高であるな!」
「えっ、アンノ何おまえ飲んでんの、仕事中やろ! ちょい待て、わけろ、今行く」
「――これが悲劇の幕開けとも知らず、ゼロは走り出したのであった――」
●
ずる…… ずる……
水を滴らせ、半魚人がゆるゆると歩く。
その姿の恐ろしさに、誰も近づくことはできない。
一部の客は、それに追い立てられるように甲板へ走り出し――絶叫と共に、連絡は途絶えた。
「あれは……『太古から生き続ける偉大な存在』の配下! ついに、ここまで姿を……っ」
話を繋ぎ合わせるのは、聖羅だ。
「皆さんは邪神の教団から狙われています! この危機を乗り越えるには善神の加護を得なければならないの。――皆、私達に力を貸して……!!」
「物理的で、良いなら な!!」
千里の、遠慮ない蹴りが半魚人――夏木 夕乃(
ja9092)の背中へ入った。
動きのおぼつかない衣装の者へ、なんて優しさのない。
だってそれがダークヒーローのお仕事なのだ、やりたい放題のアウトローである。
続けてプロレス技を仕掛けられ、夕乃がモガモガと悲鳴を上げる。ギブギブ!
「それ以上は――」
御影が止めに入る、それに先じて神奈の竹刀が一閃した。
「光、仲裁は良いが素手はさすがに危険だ」
「ありがとうございます、神奈さん……。つい……」
「しっかりしてきたと思ったら、まだまだ危なっかしいな」
神奈は、甲板にいる一般客について伝え、二人でフォローに向かおうとした…… その時。
「……? 神奈さん、あんなところに樽なんてありましたっけ」
船内の一角、暗がりに、樽がある。オブジェの一つとも見えるが、何か違和感が……
「ヒトデ?」
「な、なんか、腕が生えていませんか」
二人の会話に気づいたらしく、触腕がビクリと動く。それには、フジツボのような歯がビッシリと生えていた……!!
『ソレ』は緩やかに緩やかに後退し、壁へ溶け込み……
「なるほど。物質透過か」
樽の中身、レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)は、ぬるぬるとどこぞへと移動していった。
こうなってしまえば、何処にいるのか特定することは難しい。
「これは……次回登場が非常に心臓に悪いです」
ごくり、御影が喉を鳴らす。なまじっか見てしまったがために、『次』へ恐怖が高まるのも、レティシアの仕込みだ。
「見るのが撃退士であれば、心配はないだろう」
振り向いた神奈の目が見開かれる。
その反応に、御影は小首を傾げ――
「あれからどれくらい成長されたか……お胸拝見!」
「ひぃやああああああああああ!!!!!?」
ぬるりとした何かが、御影の胸部をピンポイントで襲う!
「何をやってる、銀狐!」
「あら、神奈さん。セク……胸囲測定ですよ」
神奈の振り下ろす竹刀は、ヘルメットに乗せた生タコが受け止めた。
瞬間移動で御影の背後へ回り込んだファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は、悪びれず微笑む。
「ちっ。……。…………おい、このタコをどうにかしろ」
「難しいですね〜、生ですから……。焼きます?」
竹刀を振り払っても振り払っても、タコが離れない。
その様子に、思わず御影は吹きだして笑った。
「安心しました。光さんも、着々と成長されているようですね」
なにが、とは言わず。優しく微笑んで、ファティナは御影の頭を撫でた。
●
レティシアは、引き続き通気口などを移動していた。
時折、天井や壁から触腕がはみ出しては人々を驚かせる。
(子供のトラウマにしてはいけませんからね)
アトラクションは、あくまで楽しくあるべき。
ただし、大人には限界スリリングが良いだろう。
積極的に脅しには行かず、チラ見せの恐怖を蓄積させる考えである。
(これが、和ホラーの醍醐味です。……あら?)
ぬるぬるしているところへ。
突風が彼女を襲った!
「かべのなかにいる……、お見通しよ」
蓮城 真緋呂(
jb6120)がエアロバーストで吹き飛ばしたのだ。
レティシアは壁から床へと落ちる。痛い。
「こ、こうなったら…… むしゃむしゃ、あむあむです……」
見つかってしまった!
恐怖と混乱で、レティシアは闇雲に襲い掛かる。
グワッと触腕を広げ、ヒトデの口を開く!
「怯えているのね、可哀想に……。眠らせてあげるわ」
真緋呂は動きを読んで、刀で優美に受け流し。
距離が詰まったところで、加減をしたコレダーで引導を渡した。直撃こそしていないが、『ヤラレタ』ことにするには十分な演出だ。
倒れたレティシアへ、ダイヤモンドダストを降らせる。キラキラと、それは船内に美しく輝いた。
●
「わはははははは!」
「なんで、そこで裏切りなんやアンノー!!!!」
ざっぱぁああああん、景気良い飛沫を上げて、アンノウンはゼロを海へと放り出した。
酒の席での余興である。何事も勢いである。
(あっ、しまった。この衣装、めっさ沈むタイプ! 溺れる溺れる!!)
悪ふざけで落水までは想定していたが、服装のもたらす効果までは考えていなかった。ゼロ、ピンチ。
(……うん? なんや、アレ)
沈みゆく中、海底の向こう。
何か、昏く明滅している……
――タコに似た頭部、イカのような触腕を無数に生やした顔をもった巨大な何か……
(おお、あれこそが海底都市『るるいえ』に眠る、名状しがたき神の―― って、ええい、水中やったら実況もでけへん!!)
そのころ、船内は混乱の極みにあった。
謎の生物が遠くに、そして近くには海賊船長の水死体よろしくゼロが漂っているのである。
更に黒き悪魔アンノウンが姫抱っこでゼロを救出するのだから何が起こっているのか三行で説明を頼む。
「……仕掛けは成功、でしょうか」
「ですね」
謎の生き物は、グランが仕込んだ映像。
御影と二人で、肩をすくめて笑いあった。
●そして、夕暮れ
「潮風が気持ち良いのう……」
騒ぎの間も、アヴニールは我関せずとばかりに静かに景色を楽しんでいた。
が、その表情は寂しげだ。
(……家族とクルージングも行った事があったな……。……未だ会えないのは、如何してなのじゃろうか……)
そう遠くない昔のこと。大切な家族、離れ離れになって以降、会うことの適わない家族へと、少女悪魔は思いを馳せる。
(……我は皆の無事を信じておる。だが、皆は、我の無事を信じていてくれているじゃろうか)
もう会えないと切り捨てたりしないで、再会を信じてくれているだろうか。
「……答えなど無いのは解っておる。でも、会いたいのじゃ。会えないのじゃ……」
ひとりで居ると、寂しさばかりが募る。
落ちそうになる涙を誤魔化すように、空を見上げた。赤く燃えている。
「……空から、海を見るのも良いかも知れんの」
ここからでは見えない、もっと遠く遠くも、見えるような気がする。
パニックが収まった頃を見計らい、ロジー・ビィ(
jb6232)は船内の、丸窓の傍に備え付けられた椅子へ腰を下ろす。
アトラクションが終わっての復路、まだ時間はたっぷりある。
考え事をするにはちょうどいい。
――水平線。海と空を分けるライン。
同じ色のはずなのに、その境界は明瞭で。
越えられない『ライン』を、それと同じようなものを、いつしか『彼』は踏み越えてしまったのだと……ロジーは考える。
(あたしでは何も出来ないのでしょうか……。『彼』の為に何かしたい、のに)
行方不明となってしまった、大切な人。
今から間に合うのなら、どんなことだってするのに。
「この、揺蕩う海のように……大きく包みたいのに」
海のように『唯、其処に在る』それではダメなのだろうか……。
(あたしでは『彼』のそんな存在になれないのでしょうか……)
だから、もう、戻ってこない? 会うことはできない?
何が正しくて。何が間違いなのか。そんなことは分からないけれど……。
ロジーの想いは波の音に揺られ、消えることなく漂い続ける。
「お疲れ様です。飲み物、如何ですか?」
「……あ。ありがとう」
「夏向けカクテルを用意しています。パナシェと、ブルーハワイ。お好きなほうをどうぞ」
ドリンクをワゴンに乗せてやってきたのは、天宮 佳槻(
jb1989)だった。
【海魔】役も、【探索者】役も、お疲れ様。
怖い思いをした人は、心を落ち着けて。
そういった労いを込めて、佳槻は冷たいドリンクを配る。
(……のんびり遊びに来る筈が、どうしてこうなったんだろう?)
何もせずただただのんびりも手持無沙汰だし、かといってホラーアクションの賑わいに身を投じるのもピンとこない。
どこに居ても。何をしても。いつだって形容しがたい違和感が付きまとう。
そんな中、ちょっとした時に掛けられる言葉や表情が、佳槻には心地よいものだった。
「……ええと。大丈夫?」
ケガ人の手当ては、縁が片端からしていたはずだが、金髪の少年天使が一人、倒れ伏したままに居た。
しゃがみ込んで、佳槻は呼びかける。
「冷たいものでも飲んで、少しゆっくりするといいよ」
「え、くれるのか?」
少年はゆるりと起き上がると、目を輝かせる。
「そういうサービスだから。寝覚めにはちょうどいいかも」
「アリガト! オレ、ラシャ。アンタは?」
「……天宮 佳槻」
「アマミヤ、な。覚えた!」
ラシャは無邪気に笑い、グラスを受け取る。
レモネードの爽やかな香りに――微かに苦いのは……
「!? けほっ」
「あ、しまった。アルコール入りの方だったか」
なんてアクシデントも、また一興だろうか。
●
「光」
水平線を眺めながら。神奈は、傍らの御影へ呼びかけた。
「もし光が嫌でないのなら……。これからも傍にいさせて貰えたら、私は嬉しい」
姉のような、妹のような、互いにそんな存在だと、御影は思っていた。
特別な感情を抱いているのだと神奈から打ち明けられたのは、昨年の夏だった。
そして、御影は『同じ感情』にはなれないと答えた。
「……同性に好かれるのは、光は嫌か?」
「そういうわけじゃ」
「神奈さん」
遠巻きに見守っていたファティナが、間へ入ってきた。
「光さんの気持ちが定まるまでは……、今は」
ファティナは守るように、御影の肩を抱きしめる。
「……甘え続けるわけには、いきません」
動く気持ちであれば、この一年間……いや、そのずっと前から、変化があったはずなのだ。
「同性だから嫌だとか、そういうことはありません」
だけど。
「私は、神奈さんが好きです。でも、恋愛対象として、神奈さんを特別に思うことは……できないんです」
恋は、意識的にするものではないから。だとしたら……。
「……ごめんなさい」
御影には、こう答えるしかできない。
傍にいることは嫌じゃない、心強いと思う。でも、結果的に神奈を苦しめるだけではないか。
「光さん」
震える肩を、ファティナはより強く抱き寄せる。壊れないように、包み込むように。
同じ気持ちで、好きだと言えたなら、きっとよかった。
他に好きな人が居るんです、と言えたなら、よかった。
「ごめんなさい」
ファティナの腕の中で、御影は小さく泣いていた。
●
豪華ながら、上品に落ち着きのある設えの客室は、ブルーを基調としたやさしい色。
部屋の一部は全面ガラス張りで、外には色鮮やかな魚が泳ぎ、生きている絵画のよう。
ベッドもソファーもふかふかで、心地よい眠りへと誘うでしょう。
――そんな、素敵な……素敵な、海底クルーズ……
「……さん、シアンさん。港へ着きましたよ」
肩をゆすられ、シアンはハッと目を覚ます。
「あら……? ふかふかベッドはどこですの……?」
「ふふ、素敵な夢を見ていたようですね」
周囲の喧騒もどこへやら、ずっと夢の中に居た眠り姫が起きるとともに、本日のクルーズは終了を告げる。
「またの御乗船をお待ちしております。濡れた方は、風邪をお召になりませんよう」
特定一部を見遣りクスクス笑い、御影のアナウンスが船内へと響いた。